そして翌日。俺が目を覚ましたのは思ったより早い時間だった。おばあちゃんはというと、俺の横で寝息を立てている。幸にしてどちらも服を着ているため、酔った勢いでそういうことをしたというわけではないようだ。
(…まあ、姉とヤリまくりの俺が言っても説得力はないだろうな)
そう苦笑いしつつ、俺は荷物を取るべく2階に上がる。そこでルディとかち会った。
「おはよう。よく寝れたかい?」
「ああ。最高の夜だったよ。でも…」
ルディが眉を顰める。おそらく考えているのはシルフィ姉のことだろう。
「…とりあえずそのことに関しては、なんとかなると信じようぜ?」
なんと言い訳したものか。どう誤魔化そうとしたところでシルフィ姉やノルンちゃん辺りに詰られるのは避けようがないと思える。
とここで、リーリャさんの声が聞こえてきた。
「ゼニス様が目を覚ましました。お二人とも部屋にいらしてください」
目を覚ました割に、あまり嬉しそうな声ではない。むしろ、いろんな気持ちを押し殺しているように聞こえてくる。ともかく俺とルディは彼女のいる部屋に向かった。
「あの、父さんは…」
「旦那様はすでに確認しています」
彼女がドアを開ける前にルディが聞く。その言葉通り、中にはベッドに座るゼニスさんと椅子で俯くパウロさんがいた。
「母様…」
ゼニスさんの様子を見たルディが言葉を失う。彼女は確かに生きていた。目も開いているし、呼吸もしっかりしている。だが、それだけなのだ。
「パウロさん…」
苦虫を噛み潰したような彼の表情を見る。正直、大丈夫かと聞くのは烏滸がましいだろう。
「…ゼニスは、生きてるんだよな?」
「…はい。旦那様」
リーリャさんも絞り出すように答える。
「生きててこれだったら、あんまりだろ…」
ゼニスさんは呼吸もしているし、身体も動かせる。だが、言葉を発することはないし、ルディやパウロさんたちの言葉にも何も反応がない以上、記憶も失っているのだろう。
(これじゃまるで、呼吸するだけの人形じゃないか…)
どうすればよかったのか。その答えは出ない。なぜなら、あの状況で俺を含めて全員が誰も死なないようにベストを尽くしたからだ。あと少し早ければ完全に無事な状態で助けられた、というわけではないはずだ。
(もし、転移した先があの魔力結晶の中だったら…)
パウロさんが感じているのはおそらくその無力感なのだろう。まるで運命で決められていたかのようなものに対する無力感だ。
「…みんなに、このことを言わなくちゃな」
しばらく目を伏せていたパウロさんが呟く。
「大丈夫ですか。なんなら、俺が伝えましょうか?」
「いや、元はと言えば俺がみんなを巻き込んだんだ。お前もルディもエリナリーゼも。だったら、俺が言わないで誰が言うんだよ」
「…そうですね」
「父さん、アイシャやノルンにも伝えなくちゃいけませんね」
「そうだったな…。準備ができたら下に向かうから、お前たちも来てくれ」
俺とルディは頷き、部屋を後にした。先に下に向かうか、一度自分の部屋に戻るか迷っていたところ、ルディから声をかけられた。
「なぁ、レード。俺って薄情なのかな…」
「どういう意味だ?」
「ヒュドラと戦う前、父さんがなんでそんなに冷静なんだって怒ってただろ? あのときは敵が強すぎて冷静にならざるを得ないと思ってた。でも、母さんがこうなった今でもショックがそこまでない気がしてさ…」
確かにルディはショックは受けていたし、悲しみもあった。だが、それがそこまで大きくはないのだろう。
「それは仕方ないんじゃないか? 俺だってもし静香姉が同じ状況だったら取り乱したと思うし、ルディだって同じだろ?」
まあ、そもそも転移事件は静香姉が原因のようなものだから、同じ状況にはなり得ないが。
「そうなのかな」
「そういうものさ。ゼニスさんを一番愛しているのはパウロさんだ。その彼を前にして一番に取り乱すのはなんか違う、と俺は思う」
パウロさんも胸の内で思うところはいろいろあると思う。だが、それを受け止めるのは俺たちではなくリーリャさんとゼニスさんの2人だ。
「それよりさ、ルディはノルンちゃんたちになんて伝えるか考えた方がいいんじゃないか?」
「それは…。まだ考えられてないな」
まあ、帰りの旅も長いし、じっくり考えるのもありだろう。
しばらくしてパウロさんが全員を呼び出し、ゼニスさんの状態について説明した。予想通りというか、誰も取り乱す人はいなかった。おそらくパウロさんが一番苦しいとわかっているからだろう。
それを終えて1日が経ち、帰り支度が終了したため、ようやくラノアに向けて旅立つこととなった。長い旅路だが、ゼニスさんの世話はリーリャさんが担うらしい。パウロさんが自分も、と言っていたが、正直彼はその方面はあまり役に立たないとのことだ。
(もうすぐ会えるのか…)
ラノアを旅立ってからそこまで時間は経っていないはずだが、まるで一年以上離れていたかのように感じてしまう。
