蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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Infocus

 こんな気持ちになったのはいつ以来だろう、とシグレは薄くなる青空を仰ぎながらふと思った。互いの不利にならないように南北に分かれての戦闘配置、その地点にたどり着くまでの間ずっと胸の動悸が止まらない。強敵と会い見える前に感じる恐怖と一敗地に塗れる事の屈辱はいつも自分の無力さを思い知らせて、ともすれば自分がここへ来た事の意味すら見失わせそうになる。

 でもそれでも。

 誰かの役に立ちたい。

 みんなを守る力が欲しい。

 その願いがやっと自分に大事な事を思い出させてくれた。

 

「予定地点に到達、教官殿との距離約十海里 ―― 取り舵一杯針路、290」静かな声とともにスリムなシラツユ型の船体が波を蹴立てて大きく曲がり舳先をぴったりと北に向ける、朝凪の終わりを告げる緩やかな潮風が彼女のスカートの裾をひらひらとなびかせて波間の上を遠ざかる。

 

 足りなかったものは技量や経験や ―― ましてや火力や船としての格でもない。

 勝ちに渇えたその思いが手足を強張らせて頭を鈍らせる、見限られるかもしれないという怯えが焦りを呼んでしくじりを生み出す。

 

 それを悔やむのではなく。

 認めなければならないのだと私はあの二つの隊から教わった。駆逐艦(私たち)とは何者なのか。

 

 二水戦にいると言う事はどういう事なのか。

 

 索敵範囲が狭すぎて自分の持つ水上レーダーからは教官殿の位置を知ることはできない、だが水平線の向こうからひしひしと伝わる殺気に思わず歪めた口元が大きく開いて声を上げた。

「方位000針路このままっ! 両舷前進強速、以降最大戦速へっ! 」

 ピーキーなチューンを施された重力子エンジンが甲高い音を上げて全ての力を後方へと吐き出すと滑らかなダブルカーブド・バウが海面を越えてむき出しになる、咆哮を上げる二基のスラスタはまるで放たれた一本の矢のように排水量1600トンの船体を弾き出した。

 

 私はシグレだ。

 ただ死に物狂いで炎渦巻く戦火を駆け抜け一人でも多くの敵を屠るために ―― それだけが私に与えられた役目。

 だから。

「 ―― 覚悟をしめせっ!! 」

 

           *            *            *

 

「 …… ほう」

 群像とイオナの後ろから戦況図とドローンからの映像を代わる代わる眺めていた島が感心したように呟いた。「私はシグレちゃんの戦い方を初めて見させていただくのですが …… なかなか面白い護衛艦ですな」

 確かに対峙する二艦の動きがいつもと違う事はわかるのだがそれがなにを意図しているかまではまだ読めない、全員の目が向けられた彼は思わずたじろいで言葉を切ったがすぐ膝元から追い打ちがかかる。「しまじろうさんわかるの? 」

 無邪気な目で見上げるイオナの視線に迂闊だったと ―― 自分が元戦闘艦の艦長だったとみんなには教えていない ―― 渋い表情を見せたのだが押しの強い目力に観念するしかなかった島は遠慮しながら言った。「艤装は見せてもらいましたがあの兵装でタカオさんを相手にするのは相当難易度が高い、ですが ―― 」

「シグレ最大戦速でなおも直進、タカオとの相対速度80まで上がります! 」「マジで? 魚雷より速度出てンだけど大丈夫かぁ? まさか当てる気じゃ」

「それでいいんです」静と杏平が心配そうに呟く中で島が小さく頷いた。「護衛艦の仕事とは本来防御ではなく敵に対する先鋒 ―― いわゆる邀撃が主です、決して傷や命を惜しんで果たせる事じゃない。たとえそれで手傷を負っても構えた槍の穂先は絶対に相手の喉元から外さない」

「島 …… 船長はまさか昔軍艦に? 」群像が尋ねると彼は表情を庇で隠すように帽子を目深に被った。「もうずいぶん昔の話になりますが ―― 話を戻しましょう。シグレちゃんが選んだ戦い方はまさにそういう事、彼女は今護衛艦のお手本のような戦法をやろうとしている」

 

 もしあの時舞鶴がそれを認めてくれていたなら。

 俺の仲間や部下があれほどみじめな負け方を強いられる事はなかっただろうに。

「敵に対して不退転であるという気概を見せる ―― それが日本(うち)の海軍に代々受け継がれてきた伝統です」

 

