蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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天 翔

―― 三ヶ月後、東京都青ヶ島村大千代 ―― 

 

 仮設された桟橋の上から臨む朝日に思わず目を細める美少女はネイビーブルーのセーラー服を潮風に揺らしながらゆっくりと両手を合わせる。髪をまとめた白いカチューシャとスカートに刻まれた赤の一本線は彼女が一等駆逐艦で会ったことを示す唯一の証、戦闘前のルーティンを続けるその背後から歩み寄った水色のワンピースをまとったタカオは彼女の背中から溢れる闘気に余裕の笑顔で応えた。

「今日もいい気合いね、準備はいい? 」「はい」

 シグレが両手を解いてすぐに振り返ると右手をかざした。「教官殿、今日もよろしくご指導のほどお願いします」「 …… 教官どの、ねえ。ほんとはそんな柄じゃないんだけど ―― 今日の目標は? 」

「はいっ、今日こそは教官殿から必ず一本」

 強い意志で力強く告げるシグレにほほう、とまんざらでもないと受け止めたタカオの顔が不敵に変わる。

「言うわねぇ、じゃああたしも今日は手加減抜きでいくわよ。覚悟なさい? 」

 

 蒼き艦隊へと配属されたシグレだが実は周囲で考えているほど容易なことではなかった。

 横須賀を母港として活動している蒼き艦隊だが係留ドックの使用申請はタカオと401の二艦のみでシグレを整備するためには新たに届け出を出さなくてはならない、南管区での霧の船拿捕の報はすでに中央政府へと上がってはいたのだがそれが突然蒼き艦隊への登録 ―― つまり民間へと払い下げられた事に軍務省関係者は多いに驚き強い憤りを露わにした。貴重な研究材料として当局で扱わなくてはならない素材がまるで油揚げでもかっさらわれたかのように手の届かない所へといってしまう、当然のことながらその抗議の矛先は内々に話を済ませた桃花と群像の所へと押し寄せて鎮守府内での蒼き艦隊の立場を微妙な位置へと追いやった。

 だが元々治外法権下で運営される各管区の首長の決定はすなわち最終決定事項であり中央政府といえどもそれを覆す事など最高裁に持ち込んでも無理、加えて蒼き艦隊に対する軍務省の方針は上陰に一任されておりその彼をして黙認されてはどうにも手の打ちようがない。拳の行き場を失った彼らが勢い横須賀の責任者である纐纈へと捌け口を求めるのは自然な成り行きでもあり、浦上に言わせればただただ気の毒であるとしか言いようがなかった。

 さらなる金食い虫を捨て台詞と共に押しつけられてこめかみから血が吹き出しそうなくらいに激昂する鎮守府の主ではあったが、嫌がらせで派遣したリムパックで世界一の称号を日本へと持ち帰った彼らを罰する訳にもいかず沸々とヘイトを滾らせる日々を過ごす。だがその彼が突然態度を豹変させたのはシグレが着任の挨拶のために司令官室を訪れた時の事だった。

 

「本日より蒼き艦隊へと編入されましたシグレと申します、微力ではありますが司令官閣下の御為に全身全霊で任務を全うする所存でございます。ご面倒とお手数をおかけするとは思いますがどうぞよろしくお願いいたします」

 一部の隙もない姿勢で綺麗な敬礼をする彼女を前に纐纈は呆然とその形を見守った、メンタルモデルとはただ顔形だけが綺麗なだけでどこか不敬な雰囲気がすると言う印象を持っていた彼が一瞬でその価値観を覆された瞬間だった。力のある目でこちらを見据えるその眼光と凛とした雰囲気は己の立場も弁えずいつも気さくに声をかけてくる連中とはぜんぜん別物。

「こ、こちらこそぜひとも貴艦の奮励敢闘を期待する。わが横須賀にようこそ」気圧されて思わず口走って手を差し出した瞬間にあっと驚く纐纈、自らがそれを言ってしまってはこの艦の寄港を許してしまったも同然ではないか。

「ありがとうございます! 」破顔一笑で手を握って喜びを露わにするシグレとは対照的に思わずそっぽを向いて苦い顔で応える不幸な司令官、その光景を扉の傍に立つ群像と上陰は二人と同じように対照的な顔でその光景を眺めていた。

「 …… まさか、あの司令官をこんなに簡単に」懐柔してしまうとは、と言外の言葉を押さえて唖然とする群像、しかし万が一の時の押さえで横須賀を訪れた上陰はいかにも人の悪い頬笑みを浮かべた。

