蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
イオナとミチシオ達が概念伝達で繋がっている間にも事態は進行している、海上からの攻撃密度が薄まったとはいえ未だに爆雷は正確に投射が続けられてアッシュビルやサンタフェがいる海域は泡だらけだ。だが霧らしからぬ調定深度の甘さが未だに決定打を与えられずにいる、その事を群像達はある経験からよく理解していた。
「今から考えりゃあシグレって恐ろしく強い
「気を抜くな杏平、霧の船の能力はこんなモンじゃない。だがイオナが彼女たちの気を概念伝達で逸らしている今がチャンスだ、今のうちに3と4を連れて白鯨Ⅲと合流するぞ」
* * *
フラッシュバックでイオナの脳裏に蘇る過去のあの忌まわしい。
メンタルモデルという姿を経て。
人類の言葉を覚え。
自分達に無い価値観を持つ一人の人間と出会い。
そして自分達の間では思いもよらない同胞殺しを目の当たりにして。
彼と交わした約束を胸に心の底から湧きあがる復讐の焔を無理やり封じ込め。
だがそれが叶わなかった妹の激情を私は押さえる事ができなかった ―― いえ。
―― 押さえたくなかった、のか?
なら、私は、どうして ――
* * *
「艦長、このままでは手詰まりです。イオナさんはまだ戻っては来ませんか? 」艦内外の状況をモニターしている僧がキーボードを弾きながら彼女の手を握ったままの群像に尋ねた。握った掌に伝わる力を確かめながら彼は戦況図から目を話さない。「イオナからの反応は確かだ、どうやら自分の概念伝達の領域にいる。だがまだ分からない」
「3と4が本艦に接近、深度400のまま12時方向! 」少しづつ回復しつつある海の中からわずかなキャビテーションを捉えて静が叫ぶ、だがそれは海上にいる三隻も同じだ。続けて聞こえるいくつもの着水音は彼女を心底震え上がらせる。「着水音直上っ、数不明 ―― タナトニウム反応っ! 」
「3と4は左右に散開っ、杏平上面防御! 当たりそうなヤツだけでいいっ! 」「VLS、LWTーATTっローンチ三発っ! 」跳ね上がったままの艦首ハッチから飛び出す短魚雷が猛スピードで海面を目指して爆雷の雨へと突撃する、境界面寸前で破裂した弾頭は内部からクラスター状の鉄片を周囲へとまき散らすと401の頭上目がけて降りてきた爆雷のほとんどをあっという間に掃除した。連鎖爆発によって再び見えなくなる外の様子を知るために外したヘッドフォンを再び耳に当てる静の表情は険しくなる。
「群像ヤベえぞ、そろそろ迎撃弾が残り少ねえ。いつまでもこのまンま受け身じゃ凌ぎ切れねえぞっ」「わかってる ―― くそっ、こんなに艦隊行動が難しいとは」
連れていくとは言ったものの頭の中で考えているほど簡単ではない事を骨身にしみる、考えてみれば今まで群像は複数艦で作戦行動を起こした事がない。唯一401を攻撃した400と402を迎撃するためにヒュウガとハルナが操るアクティブデコイと行った事はあるがそれはあくまでメンタルモデルの意志疎通が可能だったからできたことで、今回のように全く共通点のない相手と共闘する事がこれほど困難を極めるとは思いもよらなかった。
もしここにせめて白鯨Ⅲがいたなら ―― とたらればに縋りそうになる弱気を奥歯で噛み殺して群像は必死に状況の打開を模索する、各艦それぞれに分かれて陽動をかけながら相対を一つに絞って雌雄を決する ―― だが自分達はともかく後の二艦にとってそれは途轍もなく荷が重い。三対三とはいえ旧式で霧と渡り合えるはずがなく、もし均衡が崩れればその攻撃を一手に背負う生き残りも危うい。
何か、何か手はないのかと必死で考えを巡らす、だが今の彼には圧倒的に全てのものが足りていない。
