『つまり何、スレッタにプロスペラ・マーキュリーの記憶を読み込ませたってこと? ルイって本物のアホだね、今すぐ自害しろ!!』
『不可抗力だった、あれは仕方がない事故だったんだエリィ。それだけは誓って言う、信じて欲しい。そして安易なGUNDの利用を反省している――海より深くね』
『うっさい馬鹿!!! ごめんで済んだら保険屋も警察も要らないんだよ!! 言葉に誠意がないやつは謝罪も安くていいなあ!!』
グエル・ジェタークは今、〈ダリルバルデ〉のコクピットの中でひたすら困惑していた。
いきなりスレッタのモビルスーツが無人で動き出したかと思えば、その搭載AIが通信の向こうの相手と口喧嘩をし始めたからである。
正直、話題に全くついて行けていない。
〈ダリルバルデ〉と一緒に途方に暮れていると、〈エアリアル〉がグループ通話でこちらに話しかけてきた。
『こいつはルイ、噂のシン・セー開発公社の代表の胡散臭いクソ野郎だよ。一応、僕とスレッタの所属してる企業ってことになるね』
『どうも、ルイ・ファシネータです。グエル・ジェターク様ですね、お噂はかねがね伺っております』
「あ、ああ……」
戸惑うグエルに対して、ルイ・ファシネータは現状の説明をしてくれた。
『〈エアリアル〉は最高機密のAIが搭載されている関係上、例外的措置として自動操縦モードが搭載されています』
「そ、そうなのか……なるほどな、今回みたいな緊急事態に備えての特例措置だったんだな?」
『はい、その通りです』
もちろん嘘である。
エリクトのやらかしをフォローするため、ルイ・ファシネータは呼吸するように嘘をついていた。
元友達である愚弟のそういう挙動に「本当にろくでもない育ち方したな、こいつ」と真顔になるエリクトだった。
自分のせいなのは棚に上げるスタイルである。
『それでルイ、君の指示はXブロックまで向かえってこと?』
『ええ、とはいえ――外の宙域にはグラスレー社のMS部隊が展開されています、外に出れば集中砲火を喰らうでしょうね』
『まあ僕だけなら問題ないよ……でも問題は君だ、グエル・ジェターク』
いきなり話を振られたグエルは、戸惑いをそのままに口にした。
「ちょっと待て、そっちの話になんで俺が関係ある?」
『短距離なら通信繋がるんだよ、ここ。君の存在はもうグラスレー社の反乱軍に共有されたと見ていい。このまま格納庫にいたら取っ捕まって終わりだよ、君。ジェターク社CEOの息子とか最高の人質だろうねー』
「あ、そうか……不味いな、どうすればいい?」
ここで素直に人に対処を尋ねられる素直さは、グエル・ジェタークの育ちの良さがうかがえる美徳と言えよう。
詐欺師とかに引っかかりそうで不安になるが、同時に少年がジェターク寮で慕われていた原動力のようなものも感じさせる。
『そこで提案ですが、グエル様。エリクト――〈エアリアル〉の自動操縦モードのあとをついて行っていただきたいのです。目標地点であるXブロックならば、あなたを安全に保護できます』
グエルは驚愕した。
あまりに常軌を逸した提案だったからだ。
「Xブロックって……ここはDブロックだぞ、反乱軍だらけの宙域を突っ切るのか!?」
『全員倒す必要はない、遠巻きに撃ってくるビームを避けながら目的地まで到達するだけの楽しいゲームだよグエル・ジェターク。君らが学園でやってた決闘ゲームに比べれば安全だと思うけど?』
「実戦出力のビームだろ!? 学園レギュレーションとはわけが違う!」
『ジェターク社のMSなら多少の被弾は平気でしょ。不安なら向かってくる敵は僕が処理してあげるけど?』
