本日2本目です。
第六節を読了でない方はそちらの方に回っていただければ
トリニティ総合学園ティーパーティーテラス。
静寂が支配するテラスにて、ナギサと先生が顔を合わせていた。
「あら、先生。お疲れ様です……補習授業部の方はいかがですか?……などと問いかけてみましたが、お話のほうは既に聞いております。どうやら最初の試験は、上手くいかなかったようですね」
「……まあ、まだ1度目だしね。あと2回あるから十分間に合わせられるよ。それはそれとして、それは……チェスかい?」
「ええ、趣味でして……このタイプは見慣れないのではないですか?黒はキングとクイーン、あとは全てポーンだけ」
盤面に存在する駒は全てが美しく磨かれていて、手入れがしっかりされていることを如実に表していた。
だが、それでも目立つ細かな傷がそのチェスの駒自体が長く大切に使用されてきた証のようにも見える。
「白はキング、ルーク、ビショップ、ナイトが3〜4個ずつ……随分変則的な盤面に見えるけど、1人でやっていたの?」
「ええ、今は私1人で。うるさいミカさんもチェスの強いミハネさんもいらっしゃらないので」
チェスから視線を逸らして、ティーカップを口に運ぶ。
夜風で少し冷めてしまったが、まだ暖かい紅茶で口を潤して再びお互いの目を見る形になる。
「今日は先生にお伝えしたいことがあったのですが、それよりも先に、先生の方が何か言いたげなことがあるように見受けられますね」
「……これは先に聞いておくべきだったんだけど、3回とも不合格になったら……補習授業部のみんなはどうなるの?」
「…………小耳に挟まれたのでしょうか?出処は、ヒフミさんですかね?」
にこやかな笑顔が一瞬静止したように見えたが、あくまで平常心を保つかのようにナギサの表情はいつも通りに戻り逆に先生へと問いかけ、先生もそれに頷く。
「彼女は、そういうところがありますからね。まあそれが、ヒフミさんの良いところでもあるのですが……」
困りましたね、と口にしながらとどこか優しげな瞳だった。
しかし、先生がその問いかけをしてきた以上、もともと先生に隠すつもりのなかったナギサはその質問に答えるのだ。
「さて、質問にお答えしますと、簡単なお話です。試験で不合格を繰り返し、落第を逃れられそうにない。助け合うこともできない……だとすればみなさん一緒に、退学してもらうしかありません」
「……退学?本気で言ってるんだね?」
ナギサの口から帰ってきた“退学”という言葉は、この静かなテラスに重く響き渡った。
それは先生自身も最悪を想定していた単語であり……しかし、最も確率の高い処置でもあろうと睨んでいたものでもあった。
「もちろん、本来はトリニティにも落第、停学などに関する校則が存在し、それの最終決定権は司法院長であるミハネさんにあります。ただ、手続きが長くて面倒でして……たくさんの確認と議論を経なければなりません。ゲヘナとは違って、我々は手続きを重要視しますので」
「…………」
「ですが今回急造された補習授業部は、このような校則を無視できるように調整してあります。シャーレの権限を少し組み込ませていただいたこともあり、このような処置を可能になっているのです。そもそもこの補習授業部は───」
そうして、そこで一度言葉を区切った。
ナギサの中に、それでもこの言葉を伝えて良いものかと葛藤が生まれる。
だがしかし、自分のやり始めたことであり、既にミカとミハネにはその為にこの部活の設立を認めさせたのだから……もう、後には引けなかった。
「───生徒を退学させる為に、作ったものですから」
「…………っ!」
思わず、息を呑んだ。
だが、想定していたことでもあった。
3回という期限付き、司法院からサリナが出向されてきた意味。
サリナがいるのにヒフミが部長として自分の補佐を命じられてきた理由。
つまりはサリナは司法院から送り込まれた監視役。
そしてヒフミはナギサにとっての眼であることは間違いないのだろう。
「なんとなく、そうじゃないかなとは思っていたんだ」
「状況証拠としてはそこに至る確信は得られなかったということですか?」
「……そうだね。ただ怪しいとは思っていたよ、司法院から副院長であるサリナがわざわざ出向してくるのも、サリナがいるのにヒフミが部長として私の補佐をするというのもね」
「では、なぜ今まで私に問いかけを行わなかったんですか?」
「それこそ、ナギサがさっき言った通りだよ。確信に近いものは持っていたけれど確信が得られなかったから黙っていたんだ。生徒のことは……出来るだけ疑いたくないからね」
「……なるほど、貴方はそういう方でしたね。あらゆる情報網から上がってくる報告と私が知り合ってからの知り得た貴方の人柄は一致しますもの」
