蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
本来彼女は人間ではない、ゆえに睡眠など必要としないはずなのに。
群像がいくら体を揺さぶって呼び掛けてみてもイオナの瞼は開かない、普通の人間ならば起きるであろうシチュエーションにも目覚めない事がその異常さを物語る。「起きろイオナっ! たのむから! 」
「 …… 群像? 」
どこか遠くへ消えてしまった二人の後ろ姿をしゃがみこんで見送ったイオナの頭上へと降り注ぐ、時の狭間から零れ落ちる彼の声。振り仰いだ頭上に広がる暗雲の切れ目から階のように舞い降りるそれがイオナの心を引きつける。湧き上がる衝動と想い、たったそれだけの事が絶望の淵に沈む彼女の体に火を入れて膝を動かした。
群像、あたしは。
よろめきながら立ち上がる彼女の両手がまるでそれを求めるように天空へと差し出された。
―― ここにいる。
目を覚まさない彼女の体を抱き上げて艦体へと戻るために踵を返したその瞬間、群像は両腕の中で起こった異変に気付いた。はっとして視線を下ろした景色の中、ぱちくりと目を開いて彼の顔を見上げているイオナがいる。
「! イオナっ、だいじょ ―― 」
その瞬間彼の視界で火花が飛んで全身が宙を舞った。群像の両腕から離れたイオナが「よっ」っと言いながら人間離れしたバランス感覚ですとんと床へ降り立つと、ジンジンと感触が残る右の掌へと視線を落とす。
「 …… あれ? 」
不安定な体勢からの平手打ちだが元々無人機甲兵器を一撃で無力化できる力がある、割と無意識にかけ値なしの力で振り抜いた右手は群像の体をベッドの上で一回転させ、もんどりうった弾みで壁へと叩きつけられた彼はそのままぐったりと床の上で伸びてしまった。人類を救った救世主にあるまじき醜態を隠すかの如く追い撃ちをかけるようにぶら下げられていたフランドリーが干してあったいおりの下着ごと群像に覆いかぶさる。
パートナーを気絶させてしまったにもかかわらずイオナはそれを気にかける事もなく自分の体に起こった変化へと意識を向けた。もやもやとした感情もおなかの中で渦巻くぞわぞわとした感触も右の掌を通じてどこかに消えてしまったようだ、と。
「 …… なおった」
* * *
それは一瞬だ。
突如として機関の制御芯が全て一気に引き抜かれたかと思うと手順を省いてエンジンが沈黙する。「うわわっ! 」と驚くいおりの前で真っ暗になる制御モニターと全身を襲うハルシームが動物の顎のようにバクンと閉まる激しい衝撃。真っ暗になった室内で彼女はすぐにポケットのマグライトを取り出すと今まで終末の様相を呈していた周囲へと明かりを巡らせて呟いた。
「な、なんで? 機関停止って …… エンジン元に戻ってンじゃん? 」
「きゃあっ! 」静の叫び声とともに灯りと機器が全部消えた。艦体を襲う強烈な振動はブリッジの三人の体を大いに揺さぶってそのまま真っ暗な黙へと送り込む。一瞬遂にここが天国の入口なのかと勘違いした彼らにそれが間違った認識である事を知らせる仄暗い赤い明かり、緊急時のバッテリーから供給されるわずかな電力によってブリッジの機能は限定的だが回復する。
「な、なんなんでしょう …… 今の」
「! 静っ、ドローン再起動っ! 外の様子っ! 」何かに感づいた杏平が慌てて指示を出すと彼女ははっとしてすぐに外の景色をモニターへと出した。「ミラーリング収納 ―― 艦体復元していますっ、ええっ!? 」
「ウソでしょうっ!? 」素っ頓狂な声を上げて僧がキーボードをひっ叩く。元に戻ったというのならこの艦が攻撃される謂われはない、だがもうミサイルは発射された後でありその第一陣がもうすぐこちらに届く。「いおりさんっ! 機関スクランブル、全艦戦闘態勢! 杏平対空防御っ、全VLSハッチ開け、フルファイア用意っ! 」
