蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
夜間照明に照らされた真っ赤な廊下を彷徨うように歩く人影、何かを探し求めるように足音を忍ばせて歩くそれはやがて小さなドアへと辿り着いた。緊急時の水密を確保するためにしっかりとした造りで取り付けられたドアの取っ手を握るその小さな手に似合わぬ大きな力は、不用心にも鍵のかかってないドアを静かに開いて真っ暗な室内を影に提供する。一瞬の躊躇を見せた後室内へと忍び込んだそれは音を立てないように重いドアをゆっくりと閉じた。
ベットの横に立つ人の気配に群像は眠りから覚めてゆっくりと瞼を開くと仄かに壁を照らす間接照明の明かりの中に辛そうな顔をしたイオナが立っていた。「 …… イオナ? 」
昨日の夜に開かれた慰労パーティーの時に見せた楽しげな表情とはうって変わって苦悩に染まるその表情に驚いた群像が尋ねると彼女は少しためらいながら尋ねてきた。「 …… 座って、いい? 」
「あ、ああ。そこに椅子が ―― 」言うより先にイオナはベッドの上へとよじ登って群像の太腿の上ににペタンと座り込んだ ―― いや、そこかよと突っ込む間もなく彼女はじっと彼の顔へと視線を向けた。「や、き急にどうしたんだ? まだ夜中だぞ? 」
「あたし群像に謝らなくちゃいけない事がある」「あやまる? 」
問いかけに目を伏せて小さく頷くイオナを見て群像はこの何カ月かのイオナとの記憶を振り返る。彼女は一体何の事について謝りたいのだろうか? 横須賀で自分を張り飛ばした事か、それともレイサン島での我がままか? もしかしてハワイで女子高生に見とれてしまった自分の足を思わず踏んづけた事か? それとも ―― 。
「群像 …… あたしがなぜ」
イオナの独白を遮るように群像の携帯の着信音が鳴り響く、彼が反射的にイオナを制してそれを取り上げる事を優先したのはコールシグナルが緊急時を示す赤色発光だったからだ。発信元を確認してから流れるように通話ボタンを押してからすぐにスピーカーへと繋ぐ、会話の内容がイオナにも伝わるようにしてから彼は言った。「何がありました? 」
「 ” こんな夜中にすまないな群像、起こしてしまったか? ” 」いつもの彼とは違う声音が電話の内容の闇を想像させる、彼の背後でかすかに聞こえる喧騒へと耳を済ませるとその深刻さははっきりと分かる。「浦上さん、まさか」
「 “ 察しの通り白鯨Ⅲは横須賀を出港して伊豆大島の東海上を南下中だ、明朝0600には青ヶ島に到着予定 …… 悪い知らせだ ” 」
「やはり動いてしまいましたか、楊中将 …… 黄海艦隊は今どの辺ですか? 」リムパックから四カ月以上が経過して季節は残暑を迎え、気候変動の影響で以前よりは頻繁でなくなったとはいえ対象となる海域は丁度台風が発生する海域だ、よほど土地勘のある者でなければ近寄る事もはばかられる場所なのだが。
だが群像が考えを巡らしている間にも浦上からの答えはない、訝しさを伴う不安 ―― 自分の予想が見当違いだったのかと疑う彼の心境を裏付けるように浦上が言った。
「 “ 中国統制海軍北部戦区艦隊 ―― 通称黄海艦隊とインドネシア国海軍先遣艦隊が件の海域で忽然と姿を消した ” 」
* * *
簡単な朝食を済ませて天翔の会議室に集まった全乗組員の顔に緊張が走る、壁面に投影される米軍からの資料を次々に表示しながら浦上は説明を続けた。「この衛星からの連続写真からも分かる通りニュージョージア海峡の付近までは黄海艦隊並びにインドネシア先遣艦隊の無事は確認されていた、だがこの直後に発生した黒い靄が晴れた時には全ての艦隊が文字通り『消失』している」