「彼女が司令の好みにぴったり填まった、という事だ。ちなみに私は会わせさえすればどうにかなると思っていたのだがね」

 

 上陰の搦め手により何とか横須賀での補給修理は許可されたがそれは彼女が抱えた問題と比べれば些事にも等しい物だった、もっと重要で喫緊の課題 ―― それは彼女と他のメンバーとの「練度」の問題。

 彼女がこれから参加する艦隊は重巡と潜特型潜水艦の二隻で白鯨Ⅲを含めても三隻というこじんまりとした編成だ、生前に聯合艦隊と共に南方の海を駆け巡った彼女にとって蒼き艦隊の陣容はあまりにもか弱くて薄い。とてもこれで総旗艦を沈めたなどとは想像がつかない。

 生真面目な性格の彼女がそれで蒼き艦隊を侮った訳ではないが心のどこかで「自分ならば十分みんなのお役にたてる」とうぬぼれていたのも確か、だがその気持ちもタカオと交えた初の訓練演習で木っ端みじんに砕け散った。

 シグレの兵装は最終更新時の艦隊防空特化型だからタカオ相手に戦うのなら12.7cm主砲など捨てて九三式魚雷で勝負する一択、火力では敵わないが速度と旋回性で優位に立つ駆逐艦が2クラスも上の鈍重な重巡に近接戦闘で敵わないはずがない ―― と思っていた。だがその自信も必殺を期して放った8本の魚雷をものの見事に回避された事で大いにぐらつく。

 タカオの誘いに乗って全弾一斉射を敢行したシグレが慌てて再装填をしようとしたがその隙に距離を詰められ20.3cmのつるべ打ちを喰らい、模擬弾に使用された木片ともどもぷかぷかと相模湾に浮かぶ羽目になったのは当然の結果だった。

 

 自分が何も通用しなかった事に頭の中が真っ白になり、呆然と甲板へとへたり込む彼女に勝者となったタカオが声をかけた。

「主砲を使わずに魚雷だけで勝負するのはまあ常道、でもそれだけじゃまだまだ全然。戦況予測や戦術選択、兵装の使い方をもっと勉強しないとあたしには勝てないわよ? 」

「 …… もういっかいっ」我を忘れてシグレが大空に向かって叫ぶ。「もう一回お願いしますっ! 補給を済ませたらすぐに ―― 」

「甘えンじゃないの、あんた一回沈んだんだから今日の所はここで終了。それより今日の演習経過は401がまとめてくれてるはずだから横須賀に帰ったらすぐに地獄の座学よ? あんたもヒュウガ教授のドSミーティング、心して味わうといいわ」

「ド、S? …… あの、そんなに厳しいのでしょうか? 」何か余計な事を想像して思わず身震いするシグレだが第二巡航艦隊所属時にそれを経験した事のあるタカオは心から気の毒そうな声で告げた。

「きびしいィ? アレを言葉にできるンなら「ムツ」のシゴキの方がまだ可愛げがあるっての」

 

 ところがヒュウガ教授のシグレへの評価 ―― 真綿に水。

「まあアレよ、たまにいるじゃない? 素質があるのに努力するやつ」連日の演習でヘトヘトに疲れているだろうシグレの事を心配したタカオがヒュウガにスケジュールの緩和を提案しようとした時に彼女から零れたシグレの印象がそれだった。ヒュウガが言うにはタカオにとっては地獄としか思えないような座学の時間を彼女は平然とこなしていると言う。「ノート見せてもらったけど講義内容の書き漏らしは全然無し、それどころか自分なりの疑問点を新たに書き加えて次の時間にはこっちが質問攻めよ。あれで強くならない方がおかしいわ」

「へ、へえ。生まれたてのヒヨコにしちゃなかなかやるじゃない、そうこなくっちゃこっちも相手のし甲斐がないってモンよね」一応強がってはみたものの自分の想像をはるかに超えるシグレのドMっぷりに思わずドン引くタカオだがヒュウガの言うとおり日に日に強くなってきているのは相手をする彼女が肌で味わう実感、引きつり笑いを浮かべる彼女の後ろでは401のメンバーがそれぞれの立場からシグレのパラメーターの分析結果に目を輝かせている。

 タカオに関しては水上戦闘の教練が主な任務だがそれだけでは物足りないと、シグレ自らの要望で駆逐艦としての能力と後付けされた対空戦闘のレベルを引き上げるための臨時演習が彼女の体調を見計らった何回かで行われた。