「まてまてまて前面隔壁どうすンだっ!? 」「280mm砲ハッチ解放、目標12時隔壁っ! 」矢継ぎ早に放つ僧の命令を後押しするかのように401のエンジンが起動した。ヒューンと鳴る重力子の唸りとかすかな振動がブリッジ全てに命を吹き込む。「落ちつけ僧っ! このまんま破ったら外の海水がここに侵入して俺たち以外の船が全部沈没 ―― 」
「かまいません!! 」
マスクの裏で叫んだ声に籠められた彼の不退転。「私はこの船を群像から預かっている以上彼に返す義務がある! そのためにできる事ならば何でもします、どんなことでも出来ます!! つきあってください杏平っ! 」
「 ―― わーったっ! そこまで言われちゃ仕方ねえ、地獄の底までつきあってやるぜっ! 前部ハッチ解放、280mm砲撃位置に展開っ! 」
「 “ 火器に優先でエネルギー回したっ! 杏平っ、思い切りやっちゃいなっ! ” 」
「おう、まかせろっ! 砲身固定仰角50度、VLSハッチオープン! 弾種短SAM、ローンチスタンバイっ! 」
傾いた艦体が勢いよく前部の発射管を開いて内部に仕込まれた対空弾頭を露わにし、司令塔前部の尖った扉が開くと中に収められていた巨大な荷電粒子砲が旧式の台座ごと甲板へと引き据えられてしっかりと固定された。艦砲とも呼ぶべきそれは後部の砲の倍の口径、当たれば人類が保持する船のバイタルパートなどただのレンガだ。
「攻撃機全機FOX3っ! マーク1と着弾同時っ! あと二十秒っ!! 」静の声に杏平のスタイラスがかすかに震え、モニターへと押しあてられた瞬間に獰猛な威力を誇る280mmの砲口が仄かに光りはじめる。
「ハンマー撃発位置っ! セフティー解除っ! やるぞ僧っ!? 」
「待ってくださいっ! 」状況をモニターする静の叫びに二人が思わず振り返る。
「基地全面にヒュウガとは違う重力振反応っ! 新たなクラインフィールド現出っ! 」
「ちくしょうっ!! 」格納庫の様子を見守っていたヒュウガがこの夜に起こった全ての不運に悪態を吐く。自分がビスマルクを疑わなければ、ハッキングの犯人を早く見つけられれば、そしてもうちょっと力を温存していれば。迫りくるミサイルの飽和攻撃を目の前にしても硫黄島でコンゴウとやり合った時のような防護障壁を展開する事はもう不可能だ、それをするにはあまりに消耗しすぎて演算速度が追い付かない。
「あたしとした事がっ! 姉さまっ、千早群像っ! 」モニターから剥がした両手を硬く握りしめて唇をかんだ彼女が俯く。不手際や不注意で自分が死んでしまうのはいい、でもそのために彼らみんなを巻きこんで死なせてしまう事には耐えられない。
「 …… まだだ、諦めるなヒュウガっ! 」そう呟いた彼女が必死の形相で立ち上げる防護障壁、ほころびだらけの金色のドームはまるで放棄されたスズメバチの巣だ。そんな不良品でも立ち上げただけで彼女のユニオンコアは罅が入りそうになるほどの負荷と激痛に見舞われる。痛みに涙を流しながら彼女はそれでも最後の力を振り絞って演算を繰り返す。
「ここであきらめたらあたしがみんなに嘘ついた事になるじゃない、それじゃあ大戦艦の名折れってモンでしょっ! 」歯を食いしばって横須賀基地全面に展開する彼女の誇りはひどく危うく頼りない、それでもドームを割って重ねた面を格納庫正面へと展開する事にだけは成功する。ありったけの力で人事を尽くして着弾という天命を待ちかまえたヒュウガはその時自分の前に覆いかぶさる大きな光を目の当たりにした。
「!? だ、だれっ!? 」
穴だらけの防御障壁に覆いかぶさる新たな障壁は完全な形でしかも二重、折り重なったヘキサフレームがその強度の凄さを証明する。だが強化された振動弾頭の飽和攻撃は今までの霧の全ての防御を無効化できる威力を持つ、一発二発ならばともかく十発を超えるその全てに耐えきれるものなど存在しない ―― 損害評価のために上空を飛ぶ厚木基地所属P-1『シー・イーグル』の偵察観測員は次の瞬間に始まる横須賀基地の惨状を暗い目で見つめている。
