蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
蒼き艦隊と白鯨Ⅲ、そしてカザンはポラリス・ポイントを後にした。
未帰還となったアッシュビルの追悼式には群像たちはもとより基地の全員が参列する盛大な行事となった。誰一人遺体を回収できずにソロモンの海へと眠りについた彼らの魂を慰めるために大勢の兵士が彼らの生前の奮闘を称え、廃墟の中からかき集めた鉄材で組み上げられた慰霊塔を前に水兵が弔銃三発をもって彼らの思いに報いる。鎮魂歌として演奏されるTAPSの調べを聴きながら基地司令のハンターは最後まで救出に尽力を惜しまなかったノンナに深々と頭を下げた。
「危険を顧みず我が国の艦を守っていただいたこと、心より感謝いたします。このご恩は必ず」
「いえ、それには及びません。同じ海を護るものとして微力なれども力を尽くしましたが皆を家族の元へと戻すこと能いませんでした、貴重な防人を海神へと預けてしまった事慙愧に堪えません。私たちよりも残されたアッシュビル乗組員の家族の事、私事ながら宜しくご配慮の程お願い申し上げます」
ロシア海軍の制服に身を包み、凛とした表情で深々と首を垂れるノンナは戦闘時に見せる素顔とはまるで別人だ。孫子四如を地でいく彼女の立ち振る舞いに思わず感銘を受ける一同だったが浦上だけはそれくらい当然だと隣に立つ群像に小声で言った。
「よく見ておけ群像、あれが死線を潜り抜けてきた超一流の軍人だ。お前は民間人だが世界の国のどの軍隊よりも力を持っている、それでも謙虚にあり続けなければならないと言う事を忘れちゃいかん」
「僕が民間人であろうとしているのはそういう風な組織であり続けようと志しているからなのですが」
「力は人を変える」群像の反問に心地よいとばかりに微笑を浮かべながらも浦上は言った。
「人の望みは常に大きくなりそれを叶えようとするあまりにより多くの力を欲する、だが大きすぎる力 …… 手に余る力は自らと多くの他人を巻き込んで自滅する。お前の活躍で辛うじて望みを繋いだ未来もこれからはどうなるかはわからん、そういう時に俺はお前やイオナちゃんがその渦の中にいないことを望んでいる」
「 …… わかっています浦上さん、蒼き艦隊は決して何者かの私利私欲に加担することなく常に中立であり続けます」言い切る群像の肩を頼もし気に浦上が一つ叩いた。
「頼むぞ群像、そうでないとせっかく翔像の名誉を回復した甲斐がない。お前が軍人じゃないことは奴の本意で俺にとっては誤算だが、それでも自慢の息子や娘にゃ変わりない …… さて、あとは」
嬉しそうに笑った浦上が肩越しに広がるアプラ港に浮かぶ浮かぶ401の艦橋へと振り返った。
「新しく加わった末っ子の、処遇か」
* * *
「シグレの様子は? 」群像が尋ねると僧が監禁している部屋の様子をモニターへと送った。「ずっと床の上で俯いたまま正座してます、昨日と全然変わりありません」
ソロモンでの戦闘後に機能を停止したまま漂っていたシグレの船体はそのままヒュウガの手によって機能をすべて完全にロックされ、気を失ったままの彼女はそのまま401の一室に監禁された。本来であれば両手両足を拘束してメンタルモデルとしての能力をすべて封印してから拘留しなければならないがあくまで民間組織として機能する蒼き艦隊の最高責任者はその手段を認めなかった、故に彼女は厳重な鍵付きの部屋に押し込められただけという寛大な措置のままで監視体制に置かれている。
「昨日からって …… 丸一日あの状態じゃ足がしびれて動けないんじゃ」「 ‟ 人間じゃあるまいしメンタルモデルがそんなことで動けなくなるわけないでしょ? …… とはいえいつまでもあのまンまじゃちょっとかわいそうだねぇ ” 」
意識が戻ってからの彼女の行動はひどくシンプルだ、いくら食物の摂取が必要ないメンタルモデルでも一日中床の上で正座したまま微動だにしないというのは自分に対する戒めなのかもしれない。これ以上の罰を与えるよりももっと建設的な次の段階へと移行することを決心した群像は船を操るイオナに声をかけた。
「イオナ、操船を僧に代わって俺についてきてくれ。声紋分析をしながらシグレと少し話してみる」「了解」
