蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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ザ・スロットⅡ ―― メリー・ゴー・ラウンド

 大国ロシアの凋落を凌いで衰退する世界の中でいち早く復興に向けての道のりへと乗り出す若き指導者、ウラジーミル・ブガチョフはこめかみを人差し指で押さえたまま無言でモニターを見つめている。時折開いた方の人差し指はコツコツと机を叩いて何かの感情を表しているのだがそれを正確に掴めるのは今の彼の周囲には誰もいない、しかしただ一人オンラインで繋がれた画面の向こうの人物だけは解っていた。

「 “ 大統領閣下、あなたのお気持ちはよく理解しているつもりですが今は一刻を争う時です。どうか ” 」

「どうして今さら。我が偉大なるロシアは誰の手も借りずにあの厄災から身を護り、そして多くの犠牲を払いながら核を全て失った状況でここまで来た。あの尊大卑劣なアメリカ帝国主義者どもは霧の侵攻以前からの大国覇権主義を変えようとせぬまま今はあの落ちぶれようだ、彼の国が間違っていて我らが正しいというそれが証明であろうがどうして ―― 」

 細める目と眉間のしわが彼の持つ怨恨の怒りを表現する。「我らが困窮している時に何もしようとはしなかった奴らと手を結ばねばならんのだ? ―― 大体それを進言する君がなぜそんな極東の地に収まったまま帰ってこない、どうして今クレムリンで。私の傍でそれを言おうとしないのだ、ルスラン? 」

 

 水掛け論なのだと心の中でルスランが呟く。

 ロシア最高位の勲章まで手に入れた彼の立場は恐らく現閣僚のどの人物よりも高く、たとえ彼が今いきなりクレムリンで国防大臣としての任命を受けたとしても異論を挟む者などいない。だが彼は自分自身が徹底した現場主義の人間なのだという事を自覚し、恐らくは骨の髄まで生粋の潜水艦乗りであると分かっているからこそ数多の入閣の要請を断ってこのウラジオストクに居座り続けているのだ。

 だが巨大な国土を保持して長く霧の攻撃から内陸部で耐え忍んだとはいえ無傷ではなかったロシア上層部は彼の心境が理解できない。有能な人材は中央に集いて疲弊した国力を盛り立て世界に対して覇を唱える事こそ大義と考える彼らはその最前線に立つルスランが自ら隠居同然の選択をする事にどうしても納得がいかないのだ、そしてそれは国家元首であるウラジーミルにしても同じだ。

「霧との戦いの際に彼の国が取った行動も私の事も今は過ぎ去った事です、状況は ―― 世界はまた動き始めています。そちらに送りましたデータの中には蒼き艦隊が遭遇した未知の敵との交戦記録や米軍のエシュロンが弾き出した検討結果も含まれています、今は国家単位で争う時ではない」

「 “ アメリカも協力しているから我が国もという事か? ふん、あの二枚舌どもが何をした所で本質は何も変わらん、どうせまた何らかの裏があるに違いない ” 」断固として持論を譲らないウラジーミルだがルスランにはそれがただ意固地になっているような気がする。なぜなら。

「大統領閣下、昨年五月に提出された対外情報局からのレポートはご覧になりましたか? 」

 

 何の脈絡もなく突然切り出されたルスランの質問にウラジーミルは思わず口をつぐんだ。「 “ 昨年三月に起こった国際的テロ組織によって行われた米国ホワイトハウスの占拠事件 ―― 通称ホワイトハウス・ダウンに関する資料です ” 」

「もちろんだ」ルスランの戦術変更に内心舌打ちしながらその戦略眼の確かさに思わず感銘を受ける。彼の非協力の根拠は全てアメリカの信用にかかわる事であり、もしそれが覆されれば勢い彼が反対する理由が薄まる。「霧の侵攻によって混乱した米国内の治安の低下を突いて侵入した中南米のテロ組織が一気にワシントンを陥として国家中枢を手に入れようとした事件だったな」

「 “ はい、ワシントンD.Cの守備隊もホワイトハウスの守備にあたった海兵隊も陸軍も全てが無力されたはずなのにいつの間にか大統領は解放されてすぐに国家としての機能を取り戻したあの不思議な事件です ” 」

