蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

33 / 36
ザ・スロットⅩ ―― それはロシアンティーじゃない

 それは重巡クラス以上の機関出力がなければ装備できない切り札。

 最後部の縮退シリンダーを覆うフェアリングも持たないそれは駆逐艦という小型なサイズに乗せるための理屈はあっている、だが非常識だ。状況解析のために回る三重の演算リングの内側でレポートを吐き出し続けるウィンドウの壁に囲まれながらタカオはただ茫然とその光景を眺めていた。

 威力は知ってる。

 自分の張ったクラインフィールドを木っ端のように蹴散らして501を葬ったその威力、阻止するためには最低でも大戦艦級のそれが必要だが条件に該当するヒュウガはすでに臨界が50パーに近いはずだ。そして401にそんなエンジンはない。

 数え上げただけでも計り知れない圧倒的な不利と絶望 ―― だからどうした?

 考えろ、考えろ。あたし。

 今何ができて。

 今何をしなければならないのか。

 

            *            *            *

 

 群像の作戦をイオナはとっくに気がついている。心の底から何も諦めない、諦めたくない諦めるつもりがないというのなら取るべき手段はただ一つしかない。「群像、あたし」

 しかしそれが発動したのは横須賀要塞の乾ドック、しかもその時自分はそこにいないどころか深い眠りの中にいた。誰にも話すことができずに封印していた兵装の初起動は無意識のうち ―― それをどうやって? 戸惑いが彼女の表情を曇らせて視線を逸らしてしまう …… 自信が、ない。

「 ―― 手伝ってほしい」

 命令することもできただろう、そういわれればイオナはただ従うしかない。だが群像はそういう物言いをする彼女の艦長、そして艦隊司令官だ。相手の意思を尊重して決断を促すその言葉に心の奥のどこかで‟ ずるいな ”と呟きながらイオナは彼の賭けに乗った。「わかった、やってみる」

 センターコンソールの上に立ち正面を見る彼女の周囲をいつもの物とは違う青白い演算リングが四重で旋回を始める、輝きの中に少し輪郭を薄めたイオナを見届けた群像はすぐに席の情報収集ホログラムをすべて展開した。「みんな聞いてくれ、次元空間曲率変異ミラーリングシステムが動いた時に俺とイオナはそこにいなかった。だから頼りになるのはあの時現場に立ち会ったみんなの記憶だけだ ―― いおりっ」

「 “ はいよ。とりあえず重力子エンジンはミリタリーラインで固定、制御システムは今ン所401準拠だけどいつでも総旗艦モードにエクステンド出来るようにはしてる。あとはイオナ ” 」

「いおり、あたしのことは大丈夫だから」

「 “ じゃあよく聞いて。あれを使うには潜特型のエンジン出力じゃ相当足ンない、よーするにフルバーストや超重力砲の時よりも大きなゲインが必要になる。だから全部の反応炉がマックスを超えて完全臨界状態になった時あたしがバイパスを操作して全部の炉を並列接続にしてエンジンの出力上限を稼ぐ ” 」

「すっげえないおり。おま、いつの間にそんなシステム立ち上げたンだ? 」

「 “ ドヤ顔したいとこだけど時間ないから説明はあと。ただしそこを超えられるかどうかはイオナ次第よ ―― 覚悟はできてる、イオナ? ” 」

 

            *            *            *

 

 ずいぶん長い間誰かと話し込んでいた。

 たった一人で佐世保へと帰港したこと、こんなあたしをやさしく迎えてくれる人がいたこと。

 自分と同じような人たちがいたこと、その人たちの仲間に加わったこと鍛えてもらったこと。

 それなのに何にもできずに、何の力にもなれずに消えてしまったこと。

 

 どこか知らない小さな部屋。

 真っ白に光り輝く壁の向こうに『それ』はいる。

 そんな場所は記憶にないし被雷して沈んでいく苦い思い出の中にもいない。でもわたしはなぜか向こうでじっとこちらを見つめている彼女のことを知っている。

 なぜか頭の中に突然閃いたその名前を呼ぼうと口を開いた時に彼女は言った。

 

