蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang   作:廣瀬 眞

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リムパックⅡ ―― 花瑠瑠夜曲1

 前夜祭とも言えるレセプション会場に選ばれたのは『エスパシオ ザ ジュエル オブ ワイキキ』、海面上昇に伴って内陸へと移築したにも関わらずその評価は依然と変わらずダントツの五つ星を誇る高級ホテルだ。今までなら海軍基地内での会場でしめやかに行われる事が慣例行事だったが今回に限っては久しぶりのリムパック開催という事でホスト国である米統制海軍の鼻息も荒い。

 しかも各国からご自慢のメンタルモデルが帯同するとなるとここはぜひアメリカの威信をかけてぐうの音も出ないようなサービスを提供せねばとこのホテルが選ばれた。しかもそのメインダイニング「無限」を貸し切ってのセレモニーともなると彼のシェフの腕前を耳にした事のある静などはワクワクが止まらない。

「日本とフランスの伝統を受け継いだヌーベル・フレンチ、いまだにフォーブスから五つ星を取り続けてるシェフのお料理が堪能できるなんてこんな事一生ありませんからねっ! 」

「フォーブス? …… なに? 」

「フォーブス・トラベルガイド、いわゆるミシュランのホテル版で世界中のホテルをお忍びで調査して格付けするんです。霧の海上封鎖と海面上昇で一時休刊の噂が流れてたんですけど今年になってネット上に久しぶりの調査結果が発表されたんですよ! 」

 テンション爆上げの彼女に釣られて聞いた杏平も思わずおお、と感嘆の声を上げる。「しかし食への執念というかなんというか …… 噂ではミシュランもゴ・エ・ミヨ(民間によるレストランの格付け組織)も活動を再開したといいますし、世界はどんどん復興への道のりを加速させてる感じがしますね」

「食べなきゃ生きてはいけない ―― そういう意味では彼らのアプローチは正しいさ。贅沢って夢に向かって努力を続ける、そのための資料を提供して目標を与える。世界復興という難題に対して糸口を見つけた世界の目は間違っちゃいないと俺は思う …… ところで」

 群像はそういうと自分達には広くてゴージャスすぎるほどのスイートルームの姿身を一人で独占しているヒュウガに言った。

「ヒュウガ …… そのドレス、すこし」

 

 サイドスリットどころではなく両脇まで完全に開いた二枚の布をレース素材の布地で留めたいよいよもって趣味丸出しのイブニングドレス、どうやって下着をつけているかも判別不能な形を見た群像が思わず声をかけると彼女は振り返って満足げに笑った。「ふっふーん、どう? にあうでしょ」

「そ、そうだな。君にはとてもよく似合ってるけど、その」

「すっごーい、ヒュウガどうなってんの中? 下着とかどうやって穿いてンの? 」「いいなあ、メンタルモデル。元々プロポーションがいいからこんな際どいの着ても全然いやらしくないですね」

 いやいや十分にヤラしいんですけどと心の中でツッコむ男子三人だがいつものヒュウガに慣れてる女子にとってはこれくらいの事は日常茶飯事らしい。ワイワイいいながらコーデを楽しむ三人をよそに隣のイオナが群像を見上げた。「群像、私はどんな服を着て行けばい ―― 」

「!! ねーーさまっ! 」突然雄叫びを上げたヒュウガがいおりと静をかき分けてイオナの下へと飛んできたかと思うとその細い肩をガッシと掴んだ。「このヒュウガ、姉さまのそのお言葉を一日千秋の想いで待ち続けておりました! 私たちメンタルモデルは人類の様な布っ切れもデザイナーも不必要、写真一枚手元にあればナノマテリアルを使ってどんな洋服でも実装可能っ! この日のために私がよりによりをかけて選び抜いたねーさまのコーデの数々、その中からどれでもお気に入りの服をチョイスしてくださいませっっ!! 」

