蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
二対一というハンデを難なく克服して二人の猛攻を躱したフルタカは仲間の手によって取り押さえられたイオナとタカオから少し距離を取ってから恭しく頭を下げた。「それではここで失礼いたします。本日の件必ずイセ様にお伝えして情報共有の段取りを進めて参りますが、ホストは誰宛に? 」
「それならヒュウガで構わない、イオナは今概念伝達を封鎖している。それに彼女は日本統制軍のメインホストも兼ねているから双方との連携も取りやすい」「わかりました、ですが蒼き艦隊側はともかく人類側には情報の出所を隠蔽していただくようお願いいたします …… それでよろしいですかヒュウガ様? 」
なおも戦闘を継続しようとするタカオを後ろから羽交い絞めにしたままヒュウガが頷いた。「わ、わかったからあんたは早くどっか行ってっ! こいつ見かけによらずバカ力なんだからっ! 」
悪戦苦闘に顔を歪ませるヒュウガの答えにクスリと笑うと今度はシグレに捕まったままのイオナに頭を下げた。「では総旗艦様、蒼き艦隊のご武運を心よりお祈りしております」丁寧にあいさつをする彼女に舌を出して憎まれ顔を返すイオナ、だがだからと言って一度した約束を反故にするつもりはないらしい。最近のイオナらしいなと隣に立つ群像が手を振って別れを済ませようとすると不意にフルタカは何かを思い出したかのように後ろを振り返った。「 ―― そうそう、忘れておりましたヒュウガ様。姉君よりご伝言をお預かりしておりました」
「ちょっ、今更一体何を言おうってっ⁉ いいからさっさと済ませてここから離れなさいって、じゃないと ―― 」
「素直になりなさい、と …… では失礼いたします」
日の傾き始めたショッピングモールの駐車場でチャーターしたマイクロバスに戦利品を次々と積み込みながら群像はふと顔を上げると、バスの後方でじっと南の空へと目を向けるヒュウガに気付いた。
「 …… ヒュウガ、どうした? 」
「 ―― ああ、いやなに。ちょっとね …… 考え事」彼女のそれがさっきフルタカが残した伝言についての事だとはなんとなくわかる、だがそれ以上踏み込んではいけないのだろうと察した彼は話題を逸らすことに決めた。「不思議なものだな。ほんの何年か前までは歯牙にもかけられなかった俺たちが今は非公式ながら第一艦隊の支援を受けられる …… 心強い限りだ」
「 …… あんまりあいつらを信用しない事ね」「? どういう意味だ? 」
群像が尋ねるとヒュウガは眼鏡の奥で苦笑いを浮かべた。「話は聞いてたんでしょ? これはあくまでイセの独断で決めた事、つまりナガトやムツには内緒って事よ。こちらと通じてることがもし二人に知れたらどういう事になるか …… 少なくとも私の知る限りただでは済まないと思うわ」
現第一巡航艦隊旗艦ナガトとその二番艦ムツ、ヤマトとムサシがいない今現存する霧の艦艇の中では最大の排水量と火力を持つ象徴的存在。北極海での戦いに終止符が打たれてイオナが総旗艦としての命令を発した時にもし彼女たちがそれに叛意を表したとしたら今のような平和は決して訪れなかったとヒュウガは言う ―― 要するに人類はその猶予を二人から与えられたのだと。
「厳格な規律とそれに服するために十分な力を持つあの二人がたかが一部門を排除する事を躊躇うなんてありえない …… イセも随分無茶な賭けに出たものだわ、そんなことをしなくても ―― 」
「だが君の姉はそれを良しとせずに現総旗艦艦隊と手を結ぶことに決めた、それだけトラック島の諜報部門はあの海域で起こりつつある異変に危機感を抱いている」「そういうことね」
背後から二人を呼ぶ声がする、帰宅の準備を終えたいおりとキリシマの声に踵を返した彼女はにこやかに手を振りながら声音だけを低くした。「どちらにしても現状うちの艦隊は動くことすらできないわ、よりにもよって姉さまがあの損傷じゃ治るまでに時間と手間がかかる …… それにね」
