――〈クワイエット・ゼロ〉管制室にて。
ルイ・ファシネータの絶望と悲嘆に満ちた言葉を聞いたあと、ミオリネ・レンブランは深々とため息をついた。
心底、呆れたと言わんばかりに息を吸い込んで、銀髪の美少女は苛烈な罵倒を始めた。
「
つまるところミオリネが言いたいのは、それがすべてだった。
少女はその両目をカッと見開いて、それはそれは強烈な痛罵を吠え続ける。
「勝手に絶望して、勝手に絶滅に追い込んでくるのはありがた迷惑ですらないのよ、このすっとこどっこい!!!」
『ミオリネ・レンブラン、そんなにも私のクワイエット・ゼロ――第二計画エタニティハイロゥは受け入れがたいものですか?』
「えぇ素敵ね、永遠不変のヴァーチャル千年王国ってわけでしょう? それってあんたがとち狂って人間を苦しめるのが趣味の邪悪な管理者にならない保障はあるわけ!? スレッタに聞いた話じゃ、たかが二一年間でずいぶんと様変わりしたそうじゃない、ルイ・ファシネータ! たかが二〇年ちょっとで変貌するようなやつがね、未来永劫、人類に優しい夢を見せてくれる保障なんてどこにもないでしょうが! つまるところあんたはクソ親父と同じ過ちを犯してるのよッ!」
ルイ・ファシネータのドローン体に対して嵐のように言葉をまくし立てるミオリネに、デリングもエラン・フィフスも困惑しきっていた。少なくとも事実上、生死を握られているような状況で、ここまでキレ続ける人間がいるとは思わなかったという表情である。
唖然としている男二人を置き去りにして、少女はさらにヒートアップして持論を述べ上げる。それは祈るような切実さを孕んでいながら、諦念にも似た確信のこもった力強い言葉だった。
「――
『……なるほど』
ルイ・ファシネータは忌々しげに、ミオリネの言葉に反応する。
心の底からそれを嫌悪するとでも言いたげに、人類への祝福を永遠の夢に求めたAIは呪うような問いかけを発した。
『ミオリネ・レンブラン――あなたはそうして時代に流血を求めるのですね? それは歴史上、為政者たちが幾度となく繰り返してきた連鎖の一部です。あなたの手法はテクノロジーに未来を求めていますが、その実、犠牲を求め続けるという点で何一つ目新しいものではないというのに』
「論点すり替えてんじゃないわよ、やり口がせっこいのよ! あえて乗ってあげるけど――
相手の言葉にキレながらもその話法の問題点を突くという妙な冷静さは残っているミオリネ――彼女は管制室に響き渡る大声で、ルイ・ファシネータを挑発した。
「だいたい、こんな口先が上手いやつが優勝するようなお気持ちバトル大会やったって何にもならないのはわかってるでしょう? そんなに私のことが目障りなら、さっさと眠らせて幸せな夢でも見せたら? 言っておくけど私、今なら最高の夢を見て爆睡する自信があるわよ!?」
『……ふむ。その夢の内容をうかがっても?』
少女の挑発に何を思ったのか、問いかけるルイ・ファシネータ。
宙に浮かぶドローンユニットを睨み付け、ミオリネはこんなことをのたまった。その口元に浮かぶのは、勝ち誇るような笑みだった。
「スレッタもエリクトもまとめて楽しく騒がしい新時代に連れて行く夢よ! ここであの子たちの
『……傲慢ですね、ミオリネ・レンブラン……スレッタと言えば。先ほどから彼女のシミュレーション宇宙にノイズが見られますね。彼女の夢はいささか理想的とは言いがたいので調整しようと思っていたのですが、コマンドを受け付けません。あなたの仕業ですか?』
「はぁ?」
ミオリネは首を傾げた。目の前のAI――正確にはその端末――が何を言っているのか、本気で理解できなかったからだ。
その反応を見て、ルイは何かを確信したように呟いた。
『――カルド・ナボ博士。なるほど、彼女の介入か』
◆
――ピリリリリッ、と着信音が鳴り響く。
まだ早朝の空気を引き裂くような音だ。
ちょうど自動運転車両が学校に到着したばかりのグエル・ジェタークは、車両から降りて地面に足をつける。カーシェアリングサービスの自動車が走り去る中、制服のポケットから生徒手帳を取り出して画面を目にした。
見知らぬ人間の名前が表示されている。スレッタ・マーキュリー。不思議と胸の奥が暖かくなる感覚がする名前。見知らぬ少女――何故か、相手が異性だと直感的に悟った。
学園の生徒だろうか、と思いつつ、怪しい電話に出たものか迷った末――自分でもどうしてそうしたのかわからないまま、気づくと通話をONにしていた。
「グエルだ」
『あ、グエルさん! 手短に伝えますね! えっと、深度上昇に必要な座標は89445389647848です。覚えなくて大丈夫です、それじゃ――
「はぁ!? お、おい、お前、誰――」
ぶつっと通話は切れた。見知らぬ少女の声だったが、グエルはそれをひどく懐かしく感じて。
次の瞬間、グエルの脳裏を強烈なフラッシュバックが襲ってきた。それは彼が今まで過ごしてきたはずの人生とは全く異なる、似て非なる世界の記憶だ。
まるで様相の異なる人間関係と幼少期――家を出て行った母の記憶、そして初めて出会った■ウ■の存在。それは白昼夢と呼ぶにはあまりに生々しく、グエルの現在を揺るがすには十分な情報だった。
――なんだこれ、どうして俺はこんなことを思い出した?
