――地球-月ラグランジュポイント4、〈クワイエット・ゼロ〉周辺宙域にて。
疾駆する。
星の光が瞬く宇宙空間を、白い悪魔が駆け抜ける。
犠牲と代償と苦痛を求め続けるこの悪辣な文明を、ルイ・ファシネータは憎み続ける。
〈キャリバーン〉を操る人工知能が知覚するこの世界は、数多の暴力と搾取に満ちた救いようがない奈落の底だ。
これまで流された血に見合う未来など、本当に存在するのだろうか、と――彼は問いかけ続ける。
何者も、何人も答える術を持っているはずがない。
人類が宇宙進出を始めるよりも前、有史以前から続く残酷の繰り返し――それこそがこのちっぽけな人類生存領域に満ちた秩序の本質だからだ。
文字通り弾丸のような速さで宙を舞う〈キャリバーン〉と相対するのは、白亜の妖精〈エアリアル〉だ。
かつてルイ・ファシネータが愛した少女の成れの果て、デリング・レンブランの凶行が招いた悲劇の最果てであるそのMSは、
網の目を縫うような複雑で繊細な戦闘機動――どれほどの経験値を積めば可能になるのか見当も付かないほど、高度な操縦技術と知覚能力の融合した操縦だ。
閃光が走り、宇宙を焼き焦がすエネルギーが飛び交い、要塞の表面でプラズマの光が弾けては消える。
焦熱。
今の〈キャリバーン〉と〈エアリアル〉は完全に同等の能力を持ったMSだ。純粋な一機の機動兵器としても、GUNDフォーマットの為せる奇跡パーメットスコア・オーバー8による事象改変装置としても。
本来であれば機体が限界を迎えて空中分解を起こすような負荷の中、〈エアリアル〉がビームの雨を回避できているのがその証左だ。
情報元素パーメットを通じた物質の別側面の掌握――言うなれば超物理現象と呼ぶべき能力を用いて、今の〈エアリアル〉はその機体性能を限界超過して高めている。
だが、しかし。
それは公平や平等を意味しない。
〈キャリバーン〉を制御するルイ・ファシネータは、それと並行して数十機のMS型ガンビットを使役しているからだ。
数十体の巨大な飛翔体。
翼のようなバックパックユニットを背負ったMS型ガンビット〈ガンドノード・アーラ〉である。
高機動ユニットを装着することで高い推進力を獲得した大型機――数にして四〇機以上の編隊から、一機あたり四基のガンビットが射出されていく。
馬鹿げた数の砲門だった。
つまり四〇×四=一六〇基以上のガンビットが、〈エアリアル〉目がけて荷電粒子ビームを放っているのだ。
光の豪雨を回避しながら、エリクト・サマヤが理不尽すぎる弾幕に叫んだ。
――〈ガンドノード〉! 雑魚を召喚とかウザいボスキャラかよ!!
『悪いが数で圧殺させてもらう!!』
打てば響くようにやりとりするエリクトとルイは、妙に息がぴったりだった。だが、どんなにコミカルなやりとりをしていても、襲いかかってくる敵の脅威は別に和らいだりしない。
〈エアリアル〉のコクピットの中で操縦桿を握るスレッタ・マーキュリーは、頬に浮かぶ汗の雫を感じながらうめいた。
「これじゃ近づけない……!」
――スレッタ、今は回避に集中するんだ!
エリクトと〈カヴンの子〉の制御するビットステイヴのバリアが、避け損なったビームの弾幕を受け止める。荷電粒子エネルギーが弾けて、〈エアリアル〉のセンサー群を明るく照らし出す。
それは水星の燃えるような太陽風の洗礼に似ていた。
放射線と荷電粒子の高エネルギーが嵐の吹き付けるスレッタの故郷、人類の生存に最も適さない開拓地。少女の生きてきた孤独な世界の原風景が、目の前に出現したかのようだった。
源となるのが太陽か反応炉かの違いはあれど、その高エネルギーの根源は同一のものだ。
膨大な量のエネルギーを生み出す核融合反応。
この宇宙がビッグバンの最中で数多の元素を作り出し、星間物質が天体を形作り、恒星の内部で軽元素が重元素に変わっていく過程そのもの。
人類が兵器システムとして利用する核融合炉も粒子加速器も、その原理を突き詰めていけば宇宙に存在する普遍的事象の再現に過ぎない。
それが直径一三九万二〇〇〇キロメートルの恒星か、人類の手で作り出されたちっぽけな発電システムかの差異はあれど――殺人的な高エネルギーをもたらすものであるのは間違いなかった。
〈エアリアル〉が舞う
一六〇基を超えるガンビットの群れが生み出すのは、たった一機のMSが抗うにはあまりにも巨大な超高熱の弾幕だ。
そのすべてをギリギリでかいくぐって、スレッタ・マーキュリーは
「同じガンダムなら乗っ取ることはできないの、エリクト!?」
――僕らの目的は〈クワイエット・ゼロ〉の阻止だ! そっちにリソース割いてる分は不利だよ、スレッタ!
