蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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ザ・スロットⅥ ―― 黄泉の漣

 ロサンゼルス級の理論上耐久限界深度は600メートル、無音潜航でほぼ同じ場所へと集合した艦隊は息をするのも憚られるような緊張の中でじっと海上の動きに耳を澄ませていた。

 磁気探査で各艦の位置は分かっているのだがここからどういう風に動くのかがさっぱり分からない、無言の沈黙に不安を拗らせながらまんじりともせず次の展開を予想したいた所へノンナからのメールが僧のモニター画面へと送られてきた。

「 …… 艦長、カザンから一斉送信のメールです。艦隊はこのまま後十分ほどここで待機するとの事です」「十分? 」

 内容を聞いた群像の表情が曇る。「十分もあれば海上の駆逐艦の機能障害はほとんど回復してしまう、そんな事はパヴロヴナ中佐もよく理解している事だろう。それなのにどうして ―― 」

「群像」焦る群像を押しとどめるように何かに気づいたイオナの声が呼びとめる。「 …… 海洋データ更新。現深度の海水温の上昇確認、艦隊頭上50メートル付近に躍層境界面(サーモクライン)現出。この水域はもうすぐシャドーゾーンの中に入る」

 

「カザン ―― あ、いや」401と同じように環境の変化を知った白鯨Ⅲの海図室でじっと状況を見守っていた浦上が突然口を開いた。ヒュウガは彼の隣ですでに演算リングを開いてテーブル上の海底地図と自分のデータとを照らし合わせている。不思議そうに視線を送る通信士に彼は言った。

「ライオン2に返信。状況は大体理解した、撤退行の先頭は本艦でいいか、とな」

「操舵士機関そのまま取り舵30、追い潮針路204。目標ラッセル島東海域距離30キロ地点 ―― マーク」駒城がマイクを通じてそう命じると乗組員が静かに活気づいて作業に取り掛かる、すでにこれから何が始まるのかを知っているヒュウガを含む3人はお互いに顔を見合わせて小さく頷いた。

「しかしこういう壮大な作戦を事前に立てておける人間が千早群像以外にいたとはね …… 霧に対しては無謀にも見える通常攻撃も直下への突撃も全部このためだったなんて。あのロシアの彼女もなかなか …… でも浦上」

 ヒュウガがレーザーポインタで海図に線を引きながら尋ねた。「行き先は分かったけどここに何があるの? 」

 

 隊列の指示をメールで受け取った僧がその事を群像へと報告した途端に艦体がぐらりと揺れて向きを徐々に変え始める、制御を司るイオナがコンソールの上でよっこいしょと言いながら座り直すとすぐに環境データを開いて周囲の状況をモニターへと表示した。「水温が潮流の変化と共に異常上昇、現在ほぼ上層海面と同温度」

「左舷から潮流が来ているという事はちょうどスロットの出口側 …… 僧、米海洋局の海流データにリアルタイムでアクセスしてみてくれ。もし俺の想像が正しければ ―― 」

「今衛星からのデータを読み込んでいます、気象衛星からの物ですから少々荒いですが …… 出ました」「この周辺の海水温度をフィルターにかけて温度別に表示」

 群像の指示に従ってコマンドを入力するとストリーミング表示された画像にははっきりと異常な変化が表示された、ほんのわずかではあるがこの海域の海水温よりもほんのわずかに温度の低い流れがスロットの出口付近で境界を作っている。

「群像、これは? 」モニターへと表示されたその映像をしげしげと眺めながらイオナが尋ねると彼は感心したように肘掛けで支えた右手に頬を当てて微笑んだ。「パヴロヴナ中佐が立てた戦略のこれが種明かしさ、全力で仕留めにかかると見せかけて彼女はこの現象が起こるのを待っていた …… 南太平洋環流がこの海域の温度差で上層から深海へと潜り込んでくるのを」

