――その日、少年は星を見つけた。
それは一目惚れだった。
疑いようもなく、あの日あのとき、少年は少女に恋をしたのである。
アーシアン
サリウス・ゼネリの養子シャディク・ゼネリ。
それが彼の新しい名前であり、上手く行けば後継者の地位さえ狙える立場だった。
経歴は洗浄されて、彼が本当はアーシアンであることを知るものはほとんどいない。
――好都合だ。
そう、考えていたのは覚えている。
だからベネリット・グループ総裁の一人娘との顔合わせと聞かされても、「上手く懐かせれば利用できるか」と打算の思考しかなかった。
なのに。
一目彼女を見た瞬間から、少年の灰色の世界は色鮮やかなものに変わった。
まるで熟した果実が色づくように、シャディク・ゼネリという幼い少年の心は彼女に見惚れて変わってしまったのだ。
長い銀の頭髪、色素の薄い白い肌、わずかに紫がかった瞳。
この世のものとは思えないほど、その少女は美しくて。
そして第一声がよかった。
「ふーん……あんたがゼネリの養子? いいわ、私の子分にしてあげる!」
思えばこのときから、ミオリネとシャディクの力関係は決まっていたのだ。
美しく傲慢な少女に、それを見上げる卑屈な少年は心底、惚れ込んでしまったのである。
それはまるで、汚泥の中で見上げた光り輝く星。
本当に綺麗だからこそ、泥にまみれた手で触れたくない。
――そんな恋をした。
◆
「そういうわけで、俺も株式会社ガンダムにアドバイザーとして協力することになった。ミオリネは優秀だが実際の企業運営は未経験だ、中々いいポジションになったと思うよ」
グラスレー寮の寮長の部屋。
広々としたその一室で、いつも通りに取り巻きの女子五人を従えて、少年は目論見通りにことが進んだと報告していた。
サビーナがうなずいた。
「上出来だな、シャディク」
「ああ、これでベネリット・グループのガンダム事業に食い込める。株式会社ガンダムには元ペイル社のGUND研究者や、シン・セー開発公社のルイ・ファシネータも関わってきている。諸々の調査をするのにも好都合な身分さ。義父さんへの言い訳も立つ」
どかっとソファーに身を沈めて。
満足げに息を吐いたあと、シャディクはサビーナに尋ねた。
「それで、ルイ・ファシネータについての情報は集まったかい?」
「正直なところ、あまり芳しくないな。新型ガンダムの騒動で一躍、注目の的になったが……驚くほど情報がない」
サビーナは怜悧な顔を少し曇らせて、驚くほど収穫のなかった情報収集の結果を報告した。
「ルイ・ファシネータ。二年前にシン・セー開発公社の前CEOが病死後、その業務を引き継ぐ形で外部から派遣されてきたCEOだ。細々とした噂を集めてみた結果だが――
「ああ、俺も水星ちゃんにそれとなく聞いてみたけれど……彼女も顔を見たことがないそうだよ」
「よくそれで会社が運営できるな……」
「手足になる駒が優秀らしい。前代表プロスペラ・マーキュリーの腹心たちが協力的なのが大きいみたいだね」
何もわからないからは一歩前進して、病的な秘密主義者であり、その弊害が出ていてもそれを改めようとしていない――というプロフィールが得られた。
今はそれでよしとするしかないだろう。
そう思ってシャディクが気を抜いた瞬間である。
いきなりレネ・コスタが爆弾を投げつけてきた。
「それでさー、シャディク? 結局、ミオリネは口説くの? 口説かないの?」
「ははっ、ミオリネの花婿は水星ちゃんだよ、レネ。今さら俺が――」
チッチッチッ、と舌を鳴らしてレネが笑う。
邪悪な笑みであった。
「ホルダーがいい男二人侍らしてどっちが本命か決められないですぅ、とか舐めたこと抜かしてる学園だよ? 多少の浮気とか二股とかは全然ありっしょ!」
「レネ、お前の男は多過ぎだ。せめて五本の指に収まる数に絞れ」
「はー? 五人じゃ私の彼氏には少なすぎるんですけどぉ?」
「一〇人は多すぎる」
「残念、今は一二人で~す」
男子には媚びまくり、女子には辛辣な態度というわかりやすい二面性のレネ・コスタは数多くの彼氏を持っている恋多き少女である。
これは別に革命に必要だからとか諜報の隠れ蓑だからとかではなく、単純にいい男を口説くのが大好きなだけだ。
普通なら破綻して修羅場になるところを、一〇人以上の彼氏を抱えて特に破綻させず付き合っているあたりに、レネの非凡な才能があった。
正直言って世の女子の大半からは「恋人や伴侶の傍にいて欲しくない」と五秒で判断されるタイプである。
