「そろそろ帰らなくちゃな」
夕陽が沈みつつある外を眺めながら俺が呟く。俺としては静香姉のこの部屋に泊まってもいいのだが、いくら姉弟、いや恋人でもプライバシーというものはあるだろう。
「いつのまにか時間が経ってたわね。そうだ、帰るなら、これ持って帰って。ちゃんと使えるはずだから」
静香姉が手渡してきたのは、魔法陣が描かれたスクロールだった。
「これは、魔法陣?」
「ええ。正確には転移魔法陣ね。あなたの部屋に置いておくといいわ」
「これはどこに転移できるの?」
「その魔法陣の片方は私の研究室に置いてあるわ。つまり、その魔法陣に魔力を通せば私のところに行けるってわけ」
静香姉は研究室の隅に置かれた魔法陣を指差して言う。
合鍵みたいなものか。いちいち寮と学校との往復は面倒だったためありがたい。ただ、これで自由に行き来できるわけだが、仮にも元弟とはいえ男にこういうのを手渡して大丈夫なのだろうか。
「こんなのもらっていいのか…?」
「あまり良くはないでしょうね。転移魔法陣は禁術とされてるから、気をつけて使って。なるべく他言無用で」
自分の部屋で使う分には問題ないだろうが、外に持ち運びはしないようにしよう。誰かに見られてしまう危険性もある。でも、自分がいないときに部屋に置いておくのも危ない。上手く隠す方法を考えなくては。
「分かった。注意するよ」
俺はそう答えて部屋を後にした。そのときドアを閉めたときに静香姉の小さな声が聞こえた。
「もしかして、彼なら…」
何か気づいたのだろうか。まあ、話したくなったら話してもらうとするか。俺はそう思って寮へと戻った。
しかし、このとき静香姉が考えていたことは後々この世界の核心に近いことになるのだ。もちろん、今は互いにそのことには気づいてはいないが。
そして数日後。休みが明けた俺は生徒会室へ出向いた。俺は椅子に腰掛けて、アリエル王女の言葉を聞く。
「…思いの外、早くいらしたのですね」
「お待たせするのもいかがかと思ったので」
「なるほど。ここに来たということは、生徒会の件、お受けしてくださるということでしょうか?」
俺は頷く。これといったデメリットはないし、アリエル王女との繋がりができるのは大きいだろう。
「しかし、俺は何をすれば良いでしょうか?」
見たところアリエル王女の護衛は十分に足りているように思える。シルフィ姉はもちろんルーク先輩だって弱くはないはずだ。じゃなきゃ、アスラ王国から魔法大学までアリエル王女を守りきれるはずもない。
「私があなたに求めるのは力ではありません。その知恵と人脈を貸していただきたい」
「…誇れるような知恵は持っていませんが」
ここで言う知恵というのは学力のようなものではなく、ある種の悪知恵のようなものだろう。人脈は確かにあるが、それがアリエル王女の何に役に立つのか。
「サイレント・セブンスター。彼女とあなたは懇意でいらっしゃいましたよね?」
いつの間にやら噂が届いていたらしい。まあ、シルフィ姉との交際疑惑が流れるよりよほどマシだが。
「確かにそうですが」
「彼女は我々はもちろん周りの人間に心を開こうとしません。まるでこの世界そのものに興味がないかのように」
静香姉ならおそらくそうだろう。この世界から戻ることしか頭にないだろうし。
「ですが、そんな彼女の心を唯一開いたのがあなたです。彼女があんなに口を開いているところを私は見たことがない。彼女の心を開いたあなたの口八丁手八丁に興味があります」
なるほど。それで、俺を求めているのか。
「高く評価していただき感謝します。今回の生徒会の件はお受けします」
「こちらも礼を言います。よかったですわね、シルフィ」
シルフィ姉は嬉しそうに俺を見る。
「ありがとう、レード!」