内なる声との葛藤で言葉を失うイオナだが苛まれる罪の意識から気が逸れたのは401に残して来た航法制御の演算機能のおかげだった。海中を常時走査する探査領域に引っかかる今までにない違和感、それが新たな存在の出現だと分かったのは目の前で勝ち誇った笑みを浮かべている三人も同じだ。
「 …… なに、これ? 誰か潜水艦かなんか呼んだ? 」「いや、俺はなんもしてないけど ―― ヤマグモ、お前ここの担当だろ? 」怪訝な表情で隣に立つ少女へと言葉を向けるアサグモだが小首を傾げて困った顔をする彼女を見て状況の変化を感じ取る。「 …… どうやら俺たちじゃねえようだな ―― 誰だ、まさか主か? 」
「いえ、違うわ。彼女はまだ完璧じゃない」言い放った途端に席をガタンと立って対面に座ったまま事態の把握に努めるイオナを睨みつけるミチシオが悔しそうに言った。「まだあなたに言いたい事は山ほどあるんだけどどうやら時間切れだわ、残念だけど」
その目に灯る何がしかの異様な焔をイオナは忘れられない、いや。
忘れてはいけないのだろうと思った。
「これだけは覚えておいて。 私たちは絶対にあなた達が描こうとする未来も幸せも絶対に認めないし許さない、人類に裏切られて虐げられた水底に眠る恨みの魂が必ずあなた達を討ち滅ぼす …… じゃあね」踵を返してフォリーの階段へと歩み出すミチシオを先頭に二人が後に続く、その去り際に最後尾のヤマグモが肩越しに振り返った。
「せいぜい今のうちに仲間たちとの別れを惜しんでおく事をお勧めしますわ …… すぐにあなたの周りからはみんないなくなっちゃうんですからぁ」
パン、と何かが弾ける音がしたかと思うと彼女の視界はいつもの景色を映す。
戦闘照明に切り替わったままの薄暗い室内に三次元投影された戦況図と海中レーダー、クルー同士で飛び交う会話の中へと舞い戻ったイオナの意識はすぐに彼女の左の掌へと伝わるその温もりに気づいた。去り際に告げた彼女の言葉に絆されたのだろうか、思わず握りしめた瞬間に指揮を執る群像が彼女を見上げた。「! イオナっ、大丈夫かっ!? 」
「群像」ほっとしたように呟いた彼女が彼の手を握ったままセンターコンソールへと座り込む。「状況」
「アッシュビルとサンタフェは今の所健在だが爆雷攻撃で徐々に分断されつつある、こちら側からなんとか合流しようとはしてるんだが ―― 」
「海中をかき回して探知能力が下がった隙に海上の三艦が個別に短魚雷で攻撃してきます、今の所はカウンターが何とか効力を発揮してますがこのままじゃジリ貧です」
群像と静が言葉を継いで戦況を説明するが彼女は一つ頷いただけでじっと海中レーダーへと目線を向けたままじっとしている、瞳だけをキョロキョロと動かして何かを探していたイオナが突然呟いた。
「 …… いた」
「いたっ、ってなんだ? 何がいるんだ?」彼女の呟きを聞いた静が慌てて周波数を変えながらその変化を探し求めるが現状探査状況の低下したこの海域から音だけで何かを探す事は困難だ、せめて指向性のパッシブを使えば何とかなるかもと静がイオナへと振り向いた。「イオナちゃん、どっちっ? 」
「左舷8時方向距離2800。多分レンドバからラッセル島を抜ける南周りで海峡に進入した船がいる ―― 静、そっち目がけてアクティブ打ってみて」
「ええっ? そんなことしたらこっちの位置が完全にばれちゃいますよ? 」イオナの提案は水上艦と対戦闘を行っている潜水艦にとって無謀の極みとも言える。敵の攻撃が曖昧なのは海中が騒がしいからでそんな状況から大声をあげれば正確に位置を特定した三隻からの攻撃は間違いなく当たる。「いい、その辺はあたしがなんとかする。構わないから打ってみて」
「わかりました、じゃあ長波形で一発だけ打ちますけど後の事はお願いしますね? ―― いいですね、艦長? 」「イオナが言うんだ、構わない ―― 8時方向距離2800っ、ピン打てっ! 海上監視怠るな、密にっ! 」
