「あのー、ミオリネさん知りませんか? なんか今日見かけないんですけど」
朝のことである。
スレッタ・マーキュリーが地球寮の皆に尋ねると答えたのはチュチュだった。
食卓の席に座って、温めたパンにバターを塗りつけている真っ最中だ。
先のテロ事件で一度は距離ができた二人だったが、再会時の仲直りを経て、以前よりぐっと距離が縮まっている。
「ミオリネならシャディク・ゼネリってやつと一緒に本社フロントに向かうってよ。なんかプレゼンやってくるんだって。何日か学園休むってよ」
チュチュの言葉に、スレッタはショックを受けた。
「わ、わたし何にも聞いてないですよー!?」
「心配かけたくなかったんだろ、ミオリネってよ、頑固親父みたいなところあるじゃねーか」
「た、たしかに……」
本人が聞いたら怒り出しそうな人物評だが、チュチュの言に納得してしまうスレッタ。
そしてチュチュは、パンにバターを塗りながらさらっととんでもないことを言うのであった。
「あー、なんかな。スレッタを守るために会社立ち上げるとかなんとか、小難しいこと言ってた」
「ひええええぇ!?」
重い、重すぎる。
スレッタの悲鳴が地球寮に木霊した。
◆
――ベネリット・グループ本社フロントにて。
集まる人数に対して広すぎる会議場で、ミオリネ・レンブランとデリング・レンブランは顔を合わせていた。
親子の対面である。
しかしピリピリと張り詰めている空気は、到底、そのように感じられるものではなかった。
「最初に言っておこう、ミオリネ――
開口一番、デリング・レンブランが唱えたのはミオリネの感情を逆なでするような台詞だった。
いきなり何を言い出すかと思えば、そこまでスレッタのことを虐げたいのか、この男は。
「――っ!」
ぐっと下唇を噛んで言葉を堪えた。
気を抜いたら罵詈雑言が飛び出てしまいそうだったが、今日はそんなお遊びをしている暇はないのだ。
黙ってうつむいていると、会議場に人が集まってきた。
最初の一人は、ミオリネと同年代の美しい少年だった。
学園で見慣れている顔に、見慣れない表情を貼り付けた少年――いわゆる本物のエラン・ケレス。
「どうも、ペイル社新代表のエラン・ケレスです。ミオリネ様、以後お見知りおきを」
如何にも紳士的な態度を作っているタイプという感じ――本能的に相容れないと察して、ミオリネはにこやかな笑顔で「こちらこそ」と返すに留めた。
なるほど、いつものエランの方を友達に選んだスレッタはいい趣味をしている。
少なくともこっちのエランの一〇〇〇倍はマシだ。
デリングの副官ラジャンが口を開いた。
「ヴィム・ジェターク様は急用により欠席なさっています。サリウス・ゼネリ様は――」
急な招集だったから、間に合わずに欠席の人間が出ても仕方がない会合だった。
偶然、本社フロントに居合わせたエラン・ケレスが出席しているのは、単に彼の立場が今、御三家で最も弱いからだ。
多少の無理をしてもデリング・レンブランの覚えをよくしなければ、自分の首が危ういポジションにいる人間であった。
そのとき、サリウス・ゼネリとシャディク・ゼネリが連れ立って入場してきた。
「今着いたところだ。デリング、話を始めろ」
「ミオリネ」
デリング・レンブラン総裁に促され、ミオリネはプレゼンを始めた。
「本日、総裁と御三家の皆様に集まっていただいたのは、ベネリット・グループの今後に大きく寄与するとある提案のためです」
「御託はいい、本題に入れ」
デリング・レンブランにせっつかれたが、ミオリネは微笑みを崩すことなく一礼した。
腹の底でどう思っていようと、それを見せない覚悟が彼女にはあった。
「私が提案するのは、新型GUNDフォーマットの運用・管理と、その安全性のPRを行なう新会社の設立です」
スレッタが乗っているモビルスーツ〈エアリアル〉がガンダムであり、デリング・レンブラン肝いりの無害なGUNDフォーマットによるものである――シャディク・ゼネリの口からミオリネにもたらされた情報。
乗れば死ぬ呪いのMSに実の娘を乗せるなど、正気の沙汰ではないが――どうにもデリングの真意は、〈エアリアル〉が呪いを克服したガンダムであることらしい。
そしてそれが、スレッタの母親が成し遂げた偉業であることも。