 とはいえ恐らく世界最強の潜水艦と主砲の代わりにナノマテリアルで構築した「試製晴嵐」での対空ミッションだ、そうやすやすとくぐり抜けられるほど甘くはない。特に401に搭載されている艦載機は水上機とはいえ最高速は零戦クラスでしかも250キロ爆弾4発という重装備を誇り、その性能・用途は大戦末期に開発された帝国海軍最後の制式艦攻「流星」に匹敵する。水平爆撃からの回避率ではほとんど100%を記録するものの急降下爆撃に関しては見た事もない速度で接近する晴嵐にほぼノーガードのフルボッコ状態だ。

「対空戦闘はともかくとして対潜値に関してはやっぱりというかかなり優秀ですね、イオナちゃんとヒュウガさんの操るアクティブデコイで三回撃沈判定を出しています。霧の駆逐艦のソナーってそんなに優秀なんですか? 」

「駆逐艦の主任務だから。感度で言うならヒエイと一緒にいたユラやナトリの方が上、でもシグレは相手の針路を読むのと散布界の作り方・深度調定がすごくうまい。潜水艦の操作に慣れてないヒュウガが沈められるのは必然」

「そおねえ、確かにあたしじゃもう役不足かも」イオナとともにデータを見ながらさばさばと呟くヒュウガの顔を意外そうに見つめる401のクルー。「 …… なに? 」

「い、いやあ案外さっぱりと負けを認めるなあって」「だーかーらー、あたしは素直に負けを認めるタイプなの。それにやられたからってあたし潜水艦じゃないし」あっけらかんと言い放つヒュウガの価値観はどうやら演習ごときで変わる類の物ではないらしい、日に日に頼もしさを増す彼女と彼女の教え子がこの先どこまで強くなるのかを心の中で思い描くクルー達だが描いた夢を現実のものにするためにはぜひともその難問をクリアしなければならない。

「ところで新しい演習海域なんだけどさ ―― どこにする? 」

 

 当初は相模湾の一角を借りて行っていた訓練演習も日を追うごとに上がっていく練度と速度のおかげで今や一般船舶の通航エリアにまで広がっている、実施の際には海洋レーダー等を使って他の船舶の邪魔にならないよう細心の注意を払ってはいるつもりだが不慮の事態に遭遇してしまった時の事を考えると全力を出し切れないというのも事実だ。

「補給と休息の事考えるとさすがに横須賀の傍でやんなきゃいけないとは思うンだけどもうこれ以上相模湾での演習は無理だよ、もっと広い海域でやんないと」

「そうですね、硫黄島基地が残っていればあの辺は訓練には最高だったのですが …… あまり遠くに離れてしまえば行き帰りだけで相当な日数を必要としますしなんとも効率が悪くなります。さりとて日本近海で相模湾のように深度の深い海域はなかなか ―― 例えばスケジュールを組んである一定の期間にどこかで合宿を張るのはどうでしょう? 」

「合宿、ねえ …… 確かに名案なんだけど学校の部活みたいにはいかないんじゃない? なんてったって戦闘艦同士の模擬戦なんだからそれなりに装備とかバックアップとか必要だし」

「なるほど、合宿か。いい考えだな」いおりと僧の会話を聞いていた群像が思わず口を挟んだ。「場所はいくつか申請はしてあるんだが問題は補給と整備だな ―― ヒュウガ、アレの進行状況は? 」

「あーやっぱりあれを使う事になるかぁ …… そおねえ」ため息まじりに呟くとすぐにキーを叩いてどこかにアクセスすると、返信されたメール内容を報告した。「どうやら使用には問題ないみたい、第一公試が終わって今は上甲板の艤装に入ってるみたいだけどF-35B用の装甲強化だから中身には関係ないって」

「ちょちょちょ、群像? 一体何の話をしてンだ? 」杏平が怪訝な顔で尋ねて事情を知る群像とヒュウガ以外の全員が二人に注目する。「第一公試? 上甲板ってまるで新しい船みたいに聞こえンだけど、それと二人の訓練とどう関係があるんだ? 」

「俺達が今現在直面している問題 ―― 模擬戦だけの話じゃなくて蒼き艦隊として活動するための様々な問題の解決策さ、浦上さんを通じて海軍上層部にお願いしていた案件だ」

 ヒュウガからの答えを聞いてほっとした表情を浮かべるのは彼がここ最近鎮守府内でいかに肩身が狭かったかの証だ、それにイオナにも秘密にしていたその計画を話すにはいい機会だ。

「硫黄島基地に変わる、新たな活動拠点の話さ」

 

            *            *            *

 