イオナのイニシャルでかけられたキーを解除して暗い室内へと足を進めた群像はすぐに壁際のスイッチを操作して明かりを灯す、人の気配にほんの一瞬身動ぎしたシグレだったがその正体が群像とイオナだと分かった瞬間にそのままの姿勢で頭を下げた。「この度の失態、所属艦にあるまじき行為。身の程も知らぬ愚拙の振舞い本来ならば解体されて海原深く沈められたとて異議申し立てなど許されません、どうか私をこのまま標的艦代わりに沈めていただければ嬉しく存じます」
「本気だよ、群像」囁くイオナに一つ頷いた彼は部屋の隅にある椅子を取ってシグレの前に静かに置いた。「 ―― 座ってもいいか? 」
「 …… ど、どうぞ」予想外の優しい声に戸惑いながらも勧めるシグレの前に座った群像は手に持った蒸留水のペットボトルを静かに置いた。「何も食べなくてもいいメンタルモデルでもユニオンコアの冷却に水くらいは必要だろ? 飲みなさい」
「い、いえ私は」「飲むんだ」
強く促した群像の声に一瞬体を震わせたシグレはペットボトルの栓を開けると一口だけ体の中へと流し込んだ、まるでそれと入れ替わるかのように彼女の目から大粒の涙がぽろぽろと零れて溢れ出す。「 …… すいません、すいませんっ! わからなかったとはいえみんなにとんだご迷惑をおかけしてっ! みんなからあれだけ良くしていただいたのにその御恩を仇で返すような真似をしてっ! 」
まるで今までの沈黙が嘘のように大きな声で謝るシグレを前に群像が小さく微笑み、イオナはシグレの前にちょこんと座ってよしよしと頭を撫でた。続けようとする言葉が二人のやさしさにせき止められて嗚咽にしかならない、微笑ましい二人のメンタルモデルが織り成す光景を眺めながら群像はブリッジにいる静かに呼びかけた。
「静、ソロモン海にシグレが侵入してから戦闘終了までの詳報を全部こっちに流してくれ。時系列でシグレの記憶を追いかけたい」「 ‟ わかりました ” 」
シグレのメモリに保存された航海ログや記録とソロモンでの戦闘詳報の時系列を照らし合わせると、丁度調査艦隊がソロモン海に侵入した時に彼女が何者かに操られたと言う事が分かった。だがそこからの彼女の記憶は非常にあいまいで現実に即したものではない。
ベラ湾夜戦の待ち伏せで一瞬にして沈められた三隻の帝国海軍駆逐艦、わずかな時間差でそれを回避したシグレの無念が今回の騒動の真相のようだ。過去のトラウマとなるその映像にこちらの存在を重ね合わせることでその引き金を引かせようとした ―― そのやり口に胸糞が悪くなる群像だったが、その手段として搭載された不格好な超重力砲について尋ねた時彼女は意外な言葉を口にした。
「 …… 思い出せません」
「? 思い出せない、と言う事は知っているかもしれない? 」群像の問いかけにシグレは自信なく小さく頷く。「現実に戻る前にどこかわからない真っ白な部屋にいた気がするんです、そこで壁の向こうの誰かと会話してたような気がするんですが …… すみません」
的を得ないシグレの回答に困惑する群像だがシグレのそばでずっと両手を握っているイオナは彼女の両眼を覗き込みながら呟いた。「 …… 多分シグレのメモリ領域の一部分に何かのプロテクトがかかってるんじゃないかと思う」「解除できるか? 」
「それは無理。あたしたちのメモリはユニオンコアの量子プログラムのプリミティブファイル領域に閲覧不可の状態で保護されている、それにコア保護のウィザード・ラムパートはシグレが死ななきゃ開かない」
「 ‟ てことはよぉ、シグレのユニオンコアが出来上がる前にそいつはプログラムをいじったって事か? そんなことできンのって ―― ” 」スピーカーから流れてくる杏平の声に驚いて上を見上げる部屋の中の三人。「 ‟ アドミラリティ・コードってやつ? でもさぁイオナ、その命令が聞こえなくなったから総旗艦って位が出来たンじゃなかったっけ? ” 」
「 …… どうやらみんなもシグレと話がしたいみたいだな」クルーの盗み聞きを咎めることなく苦笑いを浮かべた群像はゆっくりと立ち上がるとシグレを励ますように両手を握ったままのイオナに言った。「イオナ、タカオとヒュウガに連絡。蒼き艦隊各員は直ちに401のブリッジに集合するように」
「えっ、あっ、あの先生と教官殿と ―― 私」二人の名前に怖気づいて怯えるシグレに彼は笑った。「今回の事でお互いに蟠った事、疑った事。その他もろもろの疑問を一気に晴らすいい機会だ ―― 久しぶりにホームルームをやろう、みんな準備してくれ」