「それに? 」群像が尋ねるとヒュウガの眉間にしわが寄る、それは蒼き艦隊で担う作戦参謀という立場からは到底容認できない代物だった。軍務省から帰宅した浦上が真っ赤な顔で床に叩きつけた極秘書類を拾い上げたヒュウガはその内容に思わず絶句し、手をわなわなと震わせてその真偽を彼に問うた。
「ハワイの会議であの海域を封鎖するって提案が出たのを覚えてる? どうやら世界は米軍主導でその計画に着手するつもりよ。しかも『私たち抜き』で」
「なっ ―― 」
路面に長く伸びた影の足が動きを止める。彼も絶句した。
* * *
雪が降った。
イオナたちが北極海での死闘に勝利し凱旋を果たしたその年の師走に四季を失っていた世界は突然元の形を取り戻し始めた。それは産業の崩壊と人口の減少による温暖化ガスの著しい低下によるもの、あるいは平穏を取り戻した地球が今までのプロセスに従って復元作業に入っただとか地殻変動であるとか様々な論評風評が囁かれたのだが現在に至るまでその理由は定かではない。ただ一つ確かな事は大陸沿岸部の露出によって今までさんざん苦労して作り上げた世界地図が全部無駄な努力になってしまった事だった。
海面下へと没していた都市の残骸が再び姿を現し劇的に下がる海抜によって広がる平野、傷痕を隠すように降り積もる雪を見上げながら生き残った人々は凍れるような寒さに宿る幸せと明日への期待に心を躍らせる。気の遠くなるような復興への道程はとかく世論を気の滅入る方向へと導こうとしていたが、それでも自分たちが知る空気が戻ってきたことはそれだけで頭を上げるに足る活力となった。
生き残った人類や衰弱した国家が死に物狂いで過去の栄光を取り戻そうと物流の回復に注力を始めて不十分ではあるが何艘もの輸送船をわずかに残るドックから海原へと送り出す、しかしそれからいくらも経たずに人々は大きな障害が再び彼らの前へと立ち塞がっていることを知らされることとなった。
パナマ運河は人の執念が生み出した奇跡の要衝だった。
16世紀初頭にスペイン国王カール5世がその可能性に言及して以来400年以上の時を費やして完成したその運河はまるで中世と近代の科学技術が融合したような造りになっている。分水嶺を挟んで運河を遡上する船舶に関しては閘門と呼ばれる斜接扉によって水位を確保して上流へと押し進める、これは15世紀にイタリアの芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチによって考案された仕組みだ。そしてそれぞれの出口に面する所には節水槽を三つ備えた三重の滑扉を使って船体を下ろす要領を採用している、これはガトゥン湖をはじめとする陸地側の淡水が必要以上に海へと流出しないようにするためのものだ。『船が山を登る』とも表現されたこの運河はその完成以降物流のショートカットとして重要な役割を果たし、またそれゆえに常に国家間の火種を抱える紛争地域として内外に知られている。20世紀という100年を費やして幾度も繰り返された米国とパナマの所有権争いはその後海面上昇によるパナマ峡谷の水没という事態に陥る間際まで続けられた。
運河の遺構が水面下から姿を現したときいち早くその機構の回復にとりかかったのはもちろん米国で、平野部を水没によって失っていたパナマは政府機関を含む多くの国民が内陸部へと疎開していたためその主導権を握るのに出遅れた。要衝としての機能を取り戻して上り下りにある4つの閘門を管理下に治めた米軍はすぐに治安回復の名目で周辺地域に軍を展開してパナマ及び南米諸国の具体的干渉を排除する準備に取り掛かる。土嚢を積み上げ監視塔を建てて野戦陣地を構築してやっと機能し始めたのが丁度リムパックを終えてノーフォークへと整備に向かうレキシントン達を見送った後の事で、三隻の戦艦を無事に通過させたことで運用に自信を深めた米国はいよいよ全世界に向けてその通行を広く開放する ―― 世界復興の舵取りを自ら担う決心を固めた矢先にその事件は起こった。
