蒼き鋼のアルペジオ -Ars Nova- Eingang 作:廣瀬 眞
「隣、いい? 」
一人ポツンとバルコニーのベンチで真珠湾の夜景を眺めていたアリゾナに声をかけたのはイオナだ。宴もたけなわを過ぎてもなおここぞとばかりに詰め寄って質問という名の砲火を浴びせまくるメンタルモデル達の攻撃をやっとの思いで躱した彼女の目にとまった南部ドレス、誰も連れずにそっと扉を開けて外へと姿を消していく彼女の後を追いかけてたどり着いたのがここだった。「そ、そそそそうきかんさま」
「ちがうよ、あたしはイオナ …… 隣、座っていい? 」
「ど、ど、どどどぞっ! 」挙動不審を絵に書いたような態度で慌てて隣を開けようとして、あまりに隅へと寄りすぎたためにベンチの片側が大きく跳ね上がって滑り落ちそうになる。「ひゃあっ! 」「あぶなっ! 」
とっさに押さえつけたイオナのおかげで事なきを得て同時に安堵のため息を漏らす二人、「あ、ああありがとうございましゅ」とやや噛みながらも照れ笑いを浮かべて頭を下げる彼女の隣に腰をかけるとイオナは同じように夜の波止場へと目を向けた。
「ここでなにしてたの? 」
「海を …… 見ていました」そう答えたアリゾナは切ない笑顔でじっとイオナと同じ方へと目を向けている。その手がすっと上がると多くの船の明かりが灯る港の一角を指差した。「あそこが『バトルシップ・ロウ』 …… あたしや仲間の船が沈んだ所」
日本の先制攻撃で始まった太平洋戦争、その初戦において米太平洋艦隊の本拠地真珠湾を攻撃した海軍は『戦艦回廊』と呼ばれたその場所に停泊する主力艦艇を完膚なきまでに打ちのめす事に成功した。戦艦八隻の全てを撃沈もしくは損傷、その他指揮下の艦艇のほとんどに重篤な損害を与えたその作戦は「だまし討ち」という前置詞さえつかなければ海戦史上レイテ湾海戦に次ぐ二番目の大きな戦いだった。
「あの日も今日みたいにここは大勢の船で混み合ってて …… みんながあたしを助けようと頑張ってくれたんですけど何もできなくって」
その中でもアリゾナは最も悲惨な最期を遂げた艦だ。
投下された爆弾によって前部の火薬庫が誘爆したアリゾナは一瞬で第一戦隊司令官アイザック・C・キッド少将含む1177人の将兵とともに爆沈。太平洋戦争における最初で、オクラホマとともに期間を通じて最後の完全喪失戦艦としてその名を戦史へと刻む事となった。
「もう少し早く気づいてれば …… せめて
「 …… ごめんなさい」
小さな声で謝るイオナをぽかんと見つめたアリゾナは自分の言葉がどう意味なのかを理解して大いに慌てた。「あ、や、ちっ違いますっ! あたしが沈んじゃったのはただ運が悪かっただけで別に日本のせいだとかそういう意味じゃないんですっ! ほ、ほら実際あたしとオクラホマ以外の戦艦は全部現場に復帰できた訳ですし ―― 」
「ごめんなさいアリゾナ」
なおも真剣な表情で見つめるイオナを見たアリゾナは困り果ててそれ以上のいい訳を諦めた。「 …… ありがとうございます。そう言っていただけると ―― 少しでも気に留めて頂けるならあの時死んだみんなも少しは浮かばれます …… でもあたしが本当に辛かったのは、お姉ちゃんの叫び声を聞いちゃったからかもしれません」
「おねえちゃん? 」
「はい、あたしのお姉ちゃんのペンシルベニア。ちょうどそこの ―― 」そういうと彼女はさっき指差したあたりから少し手前を指差した。「乾ドックで全部見ていましたから」
ペンシルベニア級一番艦、ペンシルベニア。
第一次世界大戦から第二次大戦終結まで世界中の海を縦横無尽に駆け巡った海軍史にその名を残す名艦で真珠湾攻撃当時は太平洋艦隊旗艦、海軍工廠に軽補修と点検のために乾ドックへと入渠していた事が他の艦との命運を分けた。雷装主体の攻撃編成であった日本海軍機は陸に上がった船への十分な攻撃手段を有せずそれでも何発かの爆弾を落としたのだが、同時期に同じドックに上がっていた二隻の駆逐艦がまるで彼女の致命傷を引き受けるかのように被害担当艦として被弾炎上した。その後彼女はアリゾナから取り外された装備で補修を終えた後、自らの船体が朽ちていくのもお構いなしにアリューシャンからスリガオまでありとあらゆる戦場で艦砲射撃の雨を降らせた。
まるで妹の仇打ちとその無念を晴らすかのように。
