少年に名前はない。
それは忘却され、廃棄され、破壊されてしまったから。
ゆえに彼はこう呼ばれる。
――強化人士四号。
――エラン・ケレスの影武者。
美しい少年であった。
背は高く、その美貌はまるで彫像のよう。
まさに理想の美少年という趣のある、王子様然とした容姿の持ち主だ。
だが、すべては嘘偽りにすぎない。
エラン・ケレス――企業によって選ばれた本物のエリートの影武者として、美容整形によって骨格から弄られ、モビルスーツを運用するために全身を改造され、脳組織すら加工された孤児の成れの果て。
――あるいは
それが少年、エラン・ケレスと名付けられた
彼はそういうものになってしまった時点で、自分の未来を諦めている。
いつか、強化改造手術でもまかないきれない呪いの負荷に押し潰され、自身の命が尽きるそのときまでの猶予時間。
それが自分の人生だと諦めている。
趣味といえば精々、悲観主義の哲学者の著書を読み込むことぐらいだろうか。
そんな少年は今、ペイル・テクノロジーズの支援する寮の自室に籠もって、熱心にとある映像を見返していた。
――グエル・ジェタークとスレッタ・マーキュリーの決闘。
――MS〈ディランザ〉とMS〈エアリアル〉の戦闘行為。
――たった一瞬の交錯で決着がついた、神業と呼ぶしかない斬撃と早撃ち。
――そして荒々しく暴力的なその後の打撃の数々。
決闘委員会として当時、リアルタイムでその映像を見ていたエランは、ほぅっとため息をついた。
自分らしくもなく魅入っているとわかっている。
そう、それほどまでに自分はこの戦いに魅入られている。
何故ならば。
「この動きのよさ、この反応速度、これはまるで……」
わかる。
AIを介したモーションプログラムでは、これほどまでに人間くさい動きはできない。
AI制御による動作プログラムは、モビルスーツが戦闘兵器であるがゆえに無駄がない。
機敏で精密でありながら奇妙な癖のある挙動――まるで中に人間が入っていて、その肉体の延長として一八メートルの巨人を動かしているかのような。
その特徴を、彼は知っている。
「……ガンダム?」
何者かが学園にガンダムを送り込んだとでもいうのだろうか。
そんな好奇心に駆られながら、彼は決闘の映像をまた見返す。
注目するのはただ一人。
「スレッタ・マーキュリー……」
――君は一体、何者なんだ?
少年の疑問は、
◆
――は? 二度目の決闘? バカなの? スレッタなの?
「エリクト、わたしのことバカにしてるでしょ」
――してるしてる。わざわざいけ好かない大人の言うこと聞いて働いてさ、自分からおかわりとかワーカホリックすぎでしょ。
――お姉ちゃんは一日二時間労働の週休六日制を推進しています!! ノーモア時間泥棒!!
「えっとね、でもそこはどうでもよくって」
――よくないって! 僕の話聞こうよ!?
〈エアリアル〉のコクピットの中ですっかりおちゃらけている姉に、スレッタは爆弾発言を投げつけた。
「あのね、ミオリネさんが勘違いしちゃって……なんか、変な噂が耳に入ってたみたいで……」
――ふーん? 例のレンブランの娘? 性格が終わってる悪役令嬢だっけ?
「その話はもういいからっ……えっとね、仲直り、できたんだけど……わたしのこと、デリング・レンブランの隠し子だと思い込んじゃってるみたいなの」
沈黙。
それはまさしくフリーズと呼ぶに相応しい時間だった。
口を開いたとき、エリクトの声色は冷え切っていた。
――処そう。トマトみたいに潰してやろう。
――あの虐殺おじさんの遺伝子が僕の可愛いスレッタに入ってるわけないだろ!!
「い、言い過ぎだよぉ……」
――っていうか、スレッタもどんなこと喋ったのさ? 誤解を助長するようなこと言ってない?
「言ってないもん!
――
ぎゃあぎゃあとエリクトと話すスレッタの姿は、もはや地球寮では見慣れた風景だった。
最初こそ奇異の目で見ていた地球寮の面子も、「同年代の子供がいない極地環境で暮らしてきた」「母の遺品のモビルスーツとそのAIが家族みたいなもの」という説明を聞くと、皆、黙り込んでスレッタに優しい目を向けるようになった。
チュチュに至っては「あーしがお前の味方になってやっからよ……!」と浪花節を利かせていたぐらいである。
自分はそんなに可哀想に見えるのかな、とスレッタは思う。
たしかに人殺しになってしまったことは辛くて苦しくて悲しいけれど、それ以外はとても満ち足りているのに。
「何やってるの?」
そのときだった。
銀の長髪にとてつもなく綺麗な顔。
ミオリネ・レンブランがぬっと現れたのは。
「み、みみ、ミオリネさん!?」
「顔パスで入れたわ。婚約者ってことになってるもの、一応ね」
じろじろとコクピットの中を見られて、制服姿で焦りに焦った。
「ちゃちゃ、チャットAIとおしゃべりしてました!」
「あんた本当に好きね、それ……あ、やめろってことじゃないからね」
「おでかけ、してたんですよね。その、
露骨に嫌そうな顔になって、深々とため息をつくミオリネ。
「クソ親父はクズ親父になったわ」
「え、喧嘩して帰ってきたんですか!?」
「悪い? あのクソ親父とわたしの間にコネなんか期待されても迷惑よ」
例の決闘の話はトントン拍子で決まって、ドミニコス隊の上司ことケナンジ・アベリーから、ガンビットの使用許可も下りた。
疲弊しきっているケナンジの顔を見て、エリクトは「ざまあないね、中間管理職として苦しんで死ぬといい」などと悪態をついていた。
