抱きついている静香姉の背中を撫で続ける。ここまで苦労があったのだろう。もともと痩せ型だったとはいえ、前世のとき以上にその背中は痩せているような気がした。
「…バカ。なんで、死んでるのよ」
「俺が謝って許されることじゃないかもしれないけど、ごめんなさい」
「謝って済むことじゃないでしょ? お母さんたちどうするのよ」
娘がいなくなった半年後に息子に先立たれては堪ったものではない。もっとも俺の場合は、余命のようなものは宣告されていたらしいが。
「…でも、ごめんなさい」
七星静香の弟はもうどの世界にも存在しないのだ。幸い、その魂は生き続けているのが救いだが。
「…なら、せめてしばらく抱かれてなさい。あなたが謝る気があるというなら」
「ご自由にどうぞ」
これで静香姉が満足してくれるのなら、抱き枕にだってなんだってなってやろう。それにこちらとしても役得だ。
(それにしても、昔と全然変わらないんだな…)
静香姉がこの世界で老ないというのはどうやら本当らしい。成長期の女子高生なはずなのに、最後に見たときとほとんど変わらない。ここで、脳内に最後に前世で静香姉に会ったときの記憶が朧気ながら蘇ってきた。
(確か、朝登校中に別れたんだったよな)
珍しく体調の良かった俺は、その日学校に行けていた。学校で何があったかとかは覚えていないが、姉と家に帰って遊んだりできるのを楽しみにしていたんではないだろうか。こんな綺麗で優しい姉がいたら、シスコンにならざるを得ない。
「ていうか、信じてくれるんですね」
「あなたの発言と行動を考えたら信じるしかないじゃない。それに…」
「それに、なんですか?」
「姉っていうのは弟を信じるものなのよ。向こうでもそうだったでしょう?」
その言葉に涙が出そうになる。いや、少しは出ていたかもしれない。目の前にいるのは、昔と変わらず優しい静香姉だ。
「これからどうしますか?」
俺が聞くと静香姉はそれには答えなかった。
「その前に一ついいかしら」
「どうぞ」
「その敬語やめてもらえる? この世界ではどうかわからないけど、敬語を使われてると距離置かれてるみたいで落ち着かないわ」
「そういえば、いつのまにか癖になってたな…。気をつける」
この学校だと、先輩後輩の関係はそこまで重要視されていない。それに目の前にいるのは姉だ。
「なら、俺のこともレードと呼んでくれると助かる。この世界ではそっちで通ってるからな」
「分かったわ」
俺は一度静香姉から離れたのち再び聞く。離れた瞬間、とても名残惜しそうな顔をしていたが、そんなに気に入ったのだろうか。
「この先どうしようか」
「…私は、この研究を続けたいわ」
「静香姉が帰った先に俺はいないんだよ?」
万が一治癒魔法の使える人間を向こうの世界に送れば可能性はあるか。いや、高度な現代医学でも太刀打ちできなかったウイルスにこの世界の治癒魔法が敵うとは思えない。つまり、俺が死ぬ前の世界に戻ったところでその運命は変えられないということだ。
「それはそうだけど、召喚術は私の生きがいみたいなものだから」
「…そうか」
「そんな顔しないでよ」
俺の表情は少し暗くなっていたらしい。まあ、将来会えなくなるっていうことがはっきりしてるわけだし。
「確かに帰りたいとは思ってる。でも、まだそう簡単に上手くいくわけないし、そのためにはあなたの力が必要よ」
「俺にできることなんてあるのかな」
俺は静香姉に比べて召喚術だって知っていることはほとんどない。今後勉強していくにしてもどれくらいかかることか。
「あなたはそばにいてくれればそれでいいのよ」
「確かにそれくらいなら俺にでもできるけど…。それでいいのか?」
「私はね、あなたが思ってるよりもずっと弱い人間なのよ。支えがなかったら簡単に折れてしまうような。だからこそ、あなたが必要なのよ」
知らない世界で多少なりとも文明を発展させ、言葉の通じない中、相当難しいであろう魔術を研究する姉は俺はかなり精神的に強い人だと思っていたが。
そう思っている俺を見透かしたように静香姉は続ける。
「あなたは私を過大評価しすぎよ」
「そうかな? 弟は姉を尊敬するものだから、確かに過大評価してたのかも」
「それはそれで嬉しいけど、落ち着かないわね」
「まあ、俺がいてくれればっていうなら、それでいいか。で、それをするにあたって静香姉に一つ対価を求めてもいいかな?」
「何? 言っておくけど、お金とかだったら意味ないでしょう? あなたの方が稼いでいるだろうし。召喚術に関しても無理よ」
それはそうだろう。まあ、お金は静香姉も相当稼いでそうだが。召喚術も聞いたところで俺には使い道がない。
「いや、そんなに難しい話じゃないよ。静香姉にもメリットはあるだろうし」
