シルフィ姉とルディの結婚披露宴から数ヶ月が過ぎた。俺は大学とグレイラット邸の距離的には中間のところに家を構えた。大きさは彼らの家の約半分くらいだが、2人で住む想定なのだからそれでも十分だ。静香姉は研究室にいることがほとんどで、あまり帰ってくることはないが、愛の巣としてはかなり役に立っている。
俺と静香姉は週一くらいで、グレイラット邸に赴く。いわゆるミニ食事会だ。俺とシルフィ姉が料理を振る舞うのだ。静香姉やルディも料理が全くできないというわけではないが、やはり慣れてる人がやった方がいい。
「今日もいい匂いだね」
今日作ったのはスープカレーのようなものだ。野菜はともかくスパイスまで日本のカレーを再現するのは困難だったため、あくまでそれっぽい料理というわけだ。
「ルディはお気に召すかな」
一口食べてシルフィ姉が呟く。
「大丈夫さ。たとえ美味しくなかったとしても、ルディは絶対に食べてくれるさ」
愛妻の手料理なのだ。焦げていても、劇物みたいなやつでも全部食すに違いない。もっともそんなことを考えなくてもシルフィ姉の料理はいつも美味しいが。
「ナナホシさんにはいつもこういうの作ってるの?」
「普段はここまで凝らないけどね。静香姉もよく食べてくれるから作り甲斐があるよ」
年頃の女子高生だとしても結構食べる。なんなら、俺と差がないくらいだ。しかし、それでいてスタイルはあんまり変わらないのだから、食べたものはいったいどこに消えているのだろうか。
「お待たせ、2人とも」
「これは、カレー?」
静香姉が匂いを嗅ぎつつ言う。
「ああ。まあ、スパイスとかは適当に作ったやつだけどな。味はそれなりに似てると思うよ」
お米は生憎用意できなかったため、パンをつけて食べることになった。次回作るときはより日本のカレーライスに近づけてみせよう。
「美味しいな」
「気に入ってもらってなによりだよ。他にリクエストとかある?」
「そうね…。麺類がこの世界にあるなら、ラーメンやうどんとかも食べてみたいし、あと味の濃いものだけじゃなくて薄味のものもたまには欲しくなるわね」
ご飯の話になると食いつきが凄いな、静香姉は。しかし、俺は外で鍛練するから問題はないが、静香姉は部屋に篭ってばかりだ。
「いいけど、食べた分はちゃんと消費しなよ?」
「してるでしょ? いつもベッドの…」
「2人とも? 食事中はそういうのは控えてよ」
ベッドの上でと言いかけた静香姉に、シルフィ姉からの静止が入る。いや確かにしてるけど、それだけじゃ足りないだろというつもりだったが。
「は、話は変わるけどさ、今日父さんから手紙が届いたんだ」
ちょっと苛立ったようなシルフィ姉に代わってルディが慌てて言う。
「パウロさんから!?」
俺は思わず大きな声が出ていた。
「ああ。母さんを探しにベガリット大陸に向かってるとのことだ」
ルディが話すところによると、パウロさんは黒狼の牙の元メンバーであるタルハンドさんやギースさん、そしてルディが信仰しているロキシーさんと運良く合流できたらしい。
「結婚のことは伝えてないんだっけ?」
「ああ。手紙を出したのが、入学する前だったからな」
入学する前だったら、俺がラノアにいることも知らない可能性が高いな。
「それで、続きなんだけどな。アイシャとノルンがこっちに来ることになった」
子ども2人が旅をするのは危険すぎるという判断だろう。ゼニスさんがどこにいるかはわからないしな。
「ラノアまでの旅路を2人だけで向かわせるのも危ないんじゃないか?」
治安がこの世界より良い前世でも、子どもだけで長旅をさせるのは危険だ。魔獣や人攫いが普通にいるこの世界なら尚更だろう。
「それなんだけど、護衛を引き受けてくれた人がいるらしくてさ」
「パウロさんが言うくらいなら、相当頼りになる人なんだろうな」
俺の脳裏にスキンヘッドのスペルド族の姿が思い起こされる。俺たちと別れてだいぶ経つし、もう髪は生えてるような気はするが。
「2人はここに住むことになるってわけか」
だとすれば、家を買ったのはちょうどいいタイミングだったな。
「ああ。レードはノルンと仲が良かったし、一応伝えておこうと思ってね」
彼女とは別れて4、5年くらい経つか。いつ戻ってくるのかはわからないが、会えるのが楽しみだ。
それからしばらくして全員スープカレーを完食し、食事会はお開きとなった。すっかり重たくなったお腹を揺らしながら片付けを終えたところでルディが聞く。
「夜も遅くなったけど、今日はどうする? 泊まっていくか?」
「静香姉次第だけど、どうかな?」
「せっかくお風呂も入らせてもらうし、お言葉に甘えようかな」