 いずこからか取り出したタブレットの画面をバンッ、とイオナに突きつけてハアハアと息を荒げるヒュウガ。「おいなんかジャンル違くね? とあるナントカの白黒みたくなってねえか? 」呆れたように呟く杏平を後ろにどれどれとタブレットのサムネイルを覗きこむ群像とイオナ。「 …… むう、これは」

「そーでしょーともそーでしょーとも恐れ入ったか千早群像あたしのこの審美眼っ! 硫黄島でヒマこいている間に世界中のサイトにアクセスして演算能力の全部をつぎ込んで探した珠玉のセレクションっ! ねーさまへの愛に満ちたこのっ! あたくしのっ! スーパーインクレディブルイブニングドレスっ! 」

「 …… これ、硫黄島で着た水着の写真? 」

 オレンジのフリルつきオフショルダーの水着は確かにイオナが硫黄島で着ていたものだ。それに他のサムネをよく見るとそれは衣装の写真などではなくどれも普段のイオナの表情を切り取ったものだという事が分かる。つまり。

「 …… 犯罪、の証拠? 」

「え」

 盛り上がるあまりに見せるファイルを間違えたヒュウガは慌ててタブレットを取り返してやり直そうとしたが時すでに遅し。「 ―― 消去」

「あ・ああーっ! ねえさまダメえぇェェっっ!! 」ヒュウガの手が伸びるよりも早くイオナの電撃がハードディスクに炸裂してボン、という音とともに煙が上がる。「はいヒュウガ」そういいながら画面が真っ黒のタブレットをイオナが手渡すと彼女はあ、ありがとうございますといいながらさめざめと涙を流してそのタブレットを両手で抱きしめた。

「服服服、ねえ …… お、それならイオナはあれがいいんじゃねえか? 」ふと何かを思い出した杏平がポツリとつぶやくとすぐに静といおりが顔を見合わせて同じ言葉を口にする。

「「ヤマトのドレスっ! 」」

 

                    *                    *                    *

 

 レセプションの冒頭はホスト国の開催宣言から始まって各国代表のあいさつが行われ、次に参加艦艇の紹介へと移る。アメリカからはレキシントン、ニュージャージー、アリゾナの他多くの一般艦艇が参加する、その陣容を見るからに今回にかける意気込みのほどが分かる。

 次に紹介されたのはドイツ統制海軍、通称クリークス・マリーネ。今回バルト海域で作戦中の旗艦ビスマルクは参加できない為、代理としてシャルンホルストが参戦する。大英帝国の天敵とも言える艦の登場に会場の一角からは明らかなブーイングが起こる。

 そして大英王立統制海軍からは正規空母イラストリアスとともになんとあの「アーク・ロイヤル」が参戦。恐らくビスマルクの参加を睨んでの登録だったのだろうが肩すかしを喰らった形で本人は少し不満げだ。ちなみに空母二隻の登録国はこのイギリスのみ、武勲艦とはいえ空母のメンタルモデルは認知されている限りでも世界中で三隻、どういう経緯で口説き落としたのか各国の軍関係者の気になる所だ。

「霧の艦船の武装で果たして空母が必要なのか …… それとも何か特殊な運用方法があるのか。こりゃ後学のためによく見ておかないとな」

 興味深々でいかにも技術畑の台詞を呟く浦上の視線の先でイタリア、オーストラリアと次々にメンタルモデルが紹介されて、いよいよ残るは日本だけとなる。今回参加する艦艇は主要国の中で最も少ない三隻だが『蒼き艦隊』を構成する二隻と人類唯一の武勲艦『白鯨Ⅲ』が来るともなるとその実績から紹介のトリを務めるのは至極もっともな話だ。

