蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
「重力振から解析。アサシオ型三番艦ミチシオ・五番艦アサグモ・六番艦ヤマグモ」
朝潮型は帝国海軍艦隊型駆逐艦の原型にしてその祖に当たる設計思想を持つ日本を代表する戦闘艦だ、太平洋開戦当初から坊ノ岬沖海戦まで存命を果たして世界に冠たる帝国海軍の終焉を看取った船でもある。武勲艦として名高い特型綾波、そして夕立・時雨の白露型に比べて目立った戦果を挙げてはいないもののその後に開発された陽炎型のテストベッドとして十分にデータを残して雪風という名艦を生み出す事に成功した。大戦末期の捨て身とも言える運用方針によって朝潮型の多くは悲劇的とも言える最期を各々迎え、同型艦十隻のうち生きて本土へと帰還した乗組員の数は異様に少ない壮絶な生涯を送った船達だ。
「爆雷来ますっ! タナトニウム反応っ! 」叫んだ途端に静が慌ててヘッドフォンを外して衝撃に備える。「機関最大、両舷前進強速っ! 杏平後部一番二番カウンター、打擲距離300っ! 」
群像の命令と杏平のスタイラスが同時に動いて間髪いれずに飛び出した魚雷は弾幕の中心へと駆け出すと一番密度の濃い場所で弾頭を破裂させ、飛び出した小弾によってその周囲の爆雷を連鎖爆発へと導いた。「両舷停止無音潜航っ、そのまま潮の流れに乗ってこの海域から ―― 」「ダメです敵潜からアクティブっ! 捕捉されてますっ、
「くっそっ! 杏ヘ ―― 」「ダメだ群像っ、射角に白鯨がいるっ! イオナっ何とか躱してくれッ! 」「右舷スラスタ解放サイドキック、針路084近接防御作動」
右舷が火を吹いて強制的に艦を射線から逸らすといきなり艦首の25ミリが火を噴いた。水中では減衰の激しいパルスレーザーだが極力出力を絞ることでなんとか敵の魚雷を捉え、爆発による衝撃で艦全体が激しく揺さぶられる。「迎撃成功っ、ブルー2! 貴艦は急いでこの海域から離脱しろ! 」
「 “ おお群像無事だったか、こっちもなんとか真瑠璃のおかげで第一波は凌げたんだが ―― ” 」これだけの攻撃を受けても平然と受け答えをする所に駒城の豪胆さと経験量を窺い知ることができる。「 “ だが困った事に敵さん俺達を逃がすつもりはサラサラ無いようだぜ、どうやら囲まれちまったらしい ” 」
「真瑠璃、どうだ? 」額の汗を拭いながら駒城が尋ねると彼女はじっとヘッドフォンを耳に当てて眼を閉じたまま言った。「前方の潜水艦二隻は動く気配はありません、問題は頭上の駆逐艦ですが180度転舵針路163」
「 …… さっきの401の迎撃でこっちの位置を見失ったのか、それとも ―― 」そんなはずがない、と彼の勘が耳打ちする。それくらいで見失うようならどうして世界中の潜水艦の大半が霧の船にほとんど沈められたのか。
「! ―― しまった、そういう事かっ! 」海上の動きに思い当たった駒城が慌ててマイクを掴み上げる。「2より1、敵潜二隻はこっちで押さえる。そっちはすぐに3と4の後を追えっ、駆逐艦の狙いは米潜だっ! 」
旧型艦といえども対艦ミサイルは積んでいるし魚雷もある、故に弱い獲物から潰していくのは狩りの常道。だが霧の船の戦い方と言えばどちらかというと超兵器の性能にあかした力押しだと印象が強かった、故に駒城の反応が遅れたのだが敵のとったまさかのフォーメーションに思わず冷や汗が滲む。
「イオナっ、180度回頭針路163! アッシュビルとサンタフェを援護するぞ。杏平一番二番低周波魚雷っ、この辺の海を ―― 」「針路前方でまた着水音っ、数二十! 爆雷来ますっ! 」
思わず舌打ちしながらアクティブ化したレーダー画面を睨む群像と回避を始めるイオナ、だがそれを狙い撃ちするかのように静が推進音を探知する。「今度は頭上から鮫来ますっ、雷数二! 」「カウンターデコイ射出っ ―― くそっ恐ろしく強いっ! こっちの先手をことごとく潰されてる! 」
「艦長っ! 」突然副長席の僧が叫んで群像へと振り向く。「3と4がこちらへと回頭、少しづつ深度を上げながらこちらへと向かっていますっ! 」