グエルは悩んだ。
確かにこの場にいれば、〈ダリルバルデ〉が動いたことを知った敵MS部隊の後詰めがやってくるだろう。
MSを捨てて逃げようにも、外の人間用通路にはグラスレー社の歩兵部隊がうようよいる。
だが、いくら何でも戦場と化している宙域を突っ切るなんて無謀はやりたくなかった。
無鉄砲なグエルだが、これでも人並みに恐怖心や常識はあるのだ。
――人を殺すのも、人に殺されるのも怖くて仕方がない。
それはドミニコス隊への入隊を目指している彼の夢と矛盾する思考だったが、グエル・ジェタークという少年の嘘偽らざる本音でもあった。
苦悩するグエルの背を押したのは、結局のところスレッタ・マーキュリーの存在だった。
『早く決めてくれないかな。こっちは妹の身の安全がかかっているんだ』
「……わかった、俺もXブロックまでついていく。先導を頼む」
そう告げた途端、〈エアリアル〉が背面の高機動ユニットを使い、ふわりと宙へ浮かび上がった。
『じゃ、ついてきなよ元ホルダーくん!』
大推力を噴かしての飛行ではない。
まるで蝶が羽ばたくような軽やかさで、〈エアリアル〉が舞う。
それは数十トンの質量をまるで感じさせない自然な機動――その滑らかな動作にグエルは目を見張った。
いくら無重力状態とはいえ、モビルスーツには質量があり慣性の法則から完全に逃れることもできはしない。
だが、宙を舞う〈エアリアル〉の機動の美しさは、そういう重さと無縁のように思えた。
フットペダルを踏み込み、グエルの〈ダリルバルデ〉も全身の推進装置を噴かして〈エアリアル〉に追従した。
物資搬入用の共用通路を飛翔して――ゲートをくぐり抜け、プラント・クエタの外の空間に出る。
『敵の砲撃を避けるために、プラント・クエタの表面すれすれを飛ぶよ。激突しないように注意してね!』
「はぁ!? おいそんな曲芸――」
抗議の声をあげた頃には手遅れだった。
〈エアリアル〉は宣言通り、プラント・クエタの地表付近――距離にして二〇〇メートルあるかどうかの
MSの速力での距離二〇〇メートルは、少しでも推進方向を間違えれば即座に激突の危険があることを意味する。
だが、これが正しい判断なのも確かだった。その証拠に〈エアリアル〉に対して艦砲射撃が飛んでくることはない。
クーデターを起こした反乱軍も、ベネリット・グループの資産をいたずらに損壊させたいわけではないのだ。
慌てて〈ダリルバルデ〉がその機動に追従する――口では非常識を非難する割に、即座に
だが、〈ダリルバルデ〉の優秀なパッシブ・レーダーはこちらに接近してくる熱源を捉えた。
推進噴射で軌道を変えながら、こちらの推進方向を通せんぼするように迫ってくるのは、グラスレー社のMS〈ハインドリーシュトルム〉の編隊だ。
数は九機、およそMS三個小隊である。
『対処は僕の方でする、君は回避と防御に専念して速度落とさないで!』
「ああ、クソ!!!」
言われなくても速度を落とす気はない。
相手がこちらの正面に位置する以上、相対速度を下手に合わせてしまうと乱戦になる。
重要なのはどうやって相手側を速度で振り切り、置き去りにするかなのだ。
そう頭ではわかっていても、被ロックオンを示すアラートがコクピットに鳴り響くと、心拍数がドキドキと跳ね上がるのは避けられない。
速度を落として防御したくなるのは、高速戦闘に対応していない人間の本能のようなものだ。
〈ダリルバルデ〉の推進方向から見て一〇時と二時の方向から、同時に四つのロックオン。
ちかちかと遠方で四つの光点が瞬いた刹那。
――来る!!