「……ミオリネを、か。ずいぶん前に諦めたような話だよ」
「シャディクはミオリネが絡むと本当に
「ミオリネ・レンブランは幼馴染みで、仲も悪くないって聞いてるけどなんでー?」
「レネ、メイジー、言い過ぎだ」
「はは~ん、サビーナも気になってるくせにさあ」
「くっ」
少し頬を赤くして黙り込むサビーナ。
そんなに自分の恋愛事情は面白いだろうか、とシャディク・ゼネリは思う。
何もかも、まるで面白みのある話ではない。
そもそもシャディク・ゼネリが本当にミオリネを口説くつもりなら、絶好の機会は少し前にもあったのだ。
スレッタ・マーキュリーが皆に別れを告げて、姿を消した一ヶ月半。
あのとき精神的に参っていたミオリネを口説き落として、自分に依存させる手だってあった。
そうしなかったのは、単にそんな方法でミオリネを穢したくなかったからだ。
もっと言うならば――そもそも、少し前の前ホルダーの時代、グエル・ジェタークが花婿だったときにも機会はあった。
そのすべてで、シャディクは自らの好機をなかったことにしている。
――わかっていた。
あの父親の用意した箱庭に囚われているミオリネ・レンブランが、本当は誰かの助けを必要としていたことを。
不器用な少女は強がってばかりで、「助けて」の一言すら言えないのだということも。
わかっていたのである。
それでもシャディク・ゼネリは手を差し伸べようとしなかった。
結局のところ自分には、この美しいものに触れる資格がないのだという諦念が染みついていた。
自分はいつか、この歪みきった社会構造を正すために、流血を覚悟してテロリズムに手を染めるだろう。
そんな人間が、彼女に触れていいはずがないと思った。
だからミオリネの声なき助けを求める表情を無視して、あと一歩、踏み込む勇気を持たなかった。
ならば今はどうだろう。
もう武力による革命は叶いそうにない今ならば、あるいは。
本当に狙うべきはデリング・レンブランの後継者、ミオリネ・レンブランの花婿になることなのではないか。
――
そう、気付いてしまったからには、もう止まれなかった。
自分で思っているよりもずっと、シャディク・ゼネリという少年は情熱的な面があったのだ。
それを彼は合理性だと思い込んでいたけれど、結果が変わることはない。
意を決して、シャディク・ゼネリは口を開いた。
「みんな、聞いてくれ――」
◆
その日、スレッタ・マーキュリーは上機嫌で
彼女の
やはり人と人がわかり合うには、MSで決闘するのが一番手っ取り早いのだ。
スレッタは真顔でそんなことを考えていたし、事実、倒されたパイロット科の生徒たちの何割かは彼女の
MSパイロット同士、互いの技量と戦技を見せ合うことは、やはり何かしらの感情的な繋がりを生むのだろう。
残りの何割かは畏怖と崇拝が入り交じった
「あんたも好きねー、決闘」
ミオリネの温室の中で生徒手帳を弄っていたからだろう、少女は姉のような親友からそう声をかけられた。
ちらっとその顔を見る。
特別、不機嫌ではなさそうだった。
「最近、ミオリネさんは決闘しても文句言わなくなりましたよね」
「全戦全勝のやつに文句つけてもしょうがないでしょ……野蛮ね、野蛮」
「もおー、決闘はそういうのじゃないんですよ! 青春なんです、わかり合う手段なんです! 決闘すると気持ちよく心が通じ合うんですよ、ミオリネさん!」
「あんたグエルと決闘してからノリおかしくない……?」
「グエルさんとも、エランさんとも、決闘で友達になれましたから……!」
「間違った学習したAIみたいなこと言い出したわね?」
そんなときだった。
芝生を踏みしめる音がして。
足音の方に目を向けると、褐色の肌に黄金の髪、胸元を露出して着崩した制服姿――シャディク・ゼネリがそこに立っていた。
珍しい客だった。
グエルがホルダーだった頃はよく訪ねてきていたが、スレッタが来てからは、シャディクはほとんどこの温室に寄りついていない。
「シャディク……?」
ミオリネが意外そうに声を漏らしても、彼は返答することなく。
ただ真っ直ぐな視線を、赤毛の少女――学園最強のスレッタ・マーキュリーに向けていた。
少年はひどく真剣なまなざしで、少女の両目を見据えて。
「水星ちゃん、いや、スレッタ・マーキュリー……ミオリネの花婿の座を賭けて、俺と決闘して欲しい」
決闘を申し込んだのである。
――長い長い停滞を経て。
――少年はようやく一歩を踏み出したのだ。