木々の隙間から、淡い光が漏れて足下を照らす。
──夜明けが近い。あと十分かそこらといったところか。
パキパキとコンバットブーツの靴底が小枝を踏む小気味の良い音を響かせながら、眼前を歩む彼女の背中を追う。
「さぁて、もうすぐだ」
意気揚々と燃え盛る炎を連想させる赤髪を揺らしながら、彼女は背後を見やって声をかける。
一時間以上は歩きっぱなしだと言うのに、彼女は息切れ一つしていない。後ろに続く少年も息こそ平常を保っているが、その顔には疲労の色が張り付いている。
だと言うのに、彼女はまるで遠足当日の子供のような無邪気な笑みを浮かべて、背後の少年に声をかける余裕さえある。
その様子に少年はどうなってんだこいつと思い、そして彼女の規格外っぷりを思い出して苦笑を刻んだ。
「分かってるよ、
少年はため息混じりに彼女──
額にじんわりと浮き出た汗を袖で拭い、ラストスパートだと脚に力を込めた。
そうして数分。
草木を掻き分け、獣道を踏破した二人は森を通り抜け、崖に出ていた。
足下を見やれば、眼下にはどこまでも続く青──海があり、水平線の彼方には雲しかない。
あと少しで夜明けを迎えるのを示しているかのように、空からは闇が薄れ、雲の隙間から淡い光が漏れ出ている。
「・・・もうすぐ始まるぞ」
腕時計を見ながら、奏は呟く。
少年はそれに従うように水平線の彼方へと視線を向けて立ち尽くす。
「───始まった」
ポツリと零れた声。
その言葉に答えるかのように、雲海を押し退けて光の球──太陽が姿を見せる。
海面を照らし、空に僅かばかり残っていた闇を吹き払う。周囲の木々も太陽の光を浴びて、燦々とした生命の輝きを主張する。
やがて太陽は雲海から完全に抜けると、緩やかな速度で上へ上へと登っていく。
自然が産み出した絶景。星の息吹き。地球が作り上げた究極のアートを見て、少年はただ呆然とその言葉を吐き出した。
「───・・・すげえ」
惜しみ無い称賛。十年しか生きていない脳では処理しきれないほどの美しさ。
故に、少年はただ圧倒されるばかりだ。
そんな少年の様子を見て、奏は不敵に微笑むとジャケットのポケットから煙草を取り出して口に咥えた。
「凄いだろ?
ぱちんと指を鳴らして、煙草に火を点ける。
名前を呼ばれた少年はゆるりと奏を見上げ、参ったと言わんばかりに、力無く笑った。
「・・・ああ、すげぇ。最高って言葉じゃ足りないくらいだ」
「そうかい。それなら良かった。病体に鞭打って来たかいがあった」
奏は笑って、紫煙を吐き出す。
「・・・楽しかったか?」
寂しそうに。けれどもやりきったように。
奏は微笑んで少年───
その言葉で、一真は気づいた。いや、気づいてしまった。
「────」
答えない。否。
だって、この問いに答えるということは
───二年に渡って、続けてきた旅に終わりを告げるということだから。
「私は、君に世界を見せたいと思った。だからこの旅を企画し、ここまで続けたんだ。一真、君は私の思いつきに付き合わされた形になる。なら───終わらせる権利は、とうぜん君のものだ」
吸い終えた煙草を携帯灰皿に入れながら、奏は優しく笑ってそう言い切る。
風が吹き抜け、奏の赤髪が空に流れる。
「私はもう長くない。だから、最後にこの景色を見せることができて良かった」
そう語る奏の顔は穏やかで、儚げだった。
一真は理解する。自身が旅の終わりを拒んだとしても、彼女はこの旅を終わらせるだろうと。
「・・・どうせ俺がどんな答えを返しても、この旅は終わりなんだろ?」
確認するようにそう問えば、奏は苦笑しながら二本目の煙草に火を点ける。
「ははっ、流石に気づかれたか」
「そりゃな。五年も一緒に暮らしてりゃ嫌でも理解するよ」
「そうか。そうだな」
奏は此方に視線を向けず、澄んだ青空を見上げている。風で揺れる赤髪に隠されて、彼女の顔は窺えない。