隠密こそが敵より戦況を優位に進める唯一の強みである潜水艦から放たれた一発のアクティブはその戦闘海域でひしめき合う全ての艦船を凍りつかせる、同じ現象で敵潜水艦の素状を喝破した浦上にいたっては「何やってんだ群像ド素人じゃあるまいし」などと悪態をつかなければ気が済まないほどの愚行だ。いささか気休めの感はあるがそれでも出来るだけ静粛を保って少しでも事態の変化を掴もうとする401のクルーは凍りついたように緊張しながら、全部の感覚を研ぎ澄ませた。
「 “ あっちゃあ、さすがは401。隠れて見ているのがばれちゃいましたか ” 」
言葉とは裏腹に全く悪びれる様子もなく、無線を通してスピーカーから流れてくる女性のロシア語に耳にした全員が驚いて混乱する。だがすぐに答えを返したのは白鯨Ⅲの浦上だった。「 “ まさか …… ノンナ? ノンナ・パヴロヴナ中佐? ” 」
その声と同時に静がいきなり声を上げた。「艦長、アクティブの先でキャビテーションっ! 音紋K-561、カザンですっ! 」
ロシア海軍ヤーセン級二番艦、K-561カザンは一番艦セヴェロドヴィンスク就役から約16年もの後に実戦配備されたいわくつきの船である。ソビエト連邦の崩壊により一時は凍結された攻撃型原潜開発計画を当時の大統領であるウラジーミル・プーチンによって再開されたのが2000年、その後も資金難や科学技術の進歩による兵装再設計など多くの困難を乗り越えて生み出されたこの船は以降最終就役となったルスランの駆るウラジオストクに至るまで全てのヤーセン級の始祖となった。いわゆる真の一番艦である。
「 “ お久しぶりです千早群像艦長。それに浦上中将、先ほどの攻撃はお見事でした ” 」「 “ 褒めて頂いて誠に光栄だがどうして君がここに? ” 」
困惑が隠せない浦上の声にノンナの声が一瞬ためらい、しかしすぐに軍人らしく覚悟を決めて言った。「 “ 隠していた事は誠に申し訳ございません、ヴァルマ少将から例の楊中将の件を連絡頂いた時にご相談すべきではあったのですが我がロシア国としては他の国と協調路線を選ぶかどうかがまだ不透明な時期。しかもルスランは米大統領とのホットラインを繋ぐ交渉についていた時でどうしても手が離せませんでした ” 」
「それではパヴロヴナ中佐がここに来たというのは全くの独断という事なのですか? 」慌てた群像が思わず二人の会話に口を挟んだ、それがもし事実なら彼女は国家の方針に著しく逆らったという大きな罪で即刻軍法会議にかけられる。だがノンナはあっけらかんとした口調で群像の危惧を一蹴した。
「 “ その点はご心配なく。ちゃんと友好国海軍少将からの依頼という名目で当極東艦隊が正式に受理してあります。ただ今の所手の空いているのが私の船しかなかったのでルスランの命令で私がここに赴いたという事で ” 」
またよくもいけしゃあしゃあと、というのが彼女の答弁を聞いた浦上の感想だ。
K-561カザンとノンナ・パヴロヴナ中佐と言えば極東潜水艦艦隊通称『北のライオン』の紛れもない二番艦、ルスランを指揮官とするなら彼女は作戦参謀並びにその他庶務雑務の一切を担う万屋だ。ルスランの手が離せないというのならば今の艦隊で最も多忙なのが彼女のはずなのだ。
それに。「しかしクルーのご婦人がたには大変なご負担だろう? 子供さんの面倒も見なきゃならないのにこんな長旅押し付けられて。ロシア国内の婦人団体が聞いたら顔を真っ赤にしてウラジオストクに押し寄せるんじゃないか? 」
「 “ 拙官ばかりではなく乗組員にまでお気遣い頂き本当にありがとうございます、御懸念の子供たちですがウラジオストクに居残り組の乗組員が面倒をみてくれているので心配はありませんし皆リムパック以来の外洋航海でウキウキしながらこの任務に臨んでおります。それに一旦事が始まれば私たちはとるものもとりあえず全員が乗り込む約束です ――
