――少年の世界は怒りに満ちていた。
イエル・オグルは呪われた子供なのだ、と言われて育ってきた。
美しい少年だったが、その容姿がまず常人と異なっていた――褐色の肌に金の頭髪。
そしてイエルはとても賢い子供だった。
一を聞いて十を知る、そんな聡い幼子である。
常であれば美徳とされる賢さも、呪われた子供という悪評の前では、噂を補強する要素にしかならなかった。
少年はアーシアンとスペーシアンの
良家の子女であった母が、戦場で望まぬ妊娠をして産まれた子供――暴力行為の被害者が、淫らな女と誹られるのはそう珍しいことではない。
人間が作る社会というのは、似たり寄ったりの歪みを現出させる。
イエル・オグルの母もまた、そういう土着の風習と価値観の犠牲者だった。
少年にとって唯一、幸いだったのは――如何に虐げられようとも、母だけは彼の味方だったことだろう。
それだけが唯一、イエルが記憶している幼少期の優しい記憶だった。
――イエル。
――お前は賢い子だから、きっと。
――幸せになれるよ。
炎。
血と肉。
悪魔の子を産んだ淫売という罵倒。
何がきっかけだったのかは定かではない。
ただある日、積もりに積もったスペーシアンへの憎悪のはけ口として、母子は生け贄にされて。
何の根拠もない身勝手なレッテルを貼られた末、イエルの母は周囲の人間によってたかってなぶり殺しにされた。
殴られて、切られて、刺されて、火をつけられて。
ああ、忘れられるものか。
――断末魔の絶叫。
涙があふれ続ける視界の中。
生きたまま焼き殺される母の姿を目に焼き付けて、「次はお前だ」と言われながら殴られ続けた。
殺してやる。
お前たちを、必ず、殺してやる。
呪うように誓ったそのときだった。
――ずしん、と地響きを立てる巨人の着地音。
イエル・オグルの命を救ったのは、
最新の装備に身を固めた兵士たちと哨戒用のモビルスーツを引き連れた、治安維持を業務委託されたベネリット・グループの私設軍隊。
あまりにも凄惨な蛮行に絶句した彼らは、野蛮なアーシアンたちに容赦しなかった。
――
生涯をかけて復讐してやると誓った男たち/女たちは、あっけなく機銃掃射でなぎ倒され、物言わぬ骸に成り果てた。
現場で唯一の生存者として保護された、虐待を受けていた少年――イエル・オグルはかくしてベネリット・グループの再教育機関アカデミーに送り込まれ、そこで頭角を現すことになる。
少年は天才であり、優れた才覚を持てるものであった。
凄惨な体験による心の傷も、長期にわたるカウンセリングで癒えていき――夢でうなされることもフラッシュバックもなくなった。
ただ、あの日あのとき、少年はとある疑問を魂に刻みつけられたのである。
――何故、この世界はこんなにも残酷なのだろう?
この世界に横たわる理不尽、この世界を埋め尽くす絶望、すべてをこの手で消し去れるのならば。
きっと自分は幸福になどならなくていい。
そう、イエル・オグルは誓って、迷うことなくおのれの道を歩けていた。
――
◆
懐かしい夢を見た。
微睡みから覚めたシャディク・ゼネリ――かつてイエル・オグルと呼ばれていた少年は、ぐいっと背伸びした。
ここ最近、考え事が以前にも増して多くなった少年は、つい寮長の部屋で寝入ってしまったらしい自身を恥じる。
そんな彼に近づいてくる影――美しい長身の少女を見て、シャディクは洒脱な笑みを浮かべた。
「ああ、サビーナ。ごめん、ちょっと眠ってしまったみたいだ」
「最近のお前は張り詰めすぎだ、シャディク。コーヒーは?」
「お願いするよ」
シャディクとその取り巻きの少女たちの関係は複雑怪奇だ。
あるときは姉と弟のようであり、あるときは共犯者であり、あるときは同志であり主従である。
同年代の少年少女の関係としては異様だが、それこそが、かれこれ一〇年以上続くシャディクと少女たちの日常であった。
彼らを結びつけているのは、今ここにあるアド・ステラの歪んだ社会への怒りだ。
シャディクにとって、この世界のすべては支配と搾取のシステムに組み込まれた存在であり、誰もがその呪いの円環の被害者であり加害者でもある。
だからこそ、この仕組みを変えなければいけない。
