――あのドローン襲撃事件の日から一ヶ月半もの時間が経とうとしていた。
スレッタ・マーキュリーは今、再びアスティカシア高等専門学園の土を踏んでいた。正確にはその宇宙港に到着したところで、無重力ブロックだから足は地面についていないのだけれど。
学園を襲ったテロ事件も、直接的な被害は学園側に一切なく、被害はフロント管理社のMS部隊に集中していたから、存外、学園に変わった様子はなかった。
だが、見るものが見れば、MSメーカー大手ブリオン社の輸送船が多いことや、いつもより多い警備のMSの姿に気付くだろう。
おそらくは補充のMSの納入に来た業者の船だった。
フロント管理社は余所から人員をかき集めて、警備体制の立て直しと戦力の充足に追われているようだった。
無理もない。
六〇メートル級の戦術ドローンが編隊を組んで、ドローン子機を含めたフル装備で襲ってくるなど普通はあり得ないことなのだ。
学園の生徒たちに実感はないだろうが、フロント管理社が負った傷は大きいはずである。
それでも宇宙港そのものにはピリピリした空気はない。
誰もが努力して日常を維持しようとしているのだと察せられた。
「……そっか」
これもまた、スレッタが選んだ道で流された血だった。
エラン・ケレス――強化人士四号をペイル・テクノロジーズに引き渡していれば、少なくとも、このような犠牲はなかったのだから。
彼女に後悔はない。
自分は正しいことをしたと信じている。
だが、その選択によって失われた命を忘れてはいけないと思った。
ベネリット・グループ本社フロントからアスティカシア高等専門学園までの航路はそこそこに時間がかかった。
〈エアリアル〉の整備点検――被弾した装甲や駆動系の一部などは予備部品と交換してもらった――が終わるのを待っていたこともあり、謹慎処分を兼ねた出発までの二週間、スレッタは手持ち無沙汰だった。
ようやく準備が終わってからも今度は学園までの長い旅路があり、輸送船の簡易シャワーとベッドはあまり居心地がいいとは言えないものだった。
もちろんこれは「アスティカシア高等専門学園の自室の居心地の良さに比べれば」と条件がつく。
ベネリット・グループが誇るMS輸送船が、特別、劣悪な住環境だったわけではない。
むしろ機内食も
贅沢に慣れちゃったのかな、とスレッタは思う。
――いつのまにか、当たり前の基準がズレちゃったみたいだ。
この学園での時間は、スレッタ・マーキュリーにとって居心地がよかったのだ、と実感する。
飾り気のない長袖のシャツにジーンズ姿のスレッタは、宇宙港に併設された更衣室――公共施設としてAI制御の監視カメラつきの個室が用意されている――に入って、すぐ学園の制服に着替えた。
落ち着いた色調のグリーンの制服は、
袖を通し終えてすぐ、生徒手帳に着信音。
学園のローカルネットワークの通信圏内に入ったせいか、これまで溜まっていた膨大なメッセージが受信されていた。
目にも留まらぬ速さで流れていく通知に、スレッタは恐怖した。
「うひぃ!? え、えと……フィルター、交友関係限定で……」
音声操作によって端末のAIが自動設定し、スレッタと比較的関わりがある人物からのものだけをピックアップしていく。
ざっと見ていくだけでもすごいテキスト量だった。
「ひっ……!!」
ミオリネからのメッセージが一二八件溜まっていた。
多すぎる。学園を空けていた期間なんて精々、四二日間ぐらいなのに。
一日に三件くらいは送られていた計算になる。
