窓から差し込む日光で、ようやっと思考が働き始めた。
ぼんやりとした眼差しで戸棚からマグカップを取り出して、コーヒーメイカーにセット。
コーヒーメイカーの作動音が鼓膜を揺らし、芳醇な香りと共にマグカップに黒色の液体が注がれていく。
一真は豆に関しての詳しい知識は無いが、いま使っているこの種類は安く仕入れられる上に、コクが深いような気がして愛用している。
マグカップを片手に、すぐ近くの椅子に座って、丸い木製のテーブルに置く。
「さて、と・・・」
何気なく右手首に巻き付けた腕時計を見る。
針は午前七時を指し示していた。
今日行われるホロライブ学園の入学式は、十時からの予定だ。あと二時間近くの余裕がある。
つい何時もの癖で早く起きてしまったが、もう少し寝ていても良かったかもしれない。
「ま、初めての入学式だしな。速く行っても誰も文句は言わねぇだろ」
濃い珈琲で思考のギアを上げながら、一真は立ち上がり、冷蔵庫から昨日の夜に作り置きしていたチャーハンをよそった皿を取り出して、レンジに放り込む。
適当に時間を設定して、食器棚からスプーンを抜き取って再び席につく。
残り僅かだった珈琲を飲み干し、ポケットからスマホを取る。
SNSアプリを開いて、下にスクロールしていくと、『白銀騎士団』の活躍を讃えるニュースキャスターの動画がアップされている。
どうやら銀行強盗を取り押さえたらしい。
「白銀騎士団、か・・・」
白銀騎士団。それは、一流の魔術師で構成される自治組織だ。団員全員が優秀な実力を備えており、その知名度と武勇は多くの人々に知れ渡っている。
動画に映る銀髪の少女が現在の団長のようだが、どうやら一真が通うホロライブ学園の二年生らしい。
前の団長ならば、奏の知り合いでもあるため、少しの面識はあるが、彼女とは会ったことがない。
「・・・伝えなきゃ、ねえよな」
脳裏に蘇る赤髪。奏の葬式は、ごく僅かな身内だけで行われた。今思うと、不自然なほど彼女は自身の死を隠したがっていた。
それに、彼女の死因は
そう、まるで──
「・・・何にビビってたんだろうな、あいつ」
珈琲の最後の一口を飲み干す。
ちょうどよくブレンドされた苦味と酸味が喉奥に流れ落ちるのを感じながら、一真は苦笑した。
思えば、彼女には敵が多かった。
正義の味方を自称していたからか、旅をしている最中にもその地域を支配していた犯罪組織を相手取り、壊滅においやるなど、まあ、とにかくそういう連中から恨みを買っていた。
だが──そんじゃそこいらの相手に奏が怯える筈がない。
だって、彼女は一真が知る中で最も優れた魔術師だったから。並大抵の犯罪組織程度ならば、奏にとっては赤子の手を捻るようなものだったはずだ。
──じゃあ、一体何に?
更なる思考の海に飛び込もうとしていると、チン、と電子レンジが音を鳴らして意識を現実に引っ張った。
一度思考を止め、レンジからチャーハンの皿を取り出す。思ったよりも皿が熱くなっていたため、小走りで席に戻る。
「・・・いただきます」
短く手をあわせてスプーンを持つ。
湯気が立ち上るチャーハンを掬い上げ、口内に運ぶ。焦がし醤油とゴマ油の風味が口一杯に広がり、食欲を増進させる。
そのまま次々と食べ進め、数分で平らげる。
空になった皿は食洗機に放り込んで、そのまま洗面所へと向かう。
手早く歯磨きと洗顔を終えると、タオルで顔をふき、再び居間へ戻る。腕時計を見れば、いつの間にか八時を示していた。
初めての入学式なのだ、速めに行っても問題無いだろう。そう考えて、一真は一足速く学校へ向かうことにした。
椅子の背に掛けていた焦げ茶色の革製はスクールバッグを肩に掛け、玄関へ。
愛用している黒いスニーカーを履き、脳裏で忘れ物が無いかをチェック。問題ないことを確認すると、外へ出て鍵を掛ける。
「・・・行ってきます」
返事が無いことは分かっている。だが、まあ。癖というものはそう簡単にはなくならない。
一真は少し苦笑して、一歩踏み出した。
◇◇◇
桜の雨が降り注いでいる。
ホロライブ学園の校門前で、一真はそう思った。
校門を超えた先から、昇降口前まで続く桜並木。
色付いた鮮やかな桃色が穏やかな春風に揺らされて、ゆったりとした速度で空に踊る。
学生達を歓迎する桜吹雪はまさに幻想的で、美しい光景を産み出していた。
「・・・速く来たかいがあったな」
一真は感嘆の息を漏らしながら、頭上の桜を見上げる。
降り注ぐ花弁が地面に積もり、薄桃色のカーペットを形成する。新たな門出には相応しい景色だ。
今の時刻は八時半。入学式にはまだ一時間半の余裕がある。受付の開始も、九時からだ。
流石に速すぎるのか、一真以外に新入生らしき人影は見えない。
まあ、この景色を一人占めというのも悪くない。一真はそう考えると、ゆるりと桜並木の道を闊歩する。
吹き抜ける春風が心地好く肌を撫で、木葉が擦れる音が耳朶を揺らす。
───春という季節をこれ以上ないほど演出している。
思わず眼を閉じて、耳を澄ます。
風の音、道路を走る車の音、楽しげに笑う子供の声が一気に聴覚に飛び込んでくる。
その中で、何かの鳴き声が背後から迫っているのを感じた。
「──────!」