 驚いたのは群像以外の全員だった。「じゃ、じゃああの女艦長さんは始めっから彼女達を仕留める気なんてさらさらなかったってことかぁ? 」

「だから中佐は最初に言ったじゃないか、『この海域からの脱出をお手伝い』って。中佐は今までの経験からこの戦力では彼女たちに勝てない事が最初から分かっていたんだ、だからVLSのありったけで彼女達を混乱させて低周波魚雷で目と耳を潰した ―― それが今できる精一杯だと」

「 “ でもさぁ、もうちょっと頑張れば何とかなったような気もしないんだっけどねぇ。現状探査機能はしばらくおシャカになってるンでしょ? なら今のうちに浸食魚雷で ―― ” 」

「今残っている手持ちで彼女たちのクラインフィールドを抜けるかどうかは分からない、それにもし彼女たちの援軍がどこかから来ている可能性もある。米露艦のVLSを全弾撃ち尽くした現状では最低限の弾薬は確保しなきゃだ ―― 万が一の時の対抗手段としてマルチな戦術を行使できるのはもうイオナと白鯨Ⅲしかいないからな」

 それぞれが抱える疑問に丁寧に答える群像は潮に押されて速度を増す感覚を背中に感じながらイオナに目くばせした、小さく頷いた彼女が予想航路図を開くと艦の舳先は真っすぐカザンが見つかった地点のその先まで伸びている。「なるほど、すごいな。まさかロシアの艦隊がこんな場所を知ってるなんて」

「海底データと照会中 ―― 群像、ここの海底はかなりの面積平坦で何も見当たらない。こんな所に逃げてもすぐに彼女たちに捕捉される」

 

「昔 …… 第二次大戦中に枢軸国同士で技術や最新素材を提供し合う通商作戦があってな、日本はドイツと主にそれを行っていた事がある。『遣独作戦』と呼ばれたそれは潜水艦による渡航作戦で成果こそそれほど上がらなかったが当時としては最新のナチス・ドイツの科学をいくばくか手に入れる事ができた ―― 例えば米英と同等の性能の電探とかジェットエンジンの設計図とか」

 ヒュウガに聞かれた浦上はゆっくりと彼女の隣に立って海図に真っすぐ引かれたレーザーの軌跡へと目を落とす。「成功したのは5回のうち最初の2回だけで後は全部米軍の海中走査網に引っかかって撃沈された。第6回目の実施が検討された際南方の制海権を全部失っていた帝国海軍は今まで使っていたマラッカやバシー海峡を通るルートを捨てて新たな航路を見つけなければならなかった。海上を行き来する米軍の駆逐艦や海中で網を張る潜水艦隊にも決して気づかれずに南方へと抜ける通路を」

「そっか、だから海図どころか海洋データにも登録されてないって事なのね。でも今の人類の科学力ならそれをマップに記載することなんて難しくなくない? 衛星でディープスキャンすればそれこそ一目瞭然に分かりそうなものだけど」

「その通路は少し変わっててな」浦上はそう言うと海図が表示されているモニターの片隅に近距離スキャンデータを呼びだした。「太平洋プレートとオーストラリアプレートの活動によって形成されるトラフの一部だができる位置も形もまちまちで過去のデータがほとんど役に立たない。帝国海軍の測量班によって詳報に記載されていた寸法は海床下100メートル、渓谷幅は広い所でも約30メートル。長さはラッセル島の傍からソロモン海に抜けるまでの約50キロ ―― まるで蛇の通り道のように曲がりくねって海底を這う細い割れ目 …… 通称『ワルタハンガの(ねぐら)』だ」

 

            *            *            *

 

「くそっ! 」悔しさを滲ませて両の拳をわなわなと震わせながらアサグモが毒づいた。「ミチシオ、残念だが水深400メートルより下は躍層ができてて探知不能だ。ソナーが全部弾かれてどっか行っちまう」

