蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
深度200・艦速20ノット。
海上の三隻を中心に置いての半径500メートルの定円旋回はまるでシャチの狩りを彷彿とさせる、だが獲物の位置に置かれたミチシオ達に焦りの色は全くなかった。元々は見つかってしまえばその優位性も脅威も半減する立場の潜水艦ごときが策を弄したところでいかなる効果があるというのか?
「何かの遊びか、それとも時間稼ぎのつもりなのか。ま、どっちにしても無駄なんだけどね」上甲板のハッチを開いたミチシオが装填された浸食弾頭を横目で見ながら呟くと火器管制のウインドウが彼女の周囲に立ち上がった。機関を回して走り続ける船を見つけるのにもうソナーなど必要ない、音響探知と海中レーダーが指し示す光点と刻々と変わる数値を追いかける彼女の顔に嘲りが広がる。
「爆雷の投射半径外ギリギリというのがいかにも何かを狙ってる感じですね …… こちらの攻撃手段を浸食弾頭だけに絞っている意図は分かりますが」
「へっ、だからどうだって? ミチシオ、貴重な弾なんて使うこたぁねえぜ。この俺様が ―― 」
ヤマグモの杞憂を笑い飛ばしたアサグモの機関がいきなりミリタリーまでゲインして船体を揺らした。まるで高速艇のような加速で波飛沫を蹴立てた細身のシルエットが二人の間から顔を出す。
「まとめて全部主の晩ご飯にしてやるぜっ、間違って401殺っても恨むんじゃねえぜっ! 」
* * *
今置かれている状況と。
撃沈されて深海へと沈んでいくのとどっちが楽なのだろうとアッシュビルを預かるアダムスは思った。操舵士の正面に置かれた航法モニターのGメーターはすでに左側で振り切れ、ギシギシとなる船体と共に艦橋の至る所でアラートが鳴り響いている。いつ舵が効かなくなるどころか船体が真っ二つになるかもしれない状況に置かれながらそれでも先頭を走るカザンの勢いは衰えない。
「くそっ、誰だロシアの潜水艦が性能で劣るなんて言い出した野郎はっ! もし生きて帰れたンなら俺は真っ先に分析センターに怒鳴り込んでやるっ! 」海図盤の端を握りしめて必死で横Gに耐えるアダムスが毒づいた時、彼の焦りを見透かしたようにノンナの声がスピーカーから流れてきた。
「 “ 旧式とはいえさすがは米軍の攻撃型、こちらの動きによくついて来ますね ” 」笑いをかみ殺した楽しげな口調に憤慨したアダムスが憎まれ口の一つも叩いてやろうと思わず口を開き、その後の声を押しとどめる。彼女の声を彩る背景で流れるけたたましいアラートの叫びは自分の船の比ではない。
「大丈夫かイオナ? 」シートに体を預けた群像が隣のイオナに尋ねると彼女はじっと戦況予想図に視線を向けたまま、センターコンソールにぺたりと腰を落としたまま小さく頷いた。401や後続の白鯨Ⅲにとってこのくらいの速度は日常茶飯事のことであり、特に401に至っては重力子ダンパーの耐G効果によってクルーの体への負担は軽減されている。「大丈夫、多分白鯨Ⅲも。でも ―― 」
イオナが心配しているのは反対側を走る三艦の限界だ。いくら優秀な乗組員がいるとしても船体自体はすでに40年以上経過した霧との紛争以前の物だ、こんな機動を続けていれば早晩どこかが壊れるだろう。敵が動かないのは明け透けな陽動を続けるこちらの意図を探ってるからで、もしその均衡が破れれば間違いなく向こうの三艦は潰される。
「まさか向こうも手詰まりってこたぁねえよなあ? あれだけの啖呵切ったんだし」杏平が呟きながら各発射管に諸元を入力し始める、攻防あらゆる局面を想定しての兵装選びに余念がない。「一応こっちはこっちで単独戦闘の準備は済ませてンだけど ―― どうする群像? 」
「このまま待機だ」間髪いれずに答える群像の強い口調に全員が振り向いた。「何となく …… 何となくだがパヴロヴナ中佐の考えが分かったような気がする。俺にとっては仮説に過ぎなかったんだが彼女 ―― いやロシアの極東艦隊はそれに確証を見出しているんだと思う」
「仮説と …… 確証、ですか? 艦長」イオナを挟んだ向こう側にいる僧が手を止めて尋ねると群像はイオナ越しに険しい顔を向けた。
「霧の、弱点だ」
