蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
天翔の乾ドックに入渠したカザンはすぐに所定の検査が行われて破損紛失した部分のデータを基に工房で再生作業が始まっている、損壊した部分の修復素材には白鯨Ⅲの外殻を包む強靭鋼が使用された。プロテリアル安来が開発したこの高張力鋼はロシアの物より硬度が高くしかも軽量だがデリケート、故に接合箇所の溶接に関しては最高の技術と細心の注意が必要とされるのだがそれをいとも簡単にやってのける作業員の腕にカザンの乗組員は圧倒された。ベルトコンベアから送られてきたパーツが次々と組みつけられては固定されてなくなった場所やへこんだ場所を元通りにしていくその工程は圧巻だ。
「材質が違うので全部が組み上がったら横須賀に到着するまでは様子見になります、強靭鋼は確かに頑丈なのですが溶接部を落ち着かせないとクラックが入ったりしますので。それまではどうぞご自由に艦内をご覧になってください」ドック長の熊倉がそういうとカザンの乗組員たちは一様に硬い表情で熊倉の隣で船体を見下ろすルスランを見た。命令違反の処分こそ不問には付されたもののノンナとの話し合いでいったい何が起こったのか ―― 同席したはずの政治局員に問いただしてみても「わわわわたっ、しわ何も知りませんしみみ見てもいいませんからぁっ」と斜め上すぎる答えが返ってくるだけだ。
「あのはねっ返りの不始末をこんな形でとりなしてくれて艦隊司令として返す言葉もない、本来ならばここでカザンを受け取って母港へと帰りたいところなのだがそういう事情では仕方がない」
微笑んだルスランはそういうと横一列に並んだ乗組員へと視線を向ける、司令官の笑みが一体何を意味するのかは図りかねるがそれでも姿勢を正して踵を鳴らす彼女たち。「船体の非破壊検査が終了次第カザンは直ちにウラジオストクへと帰投するように。なおノンナ・パブロヴナ中佐およびガリーナ・タラソフ政治局員、カザンの全乗組員は上陸後直ちに司令部に出頭して今回の命令違反に関しての裁可を待つように。以上」
言葉が終わるや否や全員が一斉に敬礼する、どこでも軍隊は同じなんだなと目を細めながら眺める熊倉にルスランは小さく頭を下げた。「私は司令部に戻って今回の事を中央に急ぎ報告をしなければならない、こちらに瑕疵がないとはいえ米軍の貴重な資産を助けられなかったわけだからな ―― Mr熊倉」
熊倉は船長の島との付き合いも長く浦上の人となりもよく知っている、だから『こういう人種』が自らの持つ権力に驕ることなく人としての行動を重視することをよく知っていた。だから自分に対して頭を下げられることに対して何かしらの卑下や遠慮が最も失礼であることを心得ている、ロシア最高の技量と実績を誇るルスランの謝意に対してもきちんと向き合った彼はすっと右手を額に当てた。
「皆まで申されなくても大丈夫です、カザンは必ず万全の状態で閣下の元へとお返しいたしますのでどうぞご安心を。この熊倉、蒼き艦隊所属工作艦天翔の補修部門を預かる身としてその事お約束いたします」
ルスランが上った先にある天翔の上甲板にタンカーとして世界中の海原を駆け回っていたころの面影はない、縦横無尽に張り巡らされていたパイプ類は船体機能維持に必要なものを除いてすべて取り外されその全てが強固な装甲板へと張り替えられている。だだっ広い鋼鈑の中央ですでに暖気を済ませて待機するオスプレイへと歩を進めたルスランはその手前で恭しく右手を掲げて見送るノンナを見てすぐそばで足を止めた。
「 …… 見送りご苦労、パブロヴナ中佐」返礼しようとするその手を彼女の声が止めた。「この度はわがカザンの乗組員に対しての寛大なご処置、心よりお礼申し上げます。元は自分の判断ミスによる今回の事態、その罪科を同胞に課することなく納めていただきありがとうございます」
「なぜあの場にイオーナを連れてきた? 」「乗組員の嘆願を彼女と一緒にお願いするつもりでした、私の巻き添えにしてしまったガリーナには本当にむごい事をしたと反省しております」
イオナを同席しての嘆願名簿の中にノンナと政治局員として同乗するガリーナの名前はなかった、政府のお目付け役としてすべての行動に対して意見しなければならない立場にある彼女に課せられた罪状は艦長としてその行動に全責任を負うノンナと同じだ。だがイオナの証言によってカザンの軍事行動の正しさは証明されてガリーナはこのことについて固く口留めをされた、簡易的とはいえ一国の軍事法廷の採決が他国の ―― しかも未だに人類の一部からは怨恨の対象として認められる霧の最高指導者の言によって左右されたなどあってはならない事だからだ。