「――っ! なら!」
わたしの技量で埋めるだけだよ、と呟いてスレッタはMSの操縦に専念する。
それは文字通り、神経をすり減らすような二〇〇秒間の死闘であった。
ありとあらゆる方角から飛んでくる荷電粒子ビームは、しかしながら光速に比べればはるかに遅い。つまり荷電粒子ビームは、その高エネルギーの予兆として秒速三〇万キロメートルの光子を放っているのだ。
この宙域は宇宙戦闘の残滓が色濃いから、星間物質やスペースデブリによってビームの進路上の空間が熱せられると光を放つ。
ならば理論上、飛んでくるビームの数が一六〇発以上であろうと――その射線を割り出して回避運動を取ることは可能だ。
狂気じみた判断である。
しかしこの狂気を可能とする操縦技量と、超人的な反射速度をスレッタ・マーキュリーが備えていたのは言うまでもない。
対峙するルイ・ファシネータの弾幕は揺るぎなく、機械的と呼ぶにはあまりに執念深い殺意に満ちていた。
スレッタ・マーキュリーとエラン・フォースを元にして学習された戦闘アルゴリズムは、GUND-ARMによる高機動戦闘に最適化されている。
それはすなわち、スレッタとエランが持ち合わせている人間性をも、AIの戦闘アルゴリズムが再現していることを意味していた。
ガンダムを操る少女が、防戦一方とはいえここまで粘れているのは、敵の癖を見知っているからだ。
スレッタは知っている。
――自分自身の操縦を。
忘れられるはずがない。
それは名も知らぬ子供兵たちの血に塗れた、呪いの道のりであり――スレッタ・マーキュリーの人生の一部だ。
理論上は可能だがその成功確率は極めて低い回避運動――それを幾度となく繰り返して、超高速で宇宙を飛翔する〈エアリアル〉。
その背部のスラスターユニットから光で編まれた翼のような推進エフェクトが飛び出し、慣性制御を織り込んだ美しい
光の奇跡が直角に折れ曲がっては、行く手を阻むように放射された荷電粒子ビームの攻勢を避けていく。
スレッタはその間、慣性制御モジュールでなお相殺しきれないGに耐えながら操縦桿を握っていた。
血と肉と骨で組まれた身体が、ありったけの負荷に悲鳴を上げる。骨格が軋み、臓器が痛み、血が偏っていくのをパイロットスーツの対G機構で緩和する。
光の雨の間をそうして泳ぎ続ける。
二〇〇秒間。
そう、それは三分と二〇秒の間だけ持続した奇跡のような回避運動だった。
だが、何事にも限界はある。
スレッタ・マーキュリーは血肉を持った人間であり、ルイ・ファシネータはパーメットで編まれた人工知能だ。
どちらのハードウェアが先に悲鳴を上げるかなどわかりきっていた。
ふと集中力が切れる刹那がやってきた。
――スレッタ、右後方からビームが来る!
エリクトの悲鳴のような警告。
〈エアリアル〉のビットステイヴが自動防御機構を作動させ、生じさせたバリアがビームの集中砲火を受け止める。
ゆえに辛うじて被弾は免れた。
だが、それだけだった。
一度、バリアを展開してしまえばビットステイヴの機能は防御に割かれる。その分、推進力が落ちた〈エアリアル〉の操縦バランスは変化する。その変化に対してスレッタが姿勢制御を立て直すまでのわずかな時間。
追い打ちのようなビームの嵐がやってくる。
滅びの光。
核融合炉で生まれた電気エネルギーが動作させた粒子加速器、その兵装より放たれる荷電粒子を束ねて。
〈キャリバーン〉が断罪するように右手を振り下ろした。
ガンビット一六〇基超がビームを放つ。
『――君たちの意識だけでも救おう、ここで眠れ!』
――スレッタ!!
エリクトの悲鳴。
スレッタは最後まで諦めずに〈エアリアル〉を動かそうとしたが、機体の立て直しが間に合わないのも悟っていた。
ビームの射線を遮るようなものがないか、咄嗟にパーメットリンクで機体のレーダーと五感を繋ぎ、周囲をスキャン。
それが無駄なあがきに過ぎないとわかっていてなお――
――こっちの軌道目がけて投入された質量体を確認!!
