蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
横須賀鎮守府を取り囲む海洋防壁の少し手前で停泊許可を取り付けた天翔は出渠ルーティンに従って修復を終えたカザンを海原へと送り出す、危惧されていた溶接個所の非破壊検査も終了してロシア海軍潜水艦であることを示すウイノーブラックで整えられた船体がするすると滑り出し安全距離に達したところでノンナと副長のタチアナが艦橋へと姿を現した。
「この度は私たちのために多大なご支援を頂きまして誠にありがとうございます、司令官のルスランになり替わりまして心からお礼申し上げます」無線を通じてノンナの声が各艦に伝わると開いたままの扉の上に見える誘導橋の上から整備員たちが大きく手を振って見送っている、母港を出る時よりも盛大な見送りに思わずノンナとタチアナが手を振るとすぐに浦上からの通信が届いた。
「 “ 礼を言うのはこちらの方だ、君のおかげで我々は重要な任務を果たして横須賀に帰還することが出来た。調査艦隊の代表として貴官の奮闘に感謝する ” 」
「 ‟ 蒼き艦隊の代表として自分からもパブロヴナ中佐には感謝の意を表します、助けていただき本当にありがとうございました。事が落ち着きましたら是非今度は艦隊全員でウラジオストクに表敬訪問にお伺いいたしたいと思いますが、いかがでしょうか? ” 」
そう言えば彼らが来たのはまだ霧との闘いの真っ最中でウラジオストクも混乱している最中だった、霧との戦いが終わった後でも遅々として進まぬ復興の起爆剤に彼らだったらなれるかも知れない。「はい喜んで。その時には私たちだけではなくウラジオストク市民総出で歓迎いたします」
「 ‟ じゃあさノンナ、あたしたち行ったらまたみんなでロシア料理教えてもらってもいい? ” 」
敬を省略しようと持ち掛けたのは実はノンナの方だった、天翔での生活空間は実に快適でこのままタダ飯を食らうのは実に肩身が狭いと感じた彼女たちは自ら進んで炊事洗濯の一切を引き受けたのだった。いおりや静や真瑠璃 ―― どういう訳だか彼女も天翔で自分の部屋を確保していた ―― と一緒に家事の一切を行う事で女性陣は徐々に垣根が取り払われていつの間にか他の乗組員と同じようにノンナと呼ぶことを許されたという経緯がある、弾むように訪ねた真瑠璃の言葉にノンナだけではなく操艦に勤しむ全員から朗らかな笑い声が上がった。
「もちろんですよ真瑠璃、他のみんなも料理だけとは言わずに花嫁修業のつもりでかかってらっしゃい。懇切丁寧に心を込めてビシビシしごいてあげるから」
洋上航行で一路太平洋を北上するカザンの後姿を見送った後、天翔は後を追うように磯子へと向かい一行は防護壁ゲートを潜って横須賀へと入港した。すでにシグレの敵対行為を無線での連絡で伝えられていた横須賀は以前にも増しての厳戒態勢をとっているかと思いきや意外にも出動している護衛艦の数は少なく、彼らはほぼノーマークと言ってもいい状態で要塞内部へと足を踏み入れた。ケージに固定されて乾ドックへと向かう道すがら、傾斜エレベーターの途中で船体を見守る整備員たちの表情が彼らの心配を物語っている。
「 …… どうやら纐纈に余計な気を遣わせたようだな」上から眺める空きドックの数を数えた浦上が呟く、白鯨Ⅲを含めて計四隻分のドックを確保するために彼は順次護衛艦を要塞内海へと停泊させてその分の整備員を優先的に各ドックへと配置を済ませている。次々に所定の位置へと格納される船体にギャングタラップが差し渡されて丘への上陸を果たした面々を出迎えたのは当の纐纈本人だった。先頭に立つ浦上の前に進み出た彼は右手を翳して小さく頭を下げた。「任務遂行ご苦労様でした、よく無事に」
「すまんな纐纈、少しの間ドックを使わせてもらう。あと乗組員と蒼き艦隊スタッフの宿舎もお願いする」「もうすでに準備は整えてあります、いつでもご自由に …… ところでシグレは? 」
リムパックの頃とは全然違った掌返しかとも思える態度の豹変に戸惑う群像たちを尻目に彼の視線が人垣を縫う、陰に隠れるように小さく身を縮こまらせていたシグレは彼の視線を悟ると何らかの懲罰を受ける覚悟で前へと進み出て背筋を正した。「指令官殿、シグレただいま帰還いたしました」
「うむ、ソロモン海での話は白鯨Ⅲからのレポートで確認している …… 大変だったな」
ポンと肩を叩きながら一つ呟くその顔に浮かぶ悲しそうな微笑みに驚く401のクルーたち、今までの自分たちの扱いとの雲泥の差に驚く群像に駒城が囁いた。「 …… 死んだ娘さんによく似てるんだよ」
「それにな、お前たちにはあたりが強いかもしれんが纐纈は国家中枢機能の守護を託された横須賀のれっきとした司令官だ。平時こそ癇癪持ちだが有事になれば彼はその真価を発揮する。俺たちが置かれた状況を有事であると判断した時の纐纈は、強いぞ」
いい含めるような浦上の言葉に認識を改める群像。確かに凡庸な指揮官をこんな矢面に立つ要塞の指揮官に置くはずがない、しかも国家中枢を担う首都機能の最終防衛線となる横須賀には全国の各基地との連携を図るハブ機能が置かれている。故に蒼き艦隊をはじめとする主要艦隊がこの基地に全て籍を置いているのだ。
「千早群像君」群像の前へと足を進めた纐纈が引き締まった表情で小さく頷く、思わず上げそうになる右手を危うく抑えた群像に彼は言った。「この度の作戦本当にご苦労だった、それに彼女を ―― シグレをよく連れて帰ってきてくれた。心から礼を言う」
