唐突な話だが、幸せとはなんだろうか。俺が生きてきた約20年を踏まえて考えると、幸せというものは不幸から成り立っているような気がする。姉と別れたからこそ知れた幸せもあるし、死んでこの異世界に来たからこそ見れた景色というものがある。
(幸せとは何か。それの答えは目の前にあるのかもしれないな…)
俺はベッドの上でそう思いを馳せる。幸せの発生源と思しき存在は隣で無防備だが愛らしい寝顔を見せる静香姉だ。
俺が彼女の頭を軽く撫でると、暖かさを求めるかのように擦り寄ってくる。
(俺の姉ってこんなに可愛かったっけ…)
付き合いは10年と少しのはずなのに、弟として見る静香姉とレードとして見る静香姉は同じようで違うのだろう。それにしてもこんなに幸せそうな静香姉の顔を見るのは久しぶりだ。普段、慣れない異世界で気苦労が絶えないだろうし。俺と一緒にいて安心してもらえるならそれが一番だ。
そんなことを思っていると静香姉はゆっくり目を開けた。
「…寝ちゃってたわね」
「寝ちゃったねぇ。大丈夫だった?」
「最高に気持ち良かったわ。ちょっとまだ腰が痛いけど」
普段引きこもりの女子高生がこの世界の剣士に合わせていたのだ。腰の一つや二つ痛くもなるだろう。
「無理はしないでね」
「あなたは大丈夫なの? 見た感じ慣れてなかったみたいだけど」
「俺は、まあどうにか」
静香姉はどこでこういうことの知識を得たのだろうか。この世界で教えてもらえそうな人は少なそうだし、日本で読んだものから得たに違いない。というか、実際にやったことがあるのなら少しショックだ。
「しかし、あれだな。女性にリードしてもらうっていうのは微妙な感じだなぁ。俺がそういうことを知らないのはしょうがないけどさ」
「私だって手探りだったわ。というか、ここが異世界で本当に良かった」
「どういうこと?」
「だって、日本だったら立派な犯罪だもの。私が向こうでこのまま成長してたら20歳くらいで、あなたはまだ学生でしょう?」
その上、近親相姦ときたものだ。さすがに度が過ぎている。
「たぶん、それに関しては心配ないよ。向こうの俺は静香姉のことは好きだったけど、それはこの世界でしたようなこういうことをできる好きとは違うから」
俺が静香姉と同じように転生ではなく転移だったらどうなっていたかと一瞬考えたが、そのときどう思うかなどまったく想像できない。
「…そうね」
静香姉は眠そうにあくびをする。まだ、外は真っ暗だ。朝の3時から4時といったところだろうか。まだ外に出るには寒いし、危険だろう。
暖を取ろうと布団に手を突っ込んだところ、静香姉が俺の手をムニムニと揉んできた。
「静香姉?」
「…体格は大きくないのに、手はしっかりしてるのね」
「そりゃまあ鍛えてるからな」
魔術と剣術を同時に使うのだ。必然的に鍛えられる。
「でも、俺は静香姉の手も好きだよ。もっとも全部が好きだけど」
「どこが好きか教えてくれる?」
揶揄うように言ってくる。そんなに俺が赤くなってるところが見たいのかな。
「すべてがって言ってしまえばそれで済むんだけど、そういうことじゃないんだよね…。だったら、一番は声、かな」
「声?」
「ああ。静香姉はそんなに気にしてなかったかもしれないけど、俺はこの部屋を開けて静香姉に会ったとき、心の底から嬉しかったんだよ」
仮面を取るまでは確信はできなかったが、心のどこかで強く望んでいた。
「そんな素振りなかったじゃない?」
「だってあのときはまだ静香姉って分かってなかったし、分かった後も静香姉は俺のことを弟って認識してなかったからね…。まあ、もちろん声だけが理由じゃないけどさ」
言葉だけで説明できるほど単純じゃないし、そんな気持ちにはしたくなかった。それは静香姉も同じだろう。
「そうね。ところで、あなたの姉にはもう伝えたの?」
「それがまだなんだよなぁ…。なんていうかきっかけがなくて」
ただこんな生活をしていたら遅かれ早かれバレてしまうだろう。少なくとも来年のうちには言わなくてはならない。
「私の正体も言わなきゃよね」
「そうなるよなぁ…」
