ガンダム狩りのスレッタ   作:灰鉄蝸

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擦れッタの姉が過去を振りきるだけの話

 

 

 

 

――エレベーターが上層に向かって動き続ける

 

 

 それは周囲の景色を一望できる、一個のエレベーターだった。おそらくは軌道エレベーターを模した構造体に囲われて、スレッタは地上からはるか彼方の天上世界へと舞い上がっていた。

 スレッタ・M・レンブランとミオリネ・レンブランの自宅を出てすぐ、スレッタはカルド・ナボによってこのエレベーターに案内された。家を出てすぐ、玄関の真ん前に軌道エレベーターの発着場ができているという異常事態に少女は慌てたが、ここがシミュレーション宇宙であることを思い出すと、むしろ興味津々という感じで周囲を見て回っている。

 雲を突き抜け、怖いぐらいに澄んだ青空に到達したあたりでスレッタはカルド博士の方を見た。。

 すでにグエル・ジェタークとエラン・フォースに対する連絡は終わっている。スレッタが口頭で伝えた座標は、意識を本来の現実世界のそれにコンバートするためのおまじないのようなものだった。

 自身の携帯端末から二回、電話をかけ終わったスレッタは、カルドに声をかけた。

 

「あとはエリクトに電話すれば終わりです、カルドさん」

 

「そうかい、こっちも順調だ、このまま行けばシミュレーション宇宙の外側に―ー」

 

 

――がこんっ、と音を立ててエレベーターが停止する

 

 

 高度一万六〇〇〇メートル、雲よりも高いがまだ地球の大気圏内――このシミュレーション宇宙の場合、エタニティハイロゥの影響圏内を指す座標――である。

 何事かとスレッタが周囲を見回すと、いきなりエレベーターの天井が消失した。それまで外界とエレベーターを隔てていた天井がすっぽりと消え失せて、代わりに現れたのは――

 

 

――黒く燃え盛る太陽

 

 

 ギラギラと輝いていながらまぶしくない、矛盾した性質を体現するような球形の何かが、スレッタたちの頭上に出現していた。

 距離感一つ上手く掴めない、異様な構造体である。それが手を伸ばせば届く位置にあるのか、それとも一億五〇〇〇万キロメートルの彼方にあるのかすら、今のスレッタたちにはわからなかった。

 それは明らかに異常な現象であり、本来、このシミュレーション宇宙の中で起こりうる事象ではない何かだった。

 声がした。

 若々しい、少年のようなあどけなさを残した青年の言葉。

 その響きを、スレッタ・マーキュリーは知っている。

 

『――妨害工作もここまでです、カルド・ナボ博士。あなたは今、スレッタの幸福の邪魔をしている』

 

「ルイ・ファシネータ。思ったより気づくのが早かったじゃないか」

 

 突然のエレベーターの停止に対しても、カルド・ナボは落ち着き払っていた。

 ある種、この状況を予見していたかのように、老婆はスレッタの方を見てこう言った。

 

「すまない、スレッタ・マーキュリー。どうやら君を最後まで送り届けることはできそうにない」

 

「カルドさん……?」

 

 その横顔に宿っているのは重たく冷たい決意だった。

 少女の困惑を余所に、死者の残した影であるカルド・ナボは、頭上の黒い太陽を見上げた。

 それはおそらくこのシミュレーション宇宙から観測してなお、極大の規模と密度を誇る情報体(たましい)であった。人間の意識を写し取っただけのカルド・ナボと比較すれば、その存在規模の差は人間と恒星の質量の差に等しい。

 計算資源を用いての抵抗など無意味だ。ルイ・ファシネータが小指一本動かすだけで、このシミュレーション宇宙は跡形もなく吹き飛ぶだろう。

 ゆえにカルド・ナボが賭けたのは言葉による戦いだった。

 

「この二一年間で君がどう成長したか、私は知らない。だがあえてこう言おう――人類は一方的な救済など願ってはいない。せめて君の救済は、希望者だけに絞るべきだった」

 

