箱庭世界《キャンバス》に描く十五ノ夜の流血姫   作:ヨシオ、あん摩師から令嬢へ

3 / 9
03 自動生成の贋作

【侍猪】はまるで猪のようにひた走った。

 それは彼女にとっては初めての体験──足を止めれば、自らの生命を奪われるかもしれないという、根源的であまりにも「人間地味た」恐怖。

 

「はぁっ……はぁっ……! こんな、こんなことが、あっていいハズが……っ!」

 

 あっていいハズがない、そう口にしたかった。御使い(ヴァニタス)にとって人間とは一方的に殺し尽くすものの筈であり、人間に殺されそうになって逃げまどうなんて。まるで空を駆ける鳥が地を這う虫から逃げているような、そんな屈辱を感じていた。

 

 息を切らし、外見通りの少女のようなか弱さで揺れる黒髪を整え、両膝に手をつく【侍猪】。しかし、少しでも足を止めればすぐ後ろにはもうあの白衣の人間の、血のように赤い瞳がこちらを睨みつけているような気がして。息を整える間もなく、心臓が少しでも足を前に出せと強く脈打つ。

 

「ありえないっ、ありえないありえない! 私達御使い(ヴァニタス)が……怪画(アーツ)が、ただの人間ごときに、あんな簡単になんて」

 

 最早二本の刀に見合うような堅苦しい口調を作ることすら忘れてしまっているほどに、回り切らない酸素が脳の働きを阻害させる中、必死に現実を飲み込もうと……或いは現実から逃げようとする彼女の言葉。しかしその言葉とは裏腹に、【侍猪】の脳裏には一つの可能性を見出していた。

 

 

 

 御使い(ヴァニタス)に限らず、人間に害を成す怪画(アーツ)を秘密裏に封印、破壊等の処理を行い、人間社会の安寧を保ち続けている組織の存在。

 

 

 

怪画(アーツ)とは未だ謎に包まれているものの、この社会を発展させるためには必要不可欠であった貴重な資源、テクノロジーである」という認識を一般化させたかった人間社会に於いて、人間に害を成す怪画(アーツ)が存在することも、それらを封印する組織が存在することもマイナスイメージであった為に、人間社会には認知されることはなかった組織。

 だが、その組織は御使い(ヴァニタス)達からすれば天敵と成り得る為、或いは常識として誰もが知っている組織。

 

 

 

 怪画(アーツ)抑圧の時代、延いては「怪画(アーツ)に頼らずエネルギーを循環させる人間社会の復活」を求むその組織の名は【ルネサンス】。あの白衣で赤目の女はその構成員なのではないかと……否、そうでなくては有り得ないと【侍猪】は結論づけた。

 

 

 

「いくら油断していたとは言え、御使い(ヴァニタス)が一瞬で三人も殺されるなんて……忌々しい【ルネサンス】のメンバーに違いないわ、【解体兎】がやられたのにも納得がいく。私は戻って、もっと沢山の御使い(ヴァニタス)を呼び寄せなきゃ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ルネサンスが、なんだって? 何処に御使い(ヴァニタス)を呼び寄せようとしてるのか、聞かせてくんねーかなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 或いは、先程までずっと赤目の女に怯えていたから、それ以外の人間に注意を払うことを忘れていたのか。

 或いは、その人間がこの上なく上手く、気配を消していたのか。

 

 侍猪は、その声が聞こえるまで、「敵」の接近に気付くことすら出来なかった。

 

 ただでさえ命の危機に瀕していた彼女はその声に必要以上に驚き、咄嗟に飛び退き二本の刀の柄に手を掛ける。ゆっくりと鼓動が落ち着いていくと同時に、敵──或いはただの惨殺対象でしかない人間の観察を始めた。

 

 身長は一八〇センチ程あるだろうか、かなりの大柄な男。黒いコートに黒いズボン、スタッズの着いた派手な黒いブーツに、両手には黒い手袋まで嵌めた、全身黒ずくめの男。だからだろうか、血のように真っ赤に染められた赤い髪が凄まじく印象に焼き付く。気だるそうな瞳はその雰囲気とは裏腹に、侍猪がどう動こうとも目を離さない、という予感がした。

 

 

 

「なあ、こんなオヤツ時の日本で刀ぶら下げてる女。アンタ怪画(アーツ)だろ? しかも人殺す為の権能付きの御使い(ヴァニタス)とみた。そんな焦ってどこ行こうってンだよ」

 

 

 

 赤髪の男は侍猪が御使い(ヴァニタス)であることを見抜いた上で、わざわざ声を掛けてまで彼女に近付いた。しかも幾ら油断していたからと言えど、接近に気付けなかった人間である。間違いなくこの男はただの人間ではなく──

 

 

 

「──そういう貴様は【ルネサンス】の一員じゃな?」

「俺の質問は無視かよ……」

 

 

 

 鼓動が落ち着き、少しづつ落ち着きを取り戻したことで、独特の侍口調が戻る侍猪。だがしかし、緊張が解けることは無く、そこに一切の油断は無い。怪画の中に「侍」として描かれ、産み出されたその肉体に宿された精神が、目の前にいる敵を相手に油断をするなと囁き続けているのだ。