「自分の命乞いに使おうとは思わなかったのか? 」「私はあの時そうすべきが最善だと判断いたしました、閣下のお叱りが階級剝奪と禁固刑に値するというのでしたら私自身の処遇に何ら依存はございません」
「相変わらず可愛げのない奴だ、全く」ため息をついて苦笑いを浮かべたルスランがノンナの敬礼を煙草で解いた。「お前の嘆願はもうとっくにウラジオストクで相当数から受けている、仲間と娘に感謝するんだな」
目を閉じればその時の光景をありありと思い出す、断固とした措置を心に決めたルスランが執務室を出ようとした瞬間に実の娘に掴まれた手と懇願を湛えた蒼い瞳。そして話を聞きつけた艦隊幕僚幹部の人だかりと恐れを知らぬシュプレヒコール。極東艦隊二番艦として常にルスランの後につき艦隊を支え続けるノンナの存在価値はすでに取り換えが利かないほど大きなものとなっていた。
「ロシア海軍を預かる立場の一として言うならお前がしたことは完全な軍規違反だ、どう照らし合わせても許されるものではない」オスプレイへと目を向けながら呟くルスランの横顔を真剣な目で見つめるノンナ。
「 …… だがよく無事に生還した。もしお前がその時命令を守って調査艦隊を助けなかったとしたら私はお前を艦隊名簿から外していた」「 …… 閣下ならあの時必ずそうすると。例え401に捕捉されていなくても私とカザンは同じ行動を選択しました」
「だがお前とカザンをして船体はほぼ大破 …… 霧の駆逐艦といえども人形付きは想像の上をいく恐ろしい存在だな。戦闘詳報は? 」「ここに」
そういうとノンナは胸のポケットからフラッシュメモリーを取り出してルスランへと渡した。「残念ながらイオーナとイレギュラーとの戦闘を記録した部分のみ私自身の判断で消去いたしました、申し訳ございません」
「 …… 大体理由は分かるがな。その領域に人類が到達することは不利益だと判断したか」
霧同士の総力戦で見せた超重力砲とミラーリングシステムとの激突はかつて隆盛を誇った人類の科学力を遥かに凌駕する恐るべき代物だった、だが過去より連綿と続く観察と試行錯誤と実践によってそれを実現させるという人類史の繰り返しがいつしか国家同士の敵対と融和の硬直をもたらした挙句に霧という存在を生み出して遂には自らを滅ぼしかけた。もしこのデータをどこかに持ち込んで万が一それに似た物が開発されてしまったとしたらそれは再び破滅への一歩を踏み出すことにもなりかねない、群像たちにタカオの挺身がデータを破棄した理由と答えたのは嘘ではないが本当は群像や人に与するメンタルモデルたちが常に口にする「運用の実態」を人類側に漏らしてはならないと直感したことが本当の理由だった。
「人の手に余る『火』はもう核を最後にしなくてはなりません、いつか誰かがその理論に気がついて同じようなものを作り上げたとしてもそれは遠い先の未来に今を知らない人類が作り上げるべきです。少なくとも霧と血で血を洗う闘争をした私たちじゃない」
「その現場で一部始終を目にしたお前の諫言、しかと心に留めておこう …… だがなノンナ」
言葉を切って左舷にそののっぺりとした上甲板を晒して停泊する白鯨Ⅲへとルスランは彼女の視線を目で誘った。「もしかしたら未来に起る厄災に対する抑止はすでに考えなければならない時に来ているのかも知れん、それを浦上一人に任せておくのはあまりに荷が重いというものだ」
* * *
ルスランを乗せたオスプレイが上甲板を離れて北を目指して遠ざかる、簡易補修と補給を受けた霧の艦隊と白鯨Ⅲは天翔を中央に置く輪形陣を保ったまま邂逅地点を後にした。艦隊先頭を切るタカオは第二砲塔の後ろで前方を警戒しながら時折後ろをちらちらと覗いている、本当は情緒の安定しないシグレだけを天翔に残しておくことに過保護な不満を漏らした彼女だがシグレ本人の説得に止む無く ―― 本当に後ろ髪を引かれるように渋々と艦隊前衛を務めていた。館内巡回という名目で天翔に残したヒュウガのマジックアームからの映像を時折眺めながら彼女の様子を確認してはため息をつく彼女にヒュウガが呆れたように言った。
「 ‟ あんたさあ、そんなに心配ならリモートで操船して天翔に来ればいいじゃない? ” 」「だってあんな顔でお願いされたら行くに行けないわよ。これ以上教官殿にご迷惑をおかけすることはできません、どうか任務にご専念されますようって ―― あたしいやよ、余計な事してあの子に嫌われるのなんて」
あんたは過保護のお母さんか、とあきれ顔で呟くヒュウガにむくれ顔を返すタカオだったがふとあることに気がついてモニターへと顔を近づけた。「ねえ、そう言や千早艦長たちって天翔にいないの? 」
