『あ、そういえばルイ。クワイエット・ゼロのことは話すの?』
「……クワイエット・ゼロ? 何それ?」
エリクトがその単語を口にしたのが、一つのターニングポイントだった。
あとから思い返したとき、本当に引き返せない橋を渡ったのはどこだったのかやっと自覚ができるような場面。
母親が品種改良したトマトにゲノム編集技術が用いられており、妙なメッセージが仕込まれていると知らされたことで頭がいっぱいになっていたミオリネ・レンブラン――聞き慣れぬ単語に少女が小首をかしげると、ルイ・ファシネータの浮遊ドローンが声を発した。
『まあ、ここまで話してしまった以上は明かしましょう――』
「ま、待ってよ! 僕らはただの学生なんだ、これ以上は聞きたくないよ!?」
「そうだぞクソスペ……クソAI! あーしたちはいよいよ関係ねえ話題だろこれ!?」
『マルタン様、チュアチュリー様。残念ながらもう手遅れです。ここまで聞いた以上は関係者として扱わせていただきます』
横暴だぞ、とキレるチュチュを横目に、メカニック科三年のティルとアリヤは渋面でため息をついた。
「……こういうところ、スレッタにそっくりだね」
「スレッタの身内なんだ、それも当然かもしれない」
地球寮のメンバーが諦念と共に押し黙ったタイミングで、ルイ・ファシネータはクワイエット・ゼロ計画について話し始めた。
それはまるでおとぎ話のようなスケールのとんでもない計画だった。
デリング・レンブランが推し進めるクワイエット・ゼロ計画とその真意。
――パーメットスコアを高めたコアユニットを中心にデータストーム・フィールドを臨界点に到達させ増幅拡大させるフェーズ1。
――データストームの空間化により、地球圏にはびこる汚染型AIと戦術ドローン群、自動工場などを機能停止させ浄化させるフェーズ2。
――その後、あらゆる電子機器への干渉によって地球圏から戦争行為を一掃し、すべてのインフラを掌握して
通称オペレーション・ピースキーパー。
その中枢として〈エアリアル〉のオーバーライド機能が必要であり、そのためにスレッタは戦いを宿命づけられていたこと。
それらの事実を淡々と話し終えたルイは、まるで今晩の夕食はシチューですと告げるように簡素に言葉を句切った。
『――以上がクワイエット・ゼロ計画とそれに必要なピースになります』
次々とヤバい情報――つまりこれはデリング・レンブランが世界征服を目論んでいるという事実の白状に他ならない――をお漏らししてくるルイに対して、シャディクは鋭い語気で問い詰めた。
「――何が目的だい?」
『皆さんにスレッタと同じ視点を持って欲しいのですよ。彼女はこの計画のことも知っています。今、あなた方と距離を取っているのは、それなりの理由があります。皆さんには熟慮していただきたいのです』
「シンギュラリティ越えの人工知能に説教されるのって、リアクションに困るな……」
シャディクとしてはもう笑うしかない。
同時に何故、義父サリウス・ゼネリがクーデターなどというハイリスクな手段に走ったのか、理解できてしまった。
無理もない、と思った。
確かにデリングの計画は常軌を逸している。
文字通りの世界征服による平和など、一体どこの誰が夢想しただろうか。
何より最悪なのは、それが権力に疲弊した独裁者の夢物語などではなく、〈エアリアル〉のオーバーライドという形で、すでにその破壊力が証明されていることだ。
もしデータストームの空間化なる現象が真実なら、とシャディクが考えたところでミオリネが口を開いた。
