――その日のグエル・ジェタークは朝から快調であった。
むくり、とベッドから起き上がった彼の目は朝から冴えていた。
八時間の睡眠を自身に課していた少年は健康体そのものである。
洗面台で顔を洗い、シャワーを浴びて身体を念入りに洗い、身体を拭いたあとは頭髪を乾かしていく。
その様子たるや、まるでこれから合戦に挑む武者のようである。
ジェターク寮の食堂で朝食を取ったあと、歯を磨いて白い歯になっているか何度も確認。
この日のために用意しておいた皮のジャケットを羽織り、ジーンズを履いて鏡でおかしなところがないか、やはり何度も確認。
そして髪を念入りにセットして、身だしなみを整えること三〇分。
これ以上はどう努力してもよくならない、というぐらいに仕上げて――グエル・ジェタークの戦支度は終わった。
あまりに真剣すぎて、ジェターク寮の人間は誰一人声をかけられないほどキメッキメだった。
何より全員が、事情を知っている。
――グラスレー寮長とホルダーの決闘の終わり際。
――グエル・ジェタークはスレッタ・マーキュリーにデートを申し込んだ。
ああ、今日がその日なんだな、と誰もが察する中。
気が気でなかったのは弟のラウダ・ニールである。
敬愛する兄の初めてのデートである。
どうして自分に相談してくれなかったのかと悔しがりつつ、彼は直ちにミオリネ・レンブランに連絡を取り、二人のデートが今日であることを確認すると――密約を結んだ。
かくして新たなストーカー同盟が発足する中、グエル・ジェタークはジェターク寮を出た。
アスティカシア高等専門学園の各区画を繋ぐ電車に乗り込み、揺られること一五分。
停車駅で降りたグエルは、そのまま約束時間より二〇分ほど早く待ち合わせの場所――駅前の広場に到着した。
ここは普段、あまり一般生徒が寄りつかない場所だった。
デートの定番ならばもっと別の選択肢もあると思い悩んだが、しかし彼なりにスレッタ・マーキュリーとの共通の話題を思うと、見て回るのは
何より、定番のデートコースを回ったであろうエラン・ケレスを意識していたのもあった。
如才なくスレッタを楽しませたであろうエランを思えばこそ、そのデート経験とは差別化したいという思いがある。
その結果、グエル・ジェタークは博打に打って出ていた。
待つこと一〇分ほどして。
生徒手帳に着信。
「来たか……」
駅の方を見やると、スレッタ・マーキュリーが手を振りながらこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
その姿を目にした瞬間、思わずグエルはうめいた。
「うおお……」
すごい破壊力だった。
今日のスレッタはいつになく活動的な装いだった。
白いシャツの上からデニムのジャケットを着込んだボーイッシュな印象――いつもの制服姿では見えない、健康的な太ももが眩しいショートパンツ姿。
肩にたすき掛けしたポーチと相まって、どこか中性的な印象を与えながらも、ほどよく露出した褐色の肌が少女の眩しい活力を意識させずにはいられない装いだ。
つまるところグエル・ジェタークはスレッタの私服に見惚れていた。
「お待たせしちゃいましたか!?」
「い、いや。俺も今来たところだ」
そう言ってそっぽを向くグエルは、明らかに照れていた。
そんな彼の様子を楽しそうに見ながら、グエルとスレッタは並んで歩き始めた。
「ちょっと早いですけど、そ、その……」
「ああ、始めるか」
最初、グエルは寡黙だった。
というのも、好きな女の子と何を話題にして話せばいいのかわからなかったからだ。
あるいはスレッタも緊張していたから、かえってその沈黙はちょうどよかったのかもしれなかったが――目的地が見えてきて、ようやくグエルはほっと一息ついた。
――ベネリット・グループMS産業記念館。
そう書いてある看板と、MSを立たせた状態でも余裕で格納できそうな建物――それこそMSハンガー並みに巨大である――が遠くからでも見えた。