――すべてのガンダムを滅ぼすために戦う。
何故、スレッタがそんな戦いに足を踏み入れたのか、今のミオリネならわかる気がした。
それはきっと、母親との絆を
危険なガンダムの呪いの産物を母親の形見と一緒にされないために、彼女は今まで戦ってきたのだろう。
「現在、ベネリット・グループは大きな変革期にあります。総裁が新型GUNDフォーマットの存在と開発をお認めになったのも、その大きな流れの一つでしょう。しかし残念ながら、GUNDフォーマットのイメージは到底、いいものとは言えません」
ミオリネが言葉を句切ると、それを待っていたかのようにシン・セー開発公社の企業ロゴのホログラムが浮かび上がった。
シン・セー開発公社の代表ルイ・ファシネータ。
自身の姿一つ見せない極度の秘密主義者、デリング・レンブランの隠れ蓑としてガンダム開発を進めてきた陰の立て役者である。
彼の発言はミオリネの言を肯定するものだった。
『たしかに我々、シン・セー開発公社の方でもその件は憂慮しておりました。二一年前のヴァナディース事変以降、危険な旧式GUNDフォーマット利用MSの駆逐のため、閣下とドミニコス隊は尽力してきました。しかし、今では民衆はガンダムの何が悪であったのかを忘却し、いたずらに呪いなどというレッテルを貼るばかりです。この風評被害の影響は無視できません。スレッタ・マーキュリーによるテスト運用の際にも、支障が出ておりました』
「ガンダムが危険なのは風評などではない。だからこそ我々は長年、GUNDフォーマットの利用を規制し、魔女狩りを行なってきたのだ。デリング、あらためて問おう、何故ガンダムの研究を進めた?」
食いつくように反論するサリウスに対して、デリングの言葉は手短だった。
「サリウス。私の答えは同じだ――我々がこの平和を維持するには力が必要だ。新しいGUNDフォーマットはそのための手段に過ぎん」
三人の口論に脇道がそれては敵わない。
しかし会話内容自体は都合がいいものだったので、ミオリネは言葉を続けた。
「ルイ代表とサリウス代表、そして総裁のお言葉が証明しているのです。そもそもガンダムの呪いという概念が
一旦、言葉を句切って間を作った。
「GUNDフォーマットに関する話題で、呪いと呼ばれる事象は二つ存在します。一つはデータストームによる過負荷が、搭乗者を死に至らしめる現象――これは二一年前、ヴァナディース事変のときの総裁の演説にも出てきた概念です。搭乗者を死に至らしめる兵器など、呪いに等しい。まさに総裁のお言葉通りです」
ここまでは事前に考えてきたとおりの流れだった。
いいぞ、と自分を鼓舞して、ミオリネはプレゼンを続ける。
「もう一つは、そもそも医療用サイバネティクスに過ぎなかったGUND技術と、それを軍事転用したGUNDフォーマットが同一視されていることです。本来、両者はまったく異なる概念であるにもかかわらず、後者だけが大きく取り沙汰され、結果としてガンダムの呪いという概念が生まれました。つまりガンダムの呪いとは、データストームによって搭乗者が死に至らしめられるという事象と、GUND技術がGUNDフォーマットとして軍事転用されると強力な兵器になる、という事象の二つが合わさった概念なのです」
「少し、質問いいでしょうか」
「何でしょう、エラン・ケレス代表」
エランは不思議そうな顔で尋ねてきた。
「ガンダムの呪いは二つの事象が混同された結果である、という主張はわかりました。しかしそれが、あなたの提案する事業とどう関わりがあるのでしょうか? 現在、GUND関係の研究は軍事利用――GUNDフォーマットに一本化されています。仮に混同されているとしても、前者がほぼ存在していない以上、ほぼ影響力はないも同然では?」
「ご質問ありがとうございます。私はまさに、そこが今後、ベネリット・グループがガンダムの実用化を進める上で問題になると考えています。シン・セー開発公社の研究により、搭乗者を死に至らしめる呪いは解決されました。しかし実際のところ、後者のガンダムとは強力な戦闘兵器である、という呪いは残ってしまっているのです。従来この二つはセットで考えられてきましたから、マイナスイメージの払拭は容易ではありません」
この返答に反応したのはサリウスだった。