女性ばかりの乗組員と洋上航行時にメインマストに掲げられる鍋とスプーン、それが他の艦船にはないこの船唯一の特徴でもある。クルーの中に上下関係はなく全てが平等に扱われ、共に戦い共に死ぬ ―― 戦鍋旗とはその心意気を自ら表す象徴であり、全員が同じ鍋から食事をする事から古くは14世紀後半から始まった旗印である。
「 “ さて、長々と旧交を温めている訳には参りませんね。どうやら上の三隻もこちらの存在に気づいた様です ―― 千早艦長 ” 」
作業服の両袖を二の腕にまで捲り上げて操舵士の後ろに立つノンナは他の乗務員と共に不敵な笑みを浮かべながらマイクのスイッチを入れた。
「もしよろしければ微力ではありますが本艦もこの海域からの脱出をお手伝いしたいと思いますが、いかがでしょう? 」ノンナの声の傍らでカザンの艦橋はすでに臨戦態勢へと移行していた。ソナー手は絶えずヘッドホンのスピーカーから溢れだす雑多なノイズを特異とも言える優れた聴力でより分けながらハンドサインで指示を送り、火器担当はすでに何らかの数値を各兵装へと流し込んでいる。
「 “ この状況下で中佐の申し出を断れるほど自分はうぬぼれてもいませんし強情を張るつもりもありません、多分駒城二佐や浦上さんも同じだと思いますが ” 」
「 “ 群像に言われるまでもありません、こちらこそぜひともお願いします。ですが ―― ” 」「フォーメーションですね? 」
駒城の危惧を先に察知したノンナが言った。「確かに私たちは蒼き艦隊とも米海軍とも ―― ましてや他の国のどの船とも共同作戦をした事がありません。ですから歩調を合わせられるかどうか心配なのはお互いが持つ疑問だと思います、ですから」
「 “ ですから? ” 」それは敵に追い詰められつつあるアッシュビルの艦長の声だった。誇り高き米海軍としてはここで他国の ―― しかも相手は大昔から世界の主導権をとり合うあのロシア ―― 力を押しつけられて命を長らえる事など考えられない、それならばいっその事と思って囮役を買って出た方がマシだとも思っていた。だが大勢の乗組員の命を預かる者として、たとえ一縷でも生き残る望みがあるというのなら自分の誇りや矜持などくだらない物だ。
ましてそれを申し出る相手があの伝説の『北のライオン』の二番艦だと聞けば。
「 ―― 現時刻を持って全艦、私の指揮下に入って頂きます」
対潜戦闘下という状況も忘れてざわついたのはアッシュビルとサンタフェの乗組員だった、双方の艦長がすぐに機転を利かせて強い警告を発しなければその喧騒はソナーを通じて海上にまで届いていたかもしれない。スピーカーを通じてその様子を耳にしていたノンナはヤレヤレとため息をついた後にニヤリと笑った。
「特にロサンゼルス級の二艦は私の傍から離れないように ―― 大丈夫、私の指示通りに動いて頂ければ必ずみんな生きてグアムに帰れますから」
相対するは霧のメンタルモデル三人、駆逐艦とはいえどもその能力は現用の艦船を遥かに凌駕する火力を持っている。現に401とあの戦いを生き残った貴重な米海軍の潜水艦二隻が手もなく封じ込められた状況はその事を如実に証明している。
それをまるで事もなげに出来ると言ってのける彼女の胆力に群像は驚き。「はー言うねえあの女艦長さん、あの熊みたいな中将さんだけが強いのかと思ってたけどそんなんじゃなかったって? 」
「杏平、それは相手を侮りすぎという物です。『北のライオン』の本当の恐ろしさやルスラン中将が評価される理由は通常兵装しか持たない状態で霧を追いかけ回した事じゃなく、配下の四隻が『誰一人』欠けていないという事です。うちの艦長もそうですが敵に勝つ事と同時に味方を無事に国へと帰すという成果も責務を追う者として十分に評価される事なんですよ」
「つまりは旗下の全員がそれぞれに強い。だから彼女がそういうのならばそれはそういう事だと思う」群像はそう言うとマイクを取り上げた。