「ノンナっ、やっぱり敵の方が先に動いたぜっ! 」目を閉じて音を拾い集めていたソナー手がしてやったりと大声で状況の変化を報告するとノンナはすかさずマイクを取り上げてアッシュビルとサンタフェへと通信を繋いだ。「指揮局より二艦聞け、これより両舷半速緊急浮上。ルーフ到達前にVLS対艦ミサイル全弾発射、目標は船ではなく三艦のいる座標全面」
発令と共に水雷長と副長がコンソールのキーを同時に回して火器管制を立ち上げると一気にパネルのスイッチを跳ね上げた。「いけるよノンナっ! 」掛け声にニヤリと笑った彼女はじっとレーダーの中心で少し陣形を崩した三つの光点を見つめた。
「各艦、当たらなくても気にするな。まずは面で制圧して敵の演算速度を遅らせる ―― やるぞっ、
アサグモが動いた瞬間に水平線が盛り上がって三つの巨大なうねりが一斉に水柱を立ち上げる、鞘から飛び出した30本の対艦ミサイルは煙と炎を海面へと叩きつけながら上昇するとすぐに方向転換して加速をつけて下降した。助走距離が少ないために本来の速度が出なくても亜音速と重力を利用した効果速度は迎撃不能に余りある、その光景の一部始終を目撃した三人は果たして苦笑いを浮かべた。
「もっと変わったやり方でもあるのかと思ってたら結局はそれ? 全く ―― 」
ため息まじりで腰に手を当てた瞬間に回る演算サークル、張り巡らされたクラインフィールドが傘のように彼女たちの船体を覆う。「こんないつまでも進歩のない連中、早めに滅ぼしちゃった方がこの星のためなんじゃない? 」
境界面で炸裂する対艦ミサイルが炎と光と衝撃波を辺り一面に振りまいて空気と水が激しく振動する、深度20で航行していてもその凄まじさは伝わってくる。海上の状況をモニターする群像の下にノンナからの通信が飛び込んできたのはイオナが三艦の損害評価を算出しようとする寸前だった。「 “ ブルー1・2に発令。各三発、1は兵装を浸食魚雷に ” 」
「了解した。杏平一番二番三番、浸食魚雷っ。目標アサシオ型三艦 ―― 撃てっ! 」
「全艦急速潜航っ! 絶対に艦列を乱すなっ! 」ノンナの命令がほぼどなり声となって艦隊の隅々まで駆け巡る、ベント全開にしてバラストを満タンにして水の抵抗できしむ潜舵を渾身の力で押し込む操舵士の意志は巨大な船を見事に潜航へと導く事に成功した。彼女からの深度報告を耳にしながら座席の背もたれに手をついたノンナが矢継ぎ早に指示を出す。「各艦、損害報告っ! 」
「各部署、損害報告っ! 」ノンナからの声を受けてサンタフェの艦長がマイクに向かって怒鳴りあげると間髪をいれずに応答が帰ってくる。「 “ 電池室に若干の浸水個所っ、排水ポンプ作動します! ” 」「 “ 機関室、今のところ炉は正常ですが内部の温度がかなり上がってます。冷却が間にあっていません ” 」「 “ こちら上甲板機械室っ、VLSハッチ三基破損っ! 自動装填ができませんっ! ” 」
個性で声音の変化はありこそすれ上がってくる報告はどれも先が思いやられるものばかりだ、だがそれが戦闘のロシア艦も同じ目にあっているのだと思うと弱音などはいてはいられない。「炉心冷却の水量を増やせ、少しでも温度を下げて出力を確保っ! 上甲板機械室はすぐに次の弾頭をサイロに装填しろ、動かない奴は手動で押し込めっ! 」
「あらあらずいぶん騒がしい事」防御の傘を閉じた後に海中の様子をモニターしていたヤマグモがクスクスと笑った。「静粛性こそ唯一の武器である潜水艦が随分とまあ」
「せっかくきれいな景色に囲まれた海なのにこれじゃあ興ざめだ、何よりやかましいのは主が嫌がるしな …… ミチシオ、401は後回しにしてあのうるさい旧式の連中から先 ―― 」
「! 全員クラインフィールド展開っ、海中から魚雷六本っ! 」
血相の変わったミチシオの叫びに反射的に艦底部へと傘を展開する三艦、その全てが開き切る前に401と白鯨Ⅲから放たれた魚雷は次々にクラインフィールド表面を直撃した。船体からの距離の近さで爆発の衝撃は船体を大きく揺らし。
「! クラインフィールド臨界20%っ、くそっ401の浸食魚雷かっ!? 」
毒づくアサグモの声を聞いて自分への怒りに表情を歪めるミチシオ。考えなかった訳じゃない、自分達にとって最も脅威となる者は間違いなく401であり彼女の持つ浸食弾頭だ。だがなぜか一瞬そこに考えが至らなかった、どうして?