 “ あなたにはまだしなければいけないことが、あるの ”

 

            *            *            *

 

「縮退率60パーセント、なおも上昇中っ! グリッド二段目接続しましたっ! 」

 静からの報告で事態は刻々と緊張の度を増してアラートの種類も数を増す。「杏平全砲門フルファイアっ! とにかくシグレにクラインフィールドを張らせて演算能力を削ぐ、こっちの時間を少しでも稼ぐぞ! 」

「おっしゃあっ! 片っ端から撃ちこむぜぇっ! 」滑るスタイラスと同時に一斉に撃ち上がるミサイルが炎と共にシグレめがけて殺到する、クラインフィールド上で炸裂する弾頭が織り成す轟音と閃光はまるで真昼のように周囲の海を照らし出す。「くっそおっ、全然効果ねえ! もう駆逐艦じゃねえぞあいつっ! 」

「いおり、どうだっ⁉ まだ臨界 ―― 」「 “ まだダメッ、全然ラインに届いてない ―― プログラムで少しブーストかけてみてっけどそれでもあンときの状況にはなってないっ ” 」

 やはり無理筋だったのかと奥歯を鳴らしてモニターの輝きを睨みつける群像が震える右手でホログラムへと指を伸ばす。それは艦の全てのコントロールを制御するマスターボード、シグレを失うという悲劇を誰の手にも任せず全部自分が被るために艦首魚雷管の給弾システムへと干渉しようとする ―― その時だった。

「駄目です群像」周囲の状況をモニターしながら演算に能力を集中するイオナの代わりに艦体制御に勤しむ僧が微かな厳しい声でその指を止めた。

「諦めないと決めたのでしょう。イオナちゃんと君が諦めないというのなら僕も、みんなも絶対に諦めません。だから君がそれを押しちゃいけない」「 …… 僧」

 誰にも聞こえないように紡がれる小さな囁き、それは幼いころに何度も聞いた彼の言葉だった。挫けそうに躓きそうになった時にいつもそばで群像の背中を押し支え続けた親友の忠告。

 

 耳に届くみんなの会話がイオナの焦りに拍車をかける。

 何とかして彼女を助けたいと願う心が手足を縛る枷になって思う通りに力を ―― いやそうじゃない。

 力は出し切っている。何度も繰り返したフルバーストや超重力砲の発射シークエンス、その経験は伊達じゃない。すでに兵装使用の許容範囲内にまで炉の出力は上がっている。

 でも必要とされているのはその遥か彼方の未曽有の領域、今以上それ以上の力を自分のどこからひねり出せばいい?

 横須賀を大騒ぎにさせた時と同じ状況なんて意味もわからない、部屋で寝ていて夢を見て。その間に起った出来事と同じ状況なんて …… 。

 

「 ゛ ―― あーもう。しゃーないなあっ! ” 」

 八方塞がりになる状況に堪りかねたいおりの声が艦橋に響いた。いつもの彼女らしくない癇癪交じりの怒鳴り声に驚く全員に彼女はさらに捲し立てる。「 ゛ このまンまじゃらち開かねえわっ、こんなの試したくもなかったけど時間がないったらっ! これからあたしがいっちょ試してみっからみんな手伝ってっ! ” 」

「て、手伝うってなにすンだ? 俺機関理論は徹底的に赤点ぎりぎりで」「 ゛ 杏平にゃそんなこと期待してないっつーのっ! これから全員でイオナが今まで会ったことのある女子の名前を挙げてみて。イオナはその女が群像とイチャイチャしてるところを頭の中で思い浮かべてっ! ” 」

「い、イチャ、イチャ? おいいおりっ、お前なにこんな時に ―― 」びっくりして立ち上がろうとする群像をいおりの怒声がシートめがけて押し込んだ。「 ゛ うっさいもう説明は後っ! 訳は後で説明するから今はとにかく女子の名前っ! じゃああたしからいくよっ! ” 」