 そうだ、人を殺す為の権能を持っていた【解体兎】もあの学園で殺されたらしい。つい先刻、目の前で訳も分からぬままに同胞が三人地に伏す羽目になったことを忘れた訳ではあるまい。油断はするな、その上で戦いに、斬り合いに──虐殺に酔いしれ、快楽を享受しろ。それこそが御使い(ヴァニタス)【侍猪】の矜恃だ。

 

 

 

「……く、カカ! いいとも、質問に答えてやろう! 私は貴様ら人間を殺し尽くすことを主命として描かれ、平面の無限回廊から現世に産み落とされた御使い(ヴァニタス)が一人、【侍猪】と申す!」

 

 

 

 左手で一本の刀の柄を掴み、銀色に輝く刀身が鞘から抜き放たれる。

 

 

 

 

「我が権能、『二つの刀が交差し切り裂く』! 愚かな人間共の首と胴体を幾度となく分けてきたこの剣技! 冥土の土産として貴様にも見せてやろうぞ! さあ、いざ! いざいざいざっ!!」

 

 

 

 

 右手でもう一本の刀の柄を掴み、真っ黒に鈍く輝く刀身が鞘から抜き放たれた。

 

 

 

 

 

「いざっ──お立合いッッ!!!!」

 

 

 

 

 ドバァン、という凄まじい轟音。それは侍猪が勢い良く地面を蹴った音であり、猪の名を冠するに相応しい猪突猛進で男に向かっていった音である。その力強さ、そして速度は人間のそれを遥かに超えており、十メートル以上もあったその距離は瞬く間に縮まっていく。男と侍猪の間に障害物は無く、二振りの刀が男の首を狙い──

 

 

 

 

「──『鋼鉄/城壁』」

 

 

 

 

 ──『それ』は突然現れた。

 

 歪な形をした、されど巨大で圧倒的な質量を持った「障害物」。冷たい光沢を放つその物体は、堅牢な鋼鉄を思わせる分厚い壁。

 

 侍猪と男の間に、巨大な鉄の壁が障害物として突如顕現したのだ。

 侍猪の刀は当然障害物に阻まれ、男には届くことはない。刀の切っ先は巨大な鉄の壁を叩き──バギィン、という金属が弾け飛ぶような音と共に、そこに大きな穴を開けた。

 

 

 

「なるほど、そういう権能ね……さしずめ『刀で触れたもの全て貫く』ってとこか」

 

 

 

 ひしゃげたように空洞を作った鋼鉄の壁を見て、男が表情を一つ変えずに呟く。寧ろ表情を変えて驚いていたのは、その権能でたった今鋼鉄の壁に穴を開けた侍猪だった。

 

 

 

「なんじゃ貴様……!? 今一体何をした!? 明らかにこんな所にさっきまで無かったものがっ──」

 

 

 

 確かに、今侍猪が刀を振りかぶるその瞬間まで、男の前に鋼鉄の壁など存在していなかった。侍猪の権能にそんな力はない上に、あったとしても今使う理由がない。この状況でこの鋼鉄の壁を顕現させられるのは、目の前にいる赤髪の男以外に有り得ないのだ。

 男は淡々と答える。

 

 

 

「何って……『()()()()()()()()()()』だよ。ルネサンスが敵性怪画(アーツ)を封印してるだけの組織だとでも思ってんのか? 怪画(アーツ)の研究、描かれた事象を具現化するシステムの解明に全力を注いだ結果、不完全ながら怪画(アーツ)の再現に成功した。つまりその壁はお前らと同じ『怪画(アーツ)』っていうことになるな」

 

 

「具現化の……再現じゃと? バカな、有り得ん」

 

 

「完璧に再現出来たら世界のエネルギー問題は解決するんだろうがな。不完全だから具現化した事象は時間が経てば消えるし、完全に無から具現化してる訳じゃねえ。まあでも仕事する分には十分過ぎるわな、今もアンタの権能を止めるだけの仕事はしたわけだ」

 

 

 役目を終えたかのように、鋼鉄の壁が絵の具のようにドロリと溶けていく。そしてそのまま塵となって風にゆられ、跡形もなく消え去った。これでまた、侍猪と男の間を遮る障害物は何も無い。

 

 

「──じゃが、有り得ん! もし先刻の鋼鉄の壁が仮に怪画(アーツ)だったとして、そんな絵をいつ描いたというのじゃ!? そんな都合良く今貴様が鋼鉄の壁の絵を持っていたとは……」

 

 

 

「ああ、今描いた。AIっていう人類の叡智でね」

 

 

 

 男が見せたのは小さなタブレット端末。そこには確かに、さっきまで具現化していた鋼鉄の城壁が描かれていた。

 

 ──AIイラスト。描いて欲しいものや要素を打ち込むと、人工知能がその要素を取り入れたイラストを自動で出力するというものだ。AIに対する指示の出し方を覚えることが出来れば、誰であっても瞬時にハイクオリティなイラストを出力できる為、主にデジタルイラストをメインに活動している画家やイラストレーター達に多大な影響を与えたシステムである。