それが今の彼を突き動かす使命だった。
サビーナの淹れてくれたコーヒーを飲みながら、シャディクは集まってきた取り巻きの女子たちを見回す。
サビーナ・ファルディン、レネ・コスタ、イリーシャ・プラノ、メイジー・メイ、エナオ・ジャズ――全員がシャディクにとって大切な仲間だった。
彼はひとまず、先日のベネリット・グループ本社での会合の結果を五人に伝えた。
「ミオリネは株式会社ガンダムを立ち上げ、デリング肝いりの〈エアリアル〉とペイル社の〈ファラクト〉の管理運用に携わる形になった。ここまでは俺たちの目論見通りだ」
「シャディクも株式会社ガンダムの運営に一枚噛むのが理想……流石」
「ここまでは想定の範囲内か~」
「す、すごいね……」
ミオリネに情報を与え、それとなく〈エアリアル〉を管理する方向へと誘導したのが功を奏した。
ミオリネ・レンブランは頭がいい。
断片的な情報を与えれば、自力でシャディクと同じヴィジョンに到達してくれる相手だった。
おかげでシャディクの目論見通りにことは進んでいた――今のところは。
「よかったのか、シャディク。ミオリネを政治の世界に巻き込むことになるぞ?」
「一度、こうすると決めたミオリネを止めることはできないよ。ならいっそ、こっちで舵取り出来る範囲に来てもらう方が安全さ」
「……ならいいが」
ミオリネに対してはとことん過保護なシャディクらしからぬ采配を、サビーナは訝しんでいるようだった。
「デリングの推進するガンダムの配備計画を監視するって意味でも、義父さんに対して言い訳が立つのがこのプランのいいところさ。現状、他の
「ああ……」
他のやり方というのは、アーシアン過激派武装組織〈フォルドの夜明け〉――スペーシアン流に言えばテロリストということになる――が数ヶ月前に壊滅させられたことだ。
地球企業オックスアースの残党から派遣されていた魔女、ガンダムまでもが殲滅された事件によって、シャディクが使える手駒は大きく減少した。
そうこうしているうちにデリングのガンダム開発の公表で、さらに身動きが取れなくなったシャディクたちは〈フォルドの夜明け〉への援助は続けているものの、武力闘争による解決には見切りをつけ始めている。
残る地球の魔女――生き残っている方のガンダムのパイロットも、契約期間を終えてオックスアースに帰投したと聞いている。
「問題はまず、安全な新型GUNDフォーマットが本物なのか確かめることだ。何らかのトリックで水星ちゃんを長持ちさせてるだけで、実は従来と変わらないガンダムの呪い付きだったらお笑いぐさだよ」
「仮にもデリング・レンブラン自らが推進している機体が虚偽などあり得るのか? 真実が露見したときのリスクが大きすぎるだろう」
「だけど現に、俺たちはペイル・スキャンダルで明らかになった強化人士のような、ベネリット・グループの闇を垣間見ている。デリングが正気かどうかを疑うのもありだと思うね、俺は」
「ホルダーは現時点でも闇しかないっしょ。総裁の隠し子で現役ドミニコスでガンダムに乗る魔女とか、イカレた経歴だって。一七歳の女子のプロフィールじゃないわ、これ」
「ま、水星ちゃんの闇が深いのは俺も同意するけどね――」
コーヒーカップをソーサーの上に置いて、シャディクはため息をついた。
「そもそも新型GUNDフォーマットの開発元、シン・セー開発公社について俺たちは何も知らない。辺境の資源採掘企業を装ったガンダム開発の隠れ蓑だなんて、誰も思わなかったろうからね」
「シン・セー開発公社と言えば、現代表も謎が多いな。公式HPどころか企業広報にも写真一枚ない――シャディクはどう思う?」
「前代表プロスペラ・マーキュリーが魔女の残党なのは確実、なら現代表もヴァナディースかオックスアース関係だろうとは思うけど……ルイ・ファシネータ。彼が何者なのか、調べてみる必要があるようだね」
ともあれ、一歩前進はしたものの問題だらけというのが、嘘偽りない今のシャディクたちの状況だった。
「俺たちの未来が前途多難なのは変わっていないってわけさ。頭が痛いよ、まったく」
そう言ってやれやれと肩をすくめた瞬間だった。
にやり、とレネ・コスタが笑った。