 まずは壁の花になる寸前で駒城に救われた形のタカオ。

 エスコートの相手がいないとしょげかえっていた所へこれまた響に袖にされた駒城が手を差し伸べる形で俄然やる気を取り戻した彼女は胸元が少し開いたオフショルダーの黒いロングドレスで壇上へと歩み出る。401やハルナとともに霧の本陣へと進攻した『重巡タカオ』の名はすでに世界中の軍関係者の間でも知れ渡っており、その活躍で巡洋艦クラスの戦闘力が見直される事となった。『プリンツ・オイゲン』やイタリア海軍の『トリエステ』など彼女の影響によって契約へとこぎつけた艦も多い。

 そして次に登場するヒュウガといえばネット界隈では有名人、チャンネル登録数と視聴回数では常に上位へと食い込んでくる脅威のneotuber。だがそのうちの五分の一くらいの視聴者はあまりに過激すぎるその内容にいつ垢BANされるのかをブックメーカーで賭けている不逞の輩だ。しかしそこは計算に優れた彼女の事、もしかしてそれも考慮してのチャンネル運営を行っているというのならやはりその頭脳は侮れない。

 イオナと群像に窘められた超露出コーデをいつもの白衣の下に隠した彼女の表情は冴えない ―― と思いきやまんざらでもない表情で浦上を従える。どうしても白衣を着るというのなら差し引き下着をつけずに壇上へと上がるという暴挙に出た彼女を止められるものは誰もいなかった。妙に風通しのいい下半身と究極とも言える羞恥プレイは彼女のご機嫌を大いに潤し、代わりにエスコートする浦上の神経を緊張させる。こんな所でそんな醜態が露見すれば『蒼き艦隊』どころか日本の恥を晒す事にもなるからだ。

「やれやれ、こんな役回りなんておっさんには心臓に悪いぜ、頼むから絶対に転んでくれるなよ? 」

 

 最優秀武勲艦。

 世界中の海軍が敵味方を問わず最もその大戦で活躍した一隻を選ぶという栄誉あるポジション ―― 第二次大戦時に『幸運艦』(ラッキー・レディ)と謳われた大日本帝国海軍駆逐艦、陽炎型八番艦の「雪風」を最後に長らく空位であったその座は時を経て同じ日本の潜水艦である401が授与した。

 当然のことながら401クルーの紹介は参加した海軍 ―― メンタルモデルも含んで全員が注目するところとなり、乗員の少なさも相まって全員が順に紹介される事となった。

 最初に登場したのはいおりと杏平、扉が開いて赤い絨毯の上に立つ二人へとスポットライトが向けられると会場が拍手も忘れて静まり返る。

「オオ …… ジャパニーズ・キモノ」

 

 ドレスコードありのパーティーと聞いて彼らのためにすわ鎌倉と立ち上がったのは彼らの保護者の方で、まるで成人式の衣装代わりだと言わんばかりの彼らの熱意は当事者たちが思わずガチで引くほどの勢いだ。

 ツインテールを解いて髪をまとめたいおりは意外な事に友禅染の中振り袖をしっかりと着こなして、金髪が気にならないくらいに大和撫子を前面へと打ちだした装いを見せた。元々が日本有数の財閥の一人娘である彼女は両親にとって眼の中に入れても痛くないほどの溺愛ぶりで、逆に彼女にとってはうっとおしい事この上ない。故に一切の援助を断って自分の腕一本で海洋技術総合学院の狭き門をくぐった訳だがさすがにこれだけの事をしでかしたともなれば親ならずとも会社が黙っていない、四月朔日(わたぬき)財閥の総力を上げた説得と懇願とありとあらゆる陳情によってさすがの彼女もその要望を受け入れざるを得なかった。

 横浜の海上保安庁へと届けられた大きな桐箱、中に入っていたものは京友禅の最高峰「千總」の手書き友禅と最古の西陣「紋屋井関」の沙羅織丸帯。いおりにとってはなんのこっちゃという感じだが着付けを手伝ってくれた白鯨Ⅲの給養員の女性によると、中着もコミでちょっと値段が想像もつかないほど高価なものだという。現存する日本最古の織物屋がコラボして作り上げた至高の一品、博物館に飾られてもおかしくないほどの代物らしい。