「 ‟ みんなイオナ姉さまのところにいるわよ、どうして? ” 」「いや、せっかく基地に帰還したんだから骨休めに使わないのかなって。あれだけ激しい戦いしたんだし401も相当削られたんじゃない? 」
「そうねえ」ヒュウガは呟くとホログラムを立ち上げて401に関する各種データをモニターした。船体を構成する外殻や内部構造に関してはそれほど目立った数値はない、だがミラーリングシステムを動かすために極限まで出力を上げた重力子エンジンに残るダメージは相当なものがあった。全主機の並列接続で出力を稼いだところで所詮は潜水艦、ヤマトやムサシの超戦艦級に敵うはずがない。それでもいおりとヒュウガの手による改装に次ぐ改装で何とか一時的には大戦艦級のレベルにまで持っていくことはできるのだが、借り物の超重力砲を撃った時に起きたタービンブレードのクラックどころの話でなく重力子炉のいくつかが機能不全を起こすありさまで動作時の演算領域といい周辺海域での環境アセスメントといいあまりに割に合わない切り札だ。
「今度ばかりは浦上の先見の明に感謝感激よ、もし天翔がいなかったらと思うとぞっとするわ。万全とは言えないけど兵装補充と機関メンテナンスが出来るだけでも御の字ってところかしら」
「 ‟ それなんだけどさぁ、あたしあんなの初めて見たんだけど。ミラーリングシステムって総旗艦専用装備って噂には聞いてたんだけどいったいどういう代物なの? ” 」
霧との数々の戦いに蒼き艦隊の一員として常にその身を戦火へと投げ出し続けたタカオだがムサシが唯一その兵装を披露した海域に彼女はいなかった、超重力砲すら通用しない完全防御結界とも噂されるそれを見た瞬間に感じた畏怖 ―― と同時に決して自分では扱えないと思わずにはいられない圧倒的な性能に恐怖を覚えた。「 ‟ …… どうして401はあんな恐ろしいものを使える ―― いえ使おうとしたの? ” 」
「簡単に言うと時空間相転移システム。物質を別の次元に飛ばしたりこちらの世界に持ち込むこともできる ―― 今回は防御に使ったけどあれを束ねて超重力砲の代わりに使う事もできるわ、もっとも放つエネルギーが重力子じゃない可能性もあるから慎重に取り扱う必要があるけど」
「 ‟ 重力子じゃない可能性? ” 」
「攻撃として使う際には相転移時に発生するエネルギーを衝撃波として打ち出すんだけどその中には多次元で鹵獲した物質も含まれているの。もしその中に反物質粒子が含まれていたらほんの少しの量でもこの星の物と反応して対消滅が発生する、地球という天体は一瞬にして宇宙の塵になるわ ―― 皮肉なものね。この星を食い尽くそうとする人類を滅ぼすために生み出された私たちがそんなものを隠し持っているなんて」
「 ‟ ―― ねえ ” 」尋ねるタカオの声は深く沈んでいた。
「 ‟ どうしてヤマトは最期にそれを401に渡したの? ” 」
* * *
「さ、イオナ」
全員がリビングルーム代わりに使っている食堂でいおりは尋ねた。「どうして402にやきもち焼いたのか、その理由をじっくりと聞こうじゃないの」
「 …… やき、もち? 」お気に入りのスツールにちょこんと座ったイオナが不思議そうにいおりを見上げた。「そ、やきもち。好きな人が自分以外の誰かに興味を向けた時に起こる負の気持ちだね ―― イオナの体はそっくりそのまま401のコンディションとリンクしてる、だから横須賀の時にミラーリングがいきなり作動した時絶対あんたに何かがあったんだなぁと思ったの。そン時はこの戦争しか知らない朴念仁がとうとうやらかしやがったかと勘繰ったんだけど」
「やっ、やらかしたってっ! いっ、いおりっ⁉ イオナはメンタルモデルなんだぞ、人間とは」「同じ造りなんだよ、霧との戦いが集結してイオナが横須賀に返ってきた時にそれはもう確認済み。内部の情報に関しては強烈なプロテクトが掛かってて走査できなかったけど身体的特徴はもうほぼあたしたちと同じと言ってもいい、そンでそれに追随するかのように彼女のメンタルも徐々に私たちに迫ってきてる。例えばレイサン島の時とかカザンが沈みかけた時とか」
確かにイオナは変わった。コンゴウ戦から始まった自我への目覚めはヒエイとの出会いで問いかけへと変わりムサシに対しては自らの考えを堂々と述べる、そこに北良寛が評した『人形』の面影はどこにもない。そしてリムパックでアリゾナに啖呵を切りレイサン島では我儘を押し切って ―― 数え上げればきりがない、彼女がそうであるように自分たちもイオナに関しては人類と霧の垣根がなくなっているようにすら感じる。
「ねえイオナ」いおりが優しく笑った。「君は群像の事が好き? 」
好きって?