だからこそ、ナギサは初めにこの説明をしなかった。
あのミカもいた邂逅の時、補習授業部の要請をした時に馬鹿正直に“退学させるための部活”に顧問として来てくれ、などと言おうものなら始めから断られていたのは想像に難くない。
だからこそ、今日この場に先生を呼び出し……あの部活の真意を伝えようとしているのだ。
「では、なぜ私はあの部活を……補習授業部を創設したのか。それは、あの補習授業部の中に……トリニティの裏切り者がいるからです」
「裏切り者……?」
「ええ、その裏切り者の狙いは、エデン条約の阻止」
『エデン条約』その言葉は先日、ミカの口から聞いた。
それにあのアビドスの一件でミハネの口からもヒナの口からもこのキヴォトスにやってきてから聞くことの多かった単語の一つだった。
「この言葉の持つ重さを理解していただくには……『エデン条約』とはなにか、という説明が必要ですね」
そうして、ナギサがいつぞやと同じように手元に避けてあったファイルを先生に手渡した。
ファイルを開き、手にした書類にはティーパーティーと
そして、キヴォトスで主流である電子媒体ではなく……情報漏洩の可能性が極めて低い紙媒体であり……その書類が内包する機密は
「エデン条約……これは簡単に言いますと、トリニティとゲヘナの間に結ばれる不可侵条約です。その核心はゲヘナとトリニティの中心メンバーが全員出席する、中立的な機構を設立することにあります」
「それは……連邦生徒会のような組織になるのかな」
「その認識で間違いありません。ただ、それはトリニティとゲヘナ間のみですからそこまで大きな権力を持つ組織、とは言い難いのです……そして『エデン条約機構』……【
この世界に来てからある程度の情勢を調べ上げた上で、ゲヘナとトリニティの確執はかなり深いことは理解していた。
互いに睨み合いを効かせ、時には紛争に近いことすら度々起こっていたのだから、その重要性は語る必要性もないだろう。
そのETOというのはいかなる場合に於いても絶対的な中立を守る立場、どちらの学園であっても必要があれば取り締まり、紛争が起きないように両学園を見守る立場。
「……まるで司法院のような立場だ」
「お気づきになられましたか?トリニティとゲヘナの長きにわたる敵対関係は互いに大きな負担になりつつあります。それ故に、両学園にはミハネさん率いる司法院、その様な組織が必要となってきているのです」
長きにわたる小競り合いや紛争。
そのまま放置しておけばゲヘナにもトリニティにも益はない。
天使として悪魔を嫌うという本能よりも、彼女たちは共倒れしないための理性を選んだのだ。
「それに……これは、連邦生徒会長が提示した解決案でもありました。彼女が行方不明になって一度は空中分解しかけたものを、私の元でどうにかここまで立て直したのです」
「一通り、理解はしたよ」
ナギサの説明を聞きつつも手元の資料に目を通し終えた先生はゆっくりとその資料をテーブルへと戻した。
「そしてこの念願の条約が締結される直前まで来た、このタイミングで……これを妨害しようとするものたちがいるという情報を耳にしました。まだそれが誰なのかはわかりません、特定には至りませんでした。そこで、次善の策として……その可能性があるものを一箇所に集めたのです」
「それが補習授業部、ということだね」
先生の言葉にそっと頷く。
ティーパーティーの権限を最大限に振るい、決して外部には情報が漏れない様に4人まで絞り込んだ、ナギサの容疑者リスト。
それが補習授業部に集められた4人の生徒たちだった。
だからこそ、ヒフミのあの言葉が引っかかった。
『ち、違うんです先生……!ちゃんと試験の日程は確認していた筈なんです、何かの間違いと云いますか、手違いと云いますか……!』
もともとヒフミには容疑がかけられていたのだろう。
だからこそ、事前に試験日を確認していてペロロのライブに参加したそのタイミングで彼女を補習授業部に落とす為に……試験の日程をずらした。
始めから、ヒフミは
「……裏切り者は、
「…………」
「そろそろお分かりでしょう。それが補習授業部です、先生にはその“箱”の制作にご協力いただきました」
「シャーレの権限があってこそ成立する特例措置の部活。私はまんまとナギサにいい様に使われたわけだ」
「……ごめんなさい」
ナギサ本来の性格ではこの様なことをするつもりはなかった。
いや、彼女の持つ優しすぎる性格では人を切り捨てることなどできないのだ。
だからこそ、心を痛め、自分の感情を押し殺し、大義のために犠牲を出すことを選んでしまった。
ミカと話していたナギサこそが本来の彼女の姿なのだろうと先生は知っていたからこそ、彼女に利用されたこと自体に怒りは感じていなかった。
「こんな、血生臭いことに先生を巻き込んでしまいました。私のことは罵っていただいて構いません」
