『さしすけ』ってなんだよ 作:Ex falso quodlibet
長距離運転をしたので初投稿です。
「はぁ、はぁ、はぁっ……!」
どんよりとした曇り空が窓から覗ける中、係員の注意も無視して廊下を駆ける。目的の部屋に辿り着けば、私は扉を力任せに開けた。
「灰原っ!!」
その病室には灰原と七海、瓊弌に硝子がいた。
瓊弌は慌てたように人差し指を立てている。
「しーっ! 落ち着けって傑さん! ここ病院だからね?!」
「あ、ああ。すまない」
瓊弌に小声で指摘されて漸く我に帰る。硝子は呆れたようにこちらを見ていた。それがなんだか申し訳なくなって、もう一度謝罪をする。
「……すまない」
「アンタがそこまで焦ってるのも珍しいね。まあお疲れ」
「……お疲れ様です」
「ああ、ありがとう。……っそうだ、灰原は?!」
ここに来た本題を思い返す。そう、灰原が危険な状態にあると聞いて、居ても立っても居られなくなった私は任務をすぐに終えてやってきたのだ。硝子の方へ目線をやると、彼女は火のついていない煙草を遊ばせながら口を開いた。
「傷は治しきったから、取り敢えず山場は超えたって感じかな。まだ油断はできないけどね」
「……っ、よかった……」
病室のベッドで眠る灰原は、普段の彼とは似ても似つかない程静かで、既に死んでしまったのではないかと錯覚してしまうくらいだった。
「取り敢えず座れよ傑さん。疲れてんだろ」
そう言って瓊弌は面会人用の椅子を引っ張ってくる。促された私は椅子に座ってから息を整え、七海に向かって話しかけた。
「……七海と灰原が一級案件の任務に向かったと聞いてね。気が気じゃなかった」
「……祚咫さんが助けに来てくれたので、なんとか生き残れました」
「いや実際のところ、マジで危なかったよ。ありゃ土着の産土神信仰、そうあれかしと願われた結果生まれた呪霊だ。さっき傑さん言ってたが確実に一級案件、もし変態すれば特級案件になり得たよ」
「特級……」
私や悟、或いは九十九さんでないと達成できない任務。2人は、そんな危険な任務に赴いていたと言うのか?
「祚咫もだいぶやられたみたいだしねー」
「ほんとだよ。あとちょっと反応に遅れてたら腕飛ばされてたわ」
「……すみません、私たちを庇いながら戦っていたばかりに」
「あー、いいんだよ建人。先輩ってのは後輩を守るためにあるんだからさ。こういう時くらい、先輩面させてくれや」
「……ありがとうございます」
「うむ、よろしい」
私が思考の海に沈んでいた間、瓊弌はそう言うと満足そうに頷いた。何故か硝子も満足そうなのは言及しないでおこう。私の考え事よりも、今は産土神信仰の呪霊についてだ。
「呪霊は?」
「五条に押しつけた。俺もまだ準一級なんでな、あのレベルを祓うのは無理だった」
「悟の無下限を使えば?」
「50:50って所かな。硝子ちゃんの反転術式と傑さんの呪霊操術も使ってやっとだと思う」
「……それほどのものか」
「術式の熟練度とか呪力の総量とかの問題もあるけどな。少なくとも、俺1人じゃあ祓えなかったよ。俺が今ここにいるのが良い証拠だ」
「そうか」
「……う、ううん……」
そこで、ベッドに横たわる灰原が身動ぎをした。どうやら目覚めたらしい。七海はいの一番に灰原の顔を覗き込んだ。
「灰原!」
「……七海……? それに、先輩方も……」
七海の呼びかけに応えた灰原はぐるりと見回し、私たちを視認する。人の区別がつかなくなる程の重傷ではなかったらしい。
「おはよ、灰原」
「家入さん……」
「どう? 少しは休めた?」
「……お陰様で、だいぶ良くなったと思います」
灰原は笑って硝子にそう言った。皆もほっとひと息吐いている。けれど、私は納得がいかなかった。休めた? 良くなった?……そんな訳がないだろう。
「……灰原」
「あ、夏油さん。お疲れ様です!」
「お前の、その足は」
「!!」
私が言うと、灰原は目を見開いた。硝子と瓊弌も驚いている。硝子が私に釘を刺そうとするが、灰原はそれを無言で制した。
