ノレアが生きている。
それがわかっただけでも、エラン・フィフスを名乗る少年にとっては十分な報酬だった。
オープンチャンネルになっていた回線を切って、一息つく。
無茶な格闘戦をした衝撃で〈ザウォートHMC〉は関節のいくつかが不具合を訴えているが、これはもう必要経費と割り切るしかない。
これもデータ取りの一環ってことにならないかなと思っていると――不意に、コンソールの通信ウィンドウが開いた。
それは聞き慣れた声だった。
『まずは感謝を。あなたのおかげでスレッタは忌まわしい呪縛から抜け出せるかもしれません』
ルイ・ファシネータ。
シン・セー開発公社の現代表にして、新型GUNDフォーマットを牛耳るデリング・レンブランの配下である。
そしておそらくは、この少女たちの殺し合いをセッティングした張本人。
少年がどんな罵倒を投げつけてやろうかと迷った数秒間に、ルイは冷や水を浴びせかけるような言葉を投げかけてきた。
『忠告しますが――逃げたところで、その子が生きられる場所はありませんよ。ベネリット・グループは企業自治を脅かすテロリストを見逃すほど、お人好しの集まりではありません』
逃げ場所などないと釘を指されて、エラン・フィフスは怒った。
それはたぶん、純粋な思いを利用されたノレアやスレッタのための怒りだった。
「いつから仕組んでいた? 僕もスレッタもノレアも利用して、何を企んでいる!?」
『あなた方が結んだ絆は偶発的なものですよ、強化人士五号――いえ、エラン・フィフス。私は人と人を結ぶ絆の力を信じているのですよ。愛は奇跡を起こすものですからね』
その点、今回の顛末は素晴らしいものでした――そう告げる通信の向こうの相手に、エラン・フィフスはたまらない胸くそ悪さを覚えた。
まるで舞台の上の出来事を、観劇していた観客に批評されているかのような得体の知れない不快感。
だが、それをあらわにしたところで、この男は何一つ顧みたりはしないだろう。
確かに、学園を襲撃したテロリストであるノレア・デュノクの立場は最悪に近い。
それを思えばこそ、エラン・フィフスは血を吐くような思いで慈悲を懇願するしかなかった。
「あの子を、ノレアを保護しろ……争いから遠い、平和な場所に……!」
返答はすんなりと返ってきた。
『いいでしょう。彼女の保護と穏当な事後処理を約束しましょう。ですが、見返りをあなたは用意できますか?』
何故、自分とノレアとスレッタが結びつけられたのか、このとき初めてエランは気づいた。
これは首輪だ。
人と人の結びつきという、何よりも断ち切りがたいもので手足を縛られて。
自分はたぶん、この男に逆らえなくなる。
――
「…………最初から、そういうことか。いいさ、僕がお前の手駒になってやる……それでどうだ」
『素晴らしい、取引は成立です。エラン・フィフス、今後ともどうかよろしくお願い致します』
心からの親愛を込めて。
◆
――アスティカシア高等専門学園を襲ったテロ攻撃は、正義のガンダムによって防がれた!
――悪のテロリストたちはいたいけな子供を洗脳、自爆テロ同然の行いに動員していた!
――テロに用いられたのは呪いのモビルスーツ、旧型GUNDフォーマットを使った危険なガンダムだった!
――これを打ち倒したのはベネリット・グループの新型GUNDフォーマットを採用した安全なガンダム!
――〈エアリアル〉はその圧倒的な力により、子供兵の自決を防いで救出に成功!!
――学園の危機を防ぎ、民間人の命を守り、テロリストの被害者である子供兵の命すら救ってみせたのだ!!
――現場では学園の生徒たちが勇敢にも負傷者の救助に尽力していた!!
――ジェターク社の御曹司とアーシアンの生徒が協力してテロリストのドローン兵器から生徒を守り切ったのだ!!
――すごいぞガンダム!! ありがとう〈エアリアル〉!! 宇宙の英雄は君たちだ!!