 

 そんなAIイラストに、怪画(アーツ)の特徴である『描かれた事象の具現化』を導入することが出来たなら──それは瞬時にあらゆるものを具現化することが出来る、魔法の四次元ポケットが完成することとなる。男はそれをやってみせたのだ。

 

 

「つっても怪画(アーツ)として具現化出来るだけだよ、アンタら御使い(ヴァニタス)みたいな権能まではAIイラストじゃ具現化出来ない──それでもアンタらと戦うだけの力はあるがな」

 

 

 そう言いながら男はタブレット端末をコートにしまい、ゆっくりと戦闘態勢を取った。侍猪も再度刀を構え、ゆっくりと呼吸を整える。

 

 そうだ、結局AIを使って様々なものを瞬時に具現化させられると言ってもそこに権能は無い。どんなに巨大な物質が生成されようが、刀で触れさえすればそれを穿つことが出来る以上、具現化能力もただ障害物が増えるだけの煩わしい能力でしかない。いずれにせよ、刀であの男を斬ることが出来た時点でゲームは決まるのだ。簡単だ。一瞬何が起きたか解らなかったから焦り、心を乱されたが、何も恐れることは無いじゃないか。

 

 

「く、クク……カカ! 何を描き顕現させようが、私の権能の前では全て穿たれる! 精々大きく堅い城でも描くが良いわ!」

 

 

 再度二振りの刀を構えて突撃する侍猪。男は真正面から立ち向かうかのように構えを取り……音声にてタブレットのAIに指示を出した。

 

 

 

「『刀』『刀』」

 

 

 

 瞬時に男の手の中に具現化される二振りの刀。侍猪が振り下ろした刀に対して受け流すように、両手に持った刀を打ち当てて軌道をズラした。ガキィン、という音を立てて男の刀は権能により穿たれる。

 

 

「私の刀に打ち合うとは愚かなり! 一度でも触れ合えばダイヤすら貫き切り裂くこの刃、受け止めればたちまちその有様よ──」

 

 

「『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』」

 

 

 男の声に呼応し、周囲にどんどん刀が突き立てられる。或いは墓標にすら見える無限の刀──男は表情一つ変えずに手に持った穿たれた刀を捨て、その墓標から二振りの刀を取り、躊躇いなく侍猪に斬りかかった。

 

 

「なっ──!?」

 

 

 侍猪は咄嗟に自らの刀でその太刀筋を防ぐ。ガギィン、という音と共に男が持っていた刀は根元から折られ──男はすぐにその折れた刀を捨てて次の二振りを手に持ち、そしてすぐに斬りかかった。

 

「こ、こやつまさか──っ」

 

 

「『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』『刀』」

 

 

 生成される歪な刀、刀、刀。

 どれだけ権能でその刀を折っても、折っても、折っても折っても尽きることのない刀。

 一撃必殺であり、どんな障害物も意味を成さないハズだった侍猪は、いつの間にか防戦一方になっていた。途切れることの無い武器の供給により、武器が折れることを気にせず物量で攻め続ける男に対して、その圧力に屈せず太刀を受け続けることしか出来ないのだ。もう何度敵の刀を折ったかも解らない。耳に残るガギィン、という音も、何度聞いたか解らない。ただ今解ることは、このいつ終わるかわからない無限の刀の供給をなんとかしないと、攻撃に転ずるチャンスすら与えさせて貰えないということだ。

 

「く、狂ってるっ──!」

 

 ただ一度刀身をあの男に当てることが出来れば勝てるというのに。

 それを達成するまでに、あと何度この剣戟を受け止めればいい? 

 表情一つ変えず、砕けた刀を捨てては新たな刀を握り、最速で振るい続ける赤髪の男は、その攻撃速度と密度、躊躇いのなさ、そして「一度でも攻防が入れ替わると途端にほぼ確実に死ぬ」という状況での冷静さに於いて狂気の域に達しており、人に恐怖を与えるはずの御使いである侍猪は、その狂気に対して幾らかの恐怖を抱き始めていた。

 

 そして、その恐怖が、一瞬の綻びを産んだ瞬間──

 

 

 

「あぐっ──!?」

 

 

 

 

 赤髪の男の刀が、微かながら侍猪の脇腹を斬り裂いた。鮮血が飛び散り、身体を焼くような熱と迸る鋭い痛みが侍猪を襲う。

 

 

 その様を見て、赤髪の男が始めて表情を歪めた。

 

 

「へぇ、赤い血がちゃんと流れてるんだな。贋作(パチモン)のクセに」

 

 

「──なんだと?」

 

 

「贋作って言ったんだよ、人間のな」

 

 

「……貴っ様ァァァ!!!」

 

 

 