「あわてるなっ、奴らの兵装であたしたちに有効なのはそれだけだ! 全艦爆雷を最大到達距離で射出っ、敵の好きにやらせるなっ! 」心の底で蟠る疑問をそのままにミチシオの命が飛ぶと三艦の尾部から一斉に爆雷が最大投擲で発射されて潜水艦が辿る円弧の傍へと着水する、放出したどれかが一個でも爆発すれば連鎖誘爆する仕組みは広範囲の敵にダメージを与えられる。しかし。
「!? 爆雷が沈降ルートを逸れてこちらに接近っ? ミチシオ、まずいですっ」
ヤマグモのソナーで点滅する無数の光点は着水した場所から徐々に離れて自分達の方へと向かって来ている、全ての環境データをひっくり返してくまなくチェックをしたミチシオが見つけた変化は敵がこの効果を狙って周囲を旋回している理由を表示した。それだけで自分達の認識が甘かった事を思い知る。
「やるな人間っ、まさぁかそんな手を考えてたとは驚きだわっ ―― 全艦すぐに爆雷に自爆信号っ! 」「ど、どういう事だ自爆って ―― 」
「はやくっ! 早くしないとこっちが爆雷の連鎖爆発に巻き込まれる羽目になるっ! 」ミチシオの命令にただならぬ気配を感じた二人が慌てて自爆信号を送ると水面下で発生した数珠つなぎの炸裂が大きな水飛沫とともに海中を思いっきりかき混ぜた。ソナーが利かなくなる状況を自ら作り出してしまったミチシオから今までの余裕が消し飛ぶ。
「ソナーの感度最大っ、急げ! この状況を利用して奴らは探知範囲外にまで逃げるつもり ―― 」
「各艦効力射っ! VLS対艦ミサイル全弾射出っ! 」ノンナの号令と共に船体が大きく揺れて上甲板から吐き出されるセルが海面から高く舞い上がる。
耳に集中すれば目がおろそかになる。
全ての神経をソナーに向けた所で立ち上がった水柱は三人の誰もが想像しなかった事態、てっきりこの海域からの離脱を画策しているだろうと予測した彼女たちの裏を完全に欠いて放たれた全力射だ。撒き上がる噴煙とプログラムによる不自然極まりない放物線を描いた30発の対艦ミサイルは、今度は確実に標的目がけて降り注ぐ。慌てて張り巡らせたクラインフィールドによって辛うじて阻止されたそれらは一発で艦船一隻を確実に破壊できるだけの威力を境界面で炸裂させた。数の暴力に任せたその攻撃は一瞬で三隻の艦影を爆炎の中へと引き摺りこんで廻りの海に嵐を呼ぶ。
「くそおっ、なんなんだあいつらっ!? ほんとに人類のフネかっ、こっちがいいように弄ばれてやがるっ ―― このヤロいい気ンなりやがって、いつまでもナメてんじゃねえぞっ!? 」「! ダメです、ミチシオっ! 」
激昂して機関全開で一気に艦列を飛び出したアサグモの針路を遮るように覆いかぶさるヤマグモが叫ぶと途端に火器管制のアラートが絶叫する、接近する魚雷を感知したソナーから発せられた警報はあわやの所でクラインフィールドを艦底へと展開させて直接の被弾を防ぎ切った。だが一撃目よりも遥かに近距離で受け止めた事実は水上艦の三人に深刻な恐怖をもたらした。
「各艦損害はっ!? アサグモっ、大丈夫っ!? 」舷側で立ち上がる水柱が収まるのを待たずにミチシオの声が飛ぶ、水煙を透かした向こうにあるシルエットは健在だ。「俺は大丈夫だっ、でもヤマグモがっ! 」
「 …… なんとか直撃は避けましたけど ―― 爆発の衝撃で艦底部に亀裂、浸水個所を応急措置中。あと臨界が60%を越えました」
攻撃のやり方・タイミングや本数も同じ、しかし一回目と二回目とどうしてこうも損害が変わるのか。頭の中で映像を何回も繰り返して再生してみるが変わった所は爆雷が発破してからの自分達の対応だけ、いわば身から出た錆状態でどんどん窮地へと追い込まれている。