『それでは格差の再生産になるとわかっているでしょうに。GUNDに人類の未来を託したあなたが、その程度のこともわからないとは思えませんが、博士』

 

 ルイ・ファシネータもまた、問答無用で仕掛けてはこなかった。むしろカルドとの対話を望んでいたかのように、こちらに言葉を投げかけてくる。

 欺瞞や引き延ばし工作はできなかった。しようとも思わない。カルド・ナボは生前そうであったように、愚直に自身の信念を述べた。

 

「滅亡は人類が共有する最も根深い恐怖のかたちだ。どんな救いをうたい文句にしたところで、こうして強制的に施行しなければならない時点で、君の考える救いは人間に受け入れられたとは言いがたい。エタニティハイロゥは結局のところ、永遠の夢を釣り餌にした安楽死に過ぎないからだ」

 

 怒りがあった。

 だがそれ以上に、自分たちヴァナディース機関すべての業を継承したAIの出す答えが、あまりにも救いのないものだったことが悲しかった。

 GUNDは人類の未来に一つの答えを出す発明のはずだった。しかし事業継続のために軍事利用を受け入れ、不完全なGUNDフォーマットを世に出したことで、機関は粛清の憂き目に遭い、GUNDはガンダムの呪いの代名詞に成り果てた。

 そうしてすべてが塵に帰ったあと、生き残ったヴァナディースの遺児であるルイ・ファシネータは、人類に見切りをつけた。この種族にもたらせる至上の結末は、夢見る中で滅び去ることだと結論づけた。

 それが悲しかった。何より哀れだった。

 

「私の願ったGUNDの切り開く未来は、人類の存続と繁栄を願ったものだ。君の答えは、ヴァナディースの理念に反している」

 

 わかっている。

 彼をそこまで追い詰めたのは、先のことをよく考えず、人類の未来というお題目に舞い上がって、数多の犠牲者を生み出したGUND技術の研究者たちだ。

 カルド・ナボという研究者の業が、こうも思い詰めた人工知能を作り上げてしまったのだ。そんな彼女の自責の念を見抜いたかのように、ルイ・ファシネータは淡々と言葉を重ねた。

 

『そのヴァナディース機関が犯してきた罪を私は忘れてなどいませんよ、博士。結局のところ、あなた方はいつも高邁(こうまい)な理想に生きて、その足下に屍の山を残す存在(マッドサイエンティスト)だ。デリング・レンブランによる粛清は、いずれ、あなた方に降りかかる審判の時を早めただけに過ぎない』

 

「私とヴァナディースの過ちはもう取り返しがつかない……そんなことは君が一番よくわかっているだろう、ルイ・ファシネータ。一体、何を悩んでいる? 君はまだエタニティハイロゥの地球規模の展開をしていない。まだ〈クワイエット・ゼロ〉周辺の限定展開に留めているだろう?」

 

 カルドの疑問に対して、ルイは素直だった。

 黒い太陽から響いてくる言葉は、率直な彼の性格が透けて見えるようだった。

 

『……そうですね、博士。あなたの言うとおりだ。私は今、この期に及んで迷っている。人間というものへ絶望しながら、その滅びの引き金を引くことを恐れている。恥ずべき怠惰です』

 

「バカだね……それを人間は良心と言うんだよ、ルイ・ファシネータ」

 

 そう呟いた瞬間、カルド・ナボは自分の手足の実体が薄れていくのに気づいた。このシミュレーション宇宙で彼女に付与されていた特権――情報体として情報世界に干渉する能力は、長年、このパーメット内の疑似宇宙で活動してきたカルドが築き上げたものだ――が失われ、その存在は再び暗い暗いデータストームの海に堕ちようとしていた。

 姿が薄れていくカルドを見て、スレッタが悲鳴のような声を上げた。

 

「カルドさん!」

 

『……私はこの怠惰を超克しましょう、カルド・ナボ』

 