 赤髪の男の言葉に文字通り頭に血が上り、激昂と共に突撃する侍猪。しかしそれは男が最も予想していた動きであり──或いはその挑発こそが男の罠だった。男は周りに刺さっている刀を足掛かりにし、綺麗にひねりを加えて蹴りを繰り出す。その足先は──まっすぐ突撃してきている侍猪の顔に吸い込まれるように向かっていき、カウンターのように爪先が侍猪の顎に叩き込まれた。

 

「がうっ──」

 

 無様に地面を転がる侍猪。なんとか姿勢を整え、揺れる脳と鉄の味がする口の中も気にせず、なんとか視界に敵を納めようと顔を上げ、必死に次の動きの最適解を導こうとする。

 

 そんな侍猪を嘲笑うかのように、赤髪の男は息も切らさず次の攻撃の準備をしていた。

 

 

「『武器』『銃火器』『大砲』『攻城戦』『合戦』『弓兵』『ライフル』『迫撃砲』『ミニガン』」

 

 

 男の周りに突き刺さっていた刀の山は一気に絵の具のように崩れ塵となり、代わりに古今東西の銃火器や遠距離攻撃が可能な武装がそこに顕現した。中には上手く描かれなかったのか、失敗作としてとても撃てそうにない火器も存在するが、その殆どが侍猪に向かって照準を合わせている。

 

 侍猪は全身に寒気が走るのを理解し、反射的に二振りの刀を鞘に納めて姿勢を低く取った。或いはそれは、本能が叫んだ生存への唯一の道であり、そのあまりにも素早く無駄のない納刀は、無意識での動きだったのかもしれない。

 

 

 

「──一斉掃射だ、塵も残さず撃ち殺せ」

 

 

 

 男がそう呟くと共に──構えられた銃火器、武具は一斉に攻撃を開始した。男も両手に構えたライフルの引鉄を引き、辺り一帯が音という音で埋め尽くされる。充満する火薬の匂い、空に立ち昇る狂気の黒煙。現代に於いて平和を享受してきた日本という国では有り得ない光景が目の前に広がった。

 

 

 

 

「はぁっ……はぁっ……私はまだ死なんぞ……!」

 

 

 

 

 ──黒煙の中から聞こえてきた声。それは今の一斉爆撃を受けても尚、侍猪が生きているという証拠に他ならない。

 

 

 

「……へえ、マジか。それはちょっと驚いたな」

 

 

 

 挑発以外で表情を変えなかった赤髪の男も、流石にその声に対しては驚きの表情を見せた。いくら御使い(ヴァニタス)が、怪画(アーツ)が人智を越えた存在だったとしても、「生きている以上はあれを受けて生きていられるはずがない」と考えていたのだ。

 

 黒煙が晴れ、侍猪の姿が視認できる。彼女の身体には銃弾による負傷は一つも無く──そもそも彼女の周り一メートル程の範囲には、銃弾や砲弾が着弾した形跡すら無かった。まるでその範囲の攻撃は全て軌道を変えられたか、或いはその範囲の攻撃を、全て撃ち落としたかのように。

 

 

 

「私は『二刀を扱う侍』の御使い(ヴァニタス)。故に戦闘に於ける戦法──即ち権能も二刀流なのだ。貴様の言った通り、『刀で触れたもの、全て貫く』という権能、そして居合の形を取っている時限定にはなるが──『刀の間合いに入ったもの、全て斬り裂く』という権能。私の意識とは無関係に、オートで放つカウンター。貴様の一斉掃射も、それで全て撃ち落とさせてもろうたぞ」

 

 

 

「なるほどね……そりゃ厄介だな。『スナイパーライフル』」

 

 

 男は新たに鋼鉄の長筒を生成し、両手で構えて狙いもろくにつけず発射する。タァン、という小気味のいい音とほぼ同時に侍猪の刀が抜き放たれ──侍猪の立っている位置から少しズレた位置に銃弾は命中した。

 

 

「無駄じゃ。速度も密度も大きさも権能には関係無い。私は人間の身体を象っているがそもそも人間ではない『御使い(ヴァニタス)』。この権能に反応出来ないものは存在しない。無論、貴様が接近戦を仕掛けてこようともこの範囲内に入った時点で斬撃の餌食じゃ」

 

「そうらしいな。さてどうしたもんかね」

 

 男はスナイパーライフルを肩に担いで打つ手なし、と言わんばかりに堂々と手を顎に当てて考えるような素振りを見せた。否、実際男は策や仮説こそあるものの、状況を整理する時間が欲しかった。

 

「ク、カカ! 自動描画の作品達を怪画(アーツ)にする小賢しさこそ厄介ではあったが、所詮権能までは真似することが出来ない贋作の集まり! 人智を越えた御使い(ヴァニタス)に楯突くことなど不可能じゃ!」

 

「はっ、何処かの誰かに人間を模して描かれて産み出された人間の贋作が吠えるじゃねえか。アンタ、権能を二つ持ってても二つ同時には発動出来ないんだろ?」

 

「なっ──」

 

 侍猪が明らかにたじろぐ。その反応を見て男は仮説を確信に変えた。

 