上陰が彼女とシグレの対面について『会わせてしまえば何とかなる』と言ったことについて群像はこの司令官が実は大変に女性に目がなく、その弱点を逆手にとっての事だと下種に思っていた。だが上陰の発言の真意はシグレの容姿が霧との戦いで命を落とした彼の娘に酷似しているから例え霧だと分かっていても彼女を拒めないと踏んでの確信だったのだ。自分の娘に生き写しの霧のメンタルモデルを目の前にした時の彼の気持ちはいかばかりだったのか。「こちらこそ労いのお言葉誠にありがとうございます、それと船の整備補給に関しましてのご尽力感謝いたします」
「とは言えいつも通り通常兵装と必需品に限られるがな。キリシマの船体は残念ながらここでは収容できないので横浜港の第三パースに係留してある、護衛には微力だが海保第三管区所属のあきつしまとさがみをつけた。両艦に搭載した哨戒ヘリが完全武装で24時間体制で相模湾沖を巡回している ―― 弾除けにしかならんがそれが今できる最善だ」
「纐纈少将、それは」「そうだ、すでに日本統制軍は調査艦隊襲撃の報を受けて警戒態勢を一段階引き上げている …… 各島嶼に設置された早期警戒システムは全力稼働状態で各海域を走査中だ」
駒城の問いに答える纐纈の顔には緊張がみなぎっている。「以前の霧の大侵攻の時にはなすすべもなく負けはしたが二の轍を踏むつもりはない、今度は先手を取って少なくとも敵の進軍速度を抑えるぐらいのことはするつもりだ」
* * *
浦上と駒城は今回の作戦の報告書を軍上層部に提出するべく東京へと赴き、群像たちはサンプルケースに保管されたソロモン海底で採取した石を持って蒔絵の家の跡地へと向かった。横須賀北西部の海に面した高台にある旧刑部邸跡地は十三峠と呼ばれる急峻な山を切り拓いて造られた、鎮守府とほど近くしかも周囲に人の寄り付かないこの土地に蒔絵の父である刑部藤十郎が私邸を築いたことに関して当初は様々な憶測を呼んだがそれは彼の死後統制軍陸軍の一部の手の者によって明らかにされることとなる。
デザインチャイルドとはそれすなわち人類を超越する頭脳、ゲノムデザインの書き換えによって脳細胞の使用効率を従来の五割引き上げた彼らの多くは種としての整合性を欠いたままフラスコの中での一生を終える。人として形を成すために必要な染色体をDNAを構成するヌクレオチドの段階から作り出しそれを46本にまとめる事で要件を成立させようとした藤十郎だったがそれがいかに自分の ―― 人の手に余る禁忌であるかを思い知らされるのにそれほど時間はかからなかった。染色体一番だけでも二億五千万の塩基対と二千個を超える遺伝情報がありそれをなんの参考もなく組み合わせて一個の細胞を造るだけでも相当の資金と絶望を要した、しかもその細胞が分裂する際に発生したありとあらゆる不都合によって人以前の形にもならずに培養液の中で崩れ落ちていく作品の姿は彼の心を蝕んで当初の目的すらも見失わせる。
霧を斃すための兵器を自分の代わりに創る者を産もうとしているのかそれとも神の摂理に叛旗を翻そうとしているのか ―― 狂気に憑りつかれる彼の姿に研究員たちは皆怯え、やがて一人また一人と彼の元を去っていく、遂に誰一人いなくなった研究室を藤十郎は引き払って今の場所に邸宅を建てその地下部分に研究設備を移設した。そして理化学研究所を通じてリンクを繋いだ『富岳』を使った膨大な数の演算と検算とシミュレーションを果てることなく繰り返し、睡魔と倫理を悪魔に売り飛ばした挙句に迎えたあくる日の早朝。
その細胞はきれいに二つに分裂した。
「 ―― どうだ蒔絵? 」
機器に接続された三つの石を前に薄暗い明りの下で群像が尋ねるとブルーライトカットグラスをかけた蒔絵が険しい顔で画面を見つめてからエンターキーを叩いた、ブーンという音と共に部屋に置かれた巨大なサーバーが稼働して途端に室温が上がり始める。同時に空調音が天井から響いて冷たい風がいきなり降り注いだ。
彼女の目的が石に刻まれた振動弾頭の周波数であることを彼らはこの跡地に辿り着いてから聞いた。組成の持つ固有振動波を割り出したのちにそれらをすべて分解して残った違和感を探り出す、もしもそれが蒔絵が作った振動弾頭の周波数と合致すればそれは黄海艦隊が霧に対して切り札を使用したという証拠になる。本当は残骸の欠片でもあれば簡単だったのだが蒔絵はハルナやキリシマと話し合ったことでその可能性が低い事を結論付けて海底岩石の回収を依頼したのだ。
「普通霧の船の基本兵装は荷電粒子砲と浸食弾頭だ、だがあの魚雷艇は古い型の通常魚雷を装備していた。ということはつまりそれを造るための材料がいる」
「それにあの魚雷艇たちはニュージャージーのトマホークで撃沈されてただろ? 少なくとユニオンコアを持ってる船ならあんなことにはならないはずだ。と言う事はあの時の奴らは側だけ造られた操り人形だったって事だ」
ハルナとキリシマの推論は的を得ている、確かに群像とイオナも彼らと戦ってその脆さに違和感を覚えてはいた。だが息をつかせぬ展開と敵の波状攻撃に冷静な思考を欠いていたのは大いなる反省点だ。「じゃあ彼らは撃沈した船の残骸を残らず回収して新たな船の材料に? 」
「少なくともナノマテリアルが各艦隊の保護下に置かれている以上奴らの材料は野良ナノマテリアルしかない、もっともそれは鉄底海峡の残骸がすべて形状変化していないと仮定しての場合だ。残念ながらその可能性こそ低いがな …… 答えはイエスだ千早群像」