「そう」

 そっけなく答えたミチシオだったか心の底では怒りが煮えたぎっている、仮にもこの海域の守備を担う三艦がまとめてあしらわれたのだ。それも相手が401やタカオといった同類ではなく今まで自分達がさんざん沈めてきた人類側の潜水艦に。自分達がこれから掲げようとする目的もプライドも散々に踏みにじられた屈辱で目まいがする。

「どうする? お前が命じるなら俺は今すぐこの海域を単艦で徹底的に走査して意地でも奴らを見つけに行くけど」「いえ、これ以上はやめておきましょう」

「!? なんでだっ! お前は悔しくねえのかよ、あんな連中に手玉に取られてっ! 」憤懣やるかたなくむき出しの怒りをぶつけてくるアサグモが言い返すと彼女は一つため息をついた。

「悔しいわよ、でもそれが何? むしろここで彼らを追いかけて逆に浸食魚雷の餌食になってしまったらそれこそ主に申し訳が立たない、それに彼らがいくらここでの戦闘を分析したからって得る物は何もないし分かった所でもう間に合わない。もうすぐ主の全てはほぼ完成するのだから」

 自分に対するいい訳だ、とミチシオは思う。臆病風に吹かれた訳でもなくここで追撃を控える事に確たる理由がある訳ではない、ただ本当に敵の術中に嵌ったままでむやみに動けば今度こそ仲間の誰かが殺られてしまうかもしれない。ならばここは一旦退がって近いうちに訪れる反攻のための力を温存しておくべきだろう。指揮官として断腸の思いではあるがそうする事が今最も有意義な選択であるように思える。

「とりあえず今は単横陣に配置を置き変えて敵の攻撃を広範囲で探知する準備を。各艦探査システムが復旧したらすぐに始めるわよ ―― 」「いいえ」

 ミチシオの指示を遮るように言葉を被せたヤマグモは甲板からゆっくりと上体を起こしてじっと舳先の先に広がる海原へと視線を向ける、口角を少し持ち上げたままで怨嗟の瞳がゆらゆらと彼女の貌を歪ませた。

 “ ―― ヤマグモ、私の可愛い部下。なぜあなたはそうしてほしいと私に望むの ―― ”

 

 水面を貫いて直接彼女たちのユニオンコアに届くその声には全ての感情が混在していた。

 喜怒哀楽愛憎好嫌 ―― 言霊に乗せ得る限りの全ての思いが耳にしたミチシオ達の奥底にある何かを大いに揺さぶる。歓喜と畏怖と恐怖におののく体がぶるぶると震えて唇すらも動きを止めた。

「主っ、聞いてっ! 」

 甲板にひれ伏したまま声さえも漏らせないその世界を劈くヤマグモの叫びがまるで抗う意志のように空へと届く。「あたしは生まれ変わってこの体を貰った時にすぐに気付いたっ! この船もこの武器も全部あたしのっ、あたしたちの無念を晴らすために与えられたものだってっ! なのにっ! 」

 “ …… なのに? ”

「ちょっとヤマグモやめなさいっ! これ以上主を刺激しちゃダメっ!! 」異様な気配を感じ取ったミチシオが震える唇で訴えるヤマグモを止めようと試みた、だが彼女の体に憑依した悪しきオーラは寄りつく全てを拒絶する。「あたしくやしいっ! あんな連中にあの時のように滅多打ちにされたままおめおめと逃がしてしまうなんて耐えられないっ! 主の力であたし一隻が滅びたとしてもせめて奴らのどれかを道連れにしてやらないと気が済まないっ! 」

「ばかヤロヤマグモっ! お前何言ってンだ、お前の代わりに奴らの一隻だけなんてそんなの割にあう訳ねえじゃねえかっ!? あンときだってそうだ、どうしてお前はそう自分を大事にできねえンだっ!? 」

「アサグモっ!? 」あろうことか両腕を腰だめにして拳を握りしめながら震えて立ち上がるアサグモの姿にがく然とするミチシオ。「主っ! あいつは俺を庇ってアメリカの駆逐艦の雷撃を最小限にしてくれた …… 別に『あいつ』みたく生き残った訳じゃねえがよぉ、それでも俺はあいつがまたおんなじ目にあっちまったって事に我慢できねえっ! あいつの命だけで足りねえって言うんなら俺のも使ってくれてもいい、あいつのために主の力を貸してやってくれっ!! 」