401の艦橋に一堂に会した輪の中心で居心地悪そうに正座するシグレを全員が取り囲む姿はまるで弾劾裁判だ、だが少しでもその険悪な雰囲気を和らげるためにそれぞれが手作りのお菓子を持ち寄って艦橋の床へと直座りした。お茶が振舞われてそれぞれの手に行き渡ったところで群像がコホンと咳を鳴らす。「えー、あの …… ヒュウガはうちのメンバーで合ってますが、浦上さんと駒城二佐。真瑠璃はどうしてここに? 」
「なんだ群像、俺はオブザーバーとしてみんなの話を聞きにここにいるだけだから気にせずやってくれ」「あたしは元401クルーとしてとっても興味があるから」「俺はただの野次馬」
「パブロヴナ中佐は? 」
ちゃっかり真瑠璃の隣で紅茶にジャムを入れるノンナに尋ねるが彼女はクールに笑った。「せっかく命がけで付き合ったのに蚊帳の外はなしよね? それにここから外に漏らさなければいいんでしょう? 簡単簡単」
「それには今回の戦闘記録も含まれるものと理解しますが? 」
霧と霧との闘いの記録が無価値なものとは思えない、ましてや今回は互いの切り札を切り合っての総力戦だ。その記録が漏れれば人はそれを手掛かりにまた新しい兵器を考えるかもしれない、そうなってしまっては霧の船たちに広く守秘を求めてきた自分たちの苦労が無駄になる。話を聞きたいのならそれをここに提出することと引き換えだと暗に匂わせた群像だがノンナは以外にも憂いた顔で笑った。「あれは残念ながら処分しました」
「え? 」
そんな馬鹿なと驚いたのはそこに居合わせた全員だった。貴重な映像資料と戦闘経過が記されたその一切合切をあっさりと処分してしまうなんて ―― だが声紋分析をかけたヒュウガとイオナは同時に目で群像にその言葉が本当であることを教える。「 …… なぜ? 」
「だって、ねぇ。霧同士の超兵器の撃ち合いを止めたのが体を張った挺身だったなんて肩透かしもいいトコ、それじゃあ人類の方が霧より強いって言ってるようなもんじゃないですか。そんな記録持ち出したって科学的に検証できることはあっても霧への対抗手段としてはとてもとても、誰もが等しくマネできるもんじゃありませんわ」
本音はもっと他に思惑があったのかもしれない、しかし期せずしてタカオのとったあまりにも人間的な行為がこの智将の興味を奪ったことは確かだった。彼女の英断に心の中で感謝しながら群像がモニターへと振り向くとそこにはリモートで参加しているハルナとキリシマの姿があった。「ハルナ、キリシマ。参加してくれてありがとう …… ところで蒔絵は? 」
「 ‟ 蒔絵は今旧刑部亭跡地に行っている、サンプルを分析するためにどうしてもあそこの地下の機材が必要らしい。横須賀に到着したらすぐに連絡してほしいと言っていた ―― ところでその子が? ” 」ハルナが興味津々で視線を向ける先にはシグレがいる、彼女は慌てて立ち上がると敬礼しかけた右手をおろして深々と頭を下げた。「お初にお目にかかります大戦艦ハルナ様、キリ …… シマ、さま? 」ちょこんと顔をのぞかせたクマのぬいぐるみに思わず戸惑ったシグレの口調が戸惑う。「えと、あの …… キリシマ様は? 」
「 ‟ あ・た・し・がキリシマ様だ駆逐艦、ちょっと見た目はキュートだがこれでも一応大戦艦様だ。見た目に侮ると怪我するぜ、よっく心得ときな? しっかし随分とかわいい奴だなあ、こんななりで借りモンの超重力砲ブッパしようとしたってか。見かけによらずたくましい奴だ、そういう奴あたしは好きだぜ? ” 」
フェルト仕立ての指でサムアップをするその仕草までものすごく愛らしい、褒められて思わずお辞儀するシグレの姿を見た全員が微笑んだ。「 ‟ しかし駆逐艦のメンタルモデルとは異例だな、明らかに大戦艦級の配下というのは間違いないが ” 」
「 ‟ 現界してる大戦艦級って言えばナガト・ムツ・イセのどれかって事か …… めんどくさいからもう直接聞いちまうってのはどうだ? ヒュウガ ” 」「それが出来れば苦労はしないっての。それにあたしがのこのこ出ていったってあいつらが教えるわけないじゃない? 向こうからすりゃあたしはただの裏切りもんだし」
「 …… あの」
隣にぴったりと引っ付いて過保護になったタカオによしよしと頭を撫でられながらやっとクッキーを手に取ったシグレがおずおずと尋ねた。「その …… 先生が裏切り者って? いったい先生が誰と ―― 」