「 “ こちらブルー3、本艦と4は貴艦の傘として敵との間に割り込みます。その間にこの場は退避を ” 」「だめだアッシュビル、君たちは ―― 」「 “ …… もとより ” 」
群像と相手とのその温度差に船を操りながら困惑するイオナ、彼らとは今日会ったばかりで何のしがらみも義理もない。なのにどうして命を賭けてまで私たちを護ろうとするのだろう? 私の知ってる意志の力とは自分や仲間が生き延びるために使うもので『そんな選択』のために使ってはならないのだと思っている。
そうじゃなければどうしてあたしはもう一度群像の下に戻ってこられたのか分からない。あの瞬間、あたしは確かに ―― 。
「 “ これは覚悟の上でした、ですが私たちがリアルタイムで残す戦闘データには価値がある …… なあに世代が違うとはいえ私達も攻撃型原潜ですし武装は現行最新が搭載されてます、敵わないまでも必ずそちらが逃げおおせるまで持ちこたえて見せます ” 」
「 ―― だめですアッシュビル、あなたは絶対に間違っています」
艦橋全員の総意を彼女が代弁した事にみんなが驚いて振り向いた。群像が放つであろうその言葉をイオナが言った事にはむしろよく言ったとばかりに心の中で喝采を上げるほど痛快だ、しかし彼らが驚いたのは彼女がその時に放った声音だった。
「命を ―― あなた方との繋がりを自ら断とうとするその行為は絶対に間違っています、生きるために最後まであがきなさい両艦とも。私はそのための手助けを惜しみません」
何が起こったのかと見守るクルーの視線を浴びながらイオナはセンターコンソールに立ち上がると全ての演算領域を解放した、青いリングがフル回転してあっという間に彼女の全身を追い隠す。焦点を失くした瞳が何らかの決意を込めてキッと艦橋の天井を睨みつける ―― この動きはっ!
「! ダメだイオナっ、それを使っちゃ ―― 」
群像の叫びも行動もその全てが遅かった、彼女の中に確立された自我はあっという間にリンクを繋いであの場所を目指す。全身を硬直させてただの演算処理装置と化したイオナの手を群像はただ握りしめて無事を祈る事しかできなかった。
そこは間違いなく自分のフォリーだ。
以前に踏み込んだおぞましい景色も腐臭も闇もなく、ただ穏やかでのどかな草原の真ん中に立つ白いあずま屋。そして違っているのはテーブルの向こうに座る見知らぬ三人の少女の姿だった。イオナが口を開く前に中央で向き合うミチシオが言った。
「あらあら新しい総旗艦様はなかなかに運も強いのね、向こうの潜水艦に接続すればまた我が主の領域に取り込めたっていうのに」
煽るように嗤う彼女の冷たい目がイオナに向けられ、つられて左右に立つ二人も同じように笑う。だがイオナが口を開いた瞬間にその表情は一変した。「ミチシオ、あなたがこの駆逐隊の指揮艦ですね? ならば総旗艦としてあなた方に命令します、すぐに戦闘行動を止めてこの場から撤退しなさい。私たちに戦闘の意志はありません」
「 ―― どうやら額面通りの潜特型じゃないみたいね401、それとも『総旗艦ヤマト』の残りカスと言った方が正しいのかしら? …… どっちにしても気にいらないわねその物言い、何様のつもり? 」
敵意むき出しの目で睨みつける三人の視線を受けてもイオナは怯まない、その態度に苛立ったミチシオが三人の前に置かれたティーカップを感情のままに薙ぎ払うと煌びやかな音を立てて三客が大理石の床の上で砕け散った。「あんたたちが踏み込んできたのは我が主が定めたテリトリー、いくら戦うつもりがないって言ったところでそれを決めるのはあたしたちの側。なんならカビの生えた『あんたたち』の国際法とやらにでも照らし合わせてみなさいよ」
「 …… 確かにあなたの言う事は間違ってはいません、認めます。ですが ―― 」