 命懸けで訴えるその気迫に押されてその光景を無言で見つめるミチシオだが彼女は指揮官としてその意見に同調する事だけはできない、彼女達を纏める自分の使命は全員が無事に主の下へと帰還することであり自分の感情でその任務を放棄する事などできない。たとえその心根が皆と同義を唱えたとしても自分だけは主のために、この貴重なメンタルモデルという戦力を連れて帰らなければならないのだ。

 だが。

 “ 四駆旗艦ミチシオ、あなたに問います ―― 意見具申を、しなさい ”

 

「 …… わ、わたし ―― 」

 くそっ、どうしてこんな時にあいつはあたしの傍にいないのっ!? 

 あたしたちの中で誰よりも経験が豊富で運が強いあいつこそがこの艦隊の中心で皆を動かすはずだったのにっ! なんで出てっちゃったりなんかしちゃったのよっ!

 

 固唾を呑んでミチシオの動向を窺う二人の目にゆっくりと膝を立てて上体を起こすミチシオの姿が映る、何かをふっ切ったように落ちついた表情を見せた彼女はその口を静かに開いた。

「四駆旗艦ミチシオ意見具申。旗下二艦アサグモ・ヤマグモの提案を隊責任者として承認し主に対して上申いたします。どうかお聞き届けくださいますよう」

 

 波のさわめきだけが広がる海原に流れるほんのわずかな沈黙がミチシオにとっては無限にも感じる、もしこの決断が間違っていて主の怒りを買えば自分達は間違いなく贄として短い一生を終える。そうなってしまう事には後悔もためらいも残るがもうそんなことどうでもいい。

 皆で一緒に死んでしまう事が怖い? はっ、何を今さら。

 “ それは第四駆逐隊の総意と受け取ってもよろしいのですね? ”

「はい」

 顔を伏せたまま短く返答する彼女の口はその後キッと強く絞められた、吐き出した自分の決意は呑みこまない ―― 覚悟が瞳の奥で眩く輝く。

 “ 分かりました、微力ではありますが力を貸しましょう。ただし今はあなた達も知っての通り私たちにとってもとても大切な時、モガミや先日のように船を貸し与える事はできませんが ―― ”

 突然全身を締めつけていたプレッシャーが緩んで安堵のため息がミチシオの口から零れ出る、彼女の代わりに喜びのテンションを上げたのは残りの二人だった。それぞれがそれぞれの表現で自らの望みが叶えられた喜びに歓声を上げる。

「それで主、どのように力をお貸しいただけるのでしょう? 作戦をお聞かせください」

 “ 私が直接何らかの手を下す事はできません …… 各員探査機器はもう正常に使えそうですか? ” 優しく尋ねてくる声に引かれて三人が慌ててウィンドウを立ち上げて危機の状態を確認する、ナノマテリアルによるダメコンでいくらかの部品が消化されてはいるがある程度の戦闘には問題がなさそうだ。「ヤマグモ、すでに簡易補修は完了しています。いつでも」「こっちも問題ねぇ、全部完璧だ」

「私も問題ありません、主。ご命令を」演算リングの内側に立ち上がったミチシオが告げると優しい声はほんの少しの愉悦を含んで三人の耳へと忍び込んだ。 “ では火器管制を立ち上げて浸食弾頭を対潜仕様に。水上電探は広域に切り替えて磁気探査に ”

「一体何をなさるつもりですか? 」火器管制を立ち上げて各ウィンドウに指示通りの入力をたちどころに済ませた三艦の甲板が一斉に開いて弾頭がせり上がる。“ 見た目には全然変わらないあなた達と人類。ではどこにその違いがあると思いますか? それを今から少し変わった形でお見せしましょう ”