心配してくれていたのはわかるし、嬉しいのだが、ちょっとこれは怖い。
ミオリネさんらしいな、ということにしておく。
メッセージを見るのはめちゃくちゃ怖いので、後回しにしておくけれど。
そうしてメッセージを確認しながら歩いていたスレッタと、フロント外作業実習を終えたばかりであろう、パイロット科の生徒がすれ違った。
面識のない生徒だったので、軽く会釈するに留めて通り過ぎようとした。
しかしこれがよくなかった。
それまで友人との会話に夢中だったその生徒は、スレッタ・マーキュリーの顔を見た瞬間、目を大きく見開いて。
叫んだ。
「
え、誰だろうこの人。
スレッタが固まっていると、パイロット科の生徒たちは
そこには熱狂があった。歓喜があった。ヒーローの登場をよろこぶ子供のような情熱があった。
――友達狩りのバーサーカー。
――テロリストのドローンを撃退したホルダー。
――曖昧な態度で学園のプリンス二人をキープする
その一報は瞬く間に、アスティカシア高等専門学園中の
「マジか……テロリストを返り討ちにしたっていうあのっ!?」
「
「グエル様と氷の君を
『〈
『
『帰ってくる……俺たちの
『実習なんかしてる場合じゃねえ! すぐ帰還する!!』
そう、パイロット科、メカニック科、経営戦略科――そんな垣根を越えて、あらゆる学年の生徒たちがその報せに歓喜し、恐怖し、喝采した。
その意味のわからない勢いに気圧されて、スレッタ・マーキュリーは本気でびびった。
「ひぃいい!? な、ななな、何なんですか、これぇ!?」
ぞろぞろと人が集まり始めたあたりでただならぬ事態に気付き始めたスレッタだったが、どうしようもない。
モビルスーツである〈エアリアル〉はMSコンテナ用の輸送路を通じてMSハンガーに送られる手はずだったし、流石に学園にまで武器は携行していない。
だらだらと冷や汗をかきながら、衆目を集める自分がどう逃げたらいいか思案して。
「……ひょっとして、困ってる?」
聞き慣れた少年の声を聞いて、びっくりした瞬間には手を優しく掴まれていた。
「こっち。ついてきて」
「は、はい!」
なんだろう、自分は夢でも見ているのだろうか。
学園で人を殺してしまった後ろめたさや、二度と受け入れてもらえないのではないかという不安で胸がいっぱいだったのに。
二度と会えないかもしれないと覚悟していた少年が、こうして自分の手を引いているなんて。
人垣から逃れるように通路という通路、エレベーターというエレベーターを駆使して逃げた末に。
アスティカシア高等専門学園の居住区へ続く長距離エレベーターに二人で入って、ほっと一息ついた。
あらためて少年の顔をまじまじと見つめた。
色素の薄い髪、端整な顔立ち、どこか憂いを秘めた瞳――間違いなく彼は、〈ファラクト〉に乗って激闘を繰り広げた彼だった。
どう声をかけたか迷っていると、少年はぽやっとした雰囲気のまま、すごいことを言い始めた。
「そうだ、僕は新しく編入してきて君と初対面の
一瞬、そういうジョークなのかと思った。
だが、エランは真顔のままだった。
スレッタはボケに耐えきれなくなった。
「…………安直!!!!! 安直すぎる名前ですよエランさん!?」
どちらかというとツッコミをされる側の天然であるスレッタ・マーキュリーも、流石にそれはどうかと思うと突っ込まざるを得ない。
そうだね、とエラン――かつて強化人士四号と呼ばれていた彼はうなずいた。
「もうエラン・ケレスじゃないからね。本名は忘れちゃったから、一番覚えやすい名前にしてみたんだ」