パナマ駐留軍から発せられた突然のSOSと直後の通信途絶、南米へと侵入しようとした各国精鋭による特殊部隊に対するアンブッシュによる襲撃。幸いな事にさほどの損害もなく後方へと撤退を果たした特殊作戦群ではあったが参加した各国は米軍の情報収取能力に著しい疑問を抱き、それ以降の軍事協力に対して辞退もしくは静観の姿勢を取らざるを得なかった。要は定かではないリスクに対して自国の大事な軍事資産を費やすなどもっての外という訳だ。
かくして信用を失った米国は自国の戦力のみでの運河奪還に臨む、だが各諜報機関の戦況分析や予測 ―― この期に及んでまだそれらに頼ろうとするのがいかにもアメリカらしいのだが ―― は総じて楽観的なものでいくら戦車が来ているとはいえ所詮は軍隊を持たないパナマを制圧するなど赤子の手をひねる様なもの。どうしても気になるというのならば先に制空権を奪取してから存分に数の力で蹂躙すればいいではないか。
撫子が聞いたら多分涙を流しながら腹を抱えて喉が嗄れるまで嗤った後に言っただろう、武装ゲリラによって国土を縦断された挙句に首都を失陥しかけたあんたらがそれを言うのか、と。
* * *
水面を覆うきな臭い煙と絶え間なく続く砲声、海運の要衝として世界の流通を支えたこの運河は今や未曽有の事態の渦中にある。過去幾人もの戦略家がこの地を戦況転換の急所と考え、しかしここを破壊する事によって予想される世界への影響を鑑みて断念せざるを得なかった南北の境界はその水路の左右に分かれて今や殺戮の最前線と化している。物量と圧で押し込むかつての覇者と隷属を選んだ弱者がなぜこの地で見えようと思ったのか、だが意外にも戦況は予想外の展開を双方の目に焼き付けた。対地攻撃の切り札として投入された戦闘ヘリはその全てが相手の携行対空ミサイルで撃ち落とされてあちらこちらでその屍を晒し、順次投入された海兵の即応部隊はいつの間にか配備されていた支援砲火の餌食となった。敵の配置を上空から確認するために放つドローンも戦場全体に架けられた広域のジャミングによってすぐさま制御を失って運河の波間へと消えていく。
世界最強というレッテルをそのプライドごと粉々に叩き壊された海兵隊第一師団第一大隊が橋頭保すら確保することなく戦線を失い、その引き波を飲み込むように後続の第二大隊が下生え塗れの林の中から打って出る。だが彼らに待ち受けていたものは頭を上げればたちどころに吹っ飛ばされてしまう正確な狙いと猛烈な火線、待ち伏せを確信させるその状況は運河の対岸へとへばり着いた大勢の兵士たちの士気をものの一瞬で粉砕した。これが任務でなければここにいる全員が我先へと逃散して戦闘という形にすらならなかっただろう。
話が違う。
軍という体裁を捨てたパナマとコロンビアがどれだけ踠こうとも覆せない圧倒的な物量はいとも容易く彼らを飲み込んで枯れた芝に放たれた火のように支配地域を拡大するはずだ、それがこの作戦の前にCIAの制服組から受けた見通しだった。彼らがいくら糾合しようとも所詮は烏合、米軍が誇る海兵即応部隊に敵うはずなどないと。それが一体これはどういう冗談だ?
少なくとも俺たちはよくやってる、先遣が三日と持たずに敵の火力に飲み込まれて撤退した戦線を再び押し上げて取り戻した。だが運河の縁へと取り付こうにも刈り取られたように見晴らしのいい荒地と携帯ドローンという飛び道具を封じられた俺たちにいったいどんな手が残ってるっていうんだ? 「ドローンが使えないのは敵も同じだ」と捨て台詞を残したっきり敵の重砲に吹っ飛ばされた前線司令部の阿呆どもはラッキーだ、少なくとも自分らの間違いを俺たちに詰られなくて済むからな!