 その隣にこじんまりと包まれていた箱を開くとそこには男物の紋付き袴でしかも笹竜胆の五つ紋、清和源氏にルーツを持つ家系でも限られた者しかつける事が許されない家紋が正装用に堂々とあしらわれている。同封されていた母親からの手紙によるとエスコートする男性が恥をかく事がないように同等の格式のものを送ったとの事、しかし着つけてみると寸法がどう見ても男子の中で一番背の高い杏平にしか合わない。

 

 杏平の髪型でそれを纏うとまるで江戸時代末期に京都の町で血刃を振るった志士の様だ、「あら、馬子にも」

「つーかよ、こんなの着た事ねえから似合ってんのかどうかわかんねえんだけど? 」いおりの感想(ヤジ)を受けても意に介せず戸惑う杏平だが袖を広げて姿身に映る自分の姿はまんざらでもないらしい、草履の鼻緒が食い込む感触で二人同時に「いてて」と呟きながら一番先頭で会場へと足を踏み入れる前に彼らは後ろの四人を煽るようにニヤリと笑った。

「じゃ、俺達が目いっぱい会場あっためとくからあとヨロシクっ」

 

 いおりと杏平の衣装でボルテージの上がる会場へと次に足を踏み入れたのは僧と静の二人だ、マスクは相変わらずかぶったままでカメラを構えてその素顔を楽しみにしていた関係者を落胆させた。だが彼が着用している黒の燕尾服を見たホテルの関係者は思わず感嘆のため息を漏らして凝視した。「 …… すごい、なにあのタキシード。まさか「ハーディ・エイミス」? 」

 世界最高峰 ―― “ 女王陛下の仕立て屋 ”(ハー・マジェスチィ・テーラー)と呼ばれる銘店と見紛うほどのしっかりした出来栄えと輝きに居合わせた軍関係者も思わず口笛を吹く、だがそれは東京に本店を置く「銀座英国屋」が本来の納期を大幅に短縮して仕立てた職人の技術、時間外労働などくそ喰らえと唾を吐く江戸っ子の心意気だけで生み出された執念の結晶。おかげで僧は待機期間二週間のうちの半分を東京へと足を運んで採寸する羽目になる。

 そしてエスコートされる静といえば古式の伝統に則った高襟・右寄り打ち合わせ・スリットという台湾国服「旗袍」(チーパオ)を纏っての登場だ。いわゆる鮮やかではない落ち着いた感じの赤を基調に金糸銀糸の様々な刺繍が施されたそれは今だ台湾という島を守る先住四部族のシンボルをモチーフにしたもので、新進気鋭のデザイナーと台湾中の優秀なお針子さんを総動員して仕上げられた国家を代表するワンオフ物。これにはオブザーバーとして参加している中国統制海軍やフィリピンなど多くの中華圏の人々から大歓声が上がった。歩いても跳ね上がらないようにスリットの裏地へと中国古銭を縫い付けてある所まで礼服としてのそれを忠実の再現している。

 実はこの服の選定には実家である台湾でひと悶着あって、彼女の父は彼女を一人前の軍人だと認めている事から台湾海軍の礼服を着用するように要望していた。だが静と仲のいい兄は同じ部隊に所属していながらも家族としての立場からか、どうしても民間礼服を着用させると言って一歩も譲らず大喧嘩になったそうだ。静本人はどちらでも構わなかったのだが海軍特殊部隊総司令官と先任中佐との戦いはなぜか後者に軍配が上がり ―― 噂では台湾総統の口添えまであったとかなかったとか ―― 敗者となった父は罰ゲームとして自らの手で横浜までこの品物を届けに来た。それでもその箱を手渡す際に見違えるほど綺麗になった我が娘と彼女が成し遂げた偉大な功績に思わず目をウルウルさせていたというのはその様子をたまたま見かけた響からの情報だ。