Law of Nations ―― 15世紀から16世紀の間に『万民法』という名の慣習法として成立した原型は1648年に締結されたウエストファリア条約を以て世界で偶発的に起こり得る災禍から人類を一歩退けた。その後人々の間で繰り広げられた大きな戦争と小さな紛争の多くを経て幾度もの拡大解釈によって翻弄されたその護法はその後霧との戦いで生き残った人類に対する強力な楔として今も国家憲章の中に記されている。
「ただ一つの原則を持って問答無用の戦闘へと至ると言うのはあまりに浅薄という物では ―― 」「総旗艦のお前が言うセリフじゃないよなぁ、それ」
アサグモがドスの利いた声で威嚇した。「アドミラリティ・コードの命令で人類を根絶やしにしようとしたのはお前だろ、ああ? すっかりあの間抜けどもに取り込まれやがって」
「あの頃の私たちはただの兵器にしか過ぎなかった、事の是非も考えぬままただ与えられた命令に忠実に従う駒。ですがそれも人類の強烈な抵抗とメンタルモデルという新たな形態を獲得した事によって進化した、人類がどういう働きによって共存と共栄を求めるかについて学ぶことでより良い未来を探し始める力を得たのです」
真顔で説得しようとするイオナとは裏腹にミチシオとアサグモの表情は硬い、だがその均衡を破ったのはただ一人ニコニコと事の始終を見守っていたヤマグモだった。「そうですかぁ、総旗艦様は人類と戦って彼らの思考を理解してそこに価値を見出したというのですね? 自分達と人が共存するためにはどうすればいいのかと考える能力を自分達の進化と捉えて」
「そうですヤマグモ、同じこの星で共に生きようとする私たちはたとえ彼らより優れていたとしても無駄に争うべきではない。共に手を携えながらもっといい未来を探して歩かなくてはならないのです」
「ねえ、総旗艦様」表情を一つも変えずに両手を胸の前で合わせたまま穏やかな声で彼女が尋ねて、その声がなにを意味するのかを知っているミチシオとアサグモはギョッとしてヤマグモへと振り返った。「どうして私たちってこの姿で今の世界に蘇ったのか、考えたコトあります? 」
唐突に方向を変える議題は相手に対してミスリードを誘発するための一種の策話術の一つだ、相手の意図を読み取るために慎重に構えるイオナは黙ってヤマグモへと視線を向ける。「 …… それが? 」
「いえね」閉じた瞼が開いた瞬間に覗く瞳孔の闇がイオナをねめつける。「私思うんですよ、霧の船がどうしてあの頃の船の形に限定されて顕現したのってきっとあの時代だったからじゃないのかって」
「あの時代? 」「そう」
口角を歪めてククッと嘲る狂気が彼女の笑顔を支配する。「世界中の人類が何も包み隠さずにその本性を全部さらけ出して過ごした時代、騙して裏切って奪い取る ―― 人類という生き物が本性を晒して殺し合ったあの時代にその手先となって働いたからじゃないかなあって」
自分達の存在がなぜそんな姿で現れたのかなど考えた事もない、ただアドミラリティ・コードによって選ばれたものだと思っていた彼女の心に忍び込む ―― それは猛毒だ。息を呑んで硬直するイオナを前にヤマグモは構わず言葉を続けた。「あの戦いで生き残った奴らはただ運がよかったか、それともみんなを騙し果せて逃げ切ったのか …… でも私たちも含めて騙されて死んでいった者たちはどうなんでしょう。不器用でお人よしだったから? 騙されるくらいバカだったから? 総旗艦様ァ、あなたはどう思います? 」
「そういう不幸な事も過去にはあったのかもしれません、ですが人類みんなが全部そうだとは限らないと思うのです。私に人という物を教えてくれた翔像さんや千早群像、そして彼らを取り巻く人々との繋がりはそれらを全部否定してあまりある物です」
「ねえ総旗艦様」ヤマグモとの会話を黙って聞いていたミチシオが薄ら笑いを浮かべて小さくため息をついた。「やーヤマトの欠片さんでもいいわ、ちょっと聞くけど」
彼女の問いかけは建前で塗り重ねられたイオナの反論をいとも簡単に剥ぎ取って捨てる。
「人に裏切られて好きな人を殺されて妹に裏切られてその立場を追われたあなたがどうしてヤマグモに言い返す事なんてできるの? 」
* * *