「私にもメリットが?」
「ああ。俺の恋人になってほしいってことだから」
俺は躊躇うことなく言うが、静香姉は呆気に取られたような表情だ。
「こ、恋人?」
「ああ。形式上のものでも構わないし、本当の恋人になってもいい。まあ、俺としては後者の方が嬉しいけど」
「ねぇ、あなた、私の前世のこと分かって言ってるの?」
もちろん分かってる。気にしてるのはおそらくクロさんとアキさんのことだろう。
「ああ。ただそれなんだけどさ。静香姉がいつ帰ることになるか分からないわけだろ? 立場として俺の立場を一度恋人にしておくってのも悪くないと思うんだ」
あくまでこの世界だけでの話だ。おそらく俺は日本に戻ることはないだろうし、この世界で静香姉が誰を好きでいようと問題はない。
「あなた、自分が何を言ってるか、分かってるの? 弟と付き合えって言ってるのよ?」
「精神的には確かに弟だ。でも、この世界では血は繋がってない。今の俺の姉はフィッツ先輩であって、静香姉じゃない。それにさっき言った一緒にいる対価として、これほどちょうどいいものはないと思うんだ」
俺が言うと、しばらく静香姉は黙り込む。そこまで慎重に考えなくてもいいと思うが。
「あなたは姉とそういうことをしても気にならないの?」
「そういうこととはどういうことなのかな?」
俺はニヤニヤ笑いながら聞く。
「揶揄わないでよ。普通、姉に欲情はできないでしょう?」
「そういうことか。普通ならできないだろうけど、今の俺ならたぶん問題なくできると思う」
「どういうこと?」
「…たぶん俺の精神がレードの本能に引っ張られてるからだと思う。あくまで無理矢理理由づけしたら、そうなるって話だけどね」
以前考えていたように、この身体は俺がいなくても静香姉を好きになっていただろう。それに俺が入り込んだから、さらに強くなったというだけだ。もっともオルステッドの言い方から察するに、俺は本来なら存在しないようだったが。
「というわけでどうかな? 静香姉がどうしても無理、絶対受け入れられないっていうならこの話をなかったことにしてもいい。でも、よほどの理由がなかったら、受け入れてもらえると嬉しいな」
俺は静香姉を真っ直ぐに見る。ここで引くわけにはいかない。俺が大学に入学した目標の一つが達成できそうなのだ。入学して達成するまでがあまりにも早すぎる気がするが。
「…分かったわ。あなたの提案を受け入れる」
数十秒の沈黙の後、静香姉は絞り出した。俺は内心ガッツポーズをしながら言う。
「それはよかった。これで俺が入学した目標も達成だ」
「入学した目標?」
「ああ。俺は前世が小学生で終わっただろ? だから、学生らしいことをしたいっていうのがあったんだ。恋人とか学生らしくていいじゃないか」
まあ、それが姉になるのはさすがに予想外ではあったが。
「そんな理由で…」
「もちろん、それは後付けだ。あくまで静香姉が好きだったからっていうのがメインさ」
俺がこのときほどレードの身体に感謝したことはないだろう。
「ちなみに、他の目標は何かあるの?」
「もう一つは転移事件でバラバラになった俺とルディの家族を見つけることさ。まあ、それもほとんど達成できたようなものだけど」
そういえばシルフィ姉にこのことを言うべきだろうか。将来的に言うことになりそうだが、昔の姉であることを考えたら、話が拗れそうで怖い。彼女がルディと再会してからの方が都合が良さそうだ。
「…この世界のあなたの姉にも話しておいた方がいいかな」
「それは…。もうちょっと時間を置いた方がいいと思う。俺はこれから生徒会に入るつもりだから、ちょうどいいタイミングを探るよ」
言われてみれば生徒会も学生らしいことだ。まあ、入って何をするかは分からないが。
「反対されたりしないかしら?」
それは正直、分からない。ただ、俺にとってもそうだが、親の仇のようなものなのだ。転移事件のことを踏まえて考えると、シルフィ姉の静香姉の評価はゼロどころかマイナスだろう。
「それは、分からないとしか言えないけど、俺たちが粘り強く説得していくしかないさ」
「…そうね」
そして、再び静香姉がくっついてきた。ナチュラルに手を繋いでくる。しかも恋人繋ぎときた。俺の心臓が跳ね上がる。
「どうしたの?」
「恋人っていうのはこういうことをするものでしょう?」
「そうなのか。俺は経験がないから、分からないな」
「経験があったらむしろ怖いわよ」
最近の小学生はすぐ付き合ったりするというが。
「幸せすぎて怖いな」
「…そうね」
俺の呟きに静香姉が頷く。そんな風にくっつく俺たちを窓から差し込む夕陽が照らしていた。
またランキング載ってくれたら嬉しいな。あと、レード、おめでとう