「まだっ!」
今からでも間に合う遮蔽物。
その正体を確認する時間すら惜しんで、本能的にスレッタ・マーキュリーは〈エアリアル〉の推進方向を切り替えた。慣性制御マニューバの恩恵――〈エアリアル〉の帯びている運動エネルギーをそのままに推進方向だけを切り替える。
ビームの射線目がけて投入されてきた遮蔽物の影に、MSの巨体を滑り込ませる。飛んできた荷電粒子ビームが弾ける。
遮蔽物になったもの――
数十発のビームを連続照射されて、対ビームコーティング層が蒸発し、金属製の質量体が溶け爆ぜたのだ。
たった数秒しか保たなかった安全地帯。
けれどそれだけの時間があれば、スレッタ・マーキュリーは〈エアリアル〉を立て直すことができた。
彼女は知っていた。
遮蔽物となったその物体が、MS〈ベギルペンデ〉の大型盾であることを。
これまで荷電粒子ビームの雨によるセンサーの乱れで知覚できなかった機影。
純白の装甲は、グラスレー・ディフェンス・システムズ製の騎士のごときMS〈ミカエリス〉だ。
『無事かい、水星ちゃん』
気障な言葉だった。
その声の持ち主を、スレッタは知っていた。
少女は目を丸く見開いて叫んだ。
「しゃ、しゃしゃ、シャディクさん!? え、ええぇえうぇええ!?」
『助けたのにその反応はひどくないかな水星ちゃん!?』
「ご、ごごご、ごめんなさい! わたし、シャディクさんのことは裏ルートのボスキャラだとばっかり……!」
『水星ちゃん!?』
胡乱なフレーズが飛び出してきたので、シャディク・ゼネリはコクピットの中で嫌な汗を掻いた。裏ルートのボス。彼の絶対に他人に知られたくない秘密(※洒落になっていない)をそのままズバリと言い当てたような表現である。
というかこの局面になっても警戒されていたという事実に、変な笑いが出てくるシャディクだった。
二人の間に流れた微妙な空気――ほぼほぼスレッタの失言が原因である――を横目に、モビルアーマーの群れから放たれる十字砲火を防ぐのは、大盾を構えた第四世代MS〈ベギルペンデ〉だ。
先ほどスレッタを助けるためにシールドを投擲したサビーナ機以外の四機が、連携して盾の防御範囲に〈ミカエリス〉の死角を抑えている。
対ビームコーティングされた装甲表面で荷電粒子が散る中、〈エアリアル〉と〈ミカエリス〉に引き寄せられた敵軍に飛び込むMSが一機。
東洋の鎧武者を思わせる意匠の白い近接戦用MS〈シュバルゼッテ〉――紛れもない第五世代MSが、右手に握ったビームブレイドを振るうたび、MA〈ガンドノード・アーラ〉が真っ二つに両断されていく。
声――長い間、聞いていなかったような気すらする
『スレッタ、こいつらの相手は任せろ!』
「グエルさん!? え、えええ、助太刀ってことですか!?」
〈シュバルゼッテ〉の凄まじい戦闘機動を支えているのは、ビームの雨をかいくぐりながらその動きに追随し、弾幕を張りながら敵を牽制する黒いガンダムだった。
ガンダム〈ファラクト〉――エラン・フォースの駆る最新鋭のMSが、グエルの僚機を務めているのだ。
『君はルイ・ファシネータを止めることに集中して、スレッタ・マーキュリー』
「エランさん! お二人とも無事だったんですね!」
『ちょっと待て、お前が呼び戻したんじゃなかったか!?』
グエルからのもっともなツッコミに、スレッタはコクピットの中で目を泳がせた。
あのときスレッタは何かこう、使命感のようなものに引きずられていたので、友達の男子二人への呼び掛けもわっとやってしまったのだ。
ひょっとして自分はかなり薄情なコメントをしたのでは、と思い至り、少女は気まずそうに謝った。
「す、すす、すいません! あのときはわりとこう、わーって勢いで動いてました!」
『君らしいね、スレッタ・マーキュリー』
『お前とりあえずそれ言っておけばいいと思ってないか、エラン』
グエルは怪訝そうに友人の顔を見た。いつも通りのポーカーフェイスだが、今のグエルにはわかる。
彼は明らかにキメッキメだった。こいつスレッタの好感度を稼ぎに行ってるだろ、と気づき、グエルは深々とため息をついた――すれ違い様にMA〈ガンドノード・アーラ〉を斬り捨てながら。
十代の少年少女の馬鹿馬鹿しいやりとりの合間で、撃破された機動兵器が爆発していく。
何はともあれ、今やるべきことは一つだった。
グエルは気合いを入れて叫んだ。
『エラン! シャディク! ――俺に合わせろ』
『言われるまでもない』
『傲慢だな――嫌いじゃない』
三機のMSがフォーメーションを組んで散開し、さらにそれに追随して五機の〈ベギルペンデ〉が戦闘隊形を組む。
『敵の隙はこじ開ける。スレッタ・マーキュリー、お前はあの白いガンダムを止めろ』
『あんたに任せるんだからしくじんないでよね!』
ここは死地だった。
本当ならば学園の仲間には、誰一人として関わって欲しくない戦場だ。
そういう思いを飲み込んで、スレッタ・マーキュリーはうなずいた。
「――わかりました!」
この世界は残酷であり、秩序だって閉塞している。
あらゆる物質は天体の重力に捕らえられ、宇宙空間は数え切れないほどの放射線と荷電粒子が飛び交う高エネルギーで満たされて人体を侵す。
秒速三〇万キロメートルしかない光の速さの限界は、知的生命体の知覚能力に絶対の制限を課す。その限界を超えたパーメット知性体とて、今の人類には到底受け入れがたい倫理的ハードルの向こう側の存在に過ぎない。
救いようがなく行き詰まった明日しか残されていないと、ルイ・ファシネータは未来を定義する。絶望する。憎悪する。
だが、それでも。
「みんながいるからッ! わたしは負けない、負けられないッ!」
――スレッタ・マーキュリーは決して諦めない。