かつての古戦場で船体を完全復元したキリシマが眉を顰めて言った。「励起される霧の船と側だけ人類側に似せた傀儡の集まり、それでもどれだけの勢力になるのかは分からない。しかし今までに沈んだ亡霊全部が生き返ってくると考えただけでもこっちの不利は確定的だ」
「ところでどうして石に残った周波数を? その事と何か関係があるのか? 」
群像が尋ねるとハルナとキリシマはばつの悪そうな顔で目を合わせてモニターを見つめる蒔絵へと視線を向けた。「実はな」
「ハワイに入院してるときにほんとはもうその可能性には気づいてたの」モニターを見つめたままで蒔絵がキリシマの言葉を遮った。「でもあたしの我儘で群像兄ちゃんには伝えられなかったの ―― だから二人を責めないで」
「可能性? 」イオナが尋ねると蒔絵はキーを叩く手を止め、しばし考えた後に重い口を開いた。「敵の手による振動弾頭の周波数解析の、可能性」
富津岬で二人に話した振動弾頭の原理とその弱点、ハワイで話したもしもの話。だが事ある毎に少しづつその濃さを増す兆しに蒔絵はいてもたってもいられなくなった。もしこのまま自分がその仮定に言及せずに現実の物となってしまったら彼女の愛する者たちがどうなるか、きっと何も現状が打開できる見通しが立たなくても彼らは必ず行ってしまう ―― その後姿を見ながら後悔するのだけは絶対に嫌だと。
「もしこの分析結果がそれを提示したら …… それが当たっていたらもうあたしの振動弾頭は彼女たちのクラインフィールドを破れない、新しい周波数を見つけるためには結局誰かが犠牲になって彼女たちと戦わなきゃならない …… 兵器開発は相手とのいたちごっこだって誰かが言ってたけど」
「 …… じゃあ黄海艦隊は彼女たちの目的のためにあの海域におびき出されたっていうのか? 」「今この研究施設のサーバーは神戸の『京改弐』と繋がってる、その時に彼らの航路と消息を絶つまでの時間と兵装火力の総合値を打ち込んで戦略戦術両面からありとあらゆる可能性を弾き出したの …… 『富岳』じゃなく『京』を使ったのはオペレーションが旧式のLinuxでその解がどっちかって言うと曖昧だからあたしの直感が入り込む余地があるの」
量子コンピューターとの連携を図る『富岳next』は現在日本が誇る世界最高のスパコンで当然その操作権限も量子物理学の権威である蒔絵にはある、だが彼女が恐らく霧のユニオンコアに最も近いと思われるそれを使わずに敢えて旧式の『京改弐』を選んだのはその旧式ゆえの不完全さが今のメンタルモデルたちの思考に最も近いのではないかと考えたからだ。完璧な解を求めるために日々その能力を増強するスパコンの世界から一歩も二歩も出遅れてしまった存在だが『京』の開発チームはその遅れを取り戻すよりももっと別の可能性を求めて開発の舵を切った、打ち込まれたデータを起点としてありとあらゆる方向へとその思考を拡大しながら過去の事例と比較して様々な答えを提示する。そこから自分たちが今一番必要な答えを操作側に選ばせてQ&Aを繰り返す『疑似AI』スタイルのオペレーションを構築した。
完全を求める科学者の立場から言えばそんな中途半端な機能が一体何の役に立つのかと揶揄されても仕方がない、だが自らが奇跡の産物である彼女にはお互いの意見を交換して解の精度を上げていくそのやり方こそが最も必要な事だったのだ。会話することで徐々に思考と発想を共有して進化する論理領域はどこか人間臭いと蒔絵は思う、まるでハルナやイオナと話しているようだと。
「京ちゃんと意見交換してみて最終的に出た結論が ―― 彼女に言わせるとまだ不確定要素が多すぎるってぼやいてたけどやっぱりそれだった。ハワイ沖でイオナ姉ちゃんと出会った二隻の潜水艦もあたしたちを襲った霧の重巡洋艦も戦闘詳報の内容を読み込む限り目的の一つとしては挙げられるみたい」
「撃沈されるためにあたしたちに振動弾頭を撃たせることが目的だった? 」イオナが尋ねると蒔絵は頷いた。「でもイオナ姉ちゃんはリムパックで弾頭ロックされてたし振動弾頭自体装備してなかった、キリシマは復元直後で装備は全部浸食弾頭しかなかった。だから彼女たちはそれを装備した艦隊が自分たちに向かってくることを狙ってた」
「 …… まさか」その推察に思い当たる節がある。「 ―― あの会議に参加した誰かがその時の内容を漏らした …… ? 」
「その可能性も京ちゃんは示唆してる」断言した蒔絵はモニターに表示された全てのチェック項目を指さしで確認するとほっと溜息をついてニコッと笑った。「これでよしって言いたいけど分析結果が出るまでに一か月はかかる ―― だからみんなで遊びに行こ? 」
* * *
東名高速足柄インターから降りてすぐの所にある御殿場プレミアムアウトレットは290の店舗が店を構える日本最大の巨大ショッピングモールだ。内陸に居を置いていたため霧からの攻撃は届かなかったが流通が絶たれた以上売る物がない、それで長らく閉鎖状態に置かれていたのだが霧との紛争が終結し各国との貿易が再開したことで徐々に店を開ける店舗も増えてきていた。
平日だが人の入りはまあまあ、以前ほどの活気はないがそれでも経済が上向きになりつつある指標を消費という形で教えるその光景に群像たちはかすかな平和の足音を感じる。だがその陰で蠢く不穏な気配を実感する群像たちの表情は晴れない、そんな彼らをいたずらっぽく笑いながら上目遣いで蒔絵が見上げた。
