――結論から言おう。
――エリクト・サマヤが四歳のとき、父のいた会社は大変なことになった。
オックスアース・コーポレーションといえば一時期はブイブイ言わせてたイケてる会社だったのである。追い抜け追い越せスペーシアン、アーシアンの意地を見せてやるのだと言わんばかりに最新鋭のMSを開発し、地球圏の各地にばらまいていた。
医療用サイバネティクス技術GUNDを神経接続インターフェースに応用したGUNDフォーマットと、それを搭載したモビルスーツGUND-ARM。
通称ガンダムはその圧倒的な操縦難易度の緩和――何百時間もの操縦訓練をせずともMSを手足のように動かすことができる――と、強力な次世代型遠隔操作兵器ガンビットの搭載により、地球圏のミリタリーバランスを激変させるとまで言われた。
まさに夢のモビルスーツである。
搭乗者が神経接続の過負荷、データストームによって廃人になる事案が多発したという真っ黒なオチを除けば。
幸いこの問題は、AS101年に起きたGUNDの技術革新によって解決され、被害者の治療も順調に進んでいるが――オックスアース・コーポレーションとその提携研究機関であるヴァナディース機関が盛大にやらかしたのは間違いない。
その賠償金の支払いやらでオックスアース・コーポレーションのイメージは一時期恐ろしく下がった。
世論からの反発もあって、MS開発評議会によって業務停止命令が下され、その傘下のヴァナディース機関にも査察の手が入ったのは言うまでもない。
それはもう、仕方がないことだ。身内であるエリクトの目から見たって、ばあば――カルド・ナボ博士の研究内容は先進的すぎて、
今でこそGUND技術と言えば安全な医療用サイバネティクスとして世間に認知されているが、そうなるまでには一波乱どころではない苦労があった。
――暴落するオックスアース・コーポレーションの株価。
――白日の下にさらされたヴァナディース機関の数々のマッドサイエンティスト的なやらかし。
――技術だけを接収しようとするMS開発評議会との粘り強い交渉。
当時、ヴァナディース機関とオックスアース・コーポレーション、そしてMS開発評議会の間に立って、これらの折衝を行ったのはエリクトの父ナディム・サマヤであった。
彼は苦労に苦労を重ねた末、なんとか一定の条件下でのヴァナディース機関の存続を勝ち取ることに成功した。
その過程でグラスレー・ディフェンス・システムズCEOサリウス・ゼネリとの間に密約が生じたりと、まあとにかく気苦労が絶えなかったらしい。
風の噂に寄れば企業の私兵部隊の一部は、ヴァナディース機関の皆殺しまで主張していたというから、本当にギリギリの交渉だったのだろう。
ともあれ、そうして勝ち取られた今は平和そのものだ。
母エルノラ・サマヤは今ではヴァナディース機関の第二三フロント支部の支部長になっており、カルド・ナボ博士の弟子として後進の指導に当たっている。
今では医療用のGUND技術は世間に受け入れられており、母エルノラはその中でも義肢の技術開発の責任者となっていた。自身もGUND義手ユーザーであるエルノラは、サイバネティクスの改良に熱心な人物なのだ。
件のヴァナディース機関解散の危機のとき、あちこちを駆けずり回って交渉を続けた父ナディムは、まるでトカゲの尻尾切りのようにオックスアース社から解雇された。
かなり不当な解雇だった。
そんな彼がヴァナディース機関の交渉担当者として再雇用されたのは、ある意味で当然の流れだった。
そういうわけで今では
――エリクト・サマヤは現在、ソフトウェアに強い技術者として暮らしている。