「え、えぇー……
「うん、覚えやすいからね」
エラン・ケレス改めエラン・フォースの顔に憂いはない、自嘲もない。
本気で覚えやすくて便利な名前にしてよかったと思ってる顔だった。
「それとも、アラン・ケレスとかの方が良かったかな?」
「なんで絶妙にパチモンっぽいんですか、エランさん……」
ダメだ、この人ネーミングセンスがよくわからない。
自分も大概なセンスの持ち主であるスレッタ・マーキュリーは、そうして戸惑っていたのだけれど。
エランは穏やかな表情のまま、いきなり不意打ちしてきた。
「君が、よく
殺し文句である。
スレッタ・マーキュリーの乙女心にきゅんきゅん来たのは言うまでもない。
褐色の頬を火照らせて、スレッタは身をよじらせた。
少女は今、恥ずかしいような嬉しいような気持ちで胸が満たされている。
「そ、そそそ、そうなんですね!? こ、ここここ、光栄でっす!?」
「うん。君のおかげだよ、ありがとう」
そのとき、エレベーターが地上への到着を知らせた。
顔を真っ赤にしてエレベーターを降りたスレッタを待ち受けていたのは、何故か仁王立ちしている背の高い少年だった。
もちろん見覚えがある大事な友人であった。
「こいつとまともにやり合うな、スレッタ・マーキュリー」
ぬっと現れた巨漢の名はグエル・ジェターク。
何故かインナー姿にジャケットを羽織るのが定番になっている少年である。
「ぐ、グエルさん!! お、お久しぶりです!」
「ああ、久しぶりだな……そいつは万事が万事、その調子だぞ。俺はもう疲れた……」
「グエルさんってツッコミ側だったんですね……てっきりツンデレ属性だけかと……」
「ツン……デレ……? おい、なんだその単語、お前、俺のことをなんだと思ってるんだ?」
「はわわわ、違うんですグエルさん! これは乙女ゲームの知識でちょっと皆さんを分類しただけで他意はないんです!」
「わけがわからんこと言い始めたな!?」
ちなみにエランはクール系病み王子様に分類されるらしい。
スレッタ・マーキュリー、一七歳。素でゲームと現実の区別がついているか微妙に怪しい天然であった。
「仲いいね、二人とも」
「エランさんもお友達ですよ!? 拡げましょう、友達の輪を!」
「友達狩りはやめろ、フェルシーが怯えていた」
スレッタはショックを受けた。
「そんな……わたしは皆さんに笑顔でいて欲しくて……」
「笑顔を理由にMSで襲ってくるのは恐怖しかないだろ、ホラー映画か?」
「君らしいね、スレッタ・マーキュリー」
このままだと形勢が不利だと悟って、スレッタは男子二人に別の話題を振ることにした。
「そ、それはそうとエランさん! 結構早めに学園に戻ってこられてよかったです!!」
「今でもちょっと呼び出しはあるけどね。学園の方で聞き取りやってくれることになって、負担は減ったよ」
「よ、よかったです……! わたし、もう会えないかもって思ってました」
ちょっとした軽口のつもりだったのである。
しかし場の空気が明らかに重くなったのに、スレッタは気付いた。
「……あれ?」
苦虫を噛み潰したような顔で、グエル・ジェタークが口を開いた。
何言ってるんだこいつ、という顔だった。
「二度と会えないような空気出しておいて一ヶ月半で戻ってくるお前も大概だと思うぞ……」
「うっ」
「うん、あのときは今生の別れっぽかったよ」
「ううっ」
そこを突かれると返す言葉もなかったので、勢いで乗り切ることにした。
「あ、あのときは! わたしだって本気でお別れを覚悟してましたよ!