「どーせあたしが誘わなかったらみんな横須賀の暗ーいドックでごそごそ整備三昧なんでしょ? 一日二日遊びに出たって誰も文句言わないよ。それに今日はハワイで約束した通りヨタロウのお洋服買いに来たんだから」
「服なんて通販でいいじゃねえか、あるだろアマゾンとかニッセンとか。それよりこのメンバーで外出歩くなんて蒔絵、自分の立場わかってンのか? 仮にもお前は天才物理学者として世界中でも一目置かれてるんだぞ、こんなところでなんかあったら ―― 」
「なんだキリシマ、蒔絵の身辺警護を心配してるのか? ここにいる半分がメンタルモデルなのに? 」
米国ですら三人しかいない霧の上位兵科がその倍、かつて刑部邸を襲撃した完全武装の陸軍特殊部隊をイオナ一人で壊滅した事を考えれば今蒼き艦隊に属するメンタルモデルの戦闘力はそれだけで一国の陸軍にも匹敵する。護衛というにはあまりにオーバースペックな陣容には401のクルーですら相槌を打つしかない。
「ハルナちゃんの言うとおりだと思いますよ。もうあきらめて今日は思いっきりお買い物を楽しみましょうヨタロウちゃん、せっかくのお休みなんだから楽しまなきゃ …… ところでハルナちゃん、まだ船の復元は難しい? 」
「どうも最近はぐれのナガラがあまり見当たらないんだ、横須賀に来る途中に何隻か見繕って造ろうと思ってたんだが ―― どうもリムパック以降彼女たちの出現率が減っているような気がする」
「それは鉄底海峡の彼女たちと何か関係があるのか? 」「どうだろうな、別に今までもはぐれの部隊が突然激減したことも何回かはあったしそれほど気にはしていない。もし日本から帰る時にも見つからなかったらちょっと寄り道しようとは考えているが」
「寄り道? 」あまりに自信ありげに語るハルナの言葉に群像が聞き返すと彼女は着慣れないハーフコートの襟を揺らして頷いた。「穴場があるのさ、絶好のな …… それより401」
「うん」イオナが答えると群像を見上げた。
「 ―― なんかいる」
ショートカットと真っ赤なボトムスと黒のタンキニ、羽織ったヒョウ柄のジャケットは彼女の見た目にはとてもふさわしくない装いだ。だがツアー客の人込みに紛れてじっと一考の動きを監視するその目は鋭く身のこなしはしなやかで速い、不規則に流れる人ごみの中から最も監視に適した距離をいち早く読み取って次々に渡り歩く彼女だが不意に前を通り過ぎた男の広い背中が背丈の低い彼女の視界を一瞬遮る。
「 ―― ⁉ しまったっ」
元通りの景色の中にすでに目当ての姿はなく、慌てて位置取りを変えようと人込みの中から抜け出そうとしたその時。
「動くな」
背後に寄り添った影から放たれた鋭い小声と背中に触れた冷たい感触に踏み出した足が止まる、ナノマテリアル製のニードルを突きつけたタカオが言った。「すごいな、この距離まで近づいてやっとお前がメンタルモデルだと分かる。どうやってユニオンコアの電磁波を遮蔽してるのか …… 所属は? 」
「あー …… では今話題の鉄底海峡の部隊」「だったらいますぐお前のコアを一撃で潰してやるところだが残念ながら連中だったらこの場で殺される前に自爆するだろうさ、さっさと答えろ」
「全く冗談が通じませんねえ、同種なんだからもうちょっと愛想よくお相手してくれてもいいんじゃないかと思うのですが」観念したようにため息をついて振り向いた彼女の胸元のペンダントが日の光に微かに煌めく。「 …… あんた、それ」
「はい」タカオの暗器が手の中から霧散するのを確認した彼女はにっこりと笑って手を降ろした。「初めましてタカオ。第一巡航艦隊第四戦隊イセ麾下、重巡洋艦フルタカと申します」
「第四戦隊って …… まさか水曜島部隊? 」
フードコートの一角を品物で山積みのカートで仕切るようにしてスペースを作った一行はフルタカを取り囲んで思い思いのドリンクを手に取っていた、フルタカのペンダントは間違いなく部隊を示すインシグニアを象ったものでヒュウガの下で働いていた第二巡航艦隊時代に何度か伝令としてトラック島へと赴いていたタカオだけは知っていた。「ヒュウガ、知ってるのか? 」
「あのね千早群像、あたしはこれでも元第二の旗艦だったのよ? 水曜島っていうのはトラック駐留艦隊の情報戦を一手に引き受ける諜報部隊なんだけどあたしもメンバーに会ったのは初めて。でもシマカゼとかスズヤみたく足が速くて火力が大きい艦がメインだって聞いてたんだけど ―― 」
「あのーヒュウガ様、仮にもお姉さまの部下なんですからもうちょっとお優しい言い方を。まあオブラードにくるんだりしないところがとても似ていらっしゃるとは存じますが」クスクスと笑いながら買ってもらったグリーンスムージーを美味しそうに啜る、状況は間違いなく弾劾裁判の様相なのだがそれでもリラックスしているところに彼女の胆力が垣間見える。「まあでも形は違いましたが皆さんに接触するという任務は無事に果たせました、さすがに蒼き艦隊のメンバーと賞賛すべきでしょうか」
「俺たちに、接触? 第一巡航艦隊が? 」
ムサシ沈没以降イオナが発した総旗艦命令に何の音さたもなく旗色すら明確にしなかったトラック島駐留艦隊、総旗艦次席の地位にありながら簒奪されたことに異議すら唱えずただひたすら沈黙を守っていたナガトほか大戦艦三隻を中核とする現時点においての霧の最大戦力。それが自分たちに向けて何かしらのアクションを起こしてきた事実に群像は緊張を隠せない、なぜなら ―― 。
「イオナの総旗艦の地位を剥奪するのか? 」
