「えっと……それって……」
「急に言われても困るわよそんな話……」
ヒフミとコハルはアズサの告白に困惑を隠せず、ハナコはやや張り詰めた雰囲気のままアズサの言葉を待っていた。
「私はアリウス分校の出身なんだ。今は書類を偽装してトリニティの生徒として潜入をしていた」
「アリウス……?どこかで聞いたことあるような……?」
「……『雨の魔女とお姫様』でしょう。朔月アヤハ様と秤レイナ様のトリニティ創設にまつわるお話です」
「あっ……昔読んだことある!でも、それって絵本の中の話よね?」
「ミハネ院長から聞いたことがありますが、あれは朔月家に蔵書されている歴史的な文献から子供向けに作られた絵本だって。つまり、あの中身は分かりやすくしているとは言え事実が書いてあるみたいだよ」
「嘗てトリニティの連合に反対した、分派の学園です……その反発のせいで現在のトリニティ総合学園とトラブルとなり、その後はキヴォトスのどこかに潜伏していると聞いていましたが……」
「そうだ、私は此処に来るまで、ずっとアリウス自治区に居た。アリウスとしての任務を受けて、今こうしてこの学園に潜入している」
アズサの言葉がそこで止まる。
ハナコは知識としていたアリウスという存在。
そしてサリナにとっては、敬愛するミハネに縁のある話として司法院の生徒たちが暮らすミハネの個人寮の書斎にあった記録に目を通したことがある。
トリニティにはその話を題材にした絵本が存在していて、その絵本を読んだことのない子供がないないと言われるほどのものでもある。
だが、『アリウス』という単語をどれだけの子供達が覚えているか……と言われれば今のコハルのように“聞き覚えのある”程度で終わってしまうのが9割を占めるのは間違いない。
それほどに、現代では認識の薄い……トリニティ創生の御伽話でしかないのだ。
「……それで、その任務っていうのは?」
「……ティーパーティーの桐藤ナギサ、そのヘイローを破壊すること」
「っ!?」
アズサの口から出た言葉に、室内にいた全員が息を呑む。
ヘイローの破壊、それはつまり……キヴォトスにおいては殺人を犯すということ。
「それは、どういう意味かわかっているんだよね?」
「わかってる、始まりはアリウスとトリニティの和平のために忍び込んだ私は……アリウスから更新された任務内容として彼女の殺害を第一目標に、そして第二目標として……」
アズサの瞳が先生を射抜く。
視線を向けられた先生はアリウスの目的を察して大きく頷いた。
「私の命、ってところかな」
「そう、アリウスの……今アリウスを支配している人にとって先生の存在は邪魔っていうことらしい。だから、桐藤ナギサの殺害をメイン任務に、そして先生の殺害をサブ任務として命令されてる」
場の空気が完全に凍った。
痛いほどの沈黙、しかしそれを破ったのはやはりというかアズサだった。
「今回の作戦でアリウスは間違いなく桐藤ナギサと先生を狙ってくる。今回の暗殺任務にはアリウスのエリート部隊である赤い服の部隊“スカーレッド”が参加する手筈になってる。アリウスはミカを利用してこの学校にやってくる、ミカとサオリが願った平和をアリウスは……地獄への切符として利用することを選んだんだ」
「なるほど、ミカさんも利用された……というわけですか。もとより、ティーパーティーで最も政治に向かない……とは言われていましたが」
ハナコの知る聖園ミカとは天真爛漫、自己中心的、そんな性格であり決して一つの派閥の首長として結束させることのできる人物ではなかった。
そう、ほんの少し前まではそのような評価だった。
突如としてパテル分派の首長としてその存在感を表し始め、その支持率を急激に獲得し始めた姿はまさしく一つの分派の首長と認めざるを得ない。
だが、思うのだ……そのような人物がどうして易々と騙されるようなことになったのか……
「おそらくアリウスの本命は事件の責任をミカさんに押し付けること、でしょう。それで内紛でも起きればトリニティは自然に壊れていく……」
「多分それも計算のうちに入れて作戦を練っているはず」
ハナコの言葉に同意するようにアズサは首を縦に振る。
アズサもハナコも、お互いに苦虫を噛み潰したような表情を変えることはできないでいた。
「それを、口にするということはアズサちゃん……あなたは」
「ストップ、それ以上は口にしちゃいけないよ」
その言葉を終えるよりも先に、サリナの指がハナコの口を塞いだ。
だが、ハナコが振り撒くアズサへの威圧感は消えることなく、より一層強くなっている気すらしている。
それでも、サリナはその先の言葉を言わせてはいけないと感じた。