「ちくしょう、どうしてっ!? 変な潜水艦がたった一隻加わったくらいでどうしてこんなにあたしたちが不利になるのっ!? 」
* * *
「あたしたちの、弱点? 」
群像の答えにイオナは思わず呟いた。確かに自分達にはコアという全部を統御する部分がありそこを破壊されればいかなる大戦艦といえども砂の様に分解して消滅する、だがそれを物理的に破壊するためには大出力のエネルギーが必要であり実証されたのはヤマトが妹ムサシに放った至近距離での超重力砲撃しかない。でも、その攻撃でも ―― 。
「イオナ達のユニオンコアを構成しているのは量子プログラムだ、俺は専門じゃないからよくわからないけどヒュウガの話ではナノマテリアルでできた数千もの量子プロセッサが人の脳と同じようなネットワークを作ってプログラムを常時走らせているらしい。ユニオンコアの外郭はやはり素材構成の違うナノマテリアルが人類では壊せない硬度で内部を保護して、しかもプログラムはウィザード・ラムパートという全く外部から干渉を受けない特殊な防壁で囲まれている」
「うん」
「だが俺はヒュウガからその話を聞いた時ふと思ったんだ、外部からの攻撃に対しては極めて頑強なコアが量子プログラムの一番の弱点とされる熱と振動に晒されたら一体どうなるんだろうと」
思わずイオナの口があ、という形に開いて目が丸くなる。「402のユニオンコアを回収した時外殻のどこにも損傷はなかったのに内部のプログラムはかなり損傷していた、あの時は踏み込んで考える暇はなかったがもしそれが理由ならばその辻褄は合う」
「 “ つまり想定する以上の振動と熱を本体に浴びせれば量子プログラムは壊れないまでもエラーを起こし、それは優先的に修復されるはずだから霧の最大の武器 ―― 演算処理速度が遅れるってことか ” 」
「もちろん各データの演算処理はユニオンコアだけじゃなくて火器管制とか航法制御ユニットでも行われているが判断はできない。その修正を401では俺達が、ヒュウガやタカオのような大型の艦ではいくつもバックアップを置いてサポートしているんだが彼女たちは小型の船でそれを一手に引き受けなきゃいけない。だからコアのエラーは彼女たちの判断が遅れる事を意味する」
「つーことは、アレだ。あのおっかねえ女艦長さんは飽和攻撃で思いっきりあいつらを揺さぶってる隙に浸食弾頭で沈めちまえって考えてるってことか? 」
杏平がスタイラスを動かして次の兵装を発射管に押し込めながら面白そうに尋ねると、ラインで繋がっていたノンナの声が艦橋に響いた。
「 “ あー、大変いい考えだとは思いますが。でも残念ですが霧はそれほど甘くはありません ” 」
ワンワンとアラートが鳴り響くブリッジ内で必死にダメージの復旧に取り組む乗組員と戦況モニターを睨みつけるノンナは全員が歯をむき出してこの窮地に笑っている。「今は彼女達がまだこちらを舐めてかかってるので防御にクラインフィールドしか使ってませんがいざとなればこちらの攻撃に対するカウンターメジャーも行使できるはずです、私の狙いは彼女たちの思考を乱してそこに考えが及ぶ前にこの海域から離脱することです ―― ではこれが最後のターンです」
前のめりで操舵士の背もたれを掴んだノンナが目くばせをすると水雷長が目にも止まらぬ速さで火器管制へと数値を叩き込む。「今までと攻撃のタイミングはほぼ同じで。ただし1は低周波魚雷を全弾発射でお願いします、浸食魚雷はナシで」
* * *
極秘裏に行われたロシアとアメリカの首脳会談の結果はクレムリンで開かれている最高評議会と、なぜかルスランの元にもテレグラフの形で送られていた。ノンナ不在の代わりを務めている自分の娘から緊張した面持ちでそれを受け取った彼は険しい表情でそれを開き、内容へと一通り目を滑らせた後にほっと溜息をついてティーカップを持ち上げた。