群像の言葉に蒼き艦隊の全員が緊張した。いくら彼女が前総旗艦と直接対決で勝ったからと言って所詮艦種は潜水艦、軍門に下ったコンゴウやヒュウガはともかくとしてその他の者から不満の声が上がらなかったこと自体おかしかったのだ。だがそう求められたとして自分たちの担いだ神輿を下ろすほどおとなしい性格はしていない、敵意むき出しの視線に取り囲まれたフルタカはそのあまりのとげとげしさに一瞬目を丸くして周りを見渡した。
「自分たちでムサシの暴走を止められずにトラック島でだんまり決め込んでた連中が今頃のこのこやってきて401の総旗艦権限を剥奪? 冗談じゃない、第一が聞いてあきれるわ」真っ先に口火を切ったのは同種艦のタカオだった。「いいことフルタカ、ヒキニートのあんたたちに教えてあげるけど彼女は人と霧との戦いを止めるためにムサシと刺し違えながら最後の力を振り絞ってアドミラルコードを書き換えたの。そりゃあたしたちだって一度は消えた彼女がどうして再び実体化したのかなんて訳が分からないわよ、でも命がけで戦った401に向かってただの外野が偉そうに指図するなんて卑怯にも程がある」
「そう殺気立つモンじゃないタカオ、ムサシから力づくで総旗艦の座を奪った401の事を疎ましいと思うのは元総旗艦としては当然だろう。それに401とやり合ったことのない連中の中にはそう言った感情を持つ者も多いと聞く、どうして巡潜風情なんかがあたしたちの天辺に立っていられるんだってな」
珍しく理性的に立ち振る舞うキリシマに思わず驚く面々だが彼女がストンと椅子から降りた瞬間に顔つきが変わる、鋭い視線がフルタカを睨み上げた。「いいぜフルタカ、その喧嘩買ってやろうじゃねえか。南の島でずっとバカンス楽しんでた連中と同族と血で血を洗う戦いを繰り広げたあたしたちとどっちが総旗艦艦隊にふさわしいかここいらではっきりしとこうぜ」
「あ、いや。その ―― 」
「キリシマ、むやみに相手を煽るもんじゃない。フルタカだって困っているじゃないか …… でも第一がそういう方針なら私たちも受けて立つしかないだろうな」いつもより短い襟で口元を隠してはいるがその声には愉快だと言わんばかりの感情が溢れている。「丁度戦力の増強をどうすればいいか考えていたところだ、トラック島の連中を全部蒼き艦隊の麾下に納められたら私の鬱憤も晴らしやすくなる。是非お手合わせ願いたいもの ―― 」
「ちょーっと待ちなさい二人とも」勢い任せに詰め寄ろうとする二人を止めたのは蒔絵だった、いつの間にかハルナに近い背丈になった彼女が腰に手を当てて睨みつける。「あなたたちが好戦的に振舞うから彼女だってほんとに困ってるでしょ、こういう時はちゃんと相手の話を聞かなきゃっていつも言ってるじゃない」
一喝された二人がしおしおと引き下がったことを確認した蒔絵はフルタカの方へと振り返った。「初対面なのにごめんなさいね。二人とも少し気が荒いところがあるけど根はとっても優しいの、だから気を悪くしないで」
「いえ …… 驚きました」目を丸くしたフルタカが二度三度瞬きした後に呟いた。「まさか大戦艦級二隻を一睨みで制圧してしまうとは、それにヒュウガ様やタカオや駆逐艦まで。人類は ―― いや401は巡潜の身でありながらいったいどうやって彼女たちを配下に治めたというのでしょうか? 」
彼女の視線は自然に群像とイオナへと向けられたが求められても返答に窮するばかりだ、困惑する二人のそばで杏平が言った。「まあアレだ、俺たちで言う所の『拳でわかり合う』、的な? 」
「コブシデ、ワカり、あう? 」「つまりは本気で喧嘩してお互いの事を理解するって意味かな? …… あんたもさぁ、もうちょっとわかりやすい表現できないの? ハルナ相手じゃないんだから」
理解しかねて首を傾げるフルタカにいおりがすかさず注釈を入れるがそれでも彼女は考え込んでいる、苦笑い交じりの群像が言った。
「互いの主義主張を信じて戦う相手同士の間には正義も悪もない、その立場を理解し勇気を尊敬し結果に遺恨を残さず ―― 大昔の剣術家の言葉だそうです。幼い頃に父からそう聞いて育ったから自然とそうなってしまったのかもしれない」
「 …… 戦闘機械の身の上としてその考えは理解いたしかねますが最初に貴方とコンビを組んだ ―― 」「コンビじゃない、あたしは群像の船」
突然口を挟んできたイオナの勢いに驚いたフルタカが一つ咳払いをしてごめんなさいと軽く頭を下げた。「 ―― 群像様の船になった401にはその考えが理解できたと言う事でしょうか? 」
「最初はあたしにもわからなかった、どうして群像が ―― いえ彼の仲間がヒュウガやタカオを無条件で受け入れたのか。でも彼らや群像の周りにいる人たちと接するうちに人類は『そういう事が』できる存在だということを理解した …… 身内を、仲間を殺された恨みを飲み込んででも明日を目指そうとする強い意志にあたしは惹かれた」
「つまりはアドミラリティコードを ―― 私たちの存在意義を変えてしまうほどの力を人類は有すると? 」「あたしのそれを書き換えたのはヤマト、でも彼女は千早翔像という人類にその可能性を見出して同じ系譜を歩もうとする群像に望みをかけた。そして彼女の判断は正しかった ―― 闘争よりも共存、戦闘よりも対話。必ず私たちは分かり合えると」
「今の状況を分析すればそれは間違いないでしょう、現に多くの霧の船が人類側のルールに則って活動してますから。実に人間側の規律を守って礼儀正しく振舞っているところなどは本当にかつての敵なのかと見紛うほどです、ましてや一堂に会しての総合演習などとても信じられません」