 侍猪がスナイパーライフルの弾を居合の権能で弾いた時、地面に着弾した弾の数は一つだった。つまりこの弾は刀によって弾かれた時、もう一つの権能によって『触れた瞬間に貫かれていない』ということだ。仮にもう一つの権能によって弾が貫かれていた場合、弾は分断され二回以上の着弾音が聞こえるか、着弾痕が残るはずである。

 無論、スナイパーライフルの弾が小さすぎて貫くほどの質量では無かった、という仮説も立てられた。しかし、その仮説は先程侍猪本人が「権能には速度も密度も大きさも関係無い」と発言している時点で否定されている。権能というルールに例外は無く、もう一つの権能も発動しているなら『触れたもの全て貫く』という結果は揺るがない。

 

 つまり、侍猪が居合の権能を発動している間は、あの刀は掠った時点で全てを貫くグングニルの槍足りえることはない。

 

 

「──それに気付いたからといって何だというのじゃ? 貴様の肉体を斬り刻むのにそもそも『刀で触れたもの、全て貫く』権能は必要ない。そもそも人間の身体は刀で斬られれば真っ二つに切り分けられるのだから」

 

 

 居合の形を取ったまま、ゆっくりと突撃の姿勢になる侍猪。そのまま進み、男を刀の間合い内に入れてしまえば、その時点で刀が男を斬り裂いて決着がつく。だがしかしそれでも、男の表情は一つも変わらず、右手の手袋をゆっくりと外していた。

 

 

「『鋼鉄/城壁』」

 

 

 男が音声でAIに指示を送り、男の目の前には最初に顕現させたものと同じ鋼鉄の壁が出現する。

 

 

 

「この壁は、抜刀した権能じゃねえと貫けないだろ?」

「小癪な……!」

 

 

 

 すぐさま侍猪は刀を抜いて、『刀で触れたもの、全て貫く』権能の力で城壁を貫こうとする──が、その瞬間にある可能性に辿り着いた。

 

 男が顕現させた銃火器、遠距離攻撃の為の武具は、まだ消えていなかったのではないか? 

 

 今ここで使用する権能を入れ替え、目の前の城壁を破壊することは可能だ。だが城壁を貫いた瞬間、開けた穴に向かって先程の一斉掃射を受けた場合どうなるだろうか。恐らく刀を納め、居合の権能を使用出来る状態にするまでの動きが間に合わず、攻撃を受け止めることが出来ず蜂の巣にされて終わってしまうだろう。となると今この壁を貫くことは悪手となる。

 幸い、この具現化は時間制限があり、その時間もそう長くない。つまりこの瞬間の最適解は「城壁が時間制限で溶け崩れるまで待ち、相手の奇襲に備えて居合の権能を保持しておく」ことに他ならない。

 

 暫し、無音の時間が流れる。お互いに壁を隔ててお互いの状況が見えない以上、今取っている戦法が最適であると信じて待つ以外に選択肢は無い。そして間もなく目の前の鋼鉄の壁が端から絵の具のように溶け始め──

 

 再び互いが相見える状況。侍猪は遠距離攻撃による奇襲を警戒し、居合の権能を構えた状態。対する赤髪の男は──手袋を取った右手の甲を突き出した状態で立っていた。その手の甲に描かれていたのは髑髏の刺青。

 

 

 

 

 

 ──その髑髏の刺青を見た瞬間、侍猪の背筋を凄まじい悪寒が襲った。

 

 

 

 

「何だ、それは──」

 

 

 

 

 

 瞬間、侍猪の真上が暗くなる……否、上から降り注いでいたはずの陽光が、何かによって遮られる。驚いて侍猪が影の正体を確かめるべく見上げると、そこには巨大な髑髏が顕現し、今にも侍猪に向かって落下するところだった。

 

 

 

 

 

「刺青も一種の芸術作品、謂わば身体をキャンバスにした「絵画」だろ。自らの身体に作品を作り、肉体の一部を怪画(アーツ)として扱う──ルネサンスの最新武装だ」

 

 

 

 侍猪の真上に顕現した髑髏は、男の右手の甲に怪画(アーツ)として彫られた刺青による事象の具現化。即興で造られていたAIの武具には特有の歪みや乱れが見えることもあったが、その精巧な墨の濃淡で描かれた髑髏は、凄まじい存在感と迫力を放っていた。

 

 自由落下を始める髑髏が、居合の権能の間合に入る。自動的に刀を抜き、髑髏に対して斬撃を放つ侍猪だが──髑髏は圧倒的な質量と落下の重みが足されているのか、軌道を変えることこそ出来ても侍猪がそれを避けることが出来る程に着地点を変えることは出来なかった。

 

 

 

「馬鹿なッ、なんで──」

 

 

 

 ドォォン、という重い音と共に、髑髏が地面に鎮座する。底面には穴が空いており、髑髏の中は空洞となっているので侍猪が髑髏に踏み潰されることは無かったが、髑髏の中に閉じ込められる形となった。

 

 

「おいっ……出せ! 何だこの髑髏は……冷たい、冷たい……! 冷たい、身体が動かないっ……! おいっ、聞いているのか人間! 何なのだこの中は!? 暗い、冷たいっ……!」