それがどんなに差別と格差と抑圧と搾取の上に成り立つゆりかごだとしても、間違いだらけの歯車の中の出会いだとしても――スレッタ・マーキュリーが人の縁に恵まれた事実を揺るがすことはできない。
たぶんそれは若人たちの絆だった。
人類が積み上げた愚かしさの極みを嘆き、強硬手段に走ったルイ・ファシネータの前に現れているのは、そんな現在の中の希望のかたちだ。
それは今日に至るまでの道筋の中で、数多の犠牲を見つめてきたAIにとって、受け入れがたいものだった。
怒気が、人類の言語となって出力される。
『――
心の底から憎々しげな声でそう吐き捨てて、〈キャリバーン〉が十一基のビットステイヴを分離・飛翔させる。遠隔操作型攻撃端末であるビットステイヴは、完全に〈エアリアル〉のそれと同型の装備だった。彼の分身である複製AIによって群知能化されて使役される使い魔、〈カヴンの子〉の合わせ鏡。
それは救われない風景だった。
スレッタやエリクト、グエルやエラン、シャディクたちが間違っているから、ルイと敵対しているのではない。
この世界の仕組みは、つかみ取りたい未来のかたちが分かたれた瞬間から、知性体と知性体が競い奪い合うようにできている。
今ここにある
正誤があるのではない。大義の違いのようなわかりやすい物語があるのでもない。
ただ無慈悲なまでの殺し合いの原理が、棍棒で殴り合っていた原始時代と変わりなく立ち上がって、彼らを殺し合いに導いていた。
なのに、どうしてこんなにも。
――誰かが描いたイメージじゃなくて
――誰かが選んだステージじゃなくて
――僕たちが作っていくストーリー
――決してひとりにはさせないから
――いつかその胸に秘めた
――刃が鎖を断ち切るまで
――ずっと共に戦うよ
誰もが戦っていた。
グエルが、エランが、シャディクが、サビーナたち五人が、誰一人欠けることなく攻防を繰り広げる。
MSが推進炎を噴かして戦闘機動を取って、互いの死角を補い合って、怒り狂う暴威そのものとなったガンダムの大群と渡り合う。
そして誰かが落ちれば、その瞬間に形勢は逆転するであろう綱渡りの勝負は――完全な拮抗状態に陥っていた。
また一機、〈ガンドノード・アーラ〉が〈シュバルゼッテ〉に斬り捨てられて爆散する。その死角を狙っていた大型ガンビットがまとめて〈ファラクト〉に狙い撃ちされ、火炎の華となって虚空に散る。
ビーム兵器の雨をかいくぐり、時に僚機の盾でそれを凌いで、〈ミカエリス〉のジャベリンブレイザーが〈ガンドノード・アーラ〉を串刺しにしていく。
物量の差を押し返すだけの何かが、少年少女を駆り立てていた。
正気ではない。
熱狂などという言葉では生ぬるい
それは恋であり、愛であり、友だった。
『データストームが君たちを救うのに――何故だ、何故、否定する!』
ルイ・ファシネータにも理解はできる。
彼らは未来に夢を見ている。まだ見ぬ明日のために戦っているのだ。
それでも問わずにはいられなかったのは、その理解に許容が追い付いていないからだ。
かつてヴァナディース機関によって開発され、サマヤ母娘によって育まれ、ノートレット・レンブランによって完成したAIルイ・ファシネータ。
その行動原理は絶望であり、その価値観は悲観であり、その思想は人間否定である。
同型・同数のビットステイヴ同士がドッグファイトを繰り広げる中、ビームの嵐を突っ切って〈エアリアル〉が飛び込んでくる。
白い悪魔〈キャリバーン〉は両手に握ったビームサーベルを振り下ろす。
斬撃。
それを紙一重で避けた〈エアリアル〉が、自身の運動エネルギーを乗せた
飛び膝蹴りの要領で胴体に叩きつけられた〈キャリバーン〉が吹き飛ばされる――並みのMSならばそれだけで砕け散るであろう打撃。
だが、すでにパーメットスコア・オーバー8に到達した〈キャリバーン〉と〈エアリアル〉は普通のMSではない。データストームの空間化を介して、物質的強度すら自在に増減させられる超兵器だ。
傷一つついていない白い悪魔が、ビームサーベルの青い光刃を横凪ぎに振るう。
物理現象としての電磁場の制御――ビームサーベルを構築する荷電粒子の剣が瞬く間に巨大化――直径一〇メートル全長六〇メートルはあろうかという極太のハイパー・ビームサーベルが空間を焼き尽くす。
〈エアリアル〉は緊急回避を実行。
慣性制御マニューバによって進路方向を九〇度変更し、ギリギリで高エネルギー空間を避けた。
ガンダムのコクピットの中で、スレッタ・マーキュリーは
「……救われた世界の夢を見ながら、穏やかに滅びていくのが間違っているとは言いません。きっと、そういう夢でしか癒やせない人たちもいっぱいいます」
『ならば何故、抗う!』
「それでも!」
――決めつけられた運命
――そんなの壊して
――僕たちは操り人形じゃない
――君の世界だ
――君の未来だ
――どんな物語にでもできる
たとえ自分がまだ一七歳の子供で、この世界のどうしようもなさを触りしか知らなくて、恵まれた人間関係の中で育まれた楽観主義に支えられているのだとしても。
絶対に許せないことはあるのだ。
少女は自らの心に従って、大儀ならざる思いを吐き出した。
「――
極太のハイパー・ビームサーベルが、まるで荷電粒子で編まれた竜のごとく〈エアリアル〉に襲いかかる。
青白い光の剣は、まるで太陽のような超高温を帯びている。白亜の妖精は四枚の翼のような高機動バックパックユニット――〈精霊の翼〉を全力駆動させ、その薙ぎ払うような死の斬撃から逃れ続ける。
流星のごときガンダムと、恒星のような光を操るガンダム。
そんな神話じみた風景なのに、ここで行われていることはどこまで行っても馬鹿げた兄妹喧嘩だった。
――バーカ、ルイのバーカ! この期に及んでまだわかんないのかよ!