「・・・楽しかったよ。この二年の旅も含めて、あんたと過ごした日々は」
どんなに抗っても、この旅が終わるのなら。
一真は素直にそう告げて、奏に倣って、透き通る青空を見上げる。
「・・・そうか、なら良かった」
奏は小さく溢すと、ちらりと一真を見やる。
「君の一生は、もしかしたらひどく苦痛なモノかも知れない。最悪だと、もう終わりにしたいと思う時が幾度となくあるかもしれない。そんな時は、この景色を思い出せ。きっと、支えになるはずだ」
二本目の煙草を吸い終え、彼女は笑った。
まるで、幼い子供のような無垢な笑みだった。
「───一真。私は、君に出会えて良かった」
◇◇
ジリリリ──・・・
鳴り響くアラームの音で目を覚ます。
のそりと布団から手を出して、傍らのテーブルに置いてある目覚まし時計へと叩きつけて、黙らせる。
ゆっくりと起き上がり、後頭部を掻きながら小さく欠伸をして、一真は先ほどまで見ていた夢を思い出していた。
(懐かしい夢だったな・・・)
育ての親と共に行った、六年前の旅。
世界を見に行こうという親──奏の提案で始まった旅は、十六年の人生の中で、最も楽しかったといえる記憶だ。
最も、その時間を共に過ごした彼女は三年前にいなくなってしまったが。
一真は苦笑しながら、ベッドから降りて窓へと向かう。
濃紺のカーテンを開くと、眩しく輝く太陽の光が目に突き刺さり、思わず片手で視界を覆った。
「うんざりするほどの晴天だな」
指の隙間から空を眺め、雲一つない青へと皮肉を込めて呟いた。
そうして、着ていた寝間着代わりのジャージを脱いで、三日前ほどに届いた制服へと着替える。
上は灰色のブレザーと白いシャツ。下は紺色のスラックス。ネクタイの色は、新入生であることを示す緑色だ。
以上四セットが、一真が今日から通い始める高等学校───「私立ホロライブ学園」の指定制服だ。
(さて、と・・・朝メシでも食うか)
まだ覚醒しきっていない頭でそんな事を考えながら、一真は居間へと向かうのだった。
◇◇
私立ホロライブ学園。
それは勉学、芸術、運動、魔法、そして──戦闘。
あらゆる分野に置いてトップクラスの成績を出し続けている全国屈指の名門校だ。
毎年、各分野において著名人候補を輩出し続け、その株価は右肩上がり。
そんなホロライブ学園の理事長室にて、一組の男女が向かい合っていた。
「今年の一年生はまた随分と豊作だね」
穏やかな口調でそう言うは、黒革の椅子に腰掛け、デスクの上に置かれた書類を見る中年の男───此処、ホロライブ学園理事長である
パラパラと捲られていく紙の束には、今年から入学した生徒の情報が記されており、それを見通す彼の顔は喜色に満ちている。
「そうですね。理事長」
涼しい声音でそう返答するは、深い青髪をショートカットに纏めた女性。理事長である谷郷をサポートする秘書であり右腕、
片手に持っていた、珈琲の入ったマグカップを谷郷の側に置くと、詠は口を開いた。
「推薦入学者が六人もいるのは、久しぶりじゃないですか?」
「そうだね。今の四年生以来じゃないかな」
谷郷は珈琲を啜りながら書類をおいて立ち上がる。
窓際に向かうと、校門から校舎まで続く桜並木を見下ろす。
「侍の末裔、
一端そこで区切り、谷郷は再びデスクに戻って書類の一枚を掴み上げた。
「そして・・・
僅かばかりの哀愁を漂わせ、谷郷はポツリと呟いた。その脳裏に、赤く燃え盛るような髪を靡かせて笑う彼女の記憶を再生しながら。
「まったく、いつも勝手なんだ。君は」
苦笑しながら漏らす言葉には、どこか寂しさが含まれている。詠は目を伏せ、静かに席を立つ。
「・・・それでは、私は失礼します」
「ああ・・・」
気を使わせてしまったな、と。
谷郷は部屋を出ていった詠を見送りながら、追憶の中で笑う彼女へと言葉を発した。
「約束だからね。守って見せるさ」
決意を新たに。谷郷は優しい眼差しで窓の外を眺めた。