アスティカシア高等専門学園の一角に建てられたその施設は、ベネリット・グループの看板事業であるMS開発・製造・販売の歴史を学べる資料館であり、歴史的に見ても非常に貴重な物品が納められている。
その建物を見た瞬間、スレッタは目を見開いた。
「あそこ……ですか」
「ああ、お前と見て回るならここしかないと思ってな」
「もしかして……あるんですか、本物のモビルスーツが!?」
「ああ、第一世代のモビルスーツから見て回れるぞ」
わあ、と。
弾けるような笑顔と共に、スレッタ・マーキュリーは歓声をあげた。
◆
一方その頃。
デリング・レンブラン総裁の一人娘ミオリネ・レンブランと、ジェターク社ヴィム・ジェタークの息子ラウダ・ニールは混乱していた。
「ちょっと待って、なんであいつら、こんな色気ない場所にデートに来てるの!? ここってうちの資料館でしょ? 普通もっと楽しそうな場所にしない?」
「兄さん、何を考えているんだ……!?」
二人を尾行していたミオリネとラウダは、その目的地に困惑を隠せなかった。
まさか年頃の少年少女がデートすると聞いて、MS産業記念館などという色気の欠片もない場所を選ぶとは思っていなかったのである。
果たしてこの二人のデートは上手く行くのかと、ハラハラドキドキしていると――
「――グエル・ジェターク。面白いことを考えるね」
ぬっとエランが現れた。
唐突すぎてミオリネは悲鳴をあげかけた。
「エラン!? あんた、どうしてこんなところに――」
「君たちを尾行してたんだ」
しれっとそう言うと、エラン・フォースは双眼鏡でグエルとスレッタの後ろ姿を確認。
とても楽しそうな笑顔ではしゃぐスレッタ・マーキュリーを見て、彼の心はざわついていた。
あんな笑顔を、彼女がグエルに向けるとは。
「グエル・ジェターク。君とスレッタ・マーキュリーのデート、見守らせてもらうよ」
何でもいいが、どんな美男子が言おうとストーカーはストーカーである。
それを百も承知で言い切れるのが、エラン少年の強さであった。
◆
二人分のチケットを買うと、静かな館内にグエルとスレッタは足を踏み入れた。
産業記念館の中は広々とした吹き抜けになっていて、たくさんのMSの縮小スケールの模型や部品、実物大のレプリカ、そして本物のMSが展示されていた。
まさにモビルスーツ開発と生産の歴史を、その目で見て回れるユニークな施設である。
いかんせん学生が休みにわざわざ見に行きたがるような施設ではないため、パイロット科やメカニック科の一部の物好きが来る程度の場所なのだが――今このときばかりは違った。
グエル・ジェタークとスレッタ・マーキュリーが、大いに盛り上がっているからだ。
「わあ! 〈ダーレ〉が展示されてますよグエルさん! わたし、実物を見るのは初めてです!!」
「俺もだ。すごいな、第一世代機の実機だぞこれ。レプリカじゃないのか……」
「よく現存してましたよね。ドローン戦争で使われてた実際の機体らしいですけど……ほら、正面装甲とかバッチリ被弾してますよ、これ!」
「後方配備とかじゃなくて前線に出てたんだな……ベネリット・グループもよくもまあ、こんな旧式を取っておいたもんだ」
四角いボディのあちこちに無骨な動力パイプが剥き出しになった機体は、MSの開発史の中でも最初期に位置するマシンだ。
このベネリット・グループMS産業記念館の展示品の中でも、最も古い機体である。
展示された機体――ガチガチに固定されている――を見上げつつ、スレッタはその全身をじっくり見て回った。
今のMSにはない無骨さは、その独特の動力パイプから来ているようだった。
「〈ダーレ〉は駆動方式が独特なんですよね」
「ああ、流体パルス式っていう独自の動力伝達方式を採用してる……ここに解説があるな」
「超伝導モーターでMSを駆動させる今の駆動システムが完成する前の時代の徒花って感じですねー」