「いやはや …… こんな柄にもない面倒事は今回限りにしてほしいモンだ。浦上にはこの結果と恨みつらみをぶつけてやらんとな」「 …… 会談の結果は? うまく言ったの? 」
「ああ」
肩から重荷を下ろした表情のままルスランは紅茶を一口飲んでから呟いた。「一両日中にSVRが、規模は分からんが部隊を派遣する。時間がないからバージニアビーチ(米海軍特殊部隊SEALSの本拠地)に直接空送するそうだ」
「世界中の主だった特殊部隊が集まっての作戦行動 …… まるで世界大戦前夜ね。やっと霧との対話が落ち着いて穏やかになったと思ったのに」
憂いた顔で呟きながら顔を落とす娘へと視線を向けながらルスランは彼女の心境を慮る。母と妹を霧の攻撃で失ってその怒りも恨みも時の経過と共にやっと過去への思い出として折り合いをつけられた所にこの話だ、心の傷をむしられるような痛みにまた耐えなければならないのかと思うその辛さはよく分かる。
「だがそれも歴史の一つの法則だ、世界が全て光に満たされる訳ではない。光や希望が強くなればなるほどそれは濃い影や絶望を生み出して、それで人の世はなんとかバランスをとり続けている。どちらが正しいなどという事はなく世界の未来はその時のどちらの考えがより生存に適しているのかという部分に委ねられていくのだろう」
「 …… 」
「何を信じるべきなのか ―― それを他人の手に預けてはいけないのだと俺は思う。もしそれに決着をつける手段が闘争しかないというのなら俺は自分の本分を全うする事しかできないんだ、自分が正しいと信じたもののため ―― 」
自分の心境を娘に言い聞かせようとするルスランの言葉を遮ったのは司令官室の大きく分厚いドアをノックもなしに開け放った男の行為だ、艦隊の三番艦の艦長を担うその佐官は息を荒げて血相を変えたままルスランへと緊張した顔を向けた。
「た、大変ですっ! 」「どうしたイーゴリ、いつもはおとなしいお前がらしくない。そんな事じゃお前と同じ名前の過去の偉人達が嘆くぞ? 」
とりあえずこちらの雰囲気でなんとか彼を落ち着かせようと意識的にティーカップをゆっくりと持ち上げて中身を口に含んでその余韻を楽しむルスラン。
「カザン同乗の政治局員から至急電! の、ノンナが ―― 」
やはり調査部隊を狙ってきたかとルスランは自分の読みが当たった事に内心臍を噛んだ。ヴァルマから連絡を貰った時に事態がそう動く事はすでに予測済みでとりあえず何らかのアクシデントが発生した時 ―― 何も証拠が回収できなかった ―― のために二の矢として密かに彼女を派遣しておいたのだ。もし部隊が撤退すればほとぼりが冷めた頃を見計らって彼女が現場の調査を行う事になっていた。
「 …… そうか、やはりイオーナは狙われてしまったか。それで? 調査部隊は予定通りグアムに ―― 」
「暴れてますっ! 」
落ちついて再び口の中へと流し込んだ琥珀色の液体を噴き出してデスクを紅茶まみれにするほど動揺した父の姿を娘は初めて見て驚いた。
* * *
「3と4っ、密集隊形! 本艦に続けっ!! 」今までにない気迫がノンナの口から飛び出して艦橋の全員が緊張する。「面舵一杯深度30っ、針路296。目標敵艦直下っ! 」
ノンナのやり口に慣れているカザンの乗組員に比べてその命令を受けたアッシュビルとサンタフェの艦長からは口々に疑問と撤回の叫びが溢れだす、だが一度このモードへと突入した彼女がそんな戯言に聞く耳持たない事も彼女たちは知っている。「大の男がつべこべうるさいっ! 生きて家族の下へ帰りたいンならさっさと命令を復唱しなさいっ!! 」