「着弾まで2、1 ―― インパクト」一斉にドームへと着弾する振動弾頭が放つものすごい衝撃波がはるか上空を飛ぶ彼の機体をも大きく揺さぶった。閃光を追いかけて轟く轟音と巻き上がる爆発煙がドーム全体を覆い隠してそれ以上の観測を拒絶する。「現在視界不良により観測困難、煙が晴れ次第損害評価を開始。第二次攻撃の可否を判定する、送れ」
「 “
「? ピーコック509了解、では損害評価確認の後に現場上空を離脱する …… 煙が晴れる、録画開始」冷静な声でそう告げる偵察員がパネルを指で叩くと機体下部に突き出た撮影用レドームの中に設置された高性能カメラがフォーカスモーターを動かして下を向く。防衛予算を何年もかけてやり繰りしてやっと作った横須賀要塞 ―― 日本の砦の一つとして広大な太平洋を睥睨するべき強大無比な心柱の無残な姿を映し出すはずだったその機器はレンズを通じて信じられない光景を観測員の前へと差し出した。
「うそだろ …… ピーコック509からアツギオーシャニック」
* * *
「まさか無傷で済むとは」
横須賀要塞から海に沈んだ二つの海堡を挟んで対岸となる富津岬、朽ちかけの展望台の頂上に陣取って双眼鏡を押しあてたままの上陰が感嘆のため息を漏らした。今まで蓄積したデータから幾度もシミュレーションを行って得た結果は少なくとも一発で大戦艦級のクラインフィールドを抜く威力を持っているはずだった、しかし連れてきた彼女の言葉通りの現実を目の当たりにして上陰は日本随一と謳われたその才能を認めざるを得ない。
「だから言ったでしょ? こうなるって」
彼の立ち位置から少し離れた場所で得意げに言い放つ少女へと視線を向けながら彼は深刻な面持ちで言った。「だがこれでは新型を量産する意味がない、確かにこの弾頭の開発責任者は君だがこれで霧には通用しない事がばれてしまった」
そう言うと懐へと手を差し込む上陰、今周りに身を守る者がだれ一人いない事を知っている彼女はその一挙動だけで警戒心をあらわにした。
「慌てるな、私はそんな事はしない …… タバコが吸いたいだけだが構わないかね? 」
「ダメって言ってもどうせ吸うんでしょ? 」下から睨みつける嫌悪の視線もお構いなく彼は煙草に火をつけて一息くゆらせた。海風に乗った紫煙がゆらゆらとたなびいて少しづつドームが消え始めた横須賀へと流れていく。
「だが我が国が大枚を投じて作った横須賀要塞の被害が最小限に押さえられた事には変わりがない …… それだけは礼を言う、刑部博士」
横須賀の異変に基地司令より先に気づいた上陰は連絡が入るより先に行動に出ていた。横田基地に駐留している在日米統合軍よりV-22オスプレイを無理やり接収した彼はその足で蒔絵の滞在先へと向かい、彼女とその護衛二名 ―― 正確には一人とヌイグルミ ―― を乗せて一番横須賀の様子が伺えるこの場所へと舞い降りたのだ。突端の展望台から少し離れた場所で上向きのティルトローターをアイドリングさせる大きな影は油断なく二人の様子を暗視カメラで窺っている、何せ片や日本の防衛を裏から支える若手官僚の出世頭でもう一人の幼い少女が従えているのは元霧のメンタルモデルだ。
「 …… 一度命を狙われた相手からお礼されてもねぇ。それにあたしをここで殺しちゃえばあの弾頭が使えなくなった秘密はだれにも ―― 」
「蒔絵っ! 」
声を荒げて海の上を奔る黄色い光が彼女の前で実体化を果たす。黒いコートに包まれたツインテールの金髪の少女は上陰と蒔絵の間に割り込んで一触即発の殺意を叩きつける。「貴様っ! 蒔絵になにしたっ!? 」
ハルナの手を振りほどいて一歩前に出たピンクのクマのヌイグルミがフェルトの爪で上陰を指差した。「こんな形だとなめてかかったら痛い目見るぞっ!? 仮にも元霧の大戦艦ヨタ ―― いやキリシマっ、その気になればお前たちの命くらいあっという間に」
「ここで君を殺したとしてもこの二人は ―― いやニ隻か ―― その秘密を知っている。それに仮に君たちを殺せる手段を持っていたとしてもそれを行使する気にはなれんよ …… なにせ君たちは『蒼き艦隊』の一員だからな」凄味を効かせるキリシマを見下ろした上陰が小さく笑った。