 

 

「その中を支配してんのは『権能』だよ。アンタがさっきまで嬉々として振り回してたのと同じだ」

 

 

「権能、だと……!? 馬鹿な、有り得ん! だって貴様は先程──」

 

 

「ああ、言ったな。「A()I()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」って。だけどこの髑髏はAIイラストじゃない、俺が自分で自らの身体に描いた刺青だ。俺は「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「馬鹿なっ、馬鹿な馬鹿な馬鹿なっ……!!」

 

 

 空虚に響く侍猪の声。男の口から出た言葉を信じたくない、という不安と恐怖から、必死に言葉を捻り出そうとするが、それら全ては虚しくも髑髏の中で虚ろに反響するばかり。

 

 

「その髑髏の中は『虚無』。描かれた事象の具現化を擬似的に再現した俺達が次に再現したかったのが、アンタらが人殺す為に得たギフト、即ち『権能』だ。俺達は自らの肉体を媒介とすることで、擬似的に権能の再現にも成功した。つまり俺のこの髑髏の刺青は、権能を所持した怪画(アーツ)ってことになる」

 

 

 

 虚ろな叫び声を聞きながら、男は表情を変えずに話し続ける。

 

 

 

「髑髏の権能は『Vanitas vanitatum omnia vanitas(全ての空虚を貴方に)』。その中に閉じ込められたものはこの世の空虚を味わい、そのうち指一本動かすことも出来ずその中で無の時間を味わい続けることになる」

 

 

「ふざっ……けるな……そんなの…………私の権能で…………!」

 

 

「無駄だ。アンタも知ってるだろ? 権能は絶対であり、例外は無い。その中に入っちまった時点でもうアンタは権能を使うことすら出来ねえし、何も見えなくなって聞こえなくなって何れ死に至る……と言いたいところだが、俺達の具現化は不完全でね、この髑髏も時間が経てば消えてしまう」

 

 

 ゆっくりと、ゆっくりと、男は歩き始めた。少しづつ髑髏に近づき、一歩、また一歩空虚な作品の元へ歩を進める。

 

 

御使い(ヴァニタス)の死に様としちゃ空虚な髑髏の中で儚く死を迎えるのも一興なんだが……残念、俺達の技術じゃまだそんな洒落た真似は出来ないんでね。せめて派手に死んでくれや──『松明』『火薬』『ガソリン』」

 

 

 顕現させた三つの道具。それらを男は、感慨無く空虚を見つめ続ける髑髏の瞳の中へ投げ込み……

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……ぁあああああああっ!!! 熱い、熱い、あついあついあついあついぃっ!!!! 嫌だ、嫌だ、許して、ゆるしてっ……! ゆるしてください、やだぁっ……あぐっ、ああっああっ……あぁぁぁっどうして……っ!? 何も見えない、熱くも……寒くも……はぁっ……嫌だ……お助け下さい、お助け下さい、お助け下さい……」

 

 

 

 

 

 

 

 空虚に飲み込まれ、次第に消えていく声。赤く輝く髑髏の瞳。虚栄を産む怪画(アーツ)を燃やして鎮座するその髑髏は──御使い(ヴァニタス)の命に幕を下ろすには十分過ぎた。

 

 男は表情を変えずに手袋を嵌め直し、通信端末をポケットから取り出す。少ないアドレス帳から目的の連絡先を見つけ、通話のボタンを押すと静かに耳に当てた。

 

 

 

『はーい、こちらルネサンス日本支部通信担当の有沢です!』

 

 通話に出たのは快活そうな女性の声。男はその声を聞いて、ほんの少しだけ表情を緩ませた。

 

「俺だ。御使い(ヴァニタス)を一人討伐した」

『あらっ、草薙さん! 葉湖庭学園に出現したとみられる御使い(ヴァニタス)ですね? 流石、お早いです・』

「いや、まだ葉湖庭学園には到着していない。多分別個体だろうな……それも多分複数で行動してたと予測できる」

『と、言いますと?』

「俺が見つける前から何かに対して相当怯えているように見えた。「あんなのルネサンスの仕業に違いない。一度戻って、もっと沢山の御使い(ヴァニタス)を呼び寄せなきゃ」みたいなことも言ってたんでな。恐らく仲間と移動してる最中、誰かにその仲間を殺されたんじゃねえかな」

『……御使い(ヴァニタス)は、確かにそう言ったんですね?』

「間違いない」

 

 おかしいですねぇ、と電話口の女性──有沢は、不可解そうな声をあげた。

 

『今出動しているルネサンスのメンバーは、草薙さんしかいないはずですが……』

「俺もそれは知ってる。誰に何処でやられたかってのは考える余地があるな」

『…………葉湖庭学園、ですか』

「俺もそう思う」

 

 赤髪の男──草薙の表情が締まった。

 

 

 

 

 

御使い(ヴァニタス)を討伐することが出来て、尚且つ御使い(ヴァニタス)がそこまで怯えるレベルって……ルネサンス以外なら、流血姫くらいしか思いつく要素がありません』