あとは実の娘であるミオリネから、最高権力者であるデリングにそれとなく、便宜を図ってもらえれば最高だったのだが。
「ミオリネさんって結構、役に立たないんですね……」
「言って良いことと悪いことあるでしょ!?」
「だ、だだ、だって! あんな自信満々に一枚噛ませろって言ってきて何もしてないですよ!?」
「正論はやめなさい、私への敬意が足りないわ! 生意気よ!」
「敬意って……花嫁とか姉妹とかわけわかんないです!」
「はー? そこはわかっておきなさいよ!」
〈エアリアル〉のコクピットの前でやかましく騒いでいる二人を見て、地球寮の寮長マルタン――気弱そうな少年は、ぼそりと呟いた。
「やっぱり本当なのかなあ、あの噂……」
曰く、新ホルダーことスレッタ・マーキュリーの正体は理事長の隠し子である。
事実無根の噂話は、じっくりと着実にアスティカシア高等専門学園に根付きつつあった。
◆
「総裁からの直々のご指名だ。此度、我がジェターク社の新型MSと、総裁肝いりの
ジェターク・ヘビー・マシーナリー社の所有する
ジェターク社の代表であるヴィム・ジェタークは、社員に向けて演説をぶっていた。
「そう、我が社の〈ダリルバルデ〉が指名されたのだ! デモンストレーションの内容はアスティカシア高等専門学園での決闘、つまりこれは我が社にとってはリベンジということになる!」
ヴィムの背後で大型スクリーンに表示される映像は、会議室に集められた重役たちにとって衝撃的なものだった。
先日のアスティカシア高等専門学園での〈ディランザ〉の敗北は、社員一同、知ることとなっている。
だが実際に、その映像を見せられると、敵の動きの鋭さに衝撃を覚えざるを得ない。
彼らは皆、ヴィム・ジェタークという男の豪腕を信じているし、その息子グエル・ジェタークが連戦連勝の優れたパイロットであることも承知している。
それがまるで、
「敵は強大だ! 相手のモビルスーツとパイロットは、先日、我が息子グエルを打ち破って新たなホルダーとなっている!」
すなわちそれは、それだけ敵モビルスーツの性能と、パイロットの技量が卓越している証に他ならない。
「パイロットは先方からの指名で再びグエル・ジェタークが務める! これは学生同士の決闘という建前で、ベネリット・グループの次世代MSのお披露目をしようという目論見なのだッ!」
地球圏最大の企業複合体であるベネリット・グループは様々な事業に手を出しているが、やはりその事業の牽引役は高度なロボット技術とAI技術の結晶であるモビルスーツだ。
モビルスーツそれ自体は人型作業重機であり、有人単座戦闘兵器に過ぎないが、そこから派生したスピンオフ技術は様々な製品に利用されている。
安全保障上の優位を勝ち取るという意味でも、ベネリット・グループとその取引先にとってモビルスーツ事業の興亡は死活問題なのである。
近年、モビルスーツ事業がよく言えば安定、悪く言えば停滞し他企業グループに追い付かれつつある現状、グループは新たなカンフル剤を必要としていた。
グループ内での注目度が高いことは、否が応にも理解できる状況だった。
「これは、我が社の製品が如何に優れているかを見せつける好機だ! 皆の力を結集するときが来たのだ!!」
ヴィムの演説の熱に浮かされて、場の空気は一つになっていた。
「その通りです、社長!」
「ジェタークの力を知らしめましょう!!」
「我々がジェタークをさらに盛り立ててみせます!!!」
うおおおお、と盛り上がる大人たち。
それは祭りを目前にした熱狂に似ていた。
一方そのころ、ジェターク社所有のモビルスーツ試験場では――グエル・ジェタークが、パイロットスーツに身を包んでMSハンガーに来ていた。
治療が上手くいったのか、コクピットに入るだけなら問題はない。
だから自分はもう一度戦えるはずだ、と祈るように念じながら、グエルは父の用意したという新型を、連絡用通路の上から見た。
それは深紅の鎧武者だった。
全高一八・七メートル、重量七二・八トン。
全身に内蔵火器と近接兵装を配置し、遠隔操作型ドローンユニットをMSの手足として組み込んだ第五世代実証機。
両肩に巨大なシールドユニット二基を装備、武装を内蔵した両脚は軽量級MSの胴体ほどもある太さ。
その装甲と武器の塊というべきMSは、その名を――
――〈ダリルバルデ〉という。
グエルは、コンソールからAIを調整中のエンジニアに声をかける。
「こいつには意思拡張AIが組み込まれてるんだったな。使えるのか?」
「ええ、坊ちゃん。意思拡張AIは、パイロットの操縦を読み込んで、そのサポートをするために作られています。シールドビットによる自動防御などは、パイロットが操縦に専念するためにあるんですよ」
「アシスト機能ってワケか」
「えぇ……まぁ、その」
「怒ってはいない。スレッタ・マーキュリーに勝つためなら、俺はなんだって使うさ」
そして問うた。
「俺は何をすればいい?」
「なるべく多くの時間、操縦してこいつに教えてやってください。坊ちゃんの理想の動きがどういうものなのかを」
「ペットの躾みたいなもんか、わかった」
ぶるり、と震えた手を握りしめた。
やはりモビルスーツに対する恐怖心が、完全に消えたわけではない。
だが、それでも勝ちたい相手がいるのだ。
――武者震いに決まっている。
そう自分に言い聞かせ、グエル・ジェタークは〈ダリルバルデ〉のコクピットへ向かうのだった。
ヴィムの迂闊な発言→グエル以外の生徒(ジェターク寮)経由でじわじわ広がったっぽい噂です。
次回、決闘でMS戦でグエル編の決着です。