「ハナコの気持ちもわかる。このほぼ1ヶ月の間一緒にいて信頼できる友達だと思っていた子の裏切りとも取れる行動に憤るのは不思議なことじゃないよ。でもね、だからこそ……私たちは聞かなくちゃいけないんだ。アズサがこうして話してくれた意味を、私たちに話して……一体どうしたいのかを」
「……それは、そうですけど」
「ヒフミも、コハルも……アズサがどうしてこの学校の敵として入ってきたのに敵である私たちにこんな話をしてくれるのか、その意味をちゃんと聞かないとダメだと思わない?」
「そうですね……うん、アズサちゃんの言葉をちゃんと……聞かせて欲しいです。私たちに手伝えることだってきっと……!」
「アリウスとか……ヘイローの破壊とか……正直わけわかんない、けど……補習授業部である私たちに関係ないって言っても……アズサにはきっと関係のある話で、大事な話なんでしょ!?だから、聞かせてよ!アズサの言葉で!」
「大丈夫だよアズサ、君のやりたいこと……しっかりと聞かせて欲しい。安心して欲しい、最後の責任は大人である私がしっかりと取るからね」
全員の視線が改めてアズサに向く。
まっすぐと向けられる視線と威圧感のある視線が感じ取れる。
こんなことを話してしまった以上、もうどうすることもできない。
ハナコとの関係はもう治らないかもしれない。
それでも、自分1人ではきっと出来ないと思うから。
「明日の朝、アリウス分校の生徒がナギサを狙ってトリニティに侵入してくる……私は、桐藤ナギサ守らなければならない……アリウスの企みを阻止するために」
「あ、明日の……朝っ!?」
「だから……こんなことを頼むのはみんなを裏切っていた私が言えたことじゃないし、本来ならこんなことを言う資格がないのはわかってる。でも、みんなの力を貸してほしい。桐藤ナギサを守る為に、トリニティを壊さない為に」
アズサの頭が補習授業部の面々へ向けて下げられる。
それが、彼女にできる最大限の誠意の表れでもあった。
沈黙に包まれる部屋の中で、思考をすぐに切り替えて声を上げたのはハナコだった。
「本館には戒厳令が出ている状態……最後の試験でのナギサさんの無茶もあって、正義実現委員会は本館にいないタイミング。えぇ、要人襲撃には最適な日ですね、アリウスにも優秀な参謀が居る様です。きっと情報を横流しにしている人がいるはずです」
「……ああ」
「…………アズサちゃん、一つだけ聞かせてください」
「もちろん、なんでも答える」
「アズサちゃんはどうして、ナギサさん暗殺の任務を受けて……それでも彼女を守ろうとしたんですか?所謂、二重スパイ……アズサちゃんはトリニティにもアリウスにも帰ることができなくなるかもしれないのに」
ハナコは、何よりもそれを知りたかった。
きっとこの子は自分のように計略を張り巡らせて立ち回れるような子ではないとわかっている。
土壇場でアリウスを裏切ったとしてもナギサを救ったとしても、アリウスからトリニティにスパイとして潜り込んでいた事実は消えない。
それが表沙汰になったとき、彼女はどこにも居場所がなくなってしまうというのに……どうして、そんな判断ができたのか。
そんなハナコの疑問に、アズサはたった一言……短い言葉で答えたのだ。
「私が、そうするべきだと判断したから」
「っ!?」
「アリウスは……ひどい場所なんだ。一年中雨が止むことはなくて寒くて冷たくて……暖かい場所なんてほんの少ししかなくて。人を殺すための技術を教え込まれて、反発すれば数日は動けないような罰を受けて……」
思い出すのはほんの少し前までいたアズサにとっては生まれて育った地獄のような世界。
痛くて、苦しくて、怖くて、辛くて。
誰かが助けてくれるなんて希望すら抱けない世界で。
「でもね、私はそんな世界を認めたくなかった。何回も反発して罰を与えられて、誰も私のことなんて助けてくれない。でも、そんな世界に負けるくらいなら死んだ方がマシだって……本気で思ってた」
「アズサちゃん……」
「それでも、私を助けてくれた人がいた。戦い方と生き方を教えてやるからもっと上手くやれと言ってくれた人がいた。私の生き方を、認めてくれた人がいた」
自分にとっては相棒で、姉のような存在で……誰よりも信用できる人。
必ずアリウスのみんなを明るい世界で生きていけるようにと頑張り続けている、アズサが人生で一番信頼している人。
「たとえ自分と敵対しても、信じた道を貫けと言ってくれたんだ。だから、私は私の正しいと思ったことをする。世界のためとかトリニティの為じゃなくて、私が桐藤ナギサを守ることが正しいと判断したから……アリウスを裏切るんだ」