「タカオ・シグレ両艦とも抜錨、大千代港から予定海域に向けて移動中」艦尾に位置するブリッジから水上レーダーを睨んでいた静が告げると沖合で浮かんでいた巨大なタンカーの甲板上はにわかに慌ただしくなった、大小様々なドローンが羽音を響かせたかと思うと次々に空へと舞い上がって演習海域上空へと向かう。

「観測用ドローン離陸完了、広域レーダー及びAIS(自動船舶識別装置)による航行状況確認。周辺地域に艦影は認められません」「了解だ。イオナ、ヒュウガと一緒にドローンのコントロールと情報収集を頼む」

「たのまれた」群像の席の隣に置かれた急ごしらえの居場所 ―― リンゴの木箱にリノリュームを張った間にあわせだがどういうわけか彼女の指定席 ―― にいつものようにぺたりと座りこんだイオナは演算領域のリングを展開してすぐにデータリンクを開始した。進行方向正面に設置された何台ものモニターが様々な方向からシグレとタカオの行方を追いかける。

「どうしますか艦長、船を少し海域に近づけますか? 」操艦を預かる僧が刻一刻と変化するドローンからの位置情報を見ながら尋ねると窓際で光学式の単眼鏡で二艦の様子を監視していた杏平が呟いた。「いや、これは逆に下がった方がいいんじゃねえか? 二人とも気ィ強ええなあ、勢いつけたまんまもうおっぱじめるつもりだぜ」

「いおり、両舷後進一杯舵そのまま。座標ポイント242まで後退」

「 “ はいはーい …… しっかしほんとに重い船だよねぇ、出力調整するのも一苦労だわ ” 」

 

 母港を横須賀と定めた蒼き艦隊が直面した問題、それは艦体整備に関する事だった。見た目は第二次大戦当時の姿だがその全てが解析不能な超科学ででき上がっているその兵器をどうにかして解明したいと思うのは日本だけではなく世界中の軍需関係者が持つ願望だ、だがそれゆえに人類側に属することを決めた霧の各艦隊は人と同じ母港を持つ事をよしとせず他の場所を租借して整備や補給を行っている。蒼き艦隊が本拠地としていた硫黄島基地はその先駆けのモデルケースだ。

 だが先の戦いで本拠地の半分以上を海に沈めてしまった蒼き艦隊はその後の整備に著しい支障をきたす事になる。

 通常弾頭や日常品の補給は統合軍との契約で横須賀鎮守府内で行えるのだが艦の内部の整備に関してはその義務を負わない、本拠地を失った今となっては横須賀の乾ドックで自分達が行うしかないのだが整備を始めたとたんにドック中の監視カメラや測定機器などが動き出すのはあまりいい気分がしない。クラインフィールドを張ることで作業内容が外部へと漏れる事はないのだが、それでもイオナからの報告によると非破壊検査装置の出力は回ごとに上がっているらしい。

 現状霧の秘密が外部へと流出する事は避けられてはいるがそれで屈する好奇心ではない事を群像はよく理解している、現に人類は非人道的な手段を用いて人工的に能力を強化したヒト種『刑部蒔絵』を造り出して霧への対抗策を編み出した。彼女が開発した兵器に対して霧はいまだに実効的な対策を見いだせないでいる ―― 『目的のためには手段を選ばない』のは人類が持つ大きな原罪なのだ。蒼き艦隊の運営を軍から切り離して民営にしたのもこの機密を絶対に一国家のものにしてはいけないという彼の決心によるものであり、以降この考えはイオナを通じて世界中の各艦へと伝えられて暗黙の条約として守られている。

 

            *            *            *

 

「うちにも『アカシ』みたいな工作艦があればねぇ」珍しくポツリと愚痴るヒュウガに書類整理を続ける浦上が顔を上げた。戦術技術庁長官としての顔を持つ彼の仕事はもっぱら下から上がってくる書類の山に目を通してその可否を決める、しかしあまりの量に辟易した彼がその処理の半分を最も有能で最も手の空いている彼女に手伝ってもらうのは自然な流れとも言えた。

「『アカシ』? …… 確か日本海軍が持ってた工作艦の事か? パラオで沈んだ」

「『ナガト』ンとこ ―― 現第一巡航艦隊なんだけど彼女のとこにいるのよ。ああいう便利なのがうちにもいればこんなに整備に苦労する事もないのにねぇ」

 手にした書類を興味なさげにポイッと投げ捨てて愚痴るヒュウガ、いつもはクール風情を気取る彼女がこんなにふてくされるのも珍しい。軍の立場にある浦上が横須賀での蒼き艦隊への扱いがどういう事になっているかは裏で動く海軍からの通達で知ってはいるが、片や霧の艦隊のオブザーバーとして席を置く彼にとっては憂慮すべき物でもある。

