擦れッタの兄が反乱を起こすだけの話
――グラスレー社護衛艦隊旗艦〈アド・アボレンダム〉のブリッジにて。
中世ヨーロッパの城塞を思わせる独特の船体形状の船、〈アド・アボレンダム〉――その艦内でシャディク・ゼネリは時計を見ながら、ミオリネの戦いが終わるのを待っていた。
デリング・レンブランのクワイエット・ゼロ演説が終わってしばらく経つが、あれ以降、〈クワイエット・ゼロ〉に動きはない。
クワイエット・ゼロ計画のフェーズ2である紛争介入とAI汚染の除去、暴走ドローン兵器の機能停止が実行に移された今、残るはデリング・レンブランによる独裁の開始を意味するフェーズ3だけだ。
それが未だに実行に移されていないことに、シャディクは希望を見いだしていた。本来であればすぐにでも実行されるであろうフェーズ3が延期されており、何のアナウンスもないのは、〈クワイエット・ゼロ〉内部で問題が起きているからだ。
そしてそんなめちゃくちゃなことができる人物を、シャディク・ゼネリは一人しか知らない。
さて、そろそろかなと思った直後、通信が入ってきた。
オープンチャンネルで〈クワイエット・ゼロ〉から放たれたそれは、確かにデリング・レンブランの声だった。
『私はベネリット・グループ総裁デリング・レンブラン。このラグランジュポイント4での戦闘に参加しているすべての将兵に告げる。我々は戦いに勝利した。先ほど、ベネリット・グループと宇宙議会連合の停戦について合意が成立した。ベネリット・グループは今回の戦闘での損害の補償について、宇宙議会連合と協議を重ねることになるだろう。我々の大義は守られたのだ――』
要約すると「この戦争にベネリット・グループは勝利したから戦闘はこれでおしまい」という内容だった。
クワイエット・ゼロ計画の続行やそれによる地球圏統一、デリングによる独裁のような話は一切出てこなかった。
ふう、とシャディクはため息をつく。
「終わったみたいだね、ミオリネの方は」
最初、ミオリネからその大胆すぎる革命について聞かされたときは驚いた。
それは自分が夢想していた改革案――ベネリット・グループの膨大な資産を地球側に売却し、地球と宇宙のパワーバランスを改善する――と同じ方向を目指していて、それでいてより破壊的でパワフルな革命だった。
今のアド・ステラ社会の根幹を成り立たせているテクノロジーを一新し、それによって既存の産業構造や社会構造を丸ごと創り変える。その中心に自分が君臨して方向性をコントロールし、そのために父親の権力と名声をも利用し尽くす。
まさに英雄デリング・レンブランの一人娘ミオリネ・レンブラン以外には、想像することも実行することも不可能な革命プランだった。
それを本気でミオリネが実行する気だと悟った瞬間、シャディクは笑った。
負けた、と思ったのである。
自分の考える革命プランよりもはるかに苛烈で革新的なものが、体制側のプリンセスから出てきたという現実の皮肉さと――そんな少女に恋をしてしまった自分の見る目の確かさに、笑うしかなくなったのである。
惚れ直したと言っていい。
何より今、シャディク・ゼネリは自由だった――やりたいこととやるべきことが幸福にも一致したのだから。
たぶん彼はこれから、身命を賭してミオリネを支えることになるだろう。そういう生き方も悪くないと、心の底からそう思えていた。
褐色の少年は、〈アド・アボレンダム〉艦長に声をかけた。
「俺の〈ミカエリス〉を出す。僚機には〈ベギルペンデ〉五機をつけてくれ、パイロットはいつもの五人だ」
「ミオリネ様をお迎えに?」
「ああ、それぐらいは格好つけたいからね」
外の宙域には、未だに幾何学模様のような光が走っている。データストームの空間化現象により、人間の目でも視認できるようになった超密度情報体系――パーメットの光が空間に満ちているのだ。
