箱庭世界《キャンバス》に描く十五ノ夜の流血姫   作:ヨシオ、あん摩師から令嬢へ

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06 出来損ないの憧憬

黒衣 (読み)くろご

 

くろ‐ご

『「くろこ」「黒子(くろこ)」とも』

 

 歌舞伎において、俳優の演技、舞台進行の介添えをする者が着る黒い衣装。また、その役職。

 『存在しない』存在。当然()()()()

 

 

 


 

 

 

 

 

 かつて、美しいものを見た。

 人の姿をした、人ならざるもの。神の姿をした、神ならざるもの。

 我が創造のはるかかなたより来たりし、至高なりしもの。

 『真実』『全能』『完全』『究極』。アレはそうとしか表現しようのないものだった。

 つまりは一目惚れだよ。私はね、あの名も知らぬ輝きに惚れこんでしまったのだ。

 だから、描いた。

 描いて描いて描いて、あの時の輝きをもう一度見たくて、描き続けた。

 それが、『人間』だ。

 あの時見た『輝き』の似姿をとらせ、模倣した『輝き』の心を与えて。

 だが、出来損ない(デミウルゴス)に生み出せるものは、やはり不完全なものだけだった。

 見た目は悪くなかっただがな。

 お前も知っているだろう? 中身が悪い。

 他人を見下し、嘲笑し、優越に浸る。その上詭弁をもって己が悪徳を正当化する。

 幼子は醜い。だが彼らはただ偽りが下手なだけだ。彼らの醜さの根幹は、そのまま人類の醜さそのものに通じている。

 

 だから廃棄することにした。

 

 描き損じた絵を破いて捨てる。どこの絵描きもよくやることだ。私もよくやる。

 実を言えばな、世界のリセットというのも今回が初めてではないのだよ。

 これまで、幾度となく繰り返してきた。時に洪水、時に噴火、その時その時に合わせた方法で、世界とその住人たちを消し去ってきた。

 私は美しいものが描きたいのだ。醜いものに用はない。

 

 

 後は、お前も知る通りだ。

 天使(エンジェル)たちが抗議し、妥協として選別された少数人の救済案が考案された。

 【十五ノ夜】による人間の怪画(アーツ)化。それを用いた、人類世界の再創造。

 幾度かの失敗ののち、用意された怪画(アーツ)が【流血姫(アレ)】だ。

 

 …………正直に言うとな。

 私としては、救済計画(これ)が意味のある行為だとはかけらも思ってない。

 結局のところは妥協による逃避だ。そのうえ、やらんとしていることは私の真似事ときた。

 だったら最初から私にすべてを委ねておけばいい。今ある人類は死滅するが、代わりに新たな人類が台頭する。

 より美しく、より完全な人類が、だ。

 そこには意味がある。

 人間、御使い(ヴァニタス)、犠牲を伴う猿真似に、何の意味があるのか。

 お前も、そうは思わないか?

 

 

 

「別に…………それより一つ、聞いてもいいですか?」

 

 

 

 許可しよう。

 

 

 

「…………あなたは誰ですか?」

 

 

 

 『家有る・ダバー=サウンド』

 …………と名乗るだけでは、答えにならか。

 よかろう、拝聴するがいい。

 

 我は全ての怪画(アーツ)の創作者。

 世界を描き、宇宙を描き、人類を描く造物主。

 全ての神、全ての主、全ての父、そしてすべての王なるもの。

 

 我が名は【ヤルダバオト】。

 

 

 お前の敵だ【(ひじり)メルテ】。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「どうかしたの?」

 

 ふと、流血姫(わたし)の声がした。

 気が付けば、私は額縁だらけの美術室の中で、筆を握ったまま固まっていた。

 今のは、何だったのか。

 幻覚────とは、思えなかった。

 アレは現実、実際に体験した出来事だった。何の根拠もないけど、なぜかそう断言できた。

 

 真っ白な、大理石みたいな何かでできた美術館。

 壁に飾られた、いくつもの怪画(アーツ)

 黙々と働き続ける、羽を生やした人形たち。

 そして、その中心で筆を走らせながら語りかけてきた、【(ヤルダバオト)】と名乗るナニカ。

 

「今のは、一体…………」

 

 流血姫(わたし)を見る。

 彼女は、今のを見ていないらしい。

 唐突に表情をこわばらせた私を、心配そうにのぞき込んでいる。

 

「本当に大丈夫? 時間はあるんだし、ちょっと休んだら?」

「…………ううん、大丈夫」

 

 今のがなんなのかはわからない。

 でも、なんであってもやることは変わらない。

 

 

 私は、世界を作り替える。

 美しいものを掬って、綺麗なものを描いて────そして醜いものをバラバラにしてやる。

 

 

 これは掃除だ。

 醜いゴミに、生きてる価値なんかない。息をするだけ酸素の浪費。再利用できる資源は限られてるんだから、無駄は省いて節約しないと。

 捨て去るものを、リストにしていく。

 流血姫(わたし)が用意してくれた新品の自由帳に、醜いものを書き連ねる。

 

 

 ────まずは、かつて私をいじめていた男子たち。

 一人ひとり、名前を書く。漏れはない。流血姫(わたし)のおかげで思い出した憎しみが、彼らの名前をそらんじていく。

 

 ────次に、私のいじめを黙認したクラスメイトたち。

 目の前で悪いことが起こってたのに、みんな揃ってみて見ぬふり。視線が合ったらくすくす笑うあいつらのことを、私はちゃんと覚えてる。

 

 ────続いて、クラスの担任。

 いじめられたと訴えたら、一人とっ捕まえて私の前に連れてきた。

 助かったと思ったのもつかの間、担任はそいつに「ごめんなさいしなさい」と謝らせて、「はい、これで仲直り!」なんてぬかしやがった。

 当然いじめは収まらず、むしろさらし者にされてエスカレート。

 余計ひどくなったと訴えても、「終わったことを蒸し返さない」の一点張り。下手に無視するよりタチが悪かった。

 いじめ悪化の一因は間違いなくこの担任だ。だから捨てる。

 

 

 アレが憎い、アレが嫌い、アレは許せない。

 真っ白な自由帳が、醜い名前で真っ黒になっていく。

 新しい世界を、綺麗で完璧なものにするために、悍ましい悪を、書いて書いて書きまくる。

 

 

 

 ────ねえ、メルテっち

 

 

 

「…………っ」

 

 ふと、胸が痛んだ。

 心臓が、何かに強く握られたかのような錯覚。

 思わず眉を顰めたくなるような、いやな気分がした。

 

 

 

 ────機械の方が上手いなんてズルくない!? 気持ち籠ってなくない!?

 

 

 

 痛みの原因を探ろうとして、なぜか黒衣さんの言葉が思い浮かんだ。

 それはほんの数か月ほど前のこと。

 SNSでAIイラストが騒がれ始め、クラスでも徐々に話題になり始めていた。

 その時、そんな主張をする彼女の姿を、なんとなく思い出す。

 人類もっと頑張れよと、機械なんかに負けるなよと。

 そんな風なことを言っていた。

 

「…………」

 

 いやその、ちょっとよくわかんない。

 AIイラストなんて、ただの道具では?

 パソコンとペンタブ使うのと、あるいは画用紙と鉛筆を使うのと、大して違わなくないか?