「パヴロヴナ中佐、貴官からの提案了解しました。これより蒼き艦隊旗艦401は調査派遣艦隊の命運を『ライオン2』に委ねます ―― ブルー1から全艦に通達、以降の指揮権はロシア極東艦隊ノンナ・パヴロヴナ中佐へと委譲。現時刻より全艦『ライオン2』へ指揮局を変更、繰り返す ―― 」
この少年がルスランという巨人をいつか越えると信じる一瞬。
それはノンナだけではなく群像の言葉を聞いたカザンの乗組員全員がそう思った。考えてみれば誰が彼と言葉を交わしただろう、誰が一緒に戦っただろう。爪の先ほどの接点しか持たない彼が一方的にこちらの全幅の信頼を寄せて当たり前のように指揮権を預ける、そんな事が出来るのはよっぽどの怖いもの知らずか無能だ。
だがその他にそれができる人種がもう一つ存在する。
“ 閣下、やはりあの少年はあなたの見立て通り。自らの航路を『拓く』者でした ”
ルスラン・シモノフが世界中の船乗りの中でただ一人認めた千早翔像という男、彼は少数精鋭で北極海へと進入して総旗艦との会見を果たした唯一の人類だ。周りに流されずに自らの信念に基づいて、いかなる手段を用いてもその目標に向かって突き進むというポリシーと付随する思考を巡らせる者だけが有する類稀なるその力。残念ながら彼はその志半ばで予期せぬ仲間の裏切り ―― 彼がもっと人という物に興味を持っていたのならそんな事にはならなかったのだろう ―― によって落命したが、彼の魂はその血脈として唯一残る千早群像という少年に色濃く残されているはずだ。
そうでなければどうして彼を多くの霧が認めたりするものか。
リムパックの帰途上で聞いたルスランの言葉を思い返しながらノンナが心の底から溢れる思いで嬉しそうに笑い、艦橋の全員が思わず全身を震わせて緊張する。彼女がこの仕草をする時は決まって興が乗ってくるとき、そしてそれは苛烈な命令を下す時に限られていたからだ。
あのリムパックでドイツ艦隊と戦った時のような。
「ありがとうございますブルー1、では謹んでその大役を我が艦隊司令ルスラン・シモノフになり替わりまして受領させていただきます ―― ライオン2から全艦、傾聴っ」
口調の変わったノンナの声がスピーカーから流れてくるとそれだけで空気が張り詰めるのが分かる。へえ、と感心してほんの少し顎を上げるヒュウガと略帽の庇で表情を隠すように頷く浦上。「 “ 先ほども申しあげました通りブルー3と4はライオン2の左右に展開、ブルー1と2は出来るだけターゲットを挟んで反対側に位置取りして私の合図と共に20ノットで時計回りに旋回してください ” 」
「 “ ブルー4了解、ですが ―― ” 」
サンタフェの艦長がアッシュビルの彼と比較してほんの少し経験が少ないであろう事を浦上は船の動きから分かっていた、経験の浅い彼が『そういう』不安を持ってしまう事はしょうがない事だと浦上は思う。「 “ 私たちは貴国の極東艦隊のように真っ正面から霧の船と相対した事も追い払った事も、ましてや沈めた事なんて。そんな我々があなたの指示に従ってうまく動けるかどうか ” 」
彼の艦長が襲われているであろう不安を鑑みてふんふんと頷くヒュウガと浦上、恐らく彼女がやろうとしている戦術はリムパックの詳報にも記載されていない ―― いわゆる『群狼戦術』の亜種だ。第二次大戦中にドイツ軍の潜水艦隊が通商破壊行動のために編み出されたその戦法は以降様々な国で独特の解釈と研究に基づいて改良運用されてきたという歴史がある、以降西側では情報共有の観点から開示されてきた戦い方だがそれは霧との戦いでは一切通用しなかった。唯一通用したのは今だ秘密のベールに包まれているロシア海軍のそれだけだ。
「 “ 私たちは急造の艦隊です、極東艦隊のように阿吽の呼吸では出来ない ―― ” 」「 “ ブルー4、貴官は ” 」
流暢な英語でスピーカーから流れてくるノンナの声に彼は思わずその先の言葉を呑みこんでしまった。「 “ ―― ライオンの狩り、という物をご存知ですか? ” 」