「 …… 船が沈没する時には必ず何らかの浮遊物が確認されるはずなんですが、何も? 」僧が挙手をして発言を求める。群像とイオナや島は配下の自由闊達な意見を遮らないようにじっと沈黙したままその光景を見守っている。「そうですね、たとえ遺体や救命具の類が見つからなくても彼らの船は通常動力だ、燃料の重油すら浮かんでいないなんて事があるんでしょうか? 」
ドック長の熊倉の質問に浦上が小さく頷いて、思わずざわついた会議室の動揺を抑えたのは島の一瞥だった。「皆の動揺はよく分かる、と言うのもこれを見た米軍や当事者である中国やインドシナ政府ですら今後の展開や方針を決めかねている状態だ。霧との戦いで鉄壁の守りを誇った黄海艦隊やインドネシアの精鋭を消し去る力を持つ敵に対してどう対処するのか ―― そこで」
浦上の視線が群像へと向けられると彼はすっくと立ち上がって前へと進み出た。「我々蒼き艦隊は日米両政府からの要請、つまり当該海域への調査要請を受諾した」
言葉を境に天翔の乗組員が緊張して背筋を正し、イオナやヒュウガやクルーなどの旧知の人物たちは対照的に腕組みしながら頷いた。すでにレイサン島で敵の実力の一端に触れた彼らにとってそれはいずれは起こり得る避けては通れない道だと分かっているのだ。「調査に向かうのは統制海軍からは白鯨Ⅲ、うちからは401とヒュウガで行こうと思う」
「ちょ、ちょっと千早艦長っ。あたしはどうするの? 」てっきり同行する腹積もりだったタカオが思わず立ち上がって抗議する、常に最前線で401とともに戦い続けた彼女にとってそれは予想外の展開だった。「タカオはシグレと一緒に天翔を護衛して横須賀に帰投してくれ、天翔は上甲板等の艤装が完全に終了した時点ですぐに元硫黄島の海域まで進出。修理資材と弾薬は相当数準備しておいてくれ」
「天翔の事はほっといていいから横須賀で補給を済ませたらすぐにグアムの米軍潜水艦基地ポラリス・ポイントに来て頂戴。あんた達が到着する頃には多分調査は終わってるとは思うんだけど相手が相手だけに一応はね」
「随分しっかりマウント取ってくれンじゃないの、そういうあんたはどうなのよ? 」肩を並べたヒュウガに思わず言い返すタカオだが彼女はいかにもご愁傷さまと言った風情で苦笑しながら事実を告げた。「あたしは今回白鯨Ⅲに同乗して敵からの攻撃に対する物理的保護を任されてンの、それに現地でやる事もあるしね」
「なによそんなのずるいっ!! 」いつの間にかついてしまった扱いの違いに思わず目をウルウルさせるタカオだったがそれが駄々をこねる時の彼女なりの戦術である事は旧知のメンバーなら周知の事実、それでも何も知らない天翔の乗組員の同情的で懇願する視線を受けた群像は苦笑しながらタカオに言った。「君がいなけりゃ誰がシグレをグアムまで連れて来てくれるんだ? 」
なおもブツブツと不満を零しながら仏頂面で椅子へと腰掛けるタカオ ―― 思えばこの所彼女にはこんな表情ばかりさせているような気がする ―― に心の内で謝罪しながら群像は作戦の概要を説明した。「今回タカオだけじゃなくキリシマの同行も見合わせたのは少し違う事情もあるが調査範囲が水面下に限定された事にある」
「水面下 …… って事は海底って事? 」
「あのあたりの海域の水深は約1000メートル …… 海底で調査をするとなると」いおりと僧が頭の中で海底地形図を思い浮かべながら呟くと群像の代わりに浦上がその質問に答えた。「そう、その深度まで潜れる船はいくつかあるが万が一戦闘と言う事になると米露の潜水艦では難しい。今のところそれが可能なのは401と白鯨Ⅲだけって事だ」