 水平線に浮かんだ小さな点が見る見るうちにその輪郭を鮮やかに浮かび上がらせる。すでに手元のレーダー諸元で相手の動きはわかっている、タカオも速度は違えどこちらに目がけて針路を変えないまま迫ってくる。

 こちらの意図を察した時点で打つ手はいくらでもあるだろう、即座に回り込んでこちらの側面から主砲の夾叉界に追い込むとか魚雷の扇状射出で逃げ場を奪うとか。それだけの事ができる実力を持ってる人だ ―― なのに。

「 ―― ありがとう、ございますっ! 」

 受けて立ってくれた事に精一杯の笑顔で叫ぶシグレは情報統合のための演算リングを自分の周囲へと展開した、全ての収集データがいくつも立ち上がるウインドウへと瞬く間に表示される。

 

「タカオシグレ両艦ともヘッドオン、コースコリジョンっ! 距離500メートルっ! 」「すげえ、タカオも避ける気ねえのかよ」「! タカオ増速っ! コンタクトまで20秒っ! 」モニタリングする三人が二人のぶつかり合いに固唾を呑んで見守る。

「これはすごい、どちらもいい船だ」

 背後から零れる強い声にイオナが振り向くと島がその目を爛々と輝かせてじっとモニターを睨んだまま不敵な笑みで呟いた。「そうだ護衛艦、相手より先に絶対道を譲るんじゃないっ。そのまま突っ込め」

「両艦エンゲージっ!! ダイレクトコンタクトっ!! 」

 

 わずか一ミルという針路の揺らぎは決して二人が意図したものではなく生き物のようにうねる足元の海原が引き起こしたほんの些細な悪戯によるものだった。最大戦速で擦れ合う互いの船体から弾ける火花が青空に舞い飛び、船格の差で弾かれたシグレが大きく傾く。必死の形相で平衡を求める彼女が顔を上げたその刹那に、自分と同じく副砲の後ろに立つタカオの姿がより一層の恐怖と闘志を煽りたてる。

 腕を組んだまま仁王立ちで見下ろす彼女の目は怜悧酷薄、感情が一切ないそれこそが戦闘艦の理想形だ。翅虫でも見るかのように蔑み、短い命を憐れむ強者の視線に心が根こそぎ刈り取られそうだ。

 だがそれでこそ ―― 望む所だ。「目標左舷っ! 各砲座全門、撃ち方始めぇっ!! 」

 

 その光景は誰もが知る艦隊戦とは程遠い。

 至近距離で向かい合う二人が互いの機動力の極限へと挑むように機関をブン回して急旋回を繰り返す、密漁船のような鋭い航跡を描く海面は泡立つ波が沸騰しているかと見紛う。イオナを通じて各部署へと送られるドローンの映像はタカオとシグレの死闘をリアルタイムで表示し、天翔で働く作業場へと届けられたその熱戦は全ての人の手を止めた。

 息を呑む展開、繰り出す戦術戦略。兵装が吐き出す大小様々な砲弾が大気の摩擦で火を吹いてそれが現実の光景である事を忘れさせる、だが今はもう活字でしか分からなくなったあの地獄のソロモンでその名を残した夕立や綾波が起こした奇跡はまさにそれではなかったのか?

 必死可殺。必生可虜。孫子の兵法に残されたその言葉を具現化するシグレの戦い方は正しく帝国海軍駆逐艦の系譜を彩り、何もかもかなぐり捨てて敵へと肉薄するその姿が全ての人々を魅了した。モニターを見つめる全員がいつしか声をあげ、二人が繰り広げる鍔迫り合いに歓声を上げる。

「タカオっ、スターボードっ! 回り込んで相手のケツにしがみつけっ! 」「シグレあぶねえっ! 25ミリでタカオの照準を狂わせろっ! こんな所でへこたれンな、まだいけンぞっ! 」

 半々の声援が飛び交う機関制御室でいおりも思わず操作の手を止めてモニターへと視線を向けるが、多くの不利な戦いを勝ち抜いてきた彼女にすらこの戦いの結末を予期することはできない。だが弾ける熱気とは裏腹に歴戦を重ねた冷静な目が少しづつ動き出す戦況を見つけ始めていた。

 

「煙幕展張っ! 」

 掛け声一閃シグレの二本の煙突から突然黒煙が噴き上がって青空を汚した。過去には重油の不完全燃焼で発生させる欺瞞手段も重力子エンジンを積む霧の船となってからは使う事ができなかった、だがヒュウガの考案でジェネレーター冷却から発生する蒸気にフェライトの一種であるキャリア粉を混入させる代替機能は同等以上の撹乱性能を発揮した。