現在、フロント管理社でシステム管理者として働いているエリクト・サマヤは、なかなかのやり手と社内でも評価されている技術者だった。
収入的には十分に一人暮らしできる水準にあるが、絶対にエリクトは家を出て行かない。
何故なら暮らしがめちゃくちゃ楽だからだ。
好き好んで一人暮らしをするやつの気がしれないね、とのたまうほどにエリクトは実家を愛している。実家が大好きだ。自分で料理をしなくてもご飯が出てくるところとかマジで最高だと思う。
かくして絶賛、実家住まいを継続中のエリクト・サマヤ二五歳はイケてる彼氏ないし彼女を募集中である。そう、恋人に多くを求めてはいない。人並みの年収があり、容姿に優れていて、性格がよいのが最低条件なだけである。
エベレスト山脈もかくやというハードルを築き上げていることに、エリクトはちょっと気づきかけているが、それを見なかったことにするダメなずぼらさを併せ持っていた。
そんなわけだからフロント管理社のギーク上がりのもやしどもは最初から気にもかけていないエリクトは、絶賛、乙女ゲームの男子に夢中だった。
「うぉ……流石にちょっとイケメンが激しすぎ……」
「寝転がってゲームやるのをやめなさい、エリィ。だらしがないわよ」
「だらしがなくたっていいじゃん、愛があれば……!」
ごろごろと家のリビングに置いてあるソファーに寝転がり、携帯端末のホログラムでイケメンたちのダンスシーンを鑑賞するエリクト――午後の昼下がりにこんな調子の娘を見て、家族が何も言わないはずもなかった。
貴重な休暇を家族の団らんに用いていたエルノラ・サマヤ――何でもいいがまったく老化というものを感じさせない美女である――は、あまりにも自堕落な娘の生き様にもの申したいようだった。
そんな長女のことをナディムはえらく可愛がっているが、実母であるエルノラは微妙に彼女へ辛辣だ。
「エリィ。それはいいんだけど――いい人は見つかった?」
「あのさ、成人してる娘に向かってそうやって恋人連れて来いって言うのってハラスメントだよ? 時代錯誤の頭生殖人間なの? セックス&バイオレンスなの?」
「意味わからないことをのたまっても無駄よ? エリィ、あなた、そうやって結局、中学・高校・大学とボーイフレンドもガールフレンドも一人も連れて来なかったじゃない。お母さん、ちょっとあなたの将来が不安なのよ……」
「ちょっと待ってよお母さん、僕だって恋人作りに真剣なんだよ? ただちょっと世のクソ雑魚男子&へなちょこ女子どもがふがいないだけさ! はー等身がいい感じに高い柳腰の美形いないかな~!!」
「そのゲームに出てくる
「微妙に僕のこと信用してなくないかなあ、お母さん!? 娘の自主性を信頼しなよ!」
「信頼されるような貯金がないのよ、あなたには」
テーブルの上にタブレット端末を置いて読書していた父ナディム・サマヤが、愛妻と愛娘の言い争いに、困ったような笑みを浮かべた。
「ははっ、エルノラ。そこまでにしておきなって。エリィだって大人なんだ、もう自分のことぐらい自分でなんとかできるさ」
「この子がパートナーとかいらないってライフスタイルなら私もとやかく言わないわ。でもねナディム、エリクトはどっちかっていうとぼんやりと怠惰に時間を浪費して自分の人生について真剣に考えないタイプの人間よ……!」
「実の娘をそこまでこき下ろさなくてもよくない???」
小さい頃は目に入れても痛くないほど可愛がってくれたというのに、今ではエルノラはすっかり毒舌でエリクトをたしなめる側だった。まあ今でもダダ甘のナディムの心が広すぎるのだけれど。
一連のヴァナディース機関接収のときの騒動で死ぬほど苦労したせいか、それとも人がよすぎて生来の苦労人なせいか、ナディム・サマヤは老け面である。