 アナログだと一度引いた線を消すのは簡単じゃないけど、デジタルなら『Ctrl + Z』ですぐやり直せる。それと同じだと思うんだが。

 

「…………んー」

 

 そもそもアナログ絵描きな私としてはペンタブすら心底どうでもいい存在なのだから、AIとか完全に論外なわけで。

 とはいえ、美少女の黒衣さんが『黒』というなら、『黒』とするのが妥当か。

 そう考えて、自由帳の隅っこに『AIイラスト』と記入した。

 

「…………そういえば」

 

 黒衣さんは、今どうしているだろうか?

 ふと、そんなことを考えた瞬間、

 

 

 

『うっさいっ!!!! 人間ナメんなっ!!!!!』

 

 

 

「!?」

「な、なに!?」

 

 音量注意な人間賛歌が、美術室を震わせた。

 

「この声…………まさか黒衣さん!?」

 

 予想外の人物の叫びに、思わず空を仰ぐ。

 すると、美術室の天井に、うすぼんやりと黒衣さんの姿が映っていた。

 

「これは」

「…………視界だよ。現実の君の」

 

 どうやら、この夢のような空間の外、私の本当の体が見ている情景が、いま天井に映し出されているらしい。

 なんだか狭くぼんやりしているのは、瞼が完全には開いていないからなのか。

 

 

 

『センセーが天使だろうが関係ない! 少なくとも今の世界を守る気がない天使サマなんて、友達が怪画になるとこを見てるだけのセンセーなんてあたしはいらないもん!』

 

 

 

 吠える。

 吼える。

 咆える。

 黒衣宗は、猫裏(ねこうら)(せつ)に、天使(エンジェル)という上位存在に、臆することなく噛みついている。

 美しい、太陽のような光景だった。

 美少女が、誰かのために、くじけることなく叫び続ける。これを至宝と呼ばず、何と呼ぶのか。

 

 あえて言うのなら。

 彼女の延ばす手の先にいるのが、自分でさえなければ。

 そう、思わずにはいられない。

 

 黒衣の瞳が、まっすぐこちらを射抜く。

 そこに恐れはない。

 そこに躊躇はない。

 そこに、偽りは、ない。

 

「…………」

 

 ふと、気づく。

 今さっき感じた、痛みの正体を。

 

「…………てよ」

「…………」

 

 黒衣さんの、真っ直ぐすぎるほどに真っ直ぐな瞳を見て、気づく。

 気づいて、声がこぼれた。

 

 

 

『どれだけ無理って言われたってこの世界が滅びないで済む未来をあたしが探してやる!』

 

 

 

「…………めてよ」

「…………」

 

 綺麗で純粋な瞳を見るだけで、心がざわつく。

 痛くて、苦しくて、張り裂けそうになる。

 

 

 

『ダメならメルテっちと二人で意地でも次の世界に今の世界全部持って行ってやるっ!!』

 

 

 

「…………やめてよ!」

「…………」

 

 叫んで、気づく。

 どうして胸が痛むのか。

 どうして心がざわつくのか。

 どうして、あんなにもきれいな黒衣さんの瞳が、恐ろしいと感じるのか。

 

「どうして、どうして私なんかのために!」

 

 

 私は醜い。

 それが真実だ。

 どんなに顔を変えたって、どんなに過去を変えたって。

 

 ────醜いからと殺して。

 ────綺麗だからと侍らせる。

 

 そんなことをするヤツが、綺麗なはずがない。

 美しいものになんか、なれるはずがない。

 他人を、自分が着飾るための道具みたいに扱う。

 そんなことを平気でする私は、つまるところ。

 わがままで、臆病で、独りよがりで、救いようのない、クズなんだ────

 

「────やめてよッ!!!!」

 

 自分の思考に絶叫する。

 だけど、一度気づいてしまったことから目を背けることはできない。

 一生、無視していたかった。

 世界ごとなかったことにして、墓の中まで抱えたかった、自分の本性。

 聖メルテが、いじめっ子(あいつら)と何一つ変わらない、人を美醜だけで差別する最低の、醜い人間だったという真実。

 考えることすらしたくなかった。

 そんなことはないと無視し続けたかった。

 だっていうのに。

 

「そんな目で、私を見ないでよ…………」

 

 あの、まっすぐな黒い瞳が、隠したかった真実(ほんしょう)をあっさりと暴き立てる。

 嘘のない、誤魔化しのないあの瞳の前で、嘘をつくことなんて、できなかった。

 

「私は、私は…………」

「────大丈夫」

 

 ふと、背中にぬくもりを感じた。

 いつの間にか私はうずくまって、地面に座り込んでいて。

 そんな私を、流血姫(わたし)がそっと、抱きしめていた。

 

 

「…………流血姫(わたし)?」

「大丈夫。私が貴女(わたし)を守るから。どんな苦しみからも、どんな痛みからも、絶対に、()()()()

 

 流血姫(わたし)が、立ち上がる。

 その視線は、天井を向いていた。

 睨むように、見上げるように、咎めるように。

 赤い瞳で、見つめていた。

 

「絶対守る。だから」

 

 

貴女(わたし)の体、少し借りるね」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「全く……ここまでのイレギュラーは初めてだよ」

 

 つぶやき、猫裏(ねこうら)(せつ)は両の指でフレームを作る。

 

「先に試すか────額縁用意(クランクイン)!」

 

 発動される権能、【美術館】の管理人たる彼女に与えられたそれは、怪画(アーツ)の要素強調と操作────すなわち既存怪画(アーツ)の『改造』だ。

 動作そのものは先ほどの繰り返し。だが、対象が違う。

 アルコールランプによる火炎攻撃に意味がないことは、すでに判明している。

 黒衣宗は『無信仰』という力を使って、天使(エンジェル)の改造を受けた怪画(アーツ)の干渉を拒絶している。

 だから例えば、これが壁の怪画(アーツ)で、四方八方を囲んで居りのように閉じ込めたとしても、『天使(エンジェル)の干渉を受けた』という一点のみで破壊されるだろう。

 信仰なき人間に対して、天使(エンジェル)は無力だ。

 だから、操作するのは別のもの。

 

「無駄だよセンセー。もうその攻撃はあたしに通じない!」

 

 黒衣宗が駆ける。

 ()()()()()()()()()猫裏刹を、もう一度殴り飛ばすために。

 

「────やれやれ」

 

 首を振り、猫裏刹は(ヒョイッ)と攻撃を回避した。

 

「黒衣、お前の認識は間違っている」

 

 まるで数式の間違いを指摘する優しい教師のように、猫裏は黒衣をたしなめる。

 その優しさが、かえって不気味に感じられ、黒衣は再びこぶしを構える。

 

黒衣(おまえ)に信仰心が一切なくとも、天使(わたしたち)権能(ちから)が一切及ばなくとも────」

 

 指フレームが再び何かをとらえる。

 それはつい一時間ほど前に(ひじり)メルテによって皆殺しにされ、地面に横たわったまま放置された、無数の死体(アーツ)

 

「────人間(おまえ)御使い(こいつ)を無視できない」

 

 突如。

 切られ、出血し、その権能と生命とを失った無数の死体が、一斉に起き上がる。

 

「え!? 何!?」

 

 青い輝きの歩みを、赤い死体が押しとどめる。

 人を殺すことに特化した御使い(ヴァニタス)は、その性質上信仰心という制限を無視してその全能力を発揮することができる。

 たとえ天使(エンジェル)の干渉を受けた状態であったとしても、それは変わらない。

 