「い、いいえ」戸惑いながらなんとか言葉を返す彼に優しい口調のノンナが言った。「 “ 貴官のお気持ちもご不安もよくわかります。元々私どもがそちらと歩調を合わせられないかも知れないからと申し出たこの提案、戸惑われるかも知れませんが指揮を任されたからと言ってこのカザンが最後尾に下がる事はありません。むしろ先頭に立ってあの霧の駆逐艦にひと泡吹かせて見せましょう。なぜならライオンの狩りとは ―― ” 」
パチンと音を立ててカザンの艦橋が赤く染まる、戦闘照明へと切り替わった部屋の中央で瞳を爛々と輝かせたノンナは肉食獣のそれを思わせるような凄絶な笑みを浮かべた。
「 ―― 雌がやるものなんですよ」
* * *
左手に北マリアナ諸島の中間に位置するパガン島の島影を確認しながらタカオとシグレはグアム島への進路をひた走る、磯子に天翔を送り届けたその足で彼女たちは急いで横須賀へと立ち寄って各部の点検を終えた後に半日もたたずに要塞のゲートを飛び出したのだ。
「 “ 天翔に浸食弾頭置いといてよかったわぁ、横須賀で準備してたらあと半日は足止めだったもんね ” 」巡航最速で先頭を走るタカオが後続のシグレに声をかける、模擬弾との積み替えを要塞乾ドックで予定していた二艦だが一刻も早く先発に合流したいと焦るタカオを見かねた島が急遽保管してあった彼女たちの浸食弾頭を艦内ドックを使って補給したのだった。一度に二艦の弾薬補給を航行中に行うという離れ業に二人は危惧したが、彼らがどの海軍基地よりも最速であるという自信を裏付けるようにその作業は驚くべきスピードで終了した。
「そうですね …… でもそのおかげで横須賀での点検がおざなりになっちゃたんですけどヒュウガさん、怒んないですかね? 」こわごわと尋ねるシグレにとってタカオは教官でヒュウガはその上位に位置する先生に当たる、いかにも生真面目に序列を気にする彼女に向かってタカオはどこ吹く風と笑い飛ばした。
「 “ なーに言ってンの。船なんてさぁ動いて曲がりゃあそれでよし、細かい事なんて気にしない ” 」随分とアバウトな言葉に通信の向こうで絶句するシグレだが数々の武勲を挙げたその実力は今までの演習の勝敗が物語っている、もしかしたらそのこだわらない姿勢に彼女の強さが隠れているのかもしれないとシグレは背筋を伸ばした。
「 “ それよりこの速さならあと半日もあればグアムに到着するわ、今のところ何にも連絡はないけど一旦アプラに入港してから例の海域の想定境界線に進出する。それほど時間はないから今のうちに艦内状況を全部チェックしておきなさい ” 」
「了解で ―― 」
突然目の前にぽっかりと空いた黒い穴、声を挙げる暇すらなくただ見つめる。
それが何なのか。
どういう物であるのかシグレはずっと前から知っているような気がする。
世界が消え失せ。
闇が渦巻くその光景。
そのずっと向こうから聞こえる、自分の名を呼ぶ。
―― 声、聲。
後方で高まった重力子エンジンの咆哮と近寄る気配にタカオが思わず顔を向けると右舷側の至近距離を波を蹴立てて狂ったように細身の船体が顔を出す、何が起こったのかと呆気にとられるその眼前をシグレは最大戦速で駆け抜けて波飛沫の中へと消えていく。はっと我に返ったタカオは慌てて通信を開いた。
「シグレっ、シグレっ! どうしたの、何があったのか速やかに報告しなさいっ! 」
自分の方が遥かに出力が高く速度で駆逐艦に劣るとは思えない、だが追い縋ろうとする自分との距離は一向に縮まらない。「シグレっ、シグレっ!? 一体どうしたの、あんたこのまんまグアムに行くつもりなのっ!? 」
いくらなんでもこんなフルバーストがいつまでも続く訳がない、そんな事をしたらレイサン島の401の二の舞だと焦るタカオの耳に熱に浮かされたようなシグレの声が囁いた。
「 “ …… いかな、きゃ ” 」