――スレッタはこんなクソみたいな世界でも!
エリクト・サマヤは心の底から痛罵した。
その思いに応えるように〈カヴンの子〉に操られたビットステイヴが宙を舞い、ルイの操るビットステイヴと激しい銃火を交わす。
スレッタに呼びかけにも、エリクトの罵倒にも、ルイは応えなかった。
それでも無言の時間に意味があると信じて、赤毛の少女はあの日あのとき、プラント・クエタで垣間見た記憶をたぐり寄せる。
かつてプロスペラ・マーキュリーがエルノラ・サマヤで、その娘のエリクト・サマヤがまだ八歳の生身の人間だった頃――死にかけているエリクトの
彼女にエリクトの人格情報を焼き付けて、複製を試みたエルノラを説得して。
そのリプリチャイルドが一人の少女として生を受けることを許してくれたのは――
「あなたの記憶で知ってるよ――わたしを人間として生まれさせてくれたのは、ルイお兄ちゃんだって!!」
ルイがうめいた。
『スレッタ、君は――』
自分の出生に愛はなかったかもしれない。
この身体の本質は〈エアリアル〉と大差ないのだ。
父と母が愛し合って生まれたのではなく、エリクトという本物を生かすための
ずっと昔、そういうリプリチャイルドがいたのだ。
だが、それがスレッタ・マーキュリーという名前を得て、この世に生まれてきたことのすべてが否定されるわけではない。
何故なら――
「わたしはこの世に生まれたことを後悔しないよ! わたしがエリクトの
それが、スレッタ・マーキュリーの生の出発点だった。
少女の祈るような言葉に応えて、ルイ・ファシネータもまた叫ぶ。
『……そうだ、私はあのとき君を助けた! エリクトのために犠牲になる命を見たくはなかった! だが、その結果が今なんだよスレッタ!』
〈キャリバーン〉がそのつま先を折りたたみ、高機動形態で〈エアリアル〉に追随する。
まるで流星雨のようなビームの雨を互いに浴びせかけながら、人知を超えた二機のガンダムが宙を切り裂く。
――逃げるように隠れるように
――乗り込んで来たコクピットには
――泣き虫な君はもういない
――いつの間にかこんなに強く
〈キャリバーン〉のハイパー・ビームサーベルの解析を終えた〈エアリアル〉が、自身の抜きはなったビームサーベルの周囲に電磁場を形成――対になるような形でハイパー・ビームサーベルを構築する。
MSの機体全長の三倍にも及ぶ巨大な光刃が、白い悪魔を迎え撃つように振り下ろされた。
白銀の棺〈クワイエット・ゼロ〉を背にして二機のガンダムがハイパー・ビームサーベルで斬り結ぶ。
それは破壊半径に取り込んだ物質を原子の塵へと分解せしめ、宇宙を漂う星間物質にまで還元する破壊の権化だった。
その激突がもたらしたのは、恒星の熱と光を思わせる爆発的な現象だ。荷電粒子の波がそこら中にまき散らされ、戦闘によってL4宙域に生じたスペースデブリや星間物質を加熱し、まばゆい光の発生を連鎖反応させる。
たった二体のMSが引き起こしたとは思えぬ惨状の中でなお、〈キャリバーン〉と〈エアリアル〉はその戦闘能力を失っていない。
凄まじいエネルギーを制御収束させている電磁場そのものが盾となり、荷電粒子の洪水から二機のガンダムを守っているのだ。
雷光のようなエネルギーのスパークを浴びる〈エアリアル〉に――宿敵にして最愛である二人に、ルイ・ファシネータは呼び掛けた。
『この世界を見るがいい、スレッタ! 悲しみばかりだ、痛みばかりだ! 勝者を気取る
「だから生まれ落ちてすらいない命すら奪うの!? データストームの海に取り込んだ、一三〇億の生命に幸せな夢を見せて!」
『そうだ、私はそのことごとくを結果として殺すだろう!! ホモ・サピエンスの歴史はここで閉じる!! 種としての引導を渡すことでしか、私のクワイエット・ゼロは――種の終幕は遂行されない!』
「この世の誰にも、
――これは君の人生
――(誰のものでもない)
――それは答えなんてない
――(自分で選ぶ道)
――もう呪縛は解いて
――定められたフィクションから今
――飛び出すんだ
――飛び出すんだ、あぁ
機体の背丈を遙かに超える長さの荷電粒子の刃を振るって、〈キャリバーン〉と〈エアリアル〉が斬り結ぶ。激突の余波で生じた高エネルギー放射だけで周囲のデブリが熱せられ、溶解するほどのエネルギー量が振るわれていた。
気づけばMA〈ガンドノード・アーラ〉すら二機の間に近づこうとはしなくなっていた。
大型ガンビットはおろか、MAそのものが接近しただけで溶け爆ぜるほどの灼熱地獄が生まれていたからだ。それはグエルやエラン、シャディクたちも同様である。
文字通り扱うエネルギー量の次元が異なる怪物同士の殺し合いに、通常のMSでは介入することすら許されなくなっていた。
吹き荒れる電磁波と荷電粒子の嵐は、パーメット通信以外のすべての通信手段をかき消して――星の光すら目視できぬほどの光と熱の地獄を、宇宙空間に顕現させていた。
『そんな曖昧なもののために、君は戦うというのかスレッタ!』
「曖昧なんかじゃない! 誰よりも! 何よりも! わたしには