グエルの意をくみ取った〈ダリルバルデ〉の制御AIは、即座に推進装置を噴かして螺旋を描くような回避運動を取った。
遠巻きの射撃だったのが幸いした。
高出力のビームキャノンが〈ダリルバルデ〉の直近の空間を焼き払うが、直撃は一つもなかった。
だが、これは攻撃の始まりに過ぎなかった。
遠方の光点がいくつも瞬き、荷電粒子ビームが降り注ぐ。
続いて飛んできたビームライフルの雨を、シールドドローンで防ぎながら最大推力で突っ切る――〈エアリアル〉の方はといえば、無数のビットステイヴで射撃戦を展開、弾幕で敵を寄せ付けずにグエルのために通り道を作ってくれていた。
回避運動を取り続ける時間は、悪夢のように長く感じられた。
避けきれずシールドに被弾が増えてきた頃合いで、エリクトから合図があった。
メッセージウィンドウに映ったのは、推進方向の角度修正。
何も考えずに指示に従う。
目の前に白い壁が見えた。
推進噴射。
軌道修正。
ギリギリで障害物を避けた。
〈ダリルバルデ〉の機体はプラント・クエタの表面すれすれ六〇メートルほどの超低空飛行をしていた。
推進方向の角度修正を繰り返し、プラント・クエタの地表構造物を避けながら〈エアリアル)の尻を追いかける。
自殺行為に近い操縦をしているのに、不思議とグエルの胸に恐怖感はなく、ただ高揚感だけがあった。
気づくと、ロックオンアラートはもう流れなくなっていた。
『お疲れ様、敵は振り切ったよ。あとは僕の機体と同期させてオートパイロットで大丈夫』
「二度とやりたくないぞ……」
機体制御AIのアシストがあったとはいえ、グエルと同じことができるパイロットがどれだけいるか――自分の途方もない技量に無自覚な少年は、深くため息をついた。
〈エアリアル)からのパーメットリンクを受け入れ、自動操縦に切り替えたグエル・ジェタークは、ふと、脳裏をよぎった疑問を口にした。
「なあ、さっきルイ代表と言い争っていたよな。スレッタに何かあったのか?」
『…………』
数秒間、沈黙が降りた。
礼を失するぐらいに饒舌で愉快な性格のエリクトらしからぬ、奇妙な言葉の空白だった。
このAIが何かを悩むだろうか、とグエルがいぶかしんでいると、エリクトはやけに人間くさい声でこう言った。
『まあ君ぐらい深くスレッタに関わってる子ならいいか――よく聞いてくれ』
身構える暇もなかった。
『――スレッタはお母さんに愛されていなかった。それを知ってしまったんだ、精神的に今はどん底だろうね』
最初、グエルは自分の聞き間違いを疑った。
「は?」
『
それはグロテスクな倫理の破綻だった。
道具存在であるAIに人の尊厳を渡せないから、モビルスーツという兵器は有人単座機動兵器として設計されているのに、現実にはモビルスーツを動かす部品として人間が育てられてしまっている。
その醜悪な所業の産物がスレッタ・マーキュリーだと聞かされて、グエルは気が狂いそうになった。
初恋の少女にそんな不条理が襲いかかっていたという現実を信じたくなくて、少年はコクピットの中で叫んだ。
「なんでそうなる! おかしいだろ!!」
『子供を愛せなかった親なんていくらでもいるじゃないか。スレッタとプロスペラ……お母さんの関係もそうだっただけだよ』
思い出す。
自分と父親を捨てて出て行った実の母親。
グエルに端整な顔立ちを残していった遺伝子上の母親は、しかし、最後までグエル・ジェタークを我が子として愛してはくれなかった。
もう顔も思い出せない母親の幻影が、グエルの中でスレッタ・マーキュリーのそれと重なる。
この世に産み落としておきながら、
――
それが嘘偽らざるグエル・ジェタークの感情だった。
それは母に対する身勝手な期待かもしれなかったが、同時に、産み落とされた子供の切実な願いであった。
恐ろしいほどの共感の中で、それでもグエルは思い出す。
あのデートの夕暮れ時、スレッタ・マーキュリーがはにかみながら口にした言葉を。