「んー、かといって霧の船は狙って召喚できるモンじゃないんだろう? いっそのことそのアカシを借りるってのはどうなんだ? 」

「どうだか。ムツはともかく彼女の頭ン中は読めないからねぇ、こっちの味方かどうかも怪しいし。せめて『アサヒ』のコアくらいどっかに沈んでないかってこっそりベトナムまで行ってみたんだけどねー」

 その事を誰も知らないという事は手掛かりすらなかったという事か、と浦上はしみじみと机に突っ伏すヒュウガを眺めた。彼女の悩みは確かに艦隊維持の観点では重大だ、401はともかくとしてタカオやハルナ等の艦船は補機類の損耗が著しい。今は霧との戦いが収束して出撃回数が激減したとはいえいつまたそんな事態が起こるかもしれない、そういう時のために常に備えておくのは兵器を扱う物の常識だ。

「重整備に使う機材は硫黄島のが残ってンのよ、だけどそれを動かす場所やら動力やらが見つからないンじゃどうしようもないじゃない? 島嶼関係で目ぼしい所は大体軍関係の警戒ラインに押さえられちゃってるし、このまんまじゃあたしたちいつまでたっても籠の鳥状態よ」

「なるほど、それで船を捜しに行ったって事か」

 四方を海に囲まれた日本が霧の脅威に対抗するためには外洋に無数に点在する島嶼を活用するのが最も手っ取り早い、沈められる心配がないからだ。もちろん警戒システムは感づかれた時点で破壊はされるがそれが断線警報と同じ効果で敵の接近を知らせる事ができる。

 唯一日本のEEZ(排他的経済水域)南方に位置してしかも開発可能な面積を持つ無人島であった硫黄島がその威容を失くしてからはそれに該当するものが小笠原に属する西之島しかない、だがその島もいまだに造山運動の最中であり地熱による発電には事欠かないが基地としての運用には適さないというのがヒュウガの見立てだ。

「それに整備ドックだけじゃないわ、船の整備中に私達や千早群像達人間がある程度の期間生活するための施設も必要だし簡易補給するための設備だって ―― とにかく前のように活動するにはいろんなものが足りなすぎるんだって」

「 …… つまりは」宙へと視線を遊ばせながらしきりに何かへと思いを巡らせる浦上。「そういう物が全部収められるだけの大っきな箱があればいい訳だ」

「そーよ、でもそんな物見つかりっこないじゃない。造るにしたって今から計画立てて出来上がるまでどれくらいかかるの? 考えるだけ時間の無駄だし無い物ねだりするより今あることで何か考えなきゃ ―― 」

「いや、その自立心は見上げたもんだがお前さんの悪い癖だと俺は思うぞ …… いっそのこと自分達で全部一から考える必要はないんじゃないか? 」

「 ? …… へ? 」妙に含みを持たせた言い回しをする浦上を顔を上げて見つめる彼女の目にいたずらっ子の笑顔が映る。

「こういうのは日本のお役所のお家芸だ、つまりは業者にブン投げちまえってことさ …… その代わり民間の発注だからそれなりにお金はかかるが ―― 大丈夫か? 」

 

 マラッカマックス型VLCC ―― 載貨重量約31万トン、長さ約339.5m・幅約60m・深さ約28.5m。戦艦大和を全ての面で大きく凌ぐ船体を持つ世界最大級の石油タンカー。

 かつては世界中の海原を縦横無尽に行き来していたこのクラスも霧の海上封鎖によって多くが海の藻屑と消え、その戦いが終わった今は大きく萎んだ世界経済の現実に伴い細々とした運行しかできなくなっている。その結果余剰となったタンカーは便宜上籍を置いていたリベリア・パナマなどの国家から船籍を外されて航行が許可されずに生産元の工場へと差し戻されて動態保存の状態で飼い殺しになることが常識となっていた。

 その中で浦上が思い出したのは磯子のドックに保管されたままの一隻のタンカーだった。

 ジャパンマリンユナイテッド社が保有する多くの事業所はドックも含めて霧の艦隊の攻撃に晒され壊滅の憂き目にあったがなぜかこの磯子の事業所だけは目立った攻撃を受けずに当時のままの施設が健在だった、一説によると横須賀鎮守府と距離があり、しかも磯子港という小さな港に面した新杉田町という埋め立て地があまりにも目立たなかった事がその要因とされている。