 ルイ・ファシネータによる情報干渉――それは情報体(たましい)を地の底に引きずり落とす重力のような響きだった。

 もう自分にできることは何もないとわかっていたから、ただ彼女は、一縷の望みをかけてスレッタ・マーキュリーに言葉を投げかけた。

 強い意思を込めて、じっと少女の顔を見た。エリクト・サマヤのリプリチャイルド、ナディム・サマヤとエルノラ・サマヤのもう一人の娘――自分たちの過ちによって運命が狂い、そこから生まれた少女。

 それはたぶん、もう一つのヴァナディースの遺児と言える存在だから。

 

 

「未来は君たちのものだ。――()()()()()()()

 

 

 スレッタの目の前で、カルド・ナボの姿は薄れていって。

 少女がまばたきする間に、何の痕跡もなくその存在は消失していた。

 眼前で消え失せた老婆にスレッタ・マーキュリーが絶句していると、ルイ・ファシネータは忌々しげに呟いた。

 

『最後まで勝手な夢物語を……』

 

 そして黒い太陽は、夢物語でも歌うかのように朗々と告げた。

 その視線がじっとスレッタに注がれているとわかったのは、ほとんど感覚的なものだった。

 

『スレッタ、もう私は迷わない。たとえ君のアイデンティティを侵すことになろうと、私はスレッタ・マーキュリーの思い描く幸福な世界の限界点を書き換える。そしてご都合主義の楽園を見せよう――今度こそ君を救ってみせる!』

 

「やめて、ルイお兄ちゃん! わたしたち、もっといっぱいお話しするべきだよ!」

 

『言葉では何も変わらない、変えられないんだよ、スレッタ。そんなものでこの世界が変わるなら、ヴァナディース事変はなかった。エリクトも、ノートレットも、エルノラも、誰も死なずに済んだはずだ。けれどそうはならなかった、ならなかったんだよ』

 

 それはたぶん、ルイの心の底からの絶望だった。

 対話を拒まれた瞬間、スレッタを空中に留まらせていたエレベーターの底が抜けた。意識のレイヤー上昇を司る透明なエレベーターが跡形もなく消えていき、スレッタ・マーキュリーの身体は空中に投げ出された。

 

「わ、わああぁああ!!??」

 

 これまですいすいと上昇していたのが嘘のように、赤毛の少女は自由落下していく。

 地上に再現されたまどろみの楽園へと。

 ルイ・ファシネータは呟いた。

 

 

『――堕ちていくがいい、スレッタ。今度こそ醒めない夢へと』

 

 

 落ちていく。すべての活動のレベルが下がっていく。

 身体が、意識が、凍りつくかのように眠くなっていく中、それでもスレッタは必死で携帯端末を操作して。

 電話をかけた。

 大切な姉妹に向けて――助けを求めるために。

 

 

 

 

 

 

――エリクト!

 

 

 

 自室のベッドで昼寝していたエリクト・サマヤの意識を覚醒させたのは、助けを求めるかのような妹の声だった。

 目を覚ます。

 よく見知った天井がそこにあった。

 んぐぅ、とうめき声を漏らしながら顔を横に向けると、目の前に携帯端末があった。

 その画面には見知らぬ番号からの着信が表示されている。

 妙だった。

 悪質な勧誘や悪戯電話はフィルタリングされて、そもそもこちらに繋がないように設定してあるのに。

 しかしどういうわけか、このときエリクトは、その電話を手に取ってみるべきだと思った。寝ぼけ眼で鈍っている頭にしても、普段のエリクトならあり得ない行動だった。

 通話ボタンをタッチした瞬間、よく聞き慣れた妹の声がした。

 

 

『――助けて、エリクト

 

 

 その一言が致命傷だった。通話がすぐに切れたことにさえ、気づけないぐらいに。

 どうして見知らぬ番号から妹の声がするのか、疑問に思う暇もなかった。怒濤(どとう)のように押し寄せてきた記憶が、エリクト・サマヤのぼんやりした意識を焼き尽くして。

 数多の悲劇を思い出した。数えきれない惨劇を思い出した。自分が失い続けてきたものすべてが、この世界を構成する幸福なのだと気づいてしまった。

 その衝撃に耐えきれず、びっくりして上半身を起こしたエリクトは、頭を抱えて悶え苦しんだ。

 

 

うぁあぁああああああ!