「 …… あたしだってそンくらいのことできるっての」ボソッと吐き捨ててブンむくれるタカオの頭をヨシヨシと撫でてヒュウガが宥める。「でも中将、喫緊の案件だと言う事は理解できますが事が少し性急すぎませんか? 海底の調査だけなら海域の気候が安定した時点で偵察衛星からでも観測できると思うのですが」
「八月一日君の言う事ももっともだ、私自身もこの話を持ちかけられた時に上層部へはそう進言したのだがどうも事態は一刻を争う展開へと移りつつある」その言葉は初耳だと群像は浦上を見た。「どういう事でしょうか? 」
「群像、多分それは中国の事情だと思う」群像の隣でおとなしくしていたイオナが思いついたように呟いた。「今現状から発生する様々な状況を戦況予測シミュレーションにかけてみた …… 黄海の艦隊を失った中国は今寧波と湛江の海軍基地からかなりの数の船を動かしている、でも」
「中国海軍にしては大盤振る舞いな措置だがいかんせん歴戦の黄海艦隊とは数と質がダンチだ、沿岸部を全部カバーするには限界がある …… と言う事はまさか」
「そのまさかだ、移動式弾頭ミサイルを核装備で沿岸部に並べて外からの脅威に対抗するしかない」
「時代錯誤ですな、人が溢れて資源や土地が少なくなってきているのならいざ知らず二割しか生き残れなかった人類がどうして他国に攻め入る必要があると言うのか? まあいろいろ恨みを全方向から買いに買いまくっているあの国の事ですからそうでもしなければ枕を高くして眠れないという事なのでしょう」
皮肉たっぷりで言い放つ島の表情は決して愉快がっている訳ではない、むしろそうなってしまった場合のヒューマンエラーによる災害の規模を慮っているのだ。「それに核が霧には通用しない事は周知の事実だ、今まで中国がその厄災から逃れてこれたのはそれを彼女たちに対して向けて来なかったからだ …… 今更それを持ち出すという事は少なくとも霧の侵攻に対する対抗手段ではない」
「つまり、どこかの国が中国へと進攻を開始すれば」
「 ―― ドッカン、てことかよ …… コワ」杏平が思わず首をすくめながらストローへと口を伸ばして中身のコーラを一気に飲み干す。「今インドのヴァルマ少将とインド政府、それと四天首長が中国政府と交渉中だ。うまくすれば彼らの気が変わる事もあるのだろうがどちらにしても当てにはならん、疑心暗鬼状態の彼らがいつそのボタンに手をかけるか。そうなる前にある一定の成果を示して彼の国を安心させなければならないというのが今回の作戦の趣旨になる」
「しかし海底を調査するのはいいとして、何をどう調べればいいのですか? 」調査することに同意はしてもそれは群像自身の素朴な疑問だ、口にする彼に浦上は複雑な表情を見せた。「む、その事なんだが ―― 実は刑部博士から提案がなされてそれを実行する事に両政府とも同意した」
「? 蒔絵から? 」
「今や人類最高の頭脳と謳われる彼女からの提案だ、俺達凡人には計り知れぬ見つけ方があるんだろう …… もしその海域に草木一本も手掛かりが見つからなかったら海底にある石を何個か採取して横須賀まで持ち帰ってきてほしいそうだ」
「海底の石、ですか? それもカリフォルニアのラボじゃなく、横須賀? 」
分析をするなら今や米軍の資本で最新鋭の機器が設置された自宅の方が確実なはずだ、それを敢えて蒼き艦隊の母港である横須賀へと持ち込むのだろうか?「今彼女は二人の護衛とともに一路横須賀を目指している、今回帯同できなかったのもそれが理由でな …… みんなの帰りを横須賀で待っている、その時にこの分析の意図をみんなに教えると言ったまま通信が切れた。キリシマ・ハルナの大戦艦級二隻の護衛だ、何事もなく横須賀には辿りつけるとは思うが」