「タンカーの内部を改造して130メートル級の潜水艦ドックおよび各種工作設備を利用しての接舷整備機能及び弾薬補給、並びに船舶乗組員が十分に生活可能なエリアを設置せよ」という浦上からの、まるで帝国海軍を彷彿とさせる過剰要求を提示された横浜に居を置く彼の本社は開発部門を含めてその無理難題に愕然とした。確かに指定された磯子の乾ドックに安置されたままの彼女であればその要求を全部満たせそうな気はする、だがどこの国でも造られた事のない外洋工作船を ―― しかも要綱をよく見れば見るほどただの工作船の域を超えている、これではまるで移動する海上基地の様相だ ―― 手がける事に思案する本社役員の動向が末端の社員にまで噂の形で広まる。

 この大事業を手掛けるべきか、否か?

 

 海軍の軍備増強の方針に従い次々と護衛艦を造っては進水させるJMU(ジャパンマリンユナイテッド)は元々は様々な企業が合併して存続している会社だ、過去にはその強みを生かして色々な用途の船舶を開発建造した実績がある。戦闘艦から防衛装備品に始まり果てはフェリーから小型遊覧船に至るまで船と名のつくものならばありとあらゆる物に手を出した造船の雄にとってその提案は奥底に燻っていた熾に薪をくべるような物だった、物造りに勤しむ現場の作業員や中堅技術者・中間管理職の全員が浦上から出されたその提案に諸手を挙げて賛成した。それはユニット工法で工期を短縮された護衛艦の組み立てに自分達の存在意義を見失い、それでも生活のためにライン工同然の日々を強いられていた彼らが再び自分達の心の『火』を燃やす事の出来る未来を見つけたからである。そしてそれは本社の首脳陣も同じだった。

「だれもやったことがない船だったら俺達がやらなきゃ、なぁっ! 」

 重役会で上がった男前な声そのままに受注を決めたJMUは関係各所への了解をなんと浦上の手を借りずに着々と推し進め、全ての準備が整った時点での戦術技術庁への上申という形になった。恐ろしいほどの情熱と見積もりも取らずに引き受けたその度胸に当の浦上は呆れかえって声も出なかったが、彼の代わりに担当重役と面会したヒュウガは自分の身の上を隠しもせず堂々と彼らの前に立って交渉に当たる。いくつかの条件 ―― 硫黄島で使っていた整備機器の設置の際の守秘義務等 ―― を提示した後に示された金額はその役員が思わず2度3度と見返してしまうほどの桁が並んでいた。

 

「あら、ご不満? 」

 穏やかな声で告げるヒュウガを前にしてこのプロジェクトを担った副社長の戸崎は驚いたままラップトップの画面から顔を上げた。確かに見積もりも取らずに全てを推し進めたこちらに非はある、だがそれも恐らく蒼き艦隊を運営する会社の財務内容ならばこれだけの金は捻出できるだろうと見越しての決断だった。だがこの金額は ―― 。

「い、いやしかしヒュウガさん。この金額は当社が試算した金額とあまりにかけ離れています。ベースとなる躯体自体はもう何年も海に浮かんでいないし動態保存とはいえいつ何時解体されるかもわからなかった、それを使って頂けるだけでも弊社としてはありがたいことなのに ―― 」

「その金額の中には作業員の方々にお願いする守秘と短い工期に対する慰労金が上乗せされています、それに御社の置かれます立場や今回の件に関してずいぶんなご足労をお掛けした事を考慮いたしますと弊社としましてはこれくらいの金額が妥当かと」

 平然と言い放つヒュウガを前にして戸崎はその威光に圧倒された。予備知識として彼女がかつて霧の大戦艦の一である事は知っている、だが霧という者はメンタルモデルをしてこれほどまでに神々しい輝きを放つ者なのか。

「 …… わかりました」無言で画面を見つめていた戸崎が硬い表情で呟く、それは全てを自分の胎に収めて決断した瞬間だった。たとえどんな事があっても絶対にこのプロジェクトを目の前に座る彼女のために成し遂げて見せると心に誓った彼はその決意を、短い言葉に全てを込めて言い放った。「この金額を自分一人の判断で決済することはできませんが、少なくとも事が始まった暁には我が社の全力をかけて全ての要求を必ずご期待に添う以上に満たす事をお約束いたします」

「決まりですね」ヒュウガが差し出したしなやかなその手を恐る恐る握る戸崎の手は震えている、総合職から数々の現場を経てここまで駆けあがった彼の心の奥で何か途轍もない物が燃え上がる。それがメラメラと音を立て始めたのはヒュウガが手を離しざまに告げた一言だった。