2人じゃ文殊の知恵も出てこない。というか、裸で話すようなことじゃないだろう。
少々話をしたところで10分と少ししか経っていない。まだ起きてどうこうというには早すぎる。
「もう一眠りするか。静香姉も寝なよ。普段から寝不足気味なんだしさ」
「毎晩こういうことしてたら、寝不足悪化しそうだけどね」
そうは言うものの眠気には逆らえないらしく、2人揃って快眠に誘われたのだった。
俺たちが起きたのはそれからだいたい9時間後だった。日も高くなり外からは聞こえてくる学生の声に起こされたのだった。
(授業は…。まあ、休むでいいか)
受けても受けなくてもそこまで変わらないし問題はない。とはいえ、ここから二度寝は夜寝れなくなるかもしれないし、少なくともベッドからは動くべきだろう。
相変わらず姉は眠りこけている。どうにか俺は暖かい布団に別れを告げて服を着る。よく見たらところどころシーツにシミがついていた。やりすぎたと反省しつつ苦笑いする。
(これは、さすがに洗濯が必要だな…。せっかくだしご飯でも持ってくるか)
そう思って俺は学食に向かう。相変わらず授業を終えた生徒たちでごった返しているが、そんな中、俺の知っている声が聞こえる。シルフィ姉だ。
「レードもお昼ごはん?」
「フィッツ先輩。授業終わりですか?」
「うん。でも、最近レード、授業出てないよね? 大丈夫なの?」
静香姉から授業では習わないことをいろいろ教えてもらっているとはとても言えない。
「今のところはね。来年以降はそうはいかなくなるかもしれないけど」
ここで俺たちは空いた席に腰掛ける。
「今日は生徒会に顔出すの?」
「あー、今日は休むかな。ルディに関して何か動きはあった?」
ルディの話になるとシルフィ姉の長くて可愛い耳が揺れる。
「うん。この大学の推薦状を出すことになったよ。ジーナス教頭もロキシーさんの名前を出したら乗り気になったみたい」
確かロキシーさんはこの学校で習っていたと聞く。
「俺が一度あいつの様子見に行こうかな…」
前々から思ってはいたが、直接会いに行った方が説得しやすいかもしれない。書類だと下手したら届かない危険もあるし。こういうときメッセージ一つをすぐ送れるスマホがあれば便利なのだが。
「うーん。それはボクもしようと思ったんだけどね。この辺り雪が凄くなってきたら行くことはできても戻るのが難しくなっちゃうんだ」
「それもそうか。なら、俺たちは願うしかないってことか」
転移魔法陣を使えば行き来はできるかもしれないが、これは禁術だ。それにルディのいる場所に行けるかどうかも分からない。
「うん。でも、春まであと3ヶ月くらいだし、きっと会えるよ。ところで…」
ここでシルフィ姉はなぜか言葉を切る。
「フィッツ先輩?」
「なんかレード、変な匂いする…」
マジか。部屋を出るときに香水を振りかけて誤魔化したつもりだったが分かる人には分かるのか。いや、単に俺の体臭が臭いだけかもしれない。それはそれでショックだが。
「どういう匂いか聞いていい?」
「なんだろうな、発情期のような…」
紛れもなく半日前のアレである。ここはどう説明すべきか。
悩んでいる俺に救いの手が差し伸べられた。
「レードと、フィッツ先輩か…」
同じくお昼ごはんを食べにきたのであろうクリフだ。
「やあ、クリフ。席、どうぞ」
「ああ。なんか邪魔して悪いな…」
気にしないで遠慮なく邪魔してほしい。クリフのおかげで『無言のフィッツ』で名前が通っているシルフィ姉は人前では黙るしかなくなる。
「ところで、クリフ。なんか俺、匂うか?」
「いや別に。いつも同じだ」
やはり人族には分からないのだろうか。ともかくこれでシルフィ姉も気のせいだと思い込むだろう。とはいえ、匂い対策もなんとかしなくては。
こうして3人(1人はほぼ喋らないが)で食事を食べたのち、静香姉のご飯を持っていくのをことをうっかり忘れていた俺は彼女から軽く睨まれるのだった。
そしてあっという間に3ヶ月の月日が経ち、俺は2年生に進級した。それと同時に去年以上の波乱の1年を迎えることになるのだ。
次回からは第4章学園編(泥沼編)!