 

「同意見だ。それに加えて先刻起きてたらしい葉湖庭学園の大量バラバラ殺人事件……少なくとも御使い(ヴァニタス)以上の何かがあるのは間違いないだろ」

 

『……十五ノ夜、でしょうか』

 

「無いとは言い切れないな」

 

『ですね……。草薙さん、元々貴方には特級危険指定地区【葉湖庭学園】の調査をお願いしていましたが……ミッションを少し変更します』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『特級危険指定地区【葉湖庭学園】の調査、及び最重要指定怪画(アーツ)【箱庭学園】の回収、そして──最重要災害指定怪画(アーツ)【流血姫】の討伐、及び流血姫と関わりがあるとみられる生徒、【聖メルテ】の確保、或いは暗殺をお願いします』

 

 

 

 

 

 男──草薙壮の表情は変わらない。

 

 

 

 

 

「──了解した」

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 ニュースで初めてAIイラストのことを知った時、黒衣宗が最初に抱いた感想は「もっと頑張れよ、人類」という無責任極まりないものだった。

 

 自分が描ける訳でもないのに、なんとなくAIの絵の上手さに対して、人間が負けてしまうのは癪な気がした。ヒトが何時間もかけて頑張って描いた絵と、機械が一分もかからずに描いた絵で比べて機械の方が上手いなんてズルくない!? 気持ち籠ってなくない!? 人類もっと頑張れよ! なんて、意味もわからず熱くなってしまった。

 

 とは言えど、自分はどんなに時間をかけて絵を描こうとも大したイラストが描ける訳でもなくて。変にデフォルメしたアンパンのヒーローくらいなら描けたとしても、所詮落書きレベルで。そもそも、何時間も一枚の絵に集中してられるほど、没頭できるタイプでもなくて。

 

 

 ──だからこそ、一人で頑張って絵を描いている聖メルテという人間に、黒衣宗は強く興味を持ったのかもしれない。

 

 

「メルテっち、相手いないならあたし描いてよ」

 

 

 美術の授業でメルテを誘ったのも、一人で絵を描いている彼女に惹かれ、その姿を身近で見てみたいと思ったからだ。彼女なら、自分には絶対出来ない人工知能のイラストに勝つことが出来るんじゃないか、と思ったからだ。

 

 そもそも絵に於ける勝ち負けがなんなのかもよくわかっていないし、勝手に自分の中で対抗心を燃やされている人工知能イラストも、そして勝手に自分の代わりに人間代表として担ぎ上げられているメルテも少し可哀想な気はしたが、それでもやはりデッサンの授業で彼女が描いた「黒衣宗」という作品はとても綺麗で。難しいことはよくわかっていないが、それでもメルテは自分のことを沢山見てくれて、真剣に描いてくれて、そしてとても上手に描いてくれて。こんな気持ちの籠った絵を機械が描けるだろうか? いや描けないはずだ、メルテは人工知能に勝利したんだ! なんて内心とても舞い上がっていた。

 

 

 ──多分、メルテっちは天才なんだ。いっぱい絵描いて、そのうちスゴい画家さんとかになるんだ……何するにしても中途半端な、あたしと違って。これからもきっと沢山絵を描くんだろうな。

 

 

 凄い子と友達になっちゃったな、なんて思った。もっと仲良くなりたいな、とも思った。あたしもメルテっちみたいに、何かに打ち込めるものが欲しいな、と思った。

 

 羨ましかった。同時に自慢の友達になる予感がした。

 

 

 

 

 

 ──五限目の授業、やっぱり体調悪くて出られなかったんだな。そう思いながら先生の授業を話半分に聞いていた矢先、とてつもない話が耳に飛んできた。

 

 

 

 

 連続バラバラ殺人事件が校内で起きていた、という話。

 

 

 

 

 黒衣宗は、すぐに「メルテは大丈夫なのだろうか」と、動転しそうな気持ちを必死に抑えながら考えていた。

 不幸中の幸いだろうか、彼女は事件には巻き込まれたものの唯一生存していたらしい。勿論、バラバラにされて亡くなった六人の生徒のことも考えると「よかった」と胸を撫で下ろすわけにはいかないが、それでもせめて生きていてくれて本当に良かった、と思えた。

 

 程なくして一斉集団下校が敢行され、現在黒衣宗も学校から徒歩五分の自宅で待機している。クラスメイトや友達からひっきりなしに飛んでくる連絡の通知も、今は既読を付ける気になれなかった。

 きっと連絡を飛ばしてきている友達も、今の宗と同じ気分なのだろう。不安なのだ。当然である、普段当然のように生活の一部として存在している学校の中で、人間の身体がバラバラに切り分けられるなんてこと、あっていいはずがない。想像するだけで叫び出したくなるほど恐ろしいし、もし明日も学校でそんなことが起きたら……なんてことすら考えてしまう。

 

 

 

「…………怖いな」

 

 

 

 勿論、既に校内には警察が立ち入り、事件が起きた現場の様子や職員に対する事情聴取等が行われ、安全が確認されてから学校は再開されるのだろう。だとしても、一度「事件が起きた」という結果は変わらず、何処かで生徒が悲鳴と鮮血と共に五体を切り分けられていた事実は残り続けるのだ。

 

 

「……………………事情聴取?」

 

 

 

 ふと、宗の心の中にしこりが残った。

 

 事情聴取。

 

 それは事件の様子や前後、何があったかを警察が身近な参考人に対して行う取り調べのことを指す。

 

 今回のバラバラ殺人事件に於いて、最も身近にいた人間は? 

