蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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ザ・スロットⅦ ―― What should I believe in

 私は最初。

 この仕事は自分には向いていないと思った。

 

 欠けたピースの一つとして私に与えられた役割は船の耳目となるソナーマンという仕事、特殊部隊の偵察要員としての訓練やいくつもの実戦をこなして来た私にとってそれはとても畑違いの任務だ。いくら命を助けられたとはいえそれを二つ返事で引き受けるということはためらわれたが千早群像という艦長とメンタルモデル ―― 自分達の怨敵でありながら人類に与する「イオナ」と呼ばれる少女、そして織部僧・橿原杏平・四月朔日いおりというクルー達の説得で私は内心渋々とその役割を響真瑠璃という少女から引き継いだ。

 何もかもが違う世界で分からない事だらけの仕事はいつもその度に自分の無力さを思い知らせて助けてあげられなかった事への後悔ばかりを募らせる、ここにいるのが自分じゃなければ ―― 彼女が残っていてくれたならきっとあの人たちは生きる事ができたかもしれない。圧倒的な力に立ち向かう事への無謀と挫折を幾度も味わいながら、それでも私はなぜか密閉された世界に刻まれる雑多な音をただひたすらに追い続けた。

 

 海の中での生の営みはとても複雑で忙しく美しい。

 北の海で鳴くシャチや小笠原でじゃれ合う鯨の群れ、そして大勢のイルカ達が交わすかまびすしい会話の数々。平和を取り戻したこの世界がどれだけ豊かで鮮やかなものであるかという事を私は音で知っている。歌い、唄い、謳い、詠う。

 彼らの音へと耳を傾けながら、私は心のどこかでこの世界が長く。

 それこそ永遠に続いてくれればと願っていたのかもしれない …… 今日この日が訪れるまで。

 

            *            *            *

 

「艦体接触音っ!! 」

 焦燥に顔をゆがめる静の叫びで艦橋の全員が硬直した。潜水艦乗りならば最も耳にしたくない金属同士の擦れ合う音と歪んでいく叫びが外海で流れる数多の喧騒を差し置いて401の艦内を席巻した。

 

 それはまるで海洋哺乳類の戯れのようにも見える。

 艦首同士をこすり合わせたカザンとサンタフェがお互いに踠き合いながら再び渓谷の裂け目を目指して沈降する。接触面の消音タイルが衝撃でボロボロと剥がれ落ちて二艦に先んじて海の底へと向かう中、ゴボゴボと泡を吐きながら沈んでいく彼らに向かって叫んだのは無理やり無線封鎖を引っぺがしたイオナだった。

「ノンナっ、みんなっ!! 返事をしてっ! 」

「無線封鎖解除っ! 各艦状況っ! 」喰い気味に群像がマイクに叫ぶと返事が返ってきたのは海上で艦隊の傘を務めようと躍起になる白鯨Ⅲだけだ。

「 “ こちらブルー2っ、群像そっちはっ? ” 」

「今アッシュビルが緊急浮上中、こっちでぶつけて止めようとしましたが躱されました。サンタフェの方はカザンが無理やりぶつけて渓谷へと押し戻しています」

「 “ さっきの音はそれかよっ、まったくあのロシアの姉ちゃん無茶すんなぁっ! ―― 来るぞ群像っ、すぐにクラインフィールドで艦体防御っ ” 」

「しかしまだアッシュビルがっ!? 」

「 “ 奴らの事は諦めろっ! ” 」この期に及んでとばかりに駒城の叱責が群像の口から反問を奪い取る。

「 “ 運が良ければまた会えるなんてシュガーなレベルじゃねえ、奴らは戦場で下手を打ったっ! よく覚えとけ群像、たった一つの油断とミスがその船と乗組員全員の命を奪う事になるんだっ。その目と耳で奴らの最期をしっかりと見届けろっ! ” 」

 霧との戦いで仲間のほとんどを失った潜水艦隊の生き残り、いくつもの悲嘆と悔恨を糧に戦いを止めない駒城の言葉に群像はただ黙るしかない。救いの手を伸ばせない悔しさに外殻の向こうのどこかで未だに海面を目指しているはずのアッシュビルを睨みつける彼の耳に静の叫びが突き刺さる。