「相手の船分かるかヒュウガ? 」駒城がソナーの波形を眺めながら尋ねると彼女はおざなりに領域を展開してから答えた。「アルバコアとダーターね、リムパック以来なんだけどどうしてこんなとこまでくっついて来てンのかしら? 」
「あのレポートにあった『ゾンタル』モデルの潜水艦か …… 確か自殺願望持ちなんだっけ? それじゃあおとなしく魚雷一発で沈んでくんねえかなぁ」
「なにそれ? 残念だけどそれは無理。あの子たちの自我や意志はもうとっくにどっかのクソ野郎に殺されちゃってるわ、そいつのいいなりになって動くだけのただの傀儡」仲間の尊厳すら弄ぶ見えない輩に唾棄すべきだと言わんばかりの苦い表情がヒュウガの顔に浮かび上がる。「だから一筋縄じゃいかないわよ、あたしの記憶では潜水艦なんてただの索敵と嫌がらせ程度の役割しか持たないはずだけど意志がない分どんな動きをするか分からない。締めてかかンなさい」
「アイ、マム ―― まずは小手調べだ水雷長、データバンクから二艦の音紋データを入力。一番二番発射管開け」
鈍いモーター音と共に艦首にある発射口が開いて微かな泡が零れ出す。目まぐるしく移り変わる数値がモニター上で固定された事を確認した水雷長が手元のボタンに指を置いた。「一番二番準備よしっ! 」
「撃てっ」駒城の声に連動して動く指が二本の魚雷を海中へと送り出すと推進機が1.7トンの躯体を70ノット(時速130キロ)まで押し上げる、この距離ならば絶対に逃れようのない必殺の二連撃に艦内の全てのクルーが時計の針を睨みながら息を潜めた。
その変化は一瞬だった。
今まで数値を固定していた水雷長の諸元モニターの数値が突如目まぐるしく走り出していきなりブラックアウトした。「艦長っ、一番二番目標をロスト ―― いやこれはっ! 」
「曖昧ないい方はするな水雷長っ、どうしたっ!? 」戦闘時には最も冷静である男の慌てふためきっぷりに思わず問い質す駒城の耳に信じられない報告が飛び込んでくる。「一番二番の数値が書き換えられましたっ! 目標は本艦、音紋入力済みですっ! 」
「機関停止右舷電磁キャタピラー全力っ! トイボックス一番マスカーっ! 」原因より先に結果を重視するのが一流の艦長だ、その公式通りに駒城は命令を下すと艦首を構成する右側のユニットから突然泡が噴き出して艦全体を覆う。スーパーキャビテーションで発生するものよりも大きなこのポリマーバブルは艦体から発生する全ての音源を一時的にではあるが遮断する能力を持つ、目標を見失った二本の長魚雷は泡の上を滑るように走るとそのまま白鯨Ⅲの後方へと猛スピードで走り去った。
「追撃来ます、鮫二本っ! 」真瑠璃の叫びに浦上とヒュウガ以外の全員が戦慄する、何事かを小声で話している二人をしり目に駒城の指示が飛ぶ。「潜舵下げ10っ、マスカー分離。面舵一杯回避っ! 」
マスカーの殻を脱ぎ捨てて艦首を下げた白鯨Ⅲが電磁キャタピラの発光を煌めかせながら右下へと回避する、海底すれすれを走り抜けた巨体には見向きもせずに敵から放たれた魚雷はポリマーバブルを突き抜けて内部で爆発した。破裂する抜け殻の衝撃が回避運動に勤しむ艦体を大きく揺さぶる。
「探査コンディション低下しました、敵艦ロスト」感情を抑えて低い声でしゃべる真瑠璃が必死に周波数を変えながら敵の音を探っている、見失ったのは自分達だけじゃないと駒城は操舵手に告げた。「艦平衡深度このまま、キャタピラ出力四分の一。このままスライドして敵の探知範囲外に出る」
「あら、401はほっといていいの? 」キョトンとしてヒュウガが尋ねると彼はじっと計器へと視線を落とした。「あいつらならいざとなれば逃げ切るでしょう、アッシュビルとサンタフェを見殺しにするかどうかは別として …… ただ現状としてこの二艦を撒いてからじゃないとどうにも方針が決められない」
「 …… そううまくいくといいがな」庇の影からポツリと呟いた浦上の言葉を証明するかのように真瑠璃が言った。「! パッシブに感っ、本艦を中心に十二字と六時方向。前後挟まれましたっ! 」