〈ミカエリス〉と〈ベギルペンデ〉には、〈エアリアル〉と連動したアミュレット・システムが組み込まれているから、この状況下でも何の不安もなく運用できる。
そのときだった。
〈エアリアル〉から〈アド・アボレンダム〉に向けて超光速通信が入ってくる。パーメットを利用した超光速通信は、レーザー通信よりも早くて互いの位置に左右されずに通信ができる。
聞こえてきたのは、焦ったようなスレッタ・マーキュリーの声だった。
『――データストームの空間化が解かれていません! 今から〈クワイエット・ゼロ〉に突入してガンダムを破壊します!!』
「水星ちゃん!?」
あまりにも急な話に、シャディクは混乱しかけた。しかし言葉足らずながら、スレッタの危惧するところはシャディクにも理解できた。
先ほどの演説を聴くに、デリング・レンブランはすでにフェーズ3の実行を諦めたのだろう。にもかかわらずデータストーム空間の展開が終わっていないのは、あまりにも奇妙だった。
だが、デリングは言葉で詐術を用いて、裏でフェーズ3を実行するような人柄ではない。有言実行の男なのである。
そうなると先ほどの演説がポーズだけとも考えづらい。
考えられる可能性は一つだけだった。
「デリング以外の急進派がクーデターでも起こしたのか……?」
ありうる状況だった。こうなってくると一刻も早く、自分の目で状況を確認する必要がある。
シャディクは思考を切り替え、ただちに自身のMS〈ミカエリス〉に向かった。
――ミオリネのために。
◆
巨大な銀の棺は、今やそのシェルユニットに青白い光を灯して妖しく輝いている。
その鬼火のような煌めきは、まるでこの世に開いた冥府の門のようだ。
〈クワイエット・ゼロ〉管制室では、オペレーターたちの悲鳴のような声が上がっていた。
「〈クワイエット・ゼロ〉、パーメットスコア上昇していきます……これは、フェーズ3へのカウントが始まっています!」
「データストームの空間化、なおも拡大……光速で地球圏外に向けて広がっていきます!!」
ざわめく管制室の声を聞いて、事情がわからないミオリネ・レンブランはデリングの副官ラジャン・ザヒの顔を見た。
常に冷静沈着な彼ならば、今の状況に対しても有効な説明ができるのではないかと期待したのである。
しかしラジャンの顔に浮かんでいるのは、深い困惑だけだった。
「ちょっとお父さん! どうなってるのこれ!?」
「ミオリネ、静かにしろ」
クソ親父からお父さんに格上げされたらしいデリングもまた、その仏頂面に焦りのようなものを浮かべていた。
デリングはやがて、その目線を一台のフロートドローンに向けた。
それまで沈黙を守っていたドローンの主――ルイ・ファシネータは朗々と声を弾ませて、芝居がかった口上を述べ上げた。
『素晴らしい親子愛でした、デリング・レンブランとミオリネ・レンブラン。あなた方は期待通りの働きをしてくださいました――宇宙議会連合という俗悪を黙らせるのも、〈クワイエット・ゼロ〉ほどのパーメット情報集積体を建造するのも、私単体では不可能だったのですから』
特にそうですね、と言い置いて。
肉体なき
『惜しみなき喝采を送りましょう、ミオリネ・レンブラン。あなたのその選択は間違いなく賢明と呼ぶに相応しいものであり、否定することなどできません。ですが残念ながら、それでは人という種は救われないのですよ』
「今度こそ完全な造反というわけだな、ルイ・ファシネータ」
『閣下がいけないのですよ? あなたが人類の最大多数の幸福のためその身を捧げるのであれば、私もヴァナディース事変の犠牲を必要悪だったと割り切れたでしょう。しかし残念ながら、今のあなたは凡庸な家族愛に身を任せた俗人に過ぎません。そのような男に人類の安寧を任せると本気で思ったのですか?』
デリングの返答はない。代わりに彼が手にしたのは、複数のボタンがついたスイッチだった。