まったくよくわからないが、エルノラとナディムの夫婦仲は熱々である。
妹のスレッタを作ったときもそうだが、この夫婦、娘の目もはばからずイチャイチャしやがる。
断然、恋愛対象には
「まあ、お父さんとお母さんが仲良しで僕も嬉しいよ」
そのときだった。家のドアのロックが解除され、とてとてと足音がして、かちゃりとリビングのドアが開く音。
その音だけで誰が帰ってきたのかわかった。
燃えるような赤毛とたれ目、褐色の肌はエリクトそっくりだが、その表情だけが大きく異なる少女――スレッタ・サマヤ。
常に泰然と構えている自由人の姉と、お人好しのようで意外と人見知りする妹は、性格はある意味で正反対である。
スレッタは今年で一七歳になる歳の離れた妹であり、エリクトはこの子をとにかく可愛がっていた。
「ただいまー! あれ、エリクト、仕事は?」
「今週からはなんやかんやでリモートワークしてるのさ……まあ僕が組んだAIが業務遂行してくれてるんだけど……ああ、愛しの我が家……マジで最高……」
「またそんなこと言って……おかーさんを困らせちゃダメだよ? エリクトって想像を絶するダメ人間なんだから……」
「スレッタの反抗期、なんか僕に向かってない? 普通はナディム父さんとかに向かうべきじゃない?」
「おいおい、スレッタに嫌われたら父さん泣いちゃうぞ……」
ナディムは本気でしょんぼりしていた。そんな彼を慰めるようにエルノラがよしよしと彼の肩をさする。
平和だ。
母がいて、父がいて、妹がいて――誰一人として欠けることがない愛すべき日々があった。
エリクトはどういうわけか、ふと、自分の目から涙があふれているのに気づいた。
ごしごしと目を指で擦って、誤魔化す。
「……エリィ? 泣いてるの?」
「んー、なんでもないよ。ちょっと眠くなっただけ。仮眠取ろうかな……」
「一八時にはご飯よ、忘れないでね」
「はーい……」
止めどなくあふれる涙が、胸を締め付けるような切なさが、どうしてなのかわからないまま――エリクト・サマヤは目を閉じた。
◆
「母さん、学校行ってくるよ!」
「あら、もう食べたの?」
「ああ! 母さんのご飯は美味しいから!」
朝のリビングには快適な朝の日差しが、窓から差し込んでいた。太陽光を模したフロントの陽光は、優しく居住区の人間の朝を彩ってくれる。
グエル・ジェタークは朝の練習に間に合わせるため、軽い朝食を取ってすぐ、学校に向かうことにした。もちろん洗顔も歯磨きもしっかりやっている。ジェターク家の人間として恥じない振る舞いを、彼は心がけているのだ。
食卓では遅れて起きてきた父が、最近、体重の増えてきた中年太りの身体をおっくうそうに椅子に座らせていた。
いつも夜遅くまで働いている父は、ジェターク社CEOである。グエルの通う学校と同じフロントに社のオフィスがあるおかげで、
「なんだグエル、部活か?」
「ああ、MS演習! 後輩の面倒見てやることになってるから、今日は早いんだ」
そう言いながらグエルは荷物に入ったバッグを肩に引っかけ、自動運転車両を
グエル・ジェタークはジェターク家の一人っ子だから、将来は父の会社を継ぐことになるだろう。
そのことには何の不満もない。
父は人格的にも立派な人で器が広く、鷹揚にグエルの選択を見守ってくれている。
おっとりした母はそんな父のことを愛していたし、息子の目から見ても――仲睦まじい夫婦である。
パタパタとスリッパを履いた母が玄関まで見送りに来てくれていた。
「グエル、行ってらっしゃい」
「ああ、母さん。行ってくるよ」
笑顔で見送りに応じて、少年は家を出た。
玄関を出てすぐ、グエルはふと、自分が涙を流していることに気づいた。
――どうしたんだ、俺は?