「 …… マジか? 」大きく目を見開いて真瑠璃の方へとゆっくり顔を向ける駒城に彼女が大きく頷くと途端に甲高い大きな音が艦内全体へと鳴り響いた。
見えない何かを探すかのように狭い艦橋全体へと視線を走らせるクルーを海図室の壁に寄りかかった浦上が帽子を取ってため息をつく。「 …… なるほどな」
「なんか分かった? 」ヒュウガが尋ねると彼は正帽を海図の上へと置いて腰のポケットへと手をやった、折り畳まれた戦闘用略帽をパンパンと広げながら浦上が言った。「あの潜水艦達にもう自分の意志はないと言ったな? 」
「ええ、多分」「という事は彼らの取る戦法はその操ってる誰かの考えに従って行われてる」
「そうね」
「 …… ならその操ってる『クソ野郎』は潜水艦じゃないって事だ。こんな時潜水艦は決してアクティブなんか打たないからな」「なるほど …… で? 」
ニヤリと笑ったヒュウガが尋ねると浦上は被った略帽の庇を後ろへと回した。「駒城は確かに優秀だがちょっと融通のきかない所があってな。こういう時は船の構造と仕組みを熟知した経験豊富な老兵の方が役に立つ …… ま、俺は翔像と違って負け続きのヘタレ艦長だったから勝てるかどうかはわからんが」
「あたしがいるけど? 」同時に預けていた背中をゆっくりと壁から離しながら不敵な笑みを浮かべたヒュウガが尋ねると浦上がニヤリと笑って視線を向けた。
「ちょっと手伝え」
浦上とヒュウガが海図室から出てきた時点で駒城が直立不動で場所を譲って敬礼する、他の艦橋要員も持ち場を離れないまま敬礼をする中を駒城の声が艦内電話を通じて全艦の部署へと響き渡った。「達する、現時点を持って白鯨Ⅲの指揮は駒城二佐から浦上海軍中将へと移行する! 繰り返す、中将が艦の指揮を執る! 」
む、といいながら会釈で返すお決まりの委譲式はここまで。すぐに操舵手の背もたれへと手をかけた浦上は真瑠璃に尋ねた。「聴音手、敵との位置と距離を正確に頼む」
「アルファは12時方向約800メートルの同深度に待機、ベータは艦尾6時方向約1000メートル同深度」「挟み討ちというわけか …… さっきのアクティブはどちらが打った? 」
「ほぼ同時に前後から。多分こちらの正確な位置を確認するためと思われます」「という事は魚雷発射口はもう開いてるって事だな」浦上は頭の中で位置関係を整理する、一直線に並んだ敵味方のすぐ足元は海底でこれ以上潜る事は出来ない ―― すなわち立体的な回避機動は上部のみ。将棋の駒にされたこの状況から打開する手立ては?
「 …… じゃあ後ろにいる奴か。操舵手、右舷キャタピラ正転左舷逆転。定置旋回で180度回頭」
補機として使用される両舷の電磁キャタピラがゆっくりと動き出して艦が定位置旋回を始める、軸線を確認しながらぴったりと正逆回頭を終えた事を確認した浦上が突然とんでもない命令を下した。
「全員着座の上安全装備確認、スーパーキャビテーション準備。針路098、艦首キャビテーター形成開始」
あまりの事にギョッとして浦上へと視線を向ける駒城。「復唱はどうした駒城二佐、ただちに発令」
穏やかではあるが上官らしい強い口調に我に返った彼はすぐに艦内電話を取り上げて浦上からの命令を全員へと取り次ぐ、だがその先陣を切らんとする操舵手だけはおずおずとした口調ですぐそばに控える彼に尋ねた。「あの、中将 …… 意見、具申といいますか素朴な質問なんですがよろしいでしょうか? 」
「いいぞ、許可する」
「完全静止の状態から主機全開で走ったとしても敵の浸食魚雷を振りきる速度に辿りつくにはロケットモータを使わなきゃ、だめですよね? 」
「だめだなぁ」とぼける浦上がほんのり笑う。「か、仮にヒュウガさんがクラインフィールドを展開して魚雷から護ってくれるとして、その状態でスーパーキャビテーションは使えるのでしょうか? 」
「やってみなきゃだけど多分だめだと思うわぁ」浦上の後ろで副長席に腰をかけた彼女がベルトを締めながらにっこりと笑う。「あっ、あのっ! それでは ―― 」