「フィールド着弾音っ! 対潜ミサイル着水、数30っ! 」

「杏平、艦首一番二番ホームガードっ! アッシュビルの直上に向けて起爆調整っ! 」

 目の前の命を失う事に抗う群像の檄に阿吽の呼吸で応える杏平のスタイラスが残像を残してパネルを走る、圧搾空気で押し出された二本の長魚雷が推進を得ながら401の艦首から遠ざかる。「401からアッシュビル、聞こえるかアッシュビルっ! 対潜ミサイルが接近している、誰でもいいっ! すぐに深度を下げてくれっ、50でいいからっ! 」

「ダメです応答ありませんっ! ―― ミサイル接近、タナトニウム反応っ! 」

「ダメだ群像っ! 距離が中途半端で魚雷の速度が乗らねえ、間にあわねえっ!! 」

「くそおっ! 静、ヘッドセットを外せえっ!! 」

 

 水を伝わって全員に届く轟音と衝撃。

 三回。

 

 大きな揺れが収まって訪れるわずかな静けさ、だが明らかな直撃を示す証左に静とイオナは全ての器官を全開にして海の様子を探りまくる。間違いである証拠や営みが途切れてはいない気配や細い糸同然のかすかな希望、しかし手に入れた情報やデータはどれもこれも彼女達の願いや希望を全て否定した。

「 …… 巨大なブロー音、艦体外殻の破孔三か所。アッシュビル急速に沈降中」「熱源消失、原子炉の緊急停止を確認 ―― 彼らの生存は、絶望」

 一時的とはいえ共に戦った仲間の喪失で重苦しい空気の漂う艦橋、しかしその沈黙を破ったのは戦況をじっと見つめていた僧だった。「静さんっ、それより残りのミサイルは!? まだ相当数が ―― 」

 危惧を口にした彼に呼応する静は片耳だけに当てたヘッドホンに力を込めながら戦況図を見上げながら悲壮な叫びを上げた。「っつ ―― 大変です、残りのミサイルはそのまま海底目がけて直進してますっ、着弾予想地点にカザンとサンタフェがっ!? 」「! 」

 絶句して全員が視線を向けるメインモニター、戦況予想図に描かれた悲劇の結末にイオナの叫びがこだました。

「ノンナっ、逃げてぇっ!! 」

 

「ノンナっ、敵の対潜ミサイル来てるよっ! 距離300っ! 」ヘッドホンをむしり取りながらソナー手が叫ぶとノンナはマイクを取って各部署へと通達した。「各セクション気密確認、艦首魚雷管室はダメコンを中断してすぐに退去せよ。繰り返す、修理はもう必要ない ―― サンタフェ、聞こえるか? 」

「 “ こちらサンタフェ、すみません。自分達のせいで貴艦まで ” 」苦しい息遣いは恐らく何らかの手段を用いて艦橋要員を正気に戻す事に尽力したという証拠、艦長としての職務を全うした将来有望な彼にノンナは微笑んだ。「貴官はよい経験をしました、その事は実に幸運だったと生きて基地に帰ってぜひ皆さんに報告してください ―― これより接触部分を剥離してサンタフェはそのまま機関全開でこの渓谷を前進するように」

「 “ サンタフェ了解、では貴艦が先行してください、微力ではありますが殿は助けられた私たちが務めます。生きて共にこの渓谷をくぐり抜けましょう ” 」

 希望が芽生えるとこんなに人の声は明るくなるのか、とノンナと乗組員は苦笑いした。希望と絶望という真逆に位置する感情がもたらす笑いとは似て非なる事だと分かっている、そう考えると人間の感情表現は意外と乏しいものかもしれない。苦笑いをしたノンナは操舵士と顔を見合わせてルーズに動く舵を見ながらマイクのスイッチを押した。

「本艦は現在操舵不能、ですから貴艦と一緒に行く事はできません ―― ここでお別れです」

「 “ ! そんなっ! ならば今度はこちらが後ろから貴艦を押してでも ―― ” 」激昂するサンタフェを遮るようにカウントダウンを始めるソナー手へと視線を向けた彼女は落ちついた声で告げた。