この集まりの中で最もガンダムの実用化に懐疑的な老人は、保守派として当然の指摘をしてきた。
「仮に倫理問題をクリアしていても、従来のイメージが足枷となってガンダムの実用化は遅れる、と言いたいのだな」
「はい、サリウス代表。ガンダムそのものが、拭いがたい非人道的兵器というイメージで塗り固められてしまっているのです。先のペイル・スキャンダルの影響もあり、世論はガンダムに対して再び悪印象を強めています」
エラン・ケレスが肩をすくめるのが見えた。
元はと言えばあんたの会社のせいなんだからシャキッとしなさいよ、と思ったミオリネだったが、そこで彼女の言葉は止まることになる。
それまで黙って娘のプレゼンを聞いていたデリング・レンブランが口を開いたのだ。
「ならばお前はどう対応する、ミオリネ。この二一年間で魔女狩りの影響力は世論の隅々にまで行き渡っている。お前に何ができる?」
来た、と思った。
ミオリネはこの日のために温めてきた言葉を口にした。
「――
◆
「安全な新型GUNDフォーマットというと――〈エアリアル〉とそのパイロットの存在かな?」
シャディクからの助け船が出た。
ありがたく利用させてもらうことにする。
「はい、現在、実用化されている新型GUNDフォーマット使用MSは、〈エアリアル〉だけです。そしてその長期運用をしていて、肉体的な影響が出ていないスレッタ・マーキュリーの存在は、ガンダムの呪いのイメージを払拭する上で非常に重要です」
『
「はい、ルイ代表」
所有権を譲渡するわけではない、と釘を刺されている。
巨額の開発費をかけたであろう新型MSである、当然と言えば当然のことだが――こうして言葉にされると辛いものがある。
最上はガンダムの所有権をこちらに引っ張ってきてしまうことなのだが、それは最悪、あとから既成事実化して交渉するしかないだろう。
基本的にこちらは、デリング・レンブランの説得以外に道がないのだから。
『いえ、いえ。非常に素晴らしい提案だと思います。我が社と致しましても、粗悪な旧式GUNDフォーマットと同一視されては、上手く行くものもいきませんからね。医療用サイバネティクスGUNDの復活というもう一つの理念も素晴らしい。人道的な研究であるアピールができれば、自ずとイメージも塗り代わっていくでしょう』
「あ、ありがとうございます……ご賛同、いただけるのでしょうか?」
『ええ、もちろんです。僭越ながら私どもも助力させていただきます、ミオリネ様』
やった。
少なくともこれで、父の協力者の一人からは賛同を得られたことになる。
少し気になるのは、ペイル・テクノロジーズ代表の態度だった。
粗悪な旧式GUNDフォーマットのくだりでエラン・ケレスが眉をひそめたのは気のせいではないだろう。
無理もない。
彼はまさにその粗悪な旧式GUNDフォーマットを悪用した前代表たちの煽りを喰らって、人身御供も同然に代表の地位に就かされたのだから。
そして次の瞬間、彼が意地の悪い笑みを浮かべたのを、ミオリネ・レンブランは見逃してはいなかった。
「ルイ代表、その粗悪な旧式GUNDフォーマットの開発部門を買い取ろうとしているあなたが、それを仰るんですか?」
初耳だった。
ペイル・スキャンダルにおいて問題視された問題の部署――ガンダムである〈ファラクト〉の開発と強化人士計画を進めていた先進技術開発部門は、どうやら身売りに出されるらしい。
しかしよりによって売却先が〈エアリアル〉の開発元とは。
例の決闘がドミニコス隊の介入につながり、ペイル・スキャンダルをもたらしたことを考えると、あまりにも皮肉な結末であった。
『失礼致しました、エラン・ケレス代表。しかし私どもは、ペイル社のガンダム〈ファラクト〉に対しても非常に強い関心があるのです。〈エアリアル〉との交戦データを見る限りでも、非常にハイレベルな機体設計がされているように思えます。技術者たちに罪はありません。我が社の新型GUNDフォーマットのノウハウと合わせれば、よりよいMSを生み出せると私は考えているのです』
買収資金は実質的にデリングの懐から出ているのだろう。
経営が傾いており評判も最悪のペイル社にとっては、喉から手が出るほどありがたい申し出のはずである。