「おい、夏油」
「良いんですよ、家入さん。……あー……そうですね、ちょっと、無理しちゃいました」
灰原は左足を労るように摩る。けれど、本来そこにあるべきものはなかった。太ももから先が欠損しているのだ。灰原の言葉に、瓊弌はばつが悪そうな顔をして、頭を下げた。
「……ごめん雄。俺がもっと早く着いていれば、お前を無事に帰せたのに」
「謝らないでください、祚咫さん。そもそも、祚咫さんが来てくれなかったら、きっと僕は死んでたんですから」
「……そう言ってくれると助かるよ」
「……でも多分、呪術師は引退ですかねー」
他の3人が寂しそうな顔をしている中、今度は私が驚く番だった。
「……それは、本当か?」
「ええ。実を言うとですね、僕、もう下半身の感覚がないんですよ。だからもう、引退です」
下半身不随。世間一般では今の灰原の状態をそう呼ぶ。助けを求めるように硝子に視線を向けるが、硝子は力無く首を横に振った。
「七海が灰原を運び込んでから直ぐに処置した。やれるだけのことはやったよ。でも、反転術式でも死んだ人間を生き返らせることができないように、完全に死んだ神経まで治すことはできなかった。……ごめん」
「家入さん、謝らないで下さいよ」
「それでも、お前がこうなったのは私の責任だ」
「……硝子ちゃん……」
七海も、硝子も、瓊弌も、灰原も。誰もが自責思考に苛まれていた。病室が重苦しい空気に包まれる。その時、携帯が鳴った。皆が音の出所を探ると、瓊弌がぺこぺこと頭を下げながら携帯を取り出した。彼は駆け足で病室を出て、電話に出る。
「もしもし……五条か。呪霊祓えたのか? そっか、良かった。ありがとうな……あ? あー分かった分かった、後で飯奢りゃ良いんだろ。取り敢えずゆっくり休んでくれ。んじゃまたな」
病室に戻ってきた瓊弌から電話の内容を聞かずとも、殆どのことは把握できていた。それでも形式上、瓊弌からの言葉を私たちは待った。
「呪霊、祓えたってさ」
「良かったです!」
「そうだな、良かった」
瓊弌の言葉に一番喜んだのはやはり灰原だった。自らの身体を再起不能に追い込むまでの呪霊が祓われた。これで一般人が危険に晒されるような事態は、少なくともその地域では起こらなくなるだろう。重苦しい空気が僅かながら軽くなったことを感じていたが、七海だけは先程と変わらないままだった。
「…………」
「建人? どした」
疑問に思った瓊弌が七海に問いかける。けれど、これが良くなかった。
「もう、あの人1人で良くないですか」
「ちょっ、七海!」
七海は普段こんなことを言うような人間ではないのに。余程精神的に参っているのだろう。灰原が七海を止めようとするが、七海は話し続けた。
「私たちが危うく死んでしまうような任務を、彼は片手間に熟す。であれば、彼1人いれば、私たちが命を賭ける必要はどこにあるんでしょうか」
「っ、建人……」
病室が再びどんよりとした雰囲気に支配される。七海も自分の発言の意味を理解したのか、ふいと顔を逸らした。私は彼を少しばかり強引に退室させる。
「……冷静な判断ができていないだろう、今は休め。任務は悟が引き継いでくれているんだ」
「…………はい」
一度そうなれば、私たちも退室する流れになるのは必然だった。私たちは示し合わせたように無言で椅子から立ち上がり、順番に退室して行く。
「俺たちも帰るわ。お大事にな、雄」
「はい、ありがとうございます!」
瓊弌の言葉に若干の気まずさを覚えながらも、灰原はいつもと変わらない笑顔でそう返した。
「呪術師をやる意味、ね。五条1人で全部片付いちゃうなら、その方が良いのかもしれないね」
病院の廊下を3人で歩きながら、硝子が徐に呟く。私と瓊弌はつい昨日話し合ったばかりだと言うのに。答えを見つけた筈なのに。硝子の発言に対する明確な反論を持ち合わせていなかった。
呪術師という人間レース。その果てが、仲間の死体の山だとしたら?