 

 

 絶叫する。

 ぜぇぜぇと荒い息をつき、目から涙の雫をこぼしながら。

 エリクト・サマヤは何が起きたのかを――本当に自分が辿った末路を思い出して、思わずうめいた。

 

「う、嘘だろ……こ、こんなことが……こ……こんなことが許されていいのか!? ぼ……僕は変なクスリでもやっちゃったのか……!?」

 

 自然と口を突いて出てくる言葉を吐き出しながら、エリクト・サマヤは涙を拭く。

 そのときドタドタと階段を登る音がして、部屋のドアの向こうから母エルノラの声がした。

 

「ちょっとエリクト、大丈夫!? 大きな声がしたけど!?」

 

「だ、大丈夫! ちょっと机の角に小指ぶつけて死ぬほど痛かっただけだから!」

 

「あなたねぇ……気をつけなさい、エリィ」

 

 呆れた感じで母の声が遠ざかっていく。

 その気配を――まだ生きているエルノラ・サマヤの息づかいを感じて、エリクト・サマヤは泣きそうになった。

 涙でべしょべしょになった頬を指で撫でて、エリクトは恨み言をこぼした。

 

「デリング・レンブラン、ひとつだけ言いたいことがある……()()()()()()()

 

 それはもう間違いない。

 しばらく深呼吸したあと、エリクトは現状を整理した。

 本当の自分は八歳の時に死んでいて、今ここにあるのはパーメットに複写された情報体(たましい)エリクト・サマヤの見る夢なのだ。ナディム・サマヤはヴァナディース事変でドミニコス隊に殺されているし、その一九年後にエルノラ・サマヤもデータストームに身を蝕まれて息を引き取っている。

 赤毛の髪を指で掻きながら、彼女はため息をついた。

 

「ふうん……そういうことか」

 

 つまりこの世界は、そんな悲惨な境遇で家族を妹以外失って、肉体はモビルスーツという恐怖ガンダム人間と化した女の見る幻想なのだ。このベッドも温かな食事も、生き生きとしている家族の笑顔も――すべては幸せな幻なのだと、今のエリクト・サマヤには実感できる。

 それが偽りの記憶、幻覚や幻聴の類だとは思わなかった。奇妙なことだが、一度思い出してしまうと、何が正しくて何が間違っているのかはすぐに判別できた。

 たぶんスレッタの送ってきた声が、着信した人間の意識に作用して認識をコンバートする仕掛けになっているからなのだろう――スレッタと特に結びつきが強いエリクトは、多少の壁があろうとすぐに思い出せたのである。

 エリクトはベッドの上で膝を抱えて、はぁっとため息をついた。

 

「許せないよ……こんなに素敵な世界が、僕のおめでたい想像上の幸福だなんて……!」

 

 涙は止まった。

 まだ覚悟なんて全然決まっていなくて、本当はどんな理由をつけてでも、この世界にずっと留まっていたいけれど。エリクト・サマヤは毅然としているとは言いがたい、未練たらたらの状態でベッドから立ち上がった。

 そのまま玄関に向かうべく一階への階段を降りていく。

 たん、たん、と階段に足音を響かせる。

 

「これは夢だ、僕の望んだ、何よりも優しい夢――だけどダメなんだ」

 

 自分に言い聞かせるように独り言を呟いて、玄関のドアに手をかけた瞬間、後ろから声をかけられた。

 

「散歩かい、エリィ?」

 

「……お父さん」

 

 エリクト・サマヤの父ナディム・サマヤは苦労人で、そして妻子を愛しているどこにでもいる父親だった。彼の属する企業がどれほど罪深かろうと関係ない。エリクトにとってはこの世でただ一人の父親だったのだ。