「今じゃ廃れた技術っていうのに浪漫を感じるよな」
「はいっ! こんな面白い展示品があるとは思いませんでした――あっ!」
目をキラキラさせて少女が次に駆け寄ったのは、オリーブグリーンに塗装されたMSだ。
戦車の砲塔から人型の手足を生やしたような機体――〈ダーレ〉と同じく第一世代に属するMS〈ファントン〉である。
「あっちには〈ファントン〉がありますよ!」
「本当に最初期のMSだな……まだ大型火器が固定武装だし、ドローン兵器を有人機にした最初の世代ってわけだ……人型兵器っていうより歩く戦車だな、これは」
「BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)が非侵襲型で、パーメットリンクを利用してる今のマシンと比べると格段に操作性が低いんですよねー。モビルクラフトとモビルスーツの過渡期って感じがします」
「でもこの無骨さがいいんだよな」
「あー、わかります。この突き出てる砲身が動物の鼻先みたいで可愛いですし」
「んっ? 可愛いか?」
「もー、グエルさん! この突き出てる一五五ミリメートルリニアキャノンの良さがわからないんですかー!?」
MSオタク二人の会話は、
「わあ! 本物のヒートスピアがありますよグエルさん!」
「大きいな。うちのラウダが使ってるヒートアックスと同じぐらいあるんじゃないか?」
「この世代の出力じゃ振り回すだけでも大変そうですよねー」
「実際、ファントンで格闘戦やるのは実戦じゃあんまりなかったそうだな。運動性が低くて大変だったらしい」
モビルスーツという有人単座人型機動兵器のコンセプトに対して、マシンの性能が追い付いていなかったのが第一世代の特徴と言ってもいいだろう。
「だから第二世代MSが出てきたんですよね。本格的に人型機動兵器って呼べるのはこの世代からって気がします」
「向こうからは第二世代の展示だな」
「第二世代と言えば……あっ、もしかして!」
グエルは満面の笑みを浮かべた。
なんやかんや家族と家業の自社製品が大好きな少年なのである。
「ああ、ジェターク社の〈デスルター〉だ!」
「第二世代機なのに第三世代MS並みの性能を確保してる名機ですよね! ビームドライブを積んでないから第二世代区分ですけど」
「まあ、早すぎた名機ってやつだな。うちでは中古品の下取りサービスもしてるから、おかしなところにMSが流れたりはしてないはずだ」
「あー、だから戦場ではあんまり〈デスルター〉を見ないんですね!」
その発言でそういえばこいつはドミニコス隊の現役隊員だったなと思い出すグエルだった。
「ああ、そういうことだな」
「わたしたちが思い描くモビルスーツらしさって、どっちかっていうと第二世代機からの特徴ですよね」
「大きな人型で、超伝導モーターで関節を動かす有人単座機動兵器……確かにな、今に繋がるMSのルーツって意味では、試行錯誤してた第一世代よりよっぽどそれらしいかもしれん」
そんなこんなで二人のオタクトークは白熱し、第三世代MSで起きたBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)の革新的な進歩――特にパーメットリンクによる高度な同調制御について触れて大盛り上がりした。
こればっかりは、実際にMSを自分の手足のようにあつかう人間にしかわからない感覚の世界の話である。
そんなこんなで楽しく会話していたグエルとスレッタだったのだが――不意に、ぴたり、とスレッタの足が止まる。
不審に思った彼がスレッタの視線を追うと、そこにあったのは第四世代MSの展示コーナーで、とあるMSのレプリカが展示されている場所だった。
白と紫で塗られたそのMSは、どこか、マントを羽織った騎士のようにも見える出で立ち。
――〈ベギルベウ〉。
二一年前の