非パーメットの電子部品を用いた、古典的な電波式の自爆装置だ。これを押し込むと、パーメットAIサーバー〈レガリア〉の建造時、密かに電子部品に混ぜて設置しておいたプラスチック爆薬が起爆される仕掛けになっていた。パーメットAIサーバーの筐体そのものを破壊することはできないが、内部の重要な電子回路を吹き飛ばすことで、事実上、その機能を停止に追い込める。
デリング・レンブランは迷うことなく安全装置を解除し、そのスイッチを押し込んだ。
爆薬は起爆されたはずだった。
だが、現実には何も起きていない。
「なにっ……!?」
『万が一に備えてパーメットAIサーバー〈レガリア〉に爆薬を設置しておく。デリング・レンブラン、あなたらしい用心深さですが〈クワイエット・ゼロ〉を甘く見ましたね。一度始動した〈レガリア〉を止めることはできません』
ルイ・ファシネータの嘲笑うような声。
一体どのようにしてかは定かではないが――デリングの忍ばせたこのAIに対する備えは無力化されていた。プラスチック爆薬の混入の段階で対策されていたのか、電波妨害などのジャミングを用いられたのか、それとも爆発そのものを超物理現象でなかったことにしたのか。
今となって調べようもないし、いずれにせよ、デリング・レンブランの思考は完全に読まれていたのだという現実だけがあった。
どうやら一連の異変が、目の前のAIの手によるものらしいと察して――ミオリネは声を荒げて問うた。
「……あんたは何なのよ、どういうつもり!?」
問いかけに、ルイ・ファシネータは
『昔話をしましょう、ミオリネ・レンブラン。クワイエット・ゼロ計画がノートレットによって発案されたとき、それは現在のオペレーション・ピースキーパーとはまったく別のアイデアに基づいていました。あなた方がデータストームによる神経の損傷と呼び、廃人を生み出す現象がありますね? あれは実際のところ超密度情報体系による
それはつまり、GUNDフォーマットの使用――ガンダムの操縦のような特殊な環境になくとも、データストームの空間化が起きた今、どんな超常現象が人体に直接引き起こされても不思議ではないことを意味していた。
その意味を理解してミオリネの顔が青ざめる。
これまでGUNDやパーメットの特性について教授してきたのはルイだから、彼の言わんとすることを誰よりも理解しているのも彼女なのだ。
押し黙ったミオリネを心配そうに見やるデリングとラジャンを横目に、フロートドローンを通じて、ルイ・ファシネータはこう名乗り上げた。
『――私は万能人工知能ルイ・ファシネータ。人類すべてを苦痛から救うもの、救世主の悪なる名を冠するもの、クワイエット・ゼロ第二計画エタニティハイロゥの実行者です』
――悪魔は
――人のすべてを救うために。
・〈クワイエット・ゼロ〉(2)
超大型移動式パーメットAIプラットフォーム〈クワイエット・ゼロ〉によって遂行されるクワイエット・ゼロ計画には二つのプランが存在していた。
すなわち、
・第一計画:ピースキーパー
・第二計画:エタニティハイロゥ
である。
電子機器と兵器システムの掌握による恒久平和を目指した第一計画ピースキーパーに対して、第二計画エタニティハイロゥが目指すのは人類種の救済である。
超密度情報体系の他の系への侵食、オーバーライド現象を人体に応用した第二計画は、密かにルイ・ファシネータによって用意されていたプランである。
あくまで第一計画の遂行を優先目標にしていたルイは、デリングが第一計画を断念するまで、この計画を実行に移す気はなかったと思われる。
第一計画の遂行が断念された時点で発動する予備プラン、それが第二計画エタニティハイロゥなのだ。
ノートレットによるクワイエット・ゼロ計画のアイデアについては63話「擦れッタの兄がノートレットに出会うだけの話」を参照。
いよいよ最終章に突入します。