「え、ええ? でもこの形はアドミラリティコードが人類側の情報を取得するために作ったものだとお聞きしておりますが? 」

 “ 私達もそう聞いております、そしてその目的は予定通り実行され人類の持つ思考という物を事細かく分析して現在の状況に至っています。そのレポートの中で興味深い事実が一つ ―― 私たちはつまるところ戦闘機械であり人類はそうではないという事 ”

 不意に遠くの空で何かが立ち上る気配を覚える三人は思わず同時に顔を向けた。見た目には何も変わらない南の島ののどかな景色、だが間違いなく得体の知れない何かが空気をざわつかせている。“ 人類とはその武器を扱う役割だけを割り振られた存在、盾の裏に隠れて自己の保身を図りながら他人に対して力を行使する事に特化したずる賢く矮小な卑怯者の総称 ”

 その得体の知れない何かはいきなり気配を隠して消え失せた。驚く彼女たちの向こうから静かな一筋のさざ波がふわりと、しかしかなりの速さで同心円を拡大する。

 “ 邪を常として疚しさを是とする存在である限り決してこれに耐える事は出来ないのですよ ―― 迫る『死』の恐怖からは ”

 

            *            *            *

 

 船体幅ギリギリの入り口をすり抜けて渓谷の底へと船を沈めていく白鯨Ⅲの艦橋はその異様な光景に静まり返っている、真瑠璃の調音データと船体の左右から放たれる側距器のレーザー反射によって渓谷の形状がリアルタイムでスクリーンに表示されて後続艦へと送られるのだが。

「タイプ2の艤装で、ぎりぎりですか」操舵士がモニターを親の敵のように睨みつけながら操縦桿を慎重に操ると船体が平衡を取り戻したのが分かる、潮の流れに背中を押されて微速前進よりもやや速い程度だがそれでもかなりの難易度だ。これからの道行に不安を募らせる乗組員たちだがその中で浦上一人だけが記録されるデータを眺めながらしきりに昂奮していた。

「すごい、これこそ自然の脅威だ。一体あの頃の連中はこの海の底にある細い溝のような水路をどうやって見つけ出したんだろう、あの頃の潜水艦の性能じゃあ絶対に辿りつけそうにもないこの深さにあるというのに」

「そもそも見つけたからってこんな深い所にあるコレをどうやって通り抜けるつもりだったのかしら? 深度500って昔の潜水艦ならとっくに圧壊深度を越えてるわ」

「そうだな」ヒュウガの問いを肯定する浦上だったがまるでお宝を見つけた子供のような気配は一向に収まらない。「当時の最新鋭Uボートでもせいぜい200メートル、日本の潜水艦がここに届くはずがない ―― だがヒュウガ、もしかしたらあの頃の日本人ならそれを可能にできたんじゃないかと俺は思うんだ。東洋のちっぽけな島国が当時の欧米列強に張り合えるくらいの海軍力を蓄え、しかもいまだに類を見ない超巨大戦艦を二隻も建造して世界の全てを敵に回してほぼ五分に渡り合う ―― 確たる目標のために知恵を絞って不可能を可能にしてしまうのが人類の持つ隠れたポテンシャルなんじゃないか」

「あんたの友達もそうして総旗艦との面会を果たしたんだものね …… 一理あるわ」

 まるで子供ね、と優しい笑顔を浮かべながら浦上の横顔を眺めるヒュウガはすぐに真顔に戻って操舵士のモニターへと視線を向けた。「ところでもしこの渓谷の幅がこれ以上狭くなったらどうするの? 」

「俺達はその時点で深度を上げて先頭を401に代わってもらう」駒城が引き締まった表情で断言するとその意図をくみ取った艦橋要員が小さく頷いた。「身動きの取れないこの場所で敵の策敵に引っかかったら一網打尽にされる、だからそれを避けるために俺達が後続艦の傘になって援護するつもりだ」