弟の弱点を見つけた姉のような、それはそれは意地の悪い笑みだった。
「へー? でもこの前、ミオリネのショッピングに付き合わされてるときのシャディクは幸せそうだったよねえ?」
「レネ、なんで知ってるんだ?」
「私の彼氏たちの情報網を舐めないで欲しいんだけどぉ? グエルも連れて楽しくお友達ライフってやつぅ?」
ニヤニヤしながら問い詰めてくるレネは、明らかにシャディクの青春を面白がっていた。
そう、世間的な評判と裏腹にシャディク・ゼネリは浮ついた話のない男である。
確かに女の子を口説き落とすような真似はするが、それは大抵の場合、あまり評判のよくない男子/女子と付き合っている女子を穏便に別れさせる口実であり、実際に手を出すところまで行くことはほとんどない。
その過程で相手から決闘を挑まれることもあるが、危うげなく勝ってしまう腕利きのパイロットでもある。
本命以外を口説くときは、別れるところまで含めてスマートな男なのである。
それが本命――幼馴染みのミオリネ・レンブラン相手だとまるでダメな童貞丸出しになるものだから、昔馴染みの女子五人にとっては面白い話題でしかない。
「ほんとさー、シャディクもミオリネ口説くとき、いつもぐらいスマートならいいんだけどねえ」
そうだな、とうなずいて。
サビーナはとんでもないことを言い出した。
「シャディク。ミオリネをデートに誘え」
思考が真っ白になった。
「えっ」
シャディク・ゼネリ、一八歳。
大人ぶってはいるし陰謀ならいくらでもやれるが、本当に好きな女の子には奥手極まる男子の呆気に取られた呟き。
思考停止しているシャディクに対して、サビーナは無慈悲だった。
「革命のためだ、口説け」
「えぇー……」
哀れっぽいうめき声が、アスティカシア高等専門学園・グラスレー寮の寮長の部屋に木霊した。
◆
――ペイル・テクノロジーズ本社フロントにて。
「そういうわけで、今回、君たちに集まってもらったのは他でもない――今後のエラン・ケレスの方針について話し合うためだ」
そう言って出席者――全部で三人しかいないが――の顔を見回したエラン・ケレスは、戸惑うように顔をしかめた。
「うっわー、自分と同じ顔が集まってるのは居心地悪いな、これ。あの婆さんたち趣味悪すぎだろ……」
「自業自得だね」
「こればっかりは四号に同意するね」
「可愛くないドッペルゲンガーだな、お前ら」
エラン・ケレスはやれやれと肩をすくめると、強化人士四号と五号の顔を見た。
端整な顔立ちにポーカーフェイスの四号と、軽薄にヘラヘラ笑っている五号。
同じ顔でもここまで印象が異なるのかと感心するぐらい別人だった。
「ちょっとはこう、関心とかないのか? 自分の今後の運命が決まるかもしれないんだよ?」
「興味ないね」
「その台詞はやめろ四号。会話する気ないだろ」
「ないよ?」
「はっきり言ったな、こいつ……」
四号と五号のコントのようなやりとりを余所に、エランは先の会合――株式会社ガンダム設立について説明した。
株式会社ガンダムなる企業が設立され、その協力企業であるシン・セー開発公社に〈ファラクト〉とその開発部門が売却されるくだりまで話すと、五号はよく食いついてきた。
四号の方が無表情なので反応がよくわからない。
「で、本物のエラン様的には今後の僕たちのあつかいはどうなるんです?」
「もちろん人体実験の被害者として賠償金は支払うさ。今後の人工神経の定期メンテナンスは、シン・セー開発公社で引き続き受けてもらう」
「シン・セー開発公社……ああ、あの〈エアリアル〉を作ったっていう?」
「そっ。俺は一人寂しくペイル・テクノロジーズに囚われて、君たちは晴れて自由の身ってわけさ。シン・セー開発公社がどうあつかうのかは知らないけど、まあペイル社よりはマシなあつかいだろ」
意地が悪い笑みを浮かべて、エラン・ケレスは冗談めかして切実な注意事項を口にした。
「頼むから当分は事故とか怪我に気をつけてくれよ。このタイミングで死なれたりした日には、うちの陰謀を疑われていよいよ終わるからさ」
「ハハッ、生々しい理由だなあ」