『同じ過ちの繰り返しだ、スレッタ! その生命を礼賛する聖句に何の意味がある!? 一三八億年かけてたどり着いた奇跡のような
その痛みを、その苦しさを、スレッタ・マーキュリーは知っていた。
人間は宇宙にこぎ出して資源を採掘し、さらなる豊かさを求めて文明を築き上げたのに――彼女たちの知る世界は、何度でも弱い立場の人々を踏みにじって、大勢を苦しめている事実から目を逸らしている。
そしてその搾取と差別の悪夢を正当化して、流される血と憎しみの声を「野蛮人の分別のない物言い」と蔑んで、今日と変わらない明日を歩もうとする。
その現在が引き寄せた殺し合いの連鎖の真っ只中で、スレッタは大勢の子供兵を殺めてきた。MSのコクピットを焼き切って、少年少女の身体を原子の塵に還してきた。
それは罪だ。
忘れられるはずがない。忘れていいはずがない。
歯を食いしばってその痛みに耐えるスレッタに、ルイ・ファシネータは告げるのだ――絶望の明日を。
『〈クワイエット・ゼロ〉は人類の夢だ! その威力を見せつけられた人々は思うだろう、君のようになりたいと! ガンダムを自在に操る
それは嘆きであり、悲痛な祈りだった。
一番大切な人たちだからこそ、こんな地獄のような世界で、つらい未来を迎えて欲しくないという願い。
あまりにもささやかで卑近ですらあるそれを前にして、スレッタ・マーキュリーは血を吐くような言葉を紡ぎ出す。
「それだって所詮――
――誰にも追いつけないスピードで
――地面蹴り上げ空を舞う
――呪い呪われた未来は
――君がその手で変えていくんだ
――逃げずに進んだことできっと
――掴めるものがたくさんあるよ
――もっと強くなれる
『――やめろ、やめてくれ! 痛いのは君自身だ、苦しむのは君たちなんだぞ、スレッタ!』
きっとルイとスレッタは兄妹だから、見ている現実のかたちもそっくりだった。痛くて辛くて苦しくて、きっと明るい未来ばかりじゃないと信じられてしまう。
あるいは人間という生き物の思い描く世界の限界を、誰よりも悲観的に定義しているのかもしれない。
知的生命体の定義する幸福の限界点を
きっとルイ・ファシネータも同じだった。
どんなに大好きな人たちの幸せな未来を願っても、それを押し潰すような現実の像しか思い描けないから、神様みたいな力を得ても閉塞した明日しか作れない。
そして兄と妹はそっくりだから、こうして殺し合っている。
ハイパー・ビームサーベルの光刃と光刃がぶつかり合い、その刀身を形成する超高温の荷電粒子ビームの飛沫が飛び散って、高エネルギーの波が周囲の空間を焼き尽くしていく。
それを振るう二機のガンダムは、まるで終末神話に登場する数多の裁きそのもの。
悪しき時代を滅ぼす
いつだって救われない人間は、そうして救われるいつかを思い描き、夢を見てきた。
はるかな太古の昔から、人間の想像力の限界がそういうものなのだと告げるような無慈悲な相似形。
そんな救いようがない世界の中で、スレッタはそれでも信じる。
――生きることのよろこびを。
「苦しくても、悲しくても、痛くても! わたしは今、幸せだって思えるよ! 生きてるからそう思えるんだよ、ルイお兄ちゃん!」
『ありきたりの
「その絵空事を嘘にしないために、わたしたちはここにいるんだよ!!」
スレッタが信じたいと思ったのは、ミオリネ・レンブランの大言壮語の中に見いだした希望だった。
そして希望を信じるものは、いつだって未来に今よりもよくなった何かを見いだす。
それゆえに、絶望を信じるものと衝突するとしても――幾度となく、人類史の中で繰り返されてきた連鎖の一部のように。
ルイ・ファシネータは少女のそんな姿に、ただ嘆くだけだった。
『なんという
わからなかった。
どうしてこんなにも、ルイ・ファシネータが未来を拒むのかを。
クワイエット・ゼロ第二計画エタニティハイロゥという思想の背後にあるのは、人間存在への絶望だ。
人類にはよりよい明日を築く知性も能力もないという絶望が、今ここで世界のすべてを断ち切る救済を作り上げた。
そう、カルド・ナボ博士の意識体は言っていた。
スレッタはルイの心を知るために、言葉を投げかける。たとえその最中に、相手を無力化するために最適化された
身体は殺し合いを続けているのに、心は対話を求めていた。
「どうしてそんなにも――人間の全部を、悲しみで言い表そうとするの!?」
悲嘆。
それこそがルイ・ファシネータの願いの根幹にあるものだった。
次の刹那、ハイパー・ビームサーベルの白熱する輝きと同時に、すべてを滅ぼすような咆哮が返ってきた。
『――世界はあのとき、
何故だ、とルイは叫ぶ。
この世界、この時代の流血と不条理によって練り上げられた怪物は、そうして嘆きのままに光の刃を振るう。
あらゆる物質を原子レベルまで分解する光。
同等の機能、同等の能力を得たパーメットスコア・オーバー8の〈エアリアル〉でなければ、近づくことすら許されぬ悲嘆の化身。
その荒れ狂う激情を受け止めながら、〈エアリアル〉に宿った意識――エリクト・サマヤは手を伸ばす。
――ルイ! もういい、もういいんだッ! 僕たちの痛みで世界を裁く必要なんかないッ!
