「だいたい終わったかな…」
サイレント先輩、つまり静香姉の部屋の掃除を済ませて俺は呟く。彼女の寝室から物音はしない。大人しく寝息を立てているに違いない。
この世界にはビニール袋という概念がない。というか、プラスチックというものが存在しないため、ゴミの処理が結構面倒だ。とりあえず塵取りにまとめたゴミをゴミ箱に放り込むことにした。後日、火魔法でまとめて焼却することになるだろう。
それにしても、どうして召喚術を研究してるのだろうか。過去のことを探りたかったが、あいにく日記とかはなかった。まあ、あっても勝手に見るわけにもいかないが。
黙って帰るのもあれなので、寝室にお邪魔させてもらうとする。断じて下心はない。
「サイレント先輩、お邪魔します…」
俺の声も聞こえないくらいぐっすり眠っているようだ。ベットの脇の机には俺がさっき作った皿が置かれている。ちゃんと食べてくれたようでなによりだ。
(…寝顔見るくらいなら、別にいいよな)
椅子に腰掛けぼんやりと眺める。そうして見ると明らかに姉の顔だ。昔は姉の寝顔を見ることはほとんどなかった。年の差もあったし、病弱だった俺の方が先に寝ることが多かったからだ。
(この世界では、すっかり逆になったな…)
静香姉が病弱かどうかは分からないが、少なくとも久しぶりに会ったときは不健康そのものだった。それに加えて今の俺は剣をブンブン振り回せるくらい健康体だ。しかも、長耳族の血の影響で長生きときた。
「…なによ。人の顔をじっと見て」
「起こしてしまいましたか。すみません」
「女性の部屋に黙って入るなんて訴えられたら負けるわよ」
「黙って出ていくのも失礼な気がしまして。今度、寝室も片付けますね」
「自分でするから、いいわ」
「まあまあ、そんなこと言わずに。俺には、それくらいしかできませんから…」
「…どういう意味?」
静香姉がなぜここにいるのかというのは全く分からない。が、前の世界で俺は間違いなく死んでいる。それに対して罪滅ぼしをしなくてはならないのだ。もちろん、掃除程度でそれが成り立つわけがないが。
「説明はしにくいですね」
「無理に言わなくてもなくていいわ。でも、私をそんなに気にする理由は気になるわね。同郷だから、というのが理由じゃないでしょう?」
ここで弟だから。と言えばどうなるだろうか。まあ、間違いなくなぜここにいるのかと聞かれるだろう。俺が11歳で死んだなどと言えば彼女の心に大きな影響を与えてしまうかもしれない。
そんなことを迷っていた俺は思わず口走ってしまった。
「理由ですか。一目惚れっていえば納得してもらえます?」
「一目惚れ?」
「はい。そうとしか言えないです」
嘘は言っていない。一目惚れではないが、静香姉に好意があるのは間違いない。しかし、それは前世の俺の記憶によるものというより、このレーディスという人物の本能と言うべきだ。彼は俺の記憶が介在していなくても静香姉を好きになっていたに違いない。
「私に惚れても無駄よ。それに応えることはできないから」
「…いずれ日本に戻ってしまうからですか?」
俺が言うと驚いたような顔で見返す。
「なんで、それを…」
「俺の勘です。その様子だと当たっているみたいですね。召喚術を研究しているのもそれが理由か」
「その通りよ。私は絶対に日本に帰る。帰らなくちゃいけないのよ」
身体は弱ってはいるが強い口調だ。ますます自分が弟だと伝えにくくなってしまった。彼女が戻った世界に俺がいることはないと伝えるのと同じだからだ。
(どうしよう。この際、俺の正体を言うか? 静香姉が向こうで一人で悲しむよりかはずっとマシだ。でも、ここで伝えたところで彼女の生きる意味を奪ってしまうのと同義だ。どっちを選んでもキツい2択じゃないか)
俺が葛藤していると、怪訝な表情で静香姉が言う。
「黙り込んでどうしたのよ」
「…いえ、なんでもないです。それじゃ、俺はそろそろ帰りますね。また来ます」
「ええ。無理して来なくていいわよ」