いつものように言葉の意味が解らないふりをしてオウム返しにその言葉の意味を訪ねて相手を困らせようとする自分がどこにもいない。目の奥が熱くなって体の中から何か激しいものがこみあげてきて止まらない。見つめるいおりの瞳から思わず視線を逸らしてしまう自分はどうしようもなく愚かで卑怯で、でもそんな自分がたまらなく愛おしくて認めてほしいと心の奥で叫び続けた。
隣にいないことがあり得ない。
あなたがいない世界に意味がない。
小笠原の時とは違う、今のあたしにはいおりや静や僧や杏平や ―― 仲間や友達がいっぱいだ。一人じゃない事は知ってる。
でも。
あなただけがもしいなくなったとしたら。
あなたの目に映らなくなってしまったとしたら。『私』は ―― 。
「 …… あの日の夢を見たの」
ゴウン、という低い音が船体のどこかから鳴り響く。リンクする船体機能を切り離すためにイオナ自身の意思で切断するその行為は相応の苦痛を伴う、眉をしかめながらそれでも彼女は訥々と声を絞り出した。群像を含めた全員がその様子を無言で見守る。
「あたしはあの日ヤマトの船体と一緒に消滅したはずだった。目が霞んで何もわからなくなって、それでもムサシのコアの微かな反応を追いかけて冷たい海の底に沈んでいく …… ヤマトがムサシの魂を空へと抱き上げていくのを見ながらあたしはせめて二人がこのままそばにいられますように願った、あたしの中に残ってたヤマトの気持ちを叶えてあげようと思った ―― でも」
イオナが不意に微笑んで群像を見た。「 …… あたしはカメオを、握ってた」彼女の手が胸元にあるブローチへと伸びて優しく摘まむ。
「 …… 会いたい。もう一度だけでも群像に会いたいと …… 思った」
イオナが意識を取り戻したときには船体はなぜか元通りに復元して北極海のど真ん中に浮かんでいたという。周囲に浮かんでいた無数のナガラ型の舷側を彩るイデアクレストは青、自分を中心とした輪形陣で周囲を漂っていた。「あの時と同じ。私は一人で艦隊を離れてすぐに日本に帰ろうとした …… 違ったのは、思い」
「 …… 思い? それは『意思』とは違うのですか? 」僧が静かに尋ねるとイオナは少し考えた後に小さく頭を振った。「違うと、思う。あたしは霧と人との戦いを止めるためにあの命令をしたけどそれは同時に霧の犯した罪をあたしが引き受けたことになる、いつか群像と見た横須賀の墓地で泣いていた誰かの憎しみもお墓の数だけある人の悲しみも ―― もしかしたら命令が届かなくて終わってない戦いで死んだ人たちの事も全部あたしが受け止めなきゃならない。でもその覚悟は、なかった」
イオナが発した最後の総旗艦命令が効力を発したのはヤマト沈没から数時間たってからの事だった。ベーリング海でしのぎを削っていたタカオとハルナが群像らの救助に駆け付け、その際にヒエイ逹霧の生徒会が突然砲火を止めて戸惑いながら南へと向かったと言う事を伝えられた。イオナがヤマト共々消滅したことにヒュウガは自分が代われなかったことを悔やみ嘆き悲しんだが決して群像たちを責める事はなく、超戦艦級を止めることに掛かる代償が潜特型一艦で済んだのはむしろ奇跡だと告げて彼女はその後タカオの士官室に立て籠もった。
「横須賀が日本が、みんながどうなってるのか。生きてるのか無事なのか …… 早く帰らなきゃ。でも ―― 何度も何度も立ち止まって怯えて悩んで、でもとうとう日本の海まで戻ってきた。遠目に見る日本はとても穏やかでどこからも煙が上がってなくて。あたしは船を大原の港に泊めてそのまま歩いて横須賀を目指した」
最後の総旗艦命令が発せられた事が群像たちの仕業だと気付いたのは当時振動弾頭の解除パスを握っていた上陰とアメリカ側の窓口であったクルツ・ハーダーのみ。浦上ですら群像がどこで何をしているのか図りかねているほど情報は内外に隠蔽錯綜しており、横須賀沖に突然タカオとハルナが現れた際には駒城と共に地下ドックへと走ったほどだ。だが彼女たちが群像たちと共に北極海戦の映像資料を鎮守府に提出したことで一連の顛末は明るみに出て、霧との全面的な敵対関係が解消された事を知った全世界はその瞬間から群像以下六人を救世主として崇めるようになった。
「いくつも船を乗り継いで群像のお父さんとお母さんのお墓までとても長くて辛かったのを覚えてる、尋ねた後に群像からもらったカメオをお供えしてこのままそっとどこかに行こうかとも思ってた。でも」
