--- ノルン視点 ---
私には2人の兄がいる。血が繋がってるのは1人だが、おそらく2人ともそれを否定することはないだろう。
1人目の兄、血の繋がってる兄さんに対しては昔から最近に至るまで嫌悪と恐怖が渦巻いていた。大好きだった父さんを馬乗りになってボコボコにし、その父さんと同じかそれ以上に大好きだったもう一人のレード兄を連れ去ってしまった兄さんに、どれほど恨みを募らせていただろうか。
それからしばらくは、私にとって苦しい日々だった。ミリスでも、ラノアへの旅路においても優秀すぎる妹と比較され、劣等感に苛まれる日々だ。
ルイジェルドさんは優しかった。彼も大変だろうに、幼かった私の面倒をしっかり見てくれた。でも、彼が話す兄さんと私があのとき見た兄さんの姿は全然違うのだ。その辺りからだろうか。兄さんへの感情は嫌悪から恐怖へと変わっていった。
シャリーアに着いても兄さんへの感情は変わらなかった。レード兄も兄さんを心から信頼しているようだし、いくら私でもそんな不満を言えば良い顔はしないだろう。仕方なさそうに苦笑いしながら、頭を撫でてくれる。今までならそれでよかったかもしれないが、別れたあのときと何も変わっていない。そう考えると胸がますます苦しくなった。
そんな憂鬱な日々に耐えかねて、私はレード兄の家に引き篭もってしまった。またしても彼に甘える道を選んでしまったことに後悔が募ったが、それが兄さんと私を引き合わせるきっかけになってくれた。
そうして面と向かって兄さんと話してようやく自分の気持ちに整理がついた。私は兄さんやアイシャとは違って出来が良いわけじゃない。それでも、兄さんを許して前に進まなくちゃいけないことだけは理解できた。
ベガリット大陸での救援依頼が届いたのはそれからしばらくしてからのことだった。私に不安はなかった。兄さんとレード兄、エリナリーゼさんがいるなら必ずや救い出してくれると信じていたからだ。実際、兄さんが片腕を失ってしまったが、どうにか誰一人欠けることなく母さんを救い出すことに成功した。
その後、ロキシーさんのことでいろいろ揉めたりもしたが、充実した日々が続いた。そんな中でまた一つ決意のようなものが芽生えていた。自分も成長したいのだ、と。その一つが生徒会長になりたいというものだ。その姿をレード兄に見せたいのだと。
もう一人の兄、レード兄に対する感情は複雑だ。昔はアイシャが兄さんを好きになった感情と同じなのだろうと勝手に思っていたが、最近になってそれが違うのではないかと思いつつある。単純な恋愛感情かとも思ったが、それにしてもおかしいのだ。その証拠にナナホシさんというレード兄の恋人に対しても嫌悪感や嫉妬などを全く抱かなかった。もちろん、ナナホシさんが優しい人だというのも大きいが、レード兄が大好きな人と幸せになってほしいという感情の方が強かった。やはり、彼に対する気持ちは今に至っても言葉で表すことはできないのだ。
そんな複雑な思いを抱いているレード兄の顔色が徐々に悪くなっていく。ナナホシさんの不調を引き受けたことがきっかけらしい。
「静香姉のドライン病の治療法を探してくる」
ペルギウス様の城から一時帰宅したレード兄が言った。彼の顔色は明らかに悪かったが、私がそれを引き留めることはできない。
「なら、約束して。絶対に無事に帰ってくるって」
その日の夜、私はレード兄に声をかけた。そうしないと、なぜか2度と彼と言葉を交わすことはできなくなるような気がしていたのだ。ベガリットへの旅立ちのときはそんな感覚はなかったのに。
「約束、か…」
「うん。レード兄が守るのが苦手な約束」
「ゼニスさんたちはちゃんと約束通り連れて帰ってきただろ?」
「でも、レード兄、嘘つくの得意じゃん」
その言葉に苦笑いするレード兄。それでも、私がレード兄を大好きなのは、その嘘が自分のためではなく大切な誰かのためにつく嘘だからだ。
「まあ、俺も今回は破るつもりはないし、そもそもルディがそうさせないさ」
そう答えるレード兄に普段の安心感はどこかない。それでも今の私は信じるしかない。自分がレード兄の代わりになることはできないのだから。
兄さんが旅から戻って来たのは5日後だった。私は学校にいたけど、ロキシー姉さんに呼ばれて急いで家に戻った。
兄さんの帰還報告によると、母さんの呪いに関しては打開策は乏しく、元通りになる可能性は低いそうだ。しかし、ナナホシさんは無事に助かったとのことだ。
「ナナホシは体調が完全に戻るまで向こうで過ごすらしい。俺もシルフィもしばらくは空中城塞で暮らすつもりだ」