「 …… 凄い歓声ですね、さすがは中国。敵対する二国といえども自分達の文化に対するリスペクトは手放しに大歓迎といったところでしょうか」二人で壇上の中央へと歩きながら歓声に圧倒された僧が呟くと静はにっこりとほほ笑みながら小さな声で言った。

「 …… 押しかけてきたらやっちゃいますけどネ? 」

 

                    *                    *                    *

 

「じゃあいくぞ、イオナ」少し緊張した群像の呼びかけに小さく頷く隣のイオナ。

 決してイオナに他意があった訳ではない、ただみんなにそれを勧められた時彼女はふと思い出した事があった。

 それは最後にあのカメオをつけたのがヤマトのドレスであった事。彼女を消滅の運命から救った群像とのつながりを示すたった一つの思い出の品、それをもう一度身につける事ができる幸せ。

 

                    *                    *                    *

 

「さあ、いよいよ最後のご紹介となりました。皆様拍手のご準備はよろしいでしょうか? 」力のこもったアナウンスとともに会場に集まった全ての人々が息を呑んで大きな扉へと注目する。「人類を絶滅の脅威から救い、世界中の海軍関係者満票での最優秀武勲艦の栄誉を勝ち取りましたイ号401。彼らクルーを率いて絶対不可能と言われたミッションを達成した艦長千早群像さんとそのメンタルモデル、イオナの登場ですっ! どうぞ皆様、盛大な拍手でお迎えくださいますようっ! 」

 

 しかしその盛大な拍手も観音開きのドアが開いて二人を見た瞬間に止まった。「うわ …… 」「あれって」

 メンタルモデルの口から零れるその呟きは全てイオナに向けられたもの、白の豪奢なAラインのドレスと二の腕まで伸びた純白のオペラグローブ、フリルやレリーフなどは全て白でありながら輝光度の違いで形状をはっきりと浮き上がらせる特殊な加工。ナノマテリアルでしか表現できないその艶やかさに思わず息を呑みこんだ彼らはイオナの白いヒールが赤い絨毯を踏みしめるまで身動ぎもできない。

「 …… ヤ、マトっ」

 形こそ少し違っているがそのシルエットはまさにヤマトが纏っていたあのドレス、メンタルモデル創世記に生まれたレキシントンはそう呟くなり目から大粒の涙を流した。もう二度と会う事のできないあの優しかった彼女に姿は変われどももう一度こうして出会う事ができたという現実は生まれて間もない彼女の心を悲しいくらいに大きく揺さぶる。

 そして彼女と出会う事のなかった他のメンタルモデルの魂に刻まれたその船の面影 ―― 二隻しかいない超戦艦級。かつての総旗艦でありアドミラル・コードの代弁者、ヤマト。

 人類との対話を模索した事で妹ムサシの手によって北極海へと沈められた霧にとっての裏切り者、だがその烙印を押されても彼女は最後までその希望だけは諦めきれなかった。消えゆく意識の中で放った小さな総旗艦命令は海域を行き過ぎようとしていた401へと受け継がれ、彼女と同じように対話による解決を求めた千早翔像二等海佐の息子である群像へと託されたのだ。

 

 401のコアを使って本来の姿を一時的に取り戻した彼女は最後の総旗艦ムサシと相打ちという形で全ての戦いに終止符を打った、だからメンタルモデルらの間ではこの戦いを終わらせた本当の立役者はヤマトだという密かな思いがあった。だがそれも今日この時この瞬間まで。

 彼女のドレスを身につけている以上この小さな潜水艦が『最後の総旗艦命令』を発した者であり、悠久の時へと没したヤマトの遺志を継ぐものである。

 