それでも思わず嫌味が出てしまったのは、エラン・ケレスの若さなのだろうか――そう思っていると、エランがにっこりと笑った。
嫌な予感がした。
「つまり株式会社ガンダム設立の暁には、〈エアリアル〉と一緒に〈ファラクト〉開発部門のイメージの払拭もしていただけるわけですね」
「ちょ、ちょっと待ってください、それは――」
『事実に反するPRはできませんが、今後の彼らの献身次第でイメージの改善はあり得る――そうですよね、ミオリネ様?』
やられた。
エラン・ケレスとルイ・ファシネータはおそらく最初からグルだったのだ。
ここで〈ファラクト〉開発部門の受け入れを拒否した場合、ルイが態度を翻してくる可能性がある。
当初、スレッタ・マーキュリーと〈エアリアル〉の受け入れだけを考えていたミオリネは、自分の見通しの甘さを突きつけられていた。
「まあまあ、皆さん。まだ株式会社ガンダムの設立が決まったわけじゃないんです。そういう話はあとにしませんか?」
シャディクが場を取りなしてくれた。
どういうわけか今回、彼はミオリネの起業にやけに協力的だった。
シャディクの意図はわからないが、今はとにかくその助けを借りることにする。
「……株式会社ガンダムが設立された暁には検討させていただきます」
「ミオリネ」
そのときだった。
デリング・レンブランが再びその口を開き、ミオリネに鋭い眼光を向けた。
「お前は今、ガンダムの呪いと正面から戦おうとしている。それを御三家の前で宣言する意味がわからぬほど、愚鈍ではあるまい。ガンダムの呪いを払拭するとはそういうことなのだ」
そして逃げ道を残すかのように、こう言い放った。
「お前が逃げるのであればそれでも構わん。スレッタ・マーキュリーはこれまで通り、私が管理し運用する。アレの有用性を最大限に活かすためにな」
「くっ……!!」
ぎりっ、と奥歯を噛みしめた。
そうなればまた、スレッタ・マーキュリーはいつか、戦いに駆り出されるのだろう。
――
どこの誰が、少女に植え付けた呪いなのかはわからない。
だが、ミオリネにできる戦いは、世論と認知を塗り替える戦いだった。
もう二度と、スレッタが戦わなくていい世界を作りたいのなら、危険なガンダムという
この世から旧式GUNDフォーマット=ガンダムという構図をなくして、どこにでもある新規格の操縦インターフェースにまでGUNDフォーマットを陳腐化させる。
どこにでもある重機やMSの標準規格にまでGUNDフォーマットのイメージを塗り替えてしまえば、スレッタが戦うべき
それがミオリネ・レンブランが始めようとしている戦いだった。
そのためならば、少女はいくらでも自分の誇りも尊厳も捨てられる。
覚悟を決めて――
――頭を下げた。
「株式会社ガンダム設立のため、私に出資していただけませんか? ――――
あのミオリネ・レンブランが――父親との不仲は最早、周知の事実である総裁の一人娘が、権力者たちの前で頭を下げて出資を請うている。
ジェターク社の代表こそいないが、ペイル社とグラスレー社の代表がいる前での頭を下げたのである。
身内の情であとからなかったことになどできない、明確な序列の証。
その決意表明の重さは、付き合いの長いシャディク・ゼネリやサリウス・ゼネリが一番驚いていた――エラン・ケレスは愉快そうに目を細めていたが。
「…………」
長い、長い沈黙のあと。
デリング・レンブランは娘からの請願にこう答えた。
「いいだろう――逃げるなよ、ガンダムの呪いから」
それは事実上、了承の意だった。
グラスレーの代表とペイルの代表の前で、デリング・レンブランがミオリネ・レンブランの起業を認めたのである。
具体的な出資額や運営形態については後日、レポートを提出することになった。
会合の終わり、去り際にデリングはこう言ってきた。
「お前が何も知らずにいればいい期間は終わった、ミオリネ。今までそうだったようにはいかんぞ」
「…………できる限り、努力します」
確かな意思を胸に、ミオリネは父の目を見据えて応えた。
どこか満足げにうなずく父親の背中を見送りながら、少女は今、ようやく自分がスタートラインに立てたことを知った。
――それはミオリネ・レンブランの幼年期の終わりであり。
――新たな戦いの始まりだった。