「ベルメリアさん、専門家としての見解を聞かせてください……クワイエット・ゼロは可能なんですか?」
「……理論上は可能よ。でもそれには膨大な数量のパーメットとシェルユニットが必要になる。ヴァナディース機関にいたときの私なら実現不可能と答えたかもしれない」
「今は違うんですね?」
「……ええ。ベネリット・グループほど強大な企業グループの財力なら不可能じゃないわ。新型GUNDフォーマットという形で、デリング総裁はガンダムの容認に舵を切っていた。それもこの計画のためというなら、納得できる……」
ベルメリア・ウィンストンの断言に、ミーティングルームは静まりかえっている。
顎に手を当てて考え込むミオリネ・レンブランは、すぅーっと深呼吸して。
はぁっと大きく息を吐き出した。
「あんのッ、クソ親父……」
その呟きにどのような激情が込められていたのか、余人には推し量ることしかできなかったが――それが母を亡くした父の最後の執念なのだと、娘は悟っているようだった。
直後、地球寮の出入り口の扉が開いて、場の空気も知らずに一人の少女が入ってきた。
燃えるような赤毛、褐色の肌、特徴的な太い眉にたれ目。
愛嬌のある可愛らしい少女は、名をスレッタ・マーキュリーという。
彼女はきょろきょろと周囲を見回していたが、即席のミーティングルームの面子の中にミオリネがいるのを目視すると、びくんとその身体が跳ね上がった。
「い、ひっ!? み、み、み、ミオリネさん!?」
一方、ミオリネは。
声がした方を一瞥すると、それはそれは恐ろしい顔つきでため息一つ。
目を閉じたあと、すっと深呼吸して口を開いた。
「スレッタ、宇宙服を着て三〇分後に中央ブロックの一二番ゲートに来なさい」
「え、えええぇええ!? み、み、ミオリネさん?」
「逃げたら地の果てまで追い詰めるわよ?」
「ひぃいいいいい!?」
そういうことになった。
◆
アスティカシア高等専門学園のフロント中央ブロック一二番ゲート――ここは学園内でも珍しい無重力環境であり、屋内でありながら宇宙空間での屋外作業の訓練ができるエリアだ。
この部屋に入る生徒はノーマルスーツの着用が義務づけられているが、きちんと与圧されているので、万が一、宇宙服が脱げても安心である。
様々な環境をホログラムの投影で再現できる屋内施設には、今、フロント宙域とフロント外壁が投影されていた。
そんな場所に今、二人の少女が入室している。
ふよふよと無重力空間を漂い、向かい合う二人――いずれもノーマルスーツを着込んでおり、ヘルメットまで着用していて準備はバッチリだ。
一人は赤毛の少女スレッタ・マーキュリー、学園最強のMSパイロットである。
もう一人は銀髪の少女ミオリネ・レンブラン、学園理事長の娘にして花嫁に位置づけられた乙女である。
そんな二人の間の空気は、最悪の一言であった。
「み、み、み、ミオリネさん! なんなんですか、こんなところに呼び出して!」
「…………スレッタ」
あまりにもわだかまりがありすぎる仲の二人――虐殺の加害者と被害者、それぞれの娘――は、戸惑うようにしばらく黙って互いの顔色をうかがっていたが。
先に動いたのはミオリネ・レンブランの方だった。
「この…………バカァアアアア!!!!」
「ひぎぃ!?」
地面を蹴って、反作用でスレッタ目がけて加速するミオリネ。
少女の全体重とノーマルスーツの重量が乗った重いタックルが、不意打ち同然にスレッタにぶち込まれた。
戸惑いながらその重い一撃を受け止めたスレッタが、ミオリネの蛮行を慰撫するように言葉を吐き出す。