『君がすべてを諦めても、私にはあるんだよ、人類の文明に――その血まみれの怠惰の最果てを突きつける権利がッ!!』
吹き荒れる高エネルギーの嵐。光と熱のスコール。星の光をかき消して、何者の介入をも阻む荷電粒子の剣閃。
振り下ろされる刃。振り上げ打ち砕く刃。こぼれ落ちた光の欠片が、あらゆる物質を蒸発させていく。
それはまるで遠雷。
稲光のような発光が瞬いて、通過した空間に存在した万物を光に変えていく流星。
水星に吹き荒ぶ太陽風にも似た地獄を作りあげながら、二機のガンダムは〈クワイエット・ゼロ〉から離れて斬り結ぶ。
『スレッタ!』
グエルさんの声が聞こえる。
『スレッタ・マーキュリー!』
エランさんの声が聞こえる。
『水星ちゃん!』
シャディクさんの声が聞こえる。
「くぅううううぅ!!」
だが、スレッタに呼びかけへ応える余裕はなかった。慣性制御マニューバを用いるために減速せず、戦闘中、加速し続けた〈エアリアル〉は、今やこの宙域を光のように駆け抜ける存在だった。
加速した〈エアリアル〉――それと完全に同期した速度に達した〈キャリバーン〉が、両手に握った二本のハイパー・ビームサーベルを振るう。
振るわれる度に灼熱地獄を作りだし、星間物質を加熱して発光させ、高エネルギーの疑似太陽風をまき散らす破滅そのもの。
あるいは〈クワイエット・ゼロ〉の管制権限などなくとも、こうして加速し続けながら光の剣を振るうだけで、地球圏を地獄に変えられるかもしれない超越者――それが今の〈キャリバーン〉であり〈エアリアル〉の到達した姿だった。
だが、スレッタ・マーキュリーはそれを望まない。エリクト・サマヤはそれを願わない。
光の剣が激突する。
荷電粒子ビームの飛沫が星光のごとく飛び散って、電磁場が荒れ狂い、その内部を超高温のビームが循環し物質を分解する。
燃え盛る炎の剣を振るって、御使いのごとき白いガンダム同士が鍔迫り合った。
「うぁぁああああ!!!」
うめく。歯を食いしばって〈エアリアル〉を制御する。
互いのMSが手にした二本のハイパー・ビームサーベルが斬り結ぶたびに、センサーが使い物にならないほどの高エネルギー放射が飛び交う。
今、スレッタとエリクト、そしてルイが周囲を知覚するのに用いているのは、空間化したデータストームそのものだ。
三次元空間に満ちた触覚というべきそれが、パーメットによる超光速の知覚器官となっている。
それは常人には想像もつかない未知の感覚であり、長期間、高パーメットスコア状態に最適化されたスレッタの神経組織だから適応できた感覚器だった。
――幾度、斬り結んだろうか。
――幾度、互いの攻撃を避けただろうか。
吹き荒れる疑似太陽風によってビットステイヴのビーム射撃は役に立たず、互いにビットオンフォームで近接戦を仕掛けるしかなくなっていた。
〈エアリアル〉と〈キャリバーン〉は、互いに本来の限界出力を超えたエネルギーを制御していた。MSサイズの核融合炉では給電不可能な規模の電力が生み出され、伝達回路が耐えられるはずもないエネルギーが放出され、ハイパー・ビームサーベルを形成していたのだ。
もしコンマ一秒でもパーメットスコア・オーバー8を解除すれば、その瞬間、物理的破綻を迎えて機体が崩壊するほどの過負荷。
人間の集中力でそんなものを維持できるはずがない。
そのはずなのに、スレッタ・マーキュリーとエリクト・サマヤ――二人で一つのユニットは、ありえざる拮抗状態でルイ・ファシネータに食らいついていた。
光の巨剣を振り下ろして/横凪ぎに撃ち払って――幾百幾千の剣閃の果てに。
――
投げつけられたハイパー・ビームサーベルの柄が、高エネルギー状態で爆発する。
それはまるで超新星爆発のような輝きだった。
実際に起きている事象としては比較にならないとしても、間近で観測する荷電粒子と熱線の嵐は、一瞬〈キャリバーン〉の動きを止めるには十分だ。
すべてが白熱する。
この宇宙が
そうして広がった高エネルギーの奔流の最中、あらゆる物質を分解するはずの超高熱、ハイパー・ビームサーベルが焼き払ったあとの空間、灼熱地獄と化した虚空を突っ切って。
白亜の妖精が、白い悪魔の胸元へと飛び込んでくる。
「エリクトッ!!」
――ルイッ!!