「成程……よく、わかりました」
ハナコの冷たい声が、アズサに降りかかる。
誰よりも真剣にアズサを見ているから、誰かが声を上げることはなかった。
「えぇ、とっても甘くて……夢のようなお話ですね。それを貫き通せるならどんな苦悩だって振り払えると思います」
ほんの数歩、ハナコがアズサに近づく。
月明かりが降り注ぐ廊下に、2人の影が伸びる。
アズサがハナコを見上げるように、ハナコはアズサを見下ろしていた。
「アズサちゃん、貴女は嘘つきで裏切り者だった」
「うん」
「トリニティでは本当の姿を隠し、アリウスでは自分を偽る方法を身につけた。アズサちゃんの周りには本当のアズサちゃんを理解してくれる人がいない」
「否定しない」
「私たちのこともずっと騙し続けて、私たちに見せていた姿も全て偽物だったと……そういうことでいいんですか?」
「………それは」
アズサの声が、ほんの少しだけ弱くなった。
ここで過ごした短くも長い期間、アズサは心の底からここでの時間を幸せだと、楽しいと感じていた。
だが、それも……アリウスを裏切り、ナギサを助けるための準備のために費やしていた時間が多かった。
みんなに相談することもせず、隠し続けて、そしてこうして隠せなくなったから話している。
そんな自分が、ここでの生活は演技ではなかった……なんて口にする権利が果たしてあるのだろうか。
自分を友達だと言ってくれた相手を騙し続けた自分が、そんなことを口にする権利なんて───
「いつか、言った通りだ。私はみんなの心も、信頼も、裏切ってしまうことになるって話したよね。補習授業部がこんなことになったのは私のせいだ、裏切り者の私を探してあんな無茶を繰り返した。本当にごめん、この件が終わったら……もう二度とみんなの前に姿を現さないって約束する、恨んでくれていい、許してくれなくていい、だから……手遅れになる前に桐藤ナギサを守ることには手を貸してほしい」
「あ、アズサちゃん……」
「……そんな」
ヒフミとコハルが思わず声を漏らす。
ここまで話を聞いてきて、どうしてアズサがそんな覚悟を決めなければならないのか、どうしてハナコはそんなに問い詰めることができるのか。
そして何より、もう二度とみんなの前に姿を現さないというその言葉が何よりも2人の心を苦しめている。
「……アズサのせいじゃない。それだけは私が証明してみせるよ」
「先生、でも……それは違うんだ」
「いいや違わない、君たちが苦しんでしまう事の責任はね。私たち大人にあるんだから」
何よりも強いその瞳が、アズサの瞳をまっすぐに射抜いていた。
幾度か見た事のある信念の宿った瞳。
初めて見たのはサオリの瞳だった。
次に見たのはミハネの瞳だった。
そして今度は、信頼できると感じた大人の瞳だった。
「この事件に関わった子たちはもう少しだけ、人を信じられれば良かったんだ。ナギサも、ミカも、アズサも……誰かがほんの少しだけみんなに優しかったら結果はもっと違うものになってたかもしれない」
だから、本当に責められるべきはここまで手を打てなかった自分自身であり決してアズサではないと優しい声音のまま先生はアズサから視線を逸らす。
「……たしかに、先生の言う通りかもしれませんね。今のナギサさんの状態から誰かを信じると言う行為まで復帰させるのは非常に骨が折れるかもしれません、前提として誰かを信じる事自体がもう難しい状態というのは想像に頑ないですから」
でも、とハナコは言葉を続けてその視線をアズサへと向ける。
その視線は先ほどまでの刺々しいものではなく、確かに信頼を向けた優しい瞳だった。
「アズサちゃんは、私達にこうして本心を語ってくれました。黙り続ける事も……このまま姿を晦ませる事も出来た筈なのに……こうして、直接私達と顔を合わせて謝ってくれた」
「それは……」
「……先程はごめんなさい、アズサちゃん。どうしても意地悪がしたくなってしまったんです。アズサちゃんの真っ直ぐな顔を見ていると、何だか心が落ち着かなくなってしまって」
「……だったら、やることは決まったかな」
ハナコに続くように、サリナが声を上げる。
「反省会もちゃんとした話し合いも、なんだったら河川敷で殴り合ってもいいや。そういうのをするためにもやらなきゃいけないことがある」
みんなが息を呑む。
アズサの話していたことが本当なら相手は人殺しを学んでいる武装集団。
それを相手にたった5人で相対することになるのだ。
「みんなでこの後も学校生活をするために、ティーパーティーのナギサ様をアリウスの襲撃部隊から守護する。その為の話をしようか」