アリエル会長がある程度成果を出すまでシルフィ姉さんたちも付き合うつもりのようだ。家のことはリーリャ母さんとアイシャに任されることになった。
そうして帰還報告は終了となった。と、ここで気になったことがある。レード兄の姿がないのだ。嫌な予感を感じつつ、兄さんに声をかける。
「兄さん、レード兄は…」
私が声をかけようとしたところで、兄さんは小さな声で耳打ちした。
「あとで、お前とシルフィに話がある。レードに関してだ」
この場で言うのではなく、私とシルフィ姉さんだけというのは何か理由があるのだろうか。
そう考えているうちに帰還報告はお開きになった。
数時間後、寝る直前に私とシルフィ姉さんは兄さんの部屋に呼び出された。
「夜遅くに呼び出してすまない。レードに関して言わなくちゃいけないことがある」
「ルディの様子だと、レードも向こうで何かあったんだよね? 怪我は塞がってたみたいだけど…」
ペルギウス様が治療を施したため、何の問題もないが、その傷はかなり酷かったらしい。あと少し遅かったら失血死の可能性もあったそうだ。
「ああ。怪我自体は問題ない。ただ、今のレードはそれ以上の問題があるんだ」
「問題…?」
「それを話す前にナナホシが倒れた原因について改めて話そう。彼女が倒れたのはドライン病だ。それがどうして発症するのかはわかるな?」
シルフィ姉さんが頷く。
「確か、体内に魔力が溜まることが原因だよね?」
「ああ。その治療法はソーカス草という植物を煎じて飲ませることだった。そうすれば体内に溜まった魔力は流れ出るらしい。俺たちは魔界大帝のキシリカに尋ねることでそれを無事に発見できた」
そこで兄さんが俯く。
「そこまではよかった。だが、俺たちと同じようにアトーフェという魔王もキシリカを求めていたんだ。俺たちとしてはキシリカを擁護する必要もないから、彼女を突き出したんだが…。それに対してアトーフェは自分の配下にするっていう褒美を与えようとしてきてな。もちろん断ったが、上手くいかなかった。結果、アトーフェと俺たちは戦闘になったんだ」
レード兄が怪我を負ったのが、それが原因だという。彼は責任を取って一人でアトーフェの足止めをしたらしい。
「レード兄は怪我の後遺症で治療中なんですか?」
「いや、アイツももう無事に戻って来てるんだ。だけど、今は誰にも会いたくないらしい」
魔王に負けたのを気にしているのかと思ったが、そうではないようだ。というか、レード兄ならその程度のことで気落ちしたりはしないはずだ。
「俺たちが城に戻って来た後、クリフ先輩がキシリカから識別眼という魔眼を手に入れたんだ。それを使うと物事の詳細がわかるらしい。レードを見たとき、クリフ先輩に反応があってな。レードに呪いがあるのに気づいたんだ」
「呪い?」
「ああ。体内に溜まった魔力を吸収する呪いだ。…条件は対象との性行為とのことだ」
後半の部分はかなり言いにくそうだった。妻はともかく妹に伝えにくいのは無理もない。シルフィ姉さんが驚いたように呟く。
「…ちょっと待って。それって…」
「ああ。さっき言ったナナホシの治療法そのものだったんだよ」
ナナホシさんの治療法は探すまでもなかったというらしい。
「レード兄は…。今、どうしてるの?」
私には薄々彼がどうなっているかわかってしまった。おそらくシルフィ姉さんもそうだろう。
「俺たちを危険に晒してしまったことに心を痛めて…」
自分の家に引き篭もってしまっているらしい。
「ナナホシさんは知ってるの?」
「いや。まだ、その事実は言えてない」
病気で余裕のないナナホシさんにそれを告げるのは酷だと感じたのだろう。
ここで兄さんは私とシルフィ姉さんを交互に見て言う。
「みんながいる前じゃなくてここで言ったのは、2人にレードを助けてほしいと思ったんだ。アイツは2人ならどうにかできるかもしれないから」
「…ルディじゃダメだったの?」
兄さんは悔しそうに頷く。
「ああ。俺もやれることはやったつもりだ。でも、思った以上に塞ぎ込んでる。だから、すまない。どうにかレードを助けてやってくれ」
兄さんが頭を下げる。シルフィ姉さんはともかく私に頭を下げる兄さんを見るのは初めてかもしれない。それほどレード兄が追い詰められてしまっているのか。
私はシルフィ姉さんをチラリと見る。
「…ボクは信じてるよ。レードがまた元気になってくれるって」
「そうですね。顔を上げてください、兄さん。3人でどうにかしましょう」
こうして私たちはレード兄を救うべく動き始めるのだった。が、それは想像以上に困難を極めるのだった。
楽しいけど、難しいな…