「ジョージっ、どうすンだ⁉ このまンまじゃ俺たちもあのカラードどもに擂り潰されンぞっ」
迫撃弾の破孔を必死に掘り進めてヘルメットを押さえた隣の兵士が大声で尋ねる、肩口のボタンを強く押して他の部隊と連絡を取ったところで恐らく答えは隣の奴と変わりはない。先の大隊が残していった残骸を盾にしてなんとか戦闘隊形だけは維持しているがそれもいつまで持つか、せめてあのクソ忌々しい重砲が大人しくすっこんでてくれれば ―― だが。
味方が作った陣地の見取り図は頭に入っている、当然弱点も織り込み済みだ。しかしこの短期間で何をどういじくったのかその弱点は強化されてしかもこちらの侵攻ルートを読み切ったかのように火力が配置されている、恐ろしい事に開けたところで無理やり展開した俺たちより林の中で後方待機している奴らの方が早く損耗した。隣の男が怒鳴る通り援護を失った最前線が弾切れになって全滅するのは時間の問題だ。
「大尉っ! 」一瞬の模索を遮るように今度は反対側の無線兵が叫ぶと背中からマイクをひったくってジョージの目の前に突き付けた。「頼ンます大尉っ、あなたの気持ちは分かります。ですがもうそんなことにこだわってる場合じゃありません ―― 航空支援を、あの『霧』に航空支援を要請して下さいっ! 」
懇願する無線兵の言葉に耳を疑い、理解が追いついたところで猛烈な怒りがジョージの体を席巻する。『それ』に頼ると言う事がどれほど海兵の沽券に関わるか、たびたび存続の危機にあった海兵隊が今まで生き残っていられたのは独立無援というスローガンと『常に誠実であれ』と教えられたポリシーによるものだ。他の連中ならともかく太平洋戦争から数えて四代続くこの俺にそれを破れというのか! しかも今無線兵が口にした『霧』の連中はっ‼ 「バカな事を言うな、そんなことできるかっ! なんで俺があんな奴らに」
俺の家族を殺したっ、シェルターに向かって子供を抱いて逃げる妻の頭の上に爆弾をっ! 骨も灰も何一つ俺の手元に残さなかったあの悪魔に今更助けてくれと ―― 家族の仇に向かって助けてくれなどとどの口が言えるっ⁉
苦悩と憎悪に顔を歪めながらも湧き上がる葛藤に全身が震える、ひっ迫する状況と選べない選択はいつの間にかジョージの開きっぱなしの眼から涙を溢れさせ、しかし彼はその一瞬ののちにマイクをひったくって口元へと押し付けた。
「こっ、こちらチェロキーっ! 現在敵の前線と交戦中、されど支援砲火にて司令部壊滅。戦線の維持が困難な状態っ! 」
「 ‟ 聞こえています、こちらはいつでも ” 」
くそっ、涼しい声で言いやがる。この魔女めっ‼ 「 …… 重砲陣地を ―― 叩いてくれっ! 繰り返す『レディ・レックス』、直ちに航空支援を頼む‼」
「レディ・レックス了解、直ちに航空支援を送る。コードはナバホ、スモークイエロー。そこで20分持ちこたえろ」
甲板の先に立つレキシントンがフラッグを振ると後方で待機していたSBDドーントレス艦上攻撃機が動き出す、ナノマテリアルで対地攻撃用兵装に換装した六機が彼女の両側を駆け抜けてガトゥン湖の空へと舞い上がる様を見て隣に陣取るニュージャージーがその不安を口にした。「とうとうこっちに航空支援要請か …… なんか旗色がよくないみたいだけど戦況はそんなに追い込まれてるの? 」
「あまりよくはありませんね」アリゾナが周囲に浮かぶウインドウから何枚かを正面へと置くとそれをニュージャージーに転送した。「海兵隊第一師団が運河西岸に到達して現在第二大隊まで投入中、ですが敵の火力が予想以上に大きく前線が膠着状態に」
ガトゥン閘門攻略にはアリゾナをはじめ三隻も参加した。場所がコロン湾近くと言う事で守りにくく攻めやすいと言う事もあり周辺に展開した敵部隊のことごとくが正確な艦砲の餌食となり、ほとんど損害を受けなかった第二師団はあっという間に制御棟と野戦陣地を奪還して門を操作する。次々に運河の階を上る彼女たちを迎える歓声に手を振りながらアリゾナたちは運河の最標高に位置するガトゥン湖へと進出して錨を下ろした。
「千人規模の兵士と火力で防御陣地も抜けないなんてどれだけの兵力で来てるのよ、ちょっと前まで軍隊もなかった国でしょ? それともジャーヘッドはただのお飾り? 」