「い、いおりっ。そんなこと言われてもあたし ―― 」「イオナはあたしの言う通り頭の中で想像すンのっ。はいっ、イメージっ! まずは四月朔日いおりっ! ” 」

 矢継ぎ早に叩き込まれる彼女らしからぬ命令に驚きながらも目を閉じてその光景を思い浮かべるイオナ。「 ゛ だめっ、はい次っ! ” 」

「え、ええっ? そ、そんな感じでいいんですか …… じゃ、じゃあ八月朔日静」「 ゛ はい残念、次っ! ” 」

「ちょ、ちょ、急にそんなこと言われてもよぉ。ん-じゃあ真瑠璃、響真瑠璃っ! 」「 ゛ だめか、はい次っ! 僧っ⁉ ” 」

「いや私の交友関係でイオナさんと会ったことのある女子なんて ―― メンタルモデルでもいいですか? 」「 ゛ なんでもいいから早くっ! ” 」「じゃ、じゃあヒュウガさん? 」

「 ゛ …… 今のはヒュウガに内緒だかンねっ、落ち込むから。はい次っ! ” 」「え、えと ―― 」

「 ゛ 群像は言わなくていい、後々めんどくさい事になっからパスっ! じゃあタカオ ―― はいだめっ、静っ⁉ 」

「え、ええと。そうだ、葛籠さん、葛籠撫子さんっ⁉ 」「 ゛ おっ、いい線っ! すっこしゲイン上がった! さあその調子でガンガン ――  ” 」

「いい加減にしろいおりっ! 」たまりかねた群像がインフォメーションパネルに怒鳴りつけた。「イオナが今一番集中しなきゃいけない非常事態に一体どういうつもりだ⁉ だいたいイオナが会ったことのある女子と俺がイチャイチャしてる姿をイオナに想像させて何が楽しいっ、その中にはヤマトやムサシや自分の姉妹だった402の事も ―― 」

 

「ちっ」

「えっ」

 

 その瞬間群像は今まで聞いたことのない音を耳にした。驚いて音の方へと振り向くと隣に立つイオナの口元が怒りに歪んでいる。「い、イオナ? 」

「どうしました艦長? 」身を乗り出して訪ねてくる僧に彼は驚きを隠せずに呟いた。「い、いやイオナが今、舌打ち ―― 」

 見上げた群像の目に映るイオナの表情が変わっていく。眉をしかめて目じりを吊り上げ、それは今まで付き合ってきた彼女を知る誰もが見たこともない怒りの表情だった。呆気にとられて注視する艦橋の全員の耳にいおりの叫びが響き渡る。

「 ゛ っしゃあキターっ‼ エンジン出力オーバートップ、全反応炉並列接続っ! ” 」

 その瞬間足元から轟音と共に異様な振動が全身を襲う、明らかに特性の違う唸り声は間違いなく401という船が別の物へと変化したことを示している。「 ゛ 群像いけるよっ! 機関総旗艦モードにエクステンション、重力子チャンバー縮退開始っ! ” 」

「な、なんでっ⁉ いったいどういう事だいおりっ⁉ 」彼の周囲に立ち上がっているホログラムのグラフが軒並み急上昇していく事態におろおろしながら尋ねると返ってきたのはいつもの調子を取り戻した軽快な声だった。

「 ゛ 詳しいことは尋問込みであとあとっ! それよりさっさと指揮とってっ、もう時間ないはずっ! ″」「艦長、シグレちゃんの縮退率が80パーを超えてますっ! 早く展開しないと! 」

 二人にせっつかれて事態は把握してはいるものの何とも釈然としない表情を浮かべた群像は不満の感情を少しだけ声音に込めて言った。「 ―― イオナ、ミラーリングシステム始動っ! ハルシーム分離っ! 」

 