「本気の千早群像を敵に回すほど私は愚かではない」
飛び立つオスプレイの黒い影を見上げながらそれが射程外へと出ていくまでハルナとキリシマは警戒を崩さなかった。ローターの音が小さくなりすっかり元の静寂を取り戻した岬の広場で手を繋いだまま横須賀へと目を向けた三人はお互いの健闘を讃えあった。「ハルハルっ、ご苦労さまっ。ヨタロウもありがとねっ」
「しかしすごい威力だったな、一時はどうなる事かと思ったぜ」
「そうだな、蒔絵に教えられた通りの周波数をクラインフィールドに展開してなかったら多分粉々にされていた …… でもどういう理屈なんだ? 」ハルナの問いかけに抱かれたままのキリシマは小さく頷いて二人同時に足元に立つ小さなヒーローへと視線を送る。
「三次元化する物体には必ず固有振動周波数って言うモノがあってね、それは霧の船だって例外じゃないんだ。振動魚雷の弾頭部にはある一定の周波数を発信するジェネレーターが搭載してあって着弾と同時に出るその子がクラインフィールドの周波数と共振してバーって全部壊しちゃうの」
「なる …… クラインフィールドがなくなれば我々も人類の艦船と同じ鉄の塊みたいなもの、弾頭と一緒に命中する浸食兵装をこらえ切れない ―― でももしこちら側がその周波数を変えてしまったら振動弾頭は無効化してしまうんじゃ? 」
キリシマの言葉に蒔絵はフルフルと頭を振った。「そうなんだけどそれはもうできないの。あなた達の総旗艦が沈んでしまった以上あなた達の機能を調整する人はもういなくなっちゃった、だからこそこの弾頭は常に霧の船に対して有効打になれるんだけど」
「ではもし万が一ヤマトに変わる総旗艦が生まれてしまったらそれは現実味を帯びるという事か」不吉な言葉を口にするキリシマを抱いたハルナの手に力がこもる。しかしにっこりと笑った蒔絵は彼女の心配を払拭するように言った。「大丈夫だよ、もしそんな事があっても周波数はいくらでも変える事ができるしその数字を見つけるのなんてあたしには簡単な事だから」
あっけらかんととんでもない事を口にする彼女の能力に背筋を寒くする二人、もし蒔絵が霧の船だったらどいつもこいつも片っ端から彼女の変幻自在な才能の前に海の藻屑へと変えられてしまいかねない。演算能力と言うのはとどのつまりどれだけ計算が早いかという事に尽きるのだが蒔絵の場合は発想イコール回答と言う一切の過程を省略した論理的には不可解な計算能力だ、これだけは例え総旗艦と言えども演算と言う形式にとらわれた機能である限り人間の頭脳の持つ神秘の極致には敵わない。
「あ、そういうこと、か」ふとキリシマが何かを思いついたように呟いた。「蒔絵が私達に教えた周波数って ―― 」
その言葉に喜んだ彼女はきゃーっと言いながらクマのぬいぐるみをハルナの手から奪い取って思いっきり抱きしめた。「そうだよっ、エライぞヨタロウっ! これだけの説明で分かっちゃうなんて先生はとっても嬉しいぞっ! 」
「振動弾頭の周波数に共振する周波数をぶつければクラインフィールドの表面で相殺されてその威力を発揮できない ―― それがこの弾頭の弱点と言う事か」キャッキャと騒ぎながらヌイグルミを弄ぶ蒔絵にそう告げるハルナはその文面を丸ごとアーカイブに保管しようとして思いとどまる。「蒔絵、今の言葉は記録しない方がいいか? 」
「うん、そうだね」上気した顔で見上げながら彼女はポケットから取り出した錠剤を一個、口の中に放り込んだ。今回偶然日本に滞在していたのも彼女の持つ力を欲する日本政府からの招待によるもの、博士と言う肩書を不本意にも押しつけられた彼女の日常が昔の穏やかさを取り戻すのはいつの日になるのだろうか? 少しづつ増えていく薬の量を黙殺しながらハルナは険しい表情を浮かべた。
「心配しなくても大丈夫だよっハルハル? さっきあの人にも話した通りあたしが死なない限り振動弾頭の優位は変わらないし平和は守られる、それに ―― 」乱れた息を整えた蒔絵が手の中のキリシマと目の前のハルナを交互に見遣って天使のような笑顔を見せた。
