実験失敗から数分後。泣き疲れたらしい静香姉はベッドの中で寝息を立て始めた。ここ数日は研究続きで疲れが溜まっていたのだろう。生きているのか心配になるくらい静かに寝ている。
(…どうすればいいのかな)
失敗に終わった魔法陣を眺めながら呟く。俺が見たところで何も解決しないのが現実だ。
(それにしても、うちの姉は天才だな。誇らしいよ)
本人に言ったら恥ずかしがるかもしれないため、とても言えないが。言語の通じない世界で普通の女子高生がこの世界の人間でも理解できる者はほとんどいないような魔法陣を描く。恐ろしい才能だ。
(…前世にいたときはそこまでそういう感じはしなかったけどな)
だが、そんな姉も今の憔悴した姿を見ていると、根っこの部分は静香姉本人だと思う。こういうところを見てると、ちゃんとした女子高生なのだと感じる。
とはいえ、このままじっとしているわけにもいかない。幸いにして、現在はこういう困った状況でも相談できる相手もいる。俺は図書館にいるルディに声をかけた。
「レードか。ナナホシはどうだ?」
「泣き疲れて眠ってる。ここ最近、ずっと研究漬けだったからね。たぶんしばらくは起きないんじゃないかな」
それはそれで身体の不調でも起きたのではないかと心配になるが。
「泣いていたのか…。何か言ってたのか?」
俺は静香姉が泣いていた理由を話した。前世のことを話せるルディは聞き手としてこの上なくふさわしい。
「つまりは、俺が原因の半分だってことさ」
俺がいなかったら、この感情は抱きようがないからな。しかし、ルディはそれに対して異を唱えた。
「それは違うだろ。レードがいなかったら、ナナホシはもっとダメージを負っていたかもしれないぞ」
「そういう考え方もあるか…」
「まあ、でもお前の立場ならそう考えてしまうのも無理はないか」
俺がいるから、精神が完全に折れてないと考えることもできる。実際に折れてしまったら泣くどころではないだろうしな。下手したら命に関わる危険があったかもしれない。
「それでなんだけど、どうしたらいいのかな」
「うーん、そもそもなんだけどレードはナナホシに帰ってほしいのか?」
「ずっと一緒にいたいというのがそりゃ本音だよ。でも、それで静香姉の生きる意味を奪うんだったら、俺の願いなんて叶わなくていいさ」
俺が引き止めてしまったら、静香姉の努力が水の泡になってしまうからな。
「あともう一つは、静香姉には笑顔でいてほしいんだ。ルディもその気持ちはわかるだろ?」
「…それもそうだな。なら、俺も手伝おう」
まあ、ルディはもともと静香姉の研究を手伝ってるし、断るという選択肢はなさそうだな。
「ありがとう、ルディ。俺一人じゃどうにもできないと思ってたから。でも、ルディはさっきの魔法陣をどうにかできるのか?」
ルディは優秀だが、ぶっちゃけ魔法陣に関しては静香姉はもちろん俺にも知識は届いていないだろう。
「俺一人なら厳しいだろうな。でも、今は頼れる人がいるさ」
俺はともかくルディには仲の良い人も多い。協力してくれと言ったら彼らは快く受け入れてくれるだろう。
「それもそうだな。上手くいくかはわからないけど、何もしないでいるよりかはずっとマシか」
「俺も無縁の話じゃないから、恩に感じる必要もない。遠慮なく頼ってくれ」
そうは言ってもありがたくは感じるが。まあ、ルディが忘れた頃に何かしてあげれば良いだろう。
実験失敗から10日ほど過ぎた。静香姉は相変わらず元気がない。こういうときに無理矢理机に座らせてもうまくいかないだろうし、俺は気を紛らわすためにも2人で一緒にいる時間を長く作った。この判断は俺とルディによるものだ。
俺たちがイチャイチャしている間、ルディは図面を持ち出しクリフやザノバ王子と修正を行っていた。俺も加わりたかったが、静香姉の気を紛らわす役割を担っていたため参加は断念することになった。
「クリフ先輩、ザノバ、とりあえず昨日の話を」
研究室に着いた3人が、リフレッシュできたであろう静香姉に魔法陣の考えを説明していく。
それを聞いていた静香姉は、
「あ、できるかも…」
とポツリと呟いて、立て板に水が流れるように話し始めた。
「そうか、そうかそうか、何も平面にこだわる必要はなかった。そうね、そうよ。紙に書いたって厚みは出るのよ。積層させれば、どれだけでも大きな魔法陣は書けるんだわ。どうしてそんな簡単な事を思いつかなかったのかしら!」
ペンを手に取り、図面と計算式を書き込む。平面を立体として考える。そのやり方は俺と静香姉では到底出せなかった考え方だ。
途中からクリフも加わり、2人で話し合う。俺も入りたいところだが、まだそこを理解できる段階には至っていない。
「…凄いな。魔法陣を見ただけで、よく思い浮かんだな」
「実はこの前、家を新築するときに見つけた自動人形があったからなんだよ」
3人がグレイラット邸で見つけた自動人形。それが自動で動くために使われている多重構造の魔法陣がヒントになったというらしい。
「そうか。なら、その人形の製作者にも感謝しなくちゃいけないな」
俺はその名前も知らない天才に心の中で頭を下げた。というか、この文明もあまり進んでない世界でロボットのようなものを作り出すとは正真正銘の天才だ。
1週間が経った。静香姉が息をついて言う。