「…………深掘りしない方がいい話題みたいだな」
「そうだね、やめようか」
そういうことになった。
◆
地球寮に近づくのは、ものすごく勇気が要ることだった。
ミオリネの温室を経由してから行ってもいいと思ったが、いきなりミオリネ・レンブランに出くわしたら、それはそれで重たそうなので後回しにした。
かくしてスレッタ・マーキュリーは、グエルとエランという学園の二大イケメンを騎士にして、ゆっくりと抜き足差し足で地球寮に――
「おい、スレッタ・マーキュリーが帰ってきたぞ!! 開けてくれ!!」
「うっぴゃあああ!? ぐぐぐ、グエルさん!? こ、こここ、心の準備ができていません!!!」
「お前の準備ができるのは何年後なんだ?」
「ご、五〇億年後です……」
「すごいね、太陽の寿命が尽きるよ」
バカみたいなコントを繰り広げていると、どさっ、と荷物を取り落とす音がした。
「スレッタ……?」
「……お前」
振り返ると、そこにはミオリネ・レンブランとチュアチュリー・パンランチが買い出しの荷物を手に立っていた。
いきなり顔を合わせづらい二人である。
ミオリネ――メッセージから情念まで万事がすべて重い説明不要の姉(偽物)。
チュチュ――あのビームライフルでの射撃以来、まともに言葉を交わせずに別れた。
つまり気まずい相手である。
しばらくうつむいたあと、口火を切ったのはチュチュだった。
「帰って……きたんだよな……?」
「はい、その……」
「…………あのな、この前の、事件のとき……その……」
「はい……」
チュチュは深呼吸して、覚悟を決めて。
そうしてようやく、言いたかった感謝の念を伝えた。
「――みんなを守ってくれて、ありがとな」
スレッタは一瞬、自分が何を言われたのか理解できなくて。
すぐに胸がうれしさでいっぱいになった。
「……えっと、その、ありがとう、ございます」
「ばっ、なんでお前が礼言ってるんだよ! あーしがもう言ったろ!」
「で、でで、でも! わたしだってすごく嬉しかったので! お礼、言っちゃいます!!」
変らない距離感があり、変らないやりとりがあった。
たったそれだけのことがとても嬉しくて、涙が出てしまいそうだ。
「よかったわね、スレッタ……」
その光景を後ろから眺めるミオリネは、どこか満足げだった。
彼女の横に近づいて、グエルが尋ねた。
「よかったのか、お前は声をかけなくて」
「いいのよ、私は姉だから。友達同士のやりとりを邪魔するほど無粋じゃないわ……あとでたっぷり時間取るんだし」
「お前も大概、重たいやつだな……」
「はぁ!?」
そのときだった。
大型MS用トレーラーの走行音がした。
自動運転でここまで運ばれてきたのであろう、〈エアリアル〉の乗ったトレーラーだ。
規定の位置で停車した車両が「メカニック科の生徒はMSハンガーへ移動させてください」と規定のアナウンスを流す。
もっとも地球寮の他の面子は各々が自由時間で不在らしく、困ったことにメカニック科の生徒が足りないのだが。
移動させようにもその手の資格がある人間が足りない。
どうしたものかとパイロット科四名と経営戦略科一名で悩んでいると――大型MS用トレーラーに横たわった〈エアリアル〉が、突如として起動したのがわかった。
取り憑いている
嫌な予感がした。
「あ、あはは……あの、わたし、MSに乗り込んで準備だけしちゃいますね?」
そう言ったときだった。
西暦時代の古いアニメソングが、突如として〈エアリアル〉の外部スピーカーから流れ始めたのは。
明るくポップな感じの曲だった。
その歌詞を文字に起こすと、このようになる。
――君は誰とキスをする
――わたし それともあの娘
――君は誰とキスをする
――星を巡るよ 純情
(中略)
――キミは誰とキスをする
――キミは誰とキスをする
――君は誰とキスをする
――わたし それともあの娘
――たったひとつ命をタテに
――いまふりかざす 感傷
――たったひとつ命をタテに
――いまふりかざす 感傷
なおこの場にはグエルもエランもミオリネもいたのは言うまでもない――ちなみにチュチュは「うるせえから止めろスレッタァ!」と怒鳴っている。
三人とも顔を見合わせて、この
何者かの邪悪な意思を感じざるを得ない、気まずすぎる曲のチョイスであった。
もはや天才的な煽りと言えよう。
そしてスレッタの姉は、そういうことをする人種だった。
「――エリクトォオオオ!!!!!!!!」
スレッタはキレた。
作品コード 148-8887-4
挿入歌はトライアングラー(マクロスF)だッ!
エラン・ケレス(強化人士四号)はエラン・フォース表記になります。
次回で長かったエラン編も一区切りです。