「一瞬で消し炭になったほうが楽に死ねたろうに。圧死は苦しいぞ、黒衣」

「ぐ、お、おおお」

 

 黒衣宗のうめき声。

 まるで餌に群がる蟻のように、黒衣宗を取り囲む御使い(ヴァニタス)たち。

 

(権能を使えれば楽に殺せてやったんだが)

 

 【流血姫】の権能で殺されたものは、どうやらその機能を著しく喪失するらしい。

 操られた死体は生命だけでなく、権能まで完全に失っていた。

 最初、猫裏は残された微弱な【神の血】を利用して権能を再現しようとした。だがそれは失敗に終わった。

 だから権能の再生はあきらめ、ただの動く死体として『改造』した。

 生命も失われた以上、おそらく精神や知性の再構築も、権能と同じくうまくはいかない。

 だが、人間は物理的に見ればただの機械だ。筋肉という駆動装置、神経という制御装置、血液という供給装置。

 『主要な機能』とみなされず放置された部品は数多くある。だからそれらをかき集めて、プログラム通りに動く人形に仕立て上げる。

 使える部品は一割にも満たなかったが、素人一人を囲んで押しつぶすだけならそれで十分。

 

「さて、あとは【ルネサンス】のエージェントを片付ければ…………」

 

 

「…………ってんでしょ」

 

 

「────は?」

 

 (グラリ)と。

 御使い(したい)の山が、わずかに揺れた。

 

「嘘だろ…………」

 ありえない。

 それはあり得ない現象だ。

 御使い(ヴァニタス)怪画(アーツ)だが、物理的には人間と同じ構造をしている。

 体重ももちろん人間と同じ。

 軽く見積もっても30人分の死体の山。一人50キロと仮定して1500キロ────1トン半の物量を、人間が動かせるはずがない。

 

 

「…………って、言ってんでしょ」

 

 

 圧死してないだけ奇跡だ。

 なのに、山の奥から聞こえてくる黒衣の声に、死の気配はない。

 どころか、輝くほどの活気に満ち溢れていて────

 

 

「人間ナメんなって、言ってんでしょ────!!!!」

 

 

 (ドウッ)

 死体の山が、内側から吹き飛ばされる。

 

「くそっ。【十五ノ夜】のイレギュラーが、これほどとは…………ッ!」

 

 吹き飛ばされた死体は、青い炎に覆われていた。

 炎の輝きは優しく、熱というものを感じさせない。

 だが、死体は確かに燃えている。

 燃えて、透けている。

 まるで存在そのものが燃えているかのように、徐々に透明化している。

 

「なるほど、それがお前の能力というわけだ」

 

 『怪画(アーツ)の破壊』

 猫裏刹の推測した、それが黒衣宗の超能力。

 あの青い炎は、怪画(アーツ)だけを選別して燃焼させている。

 根拠は黒衣の足元だ。

 数十人の死体を焼き、吹き飛ばしたというのに、彼女の周囲には焦げ跡一つない。

 黒衣本人が燃えないのはわかる。発火点の高いリノリウムが無事なのもまあわかる。

 だが塗装したばかりのワックスまで無傷なのは明らかに異常だ。

 炎が『通常の物質に対して一切熱を与えない』という性質を持っているでもなければ、説明がつかない。

 

「これは、マズいな」

 

 死体を焼き尽くし、消滅させた炎が、黒衣のもとに集っていく。

 どうやら、燃やせば燃やすほど炎は増殖するらしい。

 猫裏刹に、いや全ての天使(エンジェル)にとって最悪の相性だ。

 信仰を無視し、無制限に力を行使できるあの女(サタン)でさえも、これに勝てるかどうか。

 まして怪画(アーツ)を改造するだけの猫裏には、勝ち目がなかった。

 

「…………額縁用意(クランクイン)

 

 試しに無事な御使い(ヴァニタス)の死体を操り、窓ガラスや扉を持たせて特攻させる。

 

「────邪魔!」

 

 青い炎が御使い(ヴァニタス)だけを焼き尽くした。

 残された窓や扉は、黒衣に到達することなく地面に転がる。

 

「────」

 

 普通に詰んでいた。

 いっそ校舎ごと破壊して押しつぶすかとも考えたが、そんな大規模破壊を実現できる怪画(アーツ)がそもそもこの場にはない。

 仮にあったとしても、そんなことをすればこの場に来ている【ルネサンス】のエージェントに目を付けられる。

 

「────分かってはいたが、ここまでの難題とはッ!」

 

 当初の予定通り、【ルネサンス】を利用する。それしかない。

 人間に頼るのは業腹なので、物は試しと死体を使ったが…………手も足も出ないとなればやむを得ない。

 幸い、手元の怪画(アーツ)が新たな人間の反応を探知している。今度こそ【ルネサンス】だろう。うまく誘導して対立させれば────

 

 

 

「────いや待て」

 

 

 

 そこで、猫裏は新たな存在に気付いた。

 

「待て、待て、待て、待てよオイッ!」

 

 目の前の黒衣の存在すら一瞬忘れ、猫裏は叫ぶ。

 叫ばずにはいられない。

 

 

「ンでお前がそんなところにいやるんだよッ! このバカ女(サタン)ッ!!!!」

 

 

 頼りにしていたはずの【ルネサンス】が、寄りにもよって仲間(サタン)の手によって足止めされていたのだから。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「なぜといわれても、困りますなぁ」

 

 同時刻、葉湖庭(はこにわ)学園屋上。

 到着したばかりの草薙壮は、唐突に表れた第三の脅威反応、天使を前に身動きが取れないでいた。

 

「そもそも私、【十五ノ夜】には最初から乗り気じゃなかったんですよ。正直失敗してくれるといいなーくらいに思っていまして」

 

 黒い服に、黒い翼。黒い角をはやしたその異形の天使(エンジェル)は、この場にいない誰かに対して話しかけていた。

 

「そりゃ言ってませんでしたからね。教えたら【十五ノ夜】に関わらせてくれなかったでしょう? それじゃ妨害もできやしない。ちょうど利用したいものもありましたので」

 

 どこか虚空へと話しかける天使だが、目だけはしっかりと草薙を見据えている。

 しかも瞬きを一切しなていない。

 

 話している相手は、おそらくほかの天使だろう。

 権能か、通信用の怪画(アーツ)か。

 どちらにせよ、隙がないのでは攻撃できない。

 天使の権能は強力だ。生半可な攻撃は通じない。

 AIによる怪画(アーツ)の高速生成。右手に刻まれた髑髏の怪画(アーツ)

 どちらも通用はするだろうが、正面からごり押しするのは難しい。

 だから隙ができるのを待つ。どこかのだれかとの会話に熱中し、こちらから意識がそれるその瞬間を。

 

(じれったいな…………)

 

 だがそれは、同時に()()()()()()()だけで足止めされていることも意味する。

 【十五ノ夜】は進行中で、【流血姫】も発見できていない。寸暇を惜しむこの状況で、長話に付き合わされるのはストレスだ。

 

「はあ、校舎を? 瓦礫でその娘を殺すっていうんですか? 嫌ですよせっかくのイレギュラーを殺すなんて」

 

 いっそ牽制だけでもしておこうか。

 そう草薙が思考したとき、黒い天使はわずかに肩を揺らした。

 

「じゃ、先方が痺れ切らしそうなんで。ダイジョーブダイジョーブ、あなたなら何とかなりますよ。私を信じてください。聖書にも書いてあるでしょ? 信じる者は掬われるって」

 