「できたわ。あとは魔力を通すだけよ」
地面に置かれているのは5枚ほど紙を重ねた魔法陣だ。以前失敗したものと比較すると、非常にコンパクトにまとめられている。
「では、いきます」
ルディが魔力を注ぐと、眩しい光が研究室を照らす。俺たちが祈るように中心を睨んで数秒が経った。
光が収まったとき、ルディが魔法陣から手を離す。その中心には久しぶりに見るものが置いてあった。なんの変哲もないペットボトルだ。だが、これは紛れもなくこの世界には存在しない物だ。
「おぉ、これはすごいですな」
「なんだこれは…ガラスか? 違うな…もっと」
ザノバ王子とクリフ、エリナリーゼさんは興味深げに召喚されたペットボトルを触る。この世界にペットボトルの原料となる石油はない。あるのかもしれないが、少なくともそれを加工する技術はないだろう。間違いなくこの世界では一つしかないのだ。
静香姉は嬉しそうに拳を握りしめる。
「やったな、静香姉」
「あなたの、いやあなたたちのおかげよ。ありがとう」
「俺は今回は何もできてないよ。ちょっとそれはそれで悔しいけどね」
今回の成功においては俺はあまり活躍できなかった。この人たちもルディが呼びかけたからというのが大きいしな。
「…それでもここまで来れたのは、あなたがいてくれたからよ」
静香姉はそう言って俺の頭を撫でてくれた。
「せっかくだし、何かお祝いをしようか」
優雅なレストランで夕陽を眺めながらワインを傾けるというのもいいかもしれない。静香姉はワインを飲もうとはしないかもしれないが。
「そうですわね! 今日は酒場に行きましょう! もちろん貴女の奢りで!」
俺の声を聞いたエリナリーゼさんが提案する。優雅な夕食もいいが、気心の知れたみんなでワイワイ騒ぐのも楽しそうだ。
「しょうがないわね。でも、それであなた達への貸し借りは無しよ」
「もちろんですわ、ねぇクリフ?」
「ああ! けど、君は優秀なようだから、僕の研究に力を貸してくれてもいいぞ!」
クリフが高らかに言う。
「そりゃいいな。もしかしたら、今回みたいに新しい発見があるかもしれないぞ?」
「そうね。それじゃあ、行きましょうか」
こうして、俺たちは昼間から酒場を貸し切ることになった。途中リニア先輩、プルセナ先輩、バーディガーディ、そしてシルフィ姉の4人が合流し、10人を超える大所帯となっていた。
「シルフィ姉も来てくれたんだ」
アリエル王女からお目付け役として派遣されたシルフィ姉に声をかける。
「調子に乗って2人が変なことしないか観察しなくちゃいけないからね」
祝いの席でそんなことはしない。少なくともみんなが見ている前では。
「シルフィ姉こそ、泥酔して恥ずかしい顔晒さないでよ?」
「そういうのはルディが隠してくれるもん。そうだよね、ルディ?」
「あ、うん。そうだな」
酒癖あんまり良くないからな、シルフィ姉は。とはいえ、そんな様子の彼女を想像していたらしくルディはすっかり頬が緩んでいた。
居酒屋に着き、静香姉が乾杯の音頭を取る。不本意らしく恥ずかしそうにしているが、それはそれで可愛らしいものだ。
「…今日は、ありがとうございました!」
「よし、乾杯である!」
景気良くバーディガーディが叫んで宴会が始まった。
こういう席はいいものだ。俺は酒を流し込みながら思う。なにより、治癒魔術や解毒魔術のおかげで未成年飲酒が可能というのがありがたい。
「ちょっと、あなたったら飲んでばっかりじゃない」
すっかり出来上がった静香姉が絡んできた。
「俺も歌えってか?」
「そうよ。手伝いなさい!」
半ば強引にステージに立つ。静香姉が歌っているのは確か昔見たことがあるアニメの主題歌だ。この世界の歌は知らないし仕方ないが、バーディガーディからは変な歌だと笑われている。
ぶっちゃけ俺からみてもあんまり上手じゃない。それでもいいと思う。静香姉を含めてみんな笑顔だからな。
「…でも、まだ足りないな」
ようやく解放された俺はルディと飲みながら呟く。彼は甘え上戸のシルフィ姉の耳を咥えていた。
「足りない?」
「ああ。幸せを知ったら欲が出た。パウロさんたちが帰ってきたら、これと同じくらい盛大なやつをやってやろう」
「そうだな。今から楽しみだ」
ルディは答えるが、シルフィ姉の耳に夢中なようだ。そんな姿を見ていたら唐突に耳を触られて、肩が跳ね上がった。
「うおっ! …びっくりしたな」
「へぇ、こんな感じになってるのね」
長耳族特有の耳を揉んでくるのは静香姉だ。なんていうか、こういうところを触られるのは変な気分だな。
「ルディみたいに咥えてもいいよ?」
「ここではしないわよ」
ここではということは、ベッドの上ではしてくれるかもしれないということか。
「それにしても、あなたってお酒強いのね」
「まあ、静香姉と比較したら飲み慣れてるだろうからな」
「未成年飲酒だなんて、とんでもない弟ね」
「そこは見逃してくれよ」
そんな風に話していたところ、静香姉は酔っ払った魔王にステージに再び連れ去られていった。俺に助けを求めるように見ていたが、観念したのか歌い始めた。
上手くはない。だが、静香姉が楽しそうならそれでいいのだ。珍しくテンションが高くはしゃいでいる彼女を見て、改めてそう思った。
次回こそ妹か!?