 船体表面を迸る光と複雑に展開するパネルがスマートな401の船体形状を獣の咢のように変える、拘束を続けるシグレの雷をものともせず下部を大きく開いたその姿は超重力砲発射シークエンス時にもよく見られたお決まりの光景だ。だが本来砲身があった場所に置かれているのは重ねられた六枚の奇妙な円盤。「船体開口確認、反応炉からチャンバーにエネルギー接続っ。ディメンション・オーバードライブヘッドユニット、プライマリ(一番)からシーナリ(六番)まで起動。使用可能領域まであと10」

 推移を読み上げる僧のモニターには刻一刻と変化する船体内部の構造と兵装の状況が表示されている、使用不可を示す赤い色から可能を示す青が六枚のパネルをあっという間に侵食してすぐに『 available』の文字を点滅させた。「来ました艦長っ、ミラーリングシステムアクティベート。システムオールグリーンっ」

「操舵安定姿勢制御。軸線を真っすぐ超重力砲の中心に向けろ、ヘッドユニット防御位置」群像の命令に怒りの表情を崩さないまま無言で船を操るイオナ、時々横目で彼女の様子を心配そうに盗み見ながら画面の中央で眩い光を放ち始めた砲口を睨みつけた。

「ユニット起動っ! 一番から六番、エキストラクター作動開始っ! 」

 

「すっ ―― 」

 すごい、と言いかけてそのまま言葉を失ったのはノンナだけではない。初めて霧同士の戦闘を間近で見るカザンやサンタフェ、そして白鯨Ⅲの乗組員たちも固唾を飲んでその異世界の光景を見守っている。眉唾物の古代記にしか記されたことがない裂ける海とこの世の終わりを絵に描いたような空中放雷、そして舞い散る海水全てに反射していくつもの真円虹を夜空に映し出す美しい光景は自分たちがまだこの世にいるのかすらも疑わせる。破滅の輝きを放つ巨大な砲口に向かって舳先を向けて立ち向かう小さな潜水艦の姿、その周囲に広がった円盤から天地に向けて放たれる螺旋の噴晨。空と海に穿たれる重力波動の鋭いドリルが人類の知らない次元の扉を開いて水と大気を沸き立たせる。

「周辺海域の環境データ、大気が異常な速度で減圧! みんななんかに掴まれっ、見たこともないくらい海が荒れるぞっ! 」副長の叫びで全員が手近な手掛かりに手を伸ばすのを待たずにカザンの船体が大きく翻弄される、椅子から弾き飛ばされた要員の袖を屈強な操舵士の腕ががっしと掴んで拾い上げた。「ノンナっ、こんな状態で浮上航行なんてどうかしてる。白鯨に頼んで牽引を外して ―― 」

「繋がってるからまだこんなもんで済んでるのよ」正面のモニターに映る二艦の対峙を睨みながら彼女は言った。「同乗してるメンタルモデルのクラインフィールドと白鯨Ⅲのコントロールのおかげで私たちは何とか艦の姿勢を保持できてる、それが分かってるから彼らは牽引を解かないのよ。もし外れようもんなら多分この低気圧の渦に巻き込まれてあっという間にもみくちゃにされるわ」

「これでマシってかっ⁉ てこたぁさ、アレがぶっ放されたらこの辺一体どうなるってンだっ⁉ 」仲間を抱きかかえて喚きたてる操舵士の声にノンナは笑った。

「知らないわよそんな事、だからデータ取ってるんだし。でももし401が敵わなかったとしたらあたしたちはみーんな自分が死んだなんて気がつかないうちに蒸発してンじゃない? 」

「おいおいおいあんたらしくもない、なんて他力本願な ―― しっかし401の連中今までよく生きてたなぁ、こんな戦い何度もしてたら大の大人でも気持ちの方が先に折れちまうぜ? 」

「だから閣下は彼らを …… いや千早群像という艦長を認めているのかもね。霧と繋がり霧を率いて霧を導く、彼女たちのための『航路を拓く』ことは彼のように死を迷わない者にしかできない」

 

 その時。

 白鯨Ⅲに繋がれたまま大波に翻弄される戦闘艦橋でノンナはルスランがリムパックの時に彼らを評して言った『戦士』という言葉が彼の彼らに対する最大級の賛辞だと言う事に初めて気がついた。兵士でもなく勇士でもなく、戦士。

