そしてそのおかげでたくさんの読者の方に巡り会えたこと、ランキングが12位まで上がったこと、本当に心より感謝申し上げます。
これからも皆様方に楽しんでいただける作品作りをできればなと思うばかりではあります。
「ご無沙汰しております、先生」
「また会えて嬉しいよ、ナギサ」
太陽が天へと上がり切った正午過ぎ、人払いを済まされたテラスにナギサと先生の姿があった。
どこまでも穏やかな昼下がり、ここに来るまでにたくさんの生徒に明るく挨拶されてきたこともあって先生の機嫌もかなり高かった。
「あれから合宿の方は如何ですか?何か困ったことがあれば何でもおっしゃってくださいな」
「いろんな人の助けもあってね、今のところ順調の一言だよ」
そんな他愛もなく中身も無い会話。
これも二人にとってはあいさつの延長線上で本題は別にあることを先生も理解はしている。
慣れた手つきで空のティーカップ二つに紅茶を注ぎ、一つは自分の元へ、そしてもう一つは先生の方へと差し出される。
流石は
「いい香りですよね。ミカさんが持ってきてくれたのですが、なんでもミハネさんのご実家でのみ栽培している茶葉なんだそうです。彼女の親しい友人や家庭内で飲むためだけに栽培された特別なものなんですよ」
「そんな特別なものを私が飲んでも……?」
「ええ、先生ならばいずれ口にする機会もあるでしょう……それに“先生がくるならこれ淹れてあげてよ”とミカさんが持ってきてくれたものですから」
「そっか、なら遠慮なくいただくよ」
カップを持ち上げ、口をつける。
瞬間、一瞬で口の中を満たす確かな紅茶の風味。
柑橘系の爽やかな香りが追いかけけくるように鼻を吹き抜ける。
たった一口、それだけで先生は今まで飲んだ紅茶の中で1番の余韻に浸っていた。
「……おいしい」
「……ええ、ほんとうに」
たったそれだけの言葉を残して、しばらくの沈黙が流れる。
ナギサのカップを持つその手が……ほんの少しだけ震えていることを先生は見落とさなかった。
「お恥ずかしながら、私もこのお茶を口にしたのは初めてなのです」
「そうなの……?」
「ええ、私はどうやら……その……ミハネさんには、あまり好かれていないようでして」
先生の脳裏に後輩たちに囲まれて笑顔で色々な話をして、慕われている彼女の姿が映し出される。
だが、それと同時にナギサとミカに初めてここで会った時のことも思い出されていた。
“ミハネちゃんだってナギちゃんのこと苦手なのに”
そう言っていたのはミカだった。
あのミカがことミハネに関わることで嘘をつくとは考えにくい。
あの時のナギサはややヤケ気味に返答していたがそれが決して間違いではないことは何処となく理解できていたのだろう。
「私は、トリニティを守るべき人間です。でもそれはミハネさんも同じ、手を取り共に歩めれば……とは何度も夢に見ました。私にとってミハネさんは憧れで、為政者としての目標でもありますから」
ナギサの憂いた表情が彼女の持つカップの中に映る。
酷い表情だと、カップに映った自分の顔を身で自嘲する。
「ミハネさんの司法院をご覧になりましたか?」
「うん、もちろん」
「あの組織の生徒たちはその誰もが彼女のことを慕っています。そして彼女も彼女たちから受ける愛を受け止めて返している。笑顔が絶えないのです、誰もがミハネさんを頼り、そしてミハネさんも自分の後輩たちを頼る」
「ナギサは司法院が……羨ましいの?」
その言葉に、ピクリとナギサの肩が跳ねた。
パタパタと無意識であろうか彼女の美しく手入れされた翼がはためいている。
「素直に言えば、羨ましいです。許されるならば私も彼女と共にこの学園を守護するために私の能力を使いたいとすら」
「……それは」
「でもそれは許されませんから。あくまで私の夢なのです。私はミハネさんのように完璧な組織を作れない、ミハネさんのような為政者としての才覚がないんです。あの方が何処かの派閥に所属していれば、
先生を射抜くナギサの瞳は憧れの人を、理想を語り、夢を見る少女のような瞳をしていた。
まさに、朔月ミハネはナギサにとって理想そのものだったのだ。
そんな人に“好かれていない”と思ってしまった彼女の心境は……穏やかではないだろう。
「先生はミハネさんが中等部で生徒会長をした時のことを聞いたことがありますか?」
「いいや、ないけれど」