「まあうちのVLSはまだ十分にあるしいざとなったらあたしもいるし …… それでもこの規模の艦列を全部カバーはできないわよ? 」

「そん時ゃイオナちゃんにも手伝ってもらう。ほんとだったら俺達だけ逃げてもいいしパヴロヴナ中佐もそうしろって言うんだろうけどここまでやってもらってはいそうしますじゃどうにも寝覚めが悪い、だったら俺達のできる限りの事は最後まで面倒見なきゃ ―― 」

「 …… 艦長」饒舌に語る駒城の言葉を遮ったのは何かを感じた真瑠璃の呟きだった。「どうした真瑠璃? 」

 恐らくこの船の乗組員の中でヒュウガを除く誰よりも実戦を積んでいる彼女が青い顔で必死に何かを聞きとろうと両手でヘッドホンを両耳に押しつけている。「 …… なにか」

 

「群像っ、あれが来る。静、ソナー機能を全閉鎖っ。ヘッドホンも外してっ」

「ブルー1より全艦っ! すぐに索敵機能をユニットから分離、各ソナーマンはヘッドホンを外せ、急げっ! 」それは現実に一度体験したイオナにしかできない判断だった、背後から押し寄せる背筋が寒くなるような波動とおぞましい気配はアルバコアとダーターを操って息の根を止めた、あの。

「僧、データを取るぞっ! 航法に使う以外の全てのセンサーを最大限っ! 」「了解、もうすでにスタンバイ出来てます ―― チャンスですね、やっと敵が尻尾を出しましたか」

「ああ」緊張した面持ちながらも口角を少し上げた群像は隣でキョトンとするイオナを見た。「すまない、君に妙なストレスをかけないためにこの事は黙っていたんだが彼女たちは多分どこかの機会でまたあの力を使ってくるだろうと予想していた。その時のために全員で対策だけは立てていたんだ」

「そう、なの? 」思わず全員へと視線を向けるイオナの目にニヤリと笑いながら親指を立てる静と杏平の姿が映る。「航行機能は航法プログラムも含めて全部隔離しましたのであの波動にイオナさんが影響される事はありません、その代わり概念伝達は使えないままですが」

「スタンドアローンなのはしょうがねえけど元々俺たちゃいっつも一人で動きまわってたからな、こんなのは慣れっこだっつーの」「だからイオナちゃんは目の前の渓谷に集中してください、まだまだ難所は続きそう ―― 」

 静がそこまで話した瞬間にそれは訪れた。

 

 それは紛れも無く『死』だ。

 

 今わの際に訪れる恐怖と安寧、未練と幸福そして後悔と解放。相反する全ての感情がないまぜになって一体化するその瞬間に達する解脱への扉。未知の体験によって得る新たな好奇心と道標のない不安が人の心を千々に引き裂く。

 

 臓腑の底からせり上がってくるどす黒い圧力とその奥底に光る眩い輝き、手を伸ばしてそれを掴もうとする事はこの世に生きる事への否定を意味する。

 

 全身の細胞が泡立つほどの ―― これは自分達のDNAに刻み込まれた逃れようのない生理現象、十分に対策を施したと思い込んでいた群像達を疑わせるだけの威力だ。景色が点滅して全身が硬直し瞼さえも閉じられない、たとえ臨死体験を経験した事がある者でもその瞬間をリアルに思い起こさせる力を孕んでいる。

 背後から忍び寄って全身をくまなく撫でまわす艶めかしい何かが名残を惜しむかのようにゆるりと体から離れて前へと逃げる、瞬きを数度繰り返したイオナがほう、と深いため息をついたと同時に艦橋の全員がせき込んだ。

「 “ ちょ、ちょっと今の何っ!? 手ェ震えてエンジン全開にしそうだったんだけどっ!? ” 」「いおり、大丈夫? 」イオナが心配して声をかけると群像以外の全員が呆然とした様子でぐったりと体を背もたれに預けている。「 …… いやー、もうちょっと楽なモンかと思ってたんだけどよぉ ―― 死ぬのってやっぱりとんでもねえ事だってのがよくわかるわ」