「まだ耳の奥に残ってるんです、お姉ちゃんがあたしの名前を泣きながら大きな声で呼んでるのが ―― それがとても辛くって。本当はお姉ちゃんと一緒にあたしも戦いたかった、叶えてあげられなくてごめん、って思ったのがその記憶の最期でした」
苦い記憶が蘇る。
400と402、そしてムサシ。自分がその手にかけた姉妹。
話す事で、理解する事できっとわかりあえるはずだと。
船の魂が形を持って人と意志を通じ合えるという可能性を千早翔像は模索し続け息子である群像はそれが事実であることを証明した、だがそれは大きな傷を伴っていた。世界中で功績がもてはやされ称えられている群像がたまに見せる浮かない顔の正体をイオナは知っている。
そうしなければたどり着けなかったという「
自分だけが背負うのではなく。
彼女にも背負わせてしまったという後悔が今も彼を苦しめている。
「 …… え」突然黙りこくったイオナの気配にアリゾナが隣へと目を向けるとイオナが大粒の涙をポロポロと流しながらこちらを見つめている。「ひゃああっ! そ、総旗 ―― あいやそーじゃなくてあのその、ああああのっつ! い、いイオナ、イオナさんっっ!? 」
突然の事におろおろするアリゾナの前でイオナは涙を拭こうとスカートの裾を持ち上げる。「あああっ! ダメダメっ! 」叫んだアリゾナが慌てて自分のスカートの裾を差し替えると彼女はそれを手にとって思いっきりヴィームッと鼻をかんだ。
「あ、アリゾナ …… ごめん」手に取ったものが自分のものではない事に気づいたイオナが申し訳なさそうな顔をするとアリゾナはほっとして笑った。「いいんですよ、服なんて …… それよりもそんなきれいなドレスを目の前で汚された方がもっといやですから」そういうとアリゾナは自分よりもほんの少し小さな彼女の体をそっと両手で抱きしめて頭を撫でる。
「 …… アリゾナ? 」
「もしあたしがお姉ちゃんだったらきっとこうすると思うんです …… よしよしっ、泣かなくていいんだよって」
* * *
もう自分には叶えられない夢を見させてくれるアリゾナの行いに黙って身を委ねていたイオナはその時ふとその事に気づいて、彼女の腕の中で尋ねた。「ねえ、他のみんなは? 」
手の力がほどけてイオナを解き放つとアリゾナはまたベンチから夜の海を見つめながら呟いた。「ちょっと昼間の事でばつが悪くて …… その」
「それでこんな所に雲隠れ? 全くほんとにあんたって子は」
不意に背後からかけられたその声に驚いた二人が振り向くと、そこには大柄な金髪の女性が笑いながら立っていた。ニュージャージーとは違うアメリカングラマーとも言える派手なプロポーションを引き立てる青いドレスに身を包んだその女性をイオナは知っている。「あ、レキシントン」
「久しぶり、イオナ。アリゾナのお守してくれてありがと」「いや、どっちかっていえばあたしの方が ―― 」
「ごめんなさい、レキシントン」
心からすまなそうな顔でぺこりと頭を下げる彼女を見た古株のメンタルモデルは小さくため息をついて微笑んだ。
「まあいいわ。あの子のはねっかえりは今更だしあなただったら止めるだろうって幕僚に進言したのはあたしだし。それより ―― ほら、ニュージャージーっ、いつまでもあたしの後ろでうじうじしてないでちゃんとアリゾナに謝りなさいっ! 」
彼女の影からしおしおと進み出るニュージャージーは肩をすくめて縮こまっている。「あんたアリゾナにはちゃんと謝ってないでしょうっ! この子が止めなかったらどれだけ大変なことになったかも分からなかったのにいつまでそのまんまでいるつもりっ!? わがままもいい加減にしないと ―― 」
「やめてレキシントンっ! 」そういうと彼女はすごい勢いで立ち上がったかと思うといきなりびくびくと肩を震わせる彼女を抱きしめてレキシントンから庇った。「あたしがいけないのっ! ニュージャージーがそう思ってるって知ってて止められなかったあたしが悪いの。だからこの子はなにも悪くないっ、悪くないからっ! 」
メンタルモデルとしての戦歴も長く、現役時代の武功も比べ物にならない正規空母に向かってその小さな女性は目いっぱいの抗議の声を上げる。その上からまるで蚊の鳴くようなか細い声が降り注いでアリゾナはキョトンと頭上を見上げた。
「 …… お、ねえちゃん。ごめんなさいっ」