「そういえば、ルディ。ロキシーさんにはあのこと話したのか?」
少し前を歩いているルディに声をかける。
「…ああ。誰ととは言ってないけど」
まあ、誰ととか言われてもシルフィ姉と面識はないだろうから意味はないか。だが、ロキシーさんは気を病んでしまうのではないだろうか。
「彼女はなんて?」
「謝られたよ。でも、それを言われて拒めるわけじゃないのはわかるだろ?」
「またルディには借りができてしまいましたね…」
そう言うのはロキシーさんだ。ルディに、というよりシルフィ姉に対する借りだろうな。それを作ってしまったのは、わかってて止めなかった俺たちもだ。
「で、どうするんだ?」
「どうする、とは?」
「ちゃんと責任を取るのかってことさ」
ルディはあれで誠実な男だ。もちろん、幼馴染という贔屓目があるからかもしれないが、ちゃんと向き合ってくれるだろうと思っている。
「それは、シルフィとも話さなくちゃな…。でも、俺ができることならなんでもするつもりだ」
ロキシーさんをそのまま放置というわけではないようだ。それに少し安心する。
「ロキシーさんは…」
「そのことに関してはあの夜にいろいろ話しました。ルディが結婚しているということも、それを分かった上で私の自己満足を受け入れてくれているということも」
「師匠、自己満足だなんて言わないでください。本当にそんな風に思っているなら、あのときちゃんと拒んでいます」
ということはなんだかんだでルディの方も覚悟はできているということか。あとはそれの伝え方とリアクションだ。
「ちゃんと向き合えよ、ルディ。俺も気持ちは分かるしな」
口を挟むのはパウロさんだ。浮気性なのは遺伝なのかもしれない。だとすれば、将来生まれてくるルディの子どもにもそういうのがあってもおかしくはない。まあ、まだそれを危惧するのは早すぎるが。
「ゼニスさんはどうなってます?」
「リーリャ曰く、体調面は問題ないらしい。といっても俺ができることなんてそんなにないからな」
リーリャさんがお世話をしているのなら、ほとんど問題はないだろう。
「それよりルディ、ちゃんと2人と話し合えよ?」
ここで俺は10年前のことを思い出す。
「そういえば、リーリャさんの妊娠が発覚したときってどうだったんだ、ルディ」
「今それを言うのは、反則だろ、レード…」
パウロさんは不満げだが、ルディは答える。俺は当時のことをあまり知らないのだ。
「そりゃ大変だったよ。母さんはめっちゃ怒ってたし、俺がいなかったら一家離散だっただろうな。今からそうなるって考えると胃が痛くなるよ…」
かつてのことを思い出したからか、パウロさんも苦い表情だ。でも、まあこのおかげでノルンちゃんもアイシャちゃんも健やかに育ったと考えれば十分な犠牲だろう。
それにそのときとは違って当事者のルディには一応味方のようなものもいる。結婚のことを知らなかったパウロさんたちはともかく、俺とおばあちゃんも共犯者のようなものだしな。
そうしてのんびりと帰路を進んでいく。今は行きと違い、旅にも魔獣にも慣れているメンバーが揃っている。これといって問題もなく進んでいる。強いて言えば、サキュバスに目をつけられたルディとパウロさんが盛ってしまったくらいだ。相変わらず俺への効果は薄い。
「相変わらず、ルディはエッチだな…」
砂漠の旅の中、テントの前で見張を続けているロキシーさんに俺は話しかける。とはいえ、彼女もルディに迫られたとき嬉しそうに抵抗していたのは印象深い。ちなみに彼はぐっすり眠っている。
「ですね…。でも、昔からそんな感じですよ」
「それは…。まあ否定できないですね」
ルディのパンツ信仰は忘れられないものだ。というか、あそこまでくるとただ好きだとかエッチだとかではなく、狂気でしかないが。
「シルフィ姉に会うのは気が引けますか?」
ロキシーさんは頷く。まあ、それも無理はない。人の夫を寝取った立場なのだからな。
「万が一、シルフィ姉と話しても納得いく結論が得られなかったら、俺に任せてもらえませんか?」
「レードさんに?」
「はい。夫のルディの前で言うのもどうかと思うんですけど、シルフィ姉との付き合いは俺の方が長いですからね。何を言えば丸く収められるかは見当がついてるつもりです」
「これ以上、迷惑はかけられませんよ…」
「迷惑とも貸しともちょっと違いますね。ただの俺の自己満足ですよ。都合の良いように運ばせるための」
まあ、正直これは俺としては実行したくはないし、シルフィ姉も案外俺の悪巧みを見透かしてくるかもしれない。まあ、そのときはそのときだ。
前世と違い、ビルの灯はおろか街灯すらない砂漠の夜空を照らしているのは星と月だけだ。静香姉が同じものを眺めているかどうかはわからないが、ややセンチメンタルな思いを抱きながら旅路の夜は更けていくのだった。
次回は修羅場か…