「そんな暇も言い争っている暇もありません、敵の対潜ミサイルが来ます。渓谷の底ギリギリに深度を下げて両舷強速、早く行きなさい ―― 良き旅を、サンタフェ」

 

 渓谷の両側へと次々に突き刺さる浸食弾頭が一瞬の間をおいて炸裂する、平坦だった海底がグズグズに耕されて塒と形容された亀裂を秒単位で突き崩す。カザンとサンタフェがいた場所はまるでがけ崩れが起こった谷間のように大小の瓦礫で瞬く間に埋め尽くされ、後を追うように巻き上がる泥砂の煙幕によって磁気反応ごとかき消された。

「! カザン、応答しろっ! パヴロヴナ中佐っ!? サンタフェっ! 」成す術のない自然の驚異の前に思わず艦長席から立ち上がって地形データの画面へと呼びかける群像だがあまりの衝撃にその後の言葉が続かない、爆発の規模と岩盤に含まれる磁気鉄によってセンサーのほとんどを無力化された彼らはただ呆然と眼下の光景を見送る事しかできなかった。

 

            *            *            *

 

 戦闘海域を離脱し夕凪が漂うソロモン海の真ん中に浮かぶ三つの影、IFFの反応を受けて一目散に発信地点へと向かった401と白鯨Ⅲが見たものは機関を止めたままポツンと浮かんでいるサンタフェの姿だった。内火艇代りのゾディアックを操り急いで向かった群像達の目に映ったロサンゼルス級はVLSハッチのいくつかが取れて内部構造を露天に晒し、至る所の防音タイルが剥がれ落ちて外殻にまで破損が及んでいる。よくこれで無事に浮かび上がれたものだと驚く彼らを出迎えたのはサンタフェの艦長と副長の二人だけだった。

 悲痛な表情の敬礼で出迎える彼らに切言した駒城は開口一番に尋ねた。「他の乗組員は? 」

「半舷休息を取らせております、ダメコンや各部の応急修理で随分と無理をさせたものですから」「そうか」

 駒城の後ろに続いていた浦上が頷いて前に出るとサンタフェの艦長の肩を一つ叩いた。「よく艦長としての職務を全うしてくれた。アッシュビルは残念なことになってしまったが、君達が生き延びてくれたという事だけでも我々は米軍やグアム島司令に対して今回の犠牲に対しての面目が立つ」「 ―― っつ、ライオン2にっ」

 頬笑みを浮かべる浦上に向かってその若き艦長は声を詰まらせながら胸の底で蟠る無念を吐露した。

「 …… カザンにっ、よい旅をと言われました。彼女は ―― いえカザンの方々はこんな私達を逃がすためにっ、あんな優秀な方々を私たちの命と引き換えにして」

「彼女達の恩に報いたいと思うのならば君達が彼女達の代わりになればいい、いやそうなるべきだ。彼女達はロシア極東艦隊としての信念を全うして代わりに命を落とした、だがその因果は君だけではなくここにいる駒城や千早も同じようにくぐり抜けてきた試練なんだ。その事を忘れることなくこれからも精進に励んでほしい、いいな? 」

 歴戦の将官から手向けられた言葉に肩を震わせながら何度も頷くサンタフェの艦長をボートの傍から眺めながら人の持つ『死』ヘの概念に思いを新たにするメンタルモデルの二人、ヒュウガがその思いを口にする。「私たちは自分が壊れてしまう事 ―― 人の言う『死』という物が訪れたらそれで終わりだと思ってた、でも人の『死』ってまだその先があるのね」

「あたしは群像が目の前で『死』んだ時、あたしの全てがなくなっちゃうと思った。だからそうなりたくなくて自分のありったけの力で群像を助けようとした …… でももしあそこで群像が本当に死んでいたなら他のみんなは、世界は。どうなっていたんだろう」

「そりゃ勿論人類は死に絶えてこの星の全てはアドミラリティコードと総旗艦の思うがまま、人類に手を貸したイオナ姉さまやあたしやタカオは一生お尋ね者として沈められるまで追いかけられる事になるでしょうね。負ける気なんてさらさらないけど ―― でもね、私はそうならなくて良かったって思う」