「 …… 今からほんの10年位前に私たち霧は人類の敵としてこの星に生を受けて彼らを滅ぼそうとした、その戦いのさなかに総旗艦であるヤマトとその妹であるムサシとの間に勢力争いが勃発 ―― まあそれも千早群像の父である翔像の死が切っ掛けだったんだけど、霧の勢力を二分した壮絶な戦いの末にヤマトは妹に斃されて総旗艦の地位を追われた。しかし彼女の最期の遺志を継いだイオナ姉さまが霧を出奔してただ一人人類側に味方した」
「え …… じゃあ皆さんは最初から総旗艦様の味方だったわけではなく ―― 」
「そういうことよ」撫でていた手を止めてポンポンと叩いたタカオが言った。「ちなみにあんたは撃たなかったけどあたしはド派手に撃ったわよ? 」
ええっ⁉ と驚いて振り返るシグレに向かってニヤリと笑うタカオ、アワアワと動く口に手の中のクッキーをポンと放り込む。「 ‟ ここにいる私たちはもともと401討伐のために艦隊から派遣された戦力だ、それが彼らと戦ううちになぜか人の心というものに感化されていつの間にか組している ” 」
「 ‟ つーか俺たちは千早群像というよりもどちらかというと蒔絵を護るために蒼き艦隊に参加してるようなモンだけどな ―― だからお前が超重力砲を401に撃ったところで今更誰もお前の事を責められないって事さ ” 」
群像が議題に挙げたのは最も解釈が難しい『アドミラリティ・コード』についてだった。不可侵ともいえるメンタルモデルの量子プログラム、幾重にも張り巡らされた厳重なガードを掻い潜ってその神髄に触れるものはその存在をもってでしか適わない神代の領域とされている。むろん撃沈されて再生不可能な領域にまで損壊したコアならば回収して中身を覗くことはできるがそれも一部分だ、途方もない量のその他のデータは自己崩壊もしくは消去されている。
402のコアの一部分だが解析に成功したヒュウガによると外殻が形成されてからプログラムに手を入れることは物理的に不可能らしい、人類の量子コンピューター何百台分もの演算プログラムの一か所を特定して書き換えられるのは素体のソースコードが出来上がる前だという。
「そりゃ言うのは簡単だけど量子コンピューターのソースコードってなんだか知ってる? 人類側のはフェルミ粒子って言う電子だけどあたしたちのはその何万倍も速いフォトンでできてるの。そんなの物理でありえないっつーの」
「だがイオナはその一番深いところにある領域にプロテクトがかかっていると言ってる、それについてはどう思う? 」
ありえない事を想像するのは霧に対抗するために数々の兵装開発に携わった男の分野だ。「 …… つまりはそれ込みでシグレちゃんのプログラムが出来てるってことだな」
浦上が視線を宙に泳がせながら仮想現実へと妄想を振り向ける。「例えばイオナちゃんが総旗艦命令を発する前の霧のプログラムの中には『人類を根絶する』というプログラムが『理由もなく』実装されていたな? それは人間が何かを『理由として』動機付けするのとは全く違う思考ルーチンだ …… 人類でいう所のDNA的なものなのかもな」
「どういう事? 」
「つまりシグレちゃんが何らかの要因・場所・状況下に置かれるとそのプログラムが発動して ―― 自動か他動かはわからんが彼女の生みの親と繋がる。もしそれがアドミラリティ・コードという存在だったとしたらシグレちゃんは今霧の中で最も造物主に近い存在だと言う事だ」
呟くように言葉を綴る浦上に全員が驚く、特にメンタルモデルたち。彼女たちにとっての神託ともいえるその姿形を見た者はすでになく一般的な概念としての認識でしかない、だが現実にそれと繋がる事のできる唯一の存在が現れたのだとしたら霧の全艦艇にとっては実にセンセーションな出来事だ。
それは総旗艦よりもはるか高位に置かれる立場に他ならない、たとえ駆逐艦と言えども。
「いえっ、あのっ! あたしそんなんじゃないです、いくらなんでもあたしみたいな無駄に艦歴の長いだけのみそっかすが ―― 」
「シグレぇ、その引くくらい卑屈なとこも何とかしなって …… 浦上さんは『あんたの生みの親』と繋がってるかもしれないって言ってンの、それがアドミラリティ・コードだったらって事」
タカオを挟んで反対側に座ったいおりがホイッとマドレーヌをシグレに手渡す。「それにもしかしたらそのプログラムの書き換えはできるんじゃないかって。事実霧の中に埋め込まれたそのプログラムってイオナが最後に書き換えたわけでしょ? だから前は敵同士だった相手ともこうやってお茶してンだし」