「すぐに俺が来たんで慌てて隠れてしまった」
群像の声にイオナは照れくさそうに笑って頷いた。「手に持ってたカメオまで落っことしちゃって …… 群像がそれを見つけてすぐに振り向いて。見つけてくれたことがうれしかった …… あたしやっぱりここに帰ってきてよかった、群像の傍にいなきゃって思った ―― 群像」
ほんの一瞬の間が彼女の表情を微妙に曇らせる、ためらいを振りほどくように彼女は群像の目を蒼い瞳で見つめて尋ねた。
「どうしてあの時あたしの事を『402』って呼んだの? 」
―― 一瞬で食堂が沈黙に包まれた ――
呆気にとられた全員の目が同じように呆然とする一人の男へと注がれる、少し眉をしかめて睨みつけるイオナの視線にも戸惑いを隠せない男の代わりにいおりがぽつりとつぶやいた。「 …… ありえない」
ピンと緊張する空気は横須賀で彼を尋問した時の比ではない、今度こそ覚悟を決めて関節鬼の静といおりを止めなきゃいけないと心の底で身構えた僧と杏平だったが続けて出たいおりの言葉に二人は別の驚きを覚えた。
「ないわ、それ」
「そうですね …… それは『私たち』がイオナちゃんに使う言葉じゃない。イオナちゃん、本当に艦長がそう言ったのですか? 」静の言葉でイオナの言葉のおかしさに気付いた僧と杏平は互いに顔を見合わせた後に群像へと視線を向けると、彼の顔は真剣なものへと変わっている。
「ねえイオナ、よっく考えてみて ―― 群像は確かに戦争オタクで対人スキルがマイナスのどうしようもない朴念仁だけど ―― 」「ちょ ―― 」抗議しようとする群像をしっ、と手の甲で振り払っていおりは尋ねた。「君にその名前を聞いてから群像やあたしたちが一度でも君の事を『数字』で呼んだことがある? 」
どうして、そんな簡単な事に今まで。
イオナの表情が見る見る苦悩から驚愕へと色変わりする、思い当たるどころではない。自分が自分に着けられた数字を自分でもとっさには思い出せないほど染みついたその名前をどうして群像が呼ばない? ―― 呼ばないはずがない。
だってみんなも同じはずなのだから。「じゃあ、あたし …… どうして」
「ヤマト」
群像の目が怖かった。イオナの蒼い瞳を貫いてまるでその向こうにいる何かに向かって湧き上がる怒りを叩きつけているようだ。「なぜ、こんなことをした? 」
今まで留めていたイオナの瞳孔が突然拡散して表情がストンと抜け落ちる、無機質な人形のような表情で口だけが動くその様はソロモンでイオナが一瞬見せたヤマト顕現の様子とは少し違った。まるでイオナに生まれつつある人格そのものを全部上書きするようなその様子に群像の怒りが収まらない。「答えろっ、ヤマトなんだよなっ⁉ なんでそんなことをした、どうしてイオナの記憶を書き換えるような真似をしたっ⁉ 」
『 ごめんなさい 』
そこにかつての総旗艦の威厳もなく。彼女はしずしずと頭を下げた。『 私は元ヤマトであったプログラム。あの結末でもどうしても消せなかった彼女の後悔の欠片 …… 401の願いと彼女の願いが同期したが為に融合してしまった成れ果て 』
「元ヤマトって …… じゃあ今のあなたは何者なの? 」いおりが尋ねると彼女は無機質な面を上げて向き合った。『 今の私は彼女の中に浸食したバグです。ですが再構成の際に譲り渡したヤマトの機能を十全に機能させるための修正パッチでもあります ―― 特に総旗艦装備として委譲したミラーリングシステムの制御にはどうしても私が必要 』
「それとイオナの記憶を塗り替えることに何の関係が ―― 」「群像」激昂する群像をいおりが神妙な面持ちで制した。「 …… 彼女の言う事はまちがってない」
「え? 」「群像にもわかってるとは思うけどあの兵装を動かすためにはとんでもない出力とその切っ掛けが必要、そのために主機を並列接続する機能をヒュウガと一緒に考えたりイオナを煽ってそのトリガーを引いたんだけど問題はそれだけじゃない。横須賀の事件の時には未展開だったことで事なきを得た機関も今回の件でいくつかが壊れちゃった、それでもあのシステムを維持し続けたのは ―― 」
いおりの声が少し低い。今まで見たこともないくらいに何かに打ちひしがれている彼女が言った。「悔しいけど ―― あなたが臨界制御していたからなのね」