「本当に残念だ、もし成功していればアメリカは一九世紀以来の国家的危機を迎える(1814年;ブラーデンスバーグの戦いに敗れた事によるワシントン焼打ち事件)所だったのに。だが ―― 」

 ウラジーミルはデスクの傍らに置いた紙タバコを手にとって一本抜き出すと火をつけて、何かを思い返すように大きく一口吸った。「あの事件のおかげで我が国もクレムリンの警備体制を見直す事ができた、ついでに国内外における反乱分子の動向と粛清に関してもな。いつの時代、いかなる時においてもそういう輩はどこにでも現れると言う事が明らかになった ―― 油断なく有事に備えなければならないという教訓と共にな」

「 “ そしてあの日以来、アメリカの上層部のドクトリンにも著しい変化がおこったという点においても ” 」

「 …… そうだ」論破された事を受けて苦い表情を浮かべた彼は乱暴に煙草の火口を灰皿に押しつけてもみ消した。「くそっ、ルスラン。また君の思うつぼにはまってしまった ―― つまりは過去の因縁や個人的な心情を抜きにして有事に備えなきゃならんと君は、そう私に言っているのか? 」

 

 国家元首の煩悶を目の前にしてもルスランの表情は何も変わらない、いやむしろ心のどこかでそのような苦渋の選択をしなければならない彼に同情している。疲れ果ててしまったこの国を再び奮い立たせて今の水準にまで押し上げたのはまさしく彼の指導力による賜物だ、前政権の主導者たる多くの重鎮が戦いの中に散り枯渇した人材の中から新たな素質を発掘して血の出るような思いで立て直したこの国をまた他国の風下に立つような危険な賭けに晒さねばならないのかという無念さは心情察するに余りある。

 だが。

「今だ予見に過ぎないこの状況も起こってしまえば今を生きようとする人類の最後の審判へと繋がる可能性すらあります、そうなる前にできるだけの手立てを講じておくのが閣下の政治信条にも叶う行いかと」

「 “ わかったもういい ” 」苦々しく吐き捨てたウラジーミルはルスランに見えるようにデスクの上で両手を組むと、画面へと身を乗り出して言った。

「 “ 明後日の12時 ―― 奴らの時間では午前5時に向こうの大統領と極秘の会談を行う。だがこれだけは言っておく ” 」

 

「話すだけだ、いいかルスラン。お互いに話して私が彼に歩み寄れるだけの価値があるのか、もしそうでなければこの話はご破算だ。君の期待には添えないという事を覚悟しておいてくれ」

 

            *            *            *

 

「いいですか撫子君」

 神経質そうな男が机の向こうで銀縁眼鏡のフレームを輝かせながら向こうに立つセーラー服姿の撫子を上目遣いに睨み上げる。「すでに陸軍第一空挺並びに特殊作戦群、相浦の水陸機動団は極秘裏に日本を出発しました。本来であればあなた方も時を同じくしてマンサニージョに向かわなければならないはずなのに、なんで ―― 」

「えー? だってあたしたち貨物じゃないし。アカプルコに上陸っていうんなら喜んで行ったんだけどなー」視線を逸らしてとぼけた口調でいい返す撫子の向こうにあるソファに腰掛けた眉目秀麗な男がいつも通りの援護射撃に出る。「神近事務長、いくら日通に無理くりお願いしたって彼らは民間貨物船ですぜ? もし海軍からのレポートにある連中が出張って来たらひとたまりもない。俺はなーちゃんの判断に賛成です」

「そうですね」バッチリとスーツを決め込んで翠の髪を後ろで纏めた怜悧な雰囲気を持つ美女がカップの紅茶を啜りながら撫子に同意した。「キングがいない以上行動事案の最終判断はクイーンにあります、その彼女が否定する以上私たちはその決定に従うのが道理かと」

 この集団の兵站並びに事務関係の全てを一手に引き受ける神近は総務省からの出向という名目での内閣府直属の高官だ、その彼をして民主主義の基本姿勢を強要する三人を一瞥した彼はハアッと大きなため息をついて机の書類に視線を落とした。「 …… まあ私自身もこんな押しつけがましい無謀な事をあなた方が承諾する気はないとは思ってはいましたが」