何気ないいおりの一言だったが流石に論理的思考の持ち主。一言で解決策への突破口を開く慧眼には歳と経験を経た大人たちが感服する。「なるほどな、イオナちゃんのあの時の力をシグレちゃんを造った何かが使えばそれは可能だって事か …… しかし全世界隈なく行き渡らせるメッセージを発する事のできる電波ってどんな力だ? 」
「そのことなんですが」駒城の質問に僧が手元のタブレットを指でなぞった。戦況スクリーンに投影されたのはある種の周波数データだった。「これはワルタハンガ通行時に背後から艦隊を襲った不気味な精神感応波のデータです、見てわかる通り可聴領域での振動は全くフラットになっていますが ―― 」
「 …… 画面の隅っこに線が出てるんだけど、これ? 」ソナー手の真瑠璃の優れた聴力はそれが到達する以前に何か不穏な空気を察知して思わずヘッドホンをミュートした、やはり自分の耳は正しかったのかとしげしげと眺める彼女に僧は言った。「そうです。静さんは以前ハワイ沖でこれと同じものを感じているので事前に事なきを得ましたが響さんはお見事です …… これをイオナさんの総旗艦命令が発せられたときに各地で観測された周波数と重ねてみると ―― 」
僧の指がタブレット上を動くと二つの画面は見事なほどぴったりと重なった。「同じものだとわかります。周波数帯は7・83Mz …… 『地球の鼓動』と言われるシューマン共鳴と同じものです」
その場の全員が呆気に取られて画面を見つめる。
総旗艦と同じ周波数で命令を発すると言う事は ―― 。
「なに、シグレちゃんのバックに超戦艦級がいるって事? 」真瑠璃が恐る恐る尋ねると杏平が呟いた。「いや超戦艦級って …… ヤマト・ムサシのほかにどんなのがいンの? 」
「三番艦信濃か」
信濃という空母は第二次大戦末期に就役した巨大艦で元々は大和型の三番艦として建造されていたところをミッドウェーの敗戦を受けて急遽空母へと方向転換された船だ、基準排水量62000トンは現代においても米海軍ニミッツ級に匹敵する大きさではあるが艦付け搭載機数が55機というのは異常に少ない。だが本来信濃は空母というよりも洋上プラットフォームとしての役割が強く、艦に属さない機体が着艦したとしても速やかに補給整備を行って再び前線へと送り出す能力を保持する移動要塞だ。故に大和型の防御力を十分に生かしたバイタルパートと重厚な装甲甲板、そして対空装備はそれ一艦で周囲の護衛艦の分までカバーできる火力を持っていた。
もしそんなものが無事就航してレイテ以降の海戦に投入されていたら戦局はどう変わっていたか、戦後の研究でもう乗せる戦闘機など存在しなかったという発表が為されてはいるがそれはあくまで海軍の運用方針に則った場合を考えたらの事である。予定されていた海上プラットフォームとして動いていたならそこに着艦する機体は種類を選ばない、全てにおいて完全な補給整備が行われたなら潜在的に運用できる機数は200機を超えるであろう。すなわち帝国海軍航空隊一航戦以上の運用能力だ。
「 ‟ 駒城二佐、確かにあり得なくはないがあれは戦艦じゃない。改造空母が超戦艦級を名乗るには少し僭越だと思うのだが? ” 」
「と、固定観念で考えるから答えを見失ってしまうんじゃないか? 米海軍だってアリゾナの前の旗艦はレキシントンだ、戦艦であることを辞めて空母としての能力に特化することで総火力以上の能力を獲得していたら? 戦況予測や艦載機を使った選択肢の多様化は近距離ドンパチよりは有意義なものだと思うが? 」
「ねえ駒城、あんた今あたしたちの事『脳筋バカ』って言った? 」駒城の失言にすかさず反応したヒュウガが鬼の形相でにらみつけるその様に全員が爆笑する。少しだけ敵の正体に迫れたことで場の雰囲気が和み、話の中心は次の画像へと移った。「もうひとつ相手の艦級を特定するのにちょうどいい画像があります」
スクリーンの線が消えて今度は金色に輝く巨大な超重力砲を積んだシグレの画像が表示される。トラウマを刺激されて体を震わせるシグレの頭を優しく撫でるタカオが口を開いた。「これがあの時あたしの方から撮った映像 …… 後部フェアリングが無いから縮退炉まで丸見えね」
「えと …… 私がこんなもの見てもいいのかしら? これって霧の切り札の内部構造なんでしょう? 」