「そんな事はしないよ。君が苦渋の決断の上でこの方法を選んだ事は考えなくてもわかるから。それに……このまま利用し続けるだけなら、こうして私に話すこともなかったよね?」
「……流石ですね、言っても信じてもらえるかどうかとは思っていましたが、おっしゃる通りです。こうなったらお話は早いですね」
「私にして欲しい事は、別にあるという事だろう?」
「ええ、先生……先生には───」
お互いに呼吸を呑む。
どんな言葉が飛んでくるか、先生はすでに理解していた。
そうして飛んできた言葉に、どの様に返事をするのかさえ。
だが、それもナギサは理解していた。
それでも、この言葉は伝えておかなければならないのだ。
「……補習授業部にいる裏切り者を、探していただけませんか?」
「───なるほど、ね」
あくまで声音は変わらなかった。
だが、ナギサにとってあくまでフラットなその声音はむしろ恐怖すら感じさせるものでもあった。
「先生を、トリニティを騙そうとしている者がいます。平和を破壊しようとするテロリストです。私たちだけではなく、キヴォトス全体の平和を、自分たちの利益と天秤にかけようとしているのです」
エデン条約、その重要性を説いた上でのそれを破壊しようとする者がいるという解説。
それが真実である前提で、裏切り者を探し出して欲しいという要請は話の流れとしてはあまりにも完璧と言えるだろう。
「裏切り者を探し出すことが、キヴォトスの平和に直結します。いかがでしょう、連邦捜査部シャーレとしてご理解いただけると幸いなのですが───」
「……私は、私のやり方で、その問題に対処させてもらうよ」
その返答は、明らかな拒絶の意思を感じた。
今までの様なフラットな声音の返答ではない、明確な怒気の感情が乗せられた解答に思わずティーカップを持つ手が震える。
「……そうですか。わかりました。ですが先生。ゴミを細かく選別して捨てるのが難しい場合、箱ごと捨ててしまうというのも手段の一つ、そうは思いませんか」
それでも、ナギサの口が止まる事はない。
もとより、全て覚悟した上でこの計画を進めているのだ。
例え、この場で先生の信頼を全て失おうとも……この計画の重要性だけは伝えなければならない、自分が本気である事は伝えなければならないと。
「私は……生徒のことを塵として見ることなんてない。話はこれで終わりだね、私は明日以降の準備を進めるから……これで」
「……それから一点、試験については基本的に私たちの掌の上にあります。例えば『急に試験の範囲が変わる』ですとか、『試験会場が変わる』ですとか『難易度が変わる』ですとか……ええ、もちろんそう言った事は起きないことを祈りますが……失礼しました、良くないものの言い方でしたね。それではこれからも日々続き補習授業部をよろしくお願いしますね、先生」
それは、明確な脅しだった。
誰にでもわかる、これ以上ないほどの脅し文句だ。
だが、それでも先生の態度が変わる事はなかった。
一口飲んだままだった紅茶を飲み干して、席を立つ。
これ以上ここで話すことなどない、例え先ほどの言葉が実行されようとも全員合格させて疑いを晴らせばいいだけの話だ。
「私たちの方から、先生に対して不利益や損害を与えることはありません。と、言いたいところなのですが、場合によってはお約束する事はできません。無論、だからといって先生が生徒たちを放置しておくような方でないことも、重々承知しています……だからこそ、これからの展開は私にも予測しきれていません」
去り行く先生の背中に、それでもナギサは声をかけ続ける。
それは彼女の甘さでもあり、彼女なりの誠意の表し方だった。
「だからどうか、この結末が……出来るだけ痛みや苦しみを伴わないものであることを願うだけです」
「───痛みの伴わない生き方なんてない。それでも、その先に希望があるから、幸せを望むから人は歩き続けるんだ」
「……そう、ですか。それが先生の生き方なのですね」
先生が扉に手をかける。
秘密の会合はこれにて終わり、だが……一つだけナギサへ伝えることがあった。
「私は今日の紅茶の方が好みだったよ。機会があれば、またご馳走してくれるかい?」
「ええ、もちろんです。それと最後に、一次試験に於いては私たちの方で如何なる操作もしていません。この部分については誓って嘘ではないことをお約束します」
「それは、私も問題に目を通したから信じるよ」
「先生なりのやり方……それが、トリニティに利するものであることを願っていますね」
その返答に帰ってきたのは扉の閉じる音だけだった。
去っていった先生を見送り、ナギサは椅子に深く座り込む。
この話し合いの結末がどうなるのか……ナギサにも先生にもまだ知る由もないことだった。