「お? さすが事務長、もうすっかり私たちの仲間になった? 」ニヤリと笑って楽しげに言う撫子を見た彼は背もたれに背中を預けて諦め風情に呟いた。「そりゃもう三年も付き合っておまけに命まで落としかけましたからね。あなた方の判断の方が正しいと言う事は身をもって」

「だーからあの時は本当にごめんって言ってンじゃん、まさか事務長の素状が敵にばれてるなんてこれっぽっちも思ってなかったンだからぁ」

「命があるからそれはよしとしましょう …… ところで作戦の方針を変更すると言う事でしたらそれなりの準備をしないといけないのですが、撫子君の読みを詳しくお聞かせ願えますか? 」

「読みも何も …… この作戦失敗するよ」

 

 え? と思って焦点を合わせた神近の目に撫子の笑顔はない、彼女の言い放った言葉と声に一気に部屋の空気が張り詰める。「想定される戦力。アメリカはシールズチーム6とグリーンベレー第7、ロシアは出てくればだけどザスローン、イギリスはSASのD中隊と日本はさっきの二つ」

「確かに構成としてはこれ以上ない完璧な布陣に思えるけど多国籍だから連携が取りづらいかも? 」両腕を組んだ男が小首を傾げて内容を分析すると撫子は頭を振った。「連携はとれるわよ、特殊戦の中でも情報と威力偵察を主任務にする部隊だもの。もしここに中国の蛟竜やモサドが参加しても多分大丈夫」

「ならどうして ―― 」「アルゼンチンだから」

 撫子は机の上に置かれた書類を一枚とってひっくり返すとその裏に大きな丸といくつかの矢印を書いた。「パナマを抜けて南米大陸に上陸して首都ブエノスアイレスまでの侵攻ルートはほぼ三つ、一つはアンデス山脈にそって南下する道とベネズエラから海側を回るルート。もう一つは現実的じゃないけどアマゾンを縦断するルート」

「アマゾンは湿地帯で到底大部隊が抜けれる道じゃないし防疫の観点でも現実的じゃない、と。そうなるとルートは二つに絞られる」

「そ、アンデス沿いか海沿い。でもこれだけ侵攻ルートが絞れれば十分防衛線は張れる、元々アルゼンチンって地政学上自然の要害に守られた土地なのよ。だから対外的に打って出る事は難しいけど外敵からはかなり守りやすい」

「でもそれは各国の部隊だってあらかじめ織り込み済みのはずでは? 連携が取れると言うのであればそれなりの装備は整えているはずでしょうし ―― 」ソファに座った女性が尋ねると神近が何かに気づいた。

「 …… いや百合君ちょっと待って ―― そうか、これじゃあ兵站が維持できないのか」

「さっすが事務長、専門家」パンと手を叩いた撫子が嬉しそうに笑う。「アンデス沿いに侵攻すれば兵站ルートは基本空輸に頼る事になるし、もし戦闘状態になったら相手がそう簡単に航空優勢を譲るとは思えない。スティンガーやら何やら大量のSAMを携行した連中と戦う羽目になる。かといって海沿いを回り込むと ―― 」

「 …… 今の米軍の補給態勢だとパナマ運河を通って大西洋側に出なきゃならない」

「使わずに行ける一番手近な補給基地はジャクソンビルのメイポートだけどそれでも準備してから出港して目的地に到達するまで何日もかかるし基地自体が小さいから緊急時即応ができない。兵站の基本は? 」

「常に戦闘単位が充足かつ満足できるだけの物資を供与される事が必須である」神近が呟くと撫子は満足そうに頷いた。「負けるとまでは言わないけど兵站の不備はすなわち戦闘の継続が困難になる事を意味する、だからこの作戦は失敗すると思う」

「ですがアンデス沿いに侵攻すると言うのなら ―― 」神近が撫子の手元から落書きを取り返すともう一本矢印を書き加えて言った。「例えばチリ側からなら。これなら輸送船を外海に待機させてヘリでの補給もできますし少なくとも敵からの攻撃が加えられる事がないのでは? 」