「まあほんとは駄目だけど見たところでこれがどういう仕組みだか分かる者なんてほとんどいないわ、使ってる私たちだってイメージ的には荷電粒子砲の出力がかなり上がった大口径の大砲ぶっ放してる感じだもの」
困惑するノンナを置き去りにして次々に感想を述べる蒼き艦隊のメンバー、ハルナが素直に尋ねた。
「 ‟ だからいくら装備していてもその出力に見合ったエネルギーが供給されないと超重力砲は動かない …… しかしこれは十分に撃発に必要なエネルギーが供給されているな。シグレの重力子炉は特別製か? ” 」
「いや、スペックは艦隊に編入した時に調べさせてもらった。S型60基のフルチューンタイプだが超重力砲を撃てるほどの出力はない」
「前に積んでたイオナ姉さまの奴はあたしのだけどさすがに出力が足りないからエンジンだけはいろいろ積み替えたもの、それでも一発撃ったらグリットフィンに亀裂が入ってたから小型艦での継続的な運用は難しいのかもね」
「じゃあそのエネルギーはどこから? いおり、あんたそういうの詳しいんでしょ? 」
揚げドーナツをぱくりと咥えた真瑠璃が尋ねた本人はこれだけの難問を間髪入れずにさらりと答えた。
「んー、まああたしの考えなんだけどユークリッド次元軸が全方位に展開した時にこの超重力砲を構成するナノマテリアルが送り込まれてきたんだけどその時の相転移におけるエントロピー量の増加エネルギーが元になってる、とは思う」
エントロピーの増大とは断熱条件にある平衡状態の物質が別の平衡状態へと移行する時必ずエネルギーが増加することを示す現象である。わかりやすく言うなら固体状態のものが液体や固体に変化する時必ず体積は増加し熱が発生する、この差異をエントロピーの増加と表現する。ナノマテリアルという未知の物質の状態変化をボルツマンの関係式に当て嵌めていいのかどうかは疑わしいところだが現状では確かにいおりの考え方が正しいように思う。
「その理屈で言うと次元が閉じた後の状態ではシグレちゃんは一発しか超重力砲を撃てなかったって事? 」「多分ね …… ねえみんな、お茶いる? 」
いつの間にかすっからかんになったデキャンタとお茶菓子を見たいおりが尋ねると全員の手が上がる、席を立って新しいものを取りに艦橋を出る彼女の背中へと視線を送りながらノンナが言った。「 …… 彼女凄いわね、あんなに若いのにもう重力子理論の応用に近づいてる」
「今の人類で四月朔日以上に重力子に詳しい奴なんていないさ、なんせ毎日超科学と付き合ってるんだから。そうやって霧の神髄と向き合っていく連中がこの先も増えて ―― 俺たちは置いてきぼりにされちまうんだろうなあ」
「それはそれで大変ありがたい事だ。俺は隠居がてら茶をすすって日向ぼっこの毎日に憧れてるんだがお前もこの際一緒にどうだ、こっちの水はとても甘いぞ? 」
にやにやと笑いながら手招きする浦上の誘いを無言で頭を下げた駒城が固辞する、顔を上げた彼は少し深刻な目で浦上を見た。「この超重力砲の外装から見てもシグレちゃんに何らかの形で繋がってるのは大戦艦級以上に間違いなさそうです、とりあえず横須賀に帰港したらすぐに補給整備を整えて信濃の捜索に向かおうと思うのですが」
「そうだな。潮岬50キロ南の地点で沈没したと詳報には書かれているから見つけるのは簡単だろう、だが俺たちの予想が正しかったとしたらその地点に接近する前に猛烈な抵抗を受けるかもしれん。それにあのあたりの海底地形は段差だらけで黒潮の流れも不規則だ ―― 換装は1型がいいかもな」
「もしそこに船体がなければ現界している可能性が高い、なければ他の船 ―― そうなってくると海外の戦艦も視野に入れなくてはなりませんね。ところで『1型換装』というのは? 」ノンナがロシアンティーに口をつけると浦上は白鯨Ⅲの機密に関することを事も無げに口にした。「白鯨Ⅲというのはもともとは艦橋のあるコマンドユニットとドライブユニットだけを指すんだ。その二つをコアとして色々な装備を換装することで目的に応じた兵装を装備できる ―― 今回のは2型でVLS搭載の攻撃型だ、1型は純粋な小型攻撃型で最小限の兵装になる。その分逃げ足は速いがな …… そういう具合に艦の大きさも100メートルから海上拠点型の1000メートルまで延長することも可能だ、もっともそうなるともう潜水艦とは言えん」