「霧の大戦艦の一人として物造りの大家の力、しっかりとこの目で見定めさせていただきます」

「! お任せくださいっ ! 」

 

            *            *            *

 

「いかがですか千早社長、この船の出来栄えは? 」ブリッジの一番後ろに立って全員の動きを見守る中年の男は戸崎の命を受けこの船の公試航海を担当する島だった。今回第二公試と称して乗り込んだJMU所属の船員は約35名、それぞれが担当の持ち場についてこの巨大なタンカーの運用をサポートしている。

「見晴らしが凄いですね、演習海域はずいぶん向こうなのに肉眼で見えるなんて驚きです」すっかり感激する群像だが普段は海面下を活動する潜水艦の艦長にはその景色は感動以外の何物でもない。「海面から40メートルほど上にありますからね、見通し距離で大体20km半径が視認距離になります。加えて航法装置には恐らく今現在使われている装置の中でも最新のものにアップデートしてあります、これならば世界中どこの海に行ったとしても絶対に方向を見失う事はありません」

 自信満々に語る島の言葉に嘘はない。実際動かして見た感じでは航法ナビゲーション関係では不具合を感じるどころかイオナと同等の正確さを実感するが、彼の言葉に思わず頷く群像を見た島はあっと小さく声を上げて脱帽の後に深く頭を下げた。「す、すいません千早社長。受注の立場でありながらクライアント様になんと言うぶしつけな言葉づかいを。この通りっ、陳謝いたしますっ」

「いやそんな ―― お願いですから頭を上げてください島船長。それに社長というのもできればやめて頂きたいのですが。確かに形式上そういう事にはしてありますが自分自身そんな大それた立場にいる事などおこがましいと思ってますから」

「とは申されましても …… どのように? 」おずおずと頭を上げる彼の顔には戸惑いがある。「そうですね …… 自分は今でも401の艦長ですから千早艦長、とでも。タカオやキリシマには最近そう呼ばれてます」

「千早、艦長ですか。では自分の事も船長等堅苦しい語尾をつけずに『島さん』とか『次朗さん』とでも呼んで頂けるととても釣り合いが取れていい感じかと」

「しま …… じろう? 」箱に座ったイオナが思わず振り返ってまじまじと島の顔を見上げて尋ねる。「それが船長の名前? 」

「そうですイオナ ―― ちゃんでいいのですか? 自分は島次朗といいます。以前は撃沈されたこの船と同系艦の『丹沢』で船長をしておりました、今回乗り込んでいるクルーも実はその船にいた乗組員がほとんどでこの船の事なら何でも聞いて頂いて構いません」

「わかった、し()じろう」

「おっとイオナちゃん、変な所にアクセントをつけちゃいけません。必ずアクセントは頭につけるように、もしくは『島さん』とか次朗さんでも構いません。今のイオナちゃんの呼び方だとちょっとおもしろい感じになってしまいますので出来ればそのようにして頂けると助かります」

「うんわかった、し()じろうさん」にっこりと笑って頷きながらその呼び方を口にするイオナを見て島が笑いながら言った。

「メンタルモデルがいかなるものかと初めてお会いするまで緊張はしていたのですが …… アレですか千早艦長? イオナちゃんは結構面白そうなものに魅かれてしまうタイプなのですか? 」

「面目ない」

 おずおずと謝る群像の表情を見た島は実に海の男らしく豪快に笑い飛ばした。

「いやいや結構、まさかこの歳になってそんなキュートなニックネームを頂けるとは思ってもいませんでしたがこんなかわいい子に言われるのならまんざらでもない ―― それより今回は急な出港でいろいろと細かく説明する暇はありませんが、それはこの航海が終わって艤装が完了した後の引き渡しの際に担当者とご説明させていただきます。その時に弊社の人事担当者から御社へのクルー出向の話が出るとは思いますのでその際にはお引き立てのほどをよろしくお願いいたします」

 

 実は交渉の際に最も難航したのがこの船の運用に関する事だった。

 VLCCクラスの巨大タンカーを動かすためには少なくとも大型外航船の運転資格に加えて電子チャートや操船シュミレーターの修了証書などの様々な証明書が必要になる、群像達が卒業した ―― 途中で出奔したがために出席日数が足りず、帰国後は全員膨大な量のレポート提出が待ち構えていたが ―― 海技では一級海技士の資格が実技免除で授与されるがそれ以上は自力で現場に出て取得するしかない。当然霧との戦いに奔走した群像達がそれを手にする暇などなく、船の操船をどうするかでヒュウガとJMUの間で喧々諤々の議論が交わされた。