『 あなたの努力を嗤うつもりはありません、むしろ人の身でありながらがここまで辿り着いたことに驚きました。ですがやはりミラーリングを動かし機能させるには足りない ―― 霧の科学を運用するためには人はまだ幼すぎる 』
「そんなこと知ってる。あたしが、一番っ …… あたしがもっとあなたたちの事を勉強してれば、理解してればっ! イオナの大事な思い出を書き換えさせることなんかさせなかったのにっ! 」
『 大事なものだからこそ彼女を動かす動機に成り得た、彼女がヤマトの切り札を動かし足りえる能力を持つのかを私はあの日に試しました。彼女の最愛の者との思い出を負の力へと転換させることでどれほどの能力が発揮できるのか …… いくつかの修正点は見つかりましたがその結果には十分満足しております 』
「他人事みたいに言わないでっ! あれがどれだけみんなにとって大事な物かわかンないのっ⁉ 群像がっ ―― イオナを失ってから周りにもてはやされることすら自分の罪みたいに考えて、心がボロボロになって壊れてくのにどうすることもできなくて絶望してくしかなかったあたしたちを全部助けてくれたあの日の事をどうしてあんたはっ! 」
「いおりちゃんっ」立ち上がろうとしたいおりの手を静が掴んで杏平が肩を押さえた。興奮で荒ぐ息を継ぎながらいつの間にか滲む涙を腕でグイッと拭う。「分かってンのよ、あんたがいなけりゃソロモンでみんな …… タカオも白鯨も死んでたかもしれない。感謝する事こそあっても恨む筋合いなんてないのも知ってる …… でも二人の大事なモンを自分の力不足でそうしなきゃならなかった、ほんとはあたし自身の不甲斐なさにものすごく腹が立つの」
唇をかみしめるいおりの肩をポンポンと杏平が叩いた。「ヤマトさん、イオナちゃんがミラーリングを動かすために条件がひとまず揃って更にあなたの力が必要だと言う事もよく理解をしたうえでお尋ねします」
元台湾海軍特殊部隊
いおりの陰でじっと話を聞いていた静は混乱や激情が支配する戦場で最も大事な物が冷静さであることを知っている、時系列で変化していく状況に対して最も有効でかつ効果的な手段を選択できるかどうかが物事を優位に進めるために必要なのだ。イオナのトリガーが判明した事とそれが嘘偽りだったと分かったことでもうこの手は使えなくなった、ならば元に戻したところで何の不都合もないではないか。「 ―― いかがです? 」
『 あなたのおっしゃる通りです、もうこのデータは使えなくなりました。ですが彼女がミラーリングを自力で起動できない限り私は彼女のメモリ深奥をめぐりそれを書き換えることになります 』
あまりにも唐突で冷酷な宣言に全員の顔色が変わる。結局このプログラムはミラーリングを使う度にそれ『だけ』のためにイオナの記憶を彼女に知られないように次々と書き換えていくつもりなのだ。「それを止めてくれって俺たちは言ってんだっ! なんだよそれ、いおりの言ってることがわかんねえってのかっ⁉ 」
『 私の役目はミラーリングを正常に動かす事でありその目的は401を守る事、そのためにはどんな手を使ってでもどんなことをしてでも事を完遂します。総旗艦として彼女がその立場を委譲されたと言う事は自らの犠牲を厭ってはならない、つまりはそういう意味なのです 』杏平の訴えにも全く耳を貸さずに淡々と答える彼女にそれぞれの感情がこもった眼で睨みつける、怒りや憎しみそして諦め ―― 誰もそんな感情をイオナにぶつけたことはない。だがイオナの顔をしたお前がそれを言うなと ―― 群像ですら煮えたぎる思いでわなわなと震えるその中で一人マスクをしたままその表情が分からない僧が言った。
「 …… わかりました、ヤマトさん」
ヤマトの暴言を肯定したかとも取れるその言葉に全員が一斉に彼の方へと振り向いた。「これ以上ここで発言を続けてもお互いに利のない不毛な話し合いだと思います、ただ私たちとあなたとの共通認識は同じです。イオナさんを …… 私たちの大切な仲間を絶対に守らなくてはならない」
彼女は頷いた。
「イオナさんが自力でミラーリングを起動できない限りあなたは彼女の大切な記憶を次々に書き換えると言いました …… ではその自立運用のために必要な条件とはいったい何なのでしょう? 嫉妬や怒りが彼女に必要だとは僕にはどうしても思えない、もしそれが必要なのだとしたらイオナさんはいつまで経ってもそれを自らの犠牲なしには扱えないと言う事になります。なぜなら彼女の感情はまだ生まれたばかりであり、もしそれが成長して僕たちと同じ気持ちを取得してしまったとしたら彼女がそれに飲み込まれた時に僕たちは彼女を止められない」
