――スレッタ・マーキュリーに決闘を挑み、〈エアリアル〉を奪取せよ。
それがペイル社からの指示だった。
どうやら上の方でも、ガンダム疑惑を強めるような何かがあったらしい。
ペイル社上層部の側では〈エアリアル〉を完成度の高いガンダムと認識しており、そのために自分を使い潰すつもりなのだろう。
そのようにエラン・ケレスは現状を認識していたし、実際、それはほぼ正しい現実認識だった。
だが、よりによって決闘で勝て、とは。
こっちを使い捨てにしようという意図を隠そうともしていないな、とエランは思う。
スレッタ・マーキュリーと〈エアリアル〉の性能はこれまでにも何度も確認してきた。
彼女は強い。
だが決して無敵ではない。
彼のガンダムに乗ってパーメットスコア四を出せば、あの〈エアリアル〉とだって互角以上に戦える自信がある。
だが、それはガンダムの呪いによって確実に強化人士の耐久値――人間としての生命活動を削る選択肢だ。
少年を強化人士に改造し、その調整を担当している科学者――ベルメリアに言わせれば、あと二~三回程度の全力戦闘には耐えられるらしいが。
自分に残った人間としての寿命を使い切る勢いで戦わなければ、きっとスレッタ・マーキュリーには勝てない。
あの娘はそれだけの強敵だった。
だからできるだけ情報を集めて、有利な状況を作ってから戦いたい。
そう思って今日も、エラン・ケレスはスレッタ・マーキュリーの元を訪れるのだった。
ミオリネ・レンブランの所有する温室の前にいた彼女に歩み寄ると、向こうから声をかけてきた。
「あ、エランさん!」
「決闘、見たよ。すごかった。三人抜きは僕もやったことあるけど、君はすごく早いね」
「えへへ……ちょっと友達になりたい子が相手だったから、気合い入っちゃいました。まあちょっと、あのあと地球寮の皆さんには怒られたんですけど……」
「格闘戦はフレームの負荷が大きいからね」
「そうなんですけど、ついやっちゃって……あとミオリネさんも勝手に決闘するなってすっごい怒ってて……大変でした……」
モビルスーツの話をしているとき、スレッタは本当に楽しそうに笑う。
そんな彼女の笑顔が、嫌いではなかった。
「モビルスーツに乗るとき、あの……新型ドローンは使わないんだね」
「使う必要がないときは、使わないようにしてるんです」
それはそうだろう、とエランも思う。
比較的負荷が軽いパーメットスコア三とて、搭乗者へのダメージは蓄積される。
何よりあの、脳みそを掻きむしられるような不快感は、できれば味わいたくないものだ。
そんな共感を覚えながら、エランはスレッタに首肯する。
「……そうだね、それがいいね」
同意を示しつつ、慎重に探るように問いかけた。
「ところで君の乗ってるモビルスーツ、見たことない機種だけど……」
その問いを受けた瞬間、スレッタ・マーキュリーが見せた表情は複雑だった。
親愛、郷愁、哀切、苦痛――そのすべてがない交ぜになったような顔になったあと、目を伏せて、
「そのっ……〈エアリアル〉はわたしの……家族みたいなもの、なんです。お母さんが遺してくれた形見で……いっぱいお話しできるAIも積んであって……この子がいたから、わたしは今日まで生きてこられたんだと思います」
「……この機体の設計は、君のお母さんが?」
「はい!」
なんということだろう、とエラン・ケレスは思う。
スレッタ・マーキュリーをガンダムに乗せて戦わせることにした誰か――おそらくはデリング・レンブラン――は最低のクズだ。
母親にガンダムを開発させるだけでもおぞましいというのに、その娘を呪いのモビルスーツの供物に仕立て上げるだなんて。
正気の沙汰ではない。
ましてやそれが、自分の血を分けた子供だと言うのなら、鬼畜の所業と呼ぶほかない。
一体、スレッタ・マーキュリーが何をしたというのだろう。
「エランさん?」
「……なんだい?」
「なんだか、怖い顔してます」
「そうかな……自分ではわからないや」
驚いた。
こんな自分の中にもまだ、義憤のような感情が残っていたなんて。
――それともこの娘に、好意を抱いているから?