 蒼き艦隊の立場に立つヒュウガからすれば出来れば部外者を立ち入らせずに極力自分達の手でこの工作船を運用したいのが本音ではある、しかし民間船を改造して使用する以上国際法的に船籍は必要であり、そうなると船舶法やら海洋法など細かな条件が適用される。それを無視するという事はすなわち世界中の船舶運用関係者から『海賊』のレッテルを張られる事と同義でこの船が他の同盟国からの支援を受けられなくなる。

 今からその資格を全員が取得する事は …… 出来なくはないのだろうがそれなりの時間を要し、しかもあまり意味がない。理想と現実の狭間で苦慮するヒュウガは様々な抜け穴を探して見たが人類が何世紀もかけて作り上げた法の綻びを見つけるには至らなかった。甚だ遺憾ではあるが彼女はJMUが提案した『同系艦』の運用経験者を出向という形で群像の会社へと受け入れる事に渋々ながら承諾した。

 

 恐らく軍務の一環として運用されるはずの工作艦へと一般民間人を乗船させる事に一抹の不安を隠しきれないヒュウガだったが、浦上が取り寄せた予定クルーの経歴を見た彼女はそこに備考として添付された『丹沢』沈没までの経過記録を見て驚嘆した。

 かつての第一巡航艦隊 ―― すなわちコンゴウを旗艦とするあの高速駆逐艦隊を相手に彼らは15ノットしか出ない巨大タンカーを巧みに操り、マラッカ海峡出口から南シナ海の西沙諸島を抜けて台湾高雄沖の積み下ろしポイントまで浸食魚雷を何本も喰らいながら辿りついたというのだ。もちろん被弾の度に行われる油槽への注水のため下ろされた原油はほんのわずかではあったのだが、その後波間へと没した船と引き換えに届けたその燃料は台湾国民の生活をほんの少しの間だけ維持する事に成功した。

 あの第一艦隊がそこまで仕留め損ねるなんてと何度も文面を読み返すヒュウガだったが背後からその書類を覗き込んでいた浦上は事もなげに呟いた。「ああ、あの島が乗ってたのか」

「なに? 浦上この船長の事知ってンの? 」振り向くその勢いに思わずのけぞった浦上は真剣な目で見上げるヒュウガに向かって後頭部をかきながらその男の以前の所属を語った。「島 次朗。元舞鶴鎮守府所属DDG(イージス艦)こんごう艦長、階級は一等海佐。第一次侵攻の際に撃沈されて以来乗る船を失って下野した変わり者だ、多分他のクルーもその時こんごうに乗ってた連中だろう」

「なによ、元軍人じゃない。心配して損しちゃった …… でもすごい執念ね、鈍足タンカーであの艦隊の攻撃をきっちり凌ぎ切るなんて信じらンない」

「執念、というか奴らなりの意地だな、そりゃ」「 …… どういう事? 」尋ねる彼女に小気味のいい笑顔で応える浦上はどこか嬉しそうだ。

「なに、自分の乗艦と同じ名前の艦に二度も沈められるなんて奴にはどうしても我慢ならなかったんだろう。本当に島らしい仕返しだよ」

 

            *            *            *

 

「しかしいいのですか、千早艦長? 」帽子を被りなおした島が恐縮した体で群像に尋ねる。「艦名は以前のままで。自分としては新たな任務を与えられるのですから所属する艦隊の長がそれにふさわしい名前を命名するのがよろしいのではないかと思うのですが? 」

「いえ、このままで。俺だけじゃなく他のみんなもこの名前がものすごく気に入ってますし、それにあの霧の攻撃から生き延びた数少ない民間船です。ゲン担ぎは性には合わないのですが船乗りとしてそういうのはすごく大事なことなんじゃないかと思うんです」

 

 島はこの青年の事を霧の侵攻以前から知っていた。

 かつて横須賀鎮守府において唯一無二の潜水艦乗りとして数々の対外演習でその名を轟かせた千早翔像二等海佐、その息子。父親は自分の実力をちっとも鼻に掛けずに誰よりも明るく、優しく。

 そして何より強かった。

 自分を艦長としてではなく船乗りと称してしまう所など本当に父親そっくりだと感慨にふけりながら島はすぐそばでその心中を見透かすような目をしたイオナに言葉を砕いて話しかけた。「どうだいイオナちゃん、イオナちゃんもこの船の名前が気に入ったのかい? 」

「うん、しまじろうさん」すっかり彼女の中で定着したその呼び名に島は目を細めながら小さく頷く、イオナは微笑みながらその船の名を口にした。

『天翔』(てんしょう) …… すごくきれいな名前」

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