――ジェターク社保有フロントにて。
グエル・ジェタークは苦悩していた。
学園では「タフなジェタークの寮長」という役回りをロールプレイしていた――スレッタに敗北してからはそうでもない――ものの、本来、彼は繊細で包容力のある男子なのである。
そういうわけだから、いざ、エラン・フォースから「好きな女の子のために手を組め」と催促されようと、その場では決めかねると返すのが精一杯だった。
優柔不断なのではない。
なまじ衝動的な行動で大失敗した直後なだけに、怖じ気づいているのだと言われれば、そうなのかもしれなかったけれど。
即断即決で決められたエランを羨みつつも、ジェターク社の子息である立場も捨てられないのがグエルという若者の嘘偽らざる本音だ。
父親からの呼び出しに応じて、ジェターク社保有のフロントにやってきたグエルを待っていたのは、ニコニコとして機嫌が良さそうな父親だった。
「と、父さん……? どうしたんだ?」
「ふん、そんなに俺の機嫌が良さそうに見えたか?」
「違ったんですか?」
「馬鹿者、いいに決まっているだろうが。そうでなければお前を呼び出しなどしない」
てっきりまた叱責されるのかと思っていたグエルとしては、意味がわからない状況である。
ずかずかと大股で歩く父のあとをついて通路を移動して、エレベーターに乗って。
思い切って、グエルは尋ねてみた。
「父さん、今日は一体何の要件なんですか?」
「先日、お前と〈ダリルバルデ〉が敗れた件な。俺の方でも確認したが、今の〈ダリルバルデ〉では勝てないな、あれは」
「……っ!」
自分のMS操縦の腕を否定されたようで、グエルは悔しさを感じて歯噛みする。
しかしそんな愛息の様子など歯牙にもかけず、ヴィムは自身の思考をなぞるように言葉を続けた。
「だが我が社には最高の技術者たちがいる! すでに打倒〈エアリアル〉のためのモビルスーツは開発されている!」
「へっ?」
「なんだその気の抜けた返事はっ! シャキッとせんか、馬鹿者!」
「ご、ごめん……それってまさか」
エレベーターのドアが開き、疑似重力のかけられたMS開発区画に入る。
そこには一体のMSが固定されている。
広々としたMSハンガーに置いてある機体はまだ塗装も施されておらず、ダークグレーの下地の色が剥き出しになっている。
突き出た二本のブレードアンテナが、東洋の鬼神を思わせる造形の巨人。
そのT字型のバイザーフェイスに、グエルは見覚えがあった。
「〈シュバルゼッテ〉……!?」
「そうだ、我が社の社運を賭けた第五世代MSのコンセプトモデル〈シュバルゼッテ〉――この機体の完成を以てお前の決闘を許可する! 必ず勝てよ!!」
そんなのありか、と思った。
呆然としているグエルの背中をバシバシと叩いて、ヴィムは破顔一笑した。
「惚れた女に手ひどく振られたぐらいでしょげるな!! 勝つための新しいMSも用意した、今こそ水星の魔女にリベンジするときだ!!」
勝てばいい――さすれば惚れた女も、名誉も、会社の利益も手に入るのだ、と言いたげな口調。
グエルの父親は化石のような野蛮な男のマッチョイズムを体現しているタイプであり、落ち込んでいる息子への励ましも無神経でデリカシーがなかった。
だが、その無神経さに呆れつつ、何故か安心している自分がいることにグエルは気づいた。
良くも悪くもこれがジェターク家の家族の風景なのだ。
そんなことだから嫁と愛人の二人に逃げられるのだ、とも言えるが。
「……父さんはさ……」
「なんだ?」
「いや、何でもない。こいつも意思拡張AIで動いてるなら、学習は……」
「それも考えてある」
ヴィムが合図すると、MSハンガーの橋の方から人影が出てきた。
端整な顔立ちに耳飾りが印象的な美少年は、グエルのよく知る人物であった。
「エラン……!? なんでお前がここに……」
「……ジェターク社と業務提携したんだ。〈ファラクト〉改修型で模擬戦の相手を務めさせてもらう」
「今の〈ファラクト〉はシン・セー開発公社の持ち物だろ!?」
「それも問題ない、俺が直接話をつけてきた」
ヴィム・ジェタークはがさつで粗暴で目先の権力欲に囚われがちな人物である。
はっきり言って野蛮な男だ。
だがそれが無能者を意味しないのが、人間の複雑怪奇な側面と言えよう。
おおよそ普段のヴィムの言動からは想像しづらいことだが、彼の得意分野はこう言った地道な根回しとコネ作りであり、今回もCEO自ら、ペイル社とシン・セー開発公社に話をつけてきたのである。
ジェターク社の新型MSに必要なデータ収集――おそらくは多分に借りを作る形での取引とはいえ、これを通してしまえるところにヴィムの豪腕があった。