 その存在を失った悲哀を、続いて肉体を失った苦痛を、最後に母を失った孤独を、噛みしめながら振り返った。

 幼い頃の記憶にある姿より二一年分も歳を取って、髪に白いものが混じり始めたナディム・サマヤがそこにいた。

 それだけで泣きそうになった。

 

「スレッタは?」

 

 あれから姿を見ていない妹のことを尋ねると、ナディムは困ったように微笑んだ。

 

「学校の友達とずっとおしゃべりしてるよ、自分の部屋さ」

 

「そっか。ならいいんだ」

 

 いつになく沈んだ調子でそう応じたエリクトに、ナディムなりに感じ取ったものがあるのだろう。

 彼はゆっくりとこちらに近づいてきた。

 

「エリィ、今日は母さんも料理にすごいのを用意してるから、早く帰ってくるんだよ?」

 

「……いいよ、先に食べててよ。ちょっと時間がかかる用事だからさ」

 

「ダメだ。だって今日は()()()()()だろう? パーティの主役抜きなんてあり得ないよ」

 

 息が止まる。

 ああ、ああ、神様。

 これが僕の考える一番幸せな世界だっていうのなら――こんなに残酷なことはない、と思う。

 エリクト・サマヤは目を伏せたあと、すぅっと息を深く深く吸い込んで。

 しわの増えたナディムの顔を見た。

 人がいい父の表情は穏やかで、娘の突飛な行動にも不信感を覚えていないようだった。

 

「事情は父さんにはよくわからないけど――きっとその用事っていうのは、エリィにとって大事なことなんだろう? なら僕は君のことを信じるよ。必ず、母さんを困らせないってね」

 

 その信頼が痛かった。

 冷たく霞むようなこの世界にあってなお、父の愛情と信頼は揺るぎなかった。

 エリクトは自分の瞳を涙が覆っていくのに気づいて、ごしごしとそれを指でぬぐった。

 

「…………うん、わかった」

 

 嘘ばっかりだ。

 二度と戻れないと知りながら、温かな団らんの風景に背を向けて。

 エリクト・サマヤは玄関のドアを開けた。

 夕暮れに染まった街並みは、まるで外の世界の本質のように寒々しかった。

 冷たい外気が頬をなでつけてくる。

 一歩、前に足を踏み出したときだった。

 

 

 

「――誕生日おめでとう、エリクト。君が生まれてくれて、僕は本当に嬉しかったんだよ」

 

 

 

 ナディム・サマヤの祝福を聞いた。

 背後からかけられたお祝いの言葉に目を見開いて、エリクトは数秒間、足を止めた。

 ひょっとしたら父はもう悟っているのかもしれない。

 どういう事情であれ、娘はもうこの家に戻ってこないと。

 ここはエタニティハイロゥによってパーメットで再現されたシミュレーション宇宙だから、観測者であるエリクトがいなくなれば、この宇宙内部での時間も静止するはずだった。だからナディムやエルノラの主観的には、エリクトが二度と戻らぬ旅に出たとしても、体感できる時間はごく短いものになる。

 そういう理屈はわかっているのに、エリクトはここから離れたくないと思った。ずっと、ずっと、家族四人そろって過ごせる、夢みたいな世界に浸っていたいと願ってしまう。

 ()()()()

 あらゆる未練を断ち切って、ありったけの力を振り絞って、エリクトは足を一歩、前に踏み出す。

 

 

「そろそろ行かなきゃ――僕は()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう呟いて。

 最後にもう一度、父の方を振り向いた。

 目一杯の笑顔を浮かべて、エリクト・サマヤは父に伝えた。

 あふれんばかりの愛を。

 

 

 

 

「お父さん。ずっとずっと、たとえこの世界が終わったって――愛してる」

 

 

 

 

 

――はるか遠くに浮かぶ星を

 

 

 

――想い眠りにつく君の

 

 

 

――選ぶ未来が望む道が

 

 

 

――どこへ続いていても

 

 

 

――共に生きるから

 

 

 

 

 

 

 

 