何だろう、と。更に意識を傾ける。
「────余──!」
次第に声は大きくなる。それと同時に、声質も僅かに感じとる。
「─────余──余──!」
可憐な声だ。どこか舌足らずで、聞くもの全てを魅了する声だ。
どうやら、鳴き声というよりも名前を呼んでいるらしい。
と、そこまで考えて。
強い衝撃が、背中に走った。
「ぐへぇっ!?」
「ヨーーーーッ!!!!」
くぐもった息を漏らし、一真は盛大に倒れた。
痛みを堪えて、体勢を変える。
背中に乗っていた何かはその動きを察したのか、飛び降りて一真の横にいた。
「っててて・・・」
「ヨ?」
見てみると、そこには───白い餅のような生物が笑顔?を浮かべて一真を見ていた。
額から生えた二本の角。白く染まった体は、なんだかぽよぽよしている。四足歩行らしく、短い足で立っている。
その顔は、なんだか何も考えていないように見える。
「ぽよ余ぉ~~!!」
「・・・ん?」
可憐な声。どうやら、さっきの声はこの珍妙な生物のモノではなかったらしい。
声の方へと視線を向けると、肩で息をする少女が此方を見て立ち尽くしていた。
一真は、その少女に何も言えなかった。
───一言で言えば、彼女に見惚れていた。
額から生えた二本の角、風に流れる白絹を思わせる毛先の赤い長髪に陶磁器のような白い肌。ルビーを連想させる真紅の眼。
それらを強調する、幼くも整った可憐な顔立ち。
灰色のブレザーから覗く緑色のネクタイが、彼女が一真と同じ新入生であることを示している。
「はぁ・・・はぁ・・・ったくぅ、ぽよ余ぉ~いきなり走んないでよ」
「ヨッ!」
「よっ、じゃないよまったくぅ!!」
荒い息を落ち着かせながら、少女は珍妙な生物──彼女に倣うなら、ぽよ余だろうか──へ叱責する。
その様子を、呆けたように見ていると、此方に気づいたのか少女は眉を下げて駆け寄ってくる。
「あ、ごめんなさい!!この子はぽよ余っていって、余の式神なんだ!その、ちょっと眼を離した隙に、走っちゃってさ・・・人間様が遊んでくれてたんだよね?」
両手を合わせて謝罪する彼女をよそに、件のぽよ余は何食わぬ顔で一真の脚にすり寄っている。
気に入ったのか、しきりに頬を擦り付けている。
そんなぽよ余を見て、少女は珍しそうに言った。
「珍しい・・・ぽよ余は人見知りだから、滅多に懐かないのに」
「そうなのか?」
「うん。・・・そう言えば、名乗ってなかったね」
彼女はこほん、と咳払いすると。
片手を胸の前に持ってきて、自信満々といった風に名乗った。
「余は
満面の笑顔。その可愛らしさは、まさに太陽のそれだ。一真は立ち上がると、頬を掻いて答えた。
「俺は五条一真。察しの通り、同じ一年生だよ。あー・・・」
「あやめで良いよ!」
「そうか?なら・・・よろしく、あやめ」
「っ──うん!よろしく!」
───こうして、少年の運命は廻りだした。
◇◇◇
───都内某所。
灰暗い電灯の明かりが照らす廃屋の一室にて、二人の男が向かい合っていた。
一人は、灰色の髪に全身を真っ黒に染め上げた青年で、人ならざる端正な顔には幼い子供のような無垢な笑みが貼り付けられている。
病的なまでに白い肌が、青年の不気味さを際立てており、純真な笑顔がより恐怖を掻き立てる。
それに向かい合うは、全身を迷彩服に包んだ大柄の男だ。濃い血と火薬の匂いを漂わせ、研ぎ澄ました刃物のような鋭い気配が、男がただ者ではないと証明している。
「・・・で?どこまで暴れればいい?」
男が口を開く。
無機質な声音だ。とても人とは思えない、感情の一切が読み取れない声。
対して、青年は無邪気に笑いながら軽い口調で話す。
「さっきも言った通り、今回はただのデモンストレーションだ。宣戦布告とすら言えない、ただの嫌がらせだよ」
「それは分かってる。だからこそ、狙う対象を
「ああ。僕たちも戦力は大分揃ってきたけど、流石に在校生や教師連中を相手取るには
青年はそこで一度区切ると、窓際まで歩く。
窓ガラスに蜘蛛の巣状に走った亀裂を指でなぞり、青年は続きを口に出した。
「だからまずは、
「だが、そう上手く行くのか?新入生に手を出せば、それこそ在校生や教師が乱入するんじゃないか?」
「それについちゃやってみなきゃ分からないさ。けど、
「・・・なるほどな。それでオレか」
「うん。そゆこと」
ここで初めて、男は表情を変えた。
──不敵な笑みを口許に刻み、男はとうに理解しているであろう命令を、改めて確認するように青年に問いかけた。
「つまりオレは───
「───そうだね。やってくれるかい?僕たちの目的のために」
「ハッ、誰に言ってやがる。オレぁ、とっくの昔に命なんざ捨ててる。今さら死ぬことなんざ怖くねえ」
「そうか。ありがとう」
青年が緩く頭を下げる。男はそれを見ずに踵を返すと、獰猛に笑いながら青年へと言った。
「心配すんな。しっかり暴れて来てやるよ、オレたち──"黄昏の旅団"をしっかり教えてきてやる」
男はそれだけ吐き捨てると、姿が掻き消えた。
まるで風に吹かれた煙のように。まるで此処にはいなかったかのように消えたのを確認し、青年は天井を見上げて笑った。
「───始まるよ、我が同志たち。全てを呑み込む黄昏が」