ケラケラと笑いつつ、強化人士五号――本名は別にあるものの、顔も声も変えられたのだから表向きは同姓同名のエラン・ケレスで構わないとのたまう少年――は四号に話題を振った。
ネタはもちろん、四号がデートしたという噂のガールフレンドである。
エラン・ケレスから聞いた話を総合すると、そのガールフレンドというのはあのデリング・レンブランの隠し子で、ドミニコス隊の現役隊員で、安全なガンダムの使い手なのだという。
最初にその話を聞いたとき、設定山盛りすぎだろ、と呆れかえったのを五号は覚えている。
「四号がデリングの隠し子と運命の純愛を育んだ結果、僕たちの運命は一変したわけだし? いやー愛ってバカにできないね。持つべきものは
「…………そんな打算で彼女に近づいたわけじゃない」
「ああ、元々は〈エアリアル〉の秘密を探るためだっけ?」
それは単純な事実だったが、四号の機嫌を損ねるには十分な言葉であった。
「……あの子と僕は、
明らかにただの友人以上の情念が込められた呟きである。
「まあ、友達でもガールフレンドでも何でもいいんだけどさ。四号――エラン・フォースには今後もペイル・テクノロジーズの筆頭を務めてもらう。文句はないな?」
「ないよ」
即答である。
あまりにもためらいのない返事に面食らったのは、エラン・ケレスの方だった。
「……俺の立場から言うのもなんだけど、ペイル・スキャンダルでペイル寮の肩身が狭くなった原因の一つには、強化人士計画の露見がある。普通に考えて、ペイル寮にいるのは気まずくならないか?」
「別に。元々、人付き合いもないしね」
四号は涼しい顔でこう言い放った。
大物である。
エランは困惑した。
「……
「
「まず一人称が違うだろ! あの婆さんたちは何を見てこれでイケると思ってたんだよ!?」
エラン・ケレスは頭が痛くなってきたようだった。
そんな二人のコントみたいなやりとりを見て、ケラケラと笑っている強化人士五号は気楽なものであった。
何せ本物のエラン・ケレスのように企業代表の重圧もなければ、四号のようにペイル社のパイロット筆頭として株式会社ガンダムに協力する義理もない。
一番気楽なポジションである。幸いにも強化人士としてみっちりトレーニングしたパイロット技能はあるから、食うに困ることもあるまい。
「それじゃあ、特に希望はないんだな?」
「できれば地球寮に入りたいかな」
「却下」
「四号、完全にスレッタ・マーキュリー目当てで喋ってるだろ」
「うん」
「そこは否定しろよ……!」
エラン・ケレス代表と強化人士五号に突っ込まれつつ、四号が考えているのは別のことであった。
四号の身体には驚くほど異常がなかった。
〈ファラクト〉で決闘を行なう前と同じか、それよりも数値がいいぐらいで、検査担当として連れて来られたベルメリア・ウィンストンが困惑するほどだ。
あの〈エアリアル〉と〈ファラクト〉の決闘のとき。
あれだけの全力戦闘をしておきながら、エラン・フォースに何の異常もなかった理由は明白である。
謎の声――おそらくはシン・セー開発公社のエージェントだろう――の誘いに乗って、〈ファラクト〉に紛れ込ませたプログラム。
――
あのスレッタ・マーキュリーの身体に異常がないのだから、同様のシステムを利用した自分にデータストームのフィードバックがないのも理解はできる。
とはいえ疑問は残る。
当時のペイル社の最高機密であるGUNDフォーマット使用MS〈ファラクト〉の実物を弄らずに、GUNDフォーマットに関するシステムだけを上書きする。
そんなことが本当に可能なのか、MSエンジニアではないエラン・フォースには判断ができない。
実際にパーメットの流入痕――普段は赤い痣と共に苦痛を伴うそれが、穏やかで苦痛のない青い痣になったことは事実だが。
果たしてルイ・ファシネータとその新型GUNDフォーマットことアミュレット・システムが、信用に値するものなのかは別問題である。
得体のしれない技術は、エランにとって、まるで魔法のように思えた。
これから自分が出向くことになる株式会社ガンダムでの業務に、期待と不安が膨らみつつも、彼が考えるのは一つだけだった。
「スレッタ・マーキュリー……」
――僕は君を守れるだろうか?
――この残酷な世界から。