あまりの剣幕に戸惑うマイクの向こう側で反射的に復唱する二人に向かって彼女はなおも大声を出す。「舵戻せっ、両舷前進強速っ! VLS発射のタイミングはこちらに完全に合わせて、コンマ一秒も時間をずらすなっ! 発射後は速やかに機関停止、クラッシュダイブで限界深度まで! 復唱っ!! 」
「「 “ りょ、了解っ! ” 」」
反問すら拒む裂帛に思わず復唱する声を聞き届けたノンナが通信を閉じるとすでにカザンは最大戦速に入っていた。「上げ舵15っ! 操舵士ミスんなっ! ちょっとでも狂ったらあたしらはともかく後ろの連中まで道連れだっ! 」「アイマムっ! 任せときなっ! 」
見た目にもたくましい大柄な操舵士の威勢と二の腕が膨れ上がると両の腕ががっしりと操縦桿を掴んで手前に引っ張る、抵抗によるキックバックが油圧を通して彼女の両腕を猛烈に振動させるがそんな事は一切お構いなしに頑強に抵抗する操舵士の意志が船に伝わると舳先が一気に上を向いた。「目標との距離っ!? 」
「速度30ノット変わらず、八時方向から接敵距離200っ! 」
今まで描いていた定円ルートを外れて突如自分達の方めがけて突進してくるノンナ達に完全な対処を行うには彼女たちはあまりに混乱しすぎていた、ソナーはほとんど効果を失い情報収集はもっぱら熱探知による海上走査のみ。だがその異変は立ちどころに彼女たちのアラートを吠えさせるには十分だった。「! ミチシオっ、敵が急速にこちらへと接近、ほぼ全速っ! 」
「なんですってっ!? 」
てっきりもう一度同じ攻撃を仕掛けてくる ―― 少なくとも一連のそれはこちらに被害を与えている ―― と思い込んでいた指揮艦の彼女はあからさまなミスを犯した。こちらが立て直しを図る間に攻撃ルートを外して、しかもこちらに肉薄してくるとはっ! 「全艦近接防御っ、対潜弾頭射出、急いでっ! 」
クラインフィールドを張ってしまえば敵に対する攻撃は不可能、ならばとミチシオはその一瞬に反撃の糸口を求めた。間に合うだけの上甲板のハッチが一斉に跳ね上がって浸食弾頭の群れがにょきにょきと頭を出して命令を待つ。
「目標接近中の敵原潜っ、各艦撃ちー方始めっ! 」号令一過一斉にサイロから煙を挙げる対潜弾頭だがそのシークエンスが始まったと同時にヤマグモが大声で叫んだ。
「み、ミチシオっ! 401の方向の海面から水しぶきっ …… あれはっ!? 」「! 野郎っ、VLSだとっ!? 」
セルを外して炎を伸ばしたハープーンが亜音速をまとって海面をひた走る。自動制御で張り巡らされるクラインフィールドが彼女たちの視界から綺麗な景色を奪って世界を黄色く変え、その靄の中から彼女たちは自分達の盾が彼らの攻撃を確実に遮る事を確信する。
だが401と白鯨Ⅲから放たれたそれらは彼女たちの予想を大きく裏切っていきなりその矛先を変えた。「外れたっ、データミスっ!? 」「いや違うっ! 奴らの狙いはっ ―― 」
アサグモとミチシオの叫びが交錯する中でミサイルの軌道は大きく外れて一直線に自分達が放った浸食弾頭の群れへと殺到する、イオナとヒュウガの正確な演算によって導かれたハープーンは彼女たちの能力では考えられないほどおぞましい正確さでものの見事にその全てを叩き落とした。「くそおっ! 」
「アサグモそんなのかまわないでっ、敵が来るっ! 」ヤマグモが必死で飛び出そうとするアサグモを静止する中でミチシオが焦りをにじませながら声を張った。「全艦底防御っ! クラインフィールドを下に集中させろっ!! 」
「各艦全弾発射っ、悔いを残すなっ!! 」
鞘を外された抜き身の対艦ミサイルが高圧蒸気と発射炎を同時に吐き出しながら全てのサイロを飛び出して、30発は光に照らされた海面に薄く残る黄色い膜目がけて一目散に殺到した。