大げさに見えるほど大きなリアクションで感情を表すフルタカだがどこか空々しい微笑みを浮かべて周囲へと目をやるといかにも眉唾だと疑う全員の視線が突き刺さる、三文芝居を諦めた彼女はやれやれとため息をついて広げていた両手を下ろした。「その演習結果は私どもの方でも逐一モニターさせていただきました、大戦艦二隻と強襲揚陸艦一隻に対して潜水艦と重巡で勝利する …… 蒼き艦隊と米海軍との決勝戦や他の艦隊の戦いなど見どころ満載で分析艦たる私にとってはまさに至福の時を過ごさせていただきました、鎬を削る戦いの中で戦略と戦術を駆使して敵の急所を突く戦法など霧の戦い方としては考えられないほど劇的で唐突ともいえる進化を見ました」
あれだけの広大な海域を占有して行われたリムパックをどうやって観察していたのだろうかと不思議に思う群像がヒュウガへと視線を向けると彼女はさりげなく頷いてその可能性を示唆した、情報戦を生業とする水曜島ならばそれくらいの事は容易いのだと。フルタカは空になったカップをストンとテーブルに置いてため息をついた。
「ですがこれは個人的な意見に留まりますが同時に彼女たちは弱くなった、目を覆いたくなるほど無様に」
目に見えぬいら立ちが沸き立つ空気もお構いなしにフルタカは言葉を続けた。「戦況未来予測や敵の戦力・陣形に対応する戦術バリエーションはどれ一つとっても霧の船にはできない戦い方、刮目に値するでしょう。ですがそれは弱者のそれ」
「言葉に気をつけろ重巡洋艦、誰に向かって口をきいている」蒔絵の手を振りほどいて地面に降りたキリシマが一歩踏み出した。「大戦艦を前に弱者とは大きく出たな、何を根拠にそんな暴言を吐く? 」
「レイサン島」ポツリと告げるその一言に一同が息を呑んだ。「なぜ敵に背を向けましたか? いみじくも大戦艦ともあろうお方がいくら不利だからとはいえ敗走するなど言語道断、兵器のあるべき姿として美しくない」
「待ってくれフルタカ ―― さん? 」思わず群像が口を挟むと彼女は冷たい視線で応えた。「敬称はいりません、フルタカで結構」「ならばフルタカ聞いてくれ、キリシマはあの時傷を負った蒔絵とハルナのコアを俺たちに託すために敢えて敵に背を向け合流を図った、彼女は俺たちにそれを手渡した後に敵を一掃するために自爆しようとまで決意していたんだ。それは決して卑怯な判断じゃない」
「ほう、ならばなぜ自分の考えた通りに自爆を選択しなかったのですか? 」「俺がそれを止めたからだ。助かる望みに目を背ける彼女の姿勢を俺が否定した、だがその決断こそが今俺たちが誰も失わずここにいる理由だ」
「ハハッ、誰も沈まなかったから自分の考えが正しいとでも? ちゃんちゃらおかしいですね」敵意を向ける全員を前にフルタカは嘲笑した。「弱者がそんな結果論を述べたところでそれが自らの無礼を証明している事にお気づきではないのですか? 兵器としての最期を全うしようとしている彼女の決意を踏みにじり、矜持を捻じ曲げることがどれだけ霧にとっての屈辱か ―― ここではっきりと申し上げましょう千早群像、あなたは彼女たちの首魁として失格だ。そして401、あなたも」
断言ずるフルタカに怒りの波が集中する。「霧とはすなわち兵器、敵対するものをいかなる手段を用いても屠り去る事こそ本懐。それを理解できぬ人類が霧を使役するなど彼女たちのためになりません、今すぐに指揮権をこちらに譲渡し貴方と401は日本のどこかでひっそりと余生をお過ごしになってはいかがかと。なあに彼女の能力があれば平和な海で人ひとり養えるだけの釣果は容易い事でしょう、あなたたちはそのまま伝説としてこのままひっそりと歴史の海に消えてください ―― 」
「 …… 黙って聞いてりゃ調子に乗ってペラペラペラペラと捲し立てやがってこの旧式っ! 」
ものすごい剣幕のタカオが椅子を跳ね飛ばして立ち上がった。「指揮権どうのこうのとあんたはいつの時代の軍艦だっ⁉ ナガトが元総旗艦だとか超戦艦だとかあたしたちにはこれっぽっちも関係ない、あたしたちは ―― 第一第二巡航艦隊は霧の船として真っ向から401という裏切り者に挑んで片っ端から敗れた、そしてその誰もが閉塞しつつあったあたしたちの世界から抜け出す光明を見出して千早群像と401の元へと集まったんだ。彼の資質と可能性を何も知らないお前たちが一方的に断ずるなっ! たとえ他のみんながあんたの言う事に頷いたってあたしだけは絶対にそれを認めない、死んでもあんたたちの言う事なんて聞くもんかっ‼ 」
火を噴く勢いで吐き出した叫びが辺りに木霊しフードコートの客が何事かと振り向く、あわてて壁代わりのカートの外側へと飛び出して頭を下げに行くいおりと静の背中に視線を送ったヒュウガが大きなため息を吐いた。「あんたねえ、勝手に自分だけって決めつけンじゃないわよ。そんなのあたしだって行くわけないじゃないの」
「ていうかさっきの話の蒸し返しだな」話の進捗に慌てる蒔絵を遮るように前へと進み出たハルナが楽しそうに吐き捨てた。「フルタカ、やろう。トラック島が正しいのか私たち蒼き艦隊が間違ってるのかそれを確かめるいいチャンスだ、詳しい日取りと場所はお前たちで決めればいい。だが負けた時にはお前が言ったそのままの事を私たちがさせてもらう、それでいいな? 」
「 …… あ、あの」
一触即発で火花を散らす互いの会話に今まで無言で聴いていたシグレがおずおずと口を挟んだ。「差し出がましいようですがフルタカ様、あなた様は本当はここに何をしにおいでになったのですか? 」