「あー、そこ書かなかったのはねぇ」そういうと彼女は描いた矢印の上からバッテンを書いた。「このルートじゃ部隊が全滅するから」

「全滅 …… ですか? 」唖然として尋ねると撫子の代わりに百合と呼ばれた女性が答えた。「まず移動距離が長すぎて時間がかかりすぎるのと気候の変化による作戦の遂行不可能が考えられます。亜熱帯の地域からチリを縦断してアルゼンチンへと至るのは一見容易いようにも思えますがアンデス南端部は南緯40度、最高気温は夏でも10度以下になります。人の体や移動用の車両がその変化に適応するのはまず難しいです」

「それに南部にはパタゴニア平原が待ち構えてるからね。あの嵐の大地を損耗なしでくぐり抜けて敵の心臓部に到達するなんてよっぽどの奇跡でも起こらなきゃあ無理。装備を入れ替えて気候に対応するのはアリっちゃあアリだけどそんな大部隊であそこ移動したらフォークランドの二の舞よ、少なくともSASはお断りだよね」

 

 理に適っているのは撫子の方だ、作戦に対する的確な読みと未来予測は知らないものが聞いたらその風貌の幼さからただの空想だと思うだろう。だが彼女は対テロ組織の先兵としてありとあらゆる苦難を駆け抜けただけではなくその全てを粉砕して法と理を護り続けた伝説なのだ。

「よくわかりました、では撫子君のその意見をできれば政府を通じて作戦実施対象国に連絡すると言うのはいかがでしょ ―― 」神近がそういうと撫子は今までの余裕が嘘みたいに慌てた顔をした。「ちょーちょー事務長、そんなことしちゃダメだって。あたしたちがアルゼンチンに侵入できなくなっちゃうじゃないっ? 」

 驚いたのは神近一人で撫子を挟んだ向こうに控える二人は彼女の戦略の気づいて複雑な表情を見せる。「 …… まあ作戦はそれしかないんだろうけど相変わらず手厳しいこと考えるね、なーちゃんは」

 ソファに座った男が頭の後ろで手を組むその態度に神近は撫子の立てた戦略に思い立って表情を曇らせる。「撫子君、まさか」

「世界中の名だたる威力偵察部隊が結集して何もできずに撤退なんてしないでしょう、時間はかかりますが恐らくそれぞれの国のメンツにかけて力押しでも何でも ―― 意地でもブエノスアイレスには到達するでしょう」静かな声にどことなく悲壮な色を込めて百合が呟く、覚悟を決めて凛とした表情で両手を組む撫子の姿を神近は思わず見た。

「この戦いの最終ステージは間違いなく大統領官邸 ―― ブエノスアイレスの市街戦よ。恐らく敵の近衛とCQBに入るその隙をついてあたし達が官邸に突入する」

「 …… つまり、それだけの ―― 我が国も含めて各国が誇る最高の諜報部隊を全部囮にして」「彼らには申し訳ないけどね …… それに」

「それに? 」難しい顔をして紙の裏に書いた落書きへと視線を落とす撫子を全員が見つめる。彼女は心の底にある、小さい懸念ではあるが現実の物と化した瞬間に大きな障害として立ちはだかるであろう可能性に言及した。それは物心のついた頃から戦場で生き延びてきた彼女に培われた預言者のごとき戦略眼だ。

「もしこの首謀者があたしや親父みたいなクソ野郎だったとしたら ―― もうとっくにメキシコから南には行けないかもしれないわよ」

 

            *            *            *

 

「艦長、予定のポイントに到達しました」僧からの報告に作戦前の艦橋が張り詰める、群像がマイクを手にしながらイオナへと視線を送り彼女は小さく頷いた。「ブルー1より各艦へ、これより現場海域まで予定通りの行動を開始する。3アッシュビル・4サンタフェは深度150でホールドしたまま機関停止、海流に従って白鯨Ⅲの後方で海上監視に務めてくれ。1と2はこのまま相対距離を二分の一海里まで展長の後に海底まで潜航、そこで同時にドローンを放出して付近の調査を行う」

「 “ アッシュビル了解、ブルー3コール確認 ” 」「 “ サンタフェ了解しました、4コール確認。頭上の守りはお任せください ” 」

「 “ ブルー2白鯨Ⅲ了解だ、現在深度350。15ノットで1の後方を追走する ” 」

 駒城の返事が聞こえた時点で群像がマイクを置くとイオナの操舵が始まった、ゆっくりと前を沈めて深海への入口へと向かう401の船体には何の変化もみられない。ミシリという水圧の軋みも起こさない静寂の中で表示されるデータだけが刻々と変化する。