「どうして? 」

 

 今でこそ変態シスコン露出狂の性癖全開で人生を闊歩するヒュウガだがイオナは彼女の元の人となりをよく知っている、第二巡航艦隊の旗艦として多くの霧を善くまとめて任務に対して忠実であろうとし続けた彼女は紛れもなくコンゴウと並ぶ双璧だ。その彼女が自分の与えられていた任務に対して間違いを今さら唱えるなどとは思ってもいなかったのだ。

 びっくりしてヒュウガの顔を見上げたイオナの目に映る彼女は微笑んでいた。「私ね、『あの人』見てて指揮官としては本当に足りない事だらけだったって思う。喜怒哀楽激しくってたまーにこいつぅって思ったりもするけど、でもああやって誰かの心に寄り添って励ましたり導いたりしてあげる事が私はできなかった。だから私もああいう存在になりたいなあって思うの」

「 …… あの、ひと? 」

 誰の事か分からずに思わず尋ねるイオナの声にヒュウガの表情がみるみる変わった。「あ、いやいやいやそうじゃなくって! そういう意味じゃなくって、何て言うかそのほらえーっと、そうっ! 寄生虫っ! イオナ姉さま寄生虫って分かります? よーするにですね、誰かにひっついていろいろ自分にとって必要な栄養分を吸い上げて太っちゃうーみたいな」

「ヒュウガ、太ったの? 」

「太ってねえわっ!! 」

 思わずガチ目に言い返したヒュウガがイオナを睨みつけるとその声を聞きつけた群像が振り返った。「どうしたヒュウガ? 何か異変が? 」

「あ、いやいや何でもないわ。ちょっとイオナ姉さまとのお話に熱が入って ―― あれ? 」てれ隠しに笑いながら手を振ってごまかそうとした彼女の動きが急に止まって笑顔が消える。「? …… ヒュウガ? 」

「 …… イオナ姉さま。何か ―― 聞こえません? 」

 怪訝な顔で尋ねるイオナに向かってヒュウガは聞き返した。

 

 イオナとヒュウガの立ち位置は群像達幕僚が船を離れた時にその周囲を警戒するための索敵と緊急対応、その二人が反応した事で一気に緊張が高まるサンタフェの甲板上。駒城がすぐに無線で白鯨Ⅲの警戒シフトを上げ、群像はイオナに遠隔での機能操作を求める。彼女が演算リングを立ち上げて水上レーダーを起動させるとすぐにその奇妙な音の音源をつきとめた。

「水上レーダーに感あり、方位076距離800」「 “ 艦長、どうやら何かの金属音の様です。それもとても小さい ” 」

 イオナに続いて艦に残って周囲を警戒していた静が報告するとその後から杏平の声が聞こえた。「 “ なあ、なんかこの音なんかのリズムっぽくね? なーんかどっかで聞いたような気がすンだけっどなあ ” 」

「リズム …… イオナ、分かるか? 」「うん、これは大昔に使われたモールス符号」

「ちっくしょ、慌てて出て来ちまったから双眼鏡持って来てねえ。群像、なんか持ってるか? 」駒城に尋ねられた彼は一つ頷くとすぐに船へと無線を飛ばした。

 

 セイルのポケットからポン、と飛び出した物体が空中で展開してローターを回し始める。401に後付けされた偵察用のドローンは小さな羽音を響かせながら杏平の操縦でイオナに指示された場所へと向かい、警戒態勢を一段上げたサンタフェの艦上はにわかに慌ただしくなった。「杏平、どうだ? 」

「 “ そう焦っせんなって ―― イオナ、音の発信源は全然動いてないのか? ” 」「うん、海流に少しづつ流されてはいるけど海上レーダーに示された辺りにまだいる」

「 “ りょーかい。こっからだと逆光で見えづらいから少し回りこんで接近してみる …… まさかたぁ思うけど、もし敵の斥候とか『はぐれ』だったらどうする? ” 」

「その時はこっちと白鯨Ⅲで何とか対処する、正体が分かったらすぐに教えてくれ」「 “ あいよ ” 」

 どんなに深刻な状況下でも軽い返事を返してくれる杏平の存在は貴重だ、ほんの少し気が軽くなった甲板上で夕焼けに溶け込んで見えなくなったドローンの方向へと目をやる面々。だがその空気もドローンを操る彼の驚きの悲鳴で見る間にかき消された。