そこにはボロボロと鳴き出す彼女がいた。今夜何度目になるのだろう、その困った笑顔でニュージャージを見上げたアリゾナは彼女のポーチからハンカチを取り出すとそっとその涙を拭った。「ほら、せっかくお化粧したのに泣いちゃダメでしょ? あたしはもう怒ってない、怒ってないから」
優しい声をかけられて感極まったニュージャージーがふええと声を上げて泣き出すのをポンポンと、一生懸命背伸びをしてイオナにしたのと同じように頭を撫でるアリゾナを見ながら頬笑みを浮かべるレキシントンとイオナ。するとその騒ぎを聞きつけた他のメンタルモデル達が何事かとバルコニーへと集まりだした。
「ハーイ、レキシントン。どうしたのいった ―― えええっ!? ニュージャージー、あんた泣いてンのっ!? 」
「オーウ、これは世にも珍しいミステリー、ここはぜひわが国が誇る名探偵様シャーロック・ホームズの出番としていただきぜひその謎を解明していただかないと私夜も寝つけないありさまになりそうでーす」
イラストリアスとアークロイヤルが揃って姿を見せるその後ろにはイタリアが誇る戦艦ローマとイタリアが見事なコーディネートを見せつけながら歩いてくる。ドレスから小物に至るまでの緻密に計算されたその装いはさすがファッション文化で世界に君臨するイタリアの面目躍如。
「おおアリゾナ。お目もじが叶ってとてもうれしいわ。私はローマ、一応戦艦だけどよろしくね? 」
「こ、こちらこそ ―― え、一応って? 」
「なーに? あなたの悩みレキシントンから聞いて知ってるけどそーんなのぜーんぜん気にする事じゃないわ。だってあたしたちイタリアチームなんて」そういうとイタリアはわははと笑いながらローマと肩を組んで言い放つ。
「そろいも揃ってみーんなそーんなのばっかりなんだものっ! 」
* * *
「 …… すげえ集まり」
バルコニーへと足を踏み入れた401のクルー達はイオナとアリゾナを中心にして寄り集まる彼女たちの姿に声を潜めて感想を囁き合う。杏平の真っ当な言葉を受けた僧が腕を組みながら呟いた。
「そうですね。世界で最もゴージャスで高価でしかも強大無比な火力を誇る恐るべき女子会です、ここでの水入りは避けた方が無難かと」
「とはいえもうそろそろお開きの時間だ、彼女達にその事を伝えないとホスト国の米海軍に迷惑がかかる」
「ちょっと待ちなって、群像」足を踏み出そうとするその肩を後ろからいおりが押さえた。「 …… もうちょっとこのまンまでいさせてやンなよ」
え?と後ろを振り返る彼の目に微笑んだ静が映る。「 …… あんなに楽しそうなイオナちゃん、見るの初めてなんです。だからもうちょっと彼女に時間をあげてください」
* * *
“ The most courageous act is still to think for yourself. Aloud. "
この世で最も勇気のある行動は自らの頭で考えそれを言葉にすることだ。二十世紀を代表するデザイナーが遺した名言を体現したのはそこにいる誰でもなく店を運営する権限を持つ支配人だ。人垣の後ろから静かに声をかけた黒服の彼がお辞儀をしただけでその集まりはするすると解けてそれぞれに別れの言葉を口にする。
最後に残っていたのはイオナを迎えに来た群像達とアメリカ側のメンタルモデルの三人だった。「今日はいろいろありがとう、アリゾナ。レキシントン ―― そしてニュージャージーも」
「こちらこそよ千早群像。イオナも …… アリゾナの友達になってくれてありがとう。でも明日からはお互い敵同士、スポーツマンシップなんて柄じゃないのだけれど正々堂々とやりましょう? 」レキシントンはそういうと決して威圧的ではないが堂々と両手を腰に当ててこちら側へと不敵な笑みを見せつけた。望むところだと笑い返す401。
「わかった、じゃあ明日からの演習で君たちの戦いをとくと拝見させてもらう。楽しみにしてるよ米統制海軍旗艦殿」
「旗艦? 」首をかしげながら笑う彼女はどこか愉快気だ。「だれの事? 」
「え? だって今まで ―― 」「そうね、今まではあたしが務めていたのだけれど」戸惑う群像に向かってレキシントンは隣に立つアリゾナの肩をポンポンと叩きながら告げた。
「明日からはこの子。ペンシルベニア級二番艦アリゾナ ―― 彼女があたしたちの旗艦よ。エントリーリストまだ見てなかったの? 」