「やめてください! 本気で喧嘩したら……ミオリネさんが、わたしに敵うわけないじゃないですか!」
「うっさいわね、やってみなきゃ……わかんないでしょうが!!」
「ごへぇ!?」
頭を使っての打撃――いい感じの頭突きだった。
みぞおちにいいのが入ったらしく、年頃の乙女があげてはいけない類の苦悶の声を上げるスレッタ・マーキュリー。
そんなスレッタの様子には目もくれず、両手でその身体にしがみつき、ドスドスと頭突きを繰り返すミオリネ――その暴言は留まることを知らない。
「今のあんたの現状は……ぬいぐるみからペ〇スが生えたみたいなもんなのよ!? みんなびっくりしてるけど、現在進行形であんたの評価は取り返しがつかないことになりつつあるわ!!」
「ぬいぐるみから〇ニス!?」
この場にグエルとエランがいたら引きそうな感じの暴言である。
ミオリネの言葉は続く。
「最ッ初からあんたのことは気にくわなかった……辛気くさい顔して! 人を悪役令嬢呼ばわりして……あと妹だって誤解を放置して……!」
半分以上は私怨だった。
というかミオリネが間抜けなだけである。
「やめてください……それ以上は本当に!!」
「大好きなお母さんに愛されてなかった? こっちは失言でお母さん殺してるのよ、あんたとはレベルが違うわ!!」
「――ッ!」
我慢の限界であった。
スレッタは思わず本音をぶっちゃけた。
「自業自得じゃないですか!? ミオリネさんに何がわかるんですか!?」
「このドブス……言ってくれるじゃない!!」
人生で聞いたことがない罵倒だった。
スレッタは目を見開き、絶句する。
「ド、ブス……!?」
脳みそが理解を拒否した単語に対し、ミオリネは丁寧に解説を加えながら罵詈雑言を反復した。
「何度でも言ってやるわ、あんたって救いようがない被害者面のナルシストなのね、このブス!! ただのブスじゃないわ、ド級のブス、ドブスよ!!!」
「ぶっ……はぁああ!? わたしは可愛いですけど!?」
「うっさいわね麻呂眉! 平安貴族みたいに着飾らせてやろうかしら!?」
「い、い、今ひどい侮辱を受けた気がします!!!」
さっきから黙って聞いていれば、言いたい放題である。
スレッタの堪忍袋ははち切れる寸前であった。
決定打になったのは、次の一言だった。
「本ッ当……! 世界で一番自分が不幸って顔ね! そんなに卑屈で生きてて楽しい!?」
流石にスレッタもキレた。
声を荒げて、少女はミオリネに掴みかかりながら叫ぶ。
「恵まれた世界しか知らないあなたが!」
「知らないわよ、人は所詮、自分の知ってる世界しかわからないんだから!!」
「そんな理屈!! 開き直りじゃないですか!!」
互いの宇宙服のヘルメットとヘルメットがぶつかり合い、硬質な音を立てた。
スレッタとミオリネの体格と筋力の差はいかんともしがたいが、無重力空間では踏ん張りが効かず、打撃が放ちにくいため決定的な差にはなりにくいのだ。
そこまで見越して喧嘩を売る空間を選んだ、ミオリネ・レンブランの作戦勝ちと言うべきだろうか。
つまりどういうことかと言えば、今の二人は、大変見苦しい揉みくちゃの掴み合いになっている。
「ええ、開き直りよ! だいたいね、あんたの母親は本物の魔女じゃない! 冷静に考えてろくでもない親なのは薄々わかってたでしょうが!」
「……な、ななっ! あなたのお母さんだってクワイエット・ゼロの元凶じゃないですか! しかもお父さんはあのデリング・レンブランです!」
「あのクソ親父を出してくるのは反則でしょうが! ……待って、お母さんがクワイエット・ゼロの元凶ってマジ!?」
「マジです!