 誰の手も借りずに、自らの裁量で運命を切り拓き。

 どんな苦境にも臆せず、どんな苦難にも耐え抜く器量と勇気。

 死の間際に瀕したとしても決して諦めることなく、最も困難で複雑な解決策へと足を踏み入れる知恵と決意。

 

 それが彼の言う『戦士』であり。

 彼が決して成り得なかった、でも託そうと願う『航路を拓く者』の定義。

 

            *            *            *

 

 盲いたはずの目に差し込む光でほんの少し取り戻す意識と視界、薄ぼんやりとした捉えられないその景色に浮かび上がる潜水艦の姿。

‟ ―― お前かっ ”

 仲間を海の藻屑へと変えた敵が目の前にいる、お前さえいなければ荻風も嵐も江風もこんな南の海で客死などしなくてすんだのに。

 胸の奥でめらめらと燃え上がる復讐の炎とこみ上げる何かが彼女の両手に漲る、弾け飛んでいく理性の糸の音と怨嗟の鎖に絡み取られた本能が放つ轟々という息吹が狙いを定めるその両目をこじ開ける。

 

            *            *            *

 

「グリッド三段目接続、縮退90パーセント。カウントダウン行きますっ! 」コントラストを最小に絞ってもなお光り輝く砲口から溢れ出す光に照らされた艦橋で静が叫ぶ、僧が万が一の時のために全区画の気密シャッターを下ろして杏平はそっとスタイラスを動かして浸食弾頭を一発だけ艦首の発射口へと滑り込ませる。しかし万全の体制を整えてシグレの砲撃を待ち構えるクルーの耳に飛び込んできたのはカウントダウンを読み上げる彼女の声ではなくたった一人で回線を埋め尽くす驚きと、そして絶望と困惑に満ちた絶叫だった。

「 ゛ ‼ 気でも違ったのかこのバカっ、あんた何やってんのっ⁉ ” 」

 それがヒュウガの声だと全員が気がついた瞬間に突然メインモニターの光が遮られる、何事と動揺するクルーをよそになおもヒュウガは叫び続けた。「 ゛ あんたのクラインフィールドじゃあれはどうやっても防げない、そんなことわかってンでしょっ⁉ バカなの死ぬ気なのっ⁉ ” 」

「! 艦長っ、タカオが軸線上っ‼ 」静の言葉でやっと事態を把握した群像はすぐさま回線に割り込んだ。「やめろタカオっ! シグレの攻撃はこっちで何とか無効化する、だから君はすぐにこの場から離れて ―― 」

「 ゛ ―― そんなんじゃないっ‼ ” 」

 二人からの勧めをたった一言で撥ね退けた彼女のシルエットが明度調整の影から露わになる、401に匹敵する船体と城郭のように聳え立つ艦橋の輪郭が光の中へと解けていく。

 

 体を焦がすような激しい熱と目も眩みそうな重力同士の圧縮による輝き、だがタカオは舷側でその破滅に身を晒しながら瞬きもせずにそれを見た。

 何も考えつかなかった、何も思い浮かばなかった。ただいつの間にかあたしは船を動かして二人の間に割り込んだだけ、冷静沈着完全完璧に仕事をこなす重巡タカオがまあなんてザマ。ヒュウガの言った通りあたしの力じゃあんなものには敵わない、ほんと ―― 霧の船にあるまじき非合理かつ不条理 …… でも。

 

 何が何でもどんなことをしても。

 ―― 止めるっ。

 みんなの事とか千早艦長の事とか、そんなのどうでもいい。

 あの子に。

 あたしが教えたあの子に。

 ―― それだけはさせちゃいけないっ‼

 

 両の腕を大きく広げて仁王立ちで光を浴びるタカオ、染まる長い髪を大きくはためかせながら渾身の力でその中心に向かって慟哭した。

「止めなぁっ、シグレぇっっっ‼ 」

 

            *            *            *

 