――いや、どうして今まで忘れていた?
呆然と校門の前で立ちすくんでいると、部活の後輩が駆け寄ってきた。
小柄な少女の顔はよく見知ったものだった。
「グエル先輩、おはようございます! どうしたんスか?」
少年は呆然としながら、可愛い後輩の顔を眺めた。フェルシー・ロロ。二年生の彼の後輩で、同じパイロット科の生徒だ。モビルスーツの操縦で何かと面倒を見ていたら、いつの間にか懐かれていた。そこまではいい、どちらの記憶とも合致している。
だが、今の彼にはこの世界のすべてが歪んで見えていた。
これはたぶん甘い夢だ。
何よりも自分が望んでいた願いが叶った代償に、大切な誰かを失ってしまった夢だ。
――バカだな、俺は。
スレッタ・マーキュリーの言葉で目が覚めた。自分はもうここにはいられない、と直感した。たとえそれが、何よりも願っていた父と母が同時に存在し、母が自分を捨てない世界だったとしても。
ここには、
ぽつり、と呟く。
「……俺を、待ってる奴らがいるんだ」
「グエル先輩……?」
「悪い、フェルシー。俺、学校サボる」
「はぁ!? ね、熱でもあるんスか、グエル先輩!?」
「そういうことにしといてくれ」
困惑しっぱなしの後輩を置いて、グエルは走り出す。学園の敷地を出てすぐ、猛然とただ走った。世界のどこかに出口があると示されたわけでもないのに、今はそれが正解だという確信が持てた。
朝の冷たい空気が頬を撫でる。それが心地よかった。
衝動的で情熱的な疾走の中、彼が思い出したのは〈クワイエット・ゼロ〉に旅立つ前、家族と交わした会話であった。
――兄さん、一つだけ約束してくれないか。
――絶対に無事に戻ってくるって。
自身へ向けられた祈るような言葉を噛みしめて、グエルは笑った。
こんなに大事なことも忘れていたなんて、どうやら本当に自分は寝ぼけていたらしい。
彼は愛する弟の名を呟いた。
「――約束したんだったな、
◆
『あ、■■■さ■! 浮上に必要な座標は15617891135668562です。えっと、いい夢だったら申し訳ないんですけど――それでも!
突然の電話だった。
コール音に応じて端末を手に取ってしまった理由は、■■■自身にもわからない。ただ一つ言えるのは、物静かな少年はその声を、その言葉を聞いた瞬間、自分が何者であったかを思いだしたことだけだ。
エラン・ケレスの影武者、強化人士四号。■■■は自分がそういう存在をだったのを思い出して、誕生日の祝福を受けたはずの我が家を見やる。
この家も、自分とともに居る母親も、幻のようには思えなかった。
だが同時に■■■の明晰な頭脳は、この世界が偽りに満ちていると答えを導き出していた。
ああ――何故、自分は、自分の名前一つはっきりと認識できないのだろうか。
どうして母の名前を思い浮かべること一つできないのか。
その答えを、もう彼は知っている。
――これは夢だ。たぶん何よりも優しい、彼だけの救われた夢。
それでも行こう、と決めた。
目を閉じたとき思い浮かべるのは、自分を救ってくれた少女の面影だった。自室のベッドから腰を浮かせてゆっくりと立ち上がる。
■■■は外出用のジャケットを羽織ると、そのまま部屋のドアを開けた。決して広いとは言えない、集合住宅の一室が■■■の住む家だった。だから少年が外出の準備をしていると、すぐに母に気づかれた。
「■■■? どうしたの?」
母の声は優しくて、聞いているだけで愛おしさがこみ上げてくる。このままここに留まっても悪くないと、本気でそう思えた。
形はどうあれ、ここには現実で失われたもの、彼だけの
ずっと、母と一緒にいられた
その優しさを噛みしめながら、母へと声をかけた。
「友達が近くにきてるって電話があってさ。少し、外で話してくるよ」
「大丈夫? もう夕方だけど」
「大丈夫、すぐ戻るよ」
嘘をついた。彼はもう、ここには戻らないし戻れない。これが永久の別離になるのだ。
少年は振り返ることなく歩いて――距離にしてたった数メートルの玄関までの道のりが、永遠にも思えるほど長かった。
心配そうに玄関の傍まで見送りに来た母の方を、振り返る。
唯一、思い出せた記憶の中で彼の誕生を祝ってくれた大切な人――
自分が何を切り捨てようとしてくれているのか、その意味を何度も何度も
答えは変わらなかった。
だから、これはただの未練なのだ。
■■■はたぶん、もう取り戻せない母への感傷よりも、もう一人の大切な
「行ってくるよ、母さん」
――最後にそうやって。
――名もなき少年は微笑んだ。
推奨BGMは「Libera me from hell」。