「これからもよろしく頼むよ、シルフィ姉。今後は同僚として」
ここでルーク先輩が口を挟む。
「同僚、というのは違うだろうな。レードはアリエル様の護衛ではないからな。生徒会役員という立場だ」
「護衛も引き受けましょうか?」
「ボクたちが失業しちゃうよ」
シルフィ姉とルーク先輩が軽く笑う。そもそもこの学園にいる限りは、護衛というもの自体、必ずしも必要ではないだろう。亡命期間が終わり、アスラ王国に戻るときにその役目は重視されるに違いない。
「俺が護衛をしていた方が、王になる確率は上がるかと思いますが」
俺の能力を自分で過大評価してるというわけではないが、亡命せざるを得ない状況なら味方がいるはずだ。
「確かにそれはそうですが、私が使いこなせるかどうか自信がありません。それに、あなたもそれどころではないでしょう?」
静香姉のことを考えると迂闊にラノアから離れるのも憚られる。俺が彼女から離れたくないというのも大きいが。
つまりは俺のポストは生徒会の相談役、といったものだろうか。必ずしも俺がアリエル王女の役に立てるかは自信がないが、俺のネームバリューを活かすことができればどうにかなるかもしれない。
その後、解散となり俺はシルフィ姉と一緒に帰ることになった。
「よかった。これで、レードと一緒にいれるし。そういえばさ、レードとこの前いたサイレントはどんな関係なの?」
「いや、この前言ったように昔の教え子だって…」
「それは嘘だよね?」
俺は思わず目を見開く。
「レードはさ、あの子のこと好きなんだよね?」
「どうして…」
「分かるよ。あれだけあの子のところに通ってるんだもん」
この際、俺と静香姉の繋がりについてすべて話すか。いや、それを迂闊に話したら大変なことになる気がする。静香姉はシルフィ姉にとっては親の仇に近い。そんな相手に俺がかつて弟だったという事実を告げたらどうなるか。まともな対話の場を作れるとは思えない。
「…その通りだよ。俺はあの人が好きだ。でも、今はこれ以上のことは話せない」
「理由を聞いてもいい?」
「ごめん。それも言えない。でも、絶対いつか言うよ。それだけは約束する」
「レードが言うならよっぽどの理由があるんだろうね。でも、ちょっと羨ましいな」
「羨ましい?」
「だってレードからこんなに愛してもらえるんだもん」
嫉妬するシルフィ姉も可愛らしいが、それを言ったらまた茶化してるなどと言われるだろう。俺はシルフィ姉の頭を撫でて言う。
「俺はシルフィ姉のことだって愛してるよ。じゃなかったら今回の生徒会の件を受けてないしさ」
「そっか。あの子との時間が減っちゃうもんね」
俺の答えにシルフィ姉も笑って頷いてくれる。俺が来てからシルフィ姉の笑顔が増えたような気がする。かつてルディと俺とシルフィの3人で日が暮れるまで遊んでいたときのように。
(あとはルディだけだな…)
そんな俺の考えを読んだようにシルフィ姉が言う。
「ルディにも早く会いたいな…」
「そうだな。俺も本格的にあいつを探すとするか」
現段階でこの大学に入学した目的の大半は達成できた。ここら辺で新しい目標を設定するのもいいだろう。
「探すっていってもアテはあるの?」
「ないわけじゃないさ。時間はかかるかもしれないけど」
転移魔法陣を使えば遠方でも捜索は可能になる。まあ、静香姉からの使用許可が降りればだが。というか、まだルディと別れて半年と少しだ。魔大陸などに行っている可能性はさすがに低いだろう。そうなるとフィットア領から北か南か。もし、北側ならこのラノアから距離は遠くはないだろう。どちらにせよ行ける範囲はそれなりに狭まってくる。
そして、俺の推測は当たっており、数ヶ月後に『泥沼のルーデウス』という名前を耳にすることになるのだ。
もう35話か…