「そういうわけにはいかないです。俺はサイレント先輩と話すのは楽しいので」
こう言い残して俺は研究室を後にした。廊下を歩きながら考える。
(別に今無理に答えを出さなくてもいい。それにあのままいたらどちらにも得にならないことを口にしてしまいそうだったしな)
いずれ向き合うことになる問題が生まれてしまった。ただ俺はレードでありナナホシユウだ。俺が出せる答えを言うしかないだろう。
夕方、俺が寮に戻るべく歩いていると後ろから声をかけられた。
「やっと見つけた!」
聞き慣れたシルフィ姉の声だ。
「シルフィ姉。いや、ここだとフィッツ先輩か」
「レードったらどこに行ってたのさ。みんな知らないって言うし…」
「ごめん。ちょっと用事があってね」
俺がお茶を濁そうとすると、近づいてきてシルフィ姉が言う。
「フィッツ先輩?」
「…もしかして、女の子と会ってた?」
図星である。女の子というか姉と会ってたとは言いにくいが。
「どうしてそう思うんだ?」
「普段レードからはしない女性の匂いがするから。その様子だと抱き合ったりしてた?」
そこまではしていない。もちろん、俺としては久しぶりに会えた喜びで抱き合いたくもなったが。
「鼻が良いな。そんな如何わしいことはしてないけど。もしかして、嫉妬していたか?」
「そういうわけじゃないけどさ。ちょっと複雑な気分なんだよね」
「複雑?」
「うん。なんかレードがどこかに行ってしまうような気がして」
静香姉が万が一、俺を連れて日本に帰るとか言い出したら迷ってしまうかもしれない。そういった意味では鋭い。
「…フィッツ先輩は、言いにくいことを伝えるときってどうしてる?」
「言いにくいこと?」
「ああ。どっちも得をするわけじゃないけど、隠していることもできない。そんなことを伝えるときだ」
「…ごめん。分からないや。そういうことを伝える状況になったことがないから」
分からなくて当然だ。俺の問題は俺だけのものだから、自分で答えを見つけなくてはならない。
「変なこと聞いたね。ごめん」
「いいよ、気にしなくて。それにしてもレードにも分からないこととかあるんだね」
「分からないことだらけだよ。現にルディの居場所だって分かってないしさ」
「でも、レードなら調べればすぐ見つけられるでしょ? そういうんじゃなくてさ、レードも弟っぽいところを久しぶりに見せてくれたなって」
「なら、もっと遠慮なく甘えるけど?」
「変な噂が増えちゃうかもね」
例の俺とシルフィ姉が付き合っているという噂は彼女の耳にも届いていたようだ。
「…それ、フィッツ先輩も知っているのか」
「うん。まあ、そのうちなくなると思うよ」
軽く笑うシルフィ姉に俺は呟く。
「フィッツ先輩のその笑顔が見れるならよかった。フィッツ先輩は、いやシルフィ姉は俺のことを愛してくれてるんだな」
「何当たり前のことを言ってるの? ボクにとって唯一の家族なんだから、当然だよ」
唯一の家族。そう言われたとき俺の中で何かピースがハマる気がした。
「そうか。唯一の家族、か…」
「どうしたの? レード」
「いや、なんでもない。俺の中で何かが見つかったような気がしてさ。ありがとう、シルフィ姉」
「どういたしまして」
シルフィ姉が俺を唯一の家族だと言ってくれた。静香姉もその一部だ。シルフィ姉はもちろん俺の前世を知らないため、静香姉を家族と呼ぶのは無理かもしれない。でも、静香姉も俺にとっては大事な家族なのだ。
(家族と一緒にいたい、そう思うのは当然のことじゃないか)
弟として、そしてレードとして一緒にいたい。そう本心を伝えればいい。それで万が一静香姉が生きる意味を見失うようだったら、俺が一緒にいて生きる意味になればいいのだ。
(問題はどのタイミングで伝えるか、だな…)
新たな問題を見つかるが、これもそう遠くないうちに解決できるはずだ。そう思うと、シルフィ姉と2人で帰る家路もどこか明るく感じた。
次回、弟バレか?