――お母さんの遺言を、叶えるためです。
――すべてのガンダムを滅ぼす、それが、わたしに託された使命です。
「………っ! それは、そうかもしれないが……でも、あいつは言ったんだぞ! 母親の遺言を叶えるために戦ってきたんだって!!」
『まあ、お母さんも最期の最期にはスレッタのことを娘として認めてたみたいだからね……でもそれ、
どこか突き放した言い方なのは、エリクト自身、母親とスレッタの関係を割り切れてはいないからだ。
あるいはまだ、プロスペラ・マーキュリーが生きていたら、彼女は母親の肩を持っていたかもしれない。
今では他人事のように語れてしまうのは、プロスペラの死によって、エリクト・サマヤが変わってしまったことの証左だ。
母親が死んでしまったからこそ、エリクトはその呪縛から逃れられたのかもしれなかった。
「そんな残酷なこと……あっていいのか……!」
叫んだグエルの怒りに答える声はない。
エリクト自身、スレッタを好きになってくれた男の子の慟哭に、応える術を持たないからだ。
そうこうしているうちに、時間はあっという間に過ぎ去っていった。
プラント・クエタのXブロック――
五〇〇メートルを超える宇宙戦艦を何十隻も格納できそうな巨大な構造体の表面――そこから一機の機影が飛来する。
敵味方識別では友軍あつかい。
〈エアリアル)が戦闘態勢に入らないことから、グエルはそいつが味方なのだと信じた。
通信が向こうから入ってくる。
『ようこそXブロックに。歓迎するよ二人とも――』
「エラン? …………いや、お前は誰だ?」
通信の向こうの相手は、顔も声もよく見知った友人に似ていたが、どこかが決定的に違った。
発音の仕方も表情の作り方も、別人のそれだと気づくのはそう難しいことではなかった。
『僕はエラン・フィフス、君の知ってるエランの元同僚さ。今はわけあってシン・セー開発公社のエージェントなんかをやってる』
彼の乗るダークグリーンのMSは、どこか〈エアリアル〉に似ていた――おそらくシン・セー開発公社の新型MSなのだろう。
首輪付きの身分って悲しいよね、と軽口を叩く少年は、軽薄な態度のまま本題を切り出した。
そのMSの視線は真っ直ぐに〈エアリアル〉に向けられていて。
『君がルイの使いで監視役なのはわかったよ、で、例の装置はどこ?』
『それじゃあ、もったいぶるのもやめにして。エリクトさんだっけ? クワイエット・ゼロ――限定的にならできるってさ、データは送ったからあとはよろしく』
エリクトとエラン・フィフスの会話は、グエルには意味がわからないものだった。
〈ダリルバルデ〉のコクピットの中で、少年は戸惑いの表情を浮かべていた。
「クワイエット・ゼロ……?」
『グエル。ここまでスレッタの境遇を話したのは、君を信じたからだ。僕はこれから、電子戦ユニットとドッキングしてグラスレー艦隊の統制をめちゃくちゃにする。合図したら僕を信じて、Cブロックに最速最短で向かって欲しい』
「Xブロックからか……?」
『道中の安全は保障するよ――そこにスレッタはいる、らしい』
よくわからないが、エリクトと〈エアリアル〉にはこれからやることがあるらしい。
ルイ・ファシネータの言うとおりにして、ここで身を保護されるのが、理屈としては正しいのだろう。
ジェターク社CEOの子弟としての責任ある選択は、ここで保護されてクーデターの終息を待つことだ。
だが、そうはしていられないという予感があった。
ここで何もしなければ、グエル・ジェタークは一生後悔するという奇妙な予感があった。
その虫の知らせが、グエルに重い決断をさせた。
「……わかった、Cブロックだな」
『ありがとう』
『僕の仕事は君のお守りなんだけどな……え、マジで?』
顔を引きつらせるエラン・フィフスを視界に収めつつ、グエルはため息をついた。
――無事でいてくれよ、スレッタ・マーキュリー。
彼の願いは、最も残酷な形で叶うことになる。