「 …… きょう、官 ―― どの」

 照準線のど真ん中に突然浮かび上がったメンタルモデルの姿を見たシグレの口が拙い音を奏でた。目の前にある仮初めが音もなく崩れて膨大な光の輝きに照らされる誰かがいる、そして自分は確かに ―― 。

「ど、うして」 

 あの人を知っている。ベールに覆われた記憶野の中から繋ぎ合わせるように構築されるその姿を自分は確かに覚えている、誰よりも厳しく誰よりも優しく誰よりも誇り高く蒼天を仰ぐその姿に胸を高鳴らせながら思いを馳せた ―― うらやましい、私もあんな風に誇り高く与えられた二度目の生を謳歌したいと思っていた …… のに。

「 …… 泣いて、いる ―― んで、すか? 」

 

            *            *            *

 

「圧力限界っ! 超重力砲発射タイミング、来ますっ‼ 」「ミラーリング効果最大域っ、全員耐ショック! 衝撃に備えろっ‼ 」

 世界を溶かす輝きが現実を圧倒して群像たちの周囲に押し寄せ相転移の始まりによって鬩ぎあう物質変換の不協和音に耳が埋め尽くされようとするその瞬間、突然全ての変異が忽然と姿を消した。モニターの中心で光の中に溶けかけていたタカオの横っ腹が微かに映し出されて静謐の帳がほんの少しの残り香を残して少しづつ降りていく、何事かと慌てて計器に表示されるデータへと喰いつく彼らを後目に艦の全機能を担うイオナはぽつりと言った。

「超重力砲撃シークエンス中断、シグレの重力励起レベルが急速に低下。砲本体を形成しているナノマテリアルが艦体の周辺で収束離散」

 険しい表情が崩れて普段の少女へと戻った彼女が演算リングの拘束を外してペタンとセンターコンソールへと座り込む、だがほっとしたのもつかの間今度は後始末の揺り返しに401とタカオは襲われた。重力によるトラクションが失われたことによって拘束が解けた401とタカオはそのまま海の割れ目へと放り投げられ、そこへ同じく干渉の外れた海水が一気に押し寄せた。

 あまりの衝撃に投げ出されそうになるクルーたちの体を強制的に縛り上げるベルトの圧に苦悶の声が響く中、群像だけが言葉を絞り出してイオナに指示する。「艦平衡っ! 重力アンカー深度150で固定、機関出力二分の一第二戦速っ! 」

「 ‟ だめだめ群像っ、ミラーリングが作動してっから機関の制御がまだ効かないんだって! ほかの方法でお願いっ! ” 」「くそっ、こんなに自由が利かなくなるとは。 ―― アンカーそのまま潜舵展開っ、アップトリム10で固定。開口部の外郭とそれで水の抵抗を受け止めろ」

「了解、アップトリム10開口部そのまま」喧騒の傍らでいたって冷静なイオナがそう告げると艦首両舷に張り出した二枚の巨大な板が水の抵抗を受け止めて艦の動きを安定させる、加えてヘッドユニットを格納する開口部を閉じなかったことで流れ込む海水が互いに干渉してアンカーの働きと共に完全に船の動きを制御した。

 海上のうねりが収まりわずかながらに嵐の収まりを体に感じ始めた時、彼らは時を同じくして谷間へと落ち込んだタカオの事に気がついた。外していたヘッドホンをひったくって耳に押し当てながらパッシブを起動させて行方を捜す静、全員がその動向に注目する中で彼女が何かを聞きつけてほっとした表情を浮かべたのを見た。

「 …… 艦長、タカオから入電 ―― シグレちゃんを」眼鏡の奥の瞳がウルウルと濡れる。

「 ―― 無事、確保しました」

 

 水底に沈んでいく船体を置き去りにして海へと身を投げ出したタカオは乱れる海中をものともせず全力でシグレ目掛けて泳ぎ続ける、艦の索敵機能全開で様子を探る彼女の元へ結果が届けられたのは丁度シグレの船体にとりついた所だった。海中から見上げるシグレの上部構造物はすでに元の姿を取り戻して何事もなかったかのように夜空にその影を映している、だが反応はそこではない。