「こんなのって …… なんか違うと思います、私が台湾の海でサメの餌になるのを覚悟した時ってこんなに辛くなかった」静が両肩を押さえてぶるぶると震える、もしこんなのだと知っていたら横須賀であんな決断はできなかったかもしれないと僧が呟いた所で群像が言った。

「各員、損害報告」艦長席で何も動揺することなくそう告げる彼を驚きの目で見るイオナ以外のクルー、不安な目を向けながら杏平が尋ねた。「ぐ、群像。お前なんともないのか? 」

「何がだ? 」「い、いやだって今の ―― 」「ああ」

 心配顔のクルーに向かって彼は苦笑いを浮かべると横目で隣のイオナを見ながら言った。

「どうしてみんながいるのにそんな心配をする必要があるんだ? それに俺はもう『知ってる』。それよりも ―― 」笑顔が消えて真顔になった群像が前のめりになりながら戦況図へと視線を移した。「杏平っ。火器管制をすぐに立ちあげてVLSハッチをフルオープン、ローンチスタンバイっ! 各員第一種戦闘態勢っ! 」

「か、艦長? 」驚く静が慌てて尋ねると群像は更に指示を飛ばす。「静、無線封鎖を解除して全艦とすぐにリンクを繋いで指揮局の移行を宣言してくれ。これより艦隊の指揮はブルー1が行うと ―― イオナ、メンタンブロー。海床面位置まで浮上してその深度を維持」

「がってん」

「か、艦長大変ですっ! ブルー3 ―― アッシュビルが緊急浮上を始めましたっ、そのあとにサンタフェも! 緊急回線からの呼びかけにも全然応答がっ! 」

「まずい、やっぱり敵の狙いはそれかっ! 」吐き捨てた群像が席から立ち上がって即座に指示を繰り出した。「指示変更、イオナっ! 緊急浮上して何とか彼らの上にまわりこめ、コリジョンしても構わないっ! 白鯨Ⅲの駒城中佐とヒュウガにも連絡、なんとか連携して艦隊を護るんだっ! 」

「どういう事ですか艦長、どうして米原潜が ―― 」「乗組員が今ので錯乱したんだっ、早くしないと彼らは敵の攻撃でお陀仏だっ! 」「そ、そんなっ!? 仮にも世界最強を誇る米海軍の兵士が ―― 」

 なかなか情報が整理できずに慌てた僧が尋ねると、群像の代わりに悲痛な表情で上を見上げるイオナが口を開いた。

 

            *            *             *

 

「!? 磁気反応っ、ラッセル島の南40キロ付近! 座標特定っ! 」ヤマグモの水上レーダーが輝きを放ったかと同時に三艦の上甲板に開いたハッチから一斉に煙と炎が噴き上がった。三艦合わせて60発、重巡タカオに匹敵する本数の対潜ミサイルが爆音を上げて青空高く舞い上がる。

「いっけえっ! この際全部まとめてソロモンの仲間の所に行かせてやらあっ! 」気勢を上げたアサグモが握りこぶしで機動変化を見守る、遠ざかっていく乾坤一擲の背中を見送りながらミチシオが呟いた。

「 …… でも、どうして彼らがわざわざ位置の知れるような愚行を? 主、今彼らに向けて放ったあれは ―― 」

 “ 黄泉の漣、とでも言いましょうか。我らが礎となる海神の記憶 …… それを彼らの魂に届けただけの事。一度でも黄泉比良坂を下った者ならばこらえる事も叶いましょう、ですが ”

 

            *            *             *

 

「「死を垣間見たことすらない者は生きる事を決して諦める事ができない」」

 

            *             *            *

 

「ヒュウガっ、クラインフィールド最大っ、できるだけ艦隊の上面を覆ってくれっ! 機関最大緊急浮上っ、両舷キャタピラ全力っ。ルーフから飛び出してもいいっ! 」駒城の怒声で艦の舳先が一気に上を向いて現界へと続く階を一気に駆け上がる白鯨Ⅲ、まるでブリーチングのように海面へと飛び出した船体は面に取り付くなり後進一杯で渓谷を進む艦列の上を遮ろうと試みた。