「現在18ノット深度600 …… オンサイトエリア、イントルード」「いおり、機関を補機に切り替えてくれ。出力四分の一」「 “ 了解 ” 」

 

 光の届かない深海をゆっくりと下降する401の底部が徐々に海底へと接近する、事前のスキャンの結果海底に岩石は少なく砂地が広がっている事は知っている。だがイオナは万が一の事態に備えて全ての感覚を研ぎ澄ませながら慎重に海底へのアプローチを進めていく、それははるか後方で同じようにエリアを担当する白鯨Ⅲも同じだろう。

「フロアまであと5、4 ―― エンジン停止、重力子フロートネガティブ」イオナが告げると同時にいよいよ艦橋が無音に包まれて船底がゆっくりと砂地へと滑り込む、バラスト調整で船体の傾きを押さえた401が音もなく静止した時点でヘッドフォンをつけた静が告げた。

「着底確認、パッシブ異常なし …… 6時方向で擦過音、白鯨Ⅲも着底完了した模様」「了解した、作戦を次のフェイズに移行。後部格納庫注水、ハッチ開け」

 持ちあがった艦底後部のハッチが薄く開いて隙間から二基の赤いドローンがゆっくりと忍び出る。イオナの操縦で左右に別れたそれらが周囲の様子をメインスクリーンに二分割で映し出した。「現在水温4℃、見通し距離約20メートル」

「意外に水が澄んでて助かる、なんせ捜索にソナーが使えないからな。イオナ、できるだけドローンを分けて広範囲を捜索してくれ。まだ海藻とかついていない比較的新しい金属片が目標だ、薬莢でもケブラーの破片でも何でもいい」

「がってん」

 力強く答えたイオナが少し周囲の演算リングの速度を上げるとコントロール下にあるドローンの映像がゆらりと揺れて針路が変わった事を艦橋のクルーへと知らせる、無音の空気の中で刻々と過ぎる時間と続けられる捜索だが奥へと吸い込まれるように消えていく砂地のほかに目新しい物は見当たらない。

「 …… 変ですね」じっとモニターの映像と海底地形のマップとを見比べていた僧がポツリと呟いた。黙って視線を送る群像に彼は何かを考え込むような仕草で応える。「この海峡はアイアンボトムとまでは行かなくても第二次大戦の激戦地です、それなりに沈没船や飛行機の残骸などあってもおかしくないとは思うのですが」

「イオナ、どうだ? 」

「僧の言うとおりだと思う、この辺りには本当にそういう物が何もない。まるで全部どこかに吸い込まれてしまったみたいに」

「海面水位の上昇で流れが変わって全部埋まっちまったとか? ここは島に挟まれた狭い海峡だから流れも速くなったりすンじゃね? 」

「その可能性もありますが過去のデータと比較してもそこまで海底が隆起した痕跡はないようです、つまり」

「 ―― まるでここで戦争なんかなかったかのような景色になってる、と言う事か」

 

「どうだヒュウガ」駒城が海図室でドローンを操っているヒュウガに声をかけると彼女はすぐに片方の機体のマニピュレータを操作して手直にあった岩を掴んだ。「ヒュウガ? 」

「 …… いやな予感がする」真剣な眼差しで画面を見つめながら舵を切った二機の映像に白鯨Ⅲの真っ黒の巨体が浮かび上がる。「これは普通の海じゃない」

「魚がいないな」隣で映像を眺めていた浦上が低い声でそう告げると駒城と艦橋要員はすぐに機関の始動準備へと取りかかる、リチウムイオンから電気を取り出して艦後部に備えられた電磁キャタピラーに送ると青白い光を放った補助推進機関が点滅を始めた。

「総員第一種、ドローン格納と同時に全周警戒。火器管制アクティブ ―― 真瑠璃」「パッシブネガティブ ―― いえ待って」

 真瑠璃の耳に届く微かな囁き、蚊の羽音よりも小さくて特徴的なそれはきっと彼女と静以外には聞き取ることはできなかっただろう。

 かつてその者達と血で血を洗う戦いを繰り広げた彼女ら以外には。

「 …… 重力振っ、本艦と同水深6時方向。3と4の後方に潜んでいます」

 