「二人があたしを守ってくれるんでしょ? 」
* * *
「 …… うっわあ …… 痛ったそう」椅子に座ったまま腫れた頬に冷却材を張り付けた群像へと心配そうな顔を近づけたいおりが辛そうに呟く。一連の騒動がなんとか終息へと向かった所で401のクルー達は船を降り、飛び出したまま帰ってこない艦長を探して静やいおりの部屋がある女性士官居住エリアへと足早に向かった。途中入口のところで男子二人を待たせた二人は長い廊下を一目散に駆けて行こうかとした所で小さな人影が向こうからトコトコと歩いてくる姿を目撃する。
気を失った群像を背負って普段通りの表情で彼女たちに近寄ったイオナは二人の心配をよそに背中の群像の顔を振り返りながら言った。
「群像、叩いちゃった」
「さあ、まずその件から話そうか群像 …… イオナになにしたの? 」
「ちょっと待て、そっちか!? 」声を発するだけでも痛みが走る頬を押さえながら群像が聞き返す、その姿を周りで見つめる401のクルーをはじめとする『蒼き艦隊』の面々。木更津から海を渡ってきたハルナとキリシマは蒔絵とともに遅くて豪華な朝食の真っ最中だ。今回の騒動を収めたのは主にこの三人だ、その行いに敬意を表した主計局が腕によりをかけて作ったフルブリティッシュに感激の声が上がる。
「すっげい、日本でこんな本格的なのが食べられるなんて思わなかった」「んんっ! ほんとは食べなくても平気な体なのにどういう事だっ!? 今の私ならフルファイアの兵装を全部別々の目標に当てられそうな気がするっ! 」「ヨタロウ、椅子の上に立つな、食べ物は逃げない」
「まああっちはあっちで盛り上がってるんでそれは置いといて ―― 」背後の三人へと向けた顔を元に戻したいおりが再び真剣な目を向ける。「白状しろ群像、あたしらが必死こいて船体守ってる時に君はイオナになにをしたんだい? 」
「誤解だ、って言うか何もしてないっ! 」
「なにもしてないのにイオナが群像をひっぱたいたって? ないないそんなの」
「そうですよ、イオナちゃんだって何か理由があって実力行使したんだと思いますよ? ね、イオナちゃん? 」静の手が隣に座るイオナの頭を優しく撫でる、罪の意識に苛まれているのか昨晩クルーと合流してから一言もしゃべらない。
「本当だ、ほんとに何もしてない、って言うかそんな事よりもっと考えなきゃいけない事があるだろうっ!? どうしてイオナが横須賀をハッキングしたのかとかミラーリングの事とか ―― 」
「いい? 群像」抗弁する群像の顔の前にビシッと人差し指を突きつけたいおりが言った。
「そーゆーのは女子にとっては後回しでもいい事なの。眼の前にぶら下がったマンガと恋バナ、マンガを選ぶのが男子、恋バナを選ぶのが女子」
「 “ 恋バナ ” …… 恋に関するお話。 今の彼氏や好きな人に関する話題だけでなく、元カレの話や今カレの元カノにまつわる話まで、恋愛に関係する話を広く「恋バナ」とあらわす場合が多い ―― タグ添付、分類、記録」
「ハルナ、煽ってどうする!? っていうかほんとに何もないんだっ! 嘘だと思うならイオナにも聞いてくれっ! 」心から困惑した顔で訴える群像を疑いの眼差しで眺めたいおりと静が今度はイオナへと質問の矛先を変える、だがその態度も表情も群像へと向けていた物とは大きく異なった。「ねえ、イオナ。あたしには本当の事話してくれるよね? 」
少しの間をおいて俯いたまま小さくうなづく。まるで性被害に遭った被害者を諭す少年課の婦人警官のような口調で語りかけるいおりの顔を見上げるイオナ。「 …… 君は、あのお兄ちゃんになにをされたのかナ? 」
「 …… 抱かれた」
言い方っ! と心の中で叫んで戦慄する群像の目に人知れずメリッと盛り上がる静の二の腕が飛び込んだ。眼鏡の奥から向けられる視線に込められた明らかな殺気、父や兄とともに台湾海軍の「両棲偵捜大隊(ARP)」に在籍していた彼女が怒れば群像のような一般学生を血祭りに上げる事など造作もない。「い、いやそれは ―― 」