「蒔絵の要望でしょ? 彼女がそれで分かるっていうんならそうなのよきっと。一応採取用に深海作業用のドローンを401と白鯨Ⅲに二基づつ積んでいく予定だけど後他に何かいる物ある? 」現地でドローンの操作を担当するであろうヒュウガが周囲を振り向いて意見を求めると全員が小さく首を振る。これで全ての準備が整ったと彼女は浦上へと視線を送った。
「よし、じゃあ全ての準備が整い次第作戦を開始する。天翔全乗組員はただちに401の出港準備に入ってくれ、以上だ」
* * *
「と言う情報を入手したのだが」
浅黒い肌に黒髪を肩のあたりまで伸ばしたその男は前髪の隙間から予想以上に鋭い視線をテーブルを隔てて座りながらコーヒーカップへと唇をつける女性へと向けた。恐らく彼の素状と経歴を知る人間ならばそれだけで命の危険を察知する事ができるのだろうが、生憎その女性は人間ではなかった。
「どうなのだ? 黙っていては何も分からん」
「もしそれが事実だとしたら閣下は私をどうなさいます? 」「そうだな」
ブエノスアイレスはまだ九月だと言うのに初夏の雰囲気だ、バルコニー越しに眼下に広がる町の様子へと視線を向けながら男はテーブルに置いた古びたベレー帽を取って顔を煽ぎながら言った。「まずお前の身柄を拘束して我が国ご自慢のSSLVに括りつけて宇宙空間へと放り出してやる、いかに霧のメンタルモデルと言えども宇宙に出てしまえば何もできまい? 」
「なるほど、私の船はその後どうなります? 」
「安心しろ、そっくりそのまま中身だけを取り替えて海軍に編入してやる。そういう運用がされている船が日本にあると聞いているしな」霧と指呼の距離に身を置きながら全く動じないその男はニヤリと笑って指を鳴らすと途端に床の上一面に複雑な幾何学模様が浮かび上がった。
「高電圧を使った疑似的マクロフレームですか …… 確かにこれが作動すれば私のコアを一時的に麻痺させる事が可能でしょうね。でもそうなれば閣下のお命も」
「心配してくれるのはありがたいが私の命にそれほど価値などないのだよ。価値があるのは私の信念と掲げる未来、それが分かっているから私と盟約を結んだのではないのか? 」
「わかりました」死を小指の先ほども恐れぬ男の覚悟が本物だと分かっている彼女は観念したかのようにコーヒーカップをゆっくりと置いて真っすぐに男を見つめた。「閣下に死なれては私が我が主から相応の罰を受ける事になるでしょう、ゆえに正直にお話しいたします …… 閣下がどこからか得たその情報、事実に相違ございません」
「決まりだな」「お待ちください」彼女を拉致するためにドアを開けて入室した二人の兵士に向かって目くばせをした彼は両手を胸の前でゆっくりと組んで凄惨な笑みを浮かべた。「中国の艦隊だけならば俺も黙認するつもりだったが我が国と極秘裏に盟を結んだインドネシアまで巻き添えにしたというのなら話は別だ、私の描く未来を邪魔する者がどういう末路を辿るのかを仲間の胸に刻み込んでおいてもらうためにもお前の命はここで見せしめにしてやる、喜べ」
「 …… 元々予期せず受けた二度目の生、それを惜しむつもりはいささかもございませんが今回の事はいかなる犠牲を持ちましてもやり遂げなければならない事でございました。我が主の再構成並びに敵の切り札を封じるための情報収集のために」
「 ―― 続けろ」