 401の後部ハッチに4個の石を抱えた二機のドローンが潜り込むとゆっくりとハッチが閉じられて微かにスラスタが点灯する。「いおり、機関始動準備。いつでも主機が動かせるようにしておいてくれ」

「 “ りょーかい、だけどもしかしてフルバーストも準備しとく? ” 」補機をコントロールしながら尋ねるいおりの言葉は群像にある種の覚悟を促している、この任務の目標はあくまで現場海域でのサンプル採取でありそれが最優先事項だ。万が一の時には全部に背を向けてでも戦線離脱を図る必要があるのかもしれない。

 もちろん白鯨Ⅲにはスーパーキャビテーションと言う切り札があるしいざという時にはヒュウガもいる、そういう時のために彼女をあの船に乗せたのであり恐らくは無事に逃げきれると言う勝算があってのこの布陣を準備した。

 だがもしそうなった時にアッシュビルとサンタフェは?

「もし俺達の力が及ばなかったとしたら使う事はあるかもしれない」顎を摘んで何かを真剣に考える群像の横顔を心配そうに見つめるイオナ、北極海での戦い以降彼が変わった点はこう言う所だとイオナは密かに思う。自分が何とかしようと思っても力及ばない時はあるのだと言う経験が彼にこういう非情な選択肢を選ばせるようになった。

「だがそれを選べば俺達は蒼き鋼ではなくなる。敵に抗いそれを打ち破る、そのための仲間でありそのために手にした経験と力だ ―― 必ずみんなでグアムへ帰投する、だからいつも通り力を貸してくれ」

 返答は帰らずとも言わずもがなだ、いつものように無理難題を無茶で押しつぶしてまかり通ろうとする彼の言葉に全員がニヤリと笑って自分の役割へと向き直る。「いおり、出力そのまま180度回頭。重力子フロートオンライン離床10メートルに固定 ―― 杏平」

「おうよ、火器管制起動。全兵装フルアクティブスタンバイ …… でも攻撃のタイミングってどうすんだ? 」スタイラスで通常弾頭と浸食魚雷を発射管に混在装填させながら尋ねると群像が即座に言った。

「敵の攻撃にアッシュビルとサンタフェがカウンターメジャーを始めたと同時に仕掛ける、多分駒城二佐も同じ事を考えてるはずだ」

 

            *            *          *

 

「ADCAP、一番二番有線で海中に放出」駒城の号令で艦首の発射管からぬるりと滑り出た二本の魚雷がヒモを棚引かせながらゆるゆると海中を進む。18式長魚雷は深海で運用可能な魚雷である事は先のリムパックで証明したがその真価は多用途にある、攻防一体のマルチタスクをこなすその兵装は振動弾頭に連なる推進部に採用されるほどの高性能を誇る。

「さあ頼むぜアメリカのドン亀さんたち。数の上ではこっちが上なんだ、うまい事相手をその気にさせてくれよ」右手の親指を唇に当てながら囁く駒城の耳に真瑠璃の声が突き刺さる。「! 注水音っ、敵の魚雷発射管が開きましたっ! 」

「OK真瑠璃、砲雷班水雷戦用意っ。一番二番音響画像解析を開始っ」

 

 アメリカ潜水艦隊のもさすがに霧との戦いを生き延びた兵だ、注水音が聞こえたとたんに左右に分かれての緊急潜航が始まる。浅深度での水上警戒と見せかけてのこの動きはブリーフィングの際にあらかじめデザインされたパターンで水域を急激に変えることで魚雷に入力される諸元数値を確定しにくくさせる、イオナに言わせるとこの方法が浸食魚雷から逃げ出すのに最も有効な方法らしい。

 もっともそれがいつまでも通用する相手ではないが。

「発泡音っ、推進音四! 魚雷ですっ」静の声に杏平の指先がビクッと震える、いつになっても何回やってもこの瞬間には全身の細胞が驚くほど痙攣する。「コースA・コースB、予想通り3と4を追っています ―― 3と4スナップショット、カウンターメジャー開始。各艦後部発射管よりデコイ出ましたっ」