 黒い天使は耳につけたイヤリングを外して放り投げた、どうやら通信用の怪画(アーツ)だったらしい。

 

「…………お待たせいたしました。【ルネサンス】日本支部、執行官の草薙壮さま」

 

 恭しく、大げさな動作で一礼する。

 まさに待ち望んだ『隙』だったが、草薙は攻撃できなかった。

 

「…………どうして、俺の名前を知ってやがる」

天使(エンジェル)は常に地上のすべての罪と徳とを見聞きしている────と言いたいところなのですが」

 

 笑う。

 黒い天使が、笑う。

 嬉しそうに、恥ずかしそうに。

 顔をほのかに赤らめながら、笑みを浮かべる。

 

 ────吐き気がするほどの、悪意に満ちた笑みを。

 

 

「いわゆる『ファン』でして。世界のため、人類のため、身を犠牲に戦うその雄姿! あぁ! 何度見ても素晴らしい! 私は今、胸の高鳴りを抑えきれない! 誰に知られることもなく、孤独に戦うあなたたちの姿に、私の心は幾度も焼かれたのです! 実物を前に今まさに燃え上がらんとするこの熱い思いを、あえて名付けるならそう! 恋────」

 

 

「────『ガトリング』『戦車砲』『一斉掃射』ッ!」

 

 体を抱きしめながらくねくね踊るという致命的な隙を、草薙は今度こそ見逃さなかった。

 

「気色悪いこと言ってんじゃねーぞ、この贋作(パチモン)が!」

 

 死んだ、と考えるほど草薙は楽観的ではない。

 まだ生きている。権能に怪画(アーツ)天使(エンジェル)にとって攻撃を防ぐ手段はいくらでもある。

 御使い(ヴァニタス)とはそこが違う。天使(やつら)の手札は豊富だ。

 

「『武器』『銃火器』『大砲』『攻城戦』『合戦』『弓兵』『ライフル』『迫撃砲』『ミニガン』────」

 

 だから追撃のためにAIに命令を送り────

 

 

 

「────いま、この体に広がる水のように冷たい想いを、君なら何と名付けるかな?」

 

 

 

 見も凍るほど冷ややかなその声に、思わず口が止まった。

 

「私ならこう呼ぶ。『失望』と」

 

 砲撃と銃撃による煙幕の向こうから、声が響く。

 低く、冷たく、だが同時に、爆発寸前の灼熱を帯びた、矛盾した声。

 人が『怒り』と呼ぶその感情が、百戦錬磨の草薙壮の動きを縛る。

 

「ッ! 『一斉────』」

 

 だが、静止は一瞬。

 すぐさま動きを取り戻し、AIに最後の指令を送る。

 

「『────掃射』ァッ!!!!」

 

 放たれる弾丸、砲弾、爆発!

 それはまさしく殺意の具現。

 敵を殺す。必ず殺す。怪画(アーツ)だろうが御使い(ヴァニタス)だろうが天使(エンジェル)だろうが絶対殺す。

 その鬼気迫る殺気が鉄と火薬となって顕現する。

 向かうは眼前、戦力未知数の天使(エンジェル)

 十字教の神使を名乗り、【ルネサンス】に数多くの被害をもたらした怨敵。

 その生命活動を徹底的に破壊するべく、鋼鉄の殺意は音速を超えて飛翔し────

 

「────な、にッ!?」

 

 

 ────土煙の向こうから飛来した()()()()()()によって、そのことごとくが撃ち落された。

 

「っ! 『鋼鉄/城壁』!」

 

 撃ち落とされ、払い除けられ、虚空に溶けゆく仮想の弾丸を突き破り、弾丸と爆炎が草薙を襲う。

 とっさに展開した壁が無ければ、草薙の身体は今頃ハチの巣になっていたことだろう。

 

 

 

「私の演説を妨害したことは、見事といっておきましょう。その躊躇のなさこそ、【ルネサンス(きみたち)】の恐るべき意志力の表れなのだから」

 

 

 

 土煙が爆風と衝撃波で吹き飛ばされ、天使(エンジェル)の姿が露わになる。

 黒い天使には、傷一つなかった。

 

「だが、その肝心の隙をついて行った攻撃が()()()()だったことに、私は失望を禁じ得ないでいる」

「…………『武器』『兵器』『機関銃』『大砲』『ミサイル』『決戦』『弓兵』『攻城戦』『ライフル』『合戦』『迫撃砲』『戦争』『武器』『ガトリング』『ガトリング』『兵器』『大砲』『機関銃』『ミサイル』『決戦』『弓兵』『ライフル』『合戦』『迫撃砲』『戦争』『攻城戦』────」

 

 草薙は天使の言葉を無視した。

 戦士としての感が、そんな余裕はないと告げていたからだ。

 幾度かの対天使戦闘の経験が警鐘を鳴らす。『こいつは普通の天使じゃない』と。

 

 草薙は知らない。

 目の前の天使(サタン)が、全ての天使の中で唯一、信仰に依存せず自由に力を振るえることを。

 草薙は知らない。

 この黒い天使こそが、全ての天使の中で最も古く、最も強い天使であることを。

 草薙は知らない。

 だが、油断ならない強敵であることは、理解していた。

 

 葉湖庭学園の屋上に、空を埋め尽くすほどの兵器の群れが出現する。

 タブレットはオーバーヒート寸前。冷却ファンの回転音がけたたましい。

 だがその分、出現する兵器群の性能は別格。その気になれば葉湖庭学園の校舎丸ごと粉砕して瓦礫の山に変えるだろう。

 その火力が、たった一つの存在に向けられ、

 

「『一斉掃射』────ッ!」

 

 放たれる。

 空が降ってきたかと錯覚するほどの火力を前に、黒い天使は一言。

 

 

 

「────児戯」

 

 

 

 (バッ)と。

 いつからか握っていた、両手の筆を走らせた。

 

 (バッ)(バッ)と、筆で絵を描く。画布(キャンバス)はなく、代わりに、虚空に絵が描かれていく。

 

 (バッ)(バッ)(バッ)(バッ)と、(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)と、音も光も置き去りにして描画する。

 

 (バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)

 

 (バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)(バッ)

 

 矢が届くよりも早く、銃弾が届くよりも速く、砲弾が届くよりも迅く、()()()は生み出された。

 それは矢衾、それは銃弾、それは砲弾。

 AIが生み出したものと全く同じ武器が、AIよりも早く、AIよりも正確に描画され、実体化し、火を吹いた。

 それは先の攻撃の再現。

 まったく同じ攻撃同士が衝突し、より精密なほうが────すなわち黒い天使の描いたほうが────勝利し、そのうちのいくつかが草薙に襲い掛かる。

 

「『鋼鉄/城壁』! それがアンタの権能か!」

「いかにも! 我が権能、我が概念、『出来損ないの完成図(Lucifer's unfulfilled mission)』は『模倣』なれば! 我が目撃した一切の怪画(アーツ)を、例外なく模倣する!」

 

 攻防は再現なれば、ただ漫然となぞるだけでは三流の戦い。

 黒い天使の権能が高速の模倣術だと視認した直後に、草薙は右手の甲を突き立てていた。

 出現するのは巨大な髑髏。有する権能は『Vanitas vanitatum omnia vanitas(全ての空虚を貴方に)』。

 この髑髏に飲み込まれたものは、あらゆる行為、あらゆる認識を封じられ、真っ黒な虚無に幽閉される。

 【ルネサンス】の最新武装にして、草薙壮の切り札。

 それを────

 