「浦上さん、そんなこと喋っちゃって大丈夫なんですか? 白鯨Ⅲは仮にも唯一霧に拮抗する人類側の潜水艦です、それを ―― 」心配した群像が口をはさむと彼は心外だと言わんばかりに振り向いた。「何を言ってる? もしまた万が一のことがあった時の対抗手段は一つでも多い方がいいだろう、仕組みを話すだけなら設計者の俺が全然かまわんしそれにパブロヴナ中佐が聞いて本国に伝えたところでそれをロシアは採用せんよ」
「アメリカやロシアの艦隊はその役割を担う艦を種別で保持しています、ですから白鯨Ⅲと同じような任務は確実に代替できます。それに白鯨Ⅲのようなやり方は実は軍にとってもとても非効率なのです …… 攻撃型・巡航ミサイル型・弾道ミサイル型など様々な役目を担う各種潜水艦の乗組員はその役目だけに特化した人員が配備されています、だからその船の持つ特性に関してのみ突発的な事態にも対応することが出来ます。ですが ―― 」
「白鯨Ⅲのようにコロコロと任務を変える艦に乗るクルーはそれ全てに対応できるだけの知識を持たなければならない ―― その人材を育成するのにどれだけの時間とお金がかかるのか。だから大国はこの仕組みを採用するのに二の足を踏むんだ」
「じゃあなぜ日本はそのシステムを採用したんですか? 」僧が興味深げに尋ねると浦上はニヤリと笑った。「単純な話だ、人がいないからな」
霧の侵攻による兵力損耗は各国によって違いがある、ロシア・アメリか・中国のように内陸に広大な支配地域を持つ国家は陸軍を中心とする戦力を疎開させることが出来た。だが日本やイギリスを中心とする海洋国家は地政学上の不利によって他国よりも多大な被害を被った。
全国土が霧の射程に納まることはそれだけで国の存亡を脅かす、翻ると彼らは未曽有の損耗を強いられながらも決して屈することなく戦い続けたのだ。「側ばかり作っても動かす人間がいないんじゃ宝の持ち腐れ、だから俺は今の『もがみ型増産計画』に反対なんだ。装備庁は401の仕組みを見習ってやれ航行システムや火器管制をAIで ―― なんて与太を飛ばしているが船を動かすというのはそんな事じゃない、乗り込んだ全員がそれぞれの判断でその時の最善を尽くすことが一番大事なことなんだ。今回の事だってもしAIなんかに任せてみろ、カザンを含めて俺たちは蒼き艦隊以外誰も生き残っちゃいないんだから」
その件については戦術技術局局長の浦上と装備庁との間でかなりの軋轢があるのだろう、彼らしからぬ口調で最後は吐き捨てる彼の肩を宥めるようにヒュウガがポンポンと叩いて笑う。「だから今回の『天翔』の建造に関しても結構浦上の考えが大きいのよ。外海での作戦行動を考えると自分たちのほかにもう一つ海上拠点となる存在 ―― 自分たちも整備できるだけの設備と兵站を確保できる船が必要だった、今はただの工作船にしかすぎないけれど有事にどれだけあの船が活躍するか ―― 」
「 …… その天翔の事なんだけど」
なぜかイオナがポツンと呟きながらレーダースクリーンを展開した。「天翔のIFF確認、予定邂逅地点から随分南の方まで来てる」
イオナたちの現在地はまだ北マリアナ諸島の西側を北上中で硫黄島までには距離がある、だが天翔からの発振はもう北端部の第一島ウラカスを越えて第三島アスニシオンのそばまで来ていた。不思議に思った群像が静に指示を出そうかと口を開きかけた瞬間、彼女が言った。「艦長、天翔の島艦長から通信がはいってます。このままスピーカーに繋ぎます」
「 ‟ 作戦終了後の大事な休息時間に誠に申し訳ございません ” 」いかにも海軍上がりの空気を読んだ第一声に思わずノンナは驚いた。群像たちの説明からその工作船は民間からの徴用だと聞いていたのだが。「いえ大丈夫です。島船長、随分南に出張ってきてるようなのですが何か事情が? 」
群像が尋ねるとスピーカーの向こうで島は明らかに困惑していた。「 ‟ はい、実は本船は当初の計画通り硫黄島沖20キロ地点に停泊していたのですが突然統制軍の訪問を受けまして ” 」
統制軍の訪問と聞いて艦橋の空気が緊迫した。公権力の民間への介入は本来『臨検』と呼ばれる取り締まり行為だ、何らかの法を犯すかもしくは恣意的な思惑でもなければ行われる事はない。「 …… 浦上さん? 」
「俺は何も聞いとらんよ ―― 島、浦上だ。訪問時の状況と目的をこちらに正確に伝えてくれ、どこの部隊が乗り込んできた? 」