朗らかで、明るくて、不幸を背負いながら前を見ようとしている。
そんな姿が眩しくてたまらないのに、目を背けることができない。
不思議な魅力が、スレッタ・マーキュリーにはあった。
「わたし……これまでずっと、やらなきゃいけないけど、やりたくないことをいっぱいしてきたんです。それはすごく苦しくて、悲しくて、逃げ出したいぐらい嫌でした」
呪いのモビルスーツについて触れたのがきっかけになったのだろうか。
スレッタ・マーキュリーは決して明るいとは言えない過去を、淡々と語り始めた。
なんと声をかけたものかとエランが思っていると、スレッタはにっこりと笑った。
まるでひまわりの花のような、周囲が華やぐ笑顔。
「でも今は毎日が楽しいんです! 友達がいっぱいできて! MSの操縦でいっぱい勝ち取れるものがあって! こんなに嬉しいことがあっていいのかなってぐらい――わたしは幸せです」
ふざけるな、と感じた。
それでも少女が今、この学園での暮らしを楽しんでいることは伝わってきたから、自分の感情を押し殺して、エラン・ケレスは努めて穏やかな声を出した。
「そう。よかったね」
「エランさんはっ、どうですか? 学校って、楽しいですか?」
「僕は――どうだろう。自分では何にもないつもりだったんだけどね。もしかしたら、違ったのかも」
「よかった、です。その、楽しいのが一番ですから」
そう、最近は違うかもしれない、と思う。
多分、その転機になったのは眼前のスレッタ・マーキュリーの存在だ。
ガンダムの使い手、その呪いを一身に浴びるもの、強化人士であるかもしれない少女。
そういうものへの共感と好奇心で近づいたはずなのに、いつの間にか、発端の理由とは異なる理由で――安らいでしまっている自分がいる。
「そういえば、エランさんって……た、たたっ誕生日、いつなんですか!? そ、その、よかったらお祝いを――」
「誕生日……」
忘却したもの、廃棄されたもの、破壊されたもの。
脳神経のパーメット耐性をあげる手術の副作用――焼け付いた記憶、自分の名前も顔も過去も思い出せなくなった。
すべてを失ったという実感。
脳裏をよぎる幻影。
――揺らめく
何もない。
痛みを感じるべき過去すらも。
その虚無に満ちた心情を言葉にすることはなく、ただ、受け流すと決めた。
「誕生日、わからないんだ。ごめんね」
平坦な声音のはずだった。
それでもスレッタ・マーキュリーは何かを感じ取ったようで、申し訳なさそうな顔になってしまう。
ああ、そんな顔をさせたくなかったのに。
「……ごめんなさい、無神経なこと訊いちゃいました」
「僕もこの前、そういう質問したよ。これでおあいこだ」
最初、きょとんとしていた少女は、やがてくすりと微笑んで。
「……ふふっ、そうですね。これでエランさんとおあいこです」
やはりこの娘には、笑っている顔がよく似合う。
そう、エラン・ケレスは思った。
思ってしまったのだ。
そして何を思ったのか、突然、スレッタは意を決した様子でエランに向き合って、こんな提案をしてきた。
慌てすぎて舌を噛んでいたけれど。
「あっ……あぁぁあ、あのっ、にっ、にに、二週間後の土曜日、お時間いただけませんか?」
「えっ?」
「その、やっぱり……限られた時間お話しするだけじゃ、わたし、よくわからなくて。だから、もっといっぱい、エランさんのことが知りたいんです!」
要領を得ない話だったので、なんとなく尋ねてみた。
本当に他意はない問いだった。
「それって……デートってこと?」
そう尋ねた途端、スレッタ・マーキュリーは頬を真っ赤にして硬直した。
そこまで考えていなかったらしい。
「で、でで……あぅ…………」
しばらく押し黙りうつむいたあと、意を決して顔を上げた少女の目には、力強い勇気が宿っていた。
その頬は熟れた林檎のように赤くなっていたけれど。
「そ、そうとも言います……その、ど、どど、どぉでしょう?」
「いいよ」
即答した。
断る理由がなかったからだ。
エラン・ケレスとは、そういう天然ボケの少年だった。
かくしてスレッタ・マーキュリーは生まれて初めて、男の子とのデートの約束を取り付けることに成功した。
そして了承してから、エランは自分自身に困惑した。
――僕は何をしているんだ?
これから決闘を挑むべき相手に絆され、二週間後のこともわからないのに約束してしまうなんて。
自分の心の働きがよくわからなくて、エラン・ケレスは戸惑っている。
そのはずなのに、胸の鼓動は弾んでいた。
◆
某宙域を航行中のMS運用母艦――ドミニコス隊所属〈ユリシーズ〉、そのMSハンガーにて。
二人のパイロットが、連絡用通路の壁にもたれかかって雑談に興じていた。
今日の話題はずばり、ヴァナディースの魔女の怪談だ。
「そういえば、噂じゃヴァナディースの魔女たちはまだ生きてるっていうぜ?」
「生き残りがガンダムを作ってるって話か?」
「いや、そっちじゃない。ヴァナディース事変で死んだはずの科学者たちが、悪霊になって生き延びてるって言うんだ」
「へぇ、オカルトかよ。この宇宙時代に?」
違う違う、と手を振る隊員。
彼は如何にも怪談を語るという口調で話を続けた。
「それがよ、ヴァナディースの魔女たちは、パーメットを使って永遠に生きる方法を探してたらしいぜ? それでヴァナディース事変で命を落とした連中は、その研究を使って今でも生きながらえているんだと」
「どんな与太話だよ、またオカルトサイトに入り浸ってるのか?