……だとすれば、私は。
その話を聞いたのは、灰原が退院してすぐのことだった。
「……瓊弌は?」
「実家に戻った。幼馴染が死んだんだとさ」
「……」
「交通事故らしいよ。学校帰りの道で居眠り運転のトラックに突っ込まれて」
「それは、なんとも、遣る瀬無いな」
「今週末に通夜があるって。私たちも行く?」
「行くだろ。これでも2年半一緒にいんだぞ。……傑、どした」
「いや、なんでもない。私も行こう。せめて安らかに眠れるように祈るくらいはしないとだ」
その日降っていた雨のせいかもしれないが、数日振りに会った瓊弌の顔は、酷く窶れていた。これほどまでに弱っている彼を見るのは初めてのことだった。彼はいつものからりと晴れたような笑みではなく、放っておけば今にでも崩れ落ちてしまいそうな、そんな笑みだった。
まるで、最近の私のような。
「ありがとな、傑さん」
「気にするな、これくらいどうってことない」
「そっか」
どちらから言い出した訳でもなく、近くのベンチに腰掛ける。会話を切り出したのは瓊弌だった。
「……前さ、傑さんに講釈垂れたの覚えてる?」
「ああ、覚えている」
呪術師をやる意味。呪術師としての責任。これからの私たちのこと。
「…………俺、自分で呪術師やる理由がわかんなくなっちまった」
「!……それは、どうして」
理由は聞かずとも承知している。けれどだからと言って、聞かずにはいられなかった。
「呪いで死ぬ人を減らす為に呪術師をやるんだって、俺はほんとに思ってたんだよ。けど、
私は何も言わない。何も言えない。瓊弌は、そんな私を一瞥してから話を続けた。
「死ぬ奴は勝手に死ぬ。俺たちが呪いを祓わなくたって、他の理由で人は死んでいく。俺たちが助けた人間は、その翌日には人を殺しているかもしれない。それに、俺たちが何もしなくたって、呪いは五条が全部祓ってくれる。
それなら、さ。俺たちが人助けをする必要なんて…………俺たちが呪いを祓う理由なんて、どこにあるんだよ」
「…………」
僅かに瓊弌の語気が強まった。彼は拳を強く握っている。その拳から、血が流れるほどに。ぱっと両手を開くと、彼はなんでもなかったように笑った。
「やっぱり、俺に呪術師は向いてないのかもな。どんだけ気丈に振る舞ってても、いざ1回折れたらこうなっちまう。……弱いなぁ、おれ」
「……瓊弌……」
瓊弌は自嘲的に、無理矢理口角を上げている。その姿は、まるでかつての私の生き写しだった。或いは、今の私の。
ブブ、とバイブ音が瓊弌の携帯から鳴る。
「……ごめん、兄貴に呼ばれたわ。多分明後日くらいには戻るよ。2人によろしく言っといて」
「あ、ああ、分かった」
じゃあな、お疲れ!と言って駆けて行った制服姿の彼を、私はぼんやりと見つめることしかできなかった。
私たちが人を助けようが助けまいが人は死に、呪いは悟によって祓われる。
……だとすれば、私は。
曇天 DOES(2009)
夏油に関する私の解釈と、読者の皆様の解釈には齟齬が生まれているかもしれませんが、1つの考えとして受け取って頂ければ幸いです。
0編は要りますか?
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いらない
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どっちでも