「そうですか……あの時、在校生全てが、文字通りミハネさんに支配されていました。もちろん悪い意味ではありません……ただ、先生は信じられますか?このキヴォトスで“1年間銃撃戦をはじめとした揉め事が一度も起きなかった学校がある”なんて」
それがどれだけの偉業であるか、このキヴォトスに来て数ヶ月しか経っていない先生でも理解するのには時間はかからなかった。
「もちろん、校外に出れば不良をはじめとした生徒たちに絡まれることはありました。ですが、それもほんの2ヶ月程度……トリニティの中等部からの報復、いいえ……ミハネさんからの報復が怖くて誰も手出しをしなくなったのです」
「……それは、恐怖政治だったのかい」
「彼女が特に何かしたというわけではありません。ただ私たちは……あの時の中等部の生徒たちは彼女の圧倒的なカリスマ性に逆らえなかったのです」
ナギサはいまでも思い出す。
今は穏やかなあのスカイブルーの瞳が、酷く冷たい……氷の女王とでも呼ぶべき冷酷な瞳をしていたあの頃を。
ミハネの下で副会長として過ごした一年で、きっと高等部でも自分は彼女を支えるために自分の能力を使えると確信すらしていた。
彼女は生徒会に所属していた生徒たちの全ての能力をその頭に叩き込み、その場に適した人材を的確に配置することで一切の無駄なく学校運営を成功させてみせた。
それも過去に類を見ない完璧な実績を残して。
「先ほども言った通り、私は心の底からミハネさんを尊敬しています。彼女のような完璧な生徒会長になれるように日々努力をしているつもりです。ですが……ミハネさんが欲している友は、ミカさんのような明るく無邪気で……ヒナさんのような苦労を共有できる人なのでしょう」
膝の上に置いていた両の手が震えていた。
悔しかったのだ、本当に……悔しかったのだ。
高等部に入ってミハネはミネやサクラコといった友人と過ごすことが多くなった。
ミカとの関係はより一層深くなり……それと同時に自分は彼女の視界に入っているかすらわからなくなって。
だから、努力した。
フィリウス分派の首長として任命され、ティーパーティーとして実績を残せばミハネの目に再び自分が映ることもできる筈だと。
だが……彼女のその目はミハネが司法院に入ったことで彼女の元へと集まった後輩たちに向けられていった。
そして、彼女と関係を持つ友人は学外にも増えていったのだ。
「私は……悔しかったのでしょうね」
「ナギサ……ミハネは……」
「…………いえ、私自身の話はここまでです」
思わず席を立ちそうになった先生を未だほんの少しだけ震える手で制止して大きく深呼吸をしたのちにナギサは再び姿勢を正した。
その瞳には先ほどまでの揺れはない、過去に対談を行った覚悟を決めているあの瞳が帰ってきた。
「おそらく先生の前にはミカさんだけでなくミハネさんも接触してきたと思います。そして報告が上がってきたこの間のゲヘナの生徒の受け渡しの際にヒナさんとも会ったことでしょう」
「……そうだね」
「出来ればどのようなお話をしたのかお聞きしたいところではありますが」
一拍おいて、ナギサと先生の視線が交わる。
お互いに譲ることのできない気持ちを抱えていて、それがお互いに一歩も引かない覚悟を持っていることを知っている。
でも、だからこそ……ナギサは言葉を尽くすことを諦めるつもりはなかった。
「今一度、あの子達が集められた理由を話しましょうか」
「いくら言葉を尽くしても、私の気持ちは変わらないよ」
「ええ……それでも私が先生に言葉を尽くさない理由にはなりません」
思わず、先生が息を呑む。
それは、その言葉を使ったのは自分の知る限り3人目だ。
アズサ、ミハネ……そしてナギサ。
きっと彼女は理不尽に押し潰されそうになっても立ち上がることのできる美しい精神の持ち主だろう。
だとしても、自分はナギサの提案を……飲むわけにはいかないのだ。
「先生にも相当優秀な情報網があると……いいえ、そうではありませんね。先生自身が集めた情報もあるでしょうからご存知のことかと思いますが」
カチャンと、カップをソーサーに置く音がテラスに響く。
再び合ったその瞳は、彼女が尊敬してやまないと口にしていたミハネのものに重なった。
「……まずコハルさん、彼女はハスミさんを統制するための存在です、ハスミさんはゲヘナの事を酷く憎悪し、いつ何をしでかすか分からない時限爆弾の様な存在ですから、それをある程度コントロールする手段が必要でした、それが彼女です」