「いえ、海兵はよくやってると思います。ただ彼らとしては先に主導権を取りに行ったビューフォート基地の攻撃ヘリを潰されたのがかなり堪えています、おかげで陸上戦力は頭を上げる事すらできない状態です」
アリゾナの報告にチッと小さく舌打ちして整った顔立ちの眉間に皺が寄る。「ちょっと戦車がいたからってなんで物見の報告もないままヴァイパーなんか飛ばすかなぁ、それじゃあ墜としてくださいって言ってるようなもんじゃない」
「 ‟ そういう事を言っては駄目よニュージャージー、彼らも必死なの ” 」
進発用のフラッグを手元でくるくると巻きながらレキシントンがたしなめた。「 ‟ かつて私たちとの戦いで陸上戦力はほとんど出る幕がなかった、だからここで自分たちの存在意義を示さなければという意気込みで戦っているのよ。米国に身を預けている私たちとしては彼らのその決意を支えてやらなければならない立場にある ” 」
「支えてやるって …… ねえ、そんな悠長な事言ってる場合じゃないんだけど」非難の声を上げるニュージャージーの隣でアリゾナが困った顔でコクリと頷いた。「すでに作戦に参加する各国の艦艇は第一集結地点に寄港しつつあります、私たちも早く向かわないと ―― 」
「 ‟ …… リムパックの報告でアナポリスに来たのが仇になったわね。とはいえノーフォークでの整備なしでの作戦への参加は難しかった …… 怖いわね ” 」
それはレキシントンの頭の片隅に居座る微かな靄だった。
これだけの部隊を組織的に動かす ―― 自分たちの通過時にはそんな気配すら見せなかった ―― だけではなく短時間で北と南に位置する米軍陣地を二つ制圧して防御態勢を取る、その手腕は明らかに自分たちのそれを上回っていてしかも太平洋側の作戦は頓挫寸前だ。情報では即応部隊の後ろからすでに
誰でも予想できることだ、しかし。
遅滞戦術すら通用しない根本的な力の差、それが分かっていても刃を向けるからにはそれなりの根拠があるからではないか? 次々に押し寄せる米軍をものともしない戦略の構築にもしかしたら敵の参謀は成功しているのかもしれない、メンタルモデル三人がその演算能力をフルに使っても想像できない結論のその先に。
「 ―― 考えたくもないわ、そういうのは千早群像一人にしておいてほしいものだけど」
「 ‟ なに、レキシントン。なんか言った? ” 」
思わず零れた心の声に反応したのはニュージャージーだった、心の不安を殺して涼しい顔で振り向くと隣に停泊するアリゾナの艦首甲板で二人揃って見つめている。「なんでもないわ。それよりアリゾナ、攻撃隊の位置は追えてる? 」
「あ、はい。現在彼らは
声と共に展開していたレキシントンの演算サークル上に六つのウインドウが次々に立ち上がった、それぞれの機体のコックピットから送られている景色がわずかに異なっているのはすでに捉えた攻撃目標に向かってブレイクを始めているのだろう。画面の中央に精密爆撃用のピパーが表示されるとレキシントンは速やかに各目標に対しての爆撃を命じた。
援護を待つ20分の間に何人の仲間の命が奪われたのか、無線から聞き覚えのある声が一つづつ消えていく。あまりに隙のない火力が少しづつ前線を削って自分たちを先達の二の舞へと導こうとしている、そうとわかっていながらどうしても後ろへと下がる事を拒む自分の心の弱さに辟易しながらジョージは降りしきる土砂に逆らって手にしたSCARの銃口をバリケードの上へと持ち上げた。
これ以上の損失は中隊長としても看過できない、しかしもし撤退しなければならないとしても後退した第一と合わせてこの戦線を維持できるだけの戦力だけは残さねばならない。ならば一か八かっ。「チェロキー1からブラックフットっ、突入の準備に入れ! 各小隊は対面のツリーラインに向かって援護射撃の準備、ありったけ撃ち込んでブラックフットが渡河するまでの10秒を何としても稼げっ! カウントダウン! 」
何かを悟ったのか敵からの火力が圧を増す、頭の上を甲高い悲鳴を上げて掠める8ミリと至る所で炸裂するRPG。だが漲るアドレナリンのおかげで不思議と怖さはない、神と悪魔の名前を心の中で罵りながらジョージは大声で数を数えた。「3,2っ、1っ‼ 」