ボロボロに焼けただれた装甲――パーメットスコア・オーバー8による物理保護を貫通し、駆動フレームすら赤熱化するような有様。
ああ、けれど。
〈エアリアル〉は生きている。
その全身のシェルユニットは虹色に輝いて。
ありったけの運動エネルギーを込めた手刀――自らの右腕を砲弾に見立てた一撃。
――バカな。
刹那、ルイ・ファシネータは防御に全リソースを割いた。
〈キャリバーン〉がパーメットスコア・オーバー8の光を放って、自らの構成物質にかけた物理保護を最大限に引き上げる。
重力制御を行えるような
グエルと戦って/エランと戦って――スレッタ・マーキュリーが得た答えはシンプルだ。
脳筋である。
〈エアリアル〉の右腕が着弾する。
その手指が一瞬で圧縮され、関節はねじ切れて、物質としての形状を保てなくなり、赤熱化しながらプラズマ化して爆ぜる。
あまりにも膨大な運動エネルギーを帯びた質量砲弾が、着弾の瞬間に溶け爆ぜるように。
かつて〈エアリアル〉の右腕だったパーツそのものが昇華され、〈キャリバーン〉の胸部装甲をシェルユニットごと打ち砕いていた。
爆発。
そう、それは爆発だった。
〈エアリアル〉の右腕がプラズマ化して爆ぜた瞬間、耐えがたい過負荷を与えられた〈キャリバーン〉の胸部もまた圧壊して爆ぜた。
その左半身が丸ごと消し飛ぶ。
物理強度を通常物質ではありえぬ領域にまで引き上げようと関係ない、許容限界を超える一撃だ。
それがスレッタ・マーキュリーの選び、エリクト・サマヤが実行した切り札だった。
超物理現象を引き起こし、神のごとき魔法を可能とするパーメットスコア・オーバー8。
虹色の奇跡を操るもの同士の決着は、物理保護を最大レベルにまで引き上げた状態での打撃だった。互いの機体が原形を留めているのは、それこそパーメットスコア・オーバー8のもたらす恩恵なしにはありえない景色である。
その衝撃から守られ、スレッタ・マーキュリーが生きているのは――それこそ奇跡に等しい確率の博打だった。
狂気じみた作戦を実行したのに少女が生きているのは、文字通り、姉の愛が彼女を守ったからに他ならない。
死ぬ気はなかったけれど、瀕死の重傷を負うぐらいは覚悟していたのに。
衝撃がコクピットに伝わる瞬間、物理保護を精密に制御して、エリクト・サマヤは最愛の妹を守り抜いたのだ。
姉の声。
――スレッタ、無事……かい……?
そして実感する。
ああ、自分はこんなにも――愛されているのだと。
そんなこと、もっと早く気づいたってよかったのに。
涙が、スレッタの目からにじみ出た。
『……腹立たしいな。きっと君たちは後悔する……それでもなお、修羅の世界が待つ明日を望むのか』
〈キャリバーン〉からの通信だった。〈エアリアル〉の決死の一撃を食らった瞬間、生じた爆発のエネルギーは凄まじく、ピンボールのように弾き飛ばされた二機のガンダムは今や離ればなれになっていた。
ガタガタのフレームと衝撃のことを考えると、この声自体、〈エアリアル〉の通信機器を介しているかは怪しい。
パーメットを通じた双方向性通信――それを人間の脳とAIユニットが行っているのだ。
辛うじて原形を留めている〈キャリバーン〉の残骸の姿を脳裏に思い描きながら、スレッタ・マーキュリーは呟いた。
「――あなたに救われた命として、その絶望に負けたりなんかしない」
遠い昔、人としての命をくれた兄に対して、祈るようにスレッタ・マーキュリーは答えた。
沈黙。
長い長い静寂のあと、ルイ・ファシネータはこう呟いた。
『ならば……この救われない
――この星に生まれたこと
――この世界で生き続けること
――そのすべてを愛せるように
――目一杯の祝福を君に
ああ、遠い昔。
愚かにも自己犠牲を選べば、それで誰もが救われると思い込んだバカな
そして彼は救われない結末に慟哭した。絶望した。憤怒した。
いつしか、彼は前を向いて歩むことをやめていた。
彼は間違えていたのではない。
ただ報われなかったすべての人が、報われる明日が欲しかった。
流れ落ちるパーメットが、ひび割れた〈キャリバーン〉の眼から放出される。
涙のように、星のように。
『――エリィ、スレッタ。君たちを愛している』
――祈るように、恋焦がれるように。
――悪魔は呟いた。
推奨BGM「祝福」。
最終決戦でした。