「 “ おわぁっ! ちょっとまてマジかよっ!? ” 」杏林の叫びを皮切りに群像の耳を埋め尽くしたのはクルー全員の叫び声だ、慌てた群像がその原因を確かめようとマイクに向かって口を開こうとした瞬間に喜びにあふれた杏平の声が群像の耳を叩いた。

「 “ すげえぞおいっ! こんな事ってあンのかっ ―― イオナっ、イオナ! 今から映像そっちに回すからみんなに見せてやってくれっ! ” 」

 

 イオナが立ちあげたウインドウへと転送された画面を「ん」と言ってみんなの方向へと向けるイオナ、オレンジ色に染まった海原にポツリと浮かぶ黒い背中はどことなくクジラの背中を彷彿とさせる。だが杏平が映像をズームした瞬間にそれが違う物だという事が分かった。

 思わず目を細めて画面を覗き込み、荒い解像度の画面からその正体を見極めようとする群像。しかしその背中の上で蠢く小さな物体が人影だと分かった瞬間に彼はその音の正体が分かった。

「! …… 鍋と、スプーン、だ! 」口から飛び出したその言葉に今度は浦上と駒城が同時に顔を見合わせた。「「 ―― カザンだっ!! 」」

「イオナ全艦にこの映像を流してくれっ、早くっ! 」喜びを声に表して急かす群像に同じ笑顔で応えたイオナとヒュウガがそれぞれの船へとリンクすると途端に外殻を貫いて湧き上がる歓声の渦、あまりの事に勢い余った大勢の乗組員が我先にと上甲板上へと姿を見せる。

 全身を朱に染めたカザンの乗組員の中でひときわ体格の大きい女性が両手に持った鍋とスプーンを頭の上でカンカンと打ち鳴らし周囲では乗組員達が華やかな笑顔で両手を高く掲げて大きく振る、その喧騒の傍で作業着を油で染めたまま胡坐をかいて笑っているノンナがいる。

「ノンナ …… よかった」思わず顔をほころばせて彼女の無事を喜ぶイオナは群像へと向き直った。「群像、あたしノンナを迎えに行きたい」

 

 本来ならば船に残っている僧がその役目を担うのだろう、だが群像はイオナが見せる初めてのその感情に思わず目を見張った。

 メンタルモデルは『最後の総旗艦命令』 ―― すなわちイオナが放った命令によって自らの身の振り方を自分で決める事を余儀なくされた、それはそれぞれの霧が自分の『意志』で行動しなければ成し得ない事だ。『意志』とはある目標を成し遂げようという『心の働き』の事を指す。

 だが今のイオナの言葉は『意志』というには少し違っている。

『成し遂げよう』ではなく『成し遂げたい』 ―― 二つの言葉は似ている様で中身が変わる、つまりイオナは『現実をより有効に知覚し、より快適な関係を保つ』事から『自己、他者、自然に対する受容』という意識を会得した事になる。

 

「わかった」

 彼女の内なる変化に思わず微笑んだ群像が一つ頷くとイオナはパアっと明るい笑顔を浮かべたまま演算リングを立ち上げた。

 

           *            *            *

 

「助けて頂いてありがとうございます」

 開口一番の柔らかな物腰は戦闘中の苛烈な物言いとは違って非常に穏やかな物だ、だが誰よりもその言葉を否定したいサンタフェの艦長は駒城の脇からノンナの前へと割って入った。「そのセリフをそっくりそのまま貴官にお返ししますっ、身を挺して本艦を助けて頂き本当にありがとうございますっ! 貴官のあの行動がなければ私たちは今頃 ―― 」