一斉に頭を上げて銃口を向けて引き金を引く、だがその硝煙弾雨を鎮めるかのように突然頭の上から聞いた事のない甲高い悲鳴が鳴り響く。音の正体を探って鳴り止む銃声、その機を逃さず最前線で必死に耐え忍んでいたブラックフットが塹壕から躍り出て閘門目掛けて走り出した。敵の後方で徐々に音量を上げていく叫び声に敵の陣営は明らかにパニックを起こしているのが分かる、そしてそれは自分たちも同じだ。
そんな悍ましい音を俺は今まで聞いたことがない。
実戦で急降下爆撃が行われたのは2017年のフィリピン、イスラム過激派組織アブ・サヤフ掃討戦マラウィにおいてフィリピン空軍SF-260コイン機が実施したという記録が最後だ。ここに集った誰も知らない。
機首を下げて目標に向かう際その降下速度を抑えるために開かれるダイブブレーキ、だがドーントレスには専用の物が装備されてなくフラップに穴をあけることで代用している。主翼後端が上下に開いて高度4000メートルから目標目掛けて落下する時に発生する悲痛な音は空気を引き裂き降り注ぐ。思い出したかのように散発で撃ち上がる短SAMを掻い潜って目標へと肉薄する画面の中央へと浮かび上がったオレンジの円を睨みながら、レキシントンはこの戦線に展開している部隊がベネズエラ陸軍だと推測した。
雑に切り拓かれた林の中央に鎮座するM114・155㎜榴弾砲は西側の兵器で最初に渡河を試みた特殊部隊が見つけた戦車の素性はロシア製、生産国が異なる兵器を抱えている国はパナマ周辺には一つしかない。固定式で命中精度に優れたその武器は旧式にありがちな払下げ同然の安価で売り飛ばされ、瞬く間に途上国の陸軍の間に広まったという経緯もある。もし戦闘ヘリが生き残っていたのならこんな固定砲台など物の数ではないのだが虎の子を失った今となっては途轍もない脅威となった ―― いやもしかしたら敵は米軍の思考を読み切って最初の一手で出せるだけのヘリ部隊を出撃させるだろうと予想していたのかもしれない。
目まぐるしく回る高度計を横目に投下高度400メートルまでの秒読みを始める、榴弾砲台の無機質な影やその周囲で逃げ惑う兵士の姿を円の中へと閉じ込めて先導機に投下指示を発しようとした ―― その瞬間。
「! なにっ⁉ 」
生い茂る林の中から吐き出される炎の束と23ミリ徹甲弾が先導機をあっという間に引き裂いて粉々にする、霧散する機体を躱して生き残りをブレイクさせたレキシントンは再び舞い上がってから画像解析に移った。生い茂るダブルキャノピーの暗がりに隠れていた大型のピックアップ、そしてその荷台から突き出た二本の銃身。
「 ……
「私たちが来ることが分かっていたってわけね」
手持ちの五機を散開させて再び目標上空へと向かって再び急降下の態勢へと移行する、ダイブブレーキを展開した各機は弾幕が上がる煙の中へと突入した。機体を掠める高周波の雑音を置き去りにして今度は機首の機銃が林に目掛けて火を噴く、搭載された二丁のブローニングM2重機関銃が放つ50キャリバーが糸を引いて降り注ぎ、先導機の仇を取るように邪魔者を木っ端みじんに粉砕した各機は林を焦がす火柱目掛けて両翼架の300ポンド爆弾を投下した。
ジョージの視界のはるか彼方で起こる無音の蹂躙。
オレンジ色の閃光と半円状に広がるドーム、表面を走るハニカム構造の光るフレーム。およそ幻想的なその立体が瞬く間に消えて戦場はまるで静けさを取り戻す、敵は自分たちの背後で何が起こったのかもわからず自分たちは初めて目の当たりにする霧の浸食弾頭の威力に凍り付く。そして彼はそれこそが自分の家族の命を奪った武器なのだと知った。
切り取ったようにきれいに抉り取られた地面の他には何も残らない爆心地をジョージは知っている、静かな殺戮を終えた編隊が何かを求めて大空を旋回している事で我に返ったジョージはすぐに肩口のボタンを押して部隊へと伝えた。「チェロキー1から各員傾聴、速やかにスモーク! カラーイエロー、ナバホの航空支援が終わったらすぐに渡河を開始しろっ! ブラックフットは直ちに制御棟を制圧、イロコイはバックアップ。急げっ! 」
前線の至る所で黄色い狼煙が上がり身軽になったドーントレスが対岸の掃射を始める、苦渋の顔でレキシントンに援護の礼を述べたジョージは12.5ミリの弾幕でずたずたに斫れるツリーラインを睨みながら胸に残る釈然としない気持ちを吐き出すように叫んだ。
「全隊ラーッシュっ‼ 行くぞっ、