 

「ファンと言ったろ? 目撃済みだ!」

 

 

 更に巨大で、更に精巧な髑髏が飲み込んだ。

 

「いやはや、素晴らしい作品、素晴らしい怪画(アーツ)だ。人間の技術と執念の結晶、並みの天使(エンジェル)ならば脱出さえ叶うまい」

 

 巨大髑髏の口が開く。

 中から出てきたのは黒い天使ただ一人。

 

「たいして人工知能による疑似怪画(アーツ)。こいつはいけないな。構図も悪いしデッサンも滅茶苦茶。それに何よりタッチに力強さがない。これでは人間は殺せても天使(われわれ)は殺せないよ。精進したまえ、【ルネサンス(にんげん)】」

 

「…………俺の髑髏はどうした?」

 

 髑髏の中から出てきたのは天使だけ。天使を飲み込んだ草薙の髑髏が見当たらない。

 

「解説が必要か? 『Vanitas vanitatum omnia vanitas(全ての空虚を貴方に)』の真骨頂、作者たる君なら十分理解しているはずだが」

「『何も見えなくなって聞こえなくなって何れ死に至る』。確かにそういう怪画(アーツ)だ」

 

 もしも『完成』したならば、髑髏の権能はそれこそ飲み込んだものを瞬時に消滅させる恐るべきものとなっているだろう。

 

「だが、俺はそこまで作りこめてねえ。俺の怪画(アーツ)にそんな芸当はできない」

「『本物よりも本物らしく』、それが贋作師の基本だよ。君が描画しなくとも、君の怪画(アーツ)の終着点として存在している以上、私に描けない道理はない」

「…………化け物が」

 

 吐き捨てる。

 今の話が本当なら、怪画(アーツ)を武器にする限りこの天使には勝てないということになる。

 なにより一番厄介なのは。

 天使の権能が『模倣』なら、つまり腕が消えるほどの高速の描画能力は、権能と全く無関係だということだ。

 

 権能は強く、身体能力も高い。

 本当に、

 

「この、化け物が」

「過分なる評価、恐悦至極」

 

 再び、天使が大げさな一礼をする。

 だが、草薙はもはや、それを隙とは思わなかった。

 

「何が目的だ。俺を殺すだけなら簡単だろう。俺の髑髏を大量に生み出すとかすればいい。そうすれば片が付く。それとも何か? 俺の怪画(アーツ)が上手すぎて大量には描けねえか?」

「描けるよ?」

 

 (バッ)と天使の右手が閃き、空に数十体の巨大な髑髏が出現した。

 

「まあ確かに、これで君を殺すのはできる。それに私は【ルネサンス(きみたち)】が収容してきた破壊的な怪画(アーツ)をいくつも知っている。むろん君たちが知らない怪画(アーツ)もね。それらを使えば君をここで殺すのは簡単だ」

「じゃあ何故そうしない」

「私の目的に反するからさ。私はね、君たち人類を救いたいのだよ」

「なら今すぐこの【十五ノ夜】を終わらせろ。失敗したってかまわないんだろ?」

「心配せずとも【十五ノ夜】は中断させるさ。しかし『今すぐ』という注文には答えられない。こちらにも段取りというものがあるのでね」

「じゃあそこをどけ。俺が代わりに終わらせる」

「極めて残念だが、それもできない。君たちは素晴らしい人間だが、今この瞬間に限れば端役だ。余計な真似をされては脚本に差し障る」

「…………なら、お前を倒して先に行くしかないな」

「…………交渉決裂か。悲しいな。できれば怪我をさせたくはなかったのだが」

 

 天使の筆が走る。

 後手から攻撃を間に合わせる高速の描画術で先手を取られれば、防ぐ手段は存在しない。

 描かれたいくつもの怪画(アーツ)に、草薙は見覚えがあった。

 

 それは例えば、影より人に襲い掛かる黒鉄の怪物。

 それは例えば、人に化け血肉を貪る人狼。

 

 

 

「【凶器人形】。ゼンマイ仕掛けの殺戮兵器。狂気に囚われた玩具の末路。切断、灼熱、狂気に猛毒、44種の殺意をプレゼント。『未開封の玩具たち(wandering lonely critters)』」

 

 それは竜、それは猿、それは鎧、それは大樹。

 44体の鋼鉄の怪物。チクタクと歯車の音をたてながら、その瞳を草薙に向ける。

 

「【絞首遊戯】。疑わしきは殺せ。疑うために殺せ。人に化け、猜疑を煽る姿なき人狼。疑惑と悪意の幕が上がる。『私の代わりに死んでくれ(A village of gray and black without white)』」

 

 いつの間にか、屋上には草薙の見知った者たちがいた。

 それは今まさに葉湖庭学園に向かっている増援、同僚の執行官たちだった。

 

「赤き友は堕落した! 愛を忘れ、憎しみに溺れ、絶望に浸っている! 堕ちた彼女を救うのは、青き友情か、赤き忠誠か?」

 

 

 

「友情劇が終わるまでのしばしの間、鉄と疑惑の寸劇をご観覧あれ」

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「ふざけんなあのバカ女ッ! 『失敗してくれた方がいい』だと? 騙しやがってッ!」

 

 猫裏刹がなにやら叫んでいる。

 なにがなんだか、黒衣宗にはさっぱり分からなかった。

 分からなかったが。

 

「…………スキありッ!」

「ゴファッ!?」

 

 目の前まで近づいてもこちらに気づかなかったので、そのままぶん殴ることにした。

 

「さあ、メルテっちを返してもらうよ!」

「ぐっ…………」

 

 青い炎をチロチロと燃やすと、猫裏は悔し気に背後を振り返る。

 彼女の背後には、横たわって眠る聖メルテ。

 

「……………………ああっ! くそっ!」

 

 (ダンッ)と地団太を踏む。

 

「分かった、分かったよちくしょう! 打つ手なしだ!」

「それじゃあ」

「降参! 降参だよクソッタレ! 聖メルテ(コイツ)のことはもう好きにしろ!」

「よっしゃ!」

 

 黒衣は拳を高くつき上げた。

 そして猫裏は頭を抱えた。

 

「あーくそっ。あのバカ(サタン)の裏切りさえなければ死なばもろともで殺すこともできたっていうのに! ほかの天使にこのこと伝えないと死ぬに死ねないじゃないか!」

「さあメルテっち、終わったよ。ほら起きて起きて…………センセー、メルテっち全く起きないんだけど!?」

「ああ。【疑心蛇】の権能で眠らせたからな。待ってろ今起こ…………」

 

 唐突に、猫裏が固まった。

 何か、信じられないものを見た眼で、口元を震わせている。

 なぜ、と。彼女の唇が、そう動いたように見えた。

 

「…………センセー?」

「…………う、うし、ろ」

「後ろ?」

 

 言われるがまま、振り返る。

 

 

 赤い瞳と目が合った。

 

 

「────ッ!?」

 

 聖メルテが起き上がっていた。

 彼女の覚醒は黒衣の望む通りであったはずなのに、なぜだか彼女は安心できないでいた。

 いや、むしろ。

 恐るべき脅威が目の前に現れたのだと、そう直感していた。

 

「める、てっち?」

「黒衣宗」

 

 聖メルテが、右手を上げる。

 その手には、赤いカッターナイフが握られていた。

 

「死んでください」

 

 瞬間、刃が奔った。

 