 ただしその効果は粉が尽きるまでという極めて短時間で昔のように海域全てを覆い尽くす事は出来ない、しかしスキーのウェーデルンに似た細やかな蛇行を繰り返すことで船体より少し広い幅の分だけ覆い隠す事ができた。

 それで十分だった。

 艦首がつんのめるほど強烈な急制動で一瞬で煙幕の中へと隠れるシグレ、前進強速からの逆操作でエンジンが悲鳴を上げるが構っている暇はない。海面下に没した艦首をそのまま押し込んで再浮上するために無理を承知の出力全開、海面からノズルを覗かせた後部スラスタが青白い炎を上げて折角の煙幕を斬り払う。「面舵っ、一杯舵っ!! 右魚雷戦っ、一番二番用意っ! 」

 慣性で振られる左半分を沈めたまま天を向く魚雷発射管、そのタイミングを待っていたかのように煙幕を突き抜けた20センチがむき出しになった艦底のビルジキールを吹き飛ばす。彼女の支配下を離れて大気に溶けていく破片と木の粉に顔を顰めながらそれでもシグレは命令を下した。「一番二番()えっ! 」

 圧搾空気で押された全長9メートルの九三式が空中に放たれたかと思うと大きな水しぶきを上げて海中へと飛び込んで航走を始める、一発でも当たれば即大破認定確実の主兵装だがそれが今まで彼女に通用した事はない。だが煙幕に紛れて忍び寄る酸素魚雷の雷跡をこの短い距離で見つけられるか?

 

            *            *            *

 

 タカオの演算リングが唸りを上げて円を描く。

 そもそも彼女は霧の駆逐艦との戦いの経験がない、どちらかといえば完全に能力の劣る人類側の艦艇もしくは同格以上の艦船との戦いがほとんどだ。だから相模湾での演習ではヒュウガの指示通りに霧の船の特性や本質、機動能力や兵装使用のバリエーションなどを教える事を目的とした対応を行ってきた。

 自分よりも体格も火力も劣る艦種で唯一マシなのは速度と機動力、それでも日に日に重ねる努力はシグレ自身を裏切らずに凡そタカオが満足できるレベルにまで到達していた。仮にこのまま彼女が進化を続けるとして蒼き艦隊に今最も必要なユーティリティ・カードとして機能するのは間違いない、火力こそは如何ともし難いがその対潜・対空迎撃能力は秀でた素質がありその長所を伸ばす事が彼女を蒼き艦隊の一員として早く受け入れるための近道だと思っていた。

 だがそれは自分勝手な思い上がりだったのかもしれない。

 

 突然挑まれたチキンレースを前にいろいろな思いが交錯する、あまりに負け続けて遂に自棄になったのか、とか当たって砕けろとばかりにその一撃に全てを賭けているのか、とか。

 でもどう考えてもそんな風にささくれるような子ではない ―― ならどうして? 思い直したタカオがいろいろな観点からその行動の根拠を探り始めた時、昨日の晩にヒュウガが呟いたその一言が頭の芯に焼き付いた。

 

 “ そろそろシグレの中でとっちらかってたいろんな物がまとまってくンのかもね ”

 

 気を遣いすぎるあまりに自分を出せずにどこか他人行儀だった彼女が初めて見せた自己主張、いつまでもお客様扱いはやめろという心の叫びが。

 ある程度予期していた事とはいえシグレが見せつけてくる覚悟はタカオを十分に驚かせ。

 

 昂奮した。

 

 もしかしたらあたしは、本当は。

 シグレがこうなる事をずっと心のどこかで待っていたのかもしれない。

 自分のステージまで死に物狂いで這いあがってくる本当の彼女を。

 

 霧の艦隊を出奔して401とともに常に最前線で戦い続けた彼女の力はあの大戦艦ニュージャージーからをも金星をもぎ取る、それでも現在進行形で書き換えられ続けるその戦闘力がレブリミットを振りきった。昂る感情とは裏腹に現出する無表情はタカオが真に霧の重巡洋艦としての能力の全てを注力し始めた証だ。シグレの仕掛けた挑発から下りることなく船体をぶつけた彼女はよろける船の甲板に立ってこちらを睨みつける挑戦者をあざ笑った。

 

 勝てるものなら勝ってみろ、このガキんちょ。

 ―― かかってこいっ! 