その穏やかさが彼の怒りなのだとなぜか静には分かった。「あなたにそれが止められますか? あなたが滅ぼそうとした人類全てが持つ根源的な原罪、それを彼女を守るための拠り所にするほどあなたたちは愚かではないはずです。だから教えてください」
椅子を座りなおして彼女の方へと向き直った僧が言った。「どうすればあなたがイオナさんの記憶に介入することなくミラーリングを動かすことが出来ますか? 」
それはイオナに憑いたプログラムが彼女の演算機能を使っているのだろう、何秒かの沈黙ののちに彼女は答えた。『 現状潜特型の持つ重力子エンジンの出力ではこのミラーリングを起動することはできません、並列運転で出力を稼ぎ起動臨界まで持っていくという案には感心しましたがそこに到達するまでの過程において起動因子が不足しています 』
「起動 …… 因子? 」群像が呟くと彼女は小さく頷いた。『 その一つとして私は彼女の大切なメモリを書き換えて促しました、ですがそれをしないという条件において方法は二つ …… 一つはより小型の高性能なエンジンを人類が開発して401に搭載する事。そしてもう一つは ―― 』
不思議な瞳の色 ―― それはヤマトの残滓が見せる願望と憐憫と冷酷さが交じり合う深窓の感情だったのかもしれない。それを隠すように静かに瞼を閉じた彼女はついにそれを口にした。
『 彼女が心の底からそうあれかしと願う事 』
* * *
「あのミラーリングは不十分なのよ」
ヒュウガはそう言うとホログラムを閉じた。「超戦艦級が持つミラーリングのヘッドユニットは全部で十二枚、でもイオナ姉さまのは半分の六枚しかない。なぜそうなったのか …… もしかしたらヤマトはイオナ姉さまの力ではそれだけで精一杯だと判断したのかそれとも ―― 」
「 ‟ 完全な形で渡すのは危険だと判断したのか ” 」
間髪入れずに答えたタカオの声にヒュウガは目を丸くした。「冴えてるわねぇ、急にどした? もしかしてシグレの重力トラクション貰って頭のネジが二・三本締まった? 」
「 ‟ あのねぇ ” 」 クスクス。「 ‟ 背中で感じてわかった、401が使うアレは不安定なのよ。兵装としての主砲の条件を全然満たしてない、決められた手順があって然るべき条件を満たして初めて兵装は兵装たる威力を発揮できる …… 獲得した意思という概念はとても素晴らしいものだけどそれは同時に兵器というあたしたちにとっては諸刃の剣 ” 」
「あんたの言う通りよ、超重力砲にしろミラーリングにしろ演算云々はともかくとしてもっと楽に使える工夫を考えないと。感情というもののレベルで左右される兵装は絶対に期待値を裏切るわ、そうなってからでは遅すぎる」
ヒュウガはそういうと船長の椅子に座る島へと振り返る、ヒュウガの意見は間違ってはいないと彼は小さく頷いた。すでに海戦の全データは艦中央にあるセントラルサーバへと送られて詳細な分析が始まっている、シグレが搭載した超重力砲の形式から予想できる艦名の推測や敵が採った戦術分析 ―― そしてイオナのミラーリングシステムの欠点はすぐに洗い出されてその対策が図られる。霧ではどうしても臨めなかった艦隊のアップデートを前にヒュウガの心は高鳴り、しかし元旗艦であったが故の戦略分析はその時間が少ない事を気づかせる。
敵がいる以上相手も同じことを考えている。それが同じ霧だというなら、尚更。
「島船長、お願いがあります」「分かっています …… どこにしますか」
すでにヒュウガの考えをくみ取っていた彼は腕組みをしながら唸った。「兵装補充が十分に可能でしかも外部から完全に情報が遮断できる、そしてこの船がドックに上がっても万が一の敵の攻撃を防ぎ切るだけの広域防御 …… 横須賀を選ばないというのであれば今の日本にそんな場所は一か所しかありません」
ヒッと声のない悲鳴を上げたヒュウガがカタカタと肩を震わせる。「ま、まさかそこって ―― 」
「はい」彼女の気配が尋常ではない怯えだと知りながら島はあえて進言した。「佐世保重工業跡地四番ドック。日本で唯一霧に負けなかった佐世保鎮守府隷下特区、攻めきれなかったヒュウガさんたちにはまことにお気の毒とは思いますが」