「意見具申はそこまでだ高瀬二尉、中将の命令を復唱してただちに準備に取り掛かれ。これは命令だ」厳しい口調で駒城に咎められた操舵手は慌てて始動の手順を取る、が何かに思い当たった彼の手が止まった。
「中将、もう一度お伺いします。針路は、あの ―― 」
「針路098.本艦の前方真っすぐに針路をとれ」「えっ、あっそれって」
「往生際が悪いぞ高瀬っ、もう諦めて中将の言うとおりに船を動かせ ―― なあに」そう言うと意図が分からずに怯えて振り向く操舵手に向かって駒城が不器用なウインクを返した。
「死なばもろともって、な」
舵が折り畳まれて葉巻型へと姿を変える白鯨Ⅲのキャタピラが止まるや否や主機に火が入った事を示す乱流が水底をかき回す、ロケットスタートの様に勢いよく飛び出した艦首の溝から液体炭素が噴き出してあっという間に前縁部に張り付く。
「現在30ノット、ベータとの相対距離600メートル。キャビテータ形勢確認」硬質化した炭素ポリマーが徐々に泡を生み出し始めた事がモニターへと表示される。「機関出力マキシマム、速度40ノット。距離400、キャビテータLv1に変性 ―― あのッ! 」
「舵そのまま」浦上の手が高瀬の肩をしっかりと握る。「っ ―― 速力48ノット、Lv2への変性終了っ! バブル発生60%速度上がりますっ! 」「アルファから推進音、雷数2 ―― ベータからも鮫二本来ますっ! 」真瑠璃の悲鳴にも一切動じない浦上とヒュウガがじっと航法モニターの光点を見つめている。「速度52ノットっ! バブル発生70%魚雷正面二本直撃コースっ! 」
「全員耐ショック、衝撃に備え」「クラインフィールド展開」まるで演習中でもあるかのように冷静な二人の声が艦橋に響くと真瑠璃はヘッドフォンをむしり取り、身を硬くしてその瞬間に備えた。
バブルネットの中で瞬時に形成された金色のベールはまるで白鯨Ⅲの輪郭をなぞるように船体を覆って、正面から向かってきた二本の浸食魚雷を綺麗に弾き飛ばして追尾機能を破壊する。なおも形態を維持し続けるエナジーフィールドは前縁部に形成された炭素ポリマーの強度を補う形で一体化し、鋭い穂先となってアルバコアの艦首中央部へと突き刺さった。
潜水艦といえども霧の船のクラインフィールドは堅牢を誇り人類側の通常兵装ごとき破壊力では毛傷の一つもつく事はない、だが今回はその過信が仇となった。大戦艦級のクラインフィールドと高硬質の炭素ポリマーのコラボは障子紙でも破るかのようにいともあっさりとアルバコアのそれを貫通して尖った先端を更に奥へと潜り込ませ、加えて潜水艦としては破格の排水量と速度がその破壊力を後押ししてナノマテリアルの船体を上下に切り裂く。古代ギリシャ時代に海戦の主流として盛んに行われた
切り捨て御免で残心すらなく残骸へと背を向けるその背中を爆縮の後に破裂する重力子エンジンの断末魔が照らし出す、全ての探査機器が感度を失ったその状態から浦上が矢継ぎ早に命令を下した。「後部一番二番ADCAP装填、アルファの音紋を入力後にベータの撃破地点に向けて射出」
僚艦の姿どころか周囲の状況まで見失ったダーターが何かに縋るようにそこへと近付く、居場所を探して闇雲に放たれるアクティブの音色が真瑠璃には母親を呼ぶ子供の泣き声に聞こえた。
「 …… 惨いな」「 ―― ええ」
沈痛な表情で言葉を交わす浦上とヒュウガの呟きを裏付けるかのように突然船体を揺るがす衝撃波が起こり、二本の長魚雷が敵に命中した事を示すアンサーバックが航法モニター上で点滅した。「 …… アルファ、ロスト ―― すごい、こんな一瞬で二隻も霧の船を」
真瑠璃が絶句するのも無理はない、彼女が乗った船の中で最も優れていると信じてやまない401でさえもこれほど鮮やかに敵を沈めた記憶がないからだ。勝った事に喜ぶよりもむしろ唖然とした空気が漂う艦橋で浦上は帽子をきちんと被り直した。「 …… もし彼女達が自分の意志で潜水艦として戦いを挑んできたのならこんな事にはならなかっただろう、水上艦に無理やり操られてただの足止めと情報収集に使われた捨て駒 ―― 外道が」