喧嘩に水を差す彼女の言葉とその口調に全員の声が止まる、シグレは言った。「私、前の記憶の時私以外の仲間を大勢失いました。戦隊の中で一人生き残った私はいつもどこかの部隊に転属して …… 戦争の終わりにもなるとそんな船が多くなって一部隊がそんな身の上の人ばかりになったこともあります、でもそうなるとみんな前の部隊で染みついた癖とか戦術が枷になってうまく動くことすらできずに艦隊の練度としてはどうしようもなく無秩序なものになりました。確かにこの艦隊とトラック島の艦隊が合流したらこの星の秩序として機能することも可能かもしれません、ですがそれはあくまでお互いの尊重と信頼の上に基づいて成り立つもの。恐らくそれを理解していると思われるフルタカ様や ―― ましてや元総旗艦様がそんなことを本当に考えておられるなどと私はどうしても理解できかねま ―― 」
いつの間にか全員の注目を浴びていることに気付いたシグレがびっくりして言葉を飲み込む。「! すっすいませんっ! 出過ぎたことを申しました、どうか駆逐艦のたわごととお聞き流していただいても ―― 」
「いや、聞き捨てならないねぇ」今まで好戦的だったフルタカの態度が一変して愉快だと言わんばかりの笑顔が浮かんだ。「君のデータはこちらには無いな、どうやら最近加入した新顔と見える …… 名前を聞こう」
「あ、はいっ。横須賀鎮守府蒼き艦隊所属、駆逐艦シグレですっ」生真面目に立ち上がって直立不動で敬礼するシグレの姿に苦笑しながらフルタカは雑に右手を掲げた。「シグレか。うちのユキカゼが聞いたらどんな顔をするかな? だが駆逐艦に似合わない見事な洞察力だ、さすがは『奇跡』の片翼を担っただけのことはある」
「いえそんな、自分は ―― 」最後までは生き残れなかったと。みんなのお役に立つことはできなかったと視線を落とす彼女にフルタカは言った。「卑下することはない、君の存在が奇跡だというのは昔も『今』も本当の事だ。そして私の芝居を見抜いた事は称賛に値する」
あまりの変化についていけずにあんぐりと口を開けたままのタカオを尻目にフルタカは姿勢を正して群像へと向き直った。「千早群像様そして現総旗艦様。数々の、そして度重なる無礼な振舞いそして蒼き艦隊の皆様の結束力と絆を試すような真似をして誠に申し訳ございません。このフルタカ水曜島旗艦イセ並びに旗艦ナガトになり替わりまして陳謝いたします」
ころころ変わる手の平に混乱しながらも群像とイオナはただコクコクと頷くのみだ、腹立ちまぎれに立ち上がったタカオなどはポカンとした顔で凍り付いている。「実のところ私が今日この場所へと赴いた事はナガト様以下他の者は一切関知しておりません。わが水曜島部隊の戦隊指揮官イセ様の勅命により蒼き艦隊に接触し、内密の伝言をお届けするようにと仰せつかりました次第」
「イセ単独の、伝言? 」イオナが尋ねるとフルタカは真剣な表情で頷いた。「はい。わが水曜島部隊はこちらで把握しているソロモン海に潜む敵の情報の全てをご提供する用意がございます、ただし本隊には内密のため限定的かつ不明確ではありますが」
「な …… ええっ? 」予期せぬ申し出に思わず聞き返す群像と目を丸くして絶句するイオナ、その正体も現在の全容すら定かではない霧の現在での最大戦力の一角が協力を申し出てきたのだ。しかも今現在ソロモンで勃興しつつある敵の情報まで握っているとは。「い、いやトラック島艦隊が一部でも協力してくれると言うのならこれほど心強い事はないのだが一体どういうつもりで ―― 」
「イセ様の勅命を要約して申し上げれば『利害の一致』と言う事にはなるのですが …… この情報を手に入れるだけでも水曜島は相当数の仲間を彼女たちに奪われました、仲間の消失をただ黙って手を拱いているほど水曜島は甘くない」
「中立を保つトラック島としては明らかに敵対する勢力の動向は見過ごせないが動くこともままならない、だから現総旗艦が所属する蒼き艦隊に目を付けた? 」腕を組んだヒュウガが尋ねるとフルタカは意味深な笑いを浮かべて頷いた。「ええ、建前は」
「じゃあ本音は? 」イオナの声に彼女の笑顔は少し微妙なものへと変化した。「まあ部隊の中でも意見が分かれておりまして …… 霧を裏狩り人類に与した挙句に総旗艦艦隊を壊滅させた連中が本当に信用できるのか、実は何か他に狙いがあって糾合しているだけの輩の集まりなんじゃないのかと疑う者もおりまして」
「だからその内情を確かめるために君が極秘で派遣されたと …… 随分と手荒なやり方だったがこれでうちの艦隊がどれだけ一枚岩でできているのか理解していただけたと思う、でもそれならそれでどこかで声をかけてくれれば俺たちも話し合いに素直に応じたのに。こんな誤解を招くようなやり方をわざわざしなくても」
「あ、や、ちょっといいアングルを探すのに手間取って ―― 」「え? 」口をついて出た異質な言葉に思わず食いつくイオナの顔を‟しまった゛という心の声を露わにして左右に目を泳がせる、いかにも不審な様子を目にしたヒュウガがはっと何かを閃いた。「フルタカ、あなたまさか ―― 」
「ああもうっ! そうですよっ、ヒュウガ様の考えてらっしゃる通りですっ! 」意を決したというよりはどちらかというと自棄になった口調で彼女は言った。「イセ様が総旗艦様の大ファンなんですよっ、こちらを訪れたコンゴウ様から総旗艦様の写真を見せられた途端に私に写真をとってこいとお命じになってっ! だから今回の協力の件も半分はイセ様の推し活みたいなモンなんですよっ! 」