「インドネシア先遣艦隊の総指令モハンマド・レイエス中将、彼が中国海軍とともに行動しているという事実がこの作戦の鍵でした。極限下における中途半端な戦術判断に長けたあの人物ならば必ずこちらに向けて切り札を選択する、インドネシア精鋭と彼の人物を失った事は大きな損失であるとは知りつつも喫緊に迫りつつある戦略上の危機に対応するためにどうしてもそうせざるをえませんでした」
「戦略上の危機と言うのはお前が戦ったあの日本の艦隊の事か? 彼らが攻めてきたところで我らの計らいで力を蓄えた貴様たちにはいかほどの事もあるまい? 」
「敵を侮るとは閣下らしくもない」
男の煽りを咎めた女性は膝元にあるコーヒーの黒い水面をじっと眺めた。「霧の総旗艦でありアドミラルコードの代弁者であった超戦艦ムサシ、彼女を沈めたという事はその小さな潜水艦こそが全ての霧を束ねる頂点に立ったという事。すなわち彼女がもし自らの持つアドミラリティコードの拘束力を行使すれば人に与する全ての戦力がこちらへと向けられる事になります、そうなる前に」
「奴らの心の
男の顔から笑顔が消えて右手を二度振ると床の上の幾何学模様が消滅して備えについた二人の兵士が大きな執務室のドアの傍へと身を寄せると、続けて鳴り響くノックの音とともに一人の士官が入室した。屈強な肉体をアルゼンチン国軍のBDUで身を包んだその男は不敵な笑みを張り付けてさも愉快そうに言った。「いよいよですかな司令? すっかり待ちくたびれましたぞ」
「
その名を告げた事が彼の命を受けた士官の兵士を身震いさせた。アルフレッド・デ・ラ・ゲバラ ―― かつてキューバ革命を指揮しフルヘンシオ・バティスタ独裁政権を打倒した天才的革命家を祖に持つ末裔、生き残った大国主導で閉塞していく世界に対して再び反逆の狼煙を上げる草の英雄。「始めるぞイグナシオ。私は ―― 私たちは大国だけが我が物顔でのさばるこの世界を決して認めない。そのためにはたとえこの命を悪魔に売り渡そうとも必ずこの戦いに勝利するのだ」
「はっ!! 」武者ぶるいのまま全力で敬礼するイグナシオを振り返りながら頬笑みを浮かべる女性「 …… 私たちは、悪魔なのですね」
「お前も私も今の世界から見れば悪魔だろう、だが世界に反逆する者が悪魔でなくてどうする? 見かたが変われば呼び名も変わる、それが人の世と言うものだ」
「その事は過去の経験からよく理解しております …… では私もこの事を我が主に報告してすぐに体勢を整える事にいたしましょう」ソファーから立ちあがった女性がゲバラとイグナシオに向かって一礼すると鮮やかに踵を返して兵士が開くドアへと向かう、凛として遠ざかるその背中にゲバラが笑った。
「そう言えばこの世界を認めないと声を上げたのはお前達の方が先だったな …… その霧の力、大いに期待しているぞ。重巡洋艦モガミ」
* * *
「初めて乗るけどいい船ね」401と比較すればとても手狭な艦橋の壁際にたったヒュウガが辺りをきょろきょろと見回しながら呟くと、これも潜航を始めて居場所を失くした浦上が彼女の隣に肩を並べて尋ねた。「霧の大戦艦級のお褒めに預かって光栄だが ―― どういうところがだ? 」
「401に少し似てるところかしら」
「そりゃあの船の操作機器や配置も俺が考えた物だから似てて当然なんだが」
「ねえ、前から聞きたかったんだけどどうしてあんな改造したの? 潜水艦としての要件を満たすだけならイオナ姉さまと千早群像だけで十分成り立つと思うんだけど」好奇心に目をキラキラと輝かせながら浦上を見上げるヒュウガの圧に思わずたじろぐ。これじゃただの子供じゃねえかと思いながら浦上は言った。