「おおおおお気の毒ってななななな何のことを言ってててるのかかかしらら ―― ちょちょっとタカオっ通信切って逃げンなっ! 」
プツンと切れるホログラムに向かって怒鳴ったヒュウガだがもうすでに時は遅く、一人で決断の矢面に立たされた彼女は明るい栗色の長い髪を掻きむしって悩みまくる。島の意見は間違いなく正しい、改装を行うのに統制軍の息のかかった横須賀では情報漏洩の恐れがある。ましてや重力子エンジンは霧のテクノロジーにおける基幹技術でその内部を蒼き艦隊以外の誰かに見られるわけにはいかない ―― それに内部をいじるというのなら天翔の乾ドックと工作機械がどうしても必要で、横須賀に停泊できないタンカーが向かう先はJMUの磯子ドックと言う事になる。民間のドックに上げると言う事はそれだけで周辺警備が雑になり勢い自分たちの負担も増える。
その点佐世保鎮守府支配下にある佐世保重工業のドックならば様々な点で利便性がある。日本の四つに分かれる各管区は独立性を持つ特別自治区で特に四天が治める南管区は歴史上その傾向が特に強い場所だ。加えて四番ドックには戦艦大和や武蔵を建造する際に使われた250トンクレーンが健在であり天翔の物だけではなくかなり大型の資器材を運び込むのに都合がいい、しかも401を改装した新来島ドックがそばにあるという地の利は設計図を解析して連携を取るなど改装のスピードアップを図るのにも好条件だ。文句のつけようがない。
で、でも ―― 。
「そ、そうね。あたしもいつまでも過去の遺恨を引き摺ってる場合じゃないのかも。ここはひとつ横須賀に戻ってから前向きに検討してみると言う事で ―― 」
「左様ですか、では私の方から四天首長の方に連絡しておきます」「 ―― ひょぇ? 」冷や汗を流しながらなんとか島の提案の逃げ道を作って安堵したのもつかの間、『いらん』一言のために突然足を踏み外したヒュウガの口から変な音が出た。「いえ、そういう事でしたら艦隊ごと佐世保にもっていかないと万が一の時に不都合でしょう、シグレちゃんは里帰りですしもしかしたらキリシマさんの分の桟橋も必要かもしれない。四天首長に事情を説明して何とか港の一角でも貸していただけるよう交渉してみます」
「いやいやいやちょっとちょっとちょっとっ、どどどどうしてしまじろうがあの鬼ババと ―― 」「? ご存じなかったですか? 私元舞鶴所属でしたからあの辺りは哨戒区域が重なってたのですよ、ですから佐世保の連中とはよく飲みに行った仲で」
あ、これだめなやつだとばかりにポカンと口を半開きにして虚ろな目をするヒュウガを他所に島は艦内電話からすぐさま庁舎へと繋いで何かを楽しげに話している、おぼろげにその様を眺める彼女の前で島は笑いながら受話器を置いて視線を向けた。「四天首長と直接お話しできました。今すぐにはいろいろ調整が必要なので難しいけれど一か月も頂ければ喜んでと言う事です、是非ともイオナさんやシグレちゃんや特に東洋方面第二巡航艦隊の皆様に久しぶりにお会いできるのは非常に楽しみだともおっしゃってました」
「 …… あ、ふーん。そ、そうなんだぁ 」ヒクヒクと顔を引きつらせながら乾いた笑いを浮かべるヒュウガは壊れた人形のようにカタカタと踵を返すと天翔の前に航跡を残すタカオを見た。「ご心配は分かりますが四天首長はとても聡いお方です、昔ならともかく今のヒュウガさんなら友好的に出迎えていただけるでしょう。それにあの方はあの日以来とてもお変わりになられました、そうでなければどうしてシグレちゃんを引き取ったりするでしょうか」
「あ、あははは。そそうだと、いいな、ぁ 」
佐世保鎮守府とヒュウガ達の戦いは島もよく知っている、ノーガードの撃ち合いで立ってたモン勝ちの戦いを制したのは四天桃花の側だった。自分がいくら慰めようと労おうとその時のトラウマは拭いようがないと悟った彼は何とかその恐怖を和らげようとある提案を口にした。
「もしヒュウガさんが四天首長にお会いし辛いというのでしたらタカオさんだけ新来島で待っててもらうというのはどうでしょう? 船がなければ佐世保もそれほどナーバスにはなりませんしいくらなんでもメンタルモデルに問答無用の攻撃を仕掛けては ―― 」
「何言ってンのっ! 駄目よそんなの! 」いきなりの剣幕に思わず椅子から飛び上がる島へと涙目の彼女が振り返る。
「こーなったらアイツも道連れよっ、新来島のドックなんかでのほほんとさせてなんてやるもんですかっ! 」