 それ以上の感謝を口にする事ができずに掲げた右手がぶるぶると震えたままだ、ノンナはそんな若者の思いを優しい頬笑み一つで受け止めたかと思うと小さく頷いた。「貴官の僚艦には本当に申し訳ない事を致しました、みんなを無事に家族の下へと返そうと努力はいたしましたが無念にも力及ばず …… ですがこれが人類が霧と戦うという事です、人の知恵や力だけではどうしても乗り越えられない大きな壁。今日起こった事を経験として仲間と共有し、生き残る術を見つける事が貴官に課せられた課題となります。ゆめゆめ怠らぬよう」

 染み込む様な声音で訥々と語るノンナに思わず背筋を伸ばす若者の姿を嬉しそうに眺めた浦上は一息置いて、好奇心の任せるままにその疑問を問いかけた。「しかしよく無事だったな、俺は一瞬ルスランへのいい訳をどうしようかと頭を悩ませてしまっていた所だ」

「まあ、私が命令違反を犯してしまってる事もありますからその辺はふつーに『死んじゃった』でも十分閣下は納得されたかと思いますよ? 」

「でもあの渓谷の崩落からどうやって? 船体のダメージを見る限りではまともに航行できるどころか無事に浮かんでられる状態ではないんだが」

 イオナとヒュウガが共同で行った損害評価の値はほぼ『全壊』、外殻の至る所にひび割れが生じていて決定的なのはセイルが艦体接合部の根元からポッキリともぎ取られている事だ。浮上時にはピッチリとゴム状のシートで密封されてはいたがその下は広大な破孔部をかなりの量のエポキシ・メタルが塞いでいる、常温で速硬性のある船舶の修理用常備素材だがそれでも圧のかかる海中でそれだけの修理をやってのける所に彼の艦隊の修羅場の数が垣間見える。

「舵が壊れた時点で艦の操作を両舷キャタピラーの出力差で補えたのは唯一の幸運でした、まあいくつか落石の直撃は貰いましたが。何とか海底に軟着陸して後は着床したままコツコツとダメコンを、VLSを全部使い切っていたので船体が軽かったから二個ほど修理した時点で浮力が出ました。うちの連中に感謝です」

 とはいえパッと見油まみれになった作業用の繋ぎを見るとノンナ自身ももの凄い作業に加わっていたのだろう、指揮官自らが修理に参加して船を生き返らせるという未曽有の行動力は同じ立場として本当に頭が下がる。

「残念ながらバッテリーは全部キャタピラーの駆動に使いきって炉はスクラム状態のまま動かせません ―― そうですね、できればグアム基地で再起動の手配をお願いしたいのですが」

 ノンナの申し出に思わず怖じるサンタフェの艦長。「あ、いやそれはこちらの方で手配は出来ますが …… ですが、よろしいのですか? 」

「何が? もし基地の機密保持が必要ならその期間私達をどこかに軟禁して頂いても私どもは一向に構いませんが? 」

「いえ、恩人にそのような無礼を振るまうなど。自分が危惧しておりますのは仮にもロシア海軍最新鋭のヤーセン級を我が米海軍の手に預けても大丈夫なのかと ―― 」

 生真面目に心配する青年の言葉を聞いていたノンナはその言葉を遮るようにコロコロと笑った。「ご心配とご配慮は大変ありがたいのですがこの船も就航から40年近くの老いぼれ、見られた所でどうという事はありません。それに本当の最新鋭というのは ―― 」

 彼女はそこで言葉を切ると浦上とイオナの顔を交互に眺めた。

「日本が所有しているあの二隻の事を言うのですよ」

 

            *            *            *

 

 401と白鯨Ⅲそれぞれに舫を繋いで曳航の準備を進める一方で群像はノンナにある提案を持ちかけていた。

「カザンの修復をこちらで行うというのはどうだろうか? 」

 申し出にキョトンとして提案者の顔をまじまじと見つめ。「 …… しゅうふく、ですか? 修理作業ではなく? 」

「今回の調査行動でうちの工作船が硫黄島沖まで進出しています、万が一の用心のためだったのですがもしパヴロヴナ中佐が了承して頂けるなら船体の修復をこちらで。ただし正確な寸法が必要なので船体全てをレーザースキャンする事にはなりますが」