「イオナ姉さま」

 ヒュウガの目に宿る小さな杞憂、それはイオナがあの最終決戦において着用していたドレスを完璧に再現した事に由来する。

 ヤマトのメンタルモデルは全ての起源、その後にムサシやイオナのメンタルモデルが相次いで形成されたのだが超戦艦級のなにかを再現するだけでもかなりの演算能力を必要とする。能天気に女子連中はヤマトのドレスなどとリクエストを出してそれを生温かい目で眺めていたのは潜水艦の演算能力では不可能と思っていたからだ。

 だが彼女はまるで自分の物の様にいともあっさりと着こなしてヒュウガ以外の全員の喝采を浴びた。もちろん彼女もその光景には手を叩いて喜んだのだがそれも表面上の事、穏やかならざる心中でヒュウガは今までに積み重ねた彼女の変化について考察を重ねる。

 横須賀で自分の演算能力をはるかに超える力を見せつけ、超戦艦級しか持つ事のできないミラーリング・システムを実装し、そして今またヤマト固有の衣装を再現して見せる彼女の中では一体何が起こっているのだろうか?

 

「 …… いやーそれでもさすがイオナ姉さま、何着てもお似合いだわ …… これなら消されたあたしのコレクションもすぐに ―― 」ウハウハでエスコート役の浦上に手渡したコーチのクラッチバッグを取ろうと振り返った瞬間、ヒュウガは髭面の大男がボロボロと鳴いている衝撃的な光景を目にした。「ちょっ、浦上? どどどどうしたの? あんたまで一緒に泣かなくても ―― 」

「ちがうわボケぇ、そんなんで泣いてないわぁ」と強がりながらも後から後から零れ落ちる涙を見て慌ててハンカチで拭うヒュウガ、彼の視線の先には日本統制海軍の第一種夏服正装を見事に着こなした群像がいる。白ズボンに縦詰襟の白の上着、肩章勲章の類はすべて取り外されているが被った正帽の庇を飾る桜葉の枚数がその元の持ち主を浦上に教えた。

 

                    *                    *                    *

 

「群像を将来海技に入れようと思うんだ」

「は? お前子供を絶対軍人にはしないってあれほど ―― 」唐突に切りだした翔像の言葉に浦上は驚いて振り返ると言いだした本人はばつが悪そうに笑っている。

 いやーそのつもりだったんだけどさあ、という言外の声を脳内に再生した浦上はこの親バカめ、と言葉を表情に表してニヤリと笑う。「沙保里がさ、群像のためにその方がいいんじゃないかって」

「彼女確か鳥類学者だろ? 見かけによらず過激な意見を ―― 」

「いやいや、海技つっても別に軍だけじゃなくて他にもいろいろあるだろ? 俺達が海を平和に戻せば軍直轄のあんな学校なんて必要ない ―― だが海に出るためには多くの知識が必要だ」

「やっぱりカエルの子はカエルで海が好きか …… ま、確かにあれだけ本格的に海洋実習をしている学校なんてどこにもないもんな、あそこ出てりゃ漁師だってお手の物、ってか? 」

 茶化して笑う浦上だったが翔像の言葉の中に隠された不穏を見逃さない。「で、息子のために霧の艦隊をどうにかして海を元どおりにしようと日々考えてる千早翔像二等海佐は一体何を企んでる? 」

「 …… 北極海に、いく」

 

「マジでやめとけ翔像」

 その情報は翔像より立場が上の浦上の耳にも届いていた。世界中に展開する霧の艦艇が行動を起こす際に傍受される謎の怪電波、その発信元が北極海極点付近であるという事を海上からの超長距離ミサイル攻撃で数少なくなった偵察衛星の一つが探知した。敵の本拠地を突きとめて意気軒昂となる人類側だったがその後侵攻を企てて戻ってきた人間は誰もいない。