30発のミサイルの同時爆発が引き起こす巨大な波頭に乗り上げる形でその船体を空中に晒す三隻の駆逐艦、艦底保護のために展開したクラインフィールドが半球状であるという事までよく分かるほど空へと投げ出された三艦はまるで着水の仕方も知らない水鳥の雛のように海面へと叩きつけられる。衝撃で折れたマストや千切れた空中線をそのままに何とか艦体の復元へとこぎ着けた三人は眩む頭を押さえながら必死で状況を把握しようとエラーだらけの演算プログラムを必死になって動かした。「みんなっ、エラーの個所はそのままでいいから今はとにかく敵の動きを ―― 」
指揮艦としての役目を全うしようと真っ先に立ち上がったミチシオの周囲で一斉にウインドウが立ちあがって艦内外の情報が表示される。一番最初に表示されたのは損害報告、だがそれを押しのけて一番上に表示されたのは ―― 。
「 畜生っ、401っ! ―― みんな急いでクラインフィールドをもう一度張って、完全じゃなくてもいいから左舷方向っ!! 」絶叫する彼女の前に示されたのは自分に目がけて接近する魚雷の本数だった、二艦合わせて16本。
そのうちのどれだけが浸食弾頭なんだっ!?
「全艦っ衝撃に備えてっ!! 」
直下で炸裂した魚雷の威力は三人が想像したよりも遥かに小さくしかもクラインフィールドの臨界がそれ以上進まない事に安堵し、だがその事に違和感を覚える。自分達を仕留めるもしくは損害を与えるために必要な有効弾をこの一斉射の中に紛れこませなかったのにはどういう意図があるのか?
その意味は彼女たちが疑念を抱いた数瞬後に判明した。
一点集中で炸裂した低周波魚雷の効果は同時に叩き込まれた白鯨Ⅲからの通常弾の爆発に覆い隠されて雷撃を受けた三人には判別ができなかった、だがリムパックの折りにたった一発で米艦隊の対潜機能を機能不全へと追い込んだそれが8本まとめて至近距離で起爆すればどういう事になるか。
クラインフィールドとは重力子とユニオンコアの演算によって張り巡らされる強固なエナジープロテクションだが内と外の環境までが遮断される訳ではない、つまり爆発によって発生する破壊エネルギーを封殺する事は出来てもそこから派生する振動や音響なども物理現象まで閉ざす事は出来ない。フィールドの表面部を撫でるように伝播したその低周波は海水という媒体を介して一気に三艦の艦底部から内部機能へと殺到した。
驚く暇もなく焼き切れる火器管制と探査装置、そしてその威力の一部は彼女たちの航法プログラムの一部までも完全に破壊してスクリューを止める。立ち上がった水柱の余波に船体を翻弄されながらもミチシオが必死で僚艦へと呼びかけた。
「アサグモ、ヤマグモっ! 損害報告っ、無事なのっ!? 」
前甲板のデッキの金具を握りしめた掌から滲み出る血。振り落とされまいと必死に耐えるヤマグモからあふれ出る怒りはいつも穏やかに笑う彼女の形相を憤怒へと置き換えた。
私はたった一隻であの大艦隊を全部沈めた、主の贄にした。あの時あの海峡で同じように押し寄せてきた敵のことごとくを私は一人で返り討ちにした。
戦とは。
戦いとは数の力ではなくそこに臨む戦士の質であるのだと私は証明した。
なのに、どうしてこうなる?
人類の戦力など鎧袖一触に切り捨てる力を持つあたしたちがどうしてまたあの日と同じ屈辱をもう一度味わわなければならないっ!?
自分達よりも人類の方が上だと ―― あたしたちを裏切って切り捨てた奴らの末裔の方がより優れているのだと。
イヤだっ!
絶対にそんなのあたしは認めないっ!!
波飛沫に全身を濡らしたその少女は甲板の上で全身を大きく震わせながら慟哭した。
「! 主っ! お願い ―― あたしにもう一度力を貸してっ!! 」