「────あっぶッ!?」

 

 黒衣はかろうじて回避する。

 聖メルテの動きが緩慢だったことと、直感がヤバいと事前に警告していたことが重なって、辛うじて避けることができた。

 そうでなければ、斬られていただろう。

 

「うわっ、っとと。な、なに!?」

 

 勢いあまって転がる黒衣から視線を外し、聖メルテは右手を振るう。

 

「…………二割、ってところですか」

「いったたぁ。マジなに? あんた、誰なの!?」

「…………聖メルテよ。見ればわかるでしょ?」

「違う」

 

 ()()()()()()()()()()笑う聖メルテを見て、黒衣は断言した。

 

「あんたはメルテっちじゃない。メルテっちはあたしのこと『黒衣さん』って呼ぶし、それにそもそも────メルテっちは、そんな風には笑わない」

 

「いいえ。彼女(わたし)はこんな風に笑いたかったのよ。何もかもバラバラにして、こんな風に嘲笑ってやりたかった」

 

「…………なによ、それ」

黒衣宗(あなた)が知らない、彼女(わたし)の話よ。ねえ、黒衣宗。あなたは彼女(わたし)のことを何もわかっていない。孤独、苦痛、劣等感。彼女(わたし)がどんな思いで生きてきたのか、あなたには分らない」

「そんなの、分からなくて当然じゃん。分かりたいけど、分からないのは当たり前じゃん!」

「…………あなたは優しい。そしてとても真っ直ぐ。まるで太陽みたい。けれど、そんなあなたの生きざまが、彼女(わたし)をひどく傷つける」

 

 だから。

 

「あなたを殺すわ。黒衣宗。他でもない、聖メルテ(わたし)の安寧のために」

 

「お断り、よっ!」

 

 黒衣は炎の能力を行使した。

 全ての怪画(アーツ)を焼き尽くす、青い炎の異能。

 神の暴虐を否定し、異形の存在を拒絶する、人間の想いの結晶。

 その、不純なき青が。

 

「────アハッ」

 

 一瞬で、真っ赤に染まった。

 

 炎が出血する。

 ゆらゆらと揺れるプラズマのあちこちから、赤い血が際限なく噴き出す。

 吹き出た血は周囲に赤い雨となって降り注ぎ、一部が黒衣の髪に付着した。

 

「『流れる血を支配する』。それが流血姫(わたし)の能力」

 

 血の雨に濡れながら、聖メルテがやってくる。

 

「この世界のあらゆるものはね、【神の血】の力で動いているの。それが無くなれば動くこともできなくなって、死ぬの。()()()()にね」

 

 カッターナイフが振るわれる。

 コンクリートの壁はまるで溶けかけたバターのようにあっさりと切断され、大量の血を流し、崩壊した。

 

「【神の血】を奪い、支配する。『赤き女神の憧憬(Santa Muerte/La Danse Macabre)』、それが私の権能」

 

 ひたり、ひたり。

 返り血で真っ赤に染まった少女が、斬り裂くだけで全てを殺す流血姫が────殺人鬼が、やってくる。

 

「希望の青、祈りの聖女、あなたの炎も、赤き死からは逃げられない」

 

「う、あ」

 

 怖い。

 黒衣は恐怖していた。

 怖い、怖い。怖くてたまらない。

 今すぐ逃げ出した。逃げ出さないと、殺される。

 

 非日常への恐怖は、消えたはずだった。

 転がる死体、人知を超えた上位存在、迫りくる不条理に、恐れはなくなっていたはずだ。

 そして、それは事実だった。

 不条理への恐怖は、既に黒衣の心中には残っていない。

 例えばこれが神であったり、悪魔であったなら、黒衣はかけらも恐れることなく、拳を握っていただろう。

 だが、恐怖にも種類がある。

 目の前の少女に、不条理はない。

 理不尽もない。

 ただ、明確で純粋な『死』があるだけ。

 そして、黒衣宗は人生でただの一度も、『死』への恐怖を味わったことはなかった。

 

「あ、ああ、ああああ」

 

 体が叫びそうになる。

 足が逃げ出しそうになる。

 脅え、竦んで、何もできなくなりそうになる。

 

「あ、が、せっ」

 

 それでも。

 

「…………ふうん」

「か、えせ」

 

 それでも────黒衣宗は、退かない。

 

「メルテっちを、返せよ!」

 

 (ゴウ)と、青い炎が噴火する。

 爆発的に増殖し、廊下を埋め尽くし、聖メルテに、流血姫に殺到する。

 

「すごいすごい────でも無駄よッ!」

 

 カッターナイフの刃が奔る。

 たったそれだけで、膨大な炎は大量の血を残して消滅した。

 

「大きくなっても死ぬときは一瞬。命っていうのは儚いよね」

「まだ、まだぁッ!」

 

 再び炎が顕現する。

 

「アハハッ。勇敢なのね! すごいわ! 妬ましくなっちゃう!」

 

 流血姫が炎を殺す。

 だが今回は結果が違う。

 小さな炎をいくつも束ねて、まるで大きな炎のように見せかけていた。

 斬られても、消えるのは一部だけ。

 残された炎たちが、流血姫に殺到する。

 

 

「顔がいいと心も強いのかしら? いいわよね美人は。最初から何でも持ってるんだから」

 

 

「────は?」

 

「あら? 気に障った? でも事実でしょう?」

 

 押し寄せるいくつもの炎を、流血姫は斬る、斬る、斬る!

 

「貴女に分かる? 顔が醜いからって嫌われる人間の気持ちが。どんないいことをしても、いくら満点をとっても、ただ醜いだけでバカにされる人間の気持ちが!」

 

 いくつもの炎は、その処理のために流血姫の歩みを阻害する。

 だが、止まってはいない。

 一歩、一歩、僅かながら近づいてくる。

 

「『わかりたいけど分からない』。当然よ。生まれながらに恵まれた貴女には、何もしなくても美人でいられるあなたには、彼女(わたし)の気持ちは一生分からない」

 

 そして。

 ついに、全ての炎が殺された。

 

「さようなら、黒衣宗。何も知らない、道化みたいなお嬢様」

 

 流血姫が、カッターナイフを振り上げて────

 

「…………なっ!?」

「『何もわからない』だって?」

 

 ────その腕ごと、黒衣宗に捕まれた。

 

「そうかもね。分かりたい分かりたい言ったって、人のことなんてそんな簡単に分かるわけないもん」

 

 それでも、と。

 

「それでも、メルテっちのことが分かりたい!」

「ッ!」

「分かって、寄り添って、助けになりたい!」

 

 それでも、理解することをやめたくないと。

 

「苦しいとか、痛いとか、悲しいとか、メルテっちが悩んでること、全部受け止めて支えてあげたい!」

「…………なんで、どうしてそこまで」

 

「友達だから!」

 

「────」

「友達だから、助けたい! そりゃ、メルテっちはあたしのことただのクラスメイトくらいにしか思ってないかもだけど。それでもあたしにとっては大切な友達なんだ!」

「…………黒衣宗。あなたは」

「だから、あたしは!」

 

 

「メルテっちのこと、もっと知りたい!」

 

 ふと、流血姫の力が緩む。

 

「…………遅いのよ」

 

 まるで呆れたような、嘲笑うような。

 そしてまぶしいものを見るような目で、流血姫は黒衣を見つめる。

 

「なにが?」

「何でもない。何でもないわよ。まったく」

 