「あの二人が横須賀を出奔した一ヶ月後に連絡があって松輪の漁港跡に呼び出されて、そこでイオナちゃんの役割を航法メインにできるよう改造できないかと相談を受けたんだ。なんで霧の潜水艦にそんな事をするのかと尋ねたら今後の自分達の目標を考えた時に今の能力では十分に目的を果たせない、だから火器管制と索敵だけでも独立運用できるようにしたいとね」
「確かに401の攻撃能力はスペックだけならかなりの火力を持ってるけど情報処理能力は本来駆逐艦の下だからねぇ …… で? 」
「軍の施設から脱走した人間がよりにもよって軍の人間に無茶を持ちかける ―― それも俺かよって思いながら。イオナちゃんにはかなり失礼な質問攻めにしたなぁ、本当に今までの味方を裏切ってこっちにつくつもりかって。でも彼女の口から翔像の名前を聞いた時に俺の腹は決まった、乗組員のあてはあるのかって群像に聞いたらそれは大丈夫だって言うしな。それで俺は昔のつてで四国の新来島ドックに話をつけてそこで改造を始めたってわけだ」
ヒュウガの記憶にもないように愛媛県今治を拠点とする新来島ドックはそれほど大きなドックを所持している訳ではない、しかしその創業は1902年という造船業界では古参の一を誇り戦時中には呉海軍工廠の下請けとして活躍していたという実績がある。「あの時ゃ本当に大変だった、たまたま白鯨Ⅲの建造中だったからパーツを作ってる事はごまかせても現地へ運ぶのになかなか骨が折れてな。新来島の事業所が愛知にあったからそこまで部品を分解して運んで連中の油槽船に隠して今治にまで持ってくのなんかドキドキしたぜ、どうか霧の臨検なんか受けませんようにって」
「あたしに言ってくれればそんなのいっぺんに持ってってあげたのに」
「お前さんはその時まだ敵だったろうが …… そういや真瑠璃、お前たちはどうやって群像から連絡受けたんだ? 」艦橋の脇にあるソナー室で機器の調整をしている真瑠璃は静の前任ソナー手 ―― つまり401の初期メンバーでありヒュウガを沈めた張本人だ、なんとも顔を合わせるのがバツが悪いと一生懸命機器を睨んでいたのだが浦上の問いかけに素直に反応してしまったことでそれが見せかけだとばれてしまった。
「あー …… はい、なんでしょう中将? 」大きくため息をついて席を立ち、二人の下へと歩み寄った彼女が言った。「連絡ですか? イオナが直接海技に来たんですよ」
* * *
「うそ、でしょ? あなた霧の船 ―― それもこの前千早さんと一緒に横須賀を脱走した401の」「そう、私は401。名前はイオナ」
食堂の隅のテーブルを占拠して顔を突きあわせた四人は再び現れた銀髪の少女の正体に声を失って目を見開いた。「いお、ナって …… かっわいいな、まえじゃん? 」
「どこひっかかってんのよいおり、今はそこじゃないでしょ? …… それで? わざわざとっ捕まる危険まで冒してあたしたちに会いに来た訳は? まさか織部さんの素顔がどうしても拝みたくてなんておっもしろい事言う気じゃないんでしょうね? 」ずい、と体を寄せて険しい表情を向ける真瑠璃だがイオナは平然と受け止めてさらりと言った。
「群像とあたしがみんなの力を必要としている、群像は『面』? が割れててここに来れないから代わりにあたしが来た」
「 …… えっとごめん、しれっと言われてよくわからなかったんだけど ―― 要するにあたしたちもあなたに乗れって。そう言ってる? 」しかめっ面でイオナへと顔を近づける真瑠璃に彼女はコクンと頷く、思わず声をあげそうになった杏平の口をビンタまがいの勢いでいおりの手が塞いだ。
「あの群像があたしたちに頼みごとするなんて相当切羽詰まってンのかなぁ? あんまり人に物頼むとか弱音吐くとかした事ないじゃん? 」