「なんて破廉恥なっ⁉ 」憤ったヒュウガが思わず仁王立ちで立ち上がってフルタカを睨みつけた。「第四戦隊の長ともあろう者がなんという不埒な真似を、事もあろうにあたしのイオナ姉さまを盗み撮りなど卑怯千万! しかもその引き換えに敵の情報をくれてやろうなどと居丈高な物言いで恩を売ろうなどとは指揮艦の風上にも置けぬ所業、そのような申し出を甘んじて受けるなど ―― 」
「 …… やっぱり姉妹」「ちょっと杏平っ! あんなショタコン姉とあたしを一緒にしないでくれるっ⁉ あたしはちゃんと生のイオナお姉さまっ、そうっ! 生イオナ姉さま生姉さま生っナマなまあああアつっっっ! 」
何か良くないクスリが決まったように身もだえながらひっくり返るヒュウガの様に全員がドン引きしながら怯えた目を向け、そんな中イオナが「あ、そだ」と言いながら何やらごそごそとカバンの中を漁るとタブレットをフルタカの前へと置いた。「はいこれ」
「 …… なんでしょう、これ」「ヒュウガのタブレット、写真フォルダの中にあたしの隠し撮りがいっぱい入ってるからどれでも持ってって。何ならそれごと持ってっちゃってもいいから」
「いいんですかっ⁉ 」びっくりしながらも子供のように目を輝かせて手を伸ばすフルタカだがその指が触れる前に我を取り戻したヒュウガがそれをひったくって抱え込んだ。「ねねね姉さまななななんという事をっ! こここの中には私たちの大切なデータが全部保存されてるんですよっ⁉ それをハロウィンのお菓子みたく「はい」ってなにっ⁉ 」
「えーでもせっかく来てもらったんだし彼女だってお土産がないと帰りづらいんじゃないかなぁ」「そーいう問題じゃありませんっ! 姉さまのご尊顔をあのような不届き者に穢されるなど考えただけでも身の毛がよだちます、フルタカには申し訳ないですがアポなしで来た者に施す義理はありません‼ 」
まるで親子のような押し問答の行方を不安げに見守るフルタカ、まさか写真一枚のためにここまで拗れるとは思ってもみなかった彼女はハラハラしながらイオナに視線を向ける。それを感じ取ったイオナは腕組みをして複雑な表情で葛藤を繰り広げた後に意を決して言った。「わかった、じゃあヒュウガがコレクションの中から一枚フルタカにあげる代わりにあたしの写真を三枚」
「 …… い、いま何と」「だから三枚。ヒュウガのリクエストになんでも応えてあげるから ―― だめ、かな? 」「ふんすっ⁉ 」
上目づかいでとどめの一撃を繰り出した瞬間にヒュウガが鼻血を吹き出しながら至福の表情で卒倒する、痙攣したまま白目をむいた大戦艦のメンタルモデルの成れの果てを傍にしゃがんでつつきながらキリシマが言った。「やれやれ、いつも冷静なシゴデキヒュウガも401がらみだといきなり機能不全を起こしやがる ―― 驚かせてすまなかったな」「あ、いえ」
ほっとした表情でヒュウガの手からタブレットを取り上げたフルタカはすぐに写真フォルダを開くとスクロールしながらため息を吐いた。
「
* * *
「では私はこれで失礼いたします」手土産の写真を大事そうに手ぬぐいに包んで胸元へと差し込みながらフルタカは深々と頭を下げた。たとえ協力関係を結んだとは言えそれが総意でない限りは仲間として接することはできないと、それとも民間組織として軍とは一線を画す蒼き艦隊のポリシーを尊重しての事なのか。敬礼をしない彼女の態度に群像は好感を持って手を差し出した。顔を上げてキョトンとするフルタカに彼は言った。
「これで終わりじゃないんだろう? じゃあまた今度。これは人と人が交わす約束みたいなもんだ …… フルタカ、何かと迷惑を掛けるかもだがこれからもよろしく頼む」
差し出された手を握って沁み込むような温かさを感じて。 ―― なるほど、これが千早群像という艦長か。
国家の重要機密に認定されその人物像は霧の間でも想像の域を出なかった、もしかしたら人類側が霧を糾合して何かまた良からぬことを企む一大勢力の重要人物 …… もしそうであると彼女が判断したならばその時点で他の誰かと刺し違えてでも必ず千早群像を暗殺せよ。
それがイセから下された真の勅命だった。
‟ …… イセ様、残念ながら妹君の人類に対する洞察は間違ってなかったようです ″
私の事を『人』だと。
ナノマテリアルという物質とそれを統制する演算装置でしかないメンタルモデルに向かってこの男は何のためらいもなくそう告げて自らの体の一部を差し出す、触れた瞬間にその命をもぎ取るだけの力も能力も持ち合わせているこの私に。
恐らく彼の麾下へと加わった彼女たちに対してもそうなのだろう、もしここにいる誰かがたとえ彼を裏切ってその首をねじ切ったとしても彼はその瞬間までその者を恨んだりはしない。千早群像という艦隊司令官はもう。
死を受け入れている。
「イセ様は総旗艦様の大ファンではありますが私は …… たった今から貴官のファンになりました」そんな覚悟を決めている者だからこそみすみす死なせてなるものかと、サボ島の記憶に導かれて握る手にほんの少し力を込めて笑顔を浮かべる。
401のクルーとハルナ達はやれやれまたかと霧タラシの異名を取る群像の所作に苦笑いを浮かべ。
シグレはたったこれだけの時間で霧から好感を得る彼の人柄に目を丸くし、ヒュウガはイオナの周囲から早くこの人類を遠ざけてくれとあらぬ期待にほくそ笑み。そして。
イオナとタカオは総毛だってその手を引き剥がしに飛び掛かった。