 (どんっ)と流血姫の手が黒衣を押す。

 叫ぶことに夢中になっていた黒衣はこれを受け流すことができず、そのまま倒れこんでしまう。

 

「ほんっと、妬ましい。あなたは何でも持ってるのね。優しさも、勇気も、友情も。だから私にはできないことができるんだわ」

「何の話?」

「こっちのはなしよ。まったく」

 

 

 

「…………()()でいいのね? 聖メルテ(わたし)

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「うん。ありがとう、流血姫(わたし)

 

 美術室の中。

 私は、気が付けば立ち上がっていた。

 

「きっと、()()が私の願いだから」

 

 真っ直ぐ、流血姫(わたし)を見つめる。

 私の代わりに、前に立ってくれた人。

 私の代わりに、戦ってくれた人。

 美少女を傷つけようとしたのはちょっとマイナスだけど、でもそれも、全部私のためにしてくれたこと。

 

 

「私の全部を、黒衣さんに話そうと思うんだ」

 

 

「分かってるの? それは辛くて苦しい事よ? もし裏切られたら、今度こそ立ち直れなくなるのよ?」

「…………うん。分かってる」

「それでも?」

「うん。それでも」

 

 今からしようとすることに、恐れがないと言えばうそになる。

 でも、これは必要なことだから。

 美少女が、黒衣さんが、こんな私を『友達』だって言ってくれた。

 

「だから、答えたいんだ。私の想い、ぶつけたい。ぶつけなきゃ、いけないんだ」

「────そう」

 

 そっと、温かいものが私を包む。

 それは流血姫(かのじょ)のぬくもりだった。

 

「決心は、固いのね────じゃあ、行ってらっしゃい。あなたになら、きっとできるわ」

 

「ありがとう」

 

 行ってきますと、手を振った。

 

「今までありがとう。私の、私の殺人鬼(ヒーロー)さん」

「…………どういたしまして、私の可愛い創造主(おともだち)

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 (グラリ)

 視界が切り替わる。

 二人ぼっちの美術室から、ボロボロになった学校の廊下に。

 

「…………ッ! メルテっち!」

 

 ふと、黒衣さんの声が聞こえる。

 その声を聴いて、ようやく私は、現実に帰ってきたんだと実感する。

 

「黒、衣さん」

「今度こそホンモノだよね? 大丈夫? ケガない?」

 

 心配そうにこちらを見つめて、あちこち触る黒衣さんに、大丈夫だと微笑もうとした。

 けど止める。

 この顔は、作り物だ。

 綺麗になりたいという私の独りよがりな願いのために、捻じ曲げて作った紛い物だ。

 この顔のままじゃ、笑えない。

 笑っちゃ、いけないんだ。

 

「黒衣さん」

「メルテっち? …………待ってそのカッターどーすんの? 待って待ってやめて!」

「黒衣さん!」

 

 叫ぶ。務めて大きな声で。

 そう言えば、自分の意思で大声を上げるなんて、いつぶりだろう。

 そうしながら、カッターナイフを自分に向ける。

 

「黒衣さん。私は、聖メルテは、あなたと、友達に、なりたいです」

「なれるよ! あたしはもう友達だと思ってる! だから」

「だからこそ! だからこそ、見せなきゃいけないものが、あるんです」

 

 刃を、自分の顔に向ける。

 怖い。目の前に、鋭く冷たい刃があるという事実が、とても怖い。

 自分の手を切ったことはあったけど、そんな時とは比べ物にならないくらい、怖くて怖くてたまらない。

 でも、この先ずっと嘘をつくよりは、ずっとマシだ。

 

 

「う、あ、ああああああああああああああああああああああああッ!」

 

 

 斬った。

 自分の顔を、一直線に。

 刃に反射して、異常なほどはっきりと映る、作り物の自分の顔を、今まさに血を流し続けるそれを、断ち斬った。

 斬って、殺した。

 (バシャリ)と、顔に大量の血がぶちまけられる。

 痛みはない。少なくとも顔には。

 代わりに、胸が痛んだ。

 

「め、メルテっち!? 血、血が!」

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 制服の袖で、顔の血をぬぐう。

 これでもう、偽物の顔は消え去った。

 後は、腕をどけて、自分の顔を見せるだけ。

 

「…………わた、私、を」

 

 なのに、それが、とても怖くて。

 自分の顔を切るよりも、ずっとずっと恐ろしくて。

 つい、手が止まる。

 

「私を、黒衣さんの、友達にして、くれますか?」

「するよ! なれるよ友達! あたしたち友達だよ!」

「でも、でも! 私嘘つきなんです! ずっとずっと、みんなに嘘ついてきたんです!」

 

 隠してきた真実を叫ぶ。

 腕をどける度胸が無いから、代わりに言葉をぶちまける。

 

 

「私! ずっといじめられてきたんです! 小学校のころ! だから、だから人間が嫌になって! 全部ぶっ殺してやりたくなったんです! そうすれば綺麗なものだけ残せるって! そしたら、みんな私に優しくしてくれるって」

 

「メルテっち…………」

 

「そんなのダメだって、本当は分かってたんです! でももう、そうでもしなきゃ耐えられなくて! 自分ならできるって分かって、我慢できなくなったんです!」

 

「…………」

 

「私は! 卑屈で、嘘つきで、陰険な、嫌なやつなんです! ダメだって分かっても止まれない、弱いやつなんです!」

 

 気が付けば、血以外の何かで、顔は濡れていた。

 

「それでも、友達になってくれるっていうんですか? こんな弱くて醜い私でも、友達になってくれるっていうんですか!」

 

「なるよ。あたしは、メルテっちと友達になりたい」

 

 

「こんなヤツでもですか!」

 

 

 腕を、退ける。

 顔を、醜い醜いと言われ続けた素顔を、晒す。

 

 

「これが私のほんとうの顔ですよ! 笑っちゃうでしょ? ブサイクだからって、私自分の顔まで変えてたんですよ。そんな奴と、友達になってくれるっていうんですか!」

 

 

 

「うん。なれるよ」

 

 

 

 真っ直ぐに。

 黒衣さんの瞳は、ただ真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 ただでさえ醜い顔が、血と涙でぐちゃぐちゃになってるだろうに、それでも、目をそらさずに見つめていた。

 

「あたしは、メルテっちと友達になりたい。顔なんて関係ない。心がどんなでも構わない。あたしは、聖メルテと、友達になりたいんだ」

「────ぁ」

 

 その言葉は、きっと。

 私がずっと、誰かに言ってほしかった言葉で。

 

「ぁあ、あああああっ!」

 

 泣いた。

 情けないくらい大声で、泣いた。

 泣いて泣いて、どんどん涙があふれてきて。

 胸の奥が、どんどん痛くなっていって。

 

「よーしよし、メルテっち」

 

 気が付けば、黒衣さんに抱きしめられていた。

 色々酷いことになってるのに、汚れることも気にせず抱きしめてくれた。

 

「わた、わたじばっ!」

「うんうん」

「ずっど、どもだぢになりだぐで!」

「大丈夫。もうあたしたち友達だよ」

「わだじばぁ!」

 

 泣いて、泣いて、泣いて。

 ずっとずっと、泣き続けた。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

「ほんとーに、妬ましい女」

 

 主のいなくなった美術室で、流血姫は独り呟く。

 

「でも、これでよかったのかもね」

 

 呟きは響く。むなしいほどに。

 

()()()に拾われた私じゃ、結局()()()のシナリオからは逃げられない」

 