「おのれ千早群像っ! 」だが翻訳の出鼻を挫いて部屋の隅から怒声が轟いた。休息モードを露わしていたパネル表示が覚醒モードへと瞬時に変化したかと思うと卵型の多腕マジックアームの上部が裂けるように割れてヒュウガが外へと躍り出る。
「おとなしくしていればつけあがりやがりましてこのけだものっ!! よくもあたくしのイオナ姉さまをてごめにしやがりましたなこの野郎っ!! かくなる上は姉さまになり替わりましてこのあたくしが死も生易しく感じるほどの天誅をくわえてさしあげまして ―― ぁあ? @ぽクytふぇすぁぞ …… 」
上げた機炎もどこへやら、いきなり意味不明な言葉を呟いてへにゃへにゃとその場に崩れ落ちるヒュウガ。「無理をするなヒュウガ、お前のユニオンコアは見た目こそなんともないが機能を回復するまでにかなりの時間を必要とする …… 全く無茶をしたものだ、自分のコアを守る最終防壁をメインフレームの防御のために使うなんて」
え? という空気が流れてアメーバ状に溶けて横たわる彼女へと視線を送るクルー達。「私たちのコアを守るウィザード・ラムパートは強固でめったなことでは壊れないし外部からの干渉も受け付けない、だがそれを自分から外したとなると話は別だ。恐らくその間ヒュウガは401から絶えずハッキング攻撃を受け続け、彼女はそれを跳ね返すために演算能力の全てを使い切った」
「ヒュウガ …… あたしのために」ハルナの言葉に思わず呟いて視線を送るイオナ、だが彼女はまるで力を得たかのように全身をくねくねと動かしながらゆっくりと割れた卵の根元へと這い寄り始めた。「そ、そんなに怪しい視線を私に向けないでくださいましイオナ姉さま。やせても枯れてもこのヒュウガ、イオナ姉さまのためならばたとえ火の中水の中。ましてや直々にいたぶられる事など私にとってご褒美以外の何物でも ―― 」
「ま、そこそこ平気そうなヒュウガの件も置いといて」ぶつぶつとなおも言葉を垂れ流しながらマジックアームへと這い続けるヒュウガをよそに頑固な取調官と化したいおりがその場を取り仕切って再び群像を訝しげに睨みつけた。「 …… 抱かれた? 」
「ま、まていおりっ! 俺が部屋に入った時イオナは寝たまま起きなかったんだ。だから一刻も早くなんとかしなきゃってイオナを抱いて船に向かおうとした事をイオナは言ってるんだ、嘘じゃないっ! 」
「おお、まるで浮気の現場に踏み込まれて言い訳する彼氏? 」
「艦長としての千早群像に対する尊敬の念は変わりませんが ―― 」ゆらりと立ち上がった静が両手の指を何度も開け閉めして拳の具合を確かめる。「段取りを無視した傲慢な人としてのあり方、ましてや家族に対する不埒な行いについては綱紀を正さなければなりません。台湾のことわざに『腕の骨を折って、かえって強くなる』という言葉があります、ここはぜひその故事に倣って私が」
「ち、ちがっ! 静っ! お前が考えてるのはただの物理だっ! そうじゃなくて ―― 杏平っ、僧っ! 二人もなんとか ―― 」叫んで助け船を求める視線の先で人差し指を唇の前に立てて「しーっ」と沈黙を求める杏平の姿があった。見ると隣に座っている僧の体がぐったりと椅子に沈んでいる姿が映った。
「すまん群像。僧は精根尽き果てて心身ともに睡眠中で俺は長いものにはとことん巻かれたい。ここは一つお前の得意な説得でなんとか切り抜けてくれ」
「きょ、杏平っ!? 」
出す方向を間違った助け舟と迂闊さに思わず狼狽する群像に向かって指を鳴らしながら歩み寄る静といおり、その時二人の足を止めるかのようにドアが三回叩かれて自衛官の服をまとった士官がドアを開けて室内へと姿を現した。
「母港を潰しかけてさぞやお通夜になっているかと思いきや、事の他にぎやかで大いに結構。さすがは人類を救った『蒼き艦隊』の面々と言うところか …… 千早群像、基地司令がお呼びだ」