ラノアに戻ってきて数日が経った。ロキシーさんは無事にルディの妻になり、グレイラット家は全員が揃っての生活が始まった。そんな日常の中、大きなイベントが迫りつつあった。
シルフィ姉の出産である。
「だいぶ大きくなってきたな。そろそろか?」
俺は洗濯物を取り込みながら言う。リーリャさんがやると言いそうだが、彼女にはゼニスさんの面倒を見るという仕事がある。俺にそれは務まらないし、適材適所だ。アイシャちゃんの方も彼女一人に負担が重なるのも避けたい。
「いつもごめんね、レード。学校は大丈夫?」
「まあ、どのみちもうすぐ産まれるだろうから、それまで学校は休学してるし大丈夫」
転移魔法陣のおかげで、予定していた休学の期間よりだいぶ短く帰ってくることができたしな。余った期間の数ヶ月はのんびり過ごさせてもらうとしよう。
ちなみにルディはちゃんと学校に登校しているらしい。真面目なものだ。
「しかし、シルフィ姉が出産かぁ…」
「自分でもときどき夢なんじゃないかって思うことがあるよ。ゼニスさんはああなっちゃったけど、誰一人欠けずに無事に帰ってきて…」
おそらくルディも似たようなことを思っているのだろう。
「ロキシーさんとはどう?」
「ルディが惚れた人だし、びっくりするくらい慕ってる相手だから、良い人だとは思うんだけど…」
「遠慮してるってことか?」
「うん。タイミングとか立場とか踏まえたらそう思ってしまうのもわからなくはないんだけどね」
それは俺も感じていた。シルフィ姉にもそうだし、それが俺相手には特に強い気がする。
(まあ、客観的に見たら責められてるロキシーさんを俺が庇った形だからな…)
ただでさえ、救ってもらった恩があるのに、さらに重ねさせてしまった結果になった。別に俺としてはルディやロキシーさんが幸せなら、恩返しなど別にする必要もないのだが、彼女は責任を感じているだろう。
「気にするなって言ってもたぶん気にしちゃうような方だしな」
それはルディにも言えることだと思うが。2人とも責任感が強いからな。
「少しはレードみたいに適当にしてもいいのにね」
「そりゃどういう意味だよ」
俺は苦笑いして答える。まだ16時くらいだが、すっかり暗くなりつつある。ロキシーさんとルディが帰ってくるのはもうすぐだろう。もしかしたら、今日は静香姉やノルンちゃんも来るかもしれない。そう心を躍らせていたらそのときは突然訪れた。
「…うっ!」
シルフィ姉がお腹を抑えて蹲ったのだ。一瞬病気になったかと思ったが、俺は違うと確信する。
「シルフィ姉!」
「…レ、レード。産まれる…!」
どうするべきか。迷う前に俺は叫んでいた。
「リーリャさん! アイシャちゃん!」
2人は呼ばれて素早くドアを開く。少し遅れてパウロさんも部屋から出てくる。
「シルフィ姉を任せる! 俺はルディとロキシーさんを呼んでくる!」
シルフィ姉の様子を見て事態を察したリーリャさんが頷く。
「くれぐれもお気をつけて」
俺が家のドアを開けた直後だった。グレイラット邸の門を通って歩いてくる4人が見えた。なんて良いタイミングだ。
「ただいま、レード。どうしたんだ、そんなに慌てて…」
「ルディ! 産まれる!」
俺の叫びにルディは目の色を変えて走り始める。荷物を放り投げるくらいだ。俺の方もだいぶ焦っている。
「レードさんはどうするんですか?」
ルディが落としたカバンを拾い上げたロキシーさんが聞く。
「俺は医者かおばあちゃんを呼ぼうかと」
「雪が厳しくなりそうなので、医者は来れないかもしれません。エリナリーゼさんを呼ぶのはいいかもしれませんが」
おばあちゃんは妊娠に関してはベテラン中のベテランだ。生憎、今どこにいるのかがわからないが。おそらくクリフのところか、まだ学校に残っているか。
というか、さっきから辺りがかなり暗くなりつつある。雪も降っているし暗くなればなるほど、どこに行くにしても時間がかかる。別に無理に誰かを呼びに行く必要もないか。
(リーリャさんもいるからな…)
とここで微妙な顔を浮かべているのは静香姉だ。
「ねぇ、私がいてもいいのかしら」
「今更帰れと言うわけにもいかんだろ」
「そういう意味じゃなくて…。なんていうか、場違いな気がして」
確かに静香姉は血が繋がってるわけではないが、そんなに気にする必要もないと思うが。
「ナナホシさん、私もきてほしいかな…」