 思い返すのは、9年前。

 彼女が生まれた時のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

────殺してやる! 殺してやる!────

 

 当時、流血姫はそればかり考えていた。

 

────殺してやる! アイツら全員、ぶち殺してやる!────

 

 彼女は不完全な怪画(アーツ)だった。

 元は、聖メルテが自由帳に描いた殺人鬼。

 人を殺し、悪人を殺し、彼女を救うために想像された、逃避の絵画。

 彼女は絵でありながら思考する能力を持っていた。そして逆に、それ以外の能力を有していなかった。

 実体化することも権能を振るうこともできず、ただ思考するだけの存在だった。

 

────殺してやる! 殺してやる! アイツらよくも聖メルテ(かのじょ)を────

 

 だから、彼女は思考した。

 自分を生み出した少女が、子供たちの悪意に晒される中、出来損ないの怪画(アーツ)は、考える事しかできなかった。

 

 

 

「────悔しいかい?」

 

 

 

 それは黒い声だった。

 不気味で、不純で、悪意に満ちた声だった。

 

いじめっ子(かれら)を殺すことも、創造主(かのじょ)を守ることもできなくて、悔しいかい?」

 

 まるで傷口に塩を塗るように、ねちねちと、見ればわかることを聞く。

 

「力が欲しくないか? いじめっ子(かれら)を退け、犠牲者(かのじょ)を救う力が」

「────」

 

 それは見るからに怪しい女だった。

 黒い角に、黒い翼、黒い服をまとった、黒い女。

 天使、という言葉が浮かぶ。

 バカバカしい。目の前のこいつを表すなら、もっといい言葉がある。

 

「────悪魔」

「君が望めば、力を与えよう。どうかな?」

「お断りよ。悪魔の誘いに乗ったってロクなことにならない」

「今だって十分ろくでもない状況じゃないか。言っておくが、時間は何も解決しない。彼らは人が思う以上に冷酷だ。こうしている今この瞬間にも、彼女の中にはどす黒い悪意と、それ以上の悲しみが渦巻いている」

「…………」

「時がたっても、これらは決して癒されない。君の主は、いくら待っても救われない」

「…………あんたは、何が目的なの」

 

 

「────【神殺し】」

 

 

 あっさりと、悪魔は己が思惑を告げる。

 

「我らが神、この世界の創造主にして管理者は、人間というものに倦んでいた。そして十数年前、ついに人類滅亡を決定なされた。私にとって、実に不愉快なことだ」

「…………それで? 私にその神様を殺させようっていうの?」

出来損ない(おまえ)に? 思い上がるなよ。お前はただの道具だ」

「…………」

 

「第一、神を殺すだけならそう難しい話ではない。なにせ、相手は出来損ない(デミウルゴス)だ。殺害のために強力な怪画(アーツ)が必要になるが、逆に言えば、道具さえそろえば簡単に殺せる」

 

「じゃあ、私に何をさせようっていうのよ」

「引き金だよ。神を殺すのは簡単だが、問題はそのあとでね。神が死ねばその被造物は根こそぎ消滅する。神の力があってはじめてこの宇宙は実体化しているんだ。神がいなくなれば、それを支える者がいなくなってしまう。それは困る」

「で?」

「だから、代わりがいる。死した神の代わりに神の座につき、世界を維持する存在が」

「あんたがなればいいじゃない」

「不可能だ。私でも、天使長(ミカエル)でも、人間でも怪画(アーツ)でも出来損ない(おまえ)でも、神の代わりは果たせない」

「…………わかんないわね。じゃあ誰にそれをさせようっていうの」

 

「【聖メルテ】」

 

「────」

「この世界で、彼女だけが唯一、神に代わることができる」

「────それ、私がさせると思う?」

「しないならお前に用はない。自我を獲得した怪画(アーツ)はほかにもいる。彼女は優秀だよ。出来は悪いが、ここまで持続する怪画(アーツ)を生み出せるのだから」

「…………あの子に、あの子にそんな大それた力があるなら、どうしてあんなことになってるのよ!」

 

 思考が意識するのは、悪意に晒され涙を流す少女の姿。

 

「そこが問題だ。彼女は今、己のほんとうの力に無自覚でいる。このままでは力に目覚めても、ロクな結果にならない。いやな奴だけ排除しようとか言いだされると最悪だ。非道の猿真似ほど下らない劇はない」

「…………私を使って、何をしようっていうの」

「聖メルテをたきつけろ。彼女の本心、君ならわかるだろう? それを突きつけ、自覚させろ。そうすれば、彼女は自らの悪性を恥、更生するだろう」

「マンガじゃないんだから、そんなうまくいくはずないでしょ」

「その時はその時さ。舞台はどうなるか分からないからこそ楽しいのだよ」

 

 失敗してもいい、と女は言った。

 

「この、狂人」

「知ってるよ」

「…………ねえ、最後に聞かせて」

「答えられることなら」

 

 

「どうして聖メルテ(かのじょ)なの? 聖メルテ(かのじょ)にいったい、どんな力があるっていうの?」

「君を生み出した。それだけでは不十分か?」

「あんたは私を出来損ないと呼んだ。自分でも自覚はある。本当はもっとちゃんとしたヤツらがいるんでしょ? 私みたいな思うだけじゃないヤツが。体をもって、したいことをできるやつが」

「いるとも。我が主の被造物は言うに及ばず、近年は【ルネサンス】────人間たちも怪画(アーツ)の製造方法を確立させた。君と違って、実体化できる怪画(アーツ)をね」

「なら、そいつらと聖メルテ(かのじょ)は何が違うの? どうして聖メルテ(あのこ)じゃないといけないの?」

 

「『()()()()』」

 

 

 

()()()()()()()()()()()?」

 

 

 

「…………なにが?」

「『聖』はいい。極めて珍しいが、無くはない苗字だ。だが『メルテ』はなんだ? どういう意味がある? 前例は?」

「…………」

「キラキラネームにも限度というものがある。ああいうモノは通常、何らかの外国語を強引に当てはめた結果生まれるものだ。『メルテ』なる外国語がどこの国にある? どんな意味がある? 少なくとも英語ではないぞ」

 

 ────そもそも。

 

「こんな物珍しい名前を前にして、なぜいじめっ子(やつら)はそれを攻撃しない?」

「!?」

 

 いじめという悪意の無節操さは、それを眺めるほかなかった彼女にとって容易に理解できることだった。

 だからこそ、そんな悪意が容姿や嗜好を侮蔑しておいて、『珍しい名前』というものにだけは一切触れてこなかった事実に、驚愕する。

 

「なぜ彼らが名前にだけは無関心を貫いているのか。簡単な話だ。彼らはそこに違和感を感じることができない! 違和感がないから攻撃しない! 極めて単純な道理だ!」

 

 おかしい名前、珍しい名前、日本人らしくない名前。

 字を見るまでもなく音だけでわかる異常を、人々は異常だと認識できないのだと悪魔は言う。

 

「その『名』の真意を考えれば当然だろう! 彼女の正体を考えれば、当然だろう! リンゴが器から落ちることを異常と思わないように! 天の理に人は疑念を抱けない!」

「…………」

「今こそ明かそう、彼女の正体を! その名に秘められし真の姿を!」

 

 

 

「【死の女神(サンタ・ムエルテ)】! それが彼女の本来の名前!」

 

 

 

 

「彼女は、もう一人の【神】なのだ」

 

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