「ガンダムの学習をするなら同じガンダムの相手が効率的だからね。今の〈エアリアル〉に近い機動性を発揮できて、ガンビットの使用もできる〈ファラクト〉はぴったりだろう?」
「そういうことだ。何、お前が勝てば問題あるまい――グエル、わかっているな?」
父に圧力をかけられたが、そんなことも気にならないほどグエルはびっくりしている。
少年は今、エランの行動力に驚かされていた。
強情な父のことである。あくまで今回の業務提携はジェターク社の主導なのだろうが、それがすんなりと通ったのは、エラン自身が乗り気だったのもあるだろう。
よもやこんな風にグエルを動かしに来るとは予期できなかった、というほかない。
「あ、ああ……わかったよ、父さん」
「ならシャキッとせんか、狐狸に化かされたような顔をしおって……」
負けられないな、と思った。
だからだろうか。
「父さん、〈シュバルゼッテ〉の色なんだけど――」
ふと、グエルはスレッタ・マーキュリーの言葉を思い出す。
――逃げれば一つ。
――進めば二つ。
その言葉が正しく報われるとは限らないけれど、そうあって欲しいという祈りと共に。
グエル・ジェタークは自身のために決意表明した。
思い浮かべるのは、
「――白にしてくれないか」
◆
「…………なんで生きてるのかしら、私」
銀髪の少女のこぼした呟きは、水が流れる音に溶けて消えた。
シャワールームで滝のようなシャワー――水を潤沢に使えるのはアスティカシア高等専門学園の豊かさの象徴だ――を浴びながら、ミオリネ・レンブランは呆然としていた。
ここ最近は比較的調子が良くなってきた――PTSDに対するアド・ステラの最新の治療法が効果を発揮してきたのだ――ので、こうしてシャワーを浴びているのだが、それでもふとネガティブな感情が顔を覗かせてしまうのは避けられなかった。
無気力な鬱状態から回復してきたからこそ、ミオリネ生来の感情の上下の激しさが表に出てきたとも言える。
常人であればここでさらに自傷行為に走ってしまうかもしれない。
だが、このとき彼女の脳裏をよぎったのは純粋な疑問だった。
――どうして私は生きているんだろう。
わかりきっている。
あの日あのとき、母は自分を庇って倒れた。
この命はそうして、ノートレット・レンブランが守ってくれた命なのだ。
奥歯を合わせて、強く強く噛みしめた。
どんなに辛くても、死にたいぐらい苦しくても、それはたぶんミオリネにとっての正解ではない。
母はきっと、そんな結末を願って娘を庇ったのではないのだから。
――そうでしょう、お母さん。
ぬるいシャワーの温度を下げて、冷水を頭から引っ被った。
ぶるっ、と透き通るように白い肌が震える。
寒い。
だが同時に、ひどく頭が冴え渡っていくのがわかった。
自分が何に傷ついて、何に苦しんでいたのかを見据えていくと、どうにも収まりがつかない感情があることに気づいた。
「…………冷静になってくるとムカついてきたわね。クソ親父が
ぶつぶつと独り言。
そう、ミオリネ・レンブランがここまで深く傷つき、苦しんでいるのは何も、母の死の真相を知ったからだけではない。
本当の家族のように大切に思っていた少女――スレッタ・マーキュリーから断絶を突きつけられ、その色濃い愛憎を知ったからこそ、自分はここまで苦悶しているのだ。
今までミオリネは罪悪感に苦しんできた。
それを克服できたわけでもない。
しかしこうも思うのだ――そもそもスレッタに断罪されるほど、自分は悪いことをしたのか、と。
「仇の娘とか、デリングの娘とか、どいつもこいつも……ああぁぁああああぁあ、ムカついてきた!!」
端から見てると鬱状態から情緒不安定になって、いきなり虚空に向かってキレ始めた人である。
しかしシャワールームで叫ぶと、不思議とすっきりした。
思い出す。
あのプラント・クエタでの事件で、血まみれになりながら自分を助けに来た赤毛の少女。
スレッタ・マーキュリー。
魔女の娘、ガンダムを滅ぼすためガンダムを駆る矛盾に満ちた大切な人。
その姿に恐れがないなんて言えば、嘘になる。
怖い。
銃を手にする者も、銃に撃たれる者も、等しくミオリネにとっては怪物とその犠牲者のように見える。
それは母を失ったあの日、少女に刻みつけられた癒えぬ傷跡なのだ。
だが、それでもこう思うのだ。
――このままでいいわけがない。
傷ついた表情で自分から離れていった親友のことを思う。
自分はもう一度、あの子と会わねばならないと強く、強く感じた。
それがどんな結末に至るかはわからない。
あるいは今度こそ、取り返しがつかない結末に至って、自分は泣くほど後悔するのかもしれない。
「…………スレッタ。あんたを逃すほど、私はお人好しじゃないんだから」
――それでもミオリネ・レンブランはこいねがう。
――少女との再会を。