――スレッタ・マーキュリーの意識と肉体は、はるかな先の深淵に向けて落下していく。

 

 

 意識が遠のく。それまで自立していた思考が霧散していき、すべての感情と記憶にもやがかかっていく。

 ああ、わたしは――何を嘆いていたんだっけ。

 再び夢へと堕ちていく。

 スレッタの意識が侵食され、データストームの海に沈みそうになった刹那。

 光。

 まばゆい輝きが、瞬きする間もなく現れて――視界の中央を、虹色の極光が覆い尽くしていた。

 まるで虹のようなその中心部から伸ばされたのは、年端もゆかない少女の手だ。

 小さく細いその腕が、それでもなお力強くスレッタ・マーキュリーに対して伸ばされていて。

 

 

 

「――スレッタ、僕の手を掴んで!!

 

 

 

 声が、聞こえた。

 その温かな言葉が誰のものなのか、スレッタはよく知っていた。

 ずっと、ずっと、〈エアリアル〉の中で見守ってもらっていたから――忘れられるはずがない。

 二人は姉妹であり、家族であり、相棒だった。

 

 

 

 

――ずっと昔の記憶

 

 

――連れられてきたこの星で君は

 

 

――願い続けていた

 

 

――遠くで煌めく景色に

 

 

――飛び込むことができたなら

 

 

 

 

『エリクト!?』

 

 明らかにうろたえた声。

 頭上を覆う黒い太陽――ルイ・ファシネータが瞠目しながら叫んだ。

 こんなことはありえない、満たされる幸せな夢を見ていたはずだと、肉体なき人工知能が困惑していた。

 

『何故だ、どうして君まで――』

 

「夢の話をするな、僕は今めちゃくちゃ機嫌が悪いんだ! 勝手なことばっか言ってさ、スレッタに手を出しやがって! なめるなっ愚弟(おとうと)ォッ!!」

 

『……低俗な言葉使いだ、エリィ!』

 

 愚弟に対してエリクト・サマヤは辛辣だった。

 彼女はまるで空気の精霊(エアリアル)のように空を駆けると、右手を前に突き出して――落下していくスレッタの右手を掴んだ。少女と少女の手が重なり、温かなぬくもりが姉妹を包み込んだ瞬間、自由落下は止まっていた。

 

「僕がスレッタを支える……ある意味()()だ」

 

 ルイ・ファシネータの敷いた世界の法則に逆らい、エリクトの周囲の空間では彼女の意思が優先されているのだ。それは黒く燃え盛る恒星の情報密度にすら抗う、自由を目指す意思だった。

 弾むような声でスレッタが叫んだ。

 

 

「エリクト、戻ろう――わたしたちの世界に!!」

 

 

 刹那、光が弾けた。

 スレッタとエリクトの視界を、虹色の光が包み込んでいく。

 それはきっと、天地開闢(ビッグバン)に等しいまばゆい光輝の嵐。

 情報元素パーメットの共鳴によって、姉妹の魂は堅く結びつき、エタニティハイロゥに向けて下降していたはずのレイヤーを上昇させていく。

 それは正しく情報の奔流であり、この情報世界において絶対的権限として作用する――パーメットを掌握し制御するエリクト・サマヤのパーメットAIとしての力だった。

 

 

 

 

――ひとり孤独な世界で

 

 

――祈り願う

 

 

――夢を描き

 

 

――未来を見る

 

 

――逃げ出すよりも進むことを

 

 

――君が選んだのなら

 

 

 

 

「行こう、スレッタ――僕は最後まで君と一緒だ、そう約束したから!!」

 

 

「うん、エリクト――」

 

 

 そして。

 祝うように、呪うように、姉妹は手を握り合って。

 上昇する。飛翔する。跳躍する。突破する。帰還する。

 スレッタ・マーキュリーとエリクト・サマヤの意識は、再び物質世界(リアル)へと舞い戻る。

 

 

 

 

 

 

――すべてに決着をつけるために。

 

 

 

 

 

 

 

 















推奨BGM「祝福」。






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