すべて当たり前の日常である。
世間の企業CEOの中には愛人を作るような、女性関係が破綻している人間もいるが、グエルの父ヴィム・ジェタークはそんな人ではない。
そう、父は不倫をするような人物ではない。
だから、すべて、これでいいはずなのだ。
視界がぼやける。
たぶん昨日、流行りの映画を配信で見て、夜遅くまで起きていたから眠気で涙が出たのだろう。
何もおかしなところはないのに――何故だろう、わけもなく悲しくなってしまうのは。
◆
今日が何の日かと問われても、いまいち思い出せないのは自分が薄情なせいではないと思いたい。しかし同年代の友人にこのことを言うと、本物の馬鹿者を見るような目で見られるのは度しがたいことだ。
忘れてたって仕方ないじゃないか、と思う。
一八歳にもなって自分の誕生日が嬉しくなるわけがない。むしろおっくうな気すらしてくる。この国では一八歳が成人年齢だが、それはつまり大人になって責任を求められることであり、決してよろこぶことではない。
乗り物の免許が取得できるのだの、飲酒が合法になるだの、そんなによろこぶことでもないだろう、と少年は思う。
もちろんこんなことを言う少年は変わり者で通っていたが、それも苦ではなかった。
最近はドイツの哲学者、アルトゥール・ショーペンハウアーの本を読んでいる。少年の家は決して裕福ではないものの、公共の図書館で書物を借りられるぐらいの公共サービスは受けることができていた。
アーシアンの居住区だが、この国のこの地域は割合に治安がよく、公共サービスの質も保たれていた。
哲学書はいい。読んでいると自分の思考が深まるような気がしてくるし――まあ実際のところ哲学書を読んだぐらいで人が賢くなれるとはちっとも思っていないのだけれど――何より、一冊読むのにもかなり時間がかかる。
時間つぶしには最適である。
そういうわけで今年一八歳になる■■■の趣味は読書であり、学校では物静かな生徒として知られていた。
図書館で借りた本をバッグの中に入れて帰宅する。少年が家に帰ると、仕事から帰ってきたばかりの母がリビングを飾り立てていた。
いささか子供っぽいような飾り付けだったが、それが母の真心の証だと知っているから、彼は苦笑するに留めた。
「……ただいま」
彼が声をかけると、顔にしわの刻まれた中年女性――■■■の母はびっくりして振り返ってきた。
シングルマザーの母子家庭であるため、収入が限られている彼女は普段、残業して遅くまで働いている。
すべては自分の進学費用のためだというのだから、やめるように言っているのだが、どうやら母は諦めるつもりはないらしい。少しでも彼女の負担を減らすため、少年は学校でよい成績を取っており、進学すれば奨学金が受けられるようになっていた。
だからそんなに必死に働かなくていい、身体を壊した方が大変だ、と言っているのだが――まあ、困った母である。
「わっ……びっくりした。■■■、今日は早いのね」
「母さんこそ、いつもは残業じゃないか」
何を変なこと言ってるのかしら、という顔で見られた。
自分は何か変なことを言ってるだろうか、と思い、母の顔を見やる。
困った子を見るような目で、女性は息子の顔を見つめ返してくる。
「今日はあなたの誕生日でしょ?」
当たり前のように彼女はそう言って。
仕事帰りに買ってきたらしい、可愛らしいケーキ店の包みを取り出した。
エコ素材で作られたパッケージが開かれて、ぷんと香る甘いケーキ――もちろん
まだ夕飯も食べていないというのに、ケーキを取り出してしまう母はちょっとズレている人だった。
ああ、けれど。
その笑顔はとても綺麗で――■■■は、それを、
「ハッピーバースデー……生まれてきてありがとう、■■■」
どういうわけか、涙がこぼれた。
まるで長い間、ずっと忘れていた遠い記憶をくっきりはっきりと思い出したような歓喜。
感じる確かなぬくもりに、あふれ出す涙を堪えきれず――ぽたぽたと塩辛い雫をこぼしながら、少年は微笑んだ。
「うん、母さん……」
■■■はそれだけで十分だった。
そう、考えるまでもなく当たり前のことなのに――何故か、救われるような気がしたのだ。
――夢の話をしよう。
――いつまでも終わらぬ、