コハルは……要するに、正義実現委員会からの人質だった。
「そしてハナコさん、彼女は本来誰よりも優秀な才能を持っていたにも関わらず、今はわざと試験で本気を出していません、その気になればミハネさんと同じくどんな派閥でもトップに立ち、率いる事が出来るでしょう……今は何を企んで、何を考えているのか、全く理解出来ない状態です」
ハナコはナギサにとって理解できない相手だった。
「アズサさんは、そもそも存在自体が色々と怪しいところばかりです、他の生徒達と何度も暴力事件を起こしている統制不能な存在ですし、正直怪しくない箇所を探す方が難しい位で……まぁ、私でなくとも疑念を抱くでしょう」
アズサはナギサにとって初めから信頼など出来る相手ではなかった。
「───ヒフミさんは」
そして、そこまできて彼女の口が……止まってしまった。
スラスラと選別の理由を、彼女が調べたであろう情報を……告げていた口が、それを口にすることを拒んでいた。
「ナギサがヒフミとは仲がいいって聞いたことがあるよ」
「……私にとってヒフミさんは……いえ、かなり特別な気持ちを持っているのが確かなんです」
心身を消費して行うティーパーティーとしての業務。
激しいストレスを感じるこの環境下で、ヒフミという少女はナギサにとって間違いなく砂漠の中のオアシスと呼べるに等しいものだった。
忙しなく、ストレスを感じる日々の中で唯一感じられる日常の象徴。
それが阿慈谷ヒフミという少女であったのは間違いない。
「私は……一個人としてヒフミさんのことはとても大切に想っています。私が彼女のことを好いている……のは紛れもない事実です」
「だったらどうして」
「あの子の正体が、実は恐ろしい犯罪集団のリーダーである、という情報が入りました」
その言葉を聞いた時、アビドスでのあの一件を先生は激しく後悔した。
あの場はああするしかなかったとか、勢いに身を任せたとか、そういう話ではない。
自分の選択が、自分の行動が、こうして目の前の少女1人の心を傷つけていることは間違い無かったのだから。
「こういったお話が、かえって一番恐ろしいのです、信じていたからこそ何かが見えなくなっている――盲目な状態になっているのでは、と」
気丈に振る舞っていた、その瞳が再び揺れていた。
誰かを信じること、誰かを愛すること。
それをナギサはいま……出来なくなってしまっているのだ。
「どれだけ注意を払って築いた塔も、小さな亀裂から簡単に崩れてしまうもの……私はちゃんとヒフミさんの事を理解出来ているのか、それともやはり私が知らない真実があるのか――今の私には、分からないのです」
信じたいという気持ちとそれでも一度でも耳に入ってしまったその情報がナギサの中の天秤を揺らしている。
ナギサは確かにヒフミに向けて愛を向けている、そして信じたいという気持ちも確かにあるのだろう。
だが、それでも……自分の見ているヒフミという少女を信じきれていないのだ。
「それでも……それでもヒフミはそんな子じゃないよ」
「わかりません、どうして先生はそのように言えるのですか?」
先生の否定の言葉に、ナギサは強く疑問の言葉を投げかける。
彼女のヒフミを疑う心に、いいや……人を信じられない心に僅かな亀裂を入れられたらと言葉を続ける。
「ナギサは人を信じることが怖いのかい?」
「怖いです。ヒフミさんの感情や思考を証明出来るのですか? その本心や本音をその心を……私たちは一体、どうやって証明するというのですか?先生の言うようにそんな子ではない、誤解だ、事情がある……そんな言葉に、どれだけの意味が?どれだけの真実性があると思いますか?」
人を信じることは怖いことだ。
自分の心を預けて、裏切られた時……そのダメージは考えなくてもわかるだろう。
まして、ナギサのように立場のある人間であればあるほどその考えが強くなると言うのも……先生は理解しているつもりではあった。
彼女の言う通り、言葉による証明ができないのなら……疑うしかないと言うのも経験がないわけでもなかった。
だが、それだとしても……
「ナギサは……私が人を疑わない聖人だと思っている節があるようだ」