「水上艦、ですか? 」「外道の正体だ、そうじゃなきゃあそこでアクティブなんて打たんだろう。水上艦でしかも対潜戦闘の経験が少ない奴だから相手の位置が知りたくて堪らずにああいう事をする」
苦虫を噛み潰して憤る浦上の姿なんていつ以来だろうかと考えながら、それでもあの一回のアクティブでそこまで相手の正体へと踏み込む彼の観察眼に思わず恐れ入る駒城。それと。「それにしてもキャビテーターにクラインフィールドを重ねるなんて発想どこから出たんだ? スーパーキャビテーション状態じゃ出来ないんじゃなかったっけ? 」
「ロケットモータに点火されちゃえば多分無理だったけどあれくらいの速度ならなんとかなるとは思ってた、規定の速度を越えても浦上が何も言わなかったから、あーそういう事かって」さばさばと答えるヒュウガだったが途端に周囲から注がれる視線に思わず辺りを見回す。「 …… なに? あたしなんか変な事言った? 」
「え、えっとちょっと一つ聞きたいんだけど ―― 今回の作戦って前もって二人で打ち合わせていたとかって? 」
「はあ? ないわよそんなの。ただ浦上がちょっと手伝えってあたしに言うから。なんでそんな当たり前の事聞くの? 」
いやそういう事じゃなくってとざわつく空気に話の中心である浦上とヒュウガが不審の目を向け始めたその時真瑠璃が言った。「中将、お話し中申し訳ありません。パッシブ探知範囲境界線でキャビテーション」
突然の事態急変に艦橋の空気が一変する。役目を終えた浦上が駒城に合図をするとすぐにヒュウガと共に海図室へと戻り、艦の指揮を受け取った駒城はすぐに真瑠璃に尋ねた。「敵か? 」
「いえ、どうも境界付近を迷走してるみたいで ―― あ」ふと何かに思い当たった彼女はすぐに周波周を切り替えて微かに聞こえる音に耳を澄ませる。「 …… やっぱり。18式長魚雷です、多分最初に放った二本のうちのどちらかです」
「慌てて有線ぶった切ったヤツか、敵の姿見失ってこんな所で迷子になっているとは …… 水雷長、ただちに自爆信号。これだけ離れてれば爆発してもこっちの位置は悟られない ―― 」
「いや待て」そう言って駒城の命令を遮ったのは海図室にいる浦上だった。「水雷長、その魚雷の回収はできそうか? 」
「回収、ですか? はい、それは演習モードに切り替えてコマンドを送れば可能ですが」
「音響画像解析モードで放ったのなら道中の映像がデータとして記録されている、万が一にも何かが映っているかも知れんからな …… 駒城すまん、世話をかけるが頼む」
「なにをおっしゃいますやら。中将がいなかったら今頃霧にタコ殴りに遭ってたかもしれませんからね、それくらいはお安いご用です ―― 水雷長、ただちに回収の段取り。迷子の手を引いてやれ …… それにしても」
恥ずかしそうに笑いながら頭をかいた駒城はいきなり真顔になって右手を掲げた。それに倣って艦橋要員全員が立ち上がって浦上へと敬礼を捧げる、突然の事に面喰らった彼は目を丸くしてうろたえた。「お、おいおいどうした駒城、それにみんなまで ―― 」
「此度の戦闘、誠にお見事でした。中将の技量をいかんなく拝見させていただくとともに愚官の技量の至らぬ事、この場に置いて陳謝いたします。今後はより一層の研鑽を重ねて必ずや中将がご安心召される艦長及び海軍水兵へと邁進する所存でありますので今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします! 」
「なにを大仰な」いつもとは違うその態度に照れ笑いを浮かべる浦上とその後ろで嬉しそうにパチパチと手を叩くヒュウガ。「お前のその心掛けこそよし、と言いたい所だが俺に言わせりゃ何を今さらだ。お前たちの技量はとっくの昔に一人前以上だし俺には何の不安もない、ただ
「中将」弾む様な声で呼びかけた真瑠璃へと顔を向ける浦上、彼女はヘッドフォンを首からぶら下げたまま敬礼を解かずににっこりと笑った。
「そういうのをあたしたちはロートルとは言わずに『ベテラン』って呼ぶんですよ? 」