敷地の関係で、俺の家にお風呂はまだ設置できていない。ユニットバスサイズの湯船でも、早めに作っておきたかったが。
静香姉がお風呂に行ったところで、俺はシルフィ姉を揶揄う。
「悪いな、お邪魔して。2人で楽しいことするつもりだったんだろ?」
「レードったら…。確かに否定できないけどさ」
この世界は避妊具はなさそうだし、シルフィ姉が子どもを産んで母になる日もそう遠くないかもしれない。
「レードこそ、人の家でそういうことするのはやめてよね?」
「えー、やっぱりダメ?」
「ダメに決まってるでしょ…」
そもそもシルフィ姉は俺と静香姉の交際に反対派だからな。いろいろあってだいぶこっちに流されてはいるが、せめて目の前でするのは控えた方がいいだろう。
「しかし、シルフィ姉がお母さんになる日も近いかもしれないな…。もし、産んだら抱っこさせてくれよ?」
「うん。そうなったら、この家ももっと賑やかになるね」
今、グレイラット邸にいるメンバーだけでも4人。それに加えてもうすぐ2人の妹も来る。さらに、ゼニスさんの救出活動が無事に成功すれば、一家集合は目の前だ。
(…そういえばなんで静香姉は妊娠しないんだろうか)
そんなことをふと思った。俺だってこの1年間ルディに負けず劣らずのペースで頑張っているのだが。もしかしたら、彼女が老化しない体質であることが少なからず影響しているのかもしれない。もちろん、俺がシンプルに下手なだけの可能性もあるが。
「というか、レードが一緒にお風呂入るとか言わないのがちょっと意外だったな」
話に加わってきたルディが言う。
「お風呂ぐらいはゆっくり浸からせてあげたいからね。それに、たぶん俺は我慢できなくなる」
「それ言ってて恥ずかしいないの?」
「まあ、姉相手だからね。今更だろ」
こうしてグレイラット家の夜は更けていくのだった。
それから約一か月後。俺とルディは静香姉の研究室にいた。ルディが静香姉の研究を手伝うのはいつものことだ。しかし、今日はその成果が現れる日なのだ。
「この魔法陣が成功すれば、次の段階に進めるわ」
細かい原理は俺も勉強中でまだ追いつけていないため、説明を聞いても半分くらいしか理解できない。が、異世界の物品を召喚する魔法陣だということだけは図面を見てわかった。
ルディに対しても説明をしていたが、彼もあまり理解できていないようだ。ともかくルディは2年の集大成である魔法陣の前に立つ。
「では、いきます」
「お願い」
ルディが魔力を流し始める。大きな規模の魔法陣だ。俺の魔力量じゃ到底賄えないだろう。静香姉の願いとともに召喚は…。
失敗に終わった。魔法陣に亀裂が生じていたのだ。ルディが流した魔力には問題はなかった。つまり、この魔法陣自体に問題があるということか。
「…どうでしょう」
「失敗ね」
静香姉は大きくため息をつき、椅子に座り込む。俺はその表情を直視したくはなかった。彼女の顔が絶望に染まるところは見たくなかったのだ。
「ご苦労さま。今日はもう…帰ってもいいわ」
絞り出すようにルディに退出を促す。ルディが一瞬困ったようにこちらを見た。
「…あとは俺たちでどうにかする」
俺もそういうしかなかった。ルディは仕方なさそうに頷き、研究室を出て行った。
2年の間、必死になって作った魔法陣が数秒で失敗に終わったのだ。さぞショックを受けていることだろう。そう思いながら覚悟を決めて俺は静香姉の方を見た。
彼女は怒るでも発狂するわけでもなく、ただただ泣いていたのだ。
「し、静香姉?」
「…ごめんね、情けない姉で」
「全然気にしてないって。いったいなんで…」
「…許せなかったのよ」
誰が許せなかったというのか。
「私はずっと前から日本に戻るため頑張ってきた。だから、今回だってちゃんとした成果が出るって自信もあったわ。でも、いざ失敗に終わったときなんて思ったと思う?」
悔しさや悲しみ以外の感情があったというのだろうか。
「…安心したのよ」
「どういう意味だ?」
「あのとき私はこれであなたと別れるのが先になるって思ってしまったのよ。悔しさとか不甲斐なさを感じなきゃいけないはずなのに。それが本当に許せない」
つまり、俺が原因というわけだ。とはいえ、失敗は失敗だ。それで安心してしまうのが、ずっと魔法陣を研究していたプライドが許せなかったというわけか。
こういうとき何を言えばいいのだろうか。ルディやシルフィ姉なら、上手いことを言えたかもしれない。が、この場にいるのは俺だ。しかも、静香姉を泣かせてしまう原因を作った男だ。
何を言っていいかわからなかった俺は、涙を流す彼女の背中を撫で続けることしかできなかった。
このナナホシが決壊するところは正直最後まで悩みました