「もし行くってンならもうちょっと待て、もうすぐ俺の考えた『白鯨』が進水して第一公試に入る。艤装が完了すれば少なくとも連中みたいな事にはならない」

「その間にどれだけの人が死ぬ? どれだけの人が苦しむ? どれだけの子供たちが孤児になる? …… 俺は嫌だね、そんなの群像がそうなったと思うだけでも耐えられない」

「平和に犠牲はつきものだ、お前も軍人ならそれくらいの事はわかるだろう? 」

「それを俺が我慢するにはあまりに大勢の人が死にすぎた、これ以上黙っていられない」

 明らかな立場の違いで平行線をたどるであろう会話に険しい顔で対峙する二人、だが翔像の性格をよく知る浦上はこれ以上の説得は無駄だと分かって一方的に表情を崩す。「と、俺が一生懸命説得してももう作戦計画書は提出した後なんだろう? そうでもなきゃ俺にそんな大事打ち明ける訳ないからな、この辺固め」

 自分の意見が通った事を知った翔像がつられるように笑う。「頼みがあるんだ …… 二人の事を頼む」

「やーなこった」

 舌を出しておどけて断る浦上とええっ、と困惑する翔像。「おい、ここは流れ的に分かった俺に任せとけって言うのがほんとじゃないのか? やなこったって ―― 」

「やなこった以外のセリフの何がある? よりにもよって俺の造った船じゃなくてポンコツ官給品の潜水艦であんなのに挑もうってンだ、だーれがそんな奴の責任なんぞ取れるかっての ―― ただし俺の頼みを聞いてくれるンなら考えてやらなくもない」

「なんだ一体? 土産以外の事だったら何でも聞くぞ? 」

「絶対無理せず行けるとこまで行ったら必ず引き返してくること。それが条件だ」

「え? 」

 

 いかにもお決まりな常套文句にかくっと膝が砕けた翔像だがこれには浦上なりの理由があった。「お前が行って逃げ帰ってくるまでに俺が必ず『白鯨』を仕上げといてやる、だから今度はそれに乗って北極海なりどこへなりとも行ってこい ―― 忘れンな翔像、今回のお前の作戦はただの物見だ。お前のための二の矢は俺が必ず用意しておく」

「わかった、必ず ―― 」「帰ってこい翔像、それまでなら二人の事は俺が預かっといてやる」

 お互いに満面の笑みで握手を交わす親友同士、そしてそれが浦上にとっての翔像との最期の会話となった。

 

                    *                    *                    *

 

 浴槽内で手首を切って自死した沙保里を見つけたのはまだ幼い群像だった。年端の行かない子供にそんな光景を見せ、親友との約束一つも守る事のできない己の不甲斐なさを何度も責めて酒に溺れた事もある。だがそんな闇の淵をふらふらと歩いて道を踏み外しそうになった時に手を引いて助けてくれたのは身元を引き受けた群像の存在だった。親が遺した一本の道を脇目もふらずに走ろうとするその姿に自分のいる意味を見出した浦上はその後、翔像と沙保里との約束を果たすべく一心不乱に研究へと没頭して遂に『白鯨』級というカテゴリーを確立する事に成功した。人類唯一の武勲艦「白鯨Ⅲ」誕生のそれが始まりである。

 

―― 翔像、沙保里さんっ。見てるか。

 

 涙で群像の姿がよく見えないのが恨めしい、だが彼は心の中で誰よりも大声で天国で中睦まじく過ごしているであろう二人に向かって彼らの子供のとんでもない成長ぶりを報告した。

 

 おいおいと男泣きする統制海軍の重鎮に駆け寄って慌ててなだめる群像とイオナ、だが浦上と群像のエピソードが進行役の士官から紹介された時涙を流さないものは401のクルー以外誰もいなかった。世界を救った若人の過去に隠された凄惨な悲劇と苦難、しかしそれらを乗り越えて報われる事の大切さはそこに集った軍関係者がそれぞれの国に帰って語り継がなければならない美談として心に強く書きとめられた。

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