「 …… そうですね、私も彼とは長い付き合いですがそういう煩悶はとっくの昔に乗り越えた化物だと思ってました。意外と言えば意外です」
「今あたしの中身をいろいろ改造してみんなが働きやすいようにしてる最中、だから来てくれないとあたしも群像もとても困る」
「いや困るって言われてもよぉ、俺たちみたいな学生が霧の船ン乗ってどうすンの。どうせだったら現役の海兵に乗って動かしてもらった方がよっぽど霧と戦いやすいンじゃね? 」
顔を寄せ合ったそれぞれが口々に自分の考えを吐露し合う中で真瑠璃だけがじっとテーブルを見つめたまま動かない。「 ―― どした真瑠璃、おっかない顔して? 」
いおりが尋ねると彼女はイオナを凝視した。「もう一度聞くわ、霧のメンタルモデル ――
「群像はみんなの力をよく知っている、たとえ海に出るのが今じゃなかったとしても自分の最初の
「自分と同じお尋ね者に ―― あたしたちもなれと? 」
真瑠璃の責めるような口調にもイオナはびくともしない、小さく頷いて吸い込まれるような蒼い瞳でじっと真瑠璃を見つめた。
* * *
「そっからがもうホント大変でしたよ。大体からして目的地の地名すら読めないし場所も知らない、分かったところで海技の生徒は準軍属の扱いですから脱走がばれれば速攻で軍が動くこと間違いなし。外出届けが受理された瞬間に全員でバラバラに別れてそこに行くのはものすごく苦労しました」
「まあそりゃそうだろうな ―― ちなみにどうやって全員今治まで来たんだ? 」当時の慌ただしさに思いを馳せながら複雑に笑う浦上を心外だとばかりに上目遣いに睨みつけた真瑠璃はため息まじりに言った。「あたしといおりは別々にヒッチハイクで愛知の新来島の営業所に辿りついてそこから内航船で。杏平は確か日本海廻りの長距離トラックを乗り継いで来たって言ってました」
「僧は? 」
「レンタカー。なんと地顔で車借りて岡山で乗り捨てたって。マスク被ってるとそういう時に楽ですよね ―― 腹立つくらい要領いいんだから全く」
逃避行の苦労に表情を曇らせながらもどこかしら懐かしい笑みを覗かせる彼女の姿に思わずつられるヒュウガ、まさかそんな六人が自分を沈めると言う人類最初の大金星を挙げるなどとは誰も想像がつかなかっただろう。だがそれを繋ぎ合わせたのは千早群像という少年が持つ卓越した先見の明と豪運によるものだと彼女は思う。
「禍福は糾える縄のごとしとは昔の人はよく言ったモンだ、あいつも本当に辛い事ばかりで止むに止まれぬ時もあっただろうに。こんなにいい仲間に巡り合えるなんて一生のうちにあるかどうか」
「 …… ちょっとぉ浦上、もうあたしの隣で泣かないでよ? 今日はハンカチ一枚しか持ってきてないんだからね? 」
声音の変化で微妙な何かを感じ取ったヒュウガが浦上の感情の高ぶりを諌めるように言い含めた。
タカオとシグレを乗せた天翔は401と別れた後一路磯子の乾ドックを目指す、万が一のためにヒュウガと同じ役割を担った彼女は船体防御のために天翔のブリッジで腕組みしたまままんじりともせずに水平線を眺めていた。先導を務めるシグレはその対潜能力の高さを生かして艦前方の水面下、そしてタカオは他の艦より範囲の広い水上レーダーを用いて殿を務めている。遠隔操作での航行ではあるがそれでも足の遅いタンカーを警護するには十分な布陣だ。
「前方に八丈島影確認、もうすぐ海軍第一次防衛ラインを通過します。水面下に友軍施設以外の反応なし、針路クリア」
シグレの報告を聞いたタカオがハアッと大きくため息をついて腕組みを解いたかと思うと穏やかに笑って彼女へと振り向いた。「ここまでくればもう大丈夫ね、ご苦労さまシグレ ―― しまじろうさん」