「焦るな杏平、まだだっ。白鯨Ⅲの先制攻撃が敵を捉えた瞬間に」「わーってる、皆まで言うな。一番二番浸食魚雷発射 ―― 」

 

 それはまるで背筋に落とされた氷のように冷たい感覚。

 緩やかに流れる川の流れに竿を刺すいやな気配ににイオナが突然立ち上がって天井を見上げ、突然の彼女の動きに驚き戸惑うクルーをしり目に青い演算リングがいきなり猛烈に回転を始める。ただ一人隣に座る群像だけが険しい表情でマイクに怒鳴りつけた。「いおりっ、機関最大っ! 現時点を持ってこの海域からの退避行動へと移行っ! 」

「 “ ちょっ、いったいいきなりどうした群像っ!? 機関最大ッて ―― ” 」「敵だっ! くそっ、海上に何かがいる。どうして何も気づかなかったっ!? 」「カウンターメジャー成功っ …… て着水音多数っ!? 白鯨Ⅲクラインフィールド展開っ。長魚雷ケーブル切断っ、自律航行に移行! 」

 矢継ぎ早に放たれる緊迫した報告に騒然とする艦内、不必要となった無線封鎖を解いた群像が慌ててアッシュビルとサンタフェに指示を飛ばす。「3と4はそのまま限界深度まで沈降、機関停止してスロットの出口に向かえっ! 杏平全発射管開け、VLSハッチ全部上げろ! 」

「敵艦機関始動、重力子反応 ―― 霧の駆逐艦三隻を確認」探査結果と共にスクリーンへと表示される各艦のイデアクレストを見た彼女が目を見張った。

 

            *            *            *

 

「レフトとライトを呼んでおいて」撫子がぽつりと告げたその言葉に神近は驚きの目を向けた。「先に彼らを入れといた方が長老には話を通しやすい」

「ジボンとイサクを呼ぶんですか? 」その二人を呼ぶと言う事はキングを除くこのユニットの最大戦力で挑むと言う事、今まで実施した作戦でそこまでメンバーを集めた事は過去に四回 ―― いずれも最終決戦の状況に限られる。「そ、装備はバージョンDであたしたちはA。それとそれだけ積みこめる外航型の34フィートクラスのセーリングクルーザー、後は島沿いに伝って行くから寄港地への繋ぎをよろしく」

「そ、それは構いませんがなぜヨットを使って? どこに行くのかは分かりませんがもっと他に渡航手段が ―― 」

「霧の船ってあたしたちが見た事もないハイテクで固められた船なんだよね? 船体はナノなんとかっていう粒子で重力子エンジンとか言うすっごいエンジンで動く。で …… そんな連中がエンジンもない木造船目ぇつけると思う? 」

 それはまさに目から鱗とも言える撫子ならではの発想だ、進化したテクノロジーが持つ大きな盲点。「確かにヨットならば音が立たないし木はレーダ-には捉えられない、こっちの存在を確認するのは目視だけって事か …… それでももし霧の船に見つかったらどうする、なーちゃん? 」

「そん時ゃ土下座でも何でもして見逃してもらおっかな、それでもダメならそれまでだけどそんなの今に始まった事じゃないし」ケロリと言い放つ撫子にやれやれと苦笑いを浮かべる面々、自分達がこの作戦に参加する事は極秘中の極秘であり命令を下した上陰以外にそれを知る者はいない。だがそれは彼らがいついかなる最期を迎えようともその一切に日本政府が関わらないと言う事と同義なのだ。

「わかりました撫子君、その件すぐに手配しましょう。ところでレフトとライトに目的地と任務を伝えなければならないのですが ―― 」

「目的地はパプア・ニューギニアね。撫子? 」思わせぶりな視線を向けて尋ねる百合に撫子は瞼を閉じて過去の記憶をまさぐり、ため息まじりに呟いた。「 …… そうね」

 

 オーストラリアSASの反乱によるパプア・ニューギニアの占拠と確かな軍歴と戦力に裏付けられた独立国家の建立、ジャングルの死神と謳われた指導者であるチャールズ・マカフィー大佐との死闘は現地の原住民を基軸とするレジスタンスの協力と犠牲がなければ決して勝利する事ができなかったと今でも思う。

「イリアンジャヤは、久しぶりだわ」

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