ここ最近、SSWN(ソーラーシステム・ワールドネットワーク。太陽系規模の超光速ネットワーク)を騒がしているニュース、アスティカシア高等専門学園を襲ったテロ事件、通称アスティカシア・テロ事件についての報道の一例である。
おおむねこんな内容の薄気味悪いプロパガンダが連日、ベネリット・グループ資本のマスメディアを中心に垂れ流しになったのは言うまでもないことだろう。
そのあまりにもあんまりな内容は、当事者であるアスティカシア高等専門学園の生徒を辟易させるのに十分なものだったし、このプロパガンダの質の悪いところは、九割方が事実であり、如何にも大衆好みの脚色がされている痛快なストーリーであることだ。
善悪がはっきりしていて、善玉が非人道的な悪玉をやっつけて正義を世に知らしめる内容。
そしてその表層的なストーリーの裏を調べようとする人間は、すぐにこの事件の背後関係についてある匂わせを関知することになる。
――これは企業グループと宇宙議会連合の勢力争いなのではないか?
たとえばこの時期、匿名のリークサイトには、オックスアースの亡霊の関与について、詳細な調査資料つきでのアップロードがなされている。
テロリストが使用していた輸送船が実在しないペーパーカンパニーのものであり、この幽霊企業が宇宙議会連合の工作機関であるという内容のゴシップが流れたのも同じ時期である。
宇宙議会連合の政府広報はこれを「フェイクニュース」と一笑に付したが、その後、数多くの証拠が後出しで積み上がってくると、この件については沈黙を貫くようになった。
ベネリット・グループの公式見解は「反ベネリット・グループのテロリストによるガンダムを使った非道なテロ攻撃」であるが、実際のところ、企業が宇宙議会連合を疑っているのは公然の秘密になりつつあった。
事件の死傷者が奇跡的にゼロだったからこそ、生徒たちの奮戦による美談に仕立て上げられているが――これは明らかに、一線を越えた敵対勢力と企業勢力の潰し合いの予兆だった。
スペーシアン社会はそんな緊張状態を孕みながら推移し、一方、アーシアンの地球社会は何も変わらなかった。
相変わらず続く大小の紛争状態、ドローン兵器の恐怖、フェイクニュースを垂れ流す汚染されたネット空間。
そういうものによって破壊された社会を生きる人々にとって、びっくりするぐらいアスティカシア高等専門学園で起きたテロ事件はどうでもいい事件だった。
どれだけ実行犯の子供兵がアーシアンへの同胞意識で動いていたとしても、誰もそれ――子供兵の年齢・性別・名前は明かされていない――に同胞意識を向けたりはしない。
実行犯である子供兵の境遇に関心があるのは、一握りの知識人だけだ。
そういう残酷さを礎にして、この世界は今日も回り続ける。
◆
「スレッタ? 起きてる?」
「んぁ……ミオリネさん?」
泥のような眠りから覚めて、のっそりとスレッタは起き上がった。
アスティカシア高等専門学園を襲ったテロ事件のあと、スレッタ・マーキュリーを待ち受けていたのは取り調べに次ぐ取り調べだった。
何せ学園内で退避勧告が出ていたにも関わらず、戦闘を続行し、事前許可を取っていたとはいえオーバーライドを使用し学園レギュレーションを破ったのだ。
とんでもない不良生徒である。
スレッタが囮になってノレアの憎悪を一身に受けていたからこそ、施設の破損だけで被害が済んでいたのだが、ルール破りはルール破りである。
フロント管理社からはこってり絞られたし、それは報道では英雄扱いのグエルやチュチュ、エランも変わらない。
今回の一件で叱られなかったのは、学生の身でありながら適切な避難指示を出して関係各所への連絡に奔走していたシャディク・ゼネリぐらいである。
「うっわ……ひどいわね、まずは顔洗ってきなさい」
「はい……」
もぞもぞと布団から這い出て起き上がったスレッタは、冷たい水で顔を洗った。
気持ちいい。
顔を清潔なタオルで拭いてから、しゃこしゃこと歯ブラシで歯を磨いて、口の中をゆすいで人心地ついた。
そしてミオリネとシェアしている部屋に戻る。
時計を見たら時刻は午前九時半。
壮絶な寝坊だった。