「達する。全艦第一種警戒配備解除、第二種へと移行。通信員は横鎮並びに第一管区司令部に連絡、こちらの船籍と磯子までの航行ルートを報告」
沈黙を保ったまま航行に集中していたブリッジがその一言で活気を取り戻し、安堵の雰囲気とともに少しづつ会話が始まる中で島がタカオに言った。「本船の警護をしていただき誠にありがとうございます、本当はあなたも401についていきたかったでしょうに」
「本音を言えばそうですが千早艦長が私たちにこの任務を任せたのはあながち間違いじゃないのかと。もし敵が本格的に動き出したのだとしたら私たちにとってこの船の存在はとても重要になります、お気付きの通り敵のいる場所は南太平洋で陸地が乏しく補給・補修もままならない事が多くなるでしょう。その時に洋上基地にも等しい機能を持つ天翔があれば私たちは損傷を覚悟してでも思いっきり戦う事ができると思うのです」
「生まれたばかりの本船をそこまで高く評価して頂けるとは船乗り冥利に尽きます、ですがまだ実戦に投入された訳ではありませんのでそこまでおっしゃられましても ―― 」困惑して慌ててへりくだろうとする島にタカオは両手を腰に当てるいつものポーズで振り返った。「私は船とはそれ単体の性能ではなく動かす人間の力量が左右すると言う事を千早艦長から身をもって教わりました ―― ですから船長のしまじろうさんを含む乗組員の資質を演習を通じて見せて頂きました、その上で言わせていただきます ―― 皆さんは少なくとも私が自分の大事な船を預けるのに値する実力を持っていると」
「わっ、私もそう思います! 修理の手際や整備の速さなんてとても手際が良くて素晴らしかったですっ! 」
シグレの声に思わず感謝の声と拍手が上がるブリッジ、驚いた彼女が辺りを見回すといつの間にか要員が全員会話を止めて三人の声に耳を済ませていたのが分かる。タカオのように気の利いた言葉を使って賛辞を送れなかった事にもじもじと肩身を狭くするシグレを見た島が言った。「ありがとう、シグレちゃん」
「すっ、すいません私自分の気持ちが全然うまく言えなくて ―― 」「そんな事はないよ、むしろそれくらいの方がいい。君の気持はみんなによく伝わった、ありがとう」
「という事で」タカオが再びブリッジの窓へと振り返ってかすかに見え始めた八丈島へと目を向けた。「とにかくここは一刻も早く磯子のドックへと急ぎましょう。天翔を送り届けてからがお互いの本当の任務、皆さんと別れた後に私とシグレは横須賀で補給整備を行った後にグアムへと向かいます。こんな柄ではないのですが彼女はまだ現界して間もない霧の船、導いてあげるのも教導艦の役目ですから」
「 …… あの」
なんともばつが悪そうにも俯くシグレを見たタカオがその態度を咎めた。「シグレ、あなた演習の時の威勢はどこに行ったの? 言いたい事があるのなら我慢せずに堂々とおっしゃい。ここはもうあなたが昔にいた帝国海軍じゃない、千早艦長の下で誰もが対等に話せる『蒼き艦隊』なんだから」
「 …… 一人で行けますよ? 」上目づかいでポツリと呟いたその言葉にタカオの瞼が二三度しばたいた。「 ―― え? 」
「あたし前の記憶があるじゃないですか。それで元々南太平洋を主戦場に走り回ってたのであの辺りなら万が一GPSが使えなくても六分儀一個あれば ―― 」
「へえ」
にっこりと笑ったタカオがシグレの傍に近づくと両肩に手を置いて顔を近づけた。「ねえ、シグレ? 」
「はい教官殿、ですが教官殿の志の高さに自分はとても ―― 」
「そういうことはもっとはやくいいなさいよぉバカぁっ」
あれ?