「事実そうではありませんか。私との対話で私が人を疑うことを否定している節があることを否定できますか?疑うことは悪しきことではありません、初めから人を信じ……裏切られるくらいなら常に一定の距離を持って疑いを持っていた方がいいではありませんか」
「そうだね、それは否定できない。だけど……根本として人を信頼できないのは違うんだよナギサ」
力強く、ナギサの瞳を真っ直ぐに先生の瞳が射抜く。
まるで心を見透かされているようなその視線から、思わずナギサは瞳を逸らした。
「君が今、どういう状況なのか……簡単に言うならば疑心暗鬼の闇の中にいて、自分の信じたいもの自分の見たいものだけを見ている」
「そのようなこと……!」
「絶対に違うと、言い切れるかい?自分は絶対的に俯瞰した視点で物事を見て、間違えのない選択をしていると、そう言えるかな」
彼女の憧れているという過去のミハネ。
完璧な為政者というのは当時の彼女には鮮烈な印象を与えただろう。
だが、そうではないのだ。
彼女とて友人と笑い、友人を信じ、友人を頼る。
人は1人では生きてゆけない、疑うばかりではダメだと彼女の憧れの少女は知っているのだ。
「ナギサには酷い言葉かもしれない、けれど……ミハネは人を頼ることも人を信じることも出来る子だよ。疑って疑心暗鬼になって……1人で生きていくことが出来ないと知っているから」
「そんなことわかっています!」
彼女らしくない、大きな声がテラスに響いた。
「ヒフミさんが優しい子だと、そんなの私は痛いほど知っています!あの子の優しいところも、礼儀正しいところも、友人想いなところも……そんなところばかり知っていても、あの子の本音はわからないじゃないですか!だって……だって私たちは所詮……『他人』なんですから」
「だから、ヒフミも他の子達も退学させると?」
「えぇ……エデン条約、その成就の為に」
意を決して告げたナギサは重く、震えた声で口を開いた。
「その為ならば、私の大切な友人すら……切り捨てましょう」
この瞬間を持って、互いの意見が交わることは無くなった。
痛いほどの沈黙がテラスを支配する。
「…………」
「…………」
その意思を、確認するための見つめ合いを経て……
「それじゃあ、私たちの意見は決まったね?」
「ええ、そうですね」
「私はさっきも言った通り人を信頼することを諦めた君のその姿勢が気に入らない。私は誰かを信じること、誰かを愛することを初めから諦めるようなことは絶対にさせない」
「それが……あなたが私と意見が合わない根底です。ですが、先生。このトリニティで今誰が一番強いのか、お忘れなきよう」
「いいだろう、君がどのような策を弄そうとも……私は、私たちは必ずその先の光を掴んでみせるよ。そして、君を闇の中から引き上げて見せる」
「それが大人の語る理想ですか」
「私が夢を語らなければ、君たちが夢を見れないだろう?」
例え今は道を違えども、自分は彼女たちの先を生きるものだ。
夢を、理想を語り……それを実現させていかなければ生きている意味が、この場所にいる意味がない。
自分の歩んだこの道が、その背中がいつか……いつか彼女の未来を変えられるなら、彼女が人を信じることのきっかけとなれるのならば。
喜んで火の海だろうと海の底にでも飛び込もう。
「……それが貴方の選択なんですね、先生」
「ああ、これが私の選択だよ。ナギサ」
「……承知しました。それでは頑張ってください、先生」
そっと、その場でナギサが頭を下げる。
再び交わした表情は決意に満ちていて。
「私は、私なりに頑張りますので」
「そうだね、ここから先は
先生が席を立つ。
ナギサはその背中が去っていくのを見つめる。
「───先生」
背後から掛けられた声に、その足が止まる。
「もう……容赦はできません」
「私も、そのつもりだよ」
その言葉を最後に、テラスから先生の姿が消えたのだった。
先生の姿が消えていった扉を見つめ、ナギサは大きくため息をつく。
その瞳からは大粒の涙がポロポロと溢れていた。
「私だって……わかっています。ですが、どうすればいいんですか……ヒフミさんを切り捨てると決めた時点で……もう、止まれないのです……!」
まだ暖かい日差しが差し込むテラスにはほんの少しだけ……誰にも見せられない弱さを吐露する少女が1人、残ったのだった。
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