やや恥ずかしそうに話すのはノルンちゃんだ。みんなの前で、あれだけルディたちを詰ったのだ。いくら正論であっても居心地はあまり良くないのかもしれない。もしかしたら、帰り道に静香姉も連れてきたのはそういうことがあったからか。
「そう。なら、行くしかないわね…」
なんだかんだで妹のように感じているのかもしれない。この世界に静香姉の弟はある意味ではいないしな。
ある意味笑えないジョークを脳内で飛ばしながら雪道を進む。進むと言っても大した距離でもないが。
リビングに続く廊下で待っていたのは、追い出されたらしいパウロさんだ。俺が言うのは失礼かもしれないが、パウロさんがいたところで何もできないのだから追い出されても致し方ない。
「おかえり、ノルン」
「ただいま帰りました、父さん。シルフィ姉さんの様子は大丈夫ですか?」
「俺も妊婦について詳しいわけじゃないから、はっきりは言えないけど、リーリャなら上手くやってくれるさ。それより彼女は…」
パウロさんは静香姉に目を向ける。
「紹介します。彼女はナナホシ・シズカ、通称サイレント・セブンスター。俺の恋人です」
「初めまして。レードやルーデウスからパウロさんのことは聞いています」
静香姉が頭を下げる。前世のことを含めて言うと非常に面倒なので、一言で恋人と言えるのはある意味ありがたい。まあ、それを含めてのプロポーズだったのだが。
「俺の方こそ初めまして。俺はレードの血の繋がってる父親でもなんでもないから、いろいろ言う権利はないが、レードをよろしく頼むな」
俺としては父親と大差ないものだと思う。付き合ってる時間だけなら息子のルディとそう大差ないしな。
俺たち4人はやや寒い廊下でその瞬間を待ち続ける。おそらく脳内に浮かんでいる気持ちは4人とも同じであろう。俺たちでこうなのだから、実際中にいるルディはとんでもなく焦っているはずだ。
そしてしばらく経ち、小さいが確かに産声が聞こえた。
「無事に産まれました。女の子みたいです」
やや気疲れした様子のロキシーさんがドアを開けて告げる。ルディが彼女を抱き上げ、その目に光るものを浮かべているのもチラリと見えた。
「パウロさん、初孫ですよ」
すっかり安心しきった様子のパウロさんに声をかける。まだ30半ばだというのに、初孫とは前世だったら考えられないな。
「パウロおじいちゃんってなるのか…」
「おじいちゃんにしては些か若すぎる気がしないでもないですけど」
そう言って俺は笑う。ロキシーさんやノルンちゃんも安心したらしく吹き出すように笑っていた。
やがてルディも疲れた様子で、部屋から出てきた。
「お疲れ様、ルディ」
「俺は何もしてないさ。シルフィに言ってやってくれ」
そうだとしても心配も緊張もするだろう。パウロさんも頷く。
「これでついに父親だな、ルディ」
「…そうですね。これからもご指導お願いします」
「俺からルディに教えられることなんて、ほとんどねぇよ。肝心な時に父親らしいことは何もしてあげられなかったしな」
それは転移事件があったからだろう。それを察した俺の恋人は目を伏せる。
「父親らしいことをしてない…。まだなんとかなりますよ。無事に生きて帰ってきたんですから」
俺が声をかける。
「そうか?」
「はい。ノルンちゃんとアイシャちゃん、あとついでに俺にもカッコいい父親としての背中を見せてくださいよ」
俺はともかく妹2人はまだ独り立ちするのは先になるだろうからな。ルディも頷き、手を差し出す。
「では、父さん。改めてよろしくお願いします」
「ああ。よろしく、ルディ」
パウロさんはいつものような頼もしい顔でルディの手を握った。この光景だけでも、とても尊いものに感じられる。
「話はまとまったところで、一杯やりませんか? 出産祝いということで」
シルフィ姉を仲間はずれにしてしまうのは少々申し訳ないが、こういうタイミングがみんなで飲むには一番だろう。
「そうだな。だが、大騒ぎしてハメを外すなよ?」
「パウロさんがそれ言います? ルディはどうする?」
「俺も参加するよ。あとで2階に酒を持っていく」
こうしてグレイラット家での家族会が始まった。参加者は俺、ルディ、パウロさん、静香姉、ロキシーさん、ノルンちゃんの計6人だ。各々が必ずしも時間を取れるというわけではないし、こういう機会も大事だ。
まあ、結局調子に乗って飲み過ぎた俺は静香姉にセクハラして怒られるというオチがつくわけだが。
パウロがいるだけでこんなに幸せになるのか…