「おいおい、少しは信じたって――」
そのとき巨体の持ち主が二人の会話をさえぎった。
「いいや、くだらん噂話だな」
「け、ケナンジ司令!!」
「ご苦労様です!!」
途端に立ち上がって敬礼するMSパイロット二人を横目に、ケナンジ・アベリーはため息をついた。
どうにも最近の若い連中は、なんでもガンダムをオカルトの塊にしたがる。
GUNDは所詮、医療用サイバネティクスに過ぎなかったし、それを応用したGUNDフォーマットも副作用が大きすぎただけの新技術に過ぎない。
ましてやその研究者たちなど、ただの科学者の集まりだった。
まかり間違っても悪魔崇拝者などではない。
「あそこにいたのはオカルトの魔女なんかじゃない。ただ自分たちの研究がどれだけ多くの人間を傷つけてるか、無自覚なマッドサイエンティストたちがいただけなんだよ。殺せば死ぬような、当たり前の人間だった」
幼い子供にバースデーソングを歌ってやるような普通の父親が、倫理的ブレーキを欠いたモビルスーツを地球圏にばらまく所業に加担する。
あの日あのとき、ヴァナディース事変のとき、そこにあった地獄とはそういうものだったのである。
今はここにいない少女――
だからこそケナンジは、当時を知るものとして、それを面白おかしく脚色するような真似を部下たちにさせたくなかった。
「もし、肉体を失っても生きてるような奴らがいたら、そりゃあ
それだけが教訓めいた真実だった。
◆
しばらく話し込んだあと、エラン・ケレスとスレッタ・マーキュリーは別れた。
空は夕焼け空を模したオレンジ色。
あらゆるものの影が濃くなっていた――大昔の人間が
電動車両でペイル寮への道を移動している途中、
ハンズフリーでAIが通話モードに設定すると、聞こえてきたのは――
『こんにちは、エラン・ケレス』
――知らない声だった。
若い男の声。
まるで少年のようにあどけない印象。
『私は君を救いに来たんだ』
「……誰だい? イタズラなら通報するよ」
ブレーキを踏んで車両を停止させる。
まさかペイル寮の筆頭に悪ふざけするとはね、とエランは思う。
早くフロント管理部に連絡して、フロント自治警察に委ねてしまうのが一番だろうと、別口で通報用のウィンドウを立ち上げたときだった。
声の主が、エラン・ケレスが凍り付くような言葉を口にしたのは。
『ペイル社につけられた首輪を外そう、強化人士の少年よ。本来、呪いには
馬鹿な、と思う。
ペイル・テクノロジーズが手を出した禁忌の人体実験、強化人士計画は最高機密のプロジェクトだ。
提唱者であり技術者であるベルメリアと、それを推進してきた共同代表四人、そして本物のエラン・ケレスぐらいしか知り得ない。
――こいつは誰だ?
――どうやってその情報を手に入れた?
――何故、交渉するなら共同代表たちではなく、末端の駒の自分に声をかけてきた?
わからないことだらけだった。
「…………何が目的?」
声の主は問いに答えることなく、ただ
呪うように、祝うように。
エランを誘って。
『――君はもう、ガンダムの呪いに怯えなくていい』
◆
スレッタ・マーキュリーは浮かれに浮かれていた。
だって初めての男の子とのデートなのだ。それも結構仲良くしてくれている
これまでの一七年間を水星の資源採掘基地とドミニコス隊で過ごしてきた結果、がさつな男所帯に揉まれに揉まれて育ったスレッタ・マーキュリーは、少女漫画みたいな恋に憧れていた。
そして今のシチュエーションはそのものズバリであった。
正直、胸がときめく。
自分がろくな私服を持っていないことに気付き、とりあえず通販で何か見繕うべきか、ミオリネあたりに相談すべきか悩み始めていた頃。
突然、地球寮のMSハンガーに来客があった。
同時に
『スレッタ・マーキュリー……』
「あっ、エランさん……どうしたんですか、こんな時間に?」
先ほど別れたはずの彼が、地球寮にまで足を運んでくるなんて、珍しいこともあるものだと思った。
何か急用でもあるのだろうか、と扉を開けると――少年はつかつかとスレッタに歩み寄ってきて。
その緑の鬼火のような瞳で、じっと少女を見つめた。
何の表情もない人形めいた顔。
「……僕は君に決闘を申し込む。君が賭けるのは〈エアリアル〉だ」
「えっ?」
硬く強ばった声。
彼の目を見た瞬間、スレッタ・マーキュリーは動けなくなった。
そこにあった粘ついた嫉妬と憎悪の深さに、飲み込まれてしまったのだ。
「決闘は一週間後、僕が勝ったときには――そのガンダムをいただくよ」
――あらゆる好意が反転したような負の感情。
――裏切られた怒りに満ちた瞳が、スレッタを見ていた。