意味不明な単語に一瞬、ミオリネの思考が止まった。
「……
「隙あり!!」
「へぶぅ!?」
動きの止まったミオリネを見逃すほど、怒ったスレッタはお人好しではなかった。
両手でミオリネの肩を掴んだ少女は、右膝を鋭くそのお腹に打ち込んだ。
お手本にしたいような綺麗な膝蹴りである。
「あなたはっ! デリング・レンブランの娘で! ぬくぬくとわたしたちの庇護の元で育って! 籠の中の鳥で!! 知った風な口を利ける権利なんてないんです!!」
「ぐはっ!? げほっ!?」
ノーマルスーツの衝撃吸収剤でも吸収しきれない重ための打撃が突き刺さり、身体をくの字に曲げてうめき声をあげるミオリネ。
とても学園一の美少女(スレッタ主観)とは思えないみっともないうめき声である。
辛うじて嘔吐は避けられたものの、その寸前まで追い詰められるような大ピンチだった。
流石にヤバいと悟ったスレッタが手を離すと、咳き込みながらもミオリネの目は力強かった。
まるで蛇のように執念深い灰色の瞳が、スレッタをじっと見つめている。
その端整な顔立ちからは想像できないほど、その気性は荒く発言は極端だった。
「うっさいわね、脳みそまでマッチョイズムに支配されてるの!? みんなのために頑張ったやつ以外の発言権がない世界なんてね、軍人の考える頭お花畑の典型例なのよこの脳みそ右翼!! 素直にみんなに褒めてもらいたいですって駄々をこねたら!?」
「このっ!! わからず屋!! そんなだから! デリングさんともすれ違ってるんです!」
「クソ親父の人権侵害はね、どう足掻いてもクソ親なのよ!! 部外者がしゃしゃり出てるんじゃないわよ!!」
「ひどいダブスタです!!」
自分は他人の母親に対して口出しするくせに、とスレッタは思う。
そういうのが本当にズルいと感じてしまうから、スレッタ・マーキュリーはもう、外野の目――地球寮の面子が管制室でこのやりとりを聞いているのだ――も忘れて叫ぶ。
「だいたいみんな意味わかんないんですよ!! 顔も知らない誰かの流した血は受け入れられるのに!! 自分が犠牲にするちょっとの自由は惜しむんですか!? なんでクワイエット・ゼロがいけないのか、誰か説明してくださいよ!!」
ルイとエリクトが、クワイエット・ゼロのことをみんなに明かしたと知ってから、スレッタはずっと聞きたかったことぶちまけた。
一体、クワイエット・ゼロの何がそんなに悪いのか、今の世界の地獄を知る少女にはわからない。
たとえそのために自分の人生が消費されることになろうと、仕方がないと思える程度に。
「そのために……あんたと〈エアリアル〉はクワイエット・ゼロを実行するわけ!? あんたの寿命が尽きるまで続くような世界征服を?」
「それでみんなが救われるなら! わたしはよろこんで――」
スレッタの心からの言葉に対して。
今度、本気で切れたのはミオリネ・レンブランの方だった。
「バァ~~~~~~~~ッカじゃないの!?」
「なっ!?」
ストレートな暴言だった。
誤解の余地もないほどの嫌悪をにじませて、ミオリネは怒り狂っていた。
スレッタ・マーキュリーの自己犠牲癖に対して、少女は今、心の底から怒っている。
そんな選択肢を彼女に選ばせる世界も、父親も、自分たちの弱さも――何もかもが嫌で堪らないという声音で、ミオリネは再び叫んだ。
「そんなに神様みたいになりたいなら、自分も含めて幸せになれるような道を探しなさいよ! あんたに救世主面される未来なんてぞっとしないわ!!」
「ミオリネさん、あなたって人は――」
メラメラと憤怒の炎を燃やすミオリネ・レンブランは、数秒間、沈黙したあと顔を上げスレッタの顔を見据えて。
びしっと人差し指でその顔面を指さして、白いハンカチを叩きつけるように宣言した。
「決めた……私の
あまりにも横暴な決闘の申し込みに、スレッタは目を丸くして。
ただただ呆然としたあと、わなわなと身体を震わせて――理不尽な花嫁(このままだと二人の結婚は確定的なのだ)に対して、精一杯の抗議の声を張り上げるのだった。
「あ、ああぁあ、悪役令嬢ですこの人!!!!」
「誰が悪役令嬢よ!?」
無重力ファイトシーンはSulettaとThe Witch From Mercuryが推奨BGMです。