 

            *            *            *

 

 二番砲塔から飛び出したたった二発の砲弾が海面下を航走する魚雷の信管を正確に捉えて撃破する ―― とんでもない集中力だ。「タカオ反撃、魚雷三本扇状2度偏差。目標シグレ針路方向約十秒後地点」

 仮の戦術データリンクとして機能するイオナの声はとても無機質でしかも透明だ、だがその一歩外側で状況を見守る戦況予測コンソールはとんでもない速さで演算を続けている。ありとあらゆる方向にリソースを割かれてすっかり余裕のない彼女だがそれでも二人が放つ覇気に心が当てられて熱くなる。先が見えない二人の戦いとその行方はもう力の優劣では決まらない領域にまで来ている、それでも。

 ―― どっちもがんばれ。

 

 イオナは知っている。

 もう互いの技量で勝敗は決まらない、もし運以外の要素でそれが決まるのだとしたら。

 どれだけ相手より強い思いを持っているか。

 群像の気持ちに絆されたあたしが二人の強大な存在と対峙した時と同じ、でもその時初めて分かった事があった。

 どんな窮地に立たされようとも。

 決して折れない心に希望の光は射す事を。 

 

            *            *            *

 

「右舷防御っ! 海面斉射始めっ! 」必死の形相で右側の25ミリが猛然と火を噴く、果たして貫通力の劣る対空機銃で海面下の魚雷を迎撃できるかどうかは彼女にとって一か八かの賭け。だがスコールのように海面で弾ける水しぶきの後に起こる小さな水柱は相手の魚雷の炸薬が破裂した証拠だった。ほっとしたのもつかの間追撃で放たれたタカオの副砲弾が至近に迫る、意識的に船体を右に傾けて何とか躱そうと試みたシグレの空中線が衝撃で断ち切られて千切れ飛んだ。

「このまま全速っ! 教官殿の艦尾を回り込んで反対側へっ! 」降り注ぐ海水に全身をずぶ濡れにしながら吠えるシグレの声に従うエンジン、タービンが吠えてスラスタが赤く燃える。蒸気を噴き出しながら最大戦速で回り込もうとする船体は意図的に倒した体勢のおかげでタカオも思いもよらなかった利得を得る。

 横Gがかかって本当ならば外側に倒れるはずの船体がまるでバイクのリーンウィズのような形で急速旋回する、いつもなら立て直しと攻撃準備で1分近くかかる所をその半分の時間で完了した彼女は偶然の恩恵に感謝しながら舳先に向かって顔を上げた。戦況予測では今自分の正面にタカオの左舷があってしかも主兵装は全部反対側を向いたままのはず、この位置取りならば目をつぶっていても ―― 。

 

 巨大な水柱と。

 自分より遥かに高出力のエンジンの雄叫び。

 目の前で起こる別次元の光景に思わず凍りつくシグレの目の前でそのに確かにいたはずの大きな壁が消え失せる、私ができる事は自分にもできるとばかりに艦体を大きく内側へと倒してのクイックスラローム、しかもそれを二度。

「 …… そんな」

 自分が考えつくだけの仕掛けを施して偶然掴んだ千載一遇、だがそれですらも彼女にとっては児戯にも等しいものなのか。手に入れ損ねた勝利と見えなくなった未来がシグレの心に罅を入れ、裂け目はもうすぐ足元にまで波及しそうだ。

 ―― まずい、このダメージは必ず後々まで響く類のものだ。なんとかしないと。

 必死で次善策を提示しようとシグレの演算リングがものすごい勢いで回りだし、しかしそんなわずかな猶予も与えまいとタカオの右舷が目の前に堂々とした姿を現す。絶体絶命の窮地に陥ったシグレの瞳が絶望に染まる。

 

「タカオ丁子砲火位置固定、シグレは第四戦速で射程内に侵入」

「 ―― ここまでか」イオナの声を受けた群像が心から残念そうに呟いてモニターへと目を向けた。何かが起こるのならシグレがその戦い方を変えた今日だった、だが全ての面に置いて彼女の上を行くタカオにはやはり敵わなかったのか。

 ある意味いつもと同じ結末を迎えようとするクルーの様子に変化はない、ただ全員が何気なく肩を落として画面を見上げる姿に彼らの無念さが伝わってくる。演習の終わりを告げるタカオの一斉射撃の光景を頭の中で思い浮かべながらその場にいない一人を除いた彼らは黙ってその瞬間を待った。

 