「あー……寝坊、しちゃいました?」
「今は臨時休校だから関係ないでしょ? って、あんたはそんな通知見てる余裕ないか」
「はい……取り調べに次ぐ取り調べでもう……ご飯食べてる暇もなくって」
「朝ご飯のシチューとパン、取っておいてあるからあとで食べなさい」
「はいー……ううっ、ミオリネさんの優しさが染み渡ります……」
「はいはい、精々、感謝しておきなさい」
コーヒーの入ったマグカップをスレッタに渡すと、部屋着姿のミオリネはベッドの縁に腰掛けた。
スレッタも並んで横に腰掛ける。
それでね、とミオリネは言葉を続けた。
「私のコネで調べてみたんだけど、あんたと戦ってたテロの実行犯……ノレアって子は、洗脳の被害者かつ未成年ってことで責任能力があるとは見なされていないみたい。このまま順当に進めば、身柄を保護されての事情聴取と監視付きでの社会復帰プログラムの適用が妥当じゃないかってところよ……正直、死者が出てないとはいえ、うちのグループにしては手ぬるいぐらいの温情ね」
「そう、ですか……たぶん、ノレアさんにとってはいい方向に向かってるんですよね……よかった……」
ずず、とコーヒーをすすって、ほうっと息を吐く。
「あの、調べてもらって、ありがとうございます。」
「いいのよ、私だって気になってたから」
「ミオリネさんが……?」
意外だった。
ミオリネ・レンブランは潔癖で誇り高い少女だが、一々、テロリストの末端に心を寄せるようなナイーブさがあったとは。
そんな本音が透けて見えたのか、ミオリネは半眼のジト目でスレッタをねめつけた。
「何よ、私らしくないかしら?」
「ええっと、そういうわけではなくって……その、わたしはノレアさんと顔見知りでしたけど、ミオリネさんは面識ないじゃないですか」
「そうね。その通りだわ。でもね、スレッタ、私はあのとき通信であの子と会話したとき思ったのよ……ああ、自分は何も知らないんだ、って」
ドローン戦争以後の地球の惨状のことも、それをいいことに自分たちの有利な搾取システムをベネリット・グループが作り上げたことも、経営戦略科の授業を受けていれば知識としては学ぶことができる。
だが、それがどのような悲劇を生み出し、どのような怒りと憎しみを育てているのか、実感として知ることがないまま、ミオリネ・レンブランは今日までここまで来てしまった。
それを突きつけられた現在、ミオリネは目を閉じて痛みを知りたいと願う。
「クソ親父たちが始めた世界が、あんな風に追い詰められてテロの実行犯に仕立て上げられる子を生み出したっていうんなら……私たちはみんな逃れようがない罪の中にいるんだわ。自覚のあるなしに関わらずね」
それはきっと、この歪んだ世界に生まれ落ちてしまった人間が否応なく背負う、罪過の輪という仕組みなのだ。
罪が罪を呼び、悪が悪を作り上げる。
高潔な少女の姿を見ていると、スレッタは胸の奥がズキン、と痛むのを感じた。
今すぐにでも告げてしまいたかった。
――
そのどうしようもない罪過の輪を知りながら、なお、それが言えるのだろうか――そんなほの暗い感情がわき上がってくるのを、スレッタは慌てて見なかったことにした。
ミオリネ・レンブランはよき親友である。彼女の知性と気高さは、間違いなく美徳なのだ。
なのに、どうして自分はこんなにも――淀んだ感情が湧いてくるのだろう。
「……ミオリネさん」
「あんたが罪人だって言うんなら、私だって大なり小なり似たようなもんよ。あのデリング・レンブランの庇護の下で育った娘に、罪がないなんて誰にも言わせやしない」
だからね、とミオリネはスレッタの手のひらを握る。
白くて、柔らかくて、小さな少女の手が、スレッタの手のひらに重ねられる。
「――私もあんたも、罪の輪から抜け出すために頑張るのよ」
そのまぶしさに憧れて、焦がれて、羨ましくて。
暖かな彼女の手のぬくもりに浸り、スレッタ・マーキュリーは目を閉じた。
すぐ隣に座っているのに、自分と彼女は致命的に住む世界が違うのだという実感を得ながら、その手を重ねて少女は日だまりにすがりつく。
――いつか来るであろう別離の予感と共に。