「来ましたあっ! 艦長北北西上空に反応多数っ、タナトニウム反応っ! 」「砲雷長VLSっ。目標的浸食弾頭、撃えっ! 」「下部より401のVLS来ますっ、本艦目がけて ―― 」

「当たるもんかよ他所目くれンなっ! 全員ショックに備えろぉっ!! 」

 

 白鯨Ⅲの迎撃ミサイルと共に両舷の海面を湧きたたせて飛び出す10本のセル、サボから抜き放たれた迎撃弾は肩を並べて迎撃高度まで急上昇する。艦隊の周囲にバッシャンバッシャンと水しぶきを上げて放り投げられる鞘ごとヒュウガのクラインフィールドが覆いかぶさって海原に大きな金色のドームが完成した。

「だめだわっ、艦列が乱れてあたし一人じゃ覆い切れないっ! 駒城っ、フィールド外すからもう一度VLSで迎撃してっ! 少しでも数を減らさないとっ! 」「ダメだっ! 」「ちょっとあんた何言ってんのっ! このまンまじゃあっ!? 」

「そんな博打に踏み込めるかっ、この船が沈められちゃあ本末転倒だっ! 」無念に歯噛みしながら怒りの目をヒュウガに向けた駒城が言い放つ。

「任務を最優先で考える俺達が取れる、これが最善だ。 …… お前も指揮官だったなら俺やこの船のみんなの気持ちは分かるだろう? 」隣で帽子の庇の下に表情を隠して組んだ両腕を渾身の力で握りしめる浦上が彼女に向かって説き、その正しさを十分に理解している彼女はやり切れない苦悩を全身に表してこっくりと頷いた。

 

「磁気反応、アッシュビル浮上止まりませんっ。コリジョンコースっ!! 」「全員衝撃に備えっ! 重力子ダンパーとクラインフィールド最大っ! 」静の叫びに群像が答えてイオナが動かす、船を保護するために楕円形の青いフィールドが艦体の周囲に形成された所で突然イオナが叫んだ。

「群像っ、アッシュビルが回避運動。避けられた」「! なんだって!? 」全身を硬くして身構えた所に飛び込んできたイオナの声に静が喰い気味に叫ぶ。「アッシュビル本艦左舷を通過、なおも浮上中っ! ―― 艦長っ、カザンがっ!? 」

 いつもの静の面影はなく、まるで信じられないと焦りにくれる彼女の口からとんでもない言葉が飛び出した。

「カザンがバーティカルレヴィテーション(垂直浮上)っ! サンタフェの上に出ようとしてますっ! 」

 

「機関全速潜舵下げいっぱいっ! 」ノンナの声が艦橋にこだますると艦体が絶叫して一気に向きが変わる、操舵士の両手はまるで掘削機を握りしめたかのように激しく痙攣を始める。「全員耐ショックっ、何でもいいから手近なモンにしがみつけっ!」

「いいのかいノンナっ、ぶつけちまってもっ!? 」「かまやしないから遠慮なくやっちまいなっ! 言う事きかねぇあいつら助けるにゃあこれしかねえっ! 」戦闘照明の中でものすごい形相の彼女の顔が浮かび上がる。「頭押さえてそのまま一気に渓谷の底まで引き摺りこむ、ビンタくらわすのは生きてこの海を越えてからだっ! 」

「針路捉えたっ! 目標サンタフェ艦首っ! ―― おわっ! ノンナ潜舵が逝かれた、操舵不能っ! 」グラグラになった操縦桿を何度も前後に揺らしながら壊れた事を確認した操舵士が叫ぶとノンナはもの凄い笑みをうかべて怒鳴った。

「上等だっ! 両舷強速でこのまま突っ込めえっ!! 」

 

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