「まだだよシグレ、もういい加減さっさと気づきなよ」椅子の背もたれに肘をかけて画面を見つめていたいおりが言った。

「あんた持ってンじゃない、『船』沈める魚雷以外の立派な武器」

 

            *            *            *

 

 最初は時を刻む音だと思った。

 正面を向いた自分に対して教官殿は完全に右砲戦の構え、逃げ道を封じるために先んじて放たれる魚雷が海面へと落着した水しぶきまでよく見える。ここまでか、と覚悟を決めた瞬間に胸の奥で鳴り始めたそれは演習終了のカウントダウンを知らせる音だと ―― 思った。

 だが違った。

 様々な形で出来た欠片は自分の中に今まで蓄えられた膨大な記憶の全て。継ぎ手を組むようにカチカチと音を立て隙間なく合わさっていくそれらが彼女にたった一つしかない選択肢を指し示す。ほんの少し先の未来を変えるための手順手筈動作行動の全てを瞬く間に構築して準備が始まる。

 

 まだ負けてないよ、と。

 もう一人の時雨が言った。

 

 三本の魚雷の航跡に真っ正面から向き合ったシグレが不意に速度を落した。ドローンで戦況を固唾を呑んで見守っていた誰もが演習の終了を予感し、魚雷を放ったタカオですらも今回の結末を確信した ―― その時だった。

 シグレを真正面から捉えたはずの魚雷が船体のブレとともにあっという間にコースを変えて遠ざかる。まるで何事もなかったのように真正面からタカオに向き合うシグレの重力子エンジンが猛然と咆哮を上げた。

 

「! あれはっ!? 」

「やっべ、リムパックでアリゾナがやったやつかっ!? 」

 それを最もよく覚えていて今でも心のどこかで引っかかっていたのは魚雷を放った杏平本人だった。理屈も仕組みも定かではないが全速を掛けるシグレの航跡から緩やかな角度で遠ざかっていく所まで同じ、思わず席から立ち上がったイオナ以外の全員がこの戦いの終わりを見誤った事 ―― そして彼女がまだ諦めていない事をイオナの声で知る。

「シグレ艦尾爆雷投射機作動」

 

 背もたれにもたれかかってモニターを見上げるいおりがやったね、と言いたげにニヤリと笑う。

 

 

「速度そのまま面舵っ、曲がれええっ! 」シグレの叫びが波頭に紛れて船体が大きく左へと傾いた。上面構造全てをタカオの火砲の前へとさらけ出しながら、それでも絶望に染まっていたその瞳は確かに何かを探している。縦横無尽に駆け巡る角膜と目まぐるしく動く虹彩、空間に描かれたグリッドと交差する実線が二次関数を元に定義された放物線を形成。マイナス係数曲線の頂点は爆雷の最大到達点、ではY軸を中心として置かれた自分と等距離に目標が到達する時間は?

 爆雷重量・慣性モーメント・炸薬量等の策定数値が次々に投射機へと送られて諸元数値の入力をFCSから求められるのとほぼ同時にシグレが、大写しになったタカオの主砲塔を睨みつけたまま叫んだ。

「信管注水、調定海坂(0メートル)! 右舷爆雷全力斉射っ!! 」

 

 九五式爆雷の信管は外部と繋がって水圧がかかる事によって起爆薬と繋がり、そこを撃芯が叩く事によって本体の炸薬に点火する。すなわち信管に注水するという事はすでに爆雷は起爆状態にあり、いつ破裂してもおかしくないという事だ。Y砲と呼ばれる九四式爆雷投射機に矢継ぎ早にセットされた爆雷が発射火薬代りの圧搾空気で次々に空中へと撃ち出される、横方向からの衝撃に辛うじて耐えきった撃発装置を抱えたままの最後の切り札はシグレの視界の淵を掠めて目指す目標へと殺到した。

 

 完全に意表を突かれたタカオの火器管制が一斉にコーションウィンドウを立ち上げて艦の主に対応を促す、だが彼女は数々ある中のたった一枚のレポートへと視線を向けてニヤリと笑った。宙を舞う雷缶から視線を切った彼女は会心の笑みを浮かべたまま、砲口に向かって暴露された上甲板で凄絶な笑みを浮かべたシグレに向かって指差した。

「 ―― 撃て」

 

 至近距離での全門斉射。

 巻き上がる炎と煙の向こうで勝ち誇った笑いを浮かべてそれを命じるタカオの姿を。

 シグレは格好いいと、思った。

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