それはスレッタ・マーキュリーにとって、あらゆる意味で因縁のMSだった。
彼女が
それがまるで、夢から醒めてしまったかのような表情だったから。
グエルは魔法をかけ直すことにした。
「なあ、スレッタ」
「ひゃ、ひゃいっ!? な、なんでしょうグエルさん」
「ちょっと早いが、ランチにしないか? いい店を知ってるんだ」
「……そうですね、そうしましょう!」
二人連れだって、因縁のMSから離れる。
それはまるで、呪縛から少女が引き剥がされていくようだった。
◆
ランチはとても美味しいピラフを出すお店だった。スイーツのプリンも美味しかったので、スレッタは終始、にこにこと笑顔で食事することができた。
それを見ながらピラフを食べるグエルも、どこかほっとしたような表情で、楽しそうにご飯を食べていた。
それからしばらく会話を楽しんだあと、二人は街を散策して、ウィンドウショッピングを楽しんだ。
お互いに服やアクセサリーの類にはとんと疎いためか、話題はとことんMSと決闘絡みだったが、話題が尽きるということがなく、話しているうちに一時間も二時間もあっという間に過ぎ去っていくようだった。
たくさんおしゃべりして、歩いて、買い物をして。
気付けば、体感時間と一致しない早さで時間は過ぎていて――時刻は夕方にさしかかっていた。
フロント内部を照らす照明も、夕日を意識したオレンジ色の人工照明に切り替わっている。
夕暮れに染まる街並みを抜けて、広場に設置してあるベンチに並んで座った。
周囲にもちらほらと買い物帰りとおぼしき生徒たちがいるが、皆、駅の方へ向かって消えていく。
少し遅くなってしまったらしい、とスレッタは思う。
互いが口を閉じた快い沈黙の中、ふと、グエルが口を開いた。
「一つだけ、教えてくれないか?」
「……なんでしょう?」
その真剣なまなざしに、彼の問いかけが冗談ではないと悟る。
そして問われる内容もなんとなくわかっていたから、スレッタは覚悟を決めた。
誤魔化さずに答えよう、と。
「――どうしてドミニコスに入ったんだ?」
息を吸い込んで。
どうやって言葉にしようか迷った末、愚直にすべてを吐き出した。
「お母さんの遺言を、叶えるためです――すべてのガンダムを滅ぼす、それが、わたしに託された使命です」
そうか、とうなずいて。
肯定するでもなく、否定するでもなく、グエル・ジェタークは空を見上げた。
何を言うべきか迷って、迷って、迷って。
それでもなお声に出すべきなのだと覚悟を決めた瞳が、スレッタ・マーキュリーの緑色の瞳を覗き込んだ。
「俺は、何も知らない子供だ。お前の見てきたのがどんな景色で、どんな痛みを背負ってるのか、わかってやれない……ちっぽけな想像しかできない。でもな」
グエルは、それでも言葉にすると決めたのだ――
「お前が今まで守ってきたのは、この学園みたいな戦争を知らない人たちだ。だから、その…………ありがとうな」
「――――――ぁ」
じわり、と目に熱い雫がにじんだ。
自分の中から湧き上がる激しい情動に戸惑って、スレッタ・マーキュリーは涙を手で拭おうとして。
ぽろぽろとこぼれるそれが、とてつもない、よろこびの涙なのだと理解した。
「あ、あれ? なんでだろ……うれしいのに、涙が」
「いいよ、泣けよ……お前の重荷を背負ってやることはできなくても、隣にいることぐらいはできる」
泣きながら、うれしさで笑って。
スレッタ・マーキュリーは止むことなく感動の涙を流し続けた。
泣いて、泣いて、泣いて。
やがて泣き止んだスレッタは、すっかり真っ暗になった夜の空を見上げながら――
「グエルさん、優しすぎて…びっくりしちゃいました」
――はにかむように笑うのだった。
「……言ってろ」
――グエル・ジェタークの横顔は、照れくさそうに微笑んでいた。
スレッタが泣き始めたあたりで暴走するミオリネとエラン&ラウダの死闘がありましたが画面外なので問題ありません。