「 ‟ はい、昨日1500硫黄島の方位290より統制陸軍木更津駐屯地所属MV-22一機が本艦に接近。着艦許可を求められましたので国際海洋法第七部110条に基づき当該機の要求を受諾いたしました ” 」
「陸軍? 島船長、天翔は民間所属だが日米両政府からの要請に基づいて行う調査行動の一環としての兵站拠点です。作戦行動時における関係各所からの無断介入は拒否するべきなのでは? 」
駒城が強い口調で問いただすとスピーカーの向こうの島はより一層困惑した声で答えた。「 ‟ は。駒城二佐のおっしゃる通り自分も最初はそう告げてはいたのですが、オスプレイの航続距離を考えた場合恐らく帰還する燃料は足りない計算。補給を考えた場合どうしても本艦への着艦が不可欠と考えました ” 」
「無茶な連中だ、もし天翔がそこにいなかったらどうするつもりだったんだ? 陸軍省には後で厳重に抗議してやる …… それで陸軍の連中は帰ったのか? 」不満を露わにして浦上が尋ねると島は困り果てた体で言った。「 ‟ あ、いやそれがですね …… 実は今回の飛行は陸軍の指示ではなく軍上層部からの命令だと言う事で。陸軍は海外からの突然の来賓によってその行動をやむなく認めざるを得なかったと ” 」
「海外の来賓? なんだそれ」艦橋に集まった一同が顔を見合わせ小さく頭を振って心当たりがない事を無言で知らせる、全員が気持ちを落ち着かせるために手の中のお茶でのどの渇きを押さえようとしたその時だった。
「 ‟ 現在はその来賓の方も木更津の航空員と共に本艦の甲板上で待機中であります …… 来賓の方はロシア極東海軍総司令 ” 」
いきなりノンナがむせ返った。
「 ‟ ルスラン・シモノフ中将閣下であります。緊急の用事があるとのことでここでお待ちいただいておりますが …… いかがいたしましょう? ” 」
今度は全員の視線がノンナに集中した。「わ ―― 事情は分かりました島船長。閣下にはそのまま宿泊室を手配していただいてくれぐれも粗相のない対応をお願いします、オスプレイの乗組員の方々も同様の対応を。そちらと接触次第直ちにこちらの方からご挨拶に ―― 」
「 ‟ いやそれがですね …… どうしてもここであのはねっ返り連中の帰りを待つといってこちらの勧めにも一切耳を貸していただけません、どういたしましょう? ” 」
焦った群像の指示にも困り果てていますと暗に示す島の声に浦上が言った。「島、とりあえずルスランは奴の好きにさせとけ。航空員は一番守秘設備より遠い部屋をあてがって自由に艦内を歩かせるな、すぐにそちらに着く」
通信が切れた後の艦橋はもう穏やかな空気に包まれたホームルームどころではない、ルスランがそこまで強権を発動させて天翔にまで来た理由はただ一つ。「まずいな …… ルスランの奴完全に頭にきてやがる」
「いやでもカザンの協力がなかったら今頃あたしたちがソロモン海から無事に脱出できた保証はないんでしょ? その辺でなんとか ―― 」
「そんな言い訳が通じる相手じゃない、仮にも『北のライオン』だぞ? 命令違反はどこをどうとっても法に照らし合わせて厳罰が相場だ。パブロヴナ中佐は軍法会議にかけられて刑に服する」
群像たち民間側と駒城たち軍側との間には明らかに見解の相違がある、自らの危険も顧みず調査艦隊を助けたことは人道的に正しいのだが軍としては間違っている。正しいからと言ってその行動を認めてしまえば軍の規律が守れない ―― 殺傷兵器を扱う立場にある者が無責任に振舞えば大きな災禍の引き金になるのは歴史が証明している。
「浦上さん、何とかなりませんか? 閣下とは親父とも含めて随分長い付き合いだと聞きます、ここは親父の名前でも何でも使っても構いませんので何とかパブロヴナ中佐の嘆願を」
「お願い浦上、あたしにできる事なら何でもするから」群像とイオナだけではなく霧の艦隊全員が懇願の目を浦上に向ける、島と同様打開策が見つからず腕を組んで考え込む彼のそばで今まで何も言わずにじっと艦橋の床へと視線を落としていたノンナが不意に何かを思いついたように顔を上げた。
「 …… イオーナ。あなたにできる事なら何でもしてくれるって、今言いましたよね? 」
「うんノンナ、あなたを助けるためだったらあたし何でもする」「そうですか …… では」
そういうとロシア極東艦隊随一の作戦参謀はにっこりと笑ってイオナに告げた。
「私につきあっていただけます? 」