「いえ、でも」

 歯切れが悪くなるノンナだったがそれにはちゃんとした理由がある、確かに霧の技術を持つ彼らならこんな老朽艦の修復など簡単なのかもしれないがいくらなんでも海の上で ―― それも工作船程度の設備でできるとは思えないのだ。

「修復の件だったら心配いらないわよ、工作船の中にはちゃんと乾ドックもついてるしあなた達全員が生活できるだけの設備があるわ。もし中を見て回りたいのなら全然そうしてもらってもかまわないし」ノンナの心配を事もなげに一蹴したヒュウガが笑いながら言った。「あたしたちは一応民間組織だから別に隠すような秘密なんて持ってないの、それにあの船の乗組員は全員守秘誓約書にサイン済み。そっちに都合の悪い事が ―― 核とかね、あっても誰も何にも言わないようにできてる」

「はぁ、随分と至れり尽くせり。乾ドックや居住施設まで備えてるなんてどんな船ですか? うーん」難しい顔で考え込むノンナだったが確かに彼らの言わんとしている事は理にかなっている、グアムで炉に火を入れたところでセイルまで吹っ飛んだ船をどうやってウラジオストクにまで運ぶかまでは考えてなかったのだ。しばらく基地の隅でも間借りしてロシアからの回収部隊を待とうかとも思っていたがそれには時間もお金もかかりすぎる、命令違反をした手前ではただで帰るよりも何か手土産を持って言った方が乗組員の嘆願には有利かもしれない。

「そちらのご提案をお受けしたいのは山々なのですがグアムから硫黄島までかなり距離があります、その間蒼き艦隊に護衛曳航をお願いするのはちょっと ―― 」

「それは大丈夫、ちょうどあたしたちがグアムにつく頃にタカオとシグレが寄港する事になってる。曳航はタカオにお願いしてあたしたちは艦隊警護に回るから道中は安全だから」喰い気味に提案するイオナの声に視線を向けるとそこには年相応? な顔でお願いをする少女がいる、なんとも言えずにしげしげと彼女の表情を眺めたノンナはポツリと呟いた。

「 …… なるほどねぇ。今一瞬閣下がどうしてあなたにちょー甘いのかちょっと分かったような気がします ―― それにここまで完璧に段取りされるとこっちも断る理由がありませんね」

「ならっ」

「お手数とお手間を取らせますがカザン一同蒼き艦隊のご提案に従います、それに私もその『工作船』とやらに興味が ―― イオーナ? 」

 

 ノンナの返事の途中で突然イオナが海の方へと振り向くと不思議な表情を浮かべている。「姉さま? 」

「うちのIFF、こっちに凄い速度で近付いてる …… 先頭がシグレで後ろがタカオ、速度70ノット。ほぼ強速一杯」

「二人がこっちに? 変ねぇ、何をそんな慌てふためいて ―― 」

「 “ ヒュウガっ!! ” 」

 

 タカオの声を聞いてただ事ではないと瞬時に理解した二人が急いで演算リングを立ち上げる、白鯨Ⅲと401から発せられたアラートが外殻を突き抜けて黄昏の空を埋め尽くす。「ディーゼル回せっ、全艦第一種っ! 魚雷戦用意っ!! 」怒鳴るノンナが踵を返すと同時にカザンの甲板にいた全員がそれぞれのゾディアック目がけて走り出す。「タカオっ、どうしたのっ!? 一体何が ―― 」

「 “ 分かんないけどシグレの様子がおかしいっ! 全然こっちの言う事聞かないのよっ! ” 」

 尋ねたヒュウガが最後の飛び乗った瞬間に足元で発射管の開く音が鳴り響いて波が上がる、カザンを後にする彼女はハンドサインで駒城に合図をしながらイオナの行方を見守る。弾ける波頭の間に彼女の乗ったボートが無事に401へと辿り着いた事を確認したヒュウガは言った。「タカオ、こっちはあたしもイオナ姉さまも船に戻った。落ちついてよく聞いて、彼女は ―― シグレは」

 

 通信を聞いていたイオナはヒュウガが放ったその言葉に思わず目を見開いた。

「 “ …… 敵? ” 」

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