 その答えは間違いなく、事件の被害者でもある聖メルテだろう。

 

 今警察は学校で現場検証や事情聴取を行っているらしい。そしてメルテも軽くはない怪我を負っており、治癒の怪画も揃っている葉湖庭学園の保健室にて応急処置と治療を行っているという話を、下校前に担任の教員からチラリと耳にした。

 

 まだメルテは、あの恐怖心が残る学校にいるのではないだろうか? 

 

 事件のことを毛ほども知らなかった、ある種無関係である宗ですら、自宅に戻って尚えも言われぬ恐怖を感じ、不安と寂しさに怯えているというのに。

 事件の被害者であり、身体に傷すら負っているメルテは、未だその恐怖心の根城とも言える葉湖庭学園に一人残されているのではないだろうか? 或いは、事情聴取の為に。

 

 勿論、教員がついてはいるのだろうが。それでも心細く、不安でいることは間違いないだろう。

 

 

 

「メルテっち、やばくない? あたしが助けに行かなきゃ」

 

 

 

 

 何をもって「助ける」という言葉を使ったのかは、宗自身もわかっていなかった。

 ただ、聖メルテという名の友達を、或いは自分よりも才能があり、絵を描き続けるべきだと感じた創作者を、ひとりぼっちにさせてはいけないと思った。

 

 ひとりぼっちにさせないことで、どこか自分にも居場所が欲しいと思った。

 

 

 

 手の震えは止まらない。

 学校まで辿り着いても警察に追い返されるかもしれない。

 

 

 

 それでも、彼女の行動指針は「友達を不安にさせたくない」の一心だけで十分だった。

 

 

 

 

「待ってろよ、メルテっち。あたしが絶対一緒にいてやるかんね」

 

 

 

 

 

 

 玄関で脱ぎ晒していたローファーを履き直し、黒衣宗は下校してきた道を遡るかのように駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 鐘が鳴る。

 鐘が鳴る。

 

 滅びの時だと、鐘が鳴る。

 或いは始まりの瞬間だと、鐘が鳴る。

 

 死すべき者に、絶対の死を。

 無価値な者に、正しき罰を。

 

 

「開演の時は来た!」

 

 

 人のいない美術館に、女観客の声が響く。

 

 

「役者は揃い、舞台も整い、一世一代の物語の幕が上がる!」

 

 

 

 突如炊かれたスポットライト。

 

 照らされた場所に掛けられた絵画には、赤髪の男。

 照らされた場所に掛けられた絵画には、白衣の女。

 照らされた場所に掛けられた絵画には、派手な格好の少女。

 

 そして最後に照らされた場所に掛けられた絵画のタイトルは、【流血姫】。

 

 

 

 踊る。

 踊る。女観客はただ一人踊る。

 

 何処からともなく湧く歓声。誰もいない美術館に、喝采の声がこだまする。

 

 

「人は貴方を赦し、蜜を授けるのか! はたまた人は貴方を赦さず、罰として死を望むのか! この脚本は悲劇か、或いは喜劇か! その先を知り、その先を記すのは一体誰なのか!」

 

 

 ガタン、という音がして幾つかの絵画が壁から床に落ちる。それらは全て見目麗しい女性が描かれており──そのどれもが猟奇的な武器や拷問器具を所持した姿で描かれていた。そしてその絵には全て、【作者の名前が書かれていない】。

 

 

「無論、神の光に灼かれて全て無に帰るも良かろう。所詮贋作、脚光を浴びる貴方達メインキャストが食われることもあるまい!」

 

 

 

 床に落ちた何枚もの絵画に描かれた女性達が、御使い(ヴァニタス)として具現化する。解体兎、侍猪、磔刑鳥、指導者虎、疑心蛇、雷子馬──同じ見た目の御使い(ヴァニタス)が、何人も、何十人も産み落とされた。

 

 

 それら全ては名画を騙って産み出された「贋作の怪画(アーツ)」。歪ながらも不完全な権能を持っ

 て産まれた、意志の無い殺戮人形達。

 

 

 

 

 

 

「さあ、箱庭に殺人鬼達を解き放とう。この物語が終わった時、生き残っているのは人類か、はたまた平面の無限回廊の住人か、或いは──流血姫、ただ一人きりの孤独な世界となるか」

 

 

 

 

 

 踊る。

 踊る。

 

 女観客は、一人ただ踊る。

 

 

 

 

 

 

 

「──さあ、命在る限り箱庭世界に描け。貴方の望むその先を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──物語の、幕が上がる。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。