「! 下っ⁉ 」

 驚いた彼女が身を翻して海に潜り、メンタルモデルの脚力で一気に深度を下げるとすぐにゆらゆらと沈んでいく黒い影に気がついた。記憶にある見慣れたスカートの裾をひらひらとなびかせながら墜ちていこうとする彼女の手首を掴んで一気に引き寄せるとそのままの勢いですぐに海面へと駆け上がる。

 ずぶ濡れで海面へと浮かび上がったタカオは瞳を閉じたまま身動ぎ一つしないシグレの体を抱きかかえてそっと左手を胸に当てた。メンタルモデルの安否に呼吸は鼓動はナンセンス、彼女たちの生死はすべて胸の奥にあるユニオンコアが司っている。掌に伝わる微かな電磁波の存在を確認したタカオはほうっ、と一つため息を大きくついて優しく笑った。

「全くこの人騒がせなおっちょこちょいめ、横須賀までの道中しっかりかまってあげないとね ―― しっかしあたしってば潜水艦じゃなくて重巡だと思ってたんだけど」

 濡れた頭を勢い良く左右に振ってやれやれと呟いた視線の向こうに鋭い艦首をもたげて海面へと浮かび上がる自分の姿が見える。「千早艦長のとこ来てからここンとこやたらと潜らされっぱなしじゃない? 」

 

            *            *            *

 

「そうか …… よかった」 

 静の報告に心の底から安堵の言葉を漏らして硬直した体をシートに預ける群像だったがまだ後始末は残っていた、それに気づかされたのは機関室で制御を続けているいおりの報告だ。「 ‟ ねえ、喜んでるトコ悪りいンだけど全然機関の出力が下がンないんだけど? ” 」

「え? 」思わず全員が同じ声を上げて顔を見合わせる。「機関の出力が下がってないって、ことは ―― ひょっとして」

「 ‟ そ、ミラーリングシステムは絶賛稼働中でこの船の周囲は軒並み相転移でいろんな次元に海水やらなんやら全力転送中。早いトコ何とかしないと白鯨なんかにも影響が出ちゃうカモ? ” 」

「まずいな …… 何とか抑えられないのかいおり? 並列接続している炉の接続を元に戻すとか ―― 」慌てて尋ねる群像だが彼女の答えは芳しくない。「 ‟ あーダメダメ、そんなことしたら全部の炉がいきなり臨界に達してぶっ壊れるか最悪重力崩壊だよ? そーんな無茶しないしない ” 」

「そこを何とかならないのか? 動かし方が分かったのなら止め方だってなんとなくでも気がついてるんだろう? 」どことなく軽いその言い方は長く付き合っている彼らだけが知っている彼女の癖だ、かかる苛立ちを極力抑えて群像が尋ねるといおりは明らかにしてやったりと言わんばかりの口調で言った。

「 ‟ そっかー、じゃー艦長様にそこまでお願いされちゃあしょーがないなー …… 僧、杏平? ” 」

 

 意図が読めずにポカンとしている群像の背後にスタスタと歩み寄った二人はいきなり群像のシートベルトを外すとよっこいしょと羽交い絞めにしながらイオナの正面へと彼を連れてくる。「お、おい僧。杏平もいったい何を ―― 」

「 ‟ 横須賀の事件を時系列で調べてみたんだけどさ、一度開きかけたミラーリングが急に閉まった時間と群像がイオナに引っ叩かれた時間がどうも同じなんだよねぇ ” 」

 言っていることの意味が全く理解できずにポカンとする彼を置き去りにしていおりはなおも言葉を続ける。「 ‟ だから理屈は分かンないんだけどとりあえずイオナに群像を引っ叩いてもらうことでことは丸く収まるんじゃないかなーっていおりお姉さんは考えたりしちゃってるわけよ ” 」

「はアッ⁉ お前なに考えてるんだっ⁉ そんな非論理的な方法でこんな超兵器が制御できるわけないだろっ⁉ 」「 ‟ そーそー、そーんな非論理的な考え方でミラーリングは動いちゃってるンだねー、と言う事はおんなじ考え方で元に戻すこともできるンじゃね? まま御託はそン位にして物は試しと言う事で ” 」

「ちょっとまてっ、お前今全然機関制御のプログラムいじってないだろっ⁉ 自分の仕事もしないで一方的に自分の手を汚さない物理を選ぶのは間違ってるぞっ⁉ そういうのは最後の手段としてギリギリまで取っておく ―― 」

「 ‟ わーったわーった、今度までにはちゃんとそのやり方探しとくから ―― んじゃイオナ、あン時みたくおもっきりスパーンとやっちゃって? ” 」

 羽交い絞めにしている二人の苦笑を代わる代わる顧みて必死に翻意の言葉を垂れ流す群像だが敵うはずもなく、ズルズルとセンターコンソールの前に引き出されたところでイオナがストンと床へと降り立つ。「な、なあイオナ。その ―― 」

 怯えた表情でやっと正しく懇願しなければならない対象へと声をかけた彼に彼女は少し戸惑った目を向けながらおずおずと進み出る、お腹に当てていた両手を組んで胸元まで引き上げたイオナはまるでお願いをする少女のように群像の顔を上目遣いで見上げる。「群像」

「ま、ちょっと待って。もうちょっと考えてみようイオナ、いおりの手を借りなくてもお前自身の力でこの現象は解決できるはずだ。もう一度自分の中身をよく見なおして障壁となっている部分に対して適切な対策を施していけばその経験はきっと今後の役に立つ、だからいおりの煽り文句に惑わされちゃ ―― 」

「うん、そうだね …… 群像の言う通り」小さく頷いたイオナは顔を上げて群像へと微笑んだ。いつもと同じその笑顔を見た彼の心中が表情ともども密やかな安堵に包まれたとき、彼女は告げた。

「ごめんね」

 

「深度150で衝撃音、続いて金属の擦過音が連続」ヘッドホンをつけたカザンのソナー手がそう告げるとノンナの背後で環境データを解析していた副長が続けてその異変を報告した。「大気圧急速に安定の方向、海面下の重力異常はすでに沈静化しています。艦外部の状況通常時に復行中」

 目の前で繰り広げられていた地獄絵図があっというまに南の海の穏やかな夜景へと塗り替えられたことに戸惑いを隠せない艦橋要員、ざわざわと小さな喧騒が少しづつ広がる中でただ一人ノンナだけがドスンと椅子に腰かけた後にそのままずるずると床まで滑り落ちた。

「ちょっ! ノンナ、大丈夫っ⁉ 」異変に慌てた操舵士が席を立って腑抜けた表情で天井を眺める彼女を抱きかかえた。「 …… あー、も、ダメ。きんちょーしすぎてあたま回ンない」

「誰かメディックっ! 艦長が体調不良で倒れた ―― 」「やー、今はいいわそーゆーの。お医者いらない」

 操舵士の指示をぼんやりと拒絶するノンナはぽけっとした表情のまま呟いた。「それよりオリガに連絡して」

「オリガって …… あんたいま司厨士呼んで何しようっての。まさかカーシャ(ロシアのお粥。そばの実などの雑穀を牛乳で柔らかく煮た物)でも作ってもらおうってンじゃないだろね、この夜中に」

「や、そじゃなくてちょっとお茶が欲しいなーって」「「お茶? 」

 膝に乗せた彼女の顔を怪訝な表情でのぞき込む操舵士が尋ねるとほかの誰にも聞かせた事のない素のノンナの声が訥々と艦橋に流れる。

「そー、マーマレードに少し紅茶垂らしてよくかき混ぜて。あったかくなくてもいいからとにかくちょー甘んまいの」

「あんたそれ」まるで腑抜けた言い方でリクエストするノンナに